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17-告白しよう!

「ガキん頃、夏休みに兄貴が田舎に連れてってくれて、虫取りに夢中になったんだわ」


(……またお兄さん関連か)


 シンジはがっかりした。

 ロックのウィスキーを一口飲み、話の流れで六華に尋ねた。


「田舎って、ご両親の故郷とか?」

「うんにゃ、何かテキトーに。ザ・田舎みてぇな?」


 六華は普通に答える。

 特に何ら表情を変えるでもなく、嫌いな匂いのするかつての保護者達を思い出して不快そうにするでもなく。


 不動産業を順調に進めている父親は、いつの間に二番目の母親とまた離婚し、三番目となる新しい妻をもらったそうだ。

 一番目の母親について、今どうしているのか、六華は詳しく知らない。

 最も新しい情報といえば「数年前に実家の何代目かの小さな飼い犬と楽しそうに散歩していた」だ。


「俺、蝶々の匂い、好きなんだわ」

「蝶に匂い? するかな?」

「する」

「ふぅん。黒埼君は鼻がいいんだね」


(鼻がいいというか、蜩さんはホテルの部屋の匂い、凪君は遊園地の匂い、なんていう独特の嗅ぎ方をしているというか)


「自慢だけど俺の嗅覚ってやつぁマジですげぇぞ」

「お兄さんはどんな匂いがするの?」

「お日様の匂い!」


(ホテルの部屋の匂いよりは遥かに芳しそうだ)


「佐倉さんは?」

「あー、最初は冷てぇ水の匂いだったけど、今はあったかいお湯の匂いがする」


(それってイメージがよくなったってことなんだろうか?)


 あれ、そういえば。

 俺がどんな匂いするのか、聞いたことがないな。


(ホテルの部屋の匂いよりもマイナスイメージの匂いだったら……へこむ)


「……蝶はどんな匂いがするのかな」


 自分からはどんな匂いがしているのか、答えを知るのに臆したシンジは別の質問を投げかけた。


「しんちゃんみてぇな匂い」

「ふぅん。俺みたいな……、……、え、俺みたいな?」

「なぁ、これ、もう一杯!」


 カウンターの内側にいたマスターに大声で注文して、六華は、ちょっと動揺しているシンジに向き直った。

 空のグラスについた水滴で火照った指の腹を冷やし、兄の鋭い眼とは似ていないくっきり二重の双眸で、真っ直ぐにシンジを見つめてきた。


「蝶々、捕まえたんだわ、こうやって」


 六華はゴツゴツしたリングに彩られた手を、隙間を持たせて、テーブル上で重ね合わせた。


「アゲハチョウ、俺の手の上でじっとして、こうやって開いても逃げずにそこにいたんだわ」


 今度は注がれる水を掬い上げるようにして両手をテーブルからやや浮かせた。


「ああ、こいつ、俺に惚れたんだなって思った」


 二杯目の酒が六華のコースター上に置かれた。

 タンブラーグラスの内側で爽やかな口当たりの酒に浸かった氷が音を立てる。


「俺は黒埼君に惚れてるよ」




 ――それは見失わなかった大好きな兄貴の匂いとは違っていた。

 それは、やっぱり、手の上でうっとりしていた蝶と同じ。

 蝉時雨のうるさい木陰、草むらの中、色鮮やかな翅を休めて俺に身を預けてきた。


「俺は黒埼君に惚れてるよ」


 な? 俺の嗅覚マジですげぇだろ?――





 その夜、シンジは泥酔いせずにちゃんとセーブして「帰んのめんどくせぇ」と次の店へ行こうとした六華を自宅のワンルームマンションへ招いた。


「オトナ感満載の飲みモンだな」


 大き目の氷でつくったウィスキーのロックを向かい合って飲み合う。


「二十二歳には確かに早いかもしれないね」

「んだよ、ガキ扱いすんじゃねぇぞ、コーラ早飲みだったら俺ぁ負けねぇ」


 ちなみに六華は現在パンツ一丁だった。

 部屋に招かれるなり、冬の最中(さなか)に「暑ぃ」と止める暇もなく服を脱ぎ散らかし、シンジは一先ず手早く畳んで、自分自身は下だけルームウェアに履き替えていた。


 日付も変わって、つけっぱなしのテレビは深夜放送のバラエティ番組を流していた。

 あの女はGだ、隣のあいつはDだ、セクシー女優の胸のサイズをわざわざシンジに報告していた六華だが、次第に口数が減っていった。

 大型犬じみた豪快な欠伸が目立ち始める。


「黒埼君、ベッドで寝ていいよ」


 シンジの言葉に六華はこっくり頷いた。

 伸びやかに成長しきった褐色の体をのそりと起こして、壁際のベッドまで迷わず進み、ドスンと横になる。


「しんちゃんも明日仕事だろぉ……」

「うん」

「おら、スペース空けてやっから、ちゃんと睡眠とれ」


 まるで部屋の(ぬし)さながらな発言にシンジは笑った。

 二つのグラスをキッチンでざっと洗い、歯磨きして、明日朝一でシャワーを浴びることにして。

 間接照明の明かりを最低限まで落としてベッドに潜り込んだ。


 六華はクッションを抱いて壁と向かい合っていた。

 背中の牡丹が薄闇に一つ咲いている。

 連なる花弁には朱が差してあった。

 くっきりした墨の縁取りをぼかすように濃淡がつけられている。


 シンジは牡丹に触れてみた。

 まだ眠りについていなかった六華の肩が震える。


「しんちゃん、また酔ってんのか」

「酔ってないよ」


 シンジは即答した。

 衣擦れの音を立て、さらに六華に近寄る。


 近くで見ればしっとりとした質感の肌。

 褐色に艶やかに開花した大輪の花。

 見惚れてしまえばキリがない。


 シンジは牡丹にキスしてみた。

 次の瞬間、また六華の肩が震えた。


「くすぐってぇ」


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