伝わらない。この気持ち(2/2)
「――ん! 起きろ! 起きてくれ!」
……ケイがいる。
青い空が見える。雲がゆっくり動いている。上空では風が吹いているらしい。
ここは死後の世界だろうか。やはり死んでしまったのだろうか……。
……まだ息をしていたかった。もっとギルとケイたちと過ごしたかった。今までに何度も息を止めたい、殺してほしいだなんて願った過去をいまさら悔いる。死んでからでは意味がないのに。
ケイ……心配そうな顔をしている。僕はもう息をしていないんだ。
……いや待て。ここが死後の世界なら今も目の前に映るケイも、死んでしまったのか……?
「っ……!」
ハッとして体を起こせば、ここが死後の世界ではないと知る。学校だ。学校の門がある。ベンチで横になっていたようだ、ケイに膝枕でもされて。
「蓮!」
そう叫ぶケイに対して、なにか声を出す前にケイに抱き締められた。まだ僕は死んでない……? なにがあった……。
「ほんとによかった。よかった……」
ケイの泣き顔を見て目を丸める。泣いている姿は初めて見る。
「…………」
ずいぶんと頭が痛くて気分が悪い。動悸がなによりもしんどい。煙をかなり吸ってしまったようだ。
それより、どうしてここにいるんだ。
「ケイ、なにがあ」
言い切る前に頬に痛みが走った。
蓮がなにか言っている途中だったけど、言われることがなんとなく想像がついて、
「ケイ、なにがあ」
蓮の頬を叩いた。
「あっ、ごめん。痛かったよな……」
衝動で叩いてしまって、すぐに謝った。けど、蓮はそんな俺に対して怒りを見せず、驚きさえ見せたけど次に見せたのは微笑みだった。あの時と同じ顔だ。
「……叩かれて当然のことだ。謝る必要はっケホッケホッケホッ」
まだ一酸化炭素が抜けきってないから、喋らなくていい。なんて叩いた俺には言えることじゃない。
「それより……。ケイが助けてくれたのか」
頷く。
「そうだけど、それよりなんで戻ったんだ。ギルくんから聞いた」
そう聞いたのに、蓮は不思議そうな顔になって黙り込んだ。なにかおかしなことを言ったか?
「……僕はケイがグランドに来ていないとケホッ……思って戻った。だが、戻ってもケイの姿がなかったんだ。ケイは一緒に逃げていたのか」
「いや、俺は途中まで寝てて気づいてなかった。けど、ニオイがしてやっと置いて行かれたってことに気づいてグランドに向かったんだ。でもギルくんから蓮が俺を捜しに行ったってのを聞いて、俺も戻ったんだ」
「つまり入れ違えたというわけだな。まあ、ケイが無事でケホッケホッ……よかった」
蓮は俺と違い、片腕を軽く背中まで回すだけだった。痛くない。
「でも、まだ避難してるとか思わなかったのか? 戻る必要なかっただろ」
「……ケイが気づかずにケホッケホッ……寝ているのではないかと思ってな。実際入れ違いにはなったが眠っていたようだし」
「そっか……俺のせいで……」
……こんなにも思ってくれてたなんて知らなかった。こんなにも思ってくれてるなら……もしかして、今言ったほうが……。ずっと言いたかったこと。周りに誰もいない今に……。
いつまでもこのままは嫌なんだ。
「蓮、俺さ」
「いました!」
俺の言葉を遮って叫んだのは、家庭科の先生だった。タイミングが悪い。……いやこれで良かったんだ。
「きちんと避難してたようです」
家庭科の先生以外にも数人の人間が俺たちを囲った。少し怖い。
「新藤さん、勝手な行動はしないでください! 影島さんも!」
「……すいません」
「いや、蓮は悪く」
「ケイ」
蓮は小声でそれだけ言って、口角を上げて視線を合わせてくるだけだ。……黙れと言っている気がする。
俺らを囲んでる人の中に、校長がいる。確かこの人だ。そして、その人が前に出てきて言った。
「新藤さんはなぜ戻ったのですか」
ギルくんから聞いたんだろう。そいつ……校長は重々しくそう聞いてきた。けど、それに対して蓮は軽々しく言う。
