影、王都に降る
戦の三日前の夜。
ウィングとの修行で、身体のあちこちにガタがきている。普段は魔術で頭を回すことが多い自分が、久しぶりに“肉体”を酷使した――その疲労が全身を鈍く重くする。
とりあえず、風呂だ。
今はルシエル派が運営する宿に泊まっていて、そこには温泉がある。日本の古い記憶がふと顔をのぞかせ、胸の中で妙な懐かしさが疼く。
「元日本人の血が騒ぐぜ」
しょうもない一言を呟きながら、湯気の立つ浴場へ歩を進める。ここにシャワーがあるのは驚きだった。どうやら火と水の魔法陣で湯を安定供給しているらしい。便利な世の中だ――と苦笑した。
体の泥を落とし、ようやく温泉に浸かる。熱が筋肉をやわらげ、ふっと肩の力が抜けていく。
「メトルナーサか──」
気配に振り向くと、そこにはルシエルがいる。甲冑を脱ぎ、素の表情で湯に浸かる彼の姿は、戦で見る“王”の面影とは違って穏やかだった。
「ウィングとの修行は終えたのか?」
ルシエルの問いに、少し誇らしげに答える。
「はい。おかげさまで、ダブルを会得しました。」
ルシエルは短く笑った。湯に反射した光が、彼の目尻を柔らかく照らす。
「そんなに堅苦しく構えるな。腹を割って話そうじゃないか。」
――どこぞの義理堅い顔役でも言いそうなセリフだ。だが、冗談の皮を剥ぐと、言葉は静かに重かった。
ルシエルの顔が少し真面目になる。湯けむりの向こうで、その目だけが光る。
「お前が、我々についてきた本当の目的は何だ?」
胸がスッと冷える。今が打ち明ける時か。息を整え、言葉を選ぶ。
「僕の両親は、魔人王に殺されました。仇を討ちたい。……それだけです。」
沈黙。湯の音だけが二人を取り巻く。ルシエルはしばらく黙って、湯面に落ちる湯滴を見つめていた。
「それと何か、別の理由はあるのか?」と重ねる彼の問い。
正直に言えば、――ある。だがそれを口にするのは躊躇した。王に付き従うことが“踏み台”だと感じている自分がいるからだ。
「はっきり言うと、ルシエル様が王になった暁の褒美も一つの理由です。正直、魔人王を単独で倒すだけの後ろ盾も武も足りない。申し訳ない。踏み台のようになってしまうかもしれません。」
言い切った瞬間、負い目と清々しさが混じった奇妙な解放感が胸を通る。ルシエルは意外そうに、ひと息吐いたあと、くっと笑った。
「よい。やっと、すっきりした。――お前ほどの魔術師が、何故無償で我に付き従うのか気になっていたのだ。」
彼の笑顔は、嫌味も同情もない。むしろ安堵のように見えた。
「だが、魔人王はただの相手ではない。奴に加え、“四悪魔”なる強力な中核がいる。トゥワロのような者が四人、という話だ。お前が考えるよりも、道は険しい。」
胸に刺さる言葉だった。ルシエルは続ける。
「だから、我が側につく者たちには、真意をはっきりさせておいてほしかった。お前の目標は理解した。だが、報酬だけが目的ならば、それでは道は長いぞ。」
「僕は……本気です。仇を討つための力を得たい。王となる貴方の力を借りる意味は、そこにあります。」
ルシエルは静かに頷いた。湯けむりの中、彼の顔が柔らかく、少し年老いて見えた。
「わかった。ここで聞いたことは、外には出すな。お前の目的も、我々の計画も、守る必要がある。」
「はい。ありがとうございます。」
ルシエルは立ち上がり、湯から出る。夜風が冷たく肌を突き、戦の三日前の夜はそうして更けていった。心はまだ不安定だが、一つだけ確かなものが増えた――自分がここにいる理由と、それを共に戦う人間がいるということ
そして俺も温泉を後にした。
温泉から上がったあと、俺はタオルで髪を拭きながら廊下を歩いた。
明かりは落とし気味で、夜の静けさが館の隅々に染みている。湯上がりの肌に、外気がひんやりと心地いい。
まずはジニアの部屋を覗いた。
扉の隙間から漏れる光――中では、机の上に広げられた地図と魔術式の紙片が散乱している。
ジニアはその頭脳を生かし、俺より先に温泉から上がったルシエルと共に、対トゥワロ戦の戦略を練っていた。
言葉を交わすまでもなく、真剣な空気が伝わってくる。
(あいつの思考は魔法陣のように精密だ。任せておいて間違いない。)
廊下を抜け、ナエリアの姿を探す。
彼女はルシエル派の天人族の女性と談笑していた。
笑い声が穏やかに響き、彼女の表情には少し柔らかさが戻っている。
