鍛冶師アリエルの初恋
初めて父に連れられて工房に足を踏み入れた時、私はそこで鍋物を作っている姿に目を奪われた。
飛び上がる火の粉がキラキラと輝いて、赤く燃えたぎる鉄の塊が黒いハンマーに打たれて伸ばされ曲がり形を作っていく。
それはまるで、元からその形であるべきと鉄塊自体がわかっていたかのように。
踊るように遊ぶように形成されていくその業に、魅入る以外の選択肢など存在しなかった。
その日から、私は父をせかしては工房に通った。
一人で訪ねてもいいと許可を貰ってからは、ほとんど毎日のように足を運んだ。
生活用品から武器防具まで、最初は全部同じ鉄の塊なのに、ハンマーに叩かれるたびに形を変えていくその姿が不思議で楽しくていつまで見ていても飽きなかった。
「また来たのね、アリエルちゃん」
「はい!」
「今日もドワーフさんを見るのかい?」
「はい! どわーふさんのを見てると、ぶわーってなるので!」
「ふふ、そうねぇ、うちでも一番の職人さんだものねぇ」
ただ黙々と仕事を続けている、工房一番の職人さんは、背が低くて筋肉がついていて髭がぼうぼうなのでドワーフさんと呼ばれていた。
彼がするのは鍛造ばかりで時間がかかるけれど、その分丈夫で長持ちする。
うちの武器屋でもドワーフさんがつくる武器を一杯用意していて、冒険者さん達に人気があった。
「ここの店の武器にはいつも助けられているよ」
「値段のわりに質が良くて気に入ってる」
「この店の武器じゃないと怖くてオーク狩りにもいけないよ」
そんな言葉を聞くたびに、なんだかすごく自慢したい気分になる。
ドワーフさんがつくっている武器はいつでも一番褒められたし、多くの冒険者さんに支持されていた。
私も、同じものを作りたい。
経営を学ぶ傍らで武器防具の知識に触れるたびに、自分の中で欲求が育っていく。
それでついにたまらなくなって、父にやりたいことを話してみた。
初めて工房を訪れてから十年。ずっと見るだけだった憧れの場所に、自ら立ってみたいと。
「うーん、だがお前は、女の子だろう」
「でも、やってみたい」
「迷惑になるだけだから、止めなさい」
まごうことなき正論だった。
鍛冶師を目指す場合、十に満たない年齢で工房の見習いになり、先達に教わりながらやり方を目で見て体で覚える。そうやって入り口をくぐったら、あとは教わりながら試行錯誤しながら技を磨いていく。
私の場合は、親の店を手伝うための勉強に実践、それから家事手伝い。店を継ぐのは弟になるだろうから、結婚するまではずっと同じことをする。
それが一般的で、普通の生き方だ。
「でも、やってみたい」
普通、というのは、小さな幸せを続ける秘訣である。
その道を外れることは、学のない平民には大冒険にも等しい行為。
私は工房へと走り込んだ。
驚いた様子のおかみさんへの挨拶もそこそこに、ドワーフさんの元まで駆け寄る。
こちらを見た彼と目があった。青色の澄んだ瞳が揺れている。動揺しているのだろうか。
「弟子にしてください!」
私は、ありったけの大声で訴えた。
非常識だと呆れられたり、変わった人だと噂されるかもしれない。
そんな些細なことはどうでも良かった。私は、ただ私の中の欲望を抑えつけることができなかった。
ドワーフさんが、ふむ、と頷く。
情熱だけでどうにかなるものでもない。私は小さな子供でもないし、男の子でもない。
全ての要素が私に諦めろと言ってくる。
それでも、最後まであがきたかった。
「人魚の涙」
「え?」
「人魚の涙を、もってこい」
それは、無理だ、と言われるにも等しい言葉だった。
これでも私は武器屋の娘だ。素材についても多少の知識がある。
人魚の涙は文字通り、人魚族の宝である。泣かない人魚が涙を流すときにできるもので、この世に二つとあれば奇跡といわれるような宝玉だ。
そんなもの、どうやって。
絶望する私に構わず、ドワーフさんは仕事に戻る。私は項垂れて、自分の家へとぼとぼと帰った。
工房に行く気も起きなかった。
かといってすっぱりと気分を変えられたかといえばそうでもなく、店番をしてもどこか上の空でお客さんにも怒られてしまった。
私の名前は、母の故郷にある人魚姫の伝説にあやかってアリエルと名付けられた。その人魚は魔法を使って陸に上がり、自分の夢をかなえたと言われているらしい。だから、私にもそんな風に強く育ってほしいって願いを込めて、同じ名前をもらったと聞いたことがある。
「……お母さんの故郷に行こう」
見つけられるわけがないけれど、やるだけやってみる。
そうしないと、自分の気持ちと決別できる気がしない。
どうにかこうにか父を説得し、家族で母の故郷へ向かう。
お店は臨時休業だ。なんだかとんでもないことをしてしまった気がするけれど、たまの休みだと苦笑しながらも許してくれた。
馬車で二日の距離にあるところ。
