子供になる方法
今日はイエス・キリストが生まれた日の前日。そして世間ではクリスマスイブといって、翌日の朝に「サンタ」という赤い服を着て白髭を生やした老人からプレゼントを貰う日らしい。
老人の不法侵入時刻は子供が寝てる間の深夜。だから、正体なんて知らない。
そもそも僕は「悪い子」だからプレゼントなんて貰えない。
昨日に終業式を終えて晴れて解放の身。そして、僕は今日発売される小説を買いに出ようと思って着替えていた。新刊は早く買わなければ売り切れてしまう可能性があるから、だるく重たい体を朝から起こしている。
準備ができて、さて出ようと思ったときインターホンが鳴った。出る準備はしていたから荷物を持ってインターホンに応える。と、サンタの帽子を被ったギルがいた。
「メリークリスマス! おかしちょうだい!」
……菓子を貰うのはハロウィンだったよな。今日はハロウィンだったか?
「悪いが今から出かけるんだ。家で待っててもらうことになるがいいか」
「出るならちょうどいいよ! 一緒に行こ。れーくん連れ出して一緒に買い物に行こって思ってたから」
今年は買い物に付き合わせるのか。
ギルの年中行事に連れ出すのは中学三年になってから頻繁に連れ出されるようになった。去年の今日にはどこか外には出ず、ギルの家に連れられてご馳走になった。今年は買い物らしい。
「ていうか、れーくんが冬に外に出るなんて珍しいね。俺が布団引きが剥がそうとしても引き剥がれないくらいなのに」
「今日は小説の新刊が出るんだ。それを買いに行こうと思って」
「じゃあいつもの本屋さん行くの?」
「あそこが近いからな」
「俺もそっちのほうに用あるから途中まで一緒に行こ! で、そのあとは……れーくんの家にお泊りー! お泊りしたあとは、みんなでクリスマスパーティー!」
勝手に決めるな。
ギルを連れて少し歩いたところにある本屋に向かう。住宅街を出ればサンタの帽子を取ると思っていた。けど一切取る様子もなく僕の隣を歩かれる。
「……それ取らないのか」
「え? これ? 取らないよ。帽子だもん」
ギルには羞恥心というものがないのだろうか。
少し眠たくてギルの隣で小さくあくびをする。それにギルは楽しそうに「眠たそうだね」と言っていた。
「夜更かし?」
「……まあそういうところだろうな」
「本読んでたの?」
「特に。なにもしていない」
「ふーん? 珍しいね」
ただ翌日、つまり今日発売される新刊が楽しみだったことと、その発売される考えたくもない嫌いな日のことでなにもできなかった。眠たくなかった。それだけ。
朝から体を起こしたと言っても、あそこの書店が開くのは十時半から。それに合わせて起床と身支度をした。けど、身支度をしたにも関わらず待っている間に眠気が襲ってきて、ソファーで仮眠を取って起きたのが十一時前だった。
いくら休日は昼まで寝たりして朝食を食べずにいれたとしても、朝から起きてなにも食べないのは少し腹がうるさくなる。途中でコンビニに寄らせてもらった。
外とは違って暖房の効いた店内にホッと一息ついたあと、おにぎりが売っている場所まで足を運んだ。ギルも隣にぴったり引っ付く。
いつもならすぐに決まる。けど今回は候補になってる梅、昆布、海老マヨがなくて、どれにしようかといつも以上に迷っていた。
「たまにはたらことかいいんじゃない?」
「……からい」
「えへへ、そう? たらこなられーくんでも食べれるからさしてると思うんだけどなー。ほら、それにたらこって海鮮じゃん? 食べれるよ」
「……鮭にするか」
「あはは」
鮭おにぎりを手に取ろうとしたとき、鼻から入ってくる。
「れーくん?」
ニオイのするほうへ顔を向けるとそこはレジ。そして客がおでんを頼んでいた。
「おでんかー。おでんってこの時期になると食べたくなるよね。俺もお腹空いてきたなー」
唾を飲んで喉を鳴らす。
「……昼はどうするんだ」
「んー? 俺がお昼までに帰ってきたらごはん出すって言ってたんだけど、俺今日はれーくんと過ごすつもりだからなんか買って食べようかなーって思ってるよ」
「……そうか」
おでん……。
「……一緒に食べないか」
そう言うとギルは嬉しそうに大きく頷いた。
なにも持たず、レジに向かっておでんを頼んでいく。
「こんにゃく……で、いいか」
「あと卵! 二つ!」
「……卵二つ追加でお願いします」
ここのコンビニにはイートインスペースがあった。ないと思って外で不安定に食べようかと思っていたが、あるなら使わせてもらう。
空いているカウンター席の二つに陣取って並んで座る。
「えへへ、れーくんとおでん食べれるのなんかいいな」
「そうか」
「だってもっとあったかくなれるでしょ!」
少し言っている意味がわからないが。
蓋を開けてギルに箸を渡す。
「んー、いいニオイ! 今度おでんパーティーしようよ!」
今おでんが目の前にあるのに。それでも僕の顔は縦に振る。
おでん本体が入った容器をギルの前に持っていって、僕は横から蓋を皿代わりにして食べる。初めギルは「れーくんの冷めちゃうよ」と言われたが、ギルが傍にいるから冷えないと言えば照れて納得した。
「おでん久しぶりに食べるなー。俺コンビニのおでんって初めて。ずっと憧れてたんだよねー」
僕は一度だけあった。警部とコンビニを寄ったときに。そのときもこうして食べていた気がする。
「すごく温まる」
「ね。れーくんがいるからもっとあったかくなる」
ギルがさっきそう言った理由、今なら少しだけわかる気がする。
僕の分は先に食べ終わった。おいしそうに食べ続けるギルのことを見る。上着が暖かそうで、食べるものも暖かそうで、少しだけ、ほんの少しだけ胸が痛くなる。冷たい。
その冷たさから逃れるように、ギルの肩に顔を埋めた。
「……あ、あのれーくんが……!」
「…………」
ギルは体の向きを変えて僕に腕を回す。
「どうしたのー? 暖かくなって甘えたくなった? いつでもしてくれていいんだからね?」
「……なんでもない」
「もーかわいいんだから」
優しく頭を撫でられる。
最近酷い。それを我慢できない。ずっと寂しさが僕を覆って、体を鈍くさせてくる。体を制御できない。
情けない。わかっていることなのに。
「よしよーし」
頭を上げて立ち上がる。
「あれ、もういいの?」
こんなこと、誰かに懇願するものじゃない。迷惑をかける。
「トイレに行く。……食べ終わったら容器捨てておいてくれ」
トイレに向かう、前に数口だけ汁を飲んだ。
あんなこと、しては駄目だ。迷惑をかける。
トイレの中まで暖房は効いていなかった。だからせっかくおでんで温まった体が出る頃には冷えていた。けど、ギルにあれ以上迷惑をかけずに済んだなら、どうだっていいと思える。
なんでこんなにも寂しさを覚えるのだろう。今までなかったのに。
トイレから戻ったら容器は捨てられていた。ギルがソワソワ僕の帰りを待っていた。僕が戻ってきたら嬉しそうに両手を広げて、
「……あれ? しないの?」
当たり前のようにさっきの続きを促してくる。
「……出るぞ」
その言葉に少しムッとしていた。
冷えた体で冷えた外に出るのは身震いをせざるを得ない。それを見たギルが抱きついてきた。
「やめろ……離れろ」
「あれ、ほんとに甘えなくなったじゃん。さっきのってもしかしてだけど俺が幻覚見てた?」
「……知るか」
横目で見たギルの顔には少し不満、というよりは心配するような表情があった。これ以上なにも言われないよう、歩き出した。ギルはその隣を付いてくる。
雨が降り出しそうな不安定な空模様のなか、僕らは目的地に向かう。行き交う人のなかに傘を持っている人がいた。
「今日、降るみたいだな」
「たぶんね。俺も一応鞄の中に折り畳み傘入れてるよ」
肩から提げているショルダーバッグをポンと叩く。僕はそんな気が利かない奴だから折り畳み傘なんて持っていない。エコバッグくらいしか持っていない。
僕が住む近くには古書店しかない。だからいつも歩いて二十五分ほどする、少し離れたところにある書店に行っている。もう少し奥に行けば隣町に入るくらいの場所にある、そんな書店に。
いつの間にかギルに手をつながれながら目的地の近くまで歩いて、書店が見えたらそこで別れた。ギルから「先に用事終わったらお店の前で待ってて。寒かったら中でもいいよ」と、店名を告げられずにそう言われた。お店とは果たして僕が入る書店なのか、ギルが入る店なのか。
本屋に入って漫画の売り場の横を通って小説が売られているエリアに向かう。新刊はだいたい目立つところに置かれている場合が多いから、通っていれば見つかるはず……なんだが、ない。一通り店内を見回ったが、ある感じがしない。べつに新刊が売られていないというわけではなく、ファンタジーものの新刊小説や、漫画の新刊は売られている。
となれば考えられるのは、ここの書店の入荷が遅いのか、単に僕が来る日を間違えたか。試しに確認してみれば、新刊は十二月二十五日、すなわち明日発売する。どうやら無駄に外に出てしまったらしい。
本を買うことが目的だったから、僕の用はもう済んだ。他に面白そうな本がないか見て回ったが、代わりに買おうと思うほど引かれる小説は見つけられなかった。
店を出て端による。ギルにどこで待てばいいのか電話をかけようとするが、なかなか出ず諦めた。そこらへんを散歩していようか。
このあたりはフォトスポットのような、広場のような、休憩するにはちょうどいい場所が散らばっていて、その一部の噴水の前に腰掛けた。が、噴水から出る水から冷気が伝わって、広場の端にあった柵に移動した。
下を覗き込めば、大きな樹木にライトが巡らされて光っている。そういえば今日はクリスマスイブだかなんだかだったな。
その樹木の他に道沿いにサンタ姿でケーキを売り込もうとする人、おもてにサンタの置物を置いてなにを売っているかわからない店、クリスマスカラーに装飾された外見の店など、いろいろあった。
そんなクリスマスというもので盛り上がる町から目を背けて、柵にもたれた。もたれて、顔を上げてみても、やはりクリスマスを匂わすものはそこら中にある。その場にしゃがみ込んで膝を抱える。
クリスマスとはそんなに嬉しいものなのだろうか。
「…………」
負の思考に落ちそうになったとき、スマホが振動した。ポケットから出してみれば、ケイからの電話みたいだ。応答を押して耳に当てる。
「もしもし」
「あ……その、なにが欲しい……?」
なにが欲しい?
「なにが」
「……え、その、プレゼント、クリスマスプレゼント。なにが欲しい?」
クリスマスプレゼント……。
「……いらない」
「……そっか。……ならいいよ。急にごめんな。じゃ」
切れる。あれだけのために電話だなんてな。
ケイを悲しませてしまっただろうか。けど、友人からのクリスマスプレゼントなんて……サンタという奴からもらうのとは少し違う。
少し気分の落ち込みを感じていれば、また電話が振動しだした。今度はギルからだ。
「もしもし」
『もう用事済んだ?』
「まあ」
『じゃあ、ちょっと来て。ショッピングモールの三階にいるから』
「……わかった」
ショッピングモールはここから少ししたところにある。書店の裏手側。……書店に滞在していればよかった。
歩き出そうとしたとき、頬に冷たい水を感じた。噴水の水が跳んできたのかと思ったが違った。次第に肌に触れる量は多くなった。雨が降ってきたらしい。フードを被る。フードのある服でよかった。
寒さを覚えながら、あの時の記憶を思いだしながら、ショッピングモールに向かった。
ショッピングモールの扉が開いて中に入ったあと、その暖かさに一息つく。雨の降り出した外とは違って暖かく、
「くしゅっ……」
それでもズボンが濡れていて寒くてくしゃみをする。鼻から垂れそうになった鼻水をすする。ギルのところへ行こう。
三階には服屋二件、雑貨屋、百円ショップ、ゲームセンター、フードコート、その他がある。ギルが行きそうなところと言えば服屋、ゲームセンターだが、どうだろうか。今日はクリスマスイブだからヘンなものを買いに来ているかもしれない。
だから雑貨屋に行ってみようと思ったが、無駄な移動は避けたい。電話で聞くことにした。今度はすぐに出てくれて、どうやら服屋に行っているらしい。今度は忘れず二件あることを言えば、エレベーターから遠いほうと言われた。
服屋に着いた。が、おもてから見た感じいるような感じはしない。中に入って一瞬子供エリアに目を移すが、メンズエリアに入って捜した。いくらギルの背が低くても子供服は着ないか。ファッションセンスのあるギルなら特に。
ときどきこの服いいな、とか思いながら捜していればギルを見つけた。服を体に当てている。そんな後ろ姿に近寄って、
「ギル」
「わっ! ……びっくりした……」
ギルの持っていた服はギルにたいそう似合っていた。それを口にする。
「えへへ、そう? ちょっとお高いから買うか迷ってるんだけどね」
「一、二着なら出してやる」
「んー、でもそれは駄目だよ。れーくんはれーくんのために使わないと。俺はお父さんたちからお小遣いもらえるんだし」
こういうとき、本当に遠慮する。
「今しかないものだろそういうものは」
「確かにそうかもだけどだーめ。れーくんが俺のために出す必要ないの。俺が欲しいの我慢したらいいんだし」
我慢したらいい……か。
「……他に買いたい服はないのか」
「今見た中ではね。お小遣いべつのに使おうと思ってるし」
べつに、サプライズなんて誇りを持つようなことをしたいわけじゃない。
「サイズは合っているのか」
「うん、合ってるけどなんで?」
「買いに行くぞ」
「えっ、ちょっと」
ギルの腕を掴んで無理やりにレジに行った。そしてレジまで行けばギルは抵抗することなく僕の隣でじっとしていた。
そして袋をギルが持つよう言う。素直に持ったが不満そうだった。それでも腕を引いて店まで出る。
「なんで出してくれたの」
「それが欲しかったんだろ」
「そうだけど……。自分のならいいけど、俺のに出すのは違うじゃん」
「……子供は子供でいないといけない」
「え?」
僕の押し付けなのかもしれないが。
「子供なら子供らしく欲しいものを欲しいと言って、それを我慢する必要はない。子供は不必要な我慢を覚えなくていい。そんな歳なんだ」
「なられーくんもそんな歳、子供じゃん。むしろ俺より誕生日遅いじゃん。俺と変わんないじゃん」
「……変わらないが、僕はもう、子供なんかじゃない」
「じゃあ俺も」
「ギルは子供。ケイや下条も、子供だ」
理解ができていなさそうに首を傾げる。僕はもう子供なんかじゃない。
これ以上反論するのも疲れる。早く話を逸らそう。
「買いに来たのは服だけか」
「……ううん。みんなの分のクリスマスプレゼント、買っていこうかなって思って」
クリスマスプレゼント……。聞きたくない。
「れーくんはなにがいい?」
ケイもなにか寄こすようなことを言っていた。
「要らない」
「要らないことないよ。んー、れーくんなにがいいかなー」
そう言って歩き出す。後ろを付いていく。
着いたのはフロアマップの前。
「……ケイたちにも買うのか」
「プレゼント? 買うよ。ほんとはクリスマスパーティーみたいなのしたいなって思ってたんだけど聞くの忘れちゃったし、真也くんとか空いてないかなって思って。集まれそうなら出遅れパーティーしたいなって思ってるけど」
なぜ下条が。
ギルがケイたちにプレゼント……贈り物をやる発想があるなら、他の人も同じ考えで渡される可能性がある。それにパーティーなんて確定で渡しそうなことを今後する可能性があるなら余計に。
「……僕も買ってくる」
「クリスマスプレゼント?」
「ああ。ギルは聞いておく。なにがいい」
「あはは、なんでもいいよ。れーくんからもらったならなんでも。れーくんも買ってくるなら、それぞれで買ったほうがいいよね。じゃあー、一時半くらいに一階のエレベーターのところに集合しよ。もし無理そうなら言って。全然待つし、俺が無理だったら待ってもらうことになるから」
他人からのクリスマスプレゼントなんて、喜ぶのだろうか。
そうして別れ、一時半頃。
手を店の袋でいっぱいにしてギルを待っていた。エレベーターがある広い場所に置いてあった椅子に座っている。ギルはまだ来ていない。
今のうちに贈り物をまとめておこうか。そのために入れる袋もそれぞれ買ったんだ。あまり広げすぎないようにまとめ始める。
ギルにはヘアクリップ、小さな飾りの付いたネックレスを買った。ネックレスはさっき買ったあの服にきっと似合うと思って。そういえばもう少しマシな帽子を被れと、薄灰色のつば付きニット帽も買った。いくらクリスマスとは言え、サンタ帽で歩き回るのはやめたほうがいいと、僕は思う。
下条にはイヤリングと日焼け止め、サンタの衣装を買った。正直に言えば、適当に買ったかもしれない。ただ、イヤリングは最近ハマっているとか聞いたから、それはきちんと似合いそうなのを選んだ。日焼け止めは、夏に酷く日焼けをしていたから、肌を大事にするんだという意味で。
