悪役公爵の噂の真相
『花嫁を金で買った公爵』ことアシュフォードは婚礼服を着替えると、早速執務室でいくつかの手紙と書類を捌き始めた。
どうやら新婚の妻と夕食を共にするつもりはないらしい。
「おい、いいのか」
アシュフォードに声を掛けたのは、彼の従僕兼護衛のヴィクトール。
「なにがだ」
書類から顔を上げないアシュフォードが気安い口調を許しているのは執務室に2人きりだから。
彼等は幼い頃から共に過ごしてきた所謂『幼馴染み』であり、同時にヴィクトールの姉が亡くなった先代公爵夫人であった事から、『義理の兄弟』でもあった。
「花嫁。ほっといていいのか」
「俺の顔なんぞ見てたら、せっかくの食事も不味くなるだろう」
さも当たり前のようにアシュフォードは言うが、彼の己を貶める言葉を聞くたびにヴィクトールは苦々しい気分になる。
アシュフォードがこちらを見ていないのを知っているからこそ、呆れたように溜息をひとつ。
『見目の悪い悪辣公爵』とは、他ならぬアシュフォードがヴィクトールに命じて社交界に流させた噂だった。
とは言え、アシュフォード本人は本気でそう思っている。
先代公爵である彼の兄は、ネルベルク家の身体的特徴である金髪と碧眼を持ち、均整のとれた逞しい体躯と、優美さと色気を備えた甘い顔立ちで、『完璧な貴族』と賞賛される人物であった。
対してアシュフォードは灰とも砂とも付かない品のないくすんだ色合いの髪に、感情の籠もらぬ薄いアイスブルーの瞳、一重の重たげな瞼と低い鼻。体躯は貧相ではないが中肉中背。
近しい先祖にも例を見ないあまりにも特異な外見のせいで幼い頃から公爵家の中で浮いていた。
先々代の公爵夫人が不貞を疑われた程だったが、王家直々の魔力鑑定で間違いなくネルベルク公爵家の直系であると判定されている。
しかしヴィクトールは、彼が決して『見目が悪い』のではないと知っていた。
美形かと聞かれれば答えに迷うが、例えるなら風のない冬の凍った湖面のような凜とした品のある顔立ちなのだ。
いつも表情が厳しいのは実年齢よりかなり童顔なのを隠すためだ。
前公爵が亡くなった際、どさくさに紛れて徴収すべき税を誤魔化したり、公爵家の財産を持ち出そうとした者達を罰した事実を『新公爵は使用人に厳しく、気に入らない相手を容赦なく切り捨てる』と少々ねじ曲げた噂に仕立て、意図的に流した。
先代公爵の弟として領地経営を担っていたアシュフォードは、実に有能だったが控えめで、頑なに表舞台に出ようとはしなかった。
先代のクリスフォードも兄として公爵として、アシュフォードを信頼していたのに、あの事故からまるで人が変わってしまったかのようだ(いや、人が変わったかのように見せようとしているのか)。
アシュフォード『結婚する』と言い出し、それも男の花嫁を迎えるとしたのも突然だった。
常に傍に居るヴィクトールでさえ、アシュフォードがどこであの美しい青年の事を知り、なぜ欲しいと思ったのか見当も付かなかった。
そしてあんなに急いで婚姻を結んだというのに、初夜に花嫁を1人にして仕事をしている。
「別にお前が10も年下の美人を妻に娶っても構わんが」
「……」
「無理してないか?」
アシュフォードの走らせていたペンが止まった。
執務室に籠もって初めて主人と目があった。
「無理、か」
アシュフォードは幼馴染みの問いに、ただ薄く微笑んだだけだった。