「隣に座る彼がグランドにおらず、出火場所の隣、調理室に取り残されているのではないかと思い、身を挺して向かいました」
「……それでもし、新藤さんの身になにかあれば、どうしていたのですか」
「どうもありませんよ。そのとき次第です。ケイ……彼がまだその教室にいれば彼とともに脱出を試みました。ですが、今回のように僕の勘違いでしたらそのまま息を引き取っていたでしょうね。実際、もう無理だと思いましたし」
蓮のその言葉には胸が締めつけられる感覚があった。息を引き取るなんて……そんなこと言うなよ……。
「……今回のように? ならなぜここにいるんですか?」
校長が不思議そうに聞けば、蓮が訳を話してくれた。
「入れ違いですか……。そしてその影島さんに命を救われたと」
「そうですね」
「今回は影島さんが助けてくれた。だが、次はどうする。寝ている人を気遣って自分が死ぬのか!」
急に声を上げるなよ、おっさ……校長。
「ええ。死にますね」
今、なんて……。
「寝ているからなんですか。もちろん授業中に寝るなんて、悪いことかもしれません。ですが、緊急時にその人をほうっておくのは少し違いませんか。気づいているのに助けないのは、ただの人殺しですよ」
……蓮、そんな微笑んで言わないで。ちょっと怖い。
「よく自分の命は自分で守るという言葉を聞きます。ですが、校長先生。あなたはそれでいいのですか。大切なご家族を置いて逃げれますか。逃げたところで、心が痛まないのですか。僕は痛くて仕方がありません。大切な人を裏切ってしまったような感覚にも陥ってしまいます。なので……僕は大切な人に関わらず人を置いて逃げることなんてできません。
もしいるかもしれない。なんて、曖昧な状況なら目で見て確認しに行きます」
「…………」
蓮は最後に微笑む。先生は誰も口を開けない。やっぱり蓮は……。
「先生。彼、少し煙を吸ってしまったようなので保健室のベッドお借りしますね。僕らは構いませんので、火傷を負った一年生の手当てを優先してください」
蓮が女性の先生に話しかける。あの人が保健室の先生なんだろう。
「では、失礼します。ケイ、行こうか」
蓮は俺の手首を掴んで先生の間を抜けて、早足でどこかへ向かっていく。振り返れば、校長がこっちを見てて少し鳥肌が立った。
「ケホッケホッケホッ……ケホッ」
「蓮……」
保健室と書かれた教室に入るなり、蓮がいきなり、でも抑え込むように咳き込み始める。もしかしてずっと我慢していたのかもしれない。
「ケホッケホッ……心配するな。……それより、校長に向かって少し言いすぎたかもしれないな。明日にはここへ来れないかもしれない」
蓮は顔を笑わせるが、俺は心配だ。
もとはと言えば俺が火事に気づいていれば、蓮が戻ることなんてなかったのに……。
蓮がベッドに座るので、俺も隣に座った。
「そういえばケイ。先生ケホッケホッ……先生が来る前、なにか言おうとしていたが、なんだ。ずっと気になっていて頭が回らなかったんだ」
……頭回ってない状態であれだけ話したのか……? すごくないかそれ……。
「…………」
タイミングが悪いとか思ってたけど、良かったのかもしれないってやっぱり思い直してた。確信してたことじゃなかったから。でも、あの蓮の話を聞いて、確信を持てた。
だから、
「話す」
「ああ。もしかしてずっとケイが元気がなかったことにつながるかもしれないからな。頼む」
……やっぱり蓮にはお見通しか。
「……蓮が言ってた通り、元気がないなって自覚してたんだ。でも、なんでかはわからなかったんだ。初めて授業受けた次の日まで。次の日の、三限目の途中でわかったんだ。
俺、ずっと本当に蓮に会いたかったんだ。ずっと。小学四年になったあとからずっと。始めはあんまり寂しくないとか自分に言い聞かせてたけど、やっぱり寂しくて。でも会えないのはもう知ってたから……。
