天人の刃
戦争の荷造りを始めた。
いつ帰って来れるかわからない。
だからこそ、できるだけ少ない荷物で、汎用性の高いものを選ぶ。
火打ち石、携行魔力水、軽量魔導布、応急詠唱札。
どれも命を繋ぐための最低限の道具だ。
(これで十分だ。足りなきゃ現地で奪えばいい)
冗談のように心の中でつぶやきながらも、手の震えは止まらなかった。
戦いの準備をしているというより、“死にに行く覚悟”を詰め込んでいる気がした。
⸻
三日後、約束の場所でルシエルと合流した。
純白の鎧に身を包んだルシエルの姿は、どこか普段の穏やかさとは違っていた。
その瞳には“王”としての光が宿っていた。
「部下が駐留しているのは天界南部の峡谷地帯だ。」
「向かうのは、我々五人だけ。」
ルシエルが淡々と告げた。
メンバーは――俺、ナエリア、ジニア、ウィング、そしてルシエル。
ウィングがジニアを、俺がナエリアを抱え、空へと舞い上がる。
風が頬を裂くように吹き抜け、視界の下に雲が流れていく。
高度が上がるにつれ、世界が静まり返っていった。
ルシエルの声が風に混じって届く。
「兄であるヤムルは、幼馴染の側近がいる。
こいつはウィングと引けを取らないほどの実力者だ。
そして――俺を含めた三兄弟の中で、一番人望があり、軍の規模も最大だ。」
「ウィングと互角って……そいつ、化け物だろ。」
思わず口から出てしまった。
ウィングは苦笑を浮かべる。
「昔、一度だけ手合わせしたが、確かに“勝てない相手”だった。」
(マジか……王族ってやっぱ化け物の巣かよ)
ルシエルは続ける。
「弟のヒンテは……顔が広い。
多方面の部族と接点があり、交渉も巧みだ。
だが、部下が弱い。援軍がない限り脅威にはならないだろう。」
理屈ではそうかもしれないが――
兄弟同士の戦争なんて、理屈で割り切れるものじゃない。
「……小さい頃は、仲が良かったんですか?」
ナエリアが小さく尋ねる。
ルシエルはしばらく黙り、遠くの雲を見つめた。
「……ああ。昔はいつも一緒だった。
剣を教え合い、詠唱を競い、誰が一番高く飛べるかで喧嘩したものだ。
――それが、今ではこの有様だ。」
風が少し冷たくなった気がした。
⸻
日が暮れ、群青の空に金の星が滲み始めた。
俺たちは雲の切れ間にある岩山の上に降り立った。
岩陰に簡易のバリアを展開し、魔導布を敷く。
ここなら夜風もしのげる。
ナエリアが治癒魔法の灯りを小さく灯す。
その淡い光が皆の顔を照らした。
ジニアは持ってきたノートを開き、無言で式を書き込んでいる。
「何書いてんだ?」
「風速と魔力流の相関。空中戦の資料になる。」
「お前、戦場でも勉強すんのかよ……」
「“知識”も武器だ。忘れるな。」
そう言って彼はペンを止め、夜空を見上げた。
ウィングは背中の翼を休めながら、地平線の向こうをじっと見つめていた。
その目は、戦士というより――護る者の目だった。
ルシエルが最後に口を開く。
「明日からは敵地に入る。気を緩めるな。
……だが今夜くらいは、少し休め。」
短い言葉だったが、それだけで胸が少し軽くなった。
俺は寝具代わりのマントにくるまりながら、空を見上げる。
星の瞬きが、やけに近く見えた。
(戦場に行くのに、こんなに静かなんて……皮肉だな)
目を閉じると、ほんの少しだけ母の声が聞こえた気がした。
駐留地に到着した。
谷間を抜けた先に広がる軍営地には、天人族の白い天幕がいくつも張られ、
空には巡回兵の翼がいくつも舞っていた。
砂塵と焦げた空気――戦の匂いがする。
着地すると同時に、一人の男が駆け寄ってきた。
筋骨隆々、背中には立派な純白の翼。
甲冑の肩口には“第一部隊”の紋章が刻まれている。
「ルシエル様、ウィング様……ご無事で何よりです!」
まるで岩のような声だ。
軍人というより、“戦場そのもの”が喋っているようだった。
ルシエルが冷静に問いかける。
「現状を報告せよ。」
「はっ!! 兄君であるヤムル様の部隊が、すでに南方峡谷へ侵攻中です。
現在、第一・第二部隊が迎撃を行っております!」
声は大きく、簡潔。それでいて一言一句に緊張が滲む。
ルシエルは短く頷いたあと、わずかに考え込み――命じた。
「よし。お前はここに残り、俺の護衛につけ。
――戦場には、メトルナーサとウィングを送る。」
(……来た。俺の初陣だ)
心臓が静かに跳ねる。
恐怖じゃない。
それ以上に――ようやく“自分の戦場”に立つという高揚があった。
だが、その瞬間。
「失礼ですが……そちらは?」
隊長が俺の方をちらりと見た。
無理もない。鎧もない、学制服のままの少年だ。
「初めまして。魔術学校一年A組、エムリス・メトルナーサです。」
「……学生、だと?」
ざわっ。