総務には普段頑張りすぎていることから、ホットアイマスク、アロマキャンドル。頑張りすぎているといっても、勉強熱心なのは知っていたからシャーペンと消しゴムも二セット買った。アロマキャンドルはあまりニオイがキツくないものを選んだ。僕はいい香りと思ったものが、総務にとってはもしかしたら苦手かもしれないから、あまり嫌う人がいないニオイを店員に聞いて選んだ。
一番悩んだのはケイだ。それで買いに行くのも遅くなった。ケイはなにが好きなのかがあまりわかっていない。僕と同じ推理小説が好きなのは知っているが、それ以外はほとんどなにも知らない。
そんななかで選んだのがケイに似合いそうな指輪、それとホットアイマスクとアロマオイル。後ろ二つはケイの睡眠を思って。目を癒すのにいいホットアイマスクとニオイから癒しを与えるアロマオイル。
キャンドルだとケイの場合、火をつけて消さずに寝てしまうかもしれないからオイルにした。確かに炎を見るだけでもある程度癒されるみたいだが、オイルにした。贈り物で家を全焼されては困る。
柊が贈り物を受け取るのかわからないが、一応買っておいた。受け取ってくれなくとも無理やりに渡すが。渡せず僕の家にあってもホコリが被るだけだ。動物好きというのは知っていたから動物の形をしたビスケット、なんて残酷なものは選ばず、手のひらサイズのパンダと、僕がギルから貰った猫のぬいぐるみと同じくらいの大きさのキリンのぬいぐるみを買った。
荷物もまとめ終わってたから集合時間から十分ほど経てばギルがやってきた。複数の店の袋を腕に下げて。
「お待たせー。れーくんになにあげようか迷っちゃった。服でもいいかなーって思ったけど、俺は自分で選んで買いたい派だから、れーくんもそうかなーって思って」
衣服として成り立つのなら僕は贈り物でも着るつもりだが。相当着ていて恥ずかしいものでなければ。
「れーくんは俺になに買ってくれたの?」
「教えない。お楽しみのほうが面白いだろ。……正直、ギルが喜ぶものなのか不安だ」
「大丈夫だよ! 俺はれーくんからもらったのならなんでも喜ぶから! あはは」
それならいいんだが……。
「じゃあ帰ろ。れーくんの家に」
やっぱり止まる気なんだな。
ショッピングモールを出て僕の家に向かおうとした矢先、雨が降ってきた。ついさっきまでは止んでいたのに……。
当然、僕は折り畳み傘などを持っていなかったからギルに入れてもらうことになる。いや、僕はフードがあるからいいと言ったのにギルがそれを聞かなかっただけで、僕はべつに折り畳み傘の下に行く必要はないと思っていた。
そして折り畳み傘はあまり大きいものじゃない場合が多く、これもその一つだった。
「れーくんもっとこっち寄って」
「寄ればギルが濡れるだろ」
ギルが傘の下に収まるように肩を引く。折り畳み傘を持ってきたのはギルなのに僕が悠々と入るわけないだろ。
贈り物だけ雨で濡れないように傘の下に入れさせてもらっていたが、ギルはそれに紛れて僕を傘の下に入れようとしてきたから、ギルの腕を引く。なによりもギルに風邪をひかれたら困る。
雨に肩や頭が濡れて酷く寒く思いながらも道を歩いていたとき、
「…………」
道路にできていた水たまりを車が盛大にひいて、舞い上がった水が僕のズボンやブーツにぶっ掛かってビシャビシャになった。そしてもっと寒くなって体が震えずにはいられない。
靴に水が染み込んでくる、なんてことは何度も味わったことがある。けど今度のはなんだ、直接中に入り込んできているじゃないか。底に水が溜まっている気がする……。今すぐ脱ぎたい。
寒さで凍え死ぬ思いをしていたら、
「……蓮、にギルくん」
ケイが現れた。片手に傘を、体には口元まで隠したマフラーや分厚そうなコートといったものすごく暖かそうな姿で現れた。
「あ、敬助くん。奇遇だね。メリークリスマス。お菓子ちょーだい」
だから今日はハロウィンか。それに今この状況で言うか。
「はは、あとであげるな。というかすごく寒そうだし窮屈そうだけど」
「……くしゅっ……寒い。すごく」
「こっち入る?」
ケイの傘はギルのより大きい。それに折り畳み傘じゃない。体を震わせながらケイの傘に入った。ついでかのようにケイの上着で包むように中に入れてくれた。入れてくれて、それに応えるように顔を埋める。温かい……。
「ほんとに寒そうだな。すごい体震えてる」
鼻水がダラダラと垂れてきて今すぐ鼻を拭いたい。ケイの服に付かないようにはしているが付いていたら悪い。
「今から帰るとこ?」
「うん。敬助くんたちにあげるクリスマスプレゼント買えたし」
「……なら、俺の家来る? ギルくんたちの家より近いし、蓮が今にでも凍え死にそうな感じするし」
「あはは。ごめんね。ありがと」
「あ、たぶんまだ垣谷と下条もいるけどいい?」
総務と下条。……なんでケイの家に。
「べつにいいけど、なんで敬助くんの家に?」
「ギルくんたちが来たほうに用があって、行ってる途中に会って下条が家上がりたいとか言うから。今は母さんたちいないからいいかなって思って。で、また行ってる途中にギルくんたちに会ったっていう感じ」
「な、なら先にケイの用事……済ませたほうがいいんじゃないか……」
顔を上げて言うが寒すぎて呂律が回らない。
「またここ来ることになるんだろ……」
「まあ。けど、時間空けたら雨も止むみたいだからそのときに出直すさ。なにより先に蓮の体温めたほうがよさそうだし」
そんな言葉に甘えてケイの家に向かった。ケイの家、初めて行く。
「ほんとに大丈夫か?」
赤信号で足止めを食らっていたとき、しゃがんで胸を抱え込んでガクガクと体を震わせていたらそう言われる。
「れーくん鼻真っ赤」
……寒い……。
何度か身震いと鼻水の不快感を覚えていたら、ケイの家に着いていた。玄関で靴下を脱いでどこかへ行ったケイが戻ってきて、バスタオルが渡された。そしてギルはリビングに通したのに、僕には風呂場に通された。
「着替えここに置いとくからこれ使えよ。あとシャワーだけじゃなくて湯船も張ったから入っていいからな」
扉越しにケイが言う。と、洗面所の扉が閉められたらしく、扉の奥が洗面所の照明に使われている暖色で埋まる。
「くぢゅっ……」
くしゃみと一緒に鼻水が出てきた……。鼻……かみたい。
鼻水で鼻息では空気の通りが悪く、口呼吸になってしまう。口が乾燥するから嫌なんだが。
鏡に映る腹の傷跡。何度見ても思いだしてしまう。もう痛みはないからいいんだが。
体を綺麗にしてから湯船にちゃぽんと入った。入浴剤が入っているらしく白濁でいい香りがする。湯船なんて久しぶりだ。しかも入浴剤入り。
温かい……。気持ちよくて溶けそう……。寝てしまいたい……。
仮眠でもしようかと思って目を閉じてしまえば、鼻に水が入り込んできてパッと顔を上げた。当たり前だ、こんなところで寝ようなんて馬鹿のすることだ。腹を刺されたことを思いだすのも当たり前だ。
あと数分だけ肩まで浸かって風呂から上がった。ずいぶんと温まれた。ものすごく気持ちよかった。
洗面所は風呂場と違って寒く、タオルを取ったら風呂場で拭いた。着替えもほとんど風呂場で済ませて暖を逃さないようにする。せっかく贅沢に湯船なんてもので温まったんだ。それを逃してどうする。
ズボンは裾が濡れそうだったから風呂場の外に出て着る。
「…………」
背も高ければ腰回りも大きくなるんだろうな。上の服を着ていたときから思っていたが、やはりズボンも少し大きい。服の袖は手のひらを覆い隠し、ズボンに関してはベルトがないからそのうちずり落ちてそうだ。
そういえば僕の服はどこにやったんだケイ、と思うがすぐ横でドカドカうるさくしている洗濯機がある。もしかせずともこの中にあるんだろうな。干してもらえていればそれでよかったんだが。
僕のスマホは服と一緒に置かれていてそれは忘れずに持つ。
洗面所を出てみるが誰の姿もない。電気はつけられているが物静か。強いて言うなら階段から声が聞こえてくる。ギルたちは二階のケイの部屋にでもいる、か。
階段で上がろうとすれば、この家の子供の幼い頃のであろう作品がいろいろ飾ってあった。ケイとその妹の心美の作品。
粘土の作品だ。「おかしのおうち かげしまここみ」。その隣に「しわあせなおうち かげしまけいすけ」。しわあせ……。あのケイがこんな間違いをするなんて思えなくて失笑する。正しくは「しあわせ」なんだろう。かわいらしい。
今度は壁に直接貼られた笹に短冊がある。これは家で作ったものなんだろう。ケイの短冊は「いつまでもかぞくとなかよくたのしくすごせますように」。
家族と……。今からこの短冊の願いを叶えられては残酷が過ぎるだろうな。でもこれを作ったという思い出もあるから捨てられないんだろう。
心美の願い事は、「かぞくがいつまでもしあわせでわらってくれますように。あとおにいちゃんがいつも」……ここで途切れている。裏面か。めくってみれば続きがあった。「ここみをしんぱいしてうるさいから、あんまりしんぱいしませんように。でもこれからもいっしょにあそべますように」。
ケイのことだからこれを書かれてからはあまり心配しないようにと心がけたものの、やはり心配してしまっていたんだろう。
心美の遺書代わりになるものの願いだ。影島家は心美が亡くなっていつまでも悲しみを帯びては心美が喜ばないと、忘れない程度に悲しまない程度に心にしまっているんだろう。ケイがあそこまで笑顔を見せているのがその証拠だ。
僕が幼稚園の頃に書かされた短冊、なにを書いただろうか。どうせくだらないことしか書いていないんだろうが。例えば……居場所が欲しいとか、助けてほしいだとか。……いや違うな。あの頃の僕がそんなことを書くはずがない。きっと、
『きえたい』
こう書いていた。こう書いた気がしてならない。
それで僕の願望をないことにした大人に新しく子供らしいことを書かされる。記憶は思いだせないが、きっとそんなことがあったはずだ。もちろん短冊を持って帰って来ただろうが、それも破り捨てたか破り捨てられたか。
結局は同じなんだ。願っても願わなくとも。神が作ったそういう道を僕は歩くだけ。
二人の作品を微笑ましく見ていたら、ケイから声がかかって、見れば二階から顔を覗かせていた。
「……ばっ、そ、そんなの見てたのか……? 遅いと思ったら……」
「幼い頃の他人の作品を見るのはなかなかに面白い。ケイもどうだ」
「俺は散々見飽きた。というかいつまでも見んな」
手を引かれてしまう。
ケイの頬が赤く見えるのは、心美が描いたケイの頬が桃色に染められていたからだろうか。少なくとも僕は口に笑みを帯びている。
部屋に入ればギルの他に下条や総務もいた。下条はベッドに寝転んで漫画を読んでおり、一度こちらに視線を向けられると読むのに戻った。
総務はきっとケイに勉強を教えていたのだろう。誰もいないところへ向けられている教科書が置かれる傍でこたつに入っていた。
ギルも同じくこたつに入って寝転んで、漫画を読んでいる。
「……あ、れーくんこたつ! こたつだよ!」
僕に気づいたギルが手を引いて自分がいた隣に座らせてこたつの布団を被せてくる。
僕の家にもギルの家にもこたつがないからこたつの温かさに感心しているのだろう。
実際こたつはものすごく温かくて、いつの間にかカタツムリのように顔だけしか出していなかった。
「これはケイの部屋のこたつなのか」
「いや? 一階から持ってきた。初めは暖房でいいかなって思ったんだけど、一階で下条が使い始めたから部屋に持って上がったんだ」
その下条は今ベッドに寝転んで布団に包まっていると。
「あはは、れーくんならそうすると思ってた。あったかいでしょ、俺のじゃないけど」
ギルのではないが温かい。僕の家にもこたつを置こうかと思ってしまうほど。
今までルームウェアを着て布団に包まっていればなんとかしのいでいた。勉強するときも体に掛け布団を巻いて腕だけ出す、そんなことをしていた。
けどこたつがあれば重苦しい掛け布団覆いながら勉強する必要もなくなるんだよな。……買いたい。
体勢があまり気に入らずモゾモゾとしていれば、
「いっ……」
なにかに当たって足に痛みが走った。机の脚に飛び出した釘でもあったのだろうか。そう思っていたが、
「あはは、シャルちゃん蹴っちゃったんじゃない?」
シャル?
ギルが頭と足を逆にしてこたつにもぐり、出てきたかと思えば毛を、白銀の毛を輝かせて、目を水色にした猫、ラグドールがいた。
「……ねこ?」
「敬助くんの家で飼ってるシャルちゃんだよ。あ……全然撫でさせてくれないんだけどね。あはは」
ギルの腕から机に飛び乗ったかと思えばケイの腕に収まる。
「猫飼ってたのか」
「まあ。いつもは父さんの部屋にいるけど、部屋抜けて廊下にいたから連れてきた」
布団から這い出てケイの傍に座る。かわいい……。撫でようと手を伸ばすが、シャーッと威嚇されてしまう。
「ははっ、シャルは懐く人少ないからな。俺は触らせてくれるけど、母さんは触らせてくれない。だから母さんはあんまりシャルのこと好きじゃないみたい」
「俺もなんか飼いたいなー。猫ちゃんでもワンちゃんでも、うさぎさんでもインコちゃんでも」
ギルの家、動物園化。と言っても前父親に駄目だと言われていたから無理だろうな。
それにしても本当にあの部屋のこと憶えていないのだろうか。無理に思いだすようなことはしてほしくないからなにも言わないが。
「僕のお兄ちゃんが亀飼ってるよ」
「亀! いいなー。写真ある? 大きいの?」
「ちょっと待っててね」
もう一度ケイの腕に収まってるシャルを撫でようとすれば触らせてくれた。ふわふわだ……。かわいい……。撫でる場所を頭に近づけていって頭を撫でようとすれば、またしても威嚇されてしまう。
「シャルーあんまり威嚇するな」
ケイが頭を撫でても威嚇しない。いいな……。
「この写真だよ。たるくん」
「かわいいー! すごく小さいんだね! 動物園にいるおっきい亀さんは怖いなーって思ってたけど、この大きさなら全然怖くない! いつか総務さんの家も行きたいなー」
「……いつかね」
亀はかわいいに分類されるものなのかと思ったが、覗き見した写真に写る亀は確かに愛おしさを覚える亀だった。
大小比較としてかいたずらかで誰かの人差し指と中指が見えるが、本当にその手のひらより少し小さいくらいの大きさだ。
「でも亀さんってなに食べるの?」
「亀にも肉食とか草食みたいなのがあって、この子はキャベツとかコマツナとかの野菜系を食べるよ。一回あげたことがあるんだけど、キャベツ好きみたいで食いつきがすごかったよ」
「えへへかわいい。俺もいつかあげてみたいな」
総務は今兄のところに住んでいるから、もしギルや誰かを上げるとするならその事情を話す必要があるだろうから、少し難しそうだ。
「シャルのおもちゃ持って来る」
シャルを床に置いて部屋を出ていった。シャルが逃げないようにか扉も閉めて。
シャルを撫でようと手を近づけたら、ニオイを嗅ぐように鼻を近づける。それに応えて動かさないでいた。鼻を遠ざけられたらゆっくり触れて撫でる。頭を撫でても威嚇されない。
撫でられて嬉しいのか心地よさそうに目を瞑る。
「…………」
……かわいい……。
「あ、れーくんがシャルちゃんの頭触ってる! すごい! いいな! 今なら俺も撫でられるかな」
総務と僕の後ろを通ってシャルの隣に伏せる。一旦撫でるのをやめるが、どうやらギルには触らせてくれないらしい。ギルの頭に乗ってしまう。
「わっ」
さっきギルは撫でるというよりも腕に抱えていた。そして今も頭に乗っている。もしかしたらシャルはギルのことを運んでくれるなにかだと思ってはいないか。
「あ、シャル。そんなところ乗るな」
戻ってきたケイがシャルを床に降ろす。撫でさせてくれなかったことへかギルはしゅんと落ち込んでいた。
「ギル、おもちゃで遊んだら懐いてくれるんじゃないか」
「おもちゃって言っても、遊んでくれるかな……」
「くしゅっ……悪い」
ずずっと鼻水を吸う。
僕がくしゃみをしたことでシャルがびっくりしてこたつの下に入り込んでしまった。ギルからはムッとされる。
今度は僕がこたつにもぐってシャルを連れ出した。ギルは連れ出したシャルに向けて釣り竿の先にネズミのぬいぐるみが付くおもちゃを垂らす。そしたらそれを捕まえようと僕の腕から飛んでいってしまった。
「すごい! 遊んでくれる!」
「シャルは猫の中でも比較的遊んでくれるほうではあるから、おもちゃを自分で持ってくるときもあるんだ」
自分から遊び道具を持っていく……か。猫のほうが優秀だな。
「れーくんも!」
ギルが持つおもちゃを渡そうとしてくるが、
「僕には遊ばない。きっと自分でもっと楽しい遊び方を覚える」
「え? ……そう?」
視界に入った二人から不思議そうな顔をされるがそっぽを向いて知らないフリをする。
「蓮ってたまにヘンなこと言うよなー」
僕らの会話を漫画を読みながら聞いていたらしい下条が、ちらりと視線を送って言う。
「普段生活してる中でも自分のしたいこと抑えてる感じするし。もっと自分のしたいことしてもいいんじゃねーの?」
その言葉に反論しようと口を開けるも、先を越される。
「蓮は実琴とちょっと似てるけど、ちょっと違う。実琴はまだ自我っていうか子供らしさあるけど、蓮は全くそんな感じしない。俺らを離れたところで見て一緒に楽しんでる感じしねー。同じ立場にいないみたいに」