出会ってしばらくしたあとに言ったあの言葉、ちゃんと守れなかったなって、思って。
それで、この高校に転校してまた……息苦しい……寄り添ってくれる人がいなくて、いつまでも吐き気がするのかとか思ってた。だから初日の遅刻、実は寝坊とかじゃないんだ。これはもともとだけど、それにプラスして緊張と吐き気で寝れなくて、朝まで起きてた。
それで親に行きたくないって……頼み込んだけど聞いてくれるわけなくて。それでもう出る時間なのに、脚が震えて動けなくて……気持ち悪くて吐いて……。それで、落ち着いた頃に親に車で送ってもらった。でもそこまで親が厳しいわけじゃなくて気分悪くなったらすぐに電話してこいとは言われたんだ。
学校に着いたからには行かないといけないから、親に見送られながら校舎に入ったんだ。教室の場所は知ってるし憶えてたけど、また気持ち悪くなってずっとトイレにこもってた。
落ち着いて、深呼吸してやっと入ったのがあの時間だったんだ。たぶん、はたから見たらそこまで緊張してないって思われるくらいだったと思うけど、クソ緊張して胃も気持ち悪くて、声震えてないかとも思ってたんだ。
でもそのときに蓮がいて……本当に安心した。
……それで自分自身を安心させたいってだけで、抱きついてしまって……。
案の定、目の前から去ってほしいみたいなこと言われて、もしかして俺のこと嫌いだったんじゃないかって……思って。実際小学生のときもたまに喧嘩とかしてたから、ずっと嫌いだったのかなって……思ってさ。
それに、ギルくん。いつもギルくんと一緒にいて、俺入ったら邪魔だよなって。蓮からたまに話しかけてくれるけど、ギルくんといたほうが楽しんじゃないかって……そんなこと考えて、口から出るのは言いたくもない言葉だけでさ。
でも、やっと今日になって気づいたんだ。蓮から嫌われてなんかいないって。そもそも話しかけてくれる時点で嫌ってないんじゃないかとか思ってたけど……なんとなく、その考えを突き通せなくて。
今日のさっきあった調理実習。エプロン持って来てなかったり、班はどこに入るかなんて自分で聞けたはずなのに、なんかどうでもよくなって。蓮から嫌われてるんじゃないかなって思って、また胃が気持ち悪くもなってた。だから、その時間はトイレにでも過ごそうなんかとかも考えてた。
でも蓮が話しかけてきて、一緒に先生のところまで行ってくれて、俺にも役割を振ってくれて、丁寧に教えてくれて、ぽ、ポテトサラダの味見させてくれて……。これだけやってくれるんだから、嫌われてないんじゃないかって思いだして。
そんなときにあの火事が起きた。蓮自身も危ないのに、もし俺がまだいたらとか言って戻ってきてくれて、最後にあの校長に向けて言ったこと、それでやっと確信にたどり着けたんだ。
俺は蓮に嫌われてないって。嫌いより大切にしてくれてたんだって。
……でも俺、蓮が校長に言ったこと聞いてなかったらこの話してなかった。確信してなかったから。先生が来てタイミングがいいとかも思ってた。
でも、実際にこれ言えてほっとしてる。蓮に気持ちを伝えられた気がして。完璧に伝わってなくても、ちょっとだけでも伝わってたら嬉しい……」
長く、長く口を動かして、溜まった唾を飲み込んだ。
「……完璧に気持ちがわかったなんて言えば嘘になるが、言葉で伝えてくれた分だけは伝わった。けど……伝えてくれなければ、なにも伝わらない。能力者などではないのだから。勝手に元気をなくさないでほしい」
思いもしない返答に少し胸を痛ませる。それでも蓮は続けた。
「……僕は決してケイのことを嫌ってなんていない。昔から大切な存在だ。だから安心しろ」
そう口を微笑ませる。
俺はその言葉を聞けて一気に気が緩んだ。流れる涙の存在にも気づきもせず。蓮はそんな俺の顔を見て目を丸くさせた。
「っ、ケイ……」
「な、泣いてない……から……ちょっと」