周囲の兵士たちが一斉にざわめく。
空気が一気に凍った。
「こ、こんな若造を戦場に出すのか……?」
「まさか、王の気まぐれか?」
「どう見ても訓練生じゃ……」
囁きが広がる。
俺の肩に、冷や汗が伝う。
(そりゃ、そう思うよな……)
その時――ウィングが一歩、前に出た。
「静まれ。」
低く鋭い声が、風を切る。
一瞬で、空気が張りつめた。
「俺も、こいつより二つ上なだけだ。
だが――こいつの実力は、俺が保証する。」
その言葉は、剣よりも鋭く響いた。
数瞬の沈黙。
次に起こったのは、まるで波が引くような静けさだった。
兵たちは互いに目を見交わし、やがて誰かが呟く。
「……ウィング様が、保証……?」
「じゃあ、相当な……」
一気に空気が変わる。
先ほどまでの不信感は消え、かわりに“期待と興味”が満ちた。
ルシエルが微かに笑う。
「説明は不要だな。――行け、二人とも。」
ウィングが頷く。
「了解。メト、準備はいいか。」
「……ああ。初陣にしては、悪くない舞台だ。」
ウィングがニヤリと笑う。
「なら、派手にいこうぜ。」
戦場に着いた瞬間、空気が変わった。
風が鳴り、空が震え、あちこちで魔力と“気”がぶつかり合っている。
上空では、無数の天人族が交錯し、光と影が閃光のように走る。
剣と魔法の嵐――それが天界の戦だ。
ウィングは着地する間もなく、すぐに翼を広げた。
「――フィジカル・ダブル、発動。」
気の流れが一瞬で爆発する。
その身体が白銀に輝き、次の瞬間には敵陣へと突っ込んでいた。
(相変わらず速ぇ……っ!)
俺は後衛位置を確保し、詠唱無しでB級土魔法を連打する。
「《アース・インパクト》!」
地形が変わる。岩が隆起し、敵の足場を崩す。
「《ストーン・ジャベリン》!」
数十本の石槍が、空中を走る敵兵を撃ち抜いた。
天人族の戦争は地上じゃない。
――空の支配権を奪う戦いだ。
だから、俺も浮いている。
足場のない空中戦では、魔力の流れを一点でも乱せば落下する。
常に意識の半分を“浮遊維持”に割かなきゃならない。
(集中力、マジで持ってかれる……)
下界では、B級魔法は“戦車級”。
A級に至れば“核”と同じ威力を持つ。
そんな魔法を詠唱もなしに放つのだから、敵にとっては悪夢だろう。
「それにしても……数、多すぎだろ……っ!」
視界の端で、ルシエル軍とヤムル軍が入り乱れている。
雷、炎、風、光――色とりどりの魔法が夜空を染める。
だが、あれだけの数を相手にしても、ウィングは一歩も退かない。
「メト!」
通信魔導具越しに、ウィングの声が響く。
「俺は敵のカリウスと戦ってくる!」
カリウス。ヤムル王子の側近。
ウィングと互角と噂される天界最強の剣士の一人。
「気をつけろよ、ウィング!」
だが返事はなかった。
次の瞬間、激しい気流が戦場を吹き抜けた。
⸻
空の中心で、二つの光がぶつかり合う。
ウィングの白翼が閃き、
対するは漆黒の長髪をなびかせた美女――カリウス。
「久しぶりね、ウィングちゃん。」
その声は甘く、それでいて刃のように冷たい。
「――フィジカル・トリプル。」
爆ぜるような気圧。
三重の気流が重なり、空が歪む。
「来るか……!」
ウィングが剣を抜く。
刹那、空気が裂けた。
「――《風切の太刀》!」
一閃。
見えるのは残光だけ。
斬撃の風が幾重にも走り、天を割る。
だがカリウスは、まるで風と踊るようにその全てを受け流した。
その身のこなしは、まさに“風を知る者”のそれだった。
「甘いわね――《疾風乱舞》!」
ウィングの風に、さらに速い風が重なった。
剣と剣がぶつかるたび、爆風が走り、空間が軋む。
(やばい……! ここまで離れてても風圧が……!)
まるで戦闘機のドッグファイト。
光と影が絡み合い、音速の斬撃が幾百と交わる。
⸻
「“木枯らし下ろし”!!!」
ウィングが叫び、連撃を叩き込む。
しかし――カリウスは笑っていた。
「ごめんなさいね、ウィングちゃん。」
その瞬間、剣が止まる。
彼女はウィングを押し返すと、軽やかに後退した。
「王子ちゃんから撤退命令が出ちゃったの。
……次会うときは、また踊ってちょうだい?」
風が吹く。
カリウスの翼が広がり、彼女の姿が夜空に溶けて消えた。
ウィングは剣を下ろし、深く息を吐いた。
その表情には、戦士としての安堵と――僅かな悔しさが滲んでいた。
(……強ぇ。あの人、ウィングと互角って本当だったんだな)
俺は空中に浮かびながら、彼の背を見つめた。
戦いは終わっていない。
けれど、この瞬間――“天界の戦”の真の恐ろしさを、初めて知った気がした。
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