開いていた漫画を閉じて視線が送られる。
「大人すぎ」
「…………」
それを言って満足したのか、立ち上がってギルの近くにあったシャルのおもちゃを手にとり、シャルと遊び始める。
べつに、これが素だ。わざと子供らしさをなくしているわけでも、わざと大人らしくしているわけでもない。昔を知っているギルやケイならわかってくれるはず。
「あはは。確かにれーくんは大人しくてクールだよ。……でも確かにもっとわーいって遊んでほしい気がする……。べ、べつにそのままのれーくんでも俺は全然いいし、好きだからね」
ギルが「わーいって遊んでほしい」のかシャルのおもちゃを僕の目の前に垂らして揺らす。
「うん、そうだよ。大人びてる分新藤くんは冷静な判断とか対処ができるから、すごく助けられてるよ」
複数回も総務を助けた憶えはないんだが。
下条の言われた言葉が頭に残って離れず、少し気分を晴らそうと外に出ようと立ち上がるが、部屋にケイの姿がない。
「ケイ知らないか」
「あぁ、影島くんなら出かけたよ」
「……そうか」
客を招いてるのに外に出るな。
部屋を出てケイたちの作品を見て外に出る。雨は止んでいて、青い空が見える。この時間から出ていればケイに服を借りることがなかったのだろうと、シャルの毛が付いた服を見て思う。
猫を飼ってる人の服がいつも猫の毛で覆われているイメージがあったんだが、本当にあれだけで毛が付くんだな。
「くしゅっ」
今日はやけにくしゃみをする。熱を帯びている感じはしないんだが。鼻も詰まり気味で少し呼吸がしづらい。
上着を着ずに外に出たものだから動いていなかったら寒くなってくる。動いても寒いだろうが。少し外の空気を吸ったら部屋に戻った。
戻っても景色は変わらず、ギルと下条がシャルと遊んでその様子を総務が見守る。
空いたベッドに腰掛ければ、ケイのベッドの弾力の凄さに驚く。修学旅行のときのベッドと同じくらいだ。さぞかしケイの両親はケイに尽くしているんだろう。少しでも気持ちよく眠ってもらえるように。
こたつを買うついでにベッドも替えようか? いや、やめよう。いくらするかわからない。
そういえば、僕が買った贈り物はどこにやった? ……風呂に連れられたときにケイに預けたんだったな。部屋を見渡してみれば、ケイの勉強机にギルのと一緒に置かれているみたいだった。他に、僕とギル以外にもあるみたいだが、あれは下条や総務のだろうか。
ケイが帰ってくるまでは暇になりそうだな。新刊を買って帰るつもりだったから小説も持ってきていないし、話し相手をしてくれる人もいなさそうだ。なにも話すことなんてないが。
暇でなんとなくケイのベッドの全体を見渡す。
ベッドがふかふかなほかに枕もふかふかで少し低めだ。僕はもう少し高さが欲しい。
枕元には少しの台のようなところがありコンセントが挿せるみたいだ。スマホの充電器が刺さっている。あとは箱ティッシュとくしゃっとされたティッシュが何個か。それと傷みやすい置き方で置かれている本。
傷みやすい置き方とは、ページを開いたまま置いて、手に取ったとき跡が残っているような置き方。あまり好ましい置き方ではないから、傍にあったシャーペンを挟んでしおり代わりにした。今度言っておこう。僕がやめてほしい。
もう一冊ベッドに置かれている本があって、それは下条がさっき読んでいた漫画だ。表紙を見るからに少年漫画で、僕には不向きなジャンルだ。それでも少し気になって適当に開いてみれば女性の入浴シーンが目に入ったからすぐに閉じた。少年漫画はそういうシーンもあるのか。
ケイのベッドに見飽きた僕は寒さしのぎにこたつに入り込んだ。初めてこたつに入ったときのように、カタツムリのようになって。
暖かくて眠気を覚えていたら、すぐ上の机から振動音が聞こえた。着信音などは聞こえず鳴り続けている。
「……これ誰の?」
なかなか誰も出ないからか、総務の声が聞こえる。そういえば僕のスマホはどこにやったんだか。
「これれーくんのじゃない?」
視界の上から手帳型のスマホカバーが開かれた状態でスマホが下りてきて画面を見せられる。画面には「ケイ」とある。
「…………」
この中で「ケイ」と誰かを呼ぶのは僕しかいない。手に取って耳に当てた。
「……もしもし」
『あ、すごく悪いんだけど、たこ焼きに使う材料が家にあるか見てほしいんだ。さっき母さんから電話があって、家に蓮たちがいるって言えばたこ焼きにしようとか言い出して。それで今外出てるって言えば足りないもの買い足してって無茶なこと言って』
「……わかった。遠慮なくあさらせてもらうがいいか」
『全然いいさ。ただ、もとの位置にだけ戻しておいて。いつもの場所にないと母さん怒るから』
「……努力はする」
『頼む。ほんとごめんな』
家に勝手にお邪魔しているならこれくらいしないとバチが当たるというものだろう。
電話が切れたあと、下条からジャケットを貸してもらい肩に掛けて、一階に下りた。二階は人がいたり電子機器が動いているとかで少し暖かいが、一階は誰もいなければ暖房もついていない。パーカーだけでは少し寒い。
台所に行ってあるであろう卵二パックを見つける。水はどうするのかわからないが、水道水はある。
そして問題は小麦粉だ。ケイはたこ焼きの生地の作り方を知らないから小麦粉の置いてある場所を言わず、遠慮なくあさってもいいと言ったんだろう。知っていれば教えてくれただろうし、あさらなくてもいいと言ったはずだ。
僕の家では冷蔵庫で保存しているが、この前常温で保存している家もあることを知った。調べたところ、常温でも冷蔵でもいいみたいだが、冷蔵庫で保存する場合は結露しないようにする必要があるみたいだ。常温保存では高温多湿な場所を避ける。最近の夏は尋常に暑い日が続くから常温での保存は避けたほうがいい気がするが。
ケイの家ではどこに保存しているだろうか。
まずは僕の家でも保存している冷蔵庫を探ってみる。家では右側のポケットにクリップで留めて置いているんだが……。そのポケットにも他の場所にもないみたいだ。
なら、常温保存しているのかもしれないが、場所をどこにするかだ。僕の家なら収納扉に入れるがケイの家にそんなものはない。高温多湿を避けるとすればシンク下の引き出しなどに密封して収納したいものだが……。
そこにもなく、台所の付近をいろいろ探ってみたが、見つかる気配がない。もしかしたらちょうど切らしているのかもしれない。まあいい。それを買い足しに行くのがケイの役目だ。
ズボンのポケットに手を当てるが、スマホは部屋に置いてきたらしい。
部屋に戻ればシャルとは誰も遊んでおらず、ギルと総務はケイの教科書を使って勉強、下条は再びベッドで漫画を読んでいた。
ケイに電話をかける。
『もしもし。ほんとごめんな』
「構わない。小麦粉がないみたいだ。たこ焼き粉でもいいがそれもないみたいだった。一応、卵が二パック、普段から飲料水を買っているのかは知らないがそれもない。僕もたこ焼きは作ったことがないから、それで足りるのかは母親に聞いてくれ」
『ほんとにありがとうな。今日は俺の家で食べれる人とタコパするみたいだから、たくさん食べていけよ。なんなら泊まっていくか?』
「……ケイが食べることを望むのならご馳走させてもらうが、泊まるかは考える」
『そっか。あとクリスマスケーキも買っていくから……今晩家で食べれる人今聞いてくれないか?』
「少し待っててくれ」
ケイとの会話を一度区切り、部屋にいる三人に向けて言う。
「今晩たこ焼きパーティーをするみたいなんだが、ケイの家で食べていく人は誰がいる」
ほんの少しの沈黙があったあとギルから、
「タコパするの! うーん、どうしよちょっと俺聞いてみる。あ、せっかくだから実琴くんも来れないか聞いてみるね」
スマホを片手に部屋から出ていった。タコパってたこ焼きパーティーの略だったんだな……。
「僕は……食べさせてもらおうかな。今日は遅いって言ってたし」
遅いのは兄が帰ることがだろう。友人とクリスマスパーティーでも開いて、朝まで飲み明かしてでもいるんじゃないか。
「俺はいけるぞー。クリスマスって言っても豪華な飯もケーキも食べないから敬助の家で食べたほうがクリスマス気分味わえそう」
僕も同じだ。そうは言ってもギルから毎年ケーキを食べようと誘っては食べていた気がする。豪華な食事をご馳走させてもらって。……悪いな下条。
「れーくんいいって! 食べてきていいって! お父さんたちはお父さんたちで楽しむって! それでまたお礼しにいくって! 実琴くんは行けないってー、一緒にタコパしたかったなー」
あまり重要ではない話もあった気がするが聞き流そう。
ケイとの会話に戻って、これらを伝える。
「報告以上」
「わかった。いろいろありがとうな。今晩はほんとに遠慮なく食べていけよ」
「気が向いたらな。気をつけて帰れよ」
「ああ。じゃ」
ケイとの会話を終えたらスマホを机の上に置いて、腕もこたつにしまう。
「ってことになるんだよ。どう? わかりそう?」
「うーん、なんとなく……。これとこれが一緒になったらこれになるって感じ?」
「少し違うけど、これと同じような問題がでたらそう考えてもいいかな。でもその考えに当てはまらないものもあるから、これ勉強するとき解説動画見てみて。僕もここちょっと苦手で、説明がうまくできない」
ギルと総務は人の教科書を使ってなにを勉強しているのだろうか。まあ、きっと発端はギルが開かれている教科書のページを見て、ナニコレワカンナイーアハハハーなんて言っていたら、総務に目をつけられて勉強する羽目になったんだろう。一度そういう場面に出くわしているところを見たことがある。
けど、ギルは教わるとなればきちんと話を聞いて理解しようとしてくれるから、やりがいがあるというものだ。
「じゃあこの問題は? 解いてみて」
僕も休み明けのテストに向けて勉強をしないとだが、休み初日くらい許してくれ。いつも二、三時間はやっているんだ。今日くらいは脳を休まさせてくれ。
体が温まって眠気に任せて寝ようと目を瞑れば、正面から猫の鳴く声が聞こえる。目を開けると遊び相手のいなくなったシャルがいた。釣り竿の先に付いたネズミのおもちゃを咥えている。
「…………」
綺麗な水色をした瞳に見つめられ、遊ばざるを得なかった。それでも寒いから片腕を出すだけにさせてもらう。
持ち手を持ってシャルの前にネズミを垂らすだけで、自分で遊んでくれる。動かさずとも、シャルがパンチする反動でネズミが動いて、それを再びシャルがパンチをしてを繰り返している。僕は持ち手を持つだけでいいらしい。天井から吊り下げていればよさそうなものだが。
ネズミを吊り下げているだけでいいとわかれば、あくびをして目を瞑る。持っておいてやるから寝させてくれ……。
寝ようとしたのに、目を瞑っていればそれを起こすようにシャルのパンチが頭に食らって、しかも髪の毛に爪が引っかかったらしい。そのままでも自然と取れていそうだが、取れなかった場合と引っかかったまま引っ張られる場合を考えて取ることにした。そしてそのとき、
「…………」
思わず髪の毛から開放できたシャルの手を握ったまま止まった。このふにふにした触感は……もしかして。
握るものを見れば、僕の親指にはシャルの肉球に触れていた。かわいらしいピンク色で、ふにふにとした触感が癒しを与える。これをどういった言葉で言い表したらいいのだろうか。とにかく、かわいくてかわいい。ずっと触ってしまう。
こうして触っても怒られないくらいには僕という存在に慣れてくれただろうか。
そろそろ嫌みたいだから離せば、腕を出していた隙間からこたつに入ってしまった。今度は引っかかれないようにこたつの中を覗いて頭を撫でる。手を体の下に敷いて目を瞑って座っている。かわいい……。撫でても怒られる様子がなく、そっと撫で続けた。
「――そんなところで寝てたら風引くぞー」
こたつの布団がめくられて眩しくなる。
どうやら寝てしまっていたらしい。ケイが帰ってくるくらいまで。
こたつは入ったときよりも低温になっていた。それでも汗をかくくらいには熱かったらしい。
こたつから這い出て座り込む。目や手が痒くてこする。
「たこ焼きは六時前から準備するって……どうしたその首……」
ケイに触れられて痒みを感じる。
「目も充血してるし……」
「それは寝起きだかっ」
軽い咳をしてしまう。風邪でもひいてしまっただろうか。
シャルが机の上から顔を覗かせてこたつの掛け布団越しに足に乗る。そんなシャルを撫でた。くしゃみをしそうになって横に顔を向けてする。シャルに思いっきり掛けるわけにはいかない。
「……も、もしかして蓮、猫アレルギーなんじゃないか!」
撫でていたシャルをケイに取られてしまった。
「……さあ」
「さあって……。けど、その目の充血に手と首の赤みに咳、鼻水とか息苦しさもあるんじゃないか?」
……言われたらある気がする。が、言ってしまえばシャルを撫でさせてくれなくなってしまう。
「……ない」
「本当は」
「……少しだけある」
「はあ。意地はらず」
「けど少し」
「少しでも駄目だ。保健で習っただろ。アレルギーを放置したら最悪死ぬって」
習ったが……少しくらいいいじゃないか……。
シャルを撫でようとしても撫でさせてくれない。
「寒いところにいたからそれで風邪をひいたかもしれないじゃないか」
「少しの疑いがあるなら駄目だ。とにかく、服着替えて一階に下りる。部屋換気して掃除するから」
「…………」
やはり撫でようとしても撫でさせてくれず、シャルを連れて部屋を出ていってしまった。アレルギーなんて、今までそんなことはなかったから、アレルギーなはずがない。……確かに野良猫に近づいただけで触れたことはなかったが、近づいただけでくしゃみや鼻水が出たことはない。僕は猫アレルギーではない。
意地を張ってこたつにもぐり込む。なんで低温にしたんだ。寒いじゃないか。
……それより、ギルたちの声が聞こえないな。帰ったのか? いや、今晩はケイの家で食べると言っていた。一階か?
「れーん。服脱いで一階。今なら暖房ついてる」
ケイにこたつごとズラされて寒くなる。そして服をまくられてもっと寒くなる。
「やめろ寒い」
「ぬーげ」
「くぢゅっ……!」
今のくしゃみで鼻水が出てきてしまった。不快感のあまりケイへの抵抗はやめて立ち上がり、ティッシュで鼻をかんだ。その隙に服を脱がされてしまった。ズボンも一言言われて下ろされる。どちらもぶかぶかだったからすぐに脱げてしまった。寒い、寒い……。
「クローゼットの適当に着ていいからそれ着て一階に下りる。掃除機持ってくるから出てろよ」
「…………」
ケイは部屋を出ていく。
友人を下着姿で放置するなんて、ケイも酷くなったものだ。寒さをしのぐためにしゃがみこんで胸を抱える。……いつかにもこんなことをした憶えがある。嫌な記憶だ。
こたつに頭まで入れてケイから身を潜める。寒い。こたつを高温にしたい。手を出してリモコンを探っていれば手首を掴まれて布団をめくられる。
「いい加減にしろ」
「…………」
こたつから出てケイからもらった服を廊下で着た。
少しだけ、ほんの少しだけケイのことが怖くなってしまった。僕が言うことを聞かなかったのが悪いのに。
こんなのだから、贈り物をもらえないんだ……。僕は悪い子だから。いやもう子と言える歳でもないか。
「蓮着替えた? なら一階に……ど、どうした? キツく言いすぎた?」
横に頭を小さく振る。僕が悪いんだ。ケイはなにも悪くない。自業自得でしかない。
「……一階にギルくんたちがいるから。母さんも帰ってきてる。なにかあれば母さんになんでも言っていいから。……ごめんな」
「…………」
階段の段差をよく見ながら、一階に下りる。あとでケイに謝ろう。
一階ではずいぶん賑わっていて僕が下りたことには気づいていないらしい。
ケイの母親が発言者となって食卓椅子に座るギルたちと喋っていた。今は……ケイのことについて話されているらしい。
「敬助は気づかれないように泣く子だから、もしいつもと違うって感じたらちょっと様子みてあげて」
「敬助くんって怒ったときとかわかりやすいから、意外とわかりそう」
「でも敬助ならそもそも学校来なさそうじゃね? そういうの隠してたら」
「あー確かに。……あ。……敬助くんのお母さん、あのトイレに……」
「トイレはあそこの扉開けたところね」
「はーい」
ギルが椅子から立ち上がって扉に近づいたとき、階段の傍でぽつりと立っていた僕に驚いたらしく、
「わっ! れーくん起きてたんだ。そんなところで立ってないであそこ行きなよ。俺が座ってたの使っていいから」
返事をしなくとも扉に入っていった。僕はさっきのこともあってあまり気分が晴れておらず、自らそんな行動できなかった。ギル以外に僕のことに気づいている人はいないらしく、声はかからない。
帰りたい。
ギルが扉から出てきたあと、まだいたのかと言われて手を引かれて輪の中に入れられる。ギルが座っていた椅子に座らされ、ギルは横に立つ。
「……ギルこっちにすわ」
「うおっ、蓮いたのか」
下条がそう驚いたことで総務やケイの母親にも知らされる。
「新しい子ね。自己紹介どうぞ」
「…………」
自己紹介……?
