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25-クリスマスしよう、黒埼君

 


「だから、俺、実の母親の顔覚えてねぇんだわ」


 シンジは六華の話をずっと黙って聞いていた。

 騒がしい居酒屋でしていい話なのかと疑問を抱き、安直(あんちょく)に尋ねてしまったことを後悔していた。


『黒埼君、年末年始はご両親と過ごしたりするの?』


 他愛ない問いかけを発端にして六華の生い立ちを知ることになった。

 もしも特に予定がないのならどこか遠出しないかと、旅行に誘うつもりだったシンジは、当然ながらタイミングを逃して飲み食いもしばし中断させていた。


 六華はビールを飲みながら話していた。

 途中、追加注文もしていた。


「しんちゃん、腹壊したのかよ?」

「……ううん」

「あんま食ってねぇのな。お茶漬けサラサラにすっか?」

「……それはもうちょっと後で」


(知らなかった)


 黒埼君の過去。

 お兄さんへの愛情が半端ないのは、その辺が起因しているのかもしれない。


(育児放棄した母親の代わりにお兄さんが黒埼君の面倒を一人で見ていたのだろう)


 威勢のいい店員のかけ声が背後を通り過ぎていく。

 隣のテーブルで起きた哄笑がやたらと鼓膜を震わせた。


「しんちゃん」


 さっきから意味もなくおしぼりで手を拭いていたシンジは正面に座る六華に焦点を合わせた。


「悪ぃ」

「え?」

「こんな話、重かったな」


 シンジは体内に回っていたアルコール成分が一気に蒸発していったような気がした。

 おしぼりをテーブルに下ろし、勢い余って箸を落とすという彼にしては珍しい粗相に至ったが、まるで気に留めずに胸の奥底から感情を絞り出した。


「正直びっくりしたよ、だけど……!」


 職業柄、複雑怪奇な家庭の事情を知ることは多々あった。

 このご時世、いろんな家族のあり方が存在する。

 いちいち反応していては仕事にならない。

 だが、さすがのポーカーフェイスも今一番時間を共にしていたい相手である六華の話となると、平常心ではいられなくなった。


 何か言葉をかけるべきなのか。

 それとも何も言わずに次の話題へさり気なく移行した方がいいのか。

 一つ一つの小さなことに迷って、密かに周章して、それでもシンジは言葉を続けた。


「だけど……話してくれて嬉しい。黒埼君の、今まで俺の知らなかったことがわかって……君の過去を共有できて嬉しい」


 シンジの精一杯の言葉に六華は特に返事をしなかった。

 生ビール四杯の後で頼んだ抹茶ミルクの残りを溶けかけた氷ごと一気に飲み干す。


「お開きにすっか、しんちゃん」





 十二月の街はすっかりクリスマス一色に仕上がっていた。

 街路樹にはイルミネーション、店頭にはツリー、ショーウィンドウにはホワイトカラーのディスプレイ。


 がっちり腕を組んだカップルと擦れ違う。

 シンジと六華は腕を組まず、手だって繋がない。

 同じ歩調で少し間隔を空けて並んで歩く。

 それだけでもシンジには十分だった。


「寒ぃ」


 夏が好きで冬が苦手な六華は厚めのモッズコートに両手を突っ込み、ファーつきのフードをかぶっていた。


「明日は雪が降るかもしれないって」


 明日は二人とも休みだった。


「しんちゃん、俺んち来るか」


 六華の突然の提案にシンジは目を見張らせる。

 彼の自宅にはまだ一度も行ったことがなかった。


「いいの?」

「駄目だったら言わねぇ」

「今まで一回も誘われたことなかったから、もしかして自宅NGなのかなって」

「んなわけねぇ」


(黒埼君、今日はもう帰りたいのかと思った)


 いきなり「お開き」にしたから。

 俺の態度が君を傷つけたのかと思った……。


「ピザまん食いてぇ、どっかで帰って帰ろ」


 いつもの黒埼君でよかった。

 だけど彼のウチって、どんな感じなんだろう、ほっとしたらワクワクしてきた。





 寒くて歩けねぇと六華はタクシーを拾い、まだ明るい表通りを五分程走って下車、コンビニでピザまんと赤ワインを買って彼が帰った場所に……シンジは呆気にとられた。


 いわゆるタワマンだった。

 数年前に大々的に宣伝していた、ホテルライクな極上空間が売りで商業施設やオフィスも入っている、大規模レジデンス、抜群のロケーション、ハイセンスな暮らし、やたらキャッチフレーズのついた高級物件だった。


「兄貴の名義なんだわ」

「そういえば、もしかしてお兄さんもいたりする? 何か手土産――」

「いねぇ。兄貴は事務所の近くに住んでる。俺も前はそこにいた。二十歳のプレゼントでこのウチもらって、そっから引っ越してきた」

「……すごいプレゼントだね」


 黒埼が現恋人である佐倉綾人と出会う前の話だ。


 六華の中学校卒業式の日、兄は一緒に暮らそうと弟を迎えにきた。

 もちろん六華は飛びついた。

 卒業後、高校には進学せず、特に決めていなかった進路が裏社会直行ルートに定まった瞬間だった。


「中学出て兄貴と暮らし始めて、すげぇ楽しかった、ずっと一緒にいてぇと思った。でも兄貴みてぇにかっこよく自立したい気持ちもあった。兄貴は俺のそーいう気持ち、後押ししてくれたんだわ。一先ず一人暮らし始めてみろって」


(自立したい、自立させたい割にはお互いベタベタですけど……ね。仕方ないか、それが黒埼兄弟ならではの絆なんだろう。


 複数回のオートロックを経て行き着いた部屋は広々とした1LDKだった。

 近代的で洗練された美しい外観が幻だったと思えるくらい、脱ぎ捨てられた服や物でとっちらかった部屋だった。


「ちゃんとゴミ出しやってる? 洗濯とか掃除とかしてる?」

「失礼だな、しんちゃん、ガンガンやってんぞ」

「ちょっと片付けようか」

「いいって、どーせまたちらかんだしよ、それにぐちゃっとしてる方が落ち着くんだわ」

「そう、ぐちゃっと……」

「しんちゃん、俺、やっぱピザまんいいわ」

「え?」

「ホットミルクつくれ」


 暖房を点けた六華はモッズコートのフードをかぶったままソファに座り込むと膝を抱いた。


(それ、可愛いすぎるから、黒埼君)


 コートを脱いだシンジはソファの隅に軽く畳むと、サニタリールームで手洗いうがいを済ませ、キッチンにお邪魔した。

 棚に詰め込まれたブランドものの食器は手つかずのようだ。

 六華が愛用している、子供会で使用しそうな使い捨て紙皿の大量ストックを見つけると、自然と笑ってしまった。


「鍋、どれでもいいの?」

「いーぞ、好きなの選べ、早く作れ」

「はいはい」



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