『運命の人』のうんめいのひと
私には偉大な父と、聡明な母がいた。
それと、不思議な叔父が。
私が生まれた時からずっと見守ってくれた、12歳年上の、兄のような叔父。
父母にしか話していないが、私には新生児の頃からの記憶がある。
叔父は乳母よりも優しく私を抱き上げて、小さく柔らかな声音で歌を歌ってくれたのも覚えている。
優しげなその手や表情に、言いようのない安らぎを感じたのも。
ある程度の年齢になって、貴族の嗜みとして音楽を習うようになったが、叔父の歌ってくれたその曲にもその言葉にも、まだ出会えていない。
私の初めての食事(離乳食というらしい)に乳母が茹でてほぐした肉を食べさせようとしたのを止めたのは叔父だった。
叔父は父に言って、柔らかく茹でて滑らかに潰したかぼちゃをミルクで薄めた物を口に運んでくれた。
生まれて初めて口にしたかぼちゃは、大層に美味な物で、それ以降ずっと好物だ。
赤ん坊の離乳食に肉を与えるのは、裕福な家や貴族ならば普通のことらしい。
かぼちゃなんてまるで農民だと乳母は叔父に文句を言っていたが、使用人に対してもいつも控えめな叔父がその時ばかりは強硬に肉を否定したのだという。
『肉はスープから始めろ。いきなり固形を食べさせるなんて……貴族の赤ん坊が育ちにくいのはそのせいだ……!』
それを聞いていた父が王に進言して、貴族の赤ん坊に肉を食べさせるというその慣習は徐々に改められ、私より年下の貴族の子女が急激に増えているのはそのお陰なのだとか。
叔父の功績は計り知れないのに、父はそれは叔父の言葉だと誰にも言わなかった。
そして叔父自身も。
不思議だった。
父は誰よりも公明正大で、人の功績を奪うような方ではなかった。
それなのに、叔父の成すことはすべて自分のした事だと公言する。
気になって聞いたことがあった。
「アッシュに、功績を与えてはいけない」
その父の言葉に愕然とした。
「アッシュが最初に提言した赤ん坊の正しい食事を与えるのも、手をよく洗うだけの事で防げる病があるというのも、今では広く広まり国の発展に大いに寄与している」
私の表情に気付いた父が、珍しく少し慌てて言葉を紡ぐ。
「アッシュは自分のする事に無頓着だ。それがどれほど画期的な事であろうと、アッシュにとっては『当然のこと』で、何故賞賛されるのかわかっていない。それが、どれほどの富を生み出すことになるのかも気付かない」
叔父上の何気ない一言や、ちょっとした思いつきはいつも私の父母を驚かせた。
『ネルベルク公爵家が現当主になってこれまでの倍栄えた』なんて社交界で言われてたらしいが、その何割かは叔父上の功績だ。
「アッシュの功績だと知られれば、間違いなく良からぬ輩が近付いてくる。私達はもう、アッシュを悪意に晒したくはないのだ」
使用人達からどこか避けられている叔父上。
『俺は公爵家の色を持って無くて、見目の悪い厄介者だから仕方ないんだよ』
叔父上はいつもそう言って笑っていた。
代々金髪碧眼の、少なくともどちらかを持って生まれるネルベルク公爵家の直系で、叔父上は砂灰色の髪とアイスブルーの瞳をしていた。
お祖母様とも違った色で、今なら当時随分と問題になったのだろうと分かる。
「あれ以上煩わせたくないのだ。アッシュは与えられないのも、奪われるのも、当然のものだと受け入れる」
父上ならばそんな輩をあしらうのも容易い。
叔父上に心穏やかに過ごしていただくために、叔父上を世間から隠すのだと、父上は言った。
その表情が酷く忌々しげだったのを、今でも覚えている。
愚かな私は、悪意の意味を軽く考えていた。
叔父上は優しく聡明で、それを知っている領民も、叔父上を慕う部下も大勢いた。
父上も母上も叔父上を愛していたし、私だってそうだ。
まさか、叔父上が実の母であるお祖母様から疎まれ、あんな目に遭っていたなんて。
実際にそれを目にするまで思いもしなかった。
私が15歳になったある日のこと。