「あはは、敬助くんのお母さんみんなのこと知りたいからって、顔合わせたときにみんなもしてたんだ」
今の気分にすることじゃない。断って外に行こう。そんな思考を巡らせるが、思った通りに足が動くわけがなく、
「蓮……です」
それだけ言った。
「……あぁ、蓮くんか。聞いたことある。ハスって書く蓮でしょ? なるほど、あなたね。また綺麗な顔して」
ケイがなにか言っていたのだろう。
「好きなことは?」
尋問タイプの自己紹介なのか。母親に少し嫌悪を抱いて、重い口を開けた。
「読書です」
「読書か。敬助も本読んでてミステリーとか好きみたいだけど、なに読んでるの?」
「……同じものを主に」
「同じミステリー読んでるの。敬助と気が合うんじゃない? これからも敬助と仲良くしてあげてね。自己紹介ありがと」
やっと終わった。
「あ、あとあたしのことはおばさんって呼んでくれていいからね。敬助のお母さんなんてなっがいんだから」
「じゃあおばさん! 水欲しい」
「はいはい」
下条はどんな人とも仲を深められていいな。
さっきからギルの視線を感じる。ギルのことだから気分が優れないことを感じ取ったのかもしれない。
「ギル、ここ座れ」
「え? なんで」
答えを言わないまま座らせ、階段を上がった。今あの場の空気に触れるのはやめよう。
階段に近づいたときから掃除機が起動している音がしていて、それは階段を上るにつれ大きくなっていく。階段の作品に目もくれず、一階と比べて冷たい空気の中で一番上の段に座り込む。
お願いして帰らせてはくれないだろうか。シャルがいればなんとか癒せそうなんだが。けど、この気分にさせたのはシャルが一つの要因でもあったりする。大前提として僕が悪いのだが。
掃除機の起動音がなくなったと思えば、どこかの扉が開かれた音がしてその足音はこっちに近づいてくるようだ。隠れようなんてこともせず、じっとしていた。
「……蓮。ずっとここにいたのか? 一階のほうがあったかいぞ」
「……明るい」
「……母さんだな。俺が友だちなんて言える人連れてきて嬉しくて騒いでるんだろ。ごめんな」
首を振ったあと、さっきのことについて謝った。
「ごめん。僕が言うことを聞かないからケイは怒ってくれた……のに」
目からあふれそうになった涙をさりげなく手で拭う。
「い、いや、あれは俺がキツく言いすぎただけで、蓮は悪くないから。な? ……もうこたつも切って寒いから、父さんの部屋に掃除機かけたら一緒に下行こ」
「…………」
返事をしなくとも一度頭に手を置かれて、すぐに歩いていった。もう少しだけここで待っていよう。
本当は今日、本を買って家に帰るつもりだったのに、ケイの家にいてケイに怒られて、勝手に泣いて、ケイに気を遣わせてしまって……もう散々だ。クリスマスなんてなければいいのに。
顔を膝で埋めていれば次第に掃除機のかけられる音が消えた。顔を上げてケイの姿を探したら、掃除機を持って僕の近くまで来て微笑む。壁沿いに掃除機を置いたら行こ、と。
ケイの後ろを歩いて階段を下り、一階に着けばケイの背に隠れるようにして歩いた。
「あ、敬助くん。……れーくんは?」
せっかくケイの後ろに隠れていたのに、ギルが聞いたせいでケイが僕を見えるように体を避けられた。僕がいるとわかれば僕の右腕に自分の左腕を絡ませて食卓テーブルまで連れられた。
テーブルにはたこ焼き器が二つあって、もう始めるみたいだ。他に生地やタコ、その他の具も揃えられている。
「敬助、どうするよ。このテーブルを囲うにしてもこの人数じゃちょっと狭い。リビングのテーブルを近くに持ってきてもいいけど」
「……三、二で別れて、二がこの机使って、三がリビングのテーブルでいいんじゃない? たこ焼き器も二台あるから一つずつ置けば暇になることもなさそう」
「じゃあそうしよっか。別れ方はそれぞれで決めてちょうだい。あたしはちょっと準備するから」
「……ってことだけど、どう別れる?」
ケイがそう聞いたものの、下条は聞いていなかったらしく、早々に聞き返していた。それでも呆れながらケイは答える。
「三人はリビングにあるテーブルをこっちに持ってきて床に座る形になるけど。もちろんクッション持って来る。どうする」
「俺はどこでもいいー。早くたこ焼き食べれたらそれで」
下条らしい。
「まー、母さんがいるほうに行くなら話止まらないってのだけ覚悟しといたほうがいいとだけ言っとく。コミュ力お化けだから母さん」
自分の息子に「コミュ力お化け」なんて言われる母はどんな気持ちなんだろう。
「あと、そっちは母さんがたこ焼き作ってくれるとして、こっちにも一人作れる人行ったほうがいいと思うけど作れる人いる? 作れるって言っても回すだけだけどな」
誰も作ったことがないのか名乗りでない。けど、確かにたこ焼きなんてそうそう作らない。関西のほうではよく作るみたいだが。一家に一台たこ焼き器があるとかも聞いたことがある。
たぶん、このまま名乗り出なければ総務が無理して名乗りそうだ。仕方ない。僕が……。
「……け」
「もうあんたが行きなさいよ、敬助。一応あんたもこの家の者なんだからちょっとくらい働きな」
一足言うのが遅かったらしい。
「はい、敬助で決定。残りの子はどっち行くか決めてね。生地もう少し作っとくから」
ギルの横を通って母親はキッチンへ入っていく。カウンター越しになにかしているのがわかる。
「……どうする?」
「あ、そうそう。ギルくんだっけ? あなたかわいいから一緒に食べたいってあたしは言っとく」
「か、わ……」
かわいいと言われたことにショックを受けたのか、少し不服そうな顔をする。男は普通かっこいいと言われたいものだ。
「じゃあギルくんこっちでいい?」
「……れーくんの隣なら」
僕の左腕を絡ませ直す。
「あ、あとね、豊くん。あなたは話し方すごいうまいから、あなたも来て」
「……だとよ」
「んふふ、いいよ。僕もお話ししてて楽しかったし」
「だってよ母さん」
結局、決めておいてほしいとか言いながら母親のご指名で決まったな。
「決まったんなら早く始めようぜ。俺ちょーお腹空いた」
とにかく食欲旺盛な下条にとっては席順なんてこれぽっちも興味がないんだろう。僕が今座る席にいたとしても、コミュニケーション力がある下条には難なく会話ができたんだろうし。
「じゃあそんな下条に一つ仕事だ。俺と一緒にあのテーブルここに持っていくぞ」
「なんで俺なんだよー」
「背が高いから」
「蓮と変わんないって俺の身長」
「蓮には力がない」
下条が一つ、口の唾液を吹き出してから了承する。悪かったな。
ケイの家のリビングにあるローテーブルは少し大きめで、たこ焼き器を置いても周りに平皿を置けるほどだった。それを食卓テーブルの横に設置する。
座席もそれぞれ変わり、食卓テーブルにギルと総務、ローテーブルにケイと下条と僕が座った。ケイがどこからかクッションも持ってきた。その上に座っていいと言うが、僕は脚に乗せて準備が終わるまで抱える。
ギルは僕の隣がいいと言うからローテーブルが横にある席に座り、僕の座る場所も指定してきた。抵抗することなくそこへ座る。
「…………」
なかなか始まらず、食卓テーブルの脚に体を預けもする。今日がクリスマスなこともあって、あまり気分は晴れないんだ。なにか手伝えることがあれば手伝うんだが。
ローテーブルにも生地や具、皿などが出されたらそれぞれたこ焼き器を温めて作り始められた。このテーブルではケイがしてくれている。
一回で二十四個作れるたこ焼き器があるくらいにはケイの家で食べたことがあるらしく、ケイも手際がいい。油を引いて生地を入れたあと、一つ一つにタコを入れていく。
下条が一番近くの一つにチーズを入れて、それに対してケイが「おい」と、
「初めくらいノーマルで食べろよ」
「あとでロシアンたこ焼きもしよーぜ! これは俺が食べるからな! 取るなよ!」
耳が遠いらしい下条に呆れてケイは一つ溜息を吐く。
少し待ったあと、竹串を使って九十度ほどひっくり返されていく。
「おおーすげぇ。大阪で見たのと同じだな」
修学旅行のときのか。工程はそこまで難しくはないだろうから、どこにおろうが同じだと思うが。
もう少し待ったあと、再びひっくり返されていいきつね色が見える。全部ひっくり返されたら僕のと下条の皿を近くに寄せられる。
「もうできるか!」
「もうすぐ」
「やっと食える!」
皿にそれぞれ八個ずつ盛り付けられたら、上からソース、マヨネーズ、青のり、最後にかつおぶしが載せられて皿が返ってきた。
「お待たせ」
「うぉ、うまそー! いただきまーす!」
下条は早々に返ってきた皿を突きだす。
僕もいただこうかと箸を握るが、ケイが食べようとせずたこ焼き作りに戻っていた。ケイの近くにある皿はかつおぶしが熱さに揺れている。僕は箸を置いた。
熱気のする機械の傍にいるからかケイは額を腕で拭って、膝立ちからあぐらに座り直す。
「……ん、どうした蓮。冷めるぞ?」
「……いただきます」
ケイが箸を持ったから僕も持った。
たこ焼きを一つ掴んで息を吹き掛ければ、吹き掛けるたびにかつおぶしは揺られる。息を吹き掛けなくとも揺れる。諦めて小さくかじった。かじったところからは湯気が湧き出てくる。熱い。
皿の上のたこ焼きがなくなって待ちざるを得なくなっていたとき、ケイの皿が目に入った。まだ半分くらい残っている。それなのにケイはたこ焼き器に竹串を突いていた。
「ケイ……たこ焼き食べないと冷える」
「ん、わかってる。ちょっと冷ましてるんだ」
「…………」
嘘だ。
僕らに暇を与えないように次々と作ってくれているんだろう。そんなことしなくていいのに。
「代われ。僕がする」
「え? なんで」
「冷める。ケイは先に食べろ」
「でも」
ケイの持っている竹串を奪い取る。
「やり方は見て覚えた」
ケイのやっていた続きからたこ焼きを回していく。その様子を見て安心でもしたのか「ごめんな。ありがとう」と言う声を聞く。
ケイは僕に腹いっぱい食べさせる気なのかもしれないが、正直あの八個だけでも十分だ。けどそれだとケイから、もしかしたらギルからももう少し食べろと言われるだろうから、もう少しだけ食べる。
全部ひっくり返せたあと下条とケイの皿にそれぞれ九個置いて、僕の皿には六個置く。次のたこ焼きを作れるように生地を流せばケイがタコ以外の具材を入れていくから任せて座り直した。ずいぶんと腰に負担がかかる姿勢だったため、あぐらをかいてからは腰をさする。
皿に置いた分を食べ始めた。
「れーくん食べてる?」
隣にある椅子から見下ろしてギルが聞いてきた。ギルの隣にいる総務は母親とのお喋りが相当楽しいのか顔が、頬が赤くなっている。
「ああ」
「何個?」
「……今で十個」
「お皿にあるのも合わせて十四個……。まだまだ食べてね? ただでさえれーくんお腹ぺったんこなんだから」
返事を待っていたのか、撫でやすい位置にある僕の頭を撫でるが、母親に呼ばれて姿勢を戻した。本当に「コミュ力お化け」なんだろう。ここのテーブルでよかった。
皿の上のものを食べ終えたとき、ケイから声がかかった。
「タコ以外にチーズ、海老、ウインナー、ツナがあるけど、どれがいい? それぞれ五個ずつ作ってて、タコだけ四個」
「俺チーズとウインナーとタコの二つずつ!」
「待てって、今蓮に聞いてるんだ」
「……構わない。先にあげてやれ」
「ごめんな」
食べ盛りの男子に食べ物をあげないのはバチが当たる。
下条の皿に乗せたあと、再び質問される。
「海老とツナを貰っていいか」
「海老とツナな」
皿を持っていかれたあと、四個のたこ焼きが載って返ってきた。一つずつでよかったんだが。
「……ありがとう」
少し腹に満腹感を覚えつつ、貰ったたこ焼きに息を吹き掛ける。どれになにが入っているのか知らされていないから、食べるまではわからない。
ある程度息を吹き掛けたら少し大きめにかじる。海老だ。タコの大きさくらいに切られた海老がある。同じ海鮮だからかタコと似ているが、少し新鮮さを感じられておいしい。
海老が入ったたこ焼きを……いやタコの代わりに海老が入っているから海老焼きか? ……まあいい、たこ焼きを食べれば、僕の腹が少し膨れた感じがする。皿にはまだ三個も残っている。食べられるだろうか。
三個並んでいるうちの、一番左のたこ焼きに息を吹き掛けて口に入れる。さっき一番右から取ったものが海老だったから、それぞれ二つずつ取るとすれば順番的に海老、海老、ツナ、ツナになるはず。
……なるはずだった。なのに海老の味がする。なんだ、ケイは海老、ツナ、ツナ、海老なんてヘンな取り方をしたのか? してやられた。ツナだと思って頬張ったから一瞬ヘンな味がしたじゃないか。
ケイに物申したく視線を送るが、気づく様子もなくおいしそうにたこ焼きを頬張っている。諦めてツナのたこ焼きを口に入れた。きちんとツナの味がする。
「下条、これやる」
いるかも確認もせず、下条の皿にツナの入ったたこ焼きを載せた。もう入らない。
「これなに入ってるんだ?」
「食べればわかる」
たこ焼きパーティーらしく、そう言った。そちらのほうが面白いだろう。
食べる前のようにテーブルの脚にもたれようかと思ったが、どうも硬くて痛いのをさっき覚えた。だから今度は逆にあるところへもたれようとする。脚の逆側にはもちろんケイが座ってたこ焼きを食べている。
少しためらいもしたが、軽くケイの肩に頭を触れさせてから預けた。
「蓮? 気分悪い?」
「腹がいっぱい」
「もういいのか? まだ少しだけ生地あるけど」
「要らない」
「……そっか」
一度頭を軽く撫でたら、食べるのに戻った。
やっぱり人の体温は温かくて心地いい。
それでもケイが食べづらそうにしていたから代わりにあぐらをかく脚を枕にして寝転び、ただ時間が経つのを待っていた。すぐ上のテーブルではガチャガチャとたこ焼きを回す音が聞こえる。ほんとよく食べるものだ。
寝転んだことで余計に眠気に誘われながら、ケイの体温に触れて心地よくなる。ずっとこうしていたい。
最近酷く孤独を感じるようになってきた。実際孤独。家族がいなくて家ではいつも独り。これほど孤独感を味わうのは高校に上がったばかりの頃以来か。
中学の間は警部が来てくれて、孤独を感じたとしてもすぐに解消された。けど、高校に上がってからはずっと警部が与えてくれた愛情の供給を突然途絶えられた。簡単に言えばカフェイン中毒者からカフェインを奪ったようなものだ。朝は寂しさを覚えて、夜は孤独に苦しむ。しばらくそんな日々を過ごしていた。半年くらい過ごしていた。半年も経てば慣れたらしくて、多少感じる程度だった。
そんな孤独感を最近になってまた酷く感じ始めた。ギルが誘拐されたときに顔を合わせたばかり、一ヶ月くらいしか経ってないのに感じ始めた。
少し胸が苦しくなって、よりケイの体温を噛み締めようと接触面を増やす。
「よし。蓮皿使うぞー」
返答もなしに皿が取られる音がした。
僕の皿を使ってなにをするんだ。顔を上げようとすればテーブルに頭をぶつける。
「大丈夫か!」
頭をぶつけた程度で。ケイはギルと同じく心配性だ。ぶつけたところをさすりながらテーブルの上に顔を出した。
中央にはあったはずのたこ焼き器が避けられ、僕のらしき皿が置かれている。たこ焼きを一段にして載せて。
「ロシアンたこ焼きな! 全部で十二個だから、一人四個食べて、タコが当たったら罰ゲームな! 当たらなかった人が罰ゲーム決める!」
ロシアンたこ焼き……。十二個あって一人四個。タコが当たればアウト。ん。
「下条、僕は食べない。それほど腹に余裕はない」
「二人でロシアンたこ焼きとか面白くねーってせめて三個は」
「無理だ。最低二個。それ以上は認めない」
「わぁったって、じゃあ俺と敬助は五個な。その代わり、蓮は最後に取れよな。じゃあどれに」
「異議あり。蓮が最後なのはいいけど、下条はどこになに置いたとかわかるだろ。ここは蓮に配ってもらったほうが平等だ。蓮は確実に見てなかったんだから」
ということでケイと下条に五個ずつ分けていった。ランダムになるように取る場所は上下左右いつも違う場所にして。必然的に残った二つが僕のものになる。
「じゃあ一個目食べるぞ!」
一つ口にする。……チーズだ。たこ焼きにしても意外と合うんだな。
「誰もタコじゃない? ……次二個目な」
僕はこれで終わりだ。二個目は……ウインナー。悪いな二人とも。罰ゲームは避けさせてもらった。
結果、下条のところに一個、ケイのところに一個タコがあったらしい。
「なんで蓮のところに入ってないんだよー」
「運の尽き」
「罰ゲームはなににするんだ?」
「い、いや、罰ゲームはなしにしよーぜ。ほら、蓮だけ不公平だしさ」
自分から言っておいて逃げる気か。
「ケイの母親に決めてもらったら平等」
事情を話せばすぐにわかってもらい、考えた末、猫耳を着けることに。母親が今それを取りに行った。
「俺らも罰ゲームとかしたかったなー」
「ギルたちしなかったのか?」
「だって、それがもし敬助くんのお母さんに当たっちゃったら、なんか嫌じゃん? 怒られそうだし」
「母さんはそういうの楽しむタイプだから、怒りなんてしないさ。けど、いい年したおばさんが猫耳着けても誰も得しない」
「誰がいい年したおばさんよ」
ケイのすぐ後ろにはいつの間にか母親が立っており、ケイの頭の上に拳を置いて頭にこすりつける。
「自分でおばさんって呼べって言ってた、てか痛いって」
「ふんっ」
親子だ。
拳を置くのをやめたら代わりに猫耳が着けられる。黒の耳をしている。下条にも白の猫耳が渡された。
「か、かわいいな」
ケイの印象とは相当外れていて、思わず笑ってしまった。
「……ほんとに恥ずかしい」
「ギルー、これでいけてる?」
「うんいけてるよ。真也くん普段そんなにしてるイメージないから、なんか新鮮!」
「誰も普段こんなの付けねーだろ」
もっともだ。罰ゲームに当たらなくてよかった。
食後、ケイの部屋に上がるが、ケイは片付けに呼び出されて部屋を出てしまった。
こたつが温まる前でも体を埋めて、いち早く温もろうとする。暖房のついていない部屋では僕以外も寒いのかこたつに足を入れたり、ベッドの布団に包まったりしているようだった。
そんなこたつに足を入れているギルが口を開いた。
「ね、ねえ真也くん。今日クリスマスイブだけど、明日とかに好きな人と、そので、デートとかするの?」
「ばっ、まだ付き合ってねーって……」
掛け布団に身を包んでいる下条が答える。珍しく頰を赤らめる。デート?