俺はそっと蓮を抱いた。今度は優しく、包まれるように。
「ちょっとだけこのままでいさせて」
……あの時とはまるで逆だ。嫌な過去を思いだす。
まだ言いたいことはあるけど……きっと今じゃない。
俺はしばらく蓮の腕の中で泣いた。嫌われてなんかいないという安心と、ここでの学校生活への不安がなくなり、俺の心は緊張から弛緩へと変化していった。
そして、その急激な変化で体が追いつけていないのか、いまだに蓮の腕にしがみ付いている。ここから離れたくない。
けど、いつかは離れなければならない。
泣き止んで、落ち着いた頃に蓮から聞いてくれた。
「落ち着いてきたか」
静かに頷く。
「ずっと不安だったんだな。学校生活というものが。未知の場所へ連れられて、息のしづらい毎日が目の前にある。誰だって逃げたくもなる。ここまでよくがんばっ」
「また泣かせる気?」
「……そんなつもりはなかったんだが」
「れーくんいるー?」
そう聞こえて俺はつい、蓮の腕の中へもぐった。少しだけ外を見るのが怖くなった。
それに……蓮が取られてしまう。そう思った。
「いた!」
足音がこっちに近づいてくる。俺の心臓は早く鳴っている。やっぱり怖いのかもしれない。
「敬助くんもいた! よかったー……。れーくん、本当にすっごく心配したんだからね」
「悪かった。ずいぶんと心配させてしまった」
「ずいぶんじゃないよ! すぅっごく心配したんだからね! だってあれでしょ……? 火事のときの煙ってほんとに危ないんでしょ……? 俺、ほんとに……心配した。……したから」
ベッドに座るようなきしむ音が聞こえた。
「俺もぎゅーする! 敬助くんだけズルいよ」
俺だけズルい……か。
自然と蓮を抱く俺の手は強くなっていた。
「……二人とも、心配かけた」
俺の頭に手が乗った。蓮のかな。そして優しくポンポンと叩き、撫でる。ギルくんにもしてるんだろうな……。
「ところでギル、あのあとどうなった。もう解散がかかったのか」
「ううん、まだー。解散って言うか、親と連絡取れた人から帰れるって。俺はたぶんお母さん来るけど、れーくんと一緒に帰るからね」
親と……。俺も蓮と……。
「そうか……。まあとりあえず、グランドに行こうか」
「うん。総務さんとか真也くんも心配してたよ。早く行こ」
「ケイ、行けるか」
「…………」
離れたくない。
「……ギル。先に行っててくれないか。総務たちにも心配するなって言っておいてくれ」
「……うん。わかった。敬助くんのお母さんとかが来たらまた来るね」
「…………」
俺が答えないでいると蓮が代わりに答えてくれた。
「頼む」
ベッドがきしむ音、その次に足音が聞こえる。そしてなにも聞こえなくなった。
「……ケイ。行ったぞ」
「ごめん……」
この妬ましい気持ちもいつか晴れるのかな……。
顔を上げて誰もいないかとあちこちを見る。いないことがわかったら蓮の目を見た。
「あの、そういえば、もう頭痛とかしないのか? 意識失ってかなりの量吸ってたと思うけど」
「頭痛……。起きたてよりはマシだな。咳もなくなったし、経過を待つしかない」
「ならよかった」
蓮を抱き直す。
「それより、ここへ連れ出す前、僕が倒れて意識を失ったか失いかけてたかのときに、ケイがいたのはわかったんだが、あの袋はなんだったんだ」
「……あぁ、あの袋。あの袋に外の空気溜めてたんだ。少しでも酸素が得られるように」
「……そういうことか。ありがとう」
もうそろそろ蓮も引っ付かれるのは嫌だろうと思い、俺は躊躇しながらも離れた。まだいていいと言うならいたい。
「もういいのか」
「…………」
本当はいたい。でも、いつまでも守られてばっかじゃ、いつか蓮を守れないんじゃないかって思って、抱き直さなかった。俺は蓮を守るって決めたんだ。
「僕の両親は海外にいると言っているから、いつでも帰れる……はずだ」
「……俺の親はたぶん来る。父さんが来ると思う、車で。でも……俺も蓮と一緒に帰りたい」
