第18話 帰還への選択、言葉が導く場所へ。
――数日後。
世界は、静かだった。
焼けた地も、血に染まった川も、
今はもう穏やかな風に包まれている。
魔王軍も勇者軍も、互いに剣を下ろし、
再び“生きる”ことを選び始めていた。
俺はひとり、魔王城の奥――“教会”へ向かっていた。
重厚な扉を押し開くと、
中はまるで別世界のように静かだった。
ステンドグラスを通した光が床を染め、
女神像の微笑みが、やさしく俺を迎える。
(……この場所に来るのも、もう慣れたな)
俺は女神像の前に立ち、両手を合わせた。
しばらく沈黙が続いたあと――
頭の中に、あの声が響いた。
『……また来ましたね、セージ♡』
「ええ、今回は相談に来ました」
『ふふ、恋愛相談ですか?』
「違います! ……いや、もう少し真面目な話で」
女神の声が少し柔らかくなった。
『いいですよ。何でも聞きます。』
俺は少し息を整え、言葉を選んだ。
「……もし“言霊”を使えば、
俺たち――異世界転生者を、元の世界に戻せますか?」
教会の空気が、静まり返る。
女神はしばらく黙ったままだった。
その沈黙の中に、少しだけ重みがあった。
『……本来なら、それは“できない”ことです。』
「やっぱり……」
『この世界に来る者は、みな“途中で命を失った人間たち”。
事故や病気、あるいは理不尽な運命で――
本来の寿命を全うできなかった者たち。』
「飛行機事故……俺たちが乗ってた、あの時……」
『ええ。あなたたちは、本来ならあの瞬間で終わっていた。
けれど、まだ“心”が燃えていた。
その願いが、私たちの世界に届いたのです。』
女神の声が少しだけ哀しげだった。
『だから、本来“帰還”という選択肢は存在しません。
一度この世界で生まれ直した魂は、こちらの理に縛られる。
それが、“転生”のルール。』
「……だよな。
でも、俺の“言霊”なら、それを越えられるんじゃないか?」
『――それが問題なのです。』
「?」
『あなたの力は、神の言葉さえ上書きしてしまう。
本来ありえない“理の超越”です。
神すら干渉できぬ力。
それを使えば、確かに帰ることはできるでしょう。』
「……でも、世界に影響が出る?」
『ええ。この世界の“均衡”が崩れます。
あなたたちがこの地で築いた命――
そのつながりの一部が、欠けてしまう可能性がある。
それでも帰りたいと願うなら、私は止めません。』
女神の声が、少し震えていた。
それでも、俺は微笑んだ。
「ありがとう。……考えてみます」
―
夜、俺はクロとナカを呼んだ。
月明かりの下、三人で焚き火を囲む。
「戻る……?」
クロが目を丸くした。
「はい。女神様に聞きました。
“言霊”を使えば、帰れる可能性があるって」
ナカが少し俯いた。
「帰ったら、もうこっちには戻れないんですよね?」
「たぶん……」
しばし沈黙。
焚き火の音だけが響く。
クロが小さく笑った。
「……いいじゃないですか。
パンの焼き方は、この世界の人たちにももう教えました。
あとは、きっと大丈夫です」
ナカも笑う。
「僕もです。田んぼは芽を出しました。
この土地はもう、自分で育つ力を持ってます。
なら……帰る理由、ありますよね」
「……本当にいいですか?」
クロは軽く肩をすくめた。
「“また明日”って言っても、きっとどこかで通じますよ」
ナカが火を見つめながら、静かに言った。
「セージさん、言いましたよね。
“言葉で世界を繋ぐ”って。
だったら――帰っても、繋がってますよ」
俺は笑って、二人の手を取った。
「……ありがとうございます。
俺たち、ちゃんとやり遂げたんですね」
―
翌朝。
ヴェルドとバルザークに報告した。
「……元の国に戻る?」
ヴェルドがゆっくりと眉を上げた。
その金の瞳が、わずかに揺れる。
バルザークが笑う。