「あぁ、修学旅行の日に行ってた一個下の子?」
「そ、そうだけど、べつにそんなデートなんか……」
「でも、進展あったんでしょ? 聞かせてよ」
総務は意外と色恋沙汰に興味があるらしいのは、修学旅行のいつかの晩で知っている。下条、ほんと運が悪いな。
「この前とか、ちょっと遊びに行ったくらいだし……」
「ちゅ、ちゅーとか」
「してないって!」
ギルの言葉でする様子を想像したのか酷く顔を赤くして布団にもぐってしまった。下条でも恥ずかしく思うことはあるんだな。
総務が興味津々にどんなことがあったとか聞くなかで、僕はなかなかこたつが温まらないことに不満を持っていた。これならいっそまだ暖かいであろう一階に行ったほうがいい気がする。そう思えば行動は早く、もう階段から頭を覗かせていた。
皿や箸類は片付けられ、あるとすればそれぞれテーブルにたこ焼き器が載るくらいだ。
「母さんソース入んない」
「入るとこ適当に入れて」
「無茶言うなって」
親子だ。
ケイは冷蔵庫を向いていて僕を背にし、母親は食器をガチャガチャと鳴らして洗っているらしく、僕の存在に気づいていない。
テーブルにあるたこ焼き器は電源は消してあるものの、コンセントにはつながっているらしく、それぞれ抜き取った。小さくまとめて付いていたマジックテープで止める。
生地で汚れたたこ焼きプレートを取ろうとするが、さっきまで使っていたことを思いだす。手を引き戻して熱さを確認しようとしたとき、
「蓮それまだ」
「っ……」
ケイの声に驚いてプレートに触れてしまった。脊髄反射で手を引き離す。
「当たったよな、水で」
「これくらいなんともない」
「なんともなくない。いいから」
洗面所に連れられて冷水に当たる。これも冷たくて引き離そうとするが、ケイに手を握られたままだったから離れなかった。
「もしかして俺の声でびっくりして当たった?」
「そんなことない」
「ならいいんだけど……。タコパ楽しめた?」
「それなりには」
流水に当てられながらも濡れていない片手で、僕の肩を抱く。
「それならよかった」
耳元で息を吐くように言われた言葉には安堵が混じっていた。
「予定ではこのあとケーキ食べようかと思ってたんだけど、たぶんみんなお腹いっぱいで、あとでにしようって。俺もちょっと食いすぎた」
鏡越しにケイのはにかんだ顔が見える。
もういいだろうと僕が水を止めたら、タオル掛けに掛かっていたタオルを引き出して、僕の手を幼児の手のように丁寧に拭かれる。不思議な感覚を覚えると同時に少しくすぐったくも思った。
洗面所から出ればもう片付いたと、友だちと遊んであげなさいと、言われて一緒に部屋に上がった。
部屋に入ったと同時にくしゃみをし、鼻下を撫でる。ギルたちの座る場所はあまり変わっていなかったが、こたつの上に猫の置物が増えていた。それはこちらを向いてにゃーんと鳴く。本物の猫の置物らしい。
こたつに近寄って手を伸ばす。
「シャル。おいで」
「え、な……っておいでじゃない」
シャルが腕に乗ろうとした矢先、ケイに奪われる。
「なんでシャルが出てるんだ」
「帰されてたから」
「帰されてたからじゃなくて帰したんだ。蓮がアレルギーかもしれないからって。てか人の家の猫勝手に出すな」
怒りを含めた言葉を下条にはなったあと、ケイはシャルを連れて部屋を出ていく。癒しが……。
「れーくん猫アレルギーなの?」
「さあ」
「新藤くんが部屋に来てからシャルちゃん一緒にいたけど、息苦しいとかなかった? 大丈夫?」
「かわいさが勝って憶えていない」
「あはは、れーくん猫ちゃんにはデレデレなんだからー。そんなれーくんを見て俺もデレデレしちゃうけど。えへへ」
身震いをして寒さに気づき、颯爽とこたつにもぐった。こたつはなんて素晴らしいんだ。温かすぎる。
ケイが戻ってきたら、早速下条に説教をしていた。どんな言葉に対しても下条は寝転びながら答えていて、さらに説教の時間は延びていた。
説教が終わった頃には食後と温かさに誘われて寝てしまいそうだった。なんたってケイの説教がいいBGMになるのだから、それは寝ろと言われているようなものだった。
「はぁ、喋りすぎて喉乾いた。水飲んでくる。他に欲しい人いる?」
「俺欲しいな」
「俺もー」
「……下条には塩入りな。了解」
「あ、みかんがあったら欲しい」
ケイが部屋を出る間際、聞こえたのかどうかわからないが言った。
「……どんな耳してんだよあいつ」
ケイが部屋から出ていったあと、下条からまっとうなツッコミが入る。相当お怒りだったらしいな。
「敬助くん返ってきたらプレゼント渡したい! 明日くらいに集まれるかなって思ってたんだけど今日せっかく集まったんだし今日する!」
今日は特にギルのペースすぎる。そう心中で呟く。けど今日そのペースに乗せられてこのこたつの温かさを味わえたからもうなんでもいい。
ケイはお盆を持って部屋に戻ってきた。本当に塩が入っているのか下条に水の入ったコップを手渡しで渡していた。ギルのほうは視界に入らなくてわからない。
「蓮、みかんはなかったけど、バナナならあったから食べるなら」
目の前にバナナを置かれた。こたつと言ったらみかんだが、バナナもいいかもしれない。少し這い出て早速剥き始める。
「じゃあ敬助くんも帰ってきたことだしプレゼント! 渡したい!」
「なら俺らも渡そうぜ。ちょうど今日買いに行ってたら豊かと会って豊もな」
「うん、僕もお兄ちゃんとちょっと買い物してて、渡せるよ」
偶然が過ぎる。となれば、
「敬助くんは……」
「ん、タコパの具材買いに行く時に一緒に」
「やった! プレゼント交換っこできるね!」
べつに贈り物なんて欲していないんだがな。
ギルは早速勉強机に置かれている袋の一つを持って、僕の隣で膝立ちすれば机の上でガサゴソとうるさくする。
そんな隣でバナナを頬張った。甘くておいしい。たまに欲したくなる。
勉強机に合った袋はそれぞれ取っていって、僕が買った袋だけになる。そんな袋をモゴモゴと口を動かしながらただ見つめた。
「えっと、一人一人にそれぞれで渡すか、一緒にまとめて一人に渡すか、どっちにする?」
「まとめてでいいんじゃね? ごちゃごちゃしそうだし」
「じゃあそうしよ! まずは家に上げてくれた敬助くんからね!」
そう言ってガサゴソとテーブルの上でなにかするギルの様子を、顔の向きを変えてバナナを頬張りながら見る。すごく嬉しそうだ。
「俺からはこれ!」
自分のを渡し終えたあと少しの間嬉しそうにしていたが、僕を思いだしたように目があって「れーくんも持ってきてよ」と肩を揺らされる。そんなギルにバナナの皮をやった。
「悪いが近くまで持ってきてくれないか。温かすぎて出られない」
「自分で取りなよ……」
そうは言っても取って来てくれる。腕と頭を出してケイに贈る袋を探った。人ごとに分けてたんだ。
「ケイ、これ受け取れ」
机の上に無造作に置く。と、ギルから上に置かないでよと叱られた。
「ありがとう。……こんなにいいのか?」
「こんなにというほど入っていなかったと思うが」
「普通一、二個とかだと……」
そうなのか。……確かに思えばギルから毎年貰うとき一つかもしれない。一人複数個を買ってしまっているから、少し失敗したのかもしれない。
「ゆ、指輪……」
「たぶん入ると思うんだが、気に入らなかったら売ってくれていい」
「売るわけないだろ」
こたつの外に手を出して寒さを覚えた腕を温めていたら、ケイが目の前に下りてくる。握られていた右手が解かれると、そこには僕があげた指輪がある。左手は着けろとでも言いたそうに、手の甲を見せてくる。
「……結婚指輪じゃないんだぞ」
それくらい自分で着けろと言う意も込めつつ、右手にあるそれを受け取って、右手の中指にはめた。ぴったりだ。ケイにはこの指がいい。
「左の小指にでもはめてほしかったか」
「べ、べつに」
少しの間、指輪をつけた手を表や裏にして眺めるケイをぼーっと見ていた。ずいぶん気に入ってくれてるみたいでよかった。
「次真也くんね!」
どういう基準で決めているのかはわからないが、袋をあさって、ケイに届けて貰うよう言った。ここからベッドに持っていくとすれば体を起こす必要がある。投げてもいいなら容赦なく投げるが。
届けてくれたケイは、僕の前には戻らずに視界に消えて今度は自分のを贈り物を届けた。
「え! ギル……これって」
「えへへ、そうなんだ。この前見つけて、真也くんにあげようって思って買ったんだ。そのキャラ好きだったよね」
「ちょー好き! マジでありがとう!」
「えへへへ」
下条の手には人間の形をしたぬいぐるみと組み立て前のアクリルスタンドが握られていた。相当嬉しいのかずっと目がキラキラと輝いてる。下条にもそれほど喜ぶものがあったとは。
下条がギル以外の貰ったものを見ていくなか、次は総務に贈ろうと言う。総務は正直好みがわからなくてあれにしたが、もっと他になかっただろうか。探り出した総務に贈る袋を見てそう思う。
「……総務」
机の上に向けて伸ばすが、
「総務さんこっちだよ」
ギルの手で手渡された。
「あ、イヤリング、俺がハマってるって言ってたの憶えてたのか!」
声に振り向けば下条と目が合う。そのキラキラとした眼差しに負けてさっと逸らした。
「……ああ。気に入らなければ」
「ちょー気に入った!」
「……ならよかった」
早速袋を開けて福耳に着け、着けられたら耳に掛かる髪を避けて、どう? と聞いてきた。
「いいんじゃないか。似合っている」
「マジ! マジでありがとう!」
下条はここ最近で一番嬉しそうに笑った。
「…………」
そうか、やっと気づいた。クリスマスの日に贈る贈り物、いや『プレゼント』には意味があるのだと。
貰った子供は、笑顔を見せる。
それぞれで貰ったものを体に纏うものは纏って、贈り物交換は終わった。
僕は変わらずこたつにもぐってカタツムリになっている。ただ、下条から貰った猫耳カチューシャをギルに付けられて。
初めどんなチョイスかと思ったが、以前「吾輩は猫である」を読んでいたのを見つけて「猫になりたいのかと」と思ったらしい。馬鹿か。
そういえばギルから貰ったフリーサイズのもこもこなルームウェアも服の上から着た。こたつに入りながらだと少し熱く思うが、暖かければ暖かいほどいいというものだ。
下条は、初めこそ嫌がっていたがギルの説得で、僕があげたサンタ衣装を着ている。そして今では楽しそうにサンタの真似事をしている。
「ふぉーっふぉっふぉー。良い子は早く寝ないとプレゼントあげないぞ!」
「っ……」
下条のその言葉に心臓がドクリと鳴った。
それをもう聞かないように、こたつにもぐる。もう聞きたくない。それでも下条のような人間が出す声はもぐった程度では筒抜け同様で、容赦なく僕の耳に入ってくる。気づいたときには耳を塞いでいた。塞いでも微かに聞こえる大きさ。どんな声をしているんだ。
良い子。……良い子……。
やっぱりクリスマスなんてなければよかったのに。こんな存在があるから……。
しばらく耳を塞ぎながらこたつにもぐっていれば、頭の上にあったこたつの布団がめくられた。
「そんなもぐって熱くない?」
ケイだ。
布団をめくられたところから冷気がし、この熱さから逃れようと冷気に誘われるようにこたつを這い出た。こたつを出れば汗がぐっしょりで、服の下から汗が垂れたのがわかる。
汗をかいた状態で冷気に触れるのは、涼しくなると同時に異様な寒さを覚える。身震いをせずにはいられなかった。
「れーくん汗だくじゃん!」
「熱いなら出ればよかっただろ」
出たくなかったんだ。現実を、見たくなかったんだ。
肌着を新しく替えてくれたあと、服とルームウェアを着て、脚だけをこたつに入れる。この格好で全身こたつに入るのは熱すぎる。
「そういえば! サンタからのプレゼントなににした? 俺ゲームカセット」
まだ、そんな話をするのか。無気力にテーブルに頬を付けた。
「サンタ、さん? もしかして真也くんサンタさんのしょう」
最後まで言い切らず、ギルの口を塞がれた。総務とケイの手によって。どうした二人して。
ケイがなにか耳打ちしたあと、なにもなかったかのように話を続けた。
「あはは。えっとね、俺はお菓子。いろんな種類の」
「お菓子って、もっと自分で買えないもの頼めよー」
「あはは、高いのだとお……サンタさんのお金なくなっちゃうよ」
確かに、全世界を回って子供が欲するものを贈っているとすれば、もうとっくにサンタの財産はなくなっているだろうな。それでも今も「良い子」には贈り続けているんだろうから、サンタには無限の財産があるのだろう。
「俺は本かな。最近ハマりだした漫画」
「なんのジャンル?」
「感動もの」
「おもんねー」
「いや面白いからな」
漫画か。漫画は読んでいて目が疲れるからな。漫画を買うなら小説を買う。
「総務さんはなに貰うの?」
「……ううん。貰わないよ。ただ僕は、ただ家族が幸せだったらいいから。それお願いしたかな」
家族が幸せだったら、か。本当に総務は家族思いの優しい奴だ。過度な教育を受けさせていた母親でさえ幸せであってほしいと願うなんて。
総務は、いや総務以外も「良い子」だから願いを叶えてくれるんだろう。ゲームカセットや菓子、漫画、家族の幸せ。どれも、迷いなく叶えてくれるんだろう。
「蓮はなに貰うんだ?」
「下条……」
「……あー、っと……真也くんその……」
「二人してなんだよ」
いいんだ。もう知っている。慣れている。
ずいぶんと温まった腕をこたつから出して顔を覆い隠す。
僕は貰えない。「悪い子」だから。
小学二年生のクリスマス。小学校からの帰り道。
二年生になってもギルの親から一緒に帰ってほしいって言われて今日も帰る。子供みたいに手もつながれてる。
「✕ーくんはクリスマスプレゼントなにたのむの?」
「……それなに」
「え! 知らないの? 手紙みたいに書いて、クリスマスツリーにかざるの。そしたらクリスマスの日に、ツリーの下に書いたプレゼントがあるんだ!」
なんだか、クリスマスツリーの下にプレゼントがあった記憶を思いだす。
「ぼくはね、えっとサンタさんへ、ねこちゃんのぬいぐるみさんがほしいですって書いた!」
「……本当に……もらえる」
「うん! あ、でもね、いい子にしてなきゃもらえないよ。わるい子にしてたらセキタンっていうのもらうって、パパが言ってたの。でもね、ぼくの家にはわるいサンタさんはまだ来てないし、テーブルのおかしも食べてくれるんだよ! 今年も食べてくれるかなー」
『良い子』にしてたら……。
「だから今日は早くねないと、プレゼントもらえないんだよ。パパとママのお話きちんと聞いて、いい子にしなきゃ」
話を聞いて……「良い子」に。
家に帰ったら手も洗わずに部屋に行った。自由帳の紙を小さく切って、欲しいものを考える。僕が今欲しいもの……。
「…………」
なにもない。
……でも、少しだけ欲しいのはある。
手紙だから、アテナを書いて……。
『さんたさんへ
ミステリー小説がほしいです
できればぼくが持ってないのがいいです
✕✕✕✕✕より』
一階には昨日僕が一人で建てた小さなクリスマスツリーがある。お母さんが建ててって。お母さんは用事あるからって二階に行って、一人で建てるの大変だった。けどサンタサンが来るならべつにいい。
ツリーの見えやすいところにセロハンテープで貼り付けた。ここだときっと見つけやすい。ほんとに貰える……のかな。
「良い子」でいるために親の言うことを聞かないといけない。でもまだどっちも帰ってきてないから、勉強机に顔を伏せて時間を待ってた。今日は「良い子」でいないと。
しばらく待っても帰ってこなくて、楽しみで忘れていた宿題を思いだす。それをやって待っていた。
五時くらいになったら玄関の扉が開く音がした。だから一階に下りた。帰ってきたのはお母さん。僕と目が合うと微笑む。
お母さんの笑顔は作ってる感じがして好きじゃない。でもたまに本当の笑顔が見れるからべつにいい。
今日はいつも以上に言うことを聞かないと、プレゼントが貰えない。
「……おかえりなさい」
「ただいま。今日はケーキがあるんだよ」
「……なんで」
「安かったからね。たまにはケーキとか食べたいでしょ?」
「……うん」
僕がケーキ食べてたら、またお父さんに怒られないかな。
夜ごはんはいつもお父さんが帰ってきてから。いつも違う時間に帰ってくる。お母さんより早い日もあれば、遅い日もある。今日は遅い日。
その間、お父さんがいるときはできない話をお母さんにした。
「て、そのテスト……百点だった」
「そう、よかったね」
褒めてくれない。
「……あ、あと……今日、ギルからプレゼント……サンタサンから……明日もらえるって……あそこにほしいの書いた」
クリスマスツリーに指を向ける。
「へぇ、そうなんだ」
お母さんは椅子から立ち上がってクリスマスツリーに近寄る。僕も隣に立てば少し離れる。
「……これ」
指せば隣でしゃがみ込む。
「小説欲しいの? 絵本じゃなくていいの?」
「……面白くない」
「……そっか。……ごめんね」
突然意味もわからず抱きしめられた。お母さんは小さく泣いてる。泣いた姿なんて見たくない。だから背中を優しく撫でた。
ごはんは九時が過ぎても食べられなかった。だからお腹がぐーぐーって鳴く。絶対にお父さんが帰ってきてからなの、って何回目かの質問をしたけど、絶対にって。そのあとしばらくお腹が気持ち悪かった。
けど、今日は早く寝ないといけないから、ごはんを食べずに寝た。お母さんは早くに部屋に入ったから、食べずに寝ていいのかわからなかったけど、何回かそうしたことがあったからきっと大丈夫。
次の日。
寒くて起きたくなかった。でも、プレゼントがあるはず。それを早く見たい気持ちがあった。掛け布団に被って一階に下りたかった。でも前にそれをして怒られたからしない。
ブルブルと体を震わせながら一階に下りた。お母さんがいて、ガチャガチャとキッチンで鳴らしてる。いいニオイがして、一気にお腹が空いた。そういえば昨日の夜ごはん食べてなかった。
それでもプレゼントを早く見たくて、クリスマスツリーのところに行った。
「…………」
僕が貼った紙はきちんと付いている。でもツリーの下にはなかった。
きっとべつの場所にある。そう思って家中を探した。震えてた体が温かくなるまで探した。ホコリまみれの部屋も見て探した。
それでもなかった。
鼻をすする音を出しながら一階に下りて食卓椅子に座る。顔を腕で隠しながら机に伏せた。
いるわけない。サンタサンなんて。もとからいないんだ。僕はきちんとイイコでいた。
夜ごはんはお父さんが帰ってくるまで駄目だって言われて、食べなかった。食べたいって、お腹空いたって言わなかった。……なのに。
……いると思った僕が馬鹿なだけ。
その日からあんまり体調が良くなくて、朝もうまく起きれない日が続いた。学校はもう冬休みだから起きられなくてもよかった。
そんなある日、お母さんに起こされた。学校はないって言っても無理やり起こされた。お腹が痛くてお母さんから渡された小さい毛布を肩から被りながら一階に下りた。
一階に下りて見えるのはクリスマスツリー。そういえばお父さんから片付けてって言われてた。片付けさせるために起こしたんだ。急にお腹がもっと痛くなり始めて思わずしゃがみ込んだ。
ツリーにたどり着く前にしゃがみ込んだから、お母さんは僕を置いて行っちゃう。心臓が痛くなって、体も熱くなり始めた。目の前が歪む。
「✕✕✕✕✕。これ」
名前を呼ばれて顔を上げたらお母さんがいた。手になにか持って戻ってきていた。手には赤い靴下をした袋がある。
「サンタさん、いそがしくて遅れちゃってたみたいで、今日家に届けてくれたんだよ。✕✕✕✕✕は寝てたから気づいてなかったみたいだけど」
震える手でその袋を受け取る。中には見たことのない本があった。しかも二冊。絵本じゃなくて小説。
頬に水が垂れ出す。その二冊の本を胸に引き寄せた。
翌年の二十四日。いつかと同じ帰り道。
ギルとは他クラスになって、今日はケイと一緒に帰る。
「そういや、サンタになにかたのんだ?」
「……いや」
「早めにたのんどかないと、もらえないぞ。って言ってももう明日だけど。帰ったら書いとけよ。おれは小説たのんだ」
小説……。
そういえば去年クリスマスに小説を頼んだけど、サンタが遅れて数日後にプレゼントを貰った憶えがある。
「ケイは……サンタいると思う」
「いるんじゃない? じっさいにプレゼント置いてくれるんだし。
けどふしぎだよな。えんとつから入ってまくらの横に置くって。おれの家にえんとつないのに毎年まくら元に置かれてるし。家にかぎはかかってるから、かべすりぬけないと置けないはずなんだ。でもかべすりぬけるおばけみたいな奴だったらプレゼントもすりぬけて持てないだろ? だからサンタの話聞いてからずっと気になってた。それを心美に言えばもらえるならそれでいいじゃんってさ」
サンタは何者なんだろう。
家に帰ったら欲しいものを書こうと思った。けど今日は父さんが早くに帰ってきている。玄関の靴があった。無理かもしれない。
でもこういう日、母さんがまだ仕事のときはいつも自分の部屋にいる。だから、静かに部屋に入ってさっと書けばいけるはず。手も洗わずに静かに部屋に入った。
『サンタへ
ミステリー小説がほしいです
できればぼくが持ってないので二さつほしいです』
今年はクリスマスツリーを飾ってない。だから、勉強机の端にセロハンテープで貼った。ここで気づいたらいい。
父さんが僕が帰ってきたことに気づくと、早速勉強をさせられる。宿題より先に。
でも父さんは見てるだけで、酒かタバコを僕の部屋で体に入れる。酒臭い思いをするか、たばこ臭い思いをするか、そんな程度の差しかなかった。
それでも父さんに見られながら勉強するときはいつも同じで腹が痛くなる。
「……おなか……いたい」