「…………」
そうだよな。そんなこと言ったって蓮にはどうしようもできないよな。ギルくんとも帰るなんてできないし、優しい蓮はどちらかを選ぶことなんてできないだろうし。
「ふっ、困ったな」
笑った……。
「なら、今日はギルと帰るのを断ってケイの家の車で送ってもらおうか」
「え、いいのか?」
「車なら歩かなくて済むからな」
……そこか。
「それか……よければギルも乗せる、というのはどうだ」
「父さんがいいならべつに俺は。蓮と帰れたらそれでいい」
「全てタイミング次第だな。さあ、グランドに行こうか」
「…………」
結局、同じ頃にギルくんの迎えも来て車に乗せて走らせた。
ギルくんの母親は、ギルくんに似た髪と瞳をしていて肌も白い。きっと容姿はそのまま受け継がれたのだろうと、見てわかった。
「アリガトゴザイマス。ノセテクダサリ」
助手席に座るギルくんの母親がカタコトにそう言った。日本語としては普通に聞き取れるほどだ。
「いえいえ。こちらこそ、仲良くしてくださっているようで」
……父さんにそんなこと言った憶えはないけどな。もちろん母さんにも。
ところで隣に座る蓮がなんとなく気分が悪そうだ。顔色が悪いし胸をさすってる。
声をかけようとしたら先にギルくんに越された。
「……れーくん大丈夫? 酔い止めもないのに車に乗るとか言うからちょっと不安だったんだけど、やっぱりないよね?」
酔い止め……? 乗り物酔いするのか蓮。
「父さん、近く駐めて」
運転席に顔を出して言う。
「わかってる」
蓮も抜けてるところあるんだな。
駐めれそうなところで駐めてもらい、蓮と一緒に降りてしゃがませた。
「本当に悪い……」
「いいから気分良くするの優先してー」
「車にもたれていいから」
言ってももたれないのは知ってたから無理やりもたれさせた。
蓮は目を瞑り、息苦しそうに深く息を吸ってる。苦しそう。車酔いを経験したことないから同情はできないけど、見るからに気持ち悪そうだ。
「もー。楽しようとするからこうなるんだよー?」
「……前は飲まなくても意外と乗れたんだ……」
「前って、プール行った日の? あの日は酔い止め飲んでたじゃん」
「……違う。……夏に警部と出かけたんだ」
「あ、そうなんだ、よかったね!」
ケイブ……? ケイブって警部っていうケイブ? 警察と知り合いなのか? しかも階級も高い。
警察と知り合いってどんな経緯があったんだろ。ちょっと羨ましい。
「……ケイに……この気持ち悪さを味わわせてしまっていたんだよな。……本当に、悪かった」
「今それどころじゃないだろ。喋らずゆっくりしろって。気持ち悪いんだろ?」
「なんの話?」
「……秘密」
「えぇー」
ギルくんには知られたくない話だ。今も俺と普通に接してくれてる相手に。
「ギルくん、ちょっと看てて」
水と酔い止めを買おう。
立ち上がって辺りを見渡す。この辺りは普段通らないから立地は詳しくない。それでもここがすごく田舎とかじゃないから、コンビニくらい見渡せばすぐ見つかる。
……ほらあった。
小さな横断歩道の信号を無視してコンビニに入る。酔い止めと水だけを買って、戻って蓮に渡した。
「蓮、酔い止めと水」
「……悪い。いくらだ」
「いいさ。気持ちを言わせてくれたお礼。最後まで乗っていけよ」
「……ありがとう。いろいろと悪いな」
「いつまでも傍にいてくれるなら、それでいいさ」
俺と蓮を交互に見たギルくんは、不満そうに口を尖らせる。
「ねえねえ、だからなんの話なの?」
「ギルが知るには百年早い」
「ケチー」
蓮は早速酔い止めを飲んでいた。飲み終わった頃には少し楽になってきたらしい。顔を上げて目は瞑るものの、苦しそうな顔はしていない。
そういえば親はどこに行ったんだろうと思って、立ち上がって車の中を見たけど、ギルくんの母親も、父さんもいない。どこに行ったんだ?
