第10話 胃袋外交、はじまる――パンと畑と、異世界の再出発。
――佐々木の尋問から数日後。
魔王城の空気は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
地下牢の鉄扉が軋む音を背に、俺は階段を上がる青年の背を見送った。
「……ありがとうございました、高槻さん。いや、セージさん、ですね」
「地球の名前はもう封印中だ」
振り返った佐々木が小さく笑う。
数日前、勇者軍から逃げ出してきた“元総務の青年”――今は、魔王軍所属の正式な一員だ。
尋問の結果、彼の無実が証明され、晴れて解放されたのである。
「ヴェルド将軍から、後方勤務を命じられました。補給部で、建物の修繕と補助作業を任されるそうです」
「おお、異世界で再就職成功か。おめでとう」
「いやぁ、ブラック企業時代を思い出しますね……」
「おい、そんな物騒な懐かしみ方すんな」
軽口を交わす。
だが、その笑いの奥に確かに“希望”が宿っていた。
この世界にも、やり直せる場所はある――そう感じた。
「ところで、お前もスキルもらったんだろ? どんな能力だ?」
「はい。俺のスキルは――【修繕】。壊れたものを“原型通りに直す”力です。武器でも建物でも、傷が浅ければ即修復できます」
「おお、それ、地味に最強じゃない? インフラの救世主だぞ」
「魔族の大工たち、びっくりしてました。“鉄が戻る人間”なんて初めて見たって」
「そりゃそうだ。こっちは壊れたら作り直す文化だからな。直す力なんて、誰も想定してない」
――ああ、やっぱり彼らしい。
【修繕】ってスキルは、あいつの人柄そのものだ。
壊れた関係も焦げついた職場も、笑って直すようなやつだった。
まさか異世界で、またその背中を見ることになるとはな。
―
昼下がり。
翻訳室の机に広がるのは、相変わらずの紙の山。
和平会議の議事録、外交文書、進軍報告、物資一覧――ぜんぶ俺の担当だ。
(はぁ……異世界でもデスクワーク地獄かよ)
「セージ、集中しろ」
ヴェルドの低い声が横から飛んできた。
「してますって。ほら、字もきれいでしょ?」
「“集中”と“丁寧”は違う。お前、考えごとしてる顔だ」
「バレました?」
「分かる。眉が八の字になっている」
「え、そんなクセあったんですか?」
「見慣れた」
ヴェルドは淡々と書類をめくる。
「戦が近い。疲れているなら休め」
「心配してくれるんですか? 将軍」
「通訳が倒れたら、私の仕事が増える」
「いや、素直に“心配してる”って言ってもいいんですよ?」
「言わん」
「ですよね〜」
俺が苦笑すると、ヴェルドの口元がわずかに緩んだ。
「……だが、お前が来てから確かに城の空気は変わった。会議がうるさくなった」
「良い意味ですよね?」
「どうだろうな」
そんな会話の最中、扉がバンッと開いた。
「報告! 人間領の南東で勇者軍が再集結! 和平派の掃討が完了した模様! さらに、国境線へ軍を進めています!」
室内が凍る。
ヴェルドの眉がピクリと動いた。
「……やはり動いたか。勇者リュウガ、完全に軍を掌握したな」
「和平派を……本当に全滅させたのか」
「ああ。粛清というより“見せしめ”だ。逆らえば殺す、という奴の流儀だろう」
ヴェルドは短く息を吐き、命じた。
「――バルザークを呼べ。すぐにだ」
兵が駆け出す。
ほどなくして、重い足音が響く。
漆黒の鎧に身を包んだ大男が扉をくぐった。
「呼ばれたか、ヴェルド」
「勇者軍が動いた。国境へ進軍中だ」
「……和平派を潰したか」
「ああ。完全に“力による支配”へ舵を切ったようだ」
バルザークの声が低く響く。
「奴はもう、人間ではなく“力そのもの”だ。理屈は通じん」
「また戦争ですか……」
俺が思わず漏らすと、ヴェルドは静かに言った。
「“また”ではない。“続き”だ。終わってなどいない」
地図の上に手を置き、ヴェルドは短く息を吐く。
「セージ、行くぞ」
「え、俺も!? また!?」
「通訳官としてな」
「俺の通訳範囲、会議室限定ですよ!?」
「戦場も会議室だ」
「例えが格好いいけど嫌な予感しかしない!」
――そして、俺たちは再び戦場へ向かった。
―
国境地帯、夕暮れ。
焦げた土の匂いと、遠くに上がる煙。
かつて村だった場所は、もう焼け野原だ。
「報告! 前方に白布を掲げた一団、こちらへ!」
「……投降者か」
「はい、“勇者軍を抜けたい”と!」
五人の人間。