父上が思いがけない言葉を投げかけてきた。
「ジークフリード。万が一、私に何かあった時はお前が速やかに家を継ぎなさい。アッシュを後見人にするのは良い。ただ、アッシュにネルベルク家を任せてはならない」
叔父上は、父上の手で社交界からは離されている。
この頃になると、叔父上が社交界でどんな評判なのか私に耳打ちする者が出てきた。
それは父上を称えるために叔父上を貶めるという悪手で、私達家族がどれだけ叔父上を愛しているかは知りもしないようだった。
「社交界は、叔父上に不向きだからですか」
「まあ、それもある。政治的な駆け引きが致命的に向いてないからな。しかしそれはさほど重要ではない。アッシュは、国を……いや領民を守るためなら簡単に最悪の手段を取るだろう」
「最悪の手段……」
「アッシュは、自己犠牲を厭わない」
「……っ」
ネルベルク家当主に、名誉ある死など無いと学んでいた。
国を守るために、誰よりも生き延びて、戦わねばならない。
領民を犠牲にしようと、領地を火の海に変えようと、王国の守護者はビルネ王国の為に戦うのだと。
自己犠牲なんて、一番許されない事で。
「あれは優しいから、目の前の者を見捨てられない。それでは役目を果たせない」
父上の言葉は、叔父上がネルベルク家に相応しくないというものだったが、その本音が透けていた。
父上は、叔父上に領民を見捨てる選択をさせたくないのだ。
領民を見捨てるくらいなら、叔父上は自分を差し出してしまうだろうから。
「はい、父上」
私は力強く頷いた。
あの優しい人を守らねばならない。
勿論、領民も、領地も、国も。
その為にはもっと父上から沢山の事を学ばなければならない。
そう、決心していたのに。
事故が起きたのはそれから程なくしての事だった。
母上の腕が私を庇った。
父上の魔力が私を包んだ。
私は、2人に守られて、一命を取り留めた。
しかし意識が戻った時には、叔父上は既にネルベルク公爵家当主となっていた。
「大丈夫だよ、ジーク。まずは回復する事だけを考えるんだ。家のことは俺に任せて」
いつもと変わらぬ、優しい笑みを浮かべた叔父は、憔悴していた。
家族を亡くしたのは叔父上も同じなのに、全てを、叔父上に押しつけてしまった。
悔しい。
魔法医師は私が子供の頃から世話になっていた話し好きの気の良い先生だったが、事故の前より10歳は老け込んでしまったと思う。
それも、私の治療に魔力を注ぎ込んでくれたからだろう。
父上との約束は守れず、ベッドから降りることもままならぬ我が身が恨めしかった。
眠る時すら痛みから逃れられない。
悔しい。
自分の手足すら満足に動かせないのに、どうやって国を守れるというのか。
「ジーク、大丈夫。お前は絶対大丈夫だから。俺が保証するよ。大丈夫」
忙しいだろうに、叔父上は頻繁に見舞ってくれた。
言い聞かせてくれる声は、変わらず優しくて。
砕けてしまった両足を知らない訳ではないだろうに、叔父上は私を慰めるためにそう言うのだろうか。
母の言葉を不意に思い出した。
「アッシュの『保証する』は何があっても、信用して良いのよ」
「はい、母上」
幼かった私は、意味も分からず頷いていたのだけど。
ある時、私の知らないうちに結婚してしまった叔父上の、妻だという驚く程美しい男性がやってきて、私の傷を癒やしてくれた。
物語の奇跡のように一瞬で治った訳ではなかったが、一生の付き合いになる筈だった痛みを感じず熟睡できたのは事故にあってから初めてだった。
老齢の魔法医師も傷の治り方が尋常ではないのに驚いていた。
叔父上の『保証する』はこれだったのか。
ある日シルヴァールは私に告げた。
「俺は旦那様を全てからお守りしたいんだ」
彼の望みは私と同じ物だった。
叔父上は未だ様々なものと戦っている。
ならば、私の成さねばならないことは。
叔父上。
公爵家当主の座は、返していただきます。
だから、どうか。
『王国の守護聖人』になどならないで。




