第12話 声が届くなら、戦場でも叫ぶ!
――夜明け前。
薄青の空に、風が鳴った。
遠くで旗が翻り、鎧がきしむ。
荒野の向こう、火を灯した陣列がずらりと並ぶ。
人間軍と魔族軍。
ついに正面衝突の時がきた。
「……あの光の海、ぜんぶ敵なのか?」
俺は喉を鳴らした。
数え切れない兵の気配。槍、盾、そして――あの中央。
ひときわ強い光を放つ存在。
勇者、リュウガ・アマミヤ。
ヴェルドが小さく呟いた。
「見えるか。あれが勇者軍の先陣だ」
「はい。えーと、輝いてますね。まぶしい通り越して、なんか腹立つ輝きです」
「嫉妬か?」
「正義エフェクトの無駄遣いです!」
横でバルザークが豪快に笑った。
「いいぞセージ、その調子で緊張を吹き飛ばせ!」
「いや将軍、吹き飛ばしすぎたら俺が飛びますけど!?」
―
伝令所のテントは大混乱だった。
地図の上を指が飛び交い、魔法通信の声が重なる。
「右翼陣、配置完了!」
「左翼、弓兵準備!」
「伝令、もう一回ルート確認しろ!」
俺は書記官たちの隙間を縫いながら叫ぶ。
「通訳官、セージ! 通信翻訳、準備完了です!」
ヴェルドが片眉を上げる。
「……そんな役職、聞いたことがないが」
「俺も初めてやってます!」
―
そんな中、クロがパンの袋を抱えて走ってきた。
「セージさん! 腹、減ってません!?」
「今!?」
「“腹が減っては戦はできぬ”って、古の格言です!」
「知ってるけどタイミングがギリ地獄です!」
「平和は胃袋からですよ!」
バルザークがパンを受け取って頬張る。
「……悪くない。これ、香ばしいな」
「でしょ!」
クロがドヤ顔。
俺は軽くため息をつきながら笑った。
「戦場でマーケティングすんなよ……」
―
地平線の向こう。
突如、光が爆ぜた。
ドゴォォンッ!
世界が白く塗り潰される。
熱風が走り、耳が割れそうになる。
――勇者の一撃だった。
「ぐっ……!!」
「防御陣、展開っ!」
ヴェルドの号令で魔法障壁が張られるが、衝撃は止まらない。
轟音。
大地が裂け、火の粉が空へ舞い上がる。
視界の端で、前線が――崩れた。
「……うそだろ……今の一撃で、前衛が……!」
土煙の向こう、倒れた兵たちが動かない。
声も出ない。息を飲む音だけが響く。
ヴェルドが歯を食いしばる。
「まだ“挨拶代わり”だ……。奴は本気じゃない」
その言葉の意味を、俺は理解できなかった。
“挨拶代わり”――これがまだ、序の口だというのか。
喉が乾く。手が震える。
これはゲームでも映画でもない。
一瞬で命が消える、現実の戦場だった。
煙の中、勇者の声が響く。
「魔族ども! ここで終わりだ! 力こそ正義! 神がそう言った!」
―
戦場は混乱していた。
兵たちの叫び、命令の錯綜。
誰もが声を張り上げているのに、何も届かない。
「ヴェルド将軍! 伝令が――」
「聞こえん! 距離が遠すぎる!」
そのとき――だった。
耳の奥で、何かが“鳴った”。
音じゃない。もっと深いところ。
心臓の裏を指で叩かれるような、奇妙な響き。
(こわい)
(やばい、敵が来る!)
(指示が、聞こえない!)
――聞こえる。
声じゃない、“心の叫び”が。
(なんだこれ……!?)
無意識に口が動いた。
「落ち着け! 前衛、下がるな! ヴェルド隊、左翼支援! 右の丘、弓兵配置!」
叫んだ瞬間――戦場の“音”が変わった。
ざわめきが止み、全員が同時に動く。
声が届いた? いや、そんな距離じゃない。
でも、届いた。
心で。
ヴェルドが驚きに目を細める。
「……今の指示、誰が伝令した?」
「え、俺ですけど?」
「声で?」
「……たぶん……いや、声、出したっけ?」
―
勇者軍が再び迫る。
しかし今回は違った。
兵たちが恐怖に飲まれず、陣形を整えて迎え撃つ。
バルザークの剣が炎を巻き上げる。
「突撃だァァァ!! セージの声に従えぇ!!」
「俺の声!? そんな責任重大なの!?」
戦場全体が、俺の“言葉”に反応する。
右で矢が放たれ、左で盾が上がる。
まるで、音のリズムに合わせて動くように。
心が繋がってる――そんな感覚だった。
―
「退けぇ!!」
勇者が光の斬撃を放つ。
地面が裂け、砂が吹き飛ぶ。
俺は思わず叫んだ。
「下がるなッ! 恐れるな! 俺たちはまだ、生きてる!」
その声が、空気を震わせ――
兵たちの足が、止まった。
「セージ……お前……」
ヴェルドが俺を見つめる。
驚きと、わずかな笑みを浮かべながら。
「……言葉の魔法だな」
「いや、俺そんな詠唱した覚えないんですけど!?」
「なら、“加護”だろう。神が通訳に授けた声の加護だ」
「どんなマニアックな神様だよ!!」
―
やがて、勇者軍がじりじりと退き始めた。
リュウガが剣を構えたまま、こちらを睨む。
「……チッ、通訳風情が」
その言葉に、俺は微笑んだ。
「どうも、“言葉”で仕事してるもんで」
勇者の顔が歪む。
光が消え、勇者軍は撤退した。
―
戦場に静寂が戻る。
焦げた匂いと、土の熱。
それでも、誰もが立っていた。
「……勝った、のか」
「いや、まだ生き延びただけだ」とヴェルド。
けれどその声は、少し誇らしげだった。
バルザークが笑いながら俺の肩を叩く。
「通訳官が戦場を動かすとはな! “声の指揮官”だ!」
「いやいや、そんな大層な――」
「名誉職にしてやる!」
「遠慮します!!」
それでも、心の奥では感じていた。
この声が、誰かを救えたなら。
“言葉”に、まだできることがあると。
―
その夜。
焚き火のそばでヴェルドがぽつりと言った。
「お前の声、まるで皆の心を繋いでいた」
「……偶然ですよ。たぶん、風の流れとか、奇跡とか」
「偶然にしては、綺麗すぎた」
ヴェルドが炎を見つめる。
「勇者は“支配の力”を使う。だが、お前の声は“共鳴”だった。
……セージ。お前の言葉は、この戦場で初めて、“平和”を作った」
「……やめてくださいよ。そんなこと言われたら、泣いちゃうじゃないですか」
「泣くな。明日も仕事だ」
「スパルタだなぁ……」
火の粉が夜空へ舞い上がる。
その光の向こうで、星がひとつ、瞬いた。
(――言葉で世界を変える。
まだ夢みたいだけど……
たぶん、それが俺の戦いだ)
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。




