第3話 初任務“人間との停戦交渉”。
魔王軍に就職して、三日が経った。
――いや、就職というより、強制配属か。
何にせよ、俺は今、魔族の城の一室で“社員教育”を受けている。
「魔王軍の組織は七つの軍団に分かれる。貴様は第四軍団、外交・諜報部門の所属だ」
そう説明するのは、俺の直属上司――ヴェルド・ラグレス。
あのとき俺を“通訳官”として雇った張本人だ。
紅い瞳に冷ややかな光を宿しながらも、彼の口調は穏やかだった。
怖いけど理性的。部下を無駄に怒鳴らないタイプの上司。
前の会社にいた「感情だけで怒る営業部長」とは大違いだ。
「セージ。お前の初任務を言い渡す。人間との停戦交渉だ」
「……は、はい。いきなり大役ですね」
「貴様以外に通訳できる者がいない。それに、こちらも早急に交渉をまとめねばならん」
「通訳なしで交渉してたんですか?」
俺が思わず首を傾げると、ヴェルドはほんのわずかに眉を動かした。
「翻訳魔法を使っていたが、比喩や皮肉までは訳せん。
……つまり、致命的だ」
会議室の机に広げられた地図を見ながら、ヴェルドが淡々と言う。
人間領と魔族領の国境線。争いが続く地域。
交渉は、その最前線で行われるらしい。
(なるほど……通訳って、こっちの世界じゃレア職か。
しかも今回の仕事、翻訳だけじゃなく政治の勘まで要るとか……試されてるな)
「交渉相手は、“ミスト公国”の使節団。魔族を根絶やしにすると公言していた国だ」
「なかなか、穏やかじゃないですね」
「交渉はいつもそんなものだ。言葉で刃を交えるのが戦だ」
ヴェルドは軽く笑った。その笑みの奥に、戦士というより外交官の顔があった。
俺は少し、敬意を覚えた。
――そして当日。
俺とヴェルドを含む魔族の使節団は、国境近くの廃砦に到着した。
白い布を掲げた人間側の兵士たちが、こちらを警戒しながら見ている。
「こっちも緊張してるけど、向こうも怖いだろうな……」
俺の独り言に、ヴェルドがちらりと目を向けた。
「恐怖を理解できるのは、悪いことではない。
だが、交渉の場では表に出すな。声と視線で主導権を握れ」
「勉強になります、上司殿」
「ふん、皮肉を言う余裕はあるか」
軽い会話を交わしながら、砦の中央に設けられたテーブルにつく。
対面には人間の使節団。鎧姿の騎士と、灰髪の老紳士――たぶん参謀だ。
互いに視線をぶつけあう。空気が張りつめる。
そのとき、老紳士が静かに口を開いた。
「我らは人間側代表、ミスト公国外交顧問アレン・グリードだ。
――まずは確認しよう。我々の言葉が、貴殿らに通じているか?」
「通じています。私は魔王軍通訳官、セージ。
以後お見知りおきを」
軽く会釈しながら答える。
アレンの目がわずかに見開かれた。
魔族の中に“流暢な人間語を話す者”がいるとは思ってなかったのだろう。
「驚いたな……貴殿、人間か?」
「そうです。まあ、ちょっとした事情でこっちに雇われまして」
ヴェルドが補足するように言った。
「この男は、どこの国にも属していない。
だが、言葉に長けている。交渉の間、通訳を務める」
「どこの国にも……? ふむ、ならば中立的立場か。面白い」
アレンの表情にわずかな柔らかさが生まれた。
この瞬間、交渉の空気が少しだけ和らいだ。
言葉は、確かに力になる。
(よし、ここからが本番だ)
会談が始まった。
アレン側の主張は明快だった。
人間領への侵入、資源の略奪、捕虜の扱い――魔族側の行為に強い不満を持っている。
一方ヴェルドも引かない。
彼は落ち着いた声で、冷静に反論を積み重ねる。
「一部の暴走は認める。だが、戦を望んだのはお前たちの王ではないか」
「それは防衛のためだ。我らは和平を望んでいる!」
議論が白熱し、互いの声が重なる。
俺は両者の言葉を必死に通訳しながら、ふと気づいた。
――どちらも、嘘をついていない。
(そうか……女神の“加護”か)
言葉を訳すたび、声の裏の感情が透けて見える。
怒り、恐れ、悲しみ、そして――希望。
誰もが、戦を終わらせたいと本気で願っていた。
だが、誇りと恐怖がそれを妨げている。
俺は深呼吸し、通訳に少しだけ自分の言葉を混ぜた。
「……双方とも、争いを終わらせたい気持ちは同じようです。
互いに“恐れ”が誤解を生んでいるだけだと、私は思います」
アレンが俺を見た。ヴェルドも目を細める。
二人の視線が、テーブル越しにぶつかる。
そして――
「……確かに、そうかもしれんな」
「認めたくはないが、否定もできん」
その瞬間、張り詰めていた空気が少し緩んだ。
交渉は一歩、前に進んだのだ。
数時間後、会談は一時休会となった。
結果は――“休戦の可能性を検討”。
完全な和平には遠いが、最悪の結末は避けられた。
「……やるじゃないか、セージ」
砦を出るとき、ヴェルドがぽつりと呟いた。
「いえ、たまたま噛み合っただけです。
でも、“言葉の壁”って、本当にちょっとしたことで崩れるんですね」
「その“ちょっとしたこと”ができる者は少ない」
ヴェルドの目が、ほんの少しだけ優しくなった。
俺は照れくさく笑って、首の後ろをかいた。
「ありがとうございます。上司に褒められるの、久しぶりです」
「ふっ……そうか。なら次も、褒められるよう結果を出せ」
「それは……プレッシャーがすごいですけどね」
そんな軽口を交わしながら、俺たちは砦を後にした。
夕暮れの空は赤く染まり、風が静かに吹いていた。
異世界に来て、まだ数日。
けれど、俺は確かに“自分の居場所”を見つけ始めていた。
(女神さん。俺、ちょっとだけこの世界で頑張ってみますよ)
――おじさん、魔王軍通訳官。今日も残業中。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
引き続き、魔王軍通訳官の奮闘を見守ってください。