「ギルくん、親どこに行ったか知ってる?」
「あー、なんか近くのお店に入っていったよ。ケーキ屋さんみたいなところ」
自分の子供の友だちが酔って苦しんでるのに、のうのうと買い物ですか。そうですかそうですか。
まだ、ギルくんの母親は日本語が聞き取れなくて、状況を理解しがたかったのかもしれない。けど、俺の父さんはどうだ。日本生まれの日本育ちの日本語を話す日本人だ。心配の一つくらいしてもいいだろ。ちょっとした怒りが湧いてくる。
「どう? マシになってきた?」
蓮が目を開ける。楽そうな顔だ。
「……あぁ。本当に迷惑かけた」
「大丈夫だってー。お母さんたちが入っていったお店、俺たちも行ってみる?」
「そうだな」
蓮が立ち上がれば続々立っていく。ただ、蓮が立ち上がったときフラついてたから支えた。まだ余韻が残ってるみたいだ。もう少しゆっくりしてたらいいのに。
ギルくんのあとについて近くの店に入った。そこにはやっぱり父さんとギルくんの母親がいた。どうやら本当にケーキ屋らしい。甘いニオイがしてくる。
レジの下にホールケーキやカットケーキ、マカロンやクッキーとかが並ぶショーケースがある。どれもうまそうでしかない。
「うわぁー! どれもおいしそう……。全部欲しい……」
「ギルクン、ナニタベル?」
「えー、どうしよっかな」
「敬助も選びな」
……蓮は。
親のいない蓮の分はと、蓮がいたところに振り向いてしまう。けど、さっきいたところに蓮はいなかった。
「……れ、蓮は?」
「でお願いします。……どうした。僕はここにいる」
声がしたのはレジのほうからだ。蓮はレジの前に立って、財布を片手に持ってる。
「買ったのか?」
「ああ。今出してもらっている。すごくおいしそうだったからな。濃厚抹茶ケーキとクッキーの箱詰めパック、あとマカロン数個。少し買いすぎたかもしれない」
「そ、そっか」
そう話してくれる蓮に、ホッと安心する感情と一緒になんだか胸が苦しくなった。
「敬助、早く決めないと買わないぞ」
「あ、ああ」
さっきいた位置に戻ってショーケースを意味もなく眺める。
蓮は保護者がいなくて寂しいとか思わないのかな。一人で抱え込んで部屋で泣いてたりしてないのかな。……心配になってくる。
けど、あの嬉しそうな顔で全て消されていく。今は蓮が「幸せ」であることを期待しておこう。
「お母さん、俺これがいい!」
ギルくんがショウケースに向けて指を差す。
「リョーカイ! オトーサンハドレ?」
「お父さんは……フルーツタルトでいいんじゃない? お母さんはどれにするの?」
「コレ。 well ……セイチヨコレート cake 」
「セイチョコレート? ……あぁ、お母さんこれ『せい』って読むけどこの場合は『なま』って読むんだよ」
「ナマ? オォー。ムズカシイニッポンゴ」
「『にほんご』ね」
「ウーン。オソルベシニホンゴ」
こんな他愛のない会話もできないんだよな、蓮は。
「敬助決まったか」
「あ、ああ。えっと、これ……モンブラン」
目の前にあった適当なものを言った。
「母さんにもなんか買っていくか」
それぞれ買ったあと外に出る。そのとき、先に出て待ってた蓮がマカロンをつまみ食いしてた。俺が出たときに袋を隠してたけど、見られたのを確信したらしい。少し赤くなった耳を隠すように頭をかいて、そっぽを向かれた。けど、すぐになにもなかったかのように無表情を貫いて横顔を晒す。
けどわかる。まだ恥ずかしがってることは。
そんな蓮を見てまた鼓動を早まらせる。
車に乗り、蓮の家に向かっている。
途中、信号が赤になったときにギルくんと母親が下りていった。
「れーくんと敬助くん、ばいばーい!」
「また」
「ケースケクンオトーサン。オクテクレテ、アリガトーゴザイマシタ」
「お気をつけて」
「レンクン、 see you 」
「 goodbye 」
……英語の授業のときでも思ってたけど、やっぱり蓮の英語の発音良すぎる。
信号が青になったことで車は走り出す。そのとき、蓮の腿の上に置いていた袋がガサッと音を鳴らす。蓮は膝の上から滑り落ちそうになった袋を膝に置き直した。
「……蓮って抹茶好きなのか?」
「ん……ああ。中学三年生の頃に訪れていたカフェで、ギルが食べていた抹茶アイスを一口貰えばすごくおいしくてな。それからずっとだ」
「そうなんだ」
蓮の好物、抹茶……。
俺は隣にいる蓮の手ばかりを見つめている。細長くて、爪も綺麗に整えられている。
「……寄ろうか」
蓮が気を遣ってか端へ座り直して離れてしまう。今はギルくんがいた場所にいる。べつに座り直さなくてもよかったのに……。
俺も座り直して少し蓮との距離を縮めた。
「…………」
再び俺は蓮の手を見つめていた。温かかった腕の中にもう一度入りたい。けど今は親がいるしそんな雰囲気でもない。する必要がないにもほどがあった。
横を見てみれば、蓮が窓の縁に肘をかけて窓の外を見ていた。
「…………」
蓮の横顔。どの方向から見ても、蓮の顔はその美しさを曲げない。高い鼻がやっぱり綺麗に感じる一番の理由かな。いや、一カ所だけじゃない。それぞれ他のパーツ、高く筋の通った鼻、整った形をした口、キリッとした二重の目、綺麗な形をする眉毛が美を謳って、それにくっきりとした輪郭もすごく綺麗だ。
顔のそれぞれのパーツが手本みたいで、蓮の顔はずっと見ていられる。
「……ケイ。僕の顔になにか付いているのか」
蓮が視線だけ動かして聞いてくる。かっこいいな。
「いや、そんなんじゃない。なにも付いてない。ただ蓮の顔を見てただけ」
「……ぼ、僕の……?」
さすがの蓮も動揺を隠せず、俺のほうへ向いた。正面から見てもやっぱり綺麗だ。
「蓮の顔は整ってて、見飽きないんだ」
「……そ、そうか……。好きにすればいいが……あまり見ないでいただけると嬉しい」
……引かれた?