稼業を継ぐための実務の一環として他の町へと出向いた父が、海女である母を見初めたのが出会い。
それから仕事と称しては何度も母の所に通いつめ、その熱心さに打たれて結婚したのだと、両親のなれそめを初めて聞いた。
母の故郷は磯の香りのする漁業が盛んなところで、私は海がこんなに近い場所にある事を始めて知った。
二人の思い出の場所をふらついて、浜辺で遊びながら、きらりと光るものを拾う。
それは貝殻の欠片で、母はたまに白い石の塊が入っていることがあると教えてくれた。
でも、人魚の涙じゃない。
とにかく目の前の海は広大で、果てが見えなくて、こんなところから一粒の宝石を探し出すのは無理だって、どうしても突き付けられた。
人魚の涙なんて見つけられない。
あるいは夜中に人魚を見ることはできるかもしれないけれど、それも伝説の中の話で、今ではもう人魚など存在しないと言われているとのことだった。
祖父が話してくれたことだ。
私はいよいよもって、夢を諦めなければならなかった。
町に戻ってきて、私はドワーフさんのところへ向かった。
いきなり大声で失礼なことを言ってしまったのだから謝罪をするべきだろう。
それから、弟子にはなれなかったけれど、今後も仕事ぶりは見せてもらっても良いか、許可を得るために。
工房まで行けば、珍しくドワーフさんが仕事場より手前にある休憩所に座っていた。
仕事が立て込んでいる人だから、私がいつ訪ねても何かしら作業はしていたのに。
「こんにちは、ドワーフさん」
「人魚の涙は」
「すみません。私には、無理です」
残念だけど、と首を振る。
ドワーフさんは、ふむ、と頷いた。
「来い」
「へっ?」
いきなり立ち上がったドワーフさんが工房へと進んでいく。
わけがわからないままそれについていけば、いつも彼が作業をしている場所までやって来た。
「やってみろ」
「え、あの?」
「小ぶりのナイフ、できるか」
もちろん、できない。
私と同じくらいの見習いの子なら作れると思うけれど、私はそういったことは一切教わっていないから、できるわけがない。
……でも。
「やって、みたい」
「ああ」
炉に近付くだけで汗が噴き出してくる。
借りた皮手袋も道具もサイズが大きすぎて滑るけれど、それを必死で掴んで動かす。
ハンマーを持つ手は、打つたびに感覚を失っていく。
自分が何をしているかもわからない。ただ、夢中だった。楽しかった。行きたかった場所に、私は立っている。
そのまま意識を失ってしまったみたいで、気が付けばいつもおかみさんと挨拶を交わす部屋で横になっていた。
慌てて起き上がれば、額からタオルがずり落ちる。
「うわわっ」
「起きたか」
声を掛けてきたドワーフさんが、何かをポンと投げて渡した。
小さい鉄の塊の、半分くらいがひしゃげた物体。平たくしようとしていることは感じられるけれど、何にもならないガラクタ。
初めて自分で打った鉄塊。
「は、は。こんなもの、ですか……」
「それは、人魚の涙だ」
「え?」
諦めの悪い私に最後の情けで体験させてくれたのではないか。
そう思ったところに、思いがけない言葉が被さる。
「……昔、魔女に声と引き換えに陸に上がる足を貰った。私は、水の中にはない、火に心を奪われたんだ」
ぽつりとドワーフさんが語る。
「心を通わせるまで、声は奪われたままになる。それでも構わなかった。火に魅せられた私は陸に上がり、毎日存分に見つめることができる鍛冶師を目指した。その過程で、容姿もこんな風になった」
何を言われているかわからず、口をあんぐりと開けたまま、彼の言葉を受け入れる。
「初めて鍛冶をしたとき、憧れているものに触れられて、私は大いに喜んだ。その時に作ったものが人魚の涙だ」
それはまだ取ってあるんだ、と壁の一部を指す。
この工房で作られた作品の見本が飾られている場所だ。
ひしゃげて何度か直しが入ったという鍋物。それはドワーフさんが作ったものだという。
「弟子入りを希望するのだから、どこぞで鍛冶をしていると思っていた。自慢の作品でも最初の一品でもいい、大切なものを見せてくれと、そういったつもりだった」
無口と思っていたドワーフさんが凄くしゃべっている。
そして中身を理解するにつれて、なんだか顔が熱くなる。手の中にある最初の作品、何も形作られなかったそれを見下ろすと、ドワーフさんの方へと差し出した。
「ああ、いいだろう。その代わり、厳しくやるぞ」
「はい、もちろんです!」
丸きり何も知らない素人だ。
女で力もないし、迷惑ばかりかけると思う。
それでも、認めてもらえたのだから、やりたいことを全力でやり切る。
初めてこの工房で鍛造過程を見た時、心を奪われて、他に愛しいものなどみつけられないのだから。
「それから私はドワーフじゃなくてアリエルって名前なんだ。人魚の時は一応は王族だったぞ」
「ん?! それってお姫様の名前……?」
犯人は人魚姫とドワーフの特質が似ていると供述しており……