聞こえてないように貧乏ゆすりをしながら酒を飲んでいた。
「とうさ」
「口動かす前に手を動かせ」
「…………」
毛布を包めて腹に押し当てても、それは治まることがなかった。
ドンッと酒を机に置く。置いた下には僕が書いた紙があった。缶に付く水滴が垂れて紙を湿らす。喉から出そうな言葉はつっかえて出てくれない。
手を動かせないほど腹が痛くなってからだ、部屋から出させてくれたのは。トイレで息を荒くしながら、うずくまる。痛くなるだけで出てはこず、逆に上からなにか出そうな感覚に数十分、寒くて狭い部屋で苦しんでいた。
ほんの少しを落ち着きを見せたことを機に、トイレから出た。結局どちらからもなにも出なかったくせに、腹の違和感は絶えない。
一階には母さんが帰ってきてたらしくてキッチンでなにかしている。父さんも下りてきてキッチンカウンター越しに嬉しそうに話をしている。そんな様子を袖にして僕は部屋に上がった。
教科書を閉じて宿題をしようと漢字ノートを広げようとしたとき、あったはずのものがないことに気づいた。欲しいものを書いた紙。水滴を垂らして湿らせた紙。セロハンテープの縦幅が半分の大きさになってなにも貼らずに机に付いているのだけあった。
机の周辺を見ても紙が落ちているというわけではなく、なにもない。新しく書けばいいのはわかってる。けど、どこにいったのかだけ知りたかった。きっとなにかされたから。
紙は、ぐしゃっとされた欲しいものを書いた紙はゴミ箱に入っていた。左中央から下にかけて破られていて欲しいものがわからなくなっている。
漢字ノート一ページを破り取って、新しく書き直す。
『サンタへ
ミステリー小説がほしいです
できればぼくが持ってないのがほしいです』
欲張りなんだろうと、二冊欲しいことは書かなかった。一冊あれば……。
翌日の朝。
寒くてだるむ体を起こした。頭がズキズキして、寝転び直して頭から布団を被る。
「…………」
でもプレゼントのことを思いだして、頑張って起き上がった。
一階に下りたら母さんがソファーに座ってテレビを見てる。
「おはよ」
「……おはよう」
「ごはん冷蔵庫にあるからね」
「…………」
べつに空いてない。
今年はクリスマスツリーを飾っていない。それでもプレゼントはあると思って、去年に飾ってたところを見た。
「…………」
ない。
今年も忘れたのかもしれない。明日には、いや明後日には来ているかもしれない。実際去年も明後日とかに来た。
今日は一日父さんが帰ってこないみたいだから、ごはんを食べたあと母さんの隣に座って一緒にテレビを見た。
少し体が熱い。でも母さんは気づいてくれない。気づいてくれないならべつにいい。言う必要もない。
二日後。
二日前から熱っぽくて、気づいたら症状が悪化してた。母さんがインフルエンザって言ってた。でも前そう言われたときと同じで今度も薬とかも貰ってないから、きっとすぐ治る。
今日は起きたら、いつも以上に体がだるくて寒くてしんどかった。それでもプレゼントが来てないか確認するためにフラフラしながら一階に下りた。
「か……さん」
「✕✕✕✕✕、なんで起きてきたの……? 寝てないと……」
風邪とかしんどいときは母さんが心配してくれて嬉しい。今日なんて父さんもいないみたいだからすごく心配してくれる。
「ごはん食べられる? おかゆでいい?」
「ぷ……プレゼント、なかった……おくれてる」
そう言ったあと、母さんは血相を変えて動かなくなった。でも少しして抱かれる。温かい。ずっとこうしてくれたら、なにもいらない。
「ごめんね。……今年はないみたい。……サンタさんから連絡があってね、✕✕✕✕✕は……悪い子だからって」
僕は「悪い子」……。僕は「悪い子」なんだ。でも「悪い子」って、なんだっけ。
意味を思いだせず、でも目からは涙があふれだす。一緒になにも考えられなくなって目を瞑った。
母さんが呼びかけてくれて目を覚ます。部屋のベッドの中。
頭の後ろとかおでこがひんやりする。いつもはしてくれないのに、今日はしてくれてる。
「✕✕✕✕✕! よかった、よかった……」
目が合うと、母さんは泣いて抱きしめてくれる。嬉しい。いつもこんなに抱きしめてくれたら、いくらでもインフルエンザにかかっていい。
「ごめんね……ごめんね」
なぜか謝られる。
「……あやまらなくて……いい……。でも……ずっと……こうしてて……」
「ごめんね。ほんとに……ごめんね」
母さんが落ち着いたら、少し冷めたおかゆを食べさせてくれた。大した味付けはされてないけど、なんだかすごくおいしく感じた。
僕の体がいつまでも食べれる体で、いつまでも母さんが食べさせてくれる。そんな叶わない夢を願っていた。サンタにたのんだら叶えてくれたかな。
ただ嬉しくて力なしに笑う。母さんもホッとしたように笑ってくれた。本当の笑顔。久しぶりに見た。
でも、そんな幸せな時間が続くことはないって、母さんの後ろに父さんが立っていることを見つけた瞬間わかった。
そして鈍い音がする。
その翌日からは父さんが一日中家にいれば、母さんが食べさせてもくれなくなった。
喉が痛いのにカツカレーなんてものを出されもした。父さんはそれをおいしそうに食べていた。
食べてたら喉も痛いし、気持ち悪くなってきたからもういいって言った。でも無理やり食べさせられて、ふとしたとき、口から気持ち悪いのが出てきた。意味がわからなく涙が出てきても、出すなって叩かれた。それでもずっと口を止めずに掃除した。片付けろって言われたから。
そうしてしんどい日が数日続いて、やっと重くなくて自由に起き上がれる体になる。でも病み上がりにも構わず父さんは濡れた食パンの耳を食べたら、勉強をしろって言うから仕方なく向かったあとに気づく。
勉強机にセロハンテープで貼られている紙。
『サンタへ
ミステリー小説がほしいです
できればぼくが持ってないのがほしいです』
その紙を見たら自然と涙が出そうになって食いしばる。けどその反動か、怒りのようなものが湧いてくる。乱暴に引き剥がしたあとぐしゃぐしゃに破って、ゴミ箱に叩きつけた。
今回は父さんにも用事があるらしく見張りはないから、勉強をせずに布団にもぐってこの感情に任せて泣いた。声を殺して誰にも迷惑をかけないように。サンタに恨みを持つように。
サンタがいると信じた僕が馬鹿だった。
翌年のクリスマス前日。
今年もギルからクリスマスプレゼントはなににしたかと聞かれた。
「おれ今年はね、好きなゲームのフィギュアにしてもらうんだ。……今年お父さんたちいそがしいみたいでクリスマスツリー建てれてないんだけど、前も建てれてなくてももらったからたぶんもらえる! あはは。✕ーくんはなにもらうの?」
「……知らない」
プレゼントなんて言葉、聞くだけで気持ち悪くなる。腹をさすった。
「なんか毎年知らないとか、書いてないとか言ってない? サンタさんいつも間に合ってるの?」
「……知るか」
どうせ今年も貰えない。僕は「悪い子」だから。去年知った。母親が代わりに言ってた。母親に言われたならきっと本当のこと。
家に帰っても誰もいない。昨日から母親も父親も帰ってない。大きな荷物持ってたから僕を置いてどこかに行った。
特にごはんが置かれてるわけでもない。けど、冷蔵庫の野菜室に生でも食べれそうなキャベツとかニンジンがあったから、味はしないけどそれでなんとか胃を満たしてる。
手を洗わずに部屋に上がって、勉強机に座った。
もしかしたら去年はクリスマスツリーがなかったからプレゼントも貰えなかったのかもしれない。今年は親がいない状態でクリスマスを過ごすことになるだろうから、邪魔って言われない。建ててもいいかもしれない。
もう使わない、できるだけ白い部分がある教科書のページを小さく破る。
『サンタへ
小訁』
それだけ書いて涙があふれてきた。
なにがクリスマスツリーがなかったから? ギルはツリーがなくとも貰っていたって、言ってた。ツリーは関係ない。ただギルが「良い子」で、僕が「悪い子」なだけ。それ以外なにも違いがない。僕は「悪い子」。だから去年も今年も貰えなかったんだ。
小さく破った紙に水が落ちて滲み出す。去年よりも酷い感情に襲われる。ぐしゃっと小さい紙を小さく丸めて怒りを込めるように固めて、ゴミ箱に向けて投げた。入ったかも確認しないまま、布団にもぐる。息ができないくらいに涙を流した。
「っ……!」
「やっと起きた」
顔を上げる前に涙が頬を伝うのがわかり、手で拭う。でも拭っても止まることがなかった。腹が痛くて、胸が苦しくて、でも気づかれないように声を殺した。いつかと同じように。
「みんな一階でケーキ食べてる。蓮も食べよ」
……ケーキ。
悪夢か過去の記憶が蘇って吐き気を覚える。
「食べたくない……」
不意に出た本音を呟く声が思った以上に鼻声で自分でも驚く。
「泣いてるのか」
ケイが顔を覗き込もうとするから立ち上がって背を向けた。
「と、トイレ借りる」
起こしてくれたケイを置いて部屋を出、ギルに声をかけられても気づかなかったフリをして、外に出た。外に出たら崩れるようにして座り込み、顔は腕で隠して、殺していた声を、呼吸を小さく出す。
クリスマスなんて大っ嫌いだ。
一度扉が開かれたが、扉の前で座っていたから人が通れるくらいの隙間は開かずにケイの声だけが聞こえた。でも、聞こえなかったフリをして静かに泣き続けた。
落ち着いて顔を上げたときにはもう暗くなっていて、いまさら夜の暗さと寒さを覚える。手足が酷く冷たい。
向かいの家では酷くクリスマスを煽る飾りがあった。サンタの置物、トナカイ、プレゼントボックス、クリスマスツリー。どれも汚い色をして気持ち悪く光っている。吐き気がする。
それでも一度深呼吸をして立ち上がり、家の中に入った。鍵もかける。
リビングにはケイの母親がいて僕が入ったことに気づく。そして「おかえり」と優しく言われた。
「敬助たちは部屋にいるから、顔見せてあげて。あ、でも待って」
ソファーを立ち上がると洗面所に入って少ししたらタオルを持って出てきた。
「目が腫れてるから、ちょいちょいこれで温めな」
最後に優しく抱きしめてくれた。
「ここに帰ってきたことはすっごく偉いことだからね。よく頑張った」
その言葉にまた涙を出しそうになるが、ありがとうございますと鼻声で言った。
部屋に入る前に一度深呼吸をして扉を少しだけ開ける。なんとなく開けられなかった。中の様子を窺うつもりだったが、開ける音が聞こえたのか、扉を開けられて、ギルの顔が覗かれる。
「あっ、れーくん! よかった」
そして優しく腕を回す。
こういうときいつもなら、なんで? どうして? と聞かれるが、今回は言われない。ケイがなにも聞かないでやってくれなんて言ったのだろう。
「冷たっ! 外寒かったでしょ? こたつで温まろ!」
温かいギルの手に掴まれて、空いているところに入れられた。温かい……。ずっと外にいたことを思ってか、ケイにも肩に毛布を掛けてくれた。
「あ、そういえば真也くん。れーくんから貰ったサンタ衣装もう一回着てよ!」
その言葉が耳に入ったとき、ビクリと体を動かす。
「……ギルくんいいよ。……下条もそろそろ帰らないと貰えないぞ」
「うわっ、マジじゃん。俺帰るわ」
「あ、でも……この暗さで出るのは危ないか」
「いやいけるって! 早く寝ないと貰えなくなる! ギルたちも早く帰れよー! じゃあな」
僕らが贈った贈り物を乱暴に取って、部屋を出ていった。ケイもそのあとを追う。
手と一緒にこたつに入っていたタオルを思いだして、目に当てる。こたつで温められて、貰ったときよりも温かくなっていた。
「ギルたちは帰らなくていいのか」
「うーん、敬助くんが言ってたように暗いから心配するかなーって。たぶん、言えば迎えに来ると思うし、それまでいいかなって」
「僕は終電に乗れるくらいならいれるから。たぶんお酒入ってて車運転できないだろうし」
「電車で帰るなら夜道には気をつけろよ。できるだけ大通りを通って明るい道を」
「あはは、総務さんのお母さんみたいなこと言うじゃん」
未成年なんだから、それくらいの心配はしていいだろ。大人になっても注意しないといけないのは確かだが。
「……そういえば」
さっきのトーンの明るさとは大違いに、ギルがそういう。
「なんでれーくん……泣いちゃってたの?」
「英川くんそれは」
「心配なの。……それで引き金になるようなこと言って、傷つけちゃうのも嫌だし」
「……でも、影島くんがああ言った意味がなくなるよ」
「…………」
目を閉じているからか、脳によく映像が映る。汚い色も付けて。吐き気を覚え、目を瞑るのをやめた。部屋が明るく感じる。
「世間的にその日になれば嫌でも目にする。ギルがいくら気遣ってくれても無駄なんだ。今はケイに言われたことを守ってくれることが、一番傷つかない」
「……わかった」
この気持ち悪さはすぎたら次は一年後にしか見なくなるものなんだ。我慢すれば過ぎるんだ。話をして気遣われるほうが傷つくかもしれない。今まで通りでいいんだ。
間もなくケイが帰ってきて向かいに座り込む。鼻を少し赤くしていた。立ち上がって肩に掛かっていた毛布をケイの肩に掛ける。小さく驚きを見せたあと、ありがとうと言って優しく微笑まれた。その言葉に嬉しくなって僕も微笑む。
今度は本当にトイレを貸してもらって部屋に戻ったとき、話題は「将来の夢」になっているようだった。これまた嫌な話題を。
わざわざ遠くに座るケイの隣に座り込む。ギルが羨ましそうにしていたが、こたつに入ってからだともう遅い。少しでも人の温かさを感じようと、ケイの腕に頭を引っ付けて、脚もケイのあぐらをかく上に載せた。
「総務さんは?」
「僕は学校の先生かなって」
少し照れくさそうにしながら笑う。
「総務さん教えるの上手だから絶対なれるよ! 教えるの上手だし優しいから大人気になりそう! 小学校の? それか中学とか高校の?」
「まだ決めてないけど、小学校のほうがかわいい子も見られて癒されながら教えられるのかなって思ってる」
「小さい子かわいいよねー! たまに見かけるけどいつもかわいいって言っちゃう。あはは。総務さんの小さいときもかわいかったんだろうなー。いつか総務さんの家行ったときアルバムとか見せてよ!」
「んふふ、見ても面白くないよ」
「絶対いいの見れるよ!」
アルバム……。しばらく触ってない。そもそも写真なんて入ってなさそうだ。小学校入学したときとか、写真を嫌々撮られた憶えはあるが、父親が焼き捨てでもしてそうだ。
けど、そうしてくれたほうが僕もありがたい。嫌な記憶を消せる。
いつの間にかケイが肩に腕を回してくれて、一定のリズムで優しく叩いてくれていた。ときどき頭も撫でてくれる。眠りに誘っているようだ。ただ心地よくて温かい。
「さて、れーくんの番だよ。絶対教えてもらうんだからね」
ギルからは将来の夢について何度か聞かれたことがあった。何回かも憶えていない。けど、そのたびに教えないと言って言わなかった。
そして今回も言う。
「教えない」
「はなしとして……」
「……教えない」
「はなしで」
なんだ。
ギルの異様な言動にケイと総務も笑っていた。
「教えてくれるまで絶対に帰んないんだからね」
「……ヒントとして一つ。仕事にしたいと思っているのは二つあって、どちらか迷っている。それだけは教えてやる」
「……ヒントじゃないじゃん! ヒントってもっとこう、頭使う仕事なのか、体使う仕事なのかとかあるじゃん。教えられたのただ迷ってるってだけだよ」
「そこからなんとか絞り出せ」
「無理すぎるよ!」
僕を優先するか、他人を優先するか。けど、きっと他人を優先してそうだ。
ケイの父親が帰ってきたとき、家に人がいることには驚いているようだった。そしてギルと総務を家まで送ってほしいというケイの要求にも。
仕事終わりにそんな要求をしてくる息子なんて、さぞかし嫌だろう。それでも嫌な顔せず……いや少ししていたが、それに応えてくれてケイも含めて家を出た。僕は玄関前で少しあいさつをした。
「新藤くんはほんとに送ってもらわなくていいの?」
「蓮はな」
僕が答える代わりにケイが答えた。べつに家に必ずしも帰る必要はないから、今日は泊まらせてもらおう。こんな時間に帰っても冷たい家を味わうだけだ。それなら温かいケイの家に泊まったほうが心が温まるというものだ。
ケイからすぐ戻るからなと言葉を聞いたあと、部屋に戻ろうとしたとき、ケイの母親に呼ばれる。「部屋に戻っても一人でなにもすることないでしょ?」と。
「今日は敬助と遊んでくれてありがとね。今日家帰ったときはたくさん知らない子いてびっくりしたよ。まさか敬助が友だち連れてくるなんてって。あの子友だち作るの下手だからずっと本読んでるかゲームしてね、遊びにとか行かないのって聞けばうるさいって言われてね。
でもちょうど今通ってる高校に通いだしてからはちょいちょい『遊びに行ってくる』なんて連絡入れて。でもそれしか書いてなかったから『誰かと?』とか『どこに?』とか聞いても帰ってくるまで連絡来てたの気づかなかったって。そのあとも遊びに行ってたって言うだけで、いくら聞いてもどこでもいいだろって。だからずっとヘンなのに絡まれてないかとか心配してね。ただでさえ友だちと遊ぶなんてこと想像できなかったから。
でも家に友だち連れてるって聞いたときは驚いて、少しでも楽しんでもらおうと急遽たこ焼きパーティーにしようって。少食の子もいるって言ってたから自分で量決めて食べれるしちょうどいいやってね。どう? おいしかった? 楽しめた?」
「はい。十分なくらいに。大勢で食べることが、こんなにも温かいんだなって、思いました。たこ焼き器、一つ新しく買うように言ったんじゃないですか。ケイ……すけ、くんに」
「そんな、呼びやすい名前で読んであげて。実はそうなのよねー。二つもいらないのに、今日の日のためだけに買ってなにしてるんだろって思ったけど、楽しそうに食べる子どもたちの顔見てたらどうでもよくなっちゃった。……そうだ、家にたこ焼き器ある? もしなければ持っていかない?」
「……遠慮しておきます。またこうして集まったときに、使うかもしれません」
「いいこと言うんだから。けど、そういうからには蓮くん、絶対来てちょうだいね。あの子蓮くんのことばっかり話してて、それもすっごい楽しそうに。蓮くんと一緒にいるからかよく眠れうようになってるとかも言ってね。敬助、睡眠にちょっと問題あるって、たぶん聞いてるでしょ? それでね。
今日だって敬助の脚を枕にしてたときあったでしょ」
ケイの脚を枕に……。たこ焼きを食べていたときか。
「……あの時は……すいません」
「いいのいいの。むしろしてあげて。敬助なんだか嬉しそうにしてたから。たぶん蓮くんが心の支えになってるのかなって思ってる。小学三年生だったかな、そのときも仲良くしてくれたって聞いてる。昔の唯一の友だちが傍にいてくれたら、そりゃもうすっごく安心すると思う。だから、これからも傍にいてあげて」
ケイの心の支えになってる……のか。僕を頼ってくれるのは嬉しいものだ。
「あの子ね、つらいことあったら一人で泣く子でね。二階に上がったとき、少しでも聞こえたらあたしまで苦しくなってね。なんとかしてあげれたらって思うけど……。
それで一回泣いてる声聞こえるあの子の部屋に入って声かけたの。でもなにを言おうが無視して、最後には『うっさい黙れ!』なんて言って家飛び出していっちゃってね。あのときはほんとやっちゃったなって。夜になっても帰ってこなくて、結局警察の人に迷惑かけちゃってね。それ以来泣いてても優しく見守ってあげようって」
想像がつきそうなつきなさそうな。けど、あのケイが一人で泣くところなんて想像がつかない。少しくらい嫌なことはあって怒りは出しても、悲しみを出すとは思えない。
「その泣くのも年上がるに連れて少なくなったけど、それでも泣く日はあってその次の日とか顔も見せてくれなくてね。でも最近はほんとに見なくなって、安心したよ。九月の初めに聞いた以来、聞いてない。
これはあなたのおかげなのかなって思ってるの。だからこの話をしたの。全部あなたのおかげだから、あの時あなたが外に出ていったときも戻ってきてくれてよかったって。敬助の友だちなんて特に」
ケイは相当愛されているんだろうな。
ケイが戻るまでの間、ケイの話が続けられた。ケイが言っていたようにコミュ力おばけなのは確かなのだと、いまさら実感する。頭が追いつけないくらいだった。それでもケイの面白い過去も聞けて満足している。
「そういえば蓮くん」
「ただいまー」
「クリスマスケーキあるけど……おかえり」
「母さん!」
帰ってきて早々、声を荒げる。僕を気遣ってくれている。
「じゃーこれはお父さんにあげよっか。食べたくないものを無理に食べさせたくはないし」
「……あの……食べます」
「いいのいいの、無理して食べなくて」
「ケイの昔話を聞いて、なんだか温まりました。今なら食べられそうです」
「……そう。なら用意するね」
母親は立ち上がってキッチンに入っていった。
「ほんとに大丈夫なのか? 無理に食べなくていいんだぞ」
「少し収まった。それにせっかく僕の分として切り分けてくれたんだ。普段ケーキなんて食べないから、それもだ」
「……そっか」
頭をぽんぽんと撫でられて洗面所に入っていった。同時に目の前にクリスマスケーキとフォークが置かれる。わざわざ装飾も飾り直してくれてるみたいだ。小さなクリスマスケーキ。
「いただきます」
クリスマスケーキなんていつぶりだろう。いつかにギルの家に招かれて一緒に食べた憶えはあるが、それ以外きっと食べていない。
あの時と違ってまずくない。おいしい。
洗面所から出てきたケイは向かいに腰掛けた。そして僕を嬉しそうに見つめる。少し食べづらい。
「……てか母さん、さっき蓮が俺の昔話聞いたって……なに話したんだ」
時差がすごい。ケイはブラジルにでもいたのか?