けど、それ以降もときどきこっそり見ては見とれていた。
少しの間車内で揺られていたら蓮の家まで着いてしまった。もう着いたのか……。
蓮は車を降りて、こちらに振り返る。父さんが車の窓を開けてくれた。
「ここまで送ってくださり、ありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ないです」
「敬助と仲良くしてくれているなら、どうってことないよ。こちらこそいつも話しかけてやってくれているそうで。ありがとうね。
また、ご両親が海外から帰ってきたら教えてくれる? ご挨拶しておきたいからね」
父さんには蓮の親が死んだってことを伝えてないんだった……。言っていいのかもわからなくて、言えてなかった。
「……はい。またお伝えしますね。では、ありがとうございました」
蓮が腰を曲げ、車の窓は閉まる。そして車は走っていく。
俺は後ろを向いて蓮が家に入っていく様子を見送った。なんだか胸が締めつけられる。寂しい思いをしてなかったらいいけど……。
住宅街から大通りに出たとき、父さんの声が聞こえる。
「あの子が小学三年生のときに一緒にいてくれた子? 名前は?」
今まで蓮のことを父さんに話したことがなかったから、きっと母さんから聞いたんだろうな。でもそれなら名前を知ってるはずなんだけどな。まあいい。忘れてるなら好都合だ。わざわざ名前を変えたことを言わなくて済む。
「新藤蓮って言う」
「レンくんか。レンは滝廉太郎のレン?」
「いや、草冠に連なるの蓮」
「いい名前だね。でも言い方を変えればハスって読めるよね。あの水の上に出来る葉っぱ。名前でいじられたりはしないのかな」
……それは俺も思ってたけど見た感じ、いじられてる様子はなかった。でもなんでいつでもいじめに発展しそうな名前にしたんだろう。「れん」と読む名前はよくいて、確かにかっこいいけど。そこがどうにも気になる。
家に着いてからなんとなく気になって調べてみた。ハスの花言葉を。
と言っても「ハス」は花の周りに出来る葉で、そこに咲く花が「ハスの花」だ。
花言葉が付けられる定義が曖昧になってるからか「ハスの花の花言葉」って書かれてるものもあれば「ハスの花言葉」って書かれてるものもあった。
なかには「ハスの花」のことを「蓮華」って書いてるものもあった。そこに紛れてレンゲソウのことを「蓮華」っ言って、レンゲソウの花言葉が書いてるのもあった。蓮華ってハスの花のこととか、ハスとかスイレン、レンゲソウの総称を言うから紛らわしいことはしないでほしいんだけど。
書き方が「ハスの花言葉」であれ「ハスの花の花言葉」であれ「蓮華の花言葉」であれ、内容はどれも同じようなものだった。
ハスの花の花言葉
「清らかな心」
「神聖」
「休養」
「雄弁」
「沈着」
「離れゆく愛」
「救ってください」
「早咲きの蓮華は地面咲いた」の五作目、「伝わらない。この気持ち」を投稿しました。
今作は新しい登場人物が登場する重要回となっておりました。影島敬助、彼はどんな人間なのか、今後にこうご期待ください。
また、作中に思い出として過去の回想シーンが出ています。はやれん(本作の略称)では初めてだったのではないかと(作者も憶えてないという失態)。そのキャラクターの過去を知れるのはなんだかワクワクしませんか?
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。