「冗談だろ? せっかく世界を救って、今度は逃げるのか?」
俺は静かに首を振った。
「逃げるんじゃありません。……“帰る”んです」
ヴェルドの視線が鋭くなる。
「帰る……? お前の家は、どこにある?」
一拍置いて、彼は静かに続けた。
「……たしか、前に“遠い国から来た”と言っていたな」
しばし沈黙。
俺はゆっくりと息を吐き、二人を見た。
「……実は、俺たちはこの世界の人間じゃないんです」
「……何?」
「俺も、ナカも、クロも。そして勇者も。
別の世界――“地球”という場所から来た。
気づいたらこの世界にいて……神様の加護を受けて、生きてきたんです」
バルザークが目を丸くする。
「……つまり、お前は転生者ってやつか?」
「そうです。俺たちは本来なら、もう死んでいた。
でも、女神様が“まだやり残したことがある”って、ここに送ってくれたんです」
ヴェルドが腕を組み、しばらく黙り込んだ。
やがて、低い声で言う。
「……なるほどな。どうりで、言葉の使い方が妙だと思った」
俺は苦笑した。
「すみません、ずっと隠してて。
言っても信じてもらえないと思ってました」
「信じないわけがあるか」
ヴェルドが静かに言った。
「お前の声で、どれだけの者が救われたと思っている」
その言葉に、胸が熱くなった。
バルザークが豪快に笑った。
「つまり、異世界人がこの世界を救ったってわけか!」
二人の優しい言葉に、涙がにじむ。
ヴェルドはふと真顔に戻り、俺を見据えた。
「……それで、“帰る”とは。もう、戻ってこられんのか?」
「はい。女神様が言うには、これで最後だと」
ヴェルドは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……まったく、お前というやつは。
勝手に現れて、勝手に世界を変えて、今度は勝手に帰るのか」
「はは……すみません」
「礼も言っていないのに、先に消えるとはな」
「じゃあ、今言ってください」
ヴェルドは、少しだけ微笑んだ。
「……ありがとう、セージ」
その一言が、心に突き刺さった。
バルザークが腕を組み、歯を見せて笑う。
「お前がいたおかげで、腹から笑えるようになった。
……向こうでも、誰かを笑わせてやれ」
「もちろんです!」
三人で笑い合った。
それが、最後の朝だった。
そして――背を向けたあと、ヴェルドが小さく呟いた。
「異世界の人間か……
だが、俺にとっては――この世界で出会った“友”だ」
バルザークが頷く。
「ああ。奴の声はもう届かねぇかもしれんが……心には残ってる」
その空の向こうで、
セージたちは女神の光へと歩き出していった。
―
夕暮れ。
教会の光が、金色に染まる。
女神像の前に立つ俺たち三人。
女神の声が穏やかに響いた。
『……覚悟は、できたようですね』
「はい。もう一度、元の世界で生きてみたいです」
『ならば、言葉を。
あなたの“本心”を、この世界に残していきなさい』
俺はゆっくりと目を閉じた。
胸の奥から、心の声を紡ぐ。
「――ありがとう。
この世界で出会ったすべての人へ。
俺たちは帰るけど、決して忘れない。
この場所で過ごした時間は、ちゃんと心に残ってる。
だから――さよならじゃなく、“またね”だ」
女神の像が光を放つ。
床の紋章が輝き、風が巻き起こる。
クロとナカの姿が、柔らかな光に包まれていく。
ヴェルドとバルザークが扉の外から見守っていた。
「行け。言葉の勇者よ」
「お前の声、忘れねぇぞ!」
俺は笑いながら手を振った。
「絶対、また話しましょう!」
光が強くなり、視界が白に染まる。
その瞬間――胸の奥で、確かに聞こえた。
(“ようこそ、元の世界へ”)
――次回、最終回。
「言葉は、時を越えて」。
読んでいただきありがとうございます。
次回最終回です。