「いまさら……。敬助の恥ずかしー昔話もちゃんと話しておいたから。例えばー」
「あぁ! 言わなくていいって!」
さっきまで嬉しそうにしてた顔はすぐに赤くなっていた。ここまでわかりやすく赤くなるのは見たことがない。
たくさんケイの昔話を聞かされた。特に面白かったのは……そうだな、地面に落ちているセミが生きているのか死んでいるのか見分けるのは、足が曲がっているか伸びているかとか母親に自慢げに言って、セミに近づいたときセミが飛んで、それに驚いたケイが腰を抜かしていたこと、とか。
「もうこうなったら母さんの恥ずかしい話も言うからな!」
「ちょっと、それはやめなさいって」
「ちょっと前にスーパーに買い物に行ったときっ、んんん!」
ケイの口は母親の手で塞がる。そんな様子を面白く見ていた。
親子はいいものだな。
蓮は風呂に入らなくていいって言ってたから先に入らせてもらった。洗面所を出ても蓮の姿はなく、聞けば部屋に上がったらしい。
「敬助の昔話聞いてくれなかったの」
「そんなの誰にも言わなくていいから」
「それはそうと、蓮くんはどこで寝るの? 敷き布団出せるけど」
「……まあ、俺のベッドで一緒に寝るよ。蓮ああ見えて細身だから余裕で入るさ」
もう少し太くてもいいくらい。
「そう。おやすみ」
「おやすみ」
一瞬棚に置いてある薬ケースを目にやったけど、今日はきっと大丈夫。蓮といれば。
部屋に上がったら蓮がカタツムリみたいにしてこたつにもぐっていた。かわいい。
「お待たせ」
「部屋着まで貸してもらって、悪い」
「全然。せっかく俺の家で寝るんだから快適に過ごしてもらいたい」
蓮は貸した部屋着の上にギルくんからもらったもこもこのルームウェアを着てる。すごくあったかそう。
「もう寝る?」
「眠気はない。普段ならこの時間は勉強とかに当ててるから、遅くて……三、四時間後にしか眠気は来ないだろうな」
三、四時間後って、深夜の一、二時じゃないか。人のこと言えないけど、遅すぎやしないか?
蓮の隣のこたつに脚を入れたら蓮の体に当たるから、当たらないように脚を伸ばした。それなのに蓮は俺に引っ付く。そんな横顔を撫でた。
なぜか最近撫でても怒らない。むしろほんの少しだけ口を緩ませる。
けど本当は嫌だったのかもしれない。のそっと体を起こした。
「……最近、酷いんだ」
そのあとに言葉は続かない。なにが酷いんだろ。
けどさっきの言葉の意味を教えないように、ずっと口を閉じてましたとでも言うように脚をこたつに入れた。なにが酷いのかは教えてくれないんだな。それとも、俺に撫でられるのが酷くて嫌だってこと?
蓮がそう思ってるならやめよう。そう腹をくくろうとしてたとき、
「……うで、まわしてほしい……」
弱々しく言われた言葉に驚く。蓮がねだった? 腕回すって、抱いてほしいってことだよな。
内心は驚きを隠せなかった。でもその行動を安心させるように、前を向いて俯く蓮の体を優しく包み込むようにして抱いた。
今思えば蓮はずっと独りで過ごして、親の愛情なんて貰ってなかったんだ。愛情に飢えてそれを求めないほうがおかしいくらい。これまでずっと我慢してたんだろうな。誰かに優しく抱いて撫でてもらいたいのを。
ときどきギルくんが抱いて撫でる愛情で少しだけ蓄えていたのかもしれない。それでも尽きるときは尽きる。だからこうしてどんな反応をされてもいいくらいには愛情に飢えていて、自ら貰いに来た。もしかしたらギルくんからの愛情ではチリ程度にしか積もらなくて、もうとっくに蓮に残る愛情はマイナスを進んでいたのかもしれない。
……ていうか体熱くないか?
「蓮、熱くない?」
「……知らない」
「いつから?」
「……知らない」
これはこれは、ずっと体が熱かったけど心配させたくないからって言わなかったパターンだな。
「教えて。他になにかある?」
「……ない」
今じゃその言葉が本当だと信じれなくなってる。
今こうして抱いてもらうのを欲してるのも、体が熱くてかもしれないな。
「風邪のなりかけかな」
それを証明するかのようにずずずと鼻をすする。
「確定だな」
「今のは……泣いて……ケホッ」
「今度こそ」
「今のも」
蓮の頭を撫でてはぎゅーっと抱きしめる。
「大丈夫だから、もう寝な」
蓮が涙を添えながら俺のほうに向きを変えてからは、背中を優しくトントンって叩いて、たまに頭を撫でたら心地よかったのか寝てた。遅くとも一、二時って言ってたのに。まだ十二時過ぎだ。
楽そうに立てる寝息と寝顔には俺も安心する。
起こさないようにこたつを足でどかして、そのまま抱き上げてベッドに運んだ。ベッドに寝転ばせたあと一瞬起きそうだったけど、眩しく思わないようにと目を開けないように瞼を軽く抑えていたら起きることはなかった。
ギルくんからクリスマスプレゼントで新しいぬいぐるみを貰ってたのを思いだして、勝手に袋をあさらせてもらおうと振り向いたとき、蓮がカタツムリになってこたつに入っていたところの前に画面がついたままのスマホがあった。
拾い上げたとき、見るつもりはなかったけど自然と画面が目に入る。画面には電卓のアプリが開かれてた。
高値の数字が足されたりかけられてる。初めはテストの点などかと思ったけど、それにしては数字が大きすぎる。
なら他になにがあると考えたとき、蓮は一人暮らしっていうことを思いだした。
「…………」
俺はそっとスマホの画面を消して、スマホが踏まれないよう机の上に置いた。なにかしてあげられたらいいんだけど。
蓮が貰ったプレゼントがまとめてあるところには、わかりやすくギルくんのぬいぐるみがあった。当たり前に汚れもなくて買いたてみたいだ。それを蓮の腕の中にいれたら、蓮はそれがなにかわかっているように胸に引き寄せる。
俺はまだ眠気がなくて、用事も済ませず腕に顎を乗せて、蓮の寝顔を見ていた。やっぱり楽そう。
そんな寝顔を見て俺も微笑みを作る。優しく蓮の頭を撫でた。
肩に負担があったのか少し体勢を変えて、上半身だけ天井を向く。綺麗なかわいい顔。それでも体が熱いせいか顔を赤くさせて、すごくいい顔はしてない。
「…………」
……しんどそう。
キスで風邪が移る。そんな迷信、本当だったらよかったのに。
それをするだけで蓮が楽になるのなら……。
耳を撫でて、起こさないようにそっと、柔らかい唇に重ねた。
ずいぶんと頭をすっきりさせながら目が覚めた。それでも昨日人と会った疲れがあったのか、少しだけ体がだるむ。部屋にケイはいなくて、掛け時計に目をやれば八時前でいつもより遅い起床だった。人の部屋のベッドで悠々と……。
今日は「クリスマス」か……。いい思い出のない日。今後一切関わりたくない日。僕が「悪い子」と証明された日。サンタなんて存在しない日。
体を起き上がらせたあと、部屋を出ようと立ち上がる。今日もずいぶんと寒い。でもこのルームウェアがかなり役立っていて震えるほど寒くない。
「あ、起きた。おはよ」
「……おはよう」
「体調大丈夫?」
「……なんのことだ」
「……わかんないならいいけど」
扉から顔を覗かせたケイは、問いの答えに一度は不思議そうにしたものの、諦めて僕の手を掴んで部屋から出、律儀に扉を閉めて一階に下りた。手首を掴まれたままだから僕もあとを追わざるを得ない。
……なんだかいいニオイがする。
「洗面所借りていいか」
「全然使って。タオルは適当に使ってくれたらいいから」
腕をまくって顔を洗う。スッキリした気分を害されないように鏡は見ないようにして。
洗面所を出たら、すぐケイがいて再び手を掴まれた。そしてダイニングへ向かう。
「…………」
もうずっと昔に見たその光景に言葉を失った。
食卓テーブルには四つの席の前にそれぞれ茶碗や味噌汁、箸やコップが置かれていた。
「好きなところ座ってていいからな。ちょっと父さん起こしてくる」
ケイは傍を離れる。
白米や味噌汁は温かそうに湯気を立てている。他にもいい色をした卵焼きやウインナーも。それに食欲がそそわれないわけがなかった。
でも食欲より勝るなにかが僕にはあった。
「母さん、父さん起きない」
「もー」
「まだ座ってなかったのか。特に決まった席なんてないから、な?」
傍に来たケイが顔を覗き込む。そのあとは優しく背を撫でてくれた。
手近な席に座らされて、隣にケイも座る。座っても背を撫でるのはやめない。頬に伝う涙を手で拭った。
「いただきまーす」
「……い、いただきます」
「はい、どうぞ。お父さん起きなくてごめんねー。ゆっくり食べたらいいから」
「……はい」
とにかく温かくて、温かくて、涙ぐみながらしか食べられなかった。この温かさを噛みしめるようにして食べるしかできなかった。
味噌汁なんて特に、作る人によって味が変わる代表例だ。食べたこともない温かい味が口の中でいっぱいで、言葉にできない温かさがあった。
食べ終わってもしばらく視界が歪んだままだった。ケイに優しく撫でてもらってやっと落ち着く。
「本当に……ありがとう」
「作ったのは母さんさ」
「もちろんケイの母親にも感謝している。けど……ケイは昨日、僕を泊まらせるように仕向けていた。……こんな幸せを味わうなんて思っていなかった」
「さあな。……部屋行こ」
もう一度深く母親に感謝をして階段を上がった。ケイは後ろを付いてくる。
部屋に入ってすぐこたつに入ろうと視線を動かしたとき、昨日には明らかになかったものがベッドの枕元に置かれていた。ぬいぐるみは起きたときに気づいていた。けどそれじゃない。赤い靴下の形をした袋が起きたときに視界に入らない位置に置かれていた。
見たことのあるその袋に胸が苦しくなる。同時に腹を強くさする。
あの袋はケイに宛てた袋だ。この部屋は、ベッドは他でもないケイのものだ。僕宛なんかじゃない。そもそも、僕は欲しいものなんて書いていない。
こたつは温まっておらず、脚を入れても温かくなかった。電源を入れて机に頬を付けて温まるのを待つ。耳にはなにかが稼働する電子音が聞こえる。
「蓮、あれ、ベッドの上の開けないのか?」
「……あれはケイのだ。この部屋もあのベッドもあの……プレゼントも。……そもそも僕は『悪い子』だから……貰うはずがない」
さっきまでの幸せが嘘のように落ち込んでくる。こたつの中で腹をさすった。
「そんなことないと思うけど」
視界の外から例の贈り物が下りてくる。
「俺朝起きたときに置いてあったの貰ってるし。この家に未成年っていったら俺か蓮しかいないんだから、俺貰ったなら残りは蓮しかいないだろ?」
嘘だ。そんなはずない。そんなはずがない。僕は「悪い子」なんだ。そんな奴にサンタが贈り物、プレゼント? あり得ない。
それでも、気づいたときには体は起きていて、震える手でその贈り物を取っていた。
重さは袋だけではない。中になにか入っている。震える手でリボンを解いて中を覗く。
「…………」
中にはマフラー、手袋、ニット帽、ネックウォーマー、分厚い靴下、そして本が入っていた。僕が気になっていた小説が。
本当に僕が貰うものなのか。ケイのではないか。そんな疑念が繰り返される。それでも、声を出さずに目の前を歪ませて袋を抱きしめていた。
「サンタの都合でくれなかっただけで、蓮はもとから『良い子』だったんだ」
ケイのその言葉に涙を出さずにはいられなかった。
「良い子」……僕は「悪い子」ではない。
プレゼントを貰った事実とケイの言葉のおかげでそれが真実のように思えて、同時に「良い子」だと認められた気がした。
「我慢しなくていいからさ」
そして部屋には小さな子供が泣くような、そんな声で埋まった。
「今日はどうする? まだいる?」
「……どうしようか」
貰ったばかりのマフラーを首に巻いてこたつに座りながら入って温まっていた。
目はうまく開かない。だから温めたタオルで目を温めながらケイと話していた。
家の掃除を久々にしようかと思っていたんだ。けどせっかくケイの家にいるならもう少しだけここにいたい気がする……。
「そ、それか予定あった? 大丈夫?」
「特にはない。ただ掃除をしようかと思っていただけだ」
「掃除? 部屋の? でも蓮の部屋って綺麗すぎるだろ」
「いや、家全体の掃除。両親の部屋は使う予定もないし、あっても物置になるだけだからいいんだが、物置部屋にあるものを整理したいと思ってな」
きっと忘れ去られた使えるものがある。寿命が過ぎて使えず捨てるべきものも。
「あぁ、あの物置部屋な。ホコリ溜まりすぎてたよなあそこ。あそこ一人で掃除するなら大変だろ? まだ右手もはっきりとは動かないんだし」
「……それはケイに悪い。あの部屋を掃除するのは確かに大変かもしれないが、ケイにあそこの空気を吸わせられない」
少し前に一度入ったが、入ってすぐにくしゃみをするし、入っている間何度もくしゃみをした。
「べつに、あれくらいマスクしてたらいけると思うけどな。俺に気遣ってるならべつにいいさ、そんなことしなくて。手伝うな」
納得はしていないが、右手が動かしづらいのは確かだ。
半ば強制的に手伝ってもらうことになった。
ケイの両親は仕事でいない。僕の家までは徒歩で行くことになる。
「……昼はどうする」
「んー、俺は蓮の料理が食べたいとは言っとく」
「……なら掃除する前にスーパーに行って買ってくる。なにが食べたい」
と言っても、ギルと同じことを言うんだろうな。
「なんでもいいさ、蓮が作るものなら」
ほら。二人して料理をする人を困らせることをいう。
けど、このあとは僕の家に行くことが決まったから、荷物をまとめて出られる準備をした。
サンタから貰ったプレゼント、すごく温まる。体も心も。サンタなんていないと思っていた。けど、きっといるのかもしれない。こうしてプレゼントをくれたのだから。
でも、正直信じきれないところがある。ずっとサンタは空想上のものでしかないと思っていたから。けどもし本当に空想上の人物でしかなかったら、あのプレゼントはどうして置かれていたんだ。
「……ケイが置いたのか」
「なにが?」
いや、でも真実は知りたくない。知ってはいけないんだ。サンタはバレないようにプレゼントを置く。だから正体はバレたくないんだ。無理に知ろうとするのは子供じゃないんじゃないか。
「なんでもない」
貰ったプレゼントで体を温めながら僕の家に向かった。向かったと言ってもケイの家がどのあたりにあるだとかは知らないから、ケイに道案内をされて。僕の家に向かっているのにな。
ケイの冷たい指先を少しだけ握りながら歩く。ケイはそれに静かに応えて小さく握ってくれている。
けど一度、赤信号の前で離した。ケイからはもういいのかと問われるが、違う。
そっとケイの手のひらと僕の手のひらを重ねた。今度は、その体温を覚えるように。噛み締めるように。
微笑まれたあと、それに応えて手を握ってくれる。むしろぎゅっと体を包みこんでくれる。
「そこまでは頼んでいない」
それでも青信号になるまで離してくれなかった。肩に顔をなすりつけられたら離してくれる。顔を上げたケイは鼻を赤くさせて、楽しそうに微笑んだ。
見慣れた景色になったら僕が手を引きながら歩いて家に着いた。
荷物を降ろして一息ついたあと、また出る準備をする。と言っても財布とエコバッグがあればいい。荷物を下ろしたあとケイに一言言った。
「買い物に言ってくる。途中で食べたいものができたなら遠慮なく連絡したらいい。それにする」
むしろ言ってくれないとなにを作ろうか迷う。
「ん、俺も行くけど?」
「……そうか」
家で留守番すると思っていた。
ケイと家を出てスーパーに行く。なにを作ろうか。スーパーに行く前に決めないと。
クリスマスだから豪勢に七面鳥? いやスーパーには売ってないだろう。高いだろうし。けどせっかくのクリスマス……いやせっかくなんてものではないか。ただの平日。それでも今は洋食が食べたい気分だ。
赤信号に足を止めたら、さっとクリスマスに食べるような食事を調べる。
ローストチキン、グラタン、パイ、ハンバーグ……寒いし、グラタンにしよう。
そのグラタンになにを入れたいか聞けばまたなんでもいいと。
「適当に入れるからな」
「好きなもの入れたらいいさ。蓮が作るならなんでも」
余裕そうに……。ケイの苦手なものを入れてやろうかと思ったが、ケイの苦手なものを知らない。
グラタンはどうやって作るだろうか。スーパーに入る前に邪魔にならない位置で少し調べる。
マカロニ、鶏もも肉、玉ねぎ、ホワイトソース、牛乳、バター、塩コショウ、ピザ用チーズ、パセリ。……ホワイトソースってなんだ。
調べたところ、ホワイトソースはグラタンなどに使うソースらしい。売ってもいるみたいだが作ろうか。グラタンなんてそうそう作らない。余らせて消費期限を過ぎて破棄したくない。
ホワイトソースはバター、薄力粉、牛乳で作れるか。なるほど。買うものはだいたい決まった。
動こうと顔を上げたらケイは僕の体に腕を巻く。寒くなったのか? そう思ったがケイの顔はやけに真剣そうに、どこかを睨んでいるようだった。
「どうした」
「……いや、ずっとこっち見てる奴いた気がして」
ケイの視線の先を見るが、こちらを見てる奴がいるとは思えない。
「気のせいじゃないか」
「……だといいんだけど」
ケイの腕を掴んで下ろす。
なにか恨みを買うようなことをした憶えはない。恨みを買っていたとしたら思い当たるのはあの十一月末に絡まれた事件の犯人の女くらい。けどあいつは外に出られていないはず。それにさっき目にした中に僕の知人がいないのは確かだ。
「買うものが決まった。スーパーに入ろうか」
そう促してもケイの気が収まらないのか、スーパーに入るまで僕の背を守るように背中に引っ付かれていた。
けど警戒はスーパーに入ったらなくなった。ケイはなにを感じ取っていたのだろう。そんな警戒をしなくなったケイはのんきにカートを引っ張り出してカゴを置いてくれる。
「そんな手で持たせられない」
なんてまた気を遣うようなこと言って。何度だって重い荷物は持っていた、なんて言っても持たせてはくれないだろうが。
買うのはマカロニ、牛乳、ピザ用チーズ、鶏もも肉、それとホワイトソースを作るための薄力粉、くらいか。マカロニと鶏もも肉以外にも具材を入れたほうがおいしくなるだろう。適当に見つけた合いそうな具材も追加で入れよう。
必要なものを探してカゴに入れて歩く。それを繰り返していた。
ブロッコリーか。……合いそうだ。小さめに切ったら食べやすいだろうし。傷がなく締まりのある、色の綺麗なもの……これにしよう。
カゴに入れようとしたとき、ケイがまた険しい顔をしていた。けど今度は首をねじらず視線がどこかを向いている。
「左」
そう一言。
左……。試しに見てみるといた。こちらを向いて一切顔を逸らさない奴が。けどフードを深く被って、マスクをしていて、どんな顔をしているのかはわからない。背は僕くらいで細身。確認できたらすぐ戻す。
「誰か知ってる?」
「……さあ。憶えはない」
けど少しだけ憶えのある体格をしている気がする。
ケイが音を立てないように写真を撮ろうとしていたがカメラアプリを起動させている間に姿をくらましていた。
「追うか」
「……いやいいよ。また巻き込まれても困る。警察の監視下にないなら余計に。なにか起きたなら犯人を威嚇させて怪我しないように、遠くから警察の仕事を見るだけでいい。買い物の続きしよ」
あいつがなになのかはっきりさせたいところだが、姿をくらまされてはどうしようもない。写真を撮れたわけでもないし、顔を憶えたわけでもない。
僕は頷いて、次の場所へ向かった。
あいつは再び姿を現すことなく、買い物終盤になる。結局誰かわからなかった。
最後にお菓子売り場に来て、
「好きなもの選べ」
「……子供じゃないんだから」
そうは言うも、ケイはしゃがみ込んでポテチを眺める。眺めている間にカートを奪った。そんなことにケイは気づきもしない。
「子供の頃はよくガキみたいなお菓子買ってもらったなー。今はポテチくらいしか食わないけど」
僕もときどき買ってもらうことはあった。父親にバレないような、小さな菓子。けど特に気に入ったものはなくて、母親と分けられそうなものしか選ばなかった。母親がおいしく食べられそうなものしか選ばなかった。
それに母親が和菓子が好きで、ダイニングテーブルにはいつも和菓子があったから、特にスーパーの菓子を欲していたこともなかった。いつかに母親が勧めてきて一口食べればおいしくて、小腹が空いたら食べたりしていた。
けど思えばいつの間にかなくなっていたな。僕があれが「和菓子」だと認識する前にはもう。
今ももうなんの菓子だったかわからない。幼い頃の記憶を鮮明に憶えていてくれることもなかった。いまさらあれがなんの和菓子だったのかなんて計り知れない。
「言っとくけど、奢るからな」
そううすしお味のポテチをかごに入れた。
「……一緒に会計するが」
「ん、だからそのカゴの」
ポテチを奢るというのではなくか?