(同性の仲間ができたのは、ナエリアにとって救いだろう。孤独な戦場では、それが何よりの支えになる。)
最後に外へ出ると、夜風が強く吹いていた。
星明りの下、ウィングが一人、木刀を振るっている。
風を切る音だけが夜を裂く。
額から流れる汗が光り、何度目かの素振りでも衰えは見えない。
(強く、そしてストイック……非の打ち所がないな。)
月光の中に立つその背中は、どこか人間離れして見えた。
各々が、自分のすべきことをしている。
誰も言葉にしないが、三日後に迫る戦いに全員が“覚悟”を決めつつあるのがわかる。
ならば――俺もやることがある。
魔術の開発だ。
三日後、トゥワロ戦。
そのとき、必ず一撃を叩き込むために。
そして三日後――決戦の日が来た。
ルシエル部隊は予定通り、ヒンテの討伐へと向かう。
ウィング部隊の任務はただ一つ。
トゥワロを誘き出し、確実に殺す。
役割は以前と変わらない。
だが、隊の構成にはいくつかの変更があった。
ウィング隊からナエリアがルシエル隊へ移動。
ルシエル部隊には回復術師がいなかったためだ。
ヒンテ軍が弱小とはいえ、油断はできない――不測の事態に備えるのが、ルシエルらしい判断だった。
ジニアは留守番を申し出た。
「戦闘は向いてない。僕は後方で支援する。」
彼は通信結晶を使い、後方から戦況を解析・支援することになった。
そして――ヤムルがウィング隊に加わった。
かつてカリウスを失った兄王子の瞳には、怒りではなく静かな炎が宿っていた。
俺たちは王都へ向けて出発した。
空路だ。
だが、魔力の消費を抑えるため、俺はウィングに担がれる形で飛行した。
冷たい風が顔を打つ。雲海の下に、戦場となる王都が見えてくる。
「まもなく侵入ルートに入る。降下するぞ。」
ウィングが声を張る。
俺たちは貴族の脱出用として使われていた裏道へと滑り込み、気配を殺して市街地に侵入した。
湿った石壁。夜明けの空気がまだ冷たい。
地上からは煙が立ち上り、ヒンテ軍とルシエル軍の衝突音が遠くに響いていた。
ここで二手に分かれる。
ルシエル隊が正面からヒンテを押さえ、俺たちはトゥワロを引き離す――それが作戦だった。
ウィングが剣を抜き、深呼吸を一つ。
「よし……行くぞ。ルシエルの陣営が完全に別戦線に入った。今なら被害はない。」
ウィングは周囲の空気を震わせるほどの“気”を放出した。
普通なら絶対にやらない行為――だが、これは“餌”だ。
トゥワロを誘き寄せるための挑発。
俺もそれに合わせて、爆発魔法を放つ。
王都の外壁に轟音が響き、瓦礫が弾けた。
次の瞬間――
空気が、死んだ。
風が止まり、音が消える。
何かが世界の“向こう側”から覗いているような、息苦しい感覚。
体温が奪われ、皮膚が粟立つ。
「……来たな。」
ウィングの低い声。
視界の端――黒い影が落ちた。
一歩、また一歩と大地を踏むたびに、地面が軋む音を立てる。
その姿を見た瞬間、誰もが悟った。
――これが、トゥワロ。
黒い翼。黒髪。白銀の肌。
口元を覆う包帯からは、わずかに息の音が漏れるだけ。
だがその一歩ごとに空気が押し潰され、世界の色が薄くなる。
異次元――そう表現するしかなかった。
「気を抜くな!!」
ウィングが叫び、フィジカル・トリプルを展開。
彼の周囲に三層の光輪が浮かび上がる。
俺もすぐにフィジカル・ダブルを展開。
体の中に殻を重ねる感覚。筋肉が軋み、視界が鮮明になる。
ヤムルは剣を構え、空を裂くような声で叫んだ。
「トゥワロォォォォォ!!」
翼を広げ、鬼神のような勢いで突進する。
その剣筋は、かつての王族とは思えぬほど鋭く――
だが。
金属が軋む音さえしなかった。
トゥワロは微動だにせず、ただ片手でヤムルの剣を受け止めた。
剣圧で吹き荒れる風が、彼の髪を揺らす。
その奥で、包帯の下から淡い声が漏れた。
「……これが、“王族の誇り”か。」
次の瞬間、ヤムルの体が宙を舞った。
まるで重力そのものが反転したかのように、空へと叩き上げられる。
「ヤムル!!!」
俺が叫んだときには、彼の体は瓦礫の山に叩きつけられていた。
ウィングが剣を構え直す。
「全員、油断するな! こいつは各が違う!!」
黒い気が、地を這うように広がっていく――。
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