衣服はボロボロだが、目だけは生きていた。
「怖がらないでください。俺は通訳です」
ゆっくり声をかけると、先頭の男が震える声で言った。
「俺たち、もう勇者軍には戻れません。あんなの……人間の軍じゃない!」
理由を聞く。
「俺はパン職人でした。毎日パンを焼いてたんです。
でも勇者が“麦は戦争資源だ”って言って、食料を全部奪っていった。
腹をすかせた村人が抗議したら……その場で斬られました」
「……食を奪って力を誇示か」
ヴェルドの目が細くなる。
「愚かだ。飢えた民の上に勝利は築けん」
もう一人が続いた。
「俺は農家でした。小麦や野菜を育ててたんです。
でも、勇者の命令で水路が封鎖されて……畑が干上がりました。
“飲み水以外に使うな”って言われて……俺たちの生活は、終わったんです」
「……水路を封鎖か」
ヴェルドの眉が動く。
「人は土と水を切り離せば、国が死ぬ」
男はうつむきながらも、しっかりした声で言った。
「でも、魔族領を見て思ったんです。
こっちは水が豊かで、土も黒くて柔らかい。
うまくやれば――もっといい作物が作れるはずだって」
俺は微笑んだ。
「なるほど。土を“生かす”発想か……いいですね」
俺は小さく息を整え、ヴェルドに向かって言った。
「……二人とも、本物です。嘘はありません」
ヴェルドが静かに頷く。
「そうか。ならば――受け入れよう」
残る三人のうち、一人は震える声で頭を下げ、もう一人は黙って拳を握っていた。
どちらも“本物”の響き。
だが、最後の一人だけ――焦点の合わぬ目、虚ろな笑み。
(……洗脳の残りか)
俺が指で合図を送ると、バルザークが短く命じた。
「隔離しろ」
兵がその男を連行していく。
残る四人の肩がようやく安堵で揺れた。
―
「この二人はパン職人と農家です」
俺が報告すると、ヴェルドが片眉を上げた。
「……戦力にはならんだろう」
「いいえ。胃袋は最大の武器です!」
バルザークが苦笑する。
「セージ、また妙なことを言う」
「いや聞いてください。食える兵士は強いんです。飯がうまければ士気が上がる。つまり“胃袋の平和”こそ戦の基礎です!」
「……報告書にそのまま書くなよ」
「“胃袋外交”で申請します!」
「許可はする。ただし成果を出せ。数字でな」
「うわ、急に現実的!」
―
将軍たちが部屋を出ていくと、静けさが戻った。
パン職人と農家、それに俺の三人だけが残る。
「“胃袋の平和”か……」
パン職人が笑いながら呟いた。
「なんか懐かしい言葉だな。昔、会社で――あっ、やばっ!」
「今、“会社”って言いました?」
パン職人がしどろもどろに手を振る。
「い、いや、その……うちの村の言葉で、“工房”って意味で!」
(嘘だな。声の響きが震えてる)
俺は静かに笑った。
「大丈夫です。俺も、“会社”って言葉を知ってます」
パン職人と農家が同時に固まる。
「……まさか、あなたも……地球の?」
「たぶん、同じ飛行機に乗ってました」
沈黙。
そして、三人とも小さく笑った。
「まさかこんな偶然が」
「人生、いや転生わからんもんですね……」
パン職人が照れくさそうに言った。
「俺、地球では黒田圭介。こっちじゃ“クロ”って呼ばれてます」
農家の男も続く。
「俺は中野悠馬。この世界じゃ“ナカ”です」
「俺は高槻誠司――今は“セージ”です」
「セージ……いい名前ですね。なんか賢者っぽい」
「いやいや、通訳屋ですよ。地味な仕事です」
「地味を楽しめる人が、一番強いですよ」
ナカの言葉に、思わず笑ってしまった。
ナカが言う。
「こっちでも“使えること”をやるべきです。俺たち、地球の知識を持ってるんですから」
クロが拳を握る。
「魔族の食事、見たけど……正直まずい。
俺がパンを焼いて、みんなに“うまい”って感覚を教えてやる」
ナカも頷く。
「俺は土地を見てみます。水の流れが穏やかだし、きっと――新しい作物が作れる」
俺は二人を見て、胸の奥が熱くなった。
「言葉の橋をかけるのは俺の仕事だけど、食の橋をかけるのは、あなたたちの仕事だ」
クロが拳を突き上げる。
「じゃあ、俺たちで作りましょう。“食える世界”を!」
「ああ」
三人の声が重なる。
夕陽が沈み、国境の砦が赤く染まっていく。
遠くで鳥の群れが飛び立ち、焦げた風が頬をかすめた。
(言葉も、知恵も、技術も――全部、生きる力になる。)
読了感謝します。
また次も覗きに来てください。