「言っていることがよくわからないが、奢られはしない。する必要がない。そこの袋詰めのどら焼きかごに入れてくれないか」
カートから手を離したらケイに取られるのがわかっていた。僕の買い物に付き合ってもらっているのにカートを最後まで押してもらいたくない。
そんな意図を理解してたのか、どら焼きを一度見てから、
「自分で取ったらどうですかー」
ヘンなところで意地を張る。
まあいい。僕が少し前に移動したらいいだけだ。そう一歩踏み出すも、カートの前にはケイが立っていてぶつかる。一切どこうという素振りを見せない。
「……邪魔だ」
「…………」
一瞬怒っているような気がしたが、次第にははっと笑う。ケイなりの遊び……か?
仕方なく手を伸ばしてたら、その隙にケイにカートを奪われてしまった。すごく嬉しそうに僕を見てくる。……今回は譲ろうか。手に取ったどら焼きをかごに入れた。
セルフレジの場所まで行って、会計を済ませていく。ケイが隣でカゴに入っている商品を次々に渡してくれていた。が、
「……牛乳まだだったな」
「ん? まだだけど」
「先に渡してほしかった」
赤外線に当てて、エコバッグの中身を少し取り出して牛乳を底に寝かせる。
「順番あった?」
「……特にはないが、軽いものの上に重いものは載せられないだろ。潰れてしまう」
「確かに。俺が蓮の上に乗ったら潰れるよな」
なぜ僕とケイで例えた……?
「わかったならそのブロッコリーも渡せ。ブロッコリーも重たいだろ」
「ギルくんくらいかな」
だからなぜ……まあいい。
「じゃあこのペットボトルの水も先に渡したほうがよかった?」
一リットルのペットボトルに入った水を持ち上げる。
「それは袋に入れないからいつでもいい」
受け取ってバーコードを赤外線に当てる。
「てかこの水ってなにに使うんだ?」
「飲用」
「……飲用? わざわざ? 水道水飲まないのか?」
「昔はときどき雨水を飲むことはあったが、水道水はなかったな。昔からそのペットボトルの水を飲用として飲んでいたから今から変えるのは気が引ける」
「雨水飲むって……」
ケイにはなぜか深刻そうな顔をする。そんなケイを袖にしてカゴの中身がないか確認して、会計ボタンを押した。
いつもより少しだけ高い。菓子を買ったせいだろうか。
大きくなったエコバッグと片手に二本のペットボトルを持ってレジをあとにする。が、すぐに荷詰め台に置く。重たい……。
「いつもそうして持って帰ってたのか……?」
「エコバッグに入れたら余計に重くなる」
「それはわかるけど。……それ俺が持つ」
その言葉に甘えて一本ペットボトルを預ける。
「……もう一本は?」
「僕が持つ」
少し呆れた顔をしてもう一本のペットボトルを奪われた。さらにエコバッグまでも奪われそうになったからこれだけは守り抜いた。
スーパーを出て家に向かう。
「よくその細い腕でこれだけの買い物いつもしてるな」
「細くて悪かったな。酷いときは米とペットボトルを買うことがある。けど一度あの重たさを味わったから極力べつの日に買うようにしている」
「これに米は普通に馬鹿だと思う。その日帰れたのか?」
「無理だった。途中で米を落として台無しにはしたくなかったから店に米を置かせてもらって、家に一度荷物を下ろしてからまた取りに来た」
すごく滑稽だったのは店員の反応を見てよくわかったからあれ以来気をつけている。
見慣れた帰り道を歩いて家に向かう。その途中、ケイが口を開く。
「……気づいてる?」
「ああ」
スーパーからずっと、後ろを付けられている。きっとスーパーで見かけたあの男。振り返らずともわかる。
きっとケイもわかっている。このまま僕の家に向かうのはいけないと。このまま向かっては、僕の家を知られてしまう。だから直接僕の家に向かわずに、途中で曲がったんだ。
生肉があるから寄り道はしたくないが、今後の安全のためには仕方がないことだろう。それに今は夏でもない。多少外にいてもそんなにすぐ腐りもしないはず。
僕の家からずいぶん離れた、逃げ道のない一本道の場所まで着いたらケイがパッと後ろを振り向いた。僕も振り向く。と、
「誰だ」
男はいた。が、ケイが振り向いたらさっと身を隠した。
「俺らになんの用?」
「…………」
ケイはまだ男が物陰に潜んでいることがわかっているのか、声を出し続ける。せめて顔を覆い隠すフードを取ることができたら誰なのかわかりそうなのだが。けど、あそこまで正体を隠す必要のありそうな知人がいた記憶はない。あって、先月のあの女くらい。けどその女ではない。
「蓮これ持てる?」
返事を聞く前にペットボトルを渡してきた。
「待て。追わないんだろ」
「……でも」
「ケイに怪我をしてほしくない」
重たいペットボトルをケイに渡す。
「お前が誰なのかは知らないが、これ以上あとをつけるようなら警察に通報する。してほしくないのなら、このまままっすぐ大通りまで僕らに背が見えるようにして歩け」
そう言って少しして、男が顔を覗かせた。けどそうそうに命令を聞くわけもない。一歩こちらに踏み出してきた。僕は警戒する。が、それ以上踏み出すこともなくさっと逃げた。追いかけようとするケイの肩を掴む。
「……ほんとになんなんだあいつ」
僕らに身を隠すようなことをしていたのならきっと僕かケイの知っている人間なんだろうが、どうも身を隠されては判別のしようがない。それに、あんな体格の奴に憶えがない。なんで僕らのあとをつけたのか。
「一つ確認なんだが、恨みを買うようなことをした憶えはないんだな」
「ない……はず。小学校は蓮と会わなくなってからほとんど行ってないし、中学のときも行ってない。前の高校は行ってたけど、片手で足りるくらいしか関わり作ってないし、そのどれもが深いものとかじゃなかった。そっちは?」
「悪いが僕に物事を記憶する力はないんだ。……確かに過去に恨みを買った奴がいたかもしれないが、きっとそれは小学校や中学校のときに晴らされている。高校で恨みを買うようなことをした憶えもない。しかもあんな体格の奴」
「あんな体格とか言うけど、俺にとっては蓮もあんなだからな」
そんなはず……いや、否めないかもしれない。
「帰ろ」
男が逃げていった方向を見るがさすがにもういない。なにが目的だったのか……。このあとなにもなければいいが。
「ていうか、小中に恨み買ったの晴らされてるって言ってたよな」
……気づかれたか。
「……言っていない」
「わかってるから。ごめんな、俺が傍にいれなくて」
「構うな。晴らされて当然だったんだその頃の僕は。ケイも行けない状態だったんだろ。僕のために無理して来てほしくなかったからそれでいい。それに今こうして生きている。それでいいだろ」
少し不満そうにする。が、僕は家に向けて歩き出した。ケイも付いてくる。
今度は後ろからあとをつけられることなく、家に着く。僕やケイには身に憶えがないみたいだったが、やはり僕が忘れているだけか? 確かに人を憶えられないが。
家に入ったのは十時半頃。昼食を作るにはまだ早い。が、今から掃除をしてはきっと昼食が遅くなる。中途半端だな。
とりあえず食材を冷蔵庫に入れる。
「……腹空いているか」
「いや、そこまで」
どうしたものか……。
「……な。そういえばさ、母親の部屋? ピアノあるの」
「ああ。アップライトピアノがある」
「やっぱりか。あの部屋が父親の部屋じゃなくてよかったって思って」
「……そうか」
なぜケイはいきなりそんなことを思ったのだろう。確かに一般家庭にはないものかもしれないが。
「母親が弾いてたんだ?」
「母親も弾ける」
「……母親『も』?」
ケイは知らなかったか。
「僕も弾ける」
そう言ったらケイが心底驚いてみせた。
「今まで知らなかった……。へぇーだからかな、蓮って音楽の点数いいよな。あと作曲家の名前とかもよく知ってて」
「……そうかもしれないな。ケイがそう思うならそうなんじゃないか」
「なんか弾ける?」
「どうだろうな。腕が落ちていなければ弾ける。……弾いてほしいんだな」
ケイは大きく頷いて「すごく」と、微笑んだ。
二階に上がって母親の部屋の扉を開ける。が、すぐに閉じた。ほこりっぽすぎる……。
「ははっ、そこも一緒に掃除しような」
「……そこまでして聞きたいか」
「蓮が弾いてるところ見てみたいし」
その重要性を感じないが。それにクラシック音楽なら調べればいくらでも出てくる。僕が弾く意味はないんじゃないか?
それでもそっと扉を開けた。そして窓を開ける。出しっぱなしだった扇風機を回して、
「くしゅっくしゅっ……すごいほこりだな……」
服をマスク代わりにする。本当にほこりっぽい。
「ずっと掃除してなかったんだろ? 中二の夏だから、三年くらい。しかも蓮が使ってるわけでもない。そりゃほこりも溜まるさ」
わかっているが、死者の部屋を掃除するのが面倒なだけだったんだ。ろくに使いもしない部屋を。
ある程度換気したらほこりの被ったピアノの蓋を開ける。久しぶりに見た、鍵盤。
ピアノ椅子の座面にあるほこりを払って、浅く座って鍵盤に手を置く。が、
「…………」
「……蓮?」
無理だろうな。
「調律していないから、音が気持ち悪い」
「……弾いてないけど?」
「わかる」
試しにドの白盤を押すが、
「……ほら」
「ごめん、俺絶対音感とかじゃないからわかんない」
わからないか、この気持ち悪さが。
静かにそっと蓋を閉める。
「駄目だ。調律してからじゃないとろくに弾けない。今度にしてくれ」
「今度っていつになるのやら」
まるで今後僕が調律しないみたいな言い草……。いつかする。いつか。
ほこりっぽい部屋から出てくしゃみをする。本当にほこりっぽい。物置ほどじゃないだろうが、酷い。一度本当に掃除したほうがいい。いつか調律するのならなおさら。
一階に下りてソファーに座ったら、ケイも隣に座り込む。
「……他の楽器も調律しないとな」
「他の楽器? ピアノ以外にもあった?」
「ヴァイオリンとクラシックギターがクローゼットに閉まってある」
「……へぇー。すごいな。そのどっちも弾けるんだ?」
「ギターは無理だ。主に父親が使っていた」
「ふーん」
少し貶したような言い方だった。父親に嫌悪を抱いているのだろう。僕もだが。けど、父親の弾くギターは綺麗な音を出していたのも確かだ。
楽器に罪はない。悪く思うものでもない。
「ヴァイオリンは弾けるってな」
「母親に教えてもらっていた。途中からは習い事として。ヴァイオリンも綺麗に弾ける人が弾いたらとても美しい音色を奏でる。母親が弾くヴァイオリンはとても美しい音をしていた」
……もう聞くことはできないが。
「ふーん。こう聞いたら蓮が器楽に恵まれた家で育ったんだなってすごくわかるな。親は誰だとかは置いといて。ピアノにヴァイオリンもできるって普通にかっこいい。俺特に弾ける楽器とかもないからさ。いつか蓮がピアノとかヴァイオリン弾いてるところ見たい」
横から熱い眼差しを向けられてそっぽを向く。最近はケイたちと過ごす時間が大切に思えて弾いていなかった。両親のことを思いだすのもあった。けど、久々に生の音色を聞きたい。
「いつかな」
この手で弾くのは、動画だけでは感じない美しさがある。
「思えば蓮って習い事よくしてた気がするけど。ピアノとかヴァイオリンもしてたんだろ? 他になにしてたんだ?」
「ピアノとヴァイオリン以外は……英会話と塾、それと習字だろうか。一応、記憶もないくらいの幼い頃にサッカーなんてものもやらされたが、今のこの体力と同じく昔もなかったからすぐにやめさせられた。他に水泳もだがそれも。僕も苦に感じていたから助かった」
「……ピアノとヴァイオリンと? 英会話に塾に、習字、水泳にサッカー……? 金持ちすぎない?」
「……そうか」
「すごく」
他の家庭はどうなのかわからない。
「……言うが、全てを同時期にしていたわけではないからな」
「じゃあ言ってみて」
「……確か、サッカーを幼少期に。けどすぐにやめてピアノと英会話を。小学校に上がって習字と水泳も加えられる。水泳は一年ほどしてすぐにやめたが。小学校低学年のどこかでヴァイオリンの母親から教えてもらうのが習い事に変わった。中学に上がったら英会話と習字は辞めて、塾を始める。こんな感じだろうか」
反応のないケイに向くと、口を押さえて俯いていた。
「……すごすぎる。意味わかんないんだけど。しかも、ヴァイオリンって習い事として習ってなかっただけで、それより前から母親に教わってたんだろ?」
「そうだな。幼少期に母親が弾いている姿を見て僕も弾いてみたいと思って教わっていた。親が死んだらどれも辞めたがな」
「……普通にハードスケジュールすぎない? 中学以外常に三、四個やってる。よく過ごせてたな」
「サッカーや水泳以外、特に苦に思ったことはなかったが。どれもどこかの曜日にまとめていた。塾は週五とかで少しだけ苦しかったが」
週五だとかよりも内容が難しかったのもあるだろうが。
「それって全部蓮がやりたいって?」
「……ヴァイオリン以外は気づいたらやらされていたな。けどピアノは将来役に立つ、習字や英会話、塾は学校で差をつけられるなんて言い聞かされて僕もそれで納得していた。特に苦に思うこともなかった。英会話や塾は実際に差をつけられているだろうし、ピアノやヴァイオリンに関してはとても綺麗な音を知ることができた。後悔はしていない」
「それならいいけどさ……」
ケイがこういう反応する理由がわからない。それに習い事の有無は家庭によって違うのだろ? 実際ギルのところは今までになにかしていたとは聞いていない。
「ケイもなにか習い事をしていたんじゃないか」
「してたけど、そこまで多くはしてない。……それに心美が死んでからは一切しなくなったし」
まあ家族が死んでのんきに習い事なんてできないだろうな。僕が親が死んでから辞めたのは金がかかるし面倒だからという理由だったが。
昼食後、背もたれにもたれてくつろいでいた。食器を洗うのが面倒臭い。必ずしも今する必要はないが、今やらなければ夕食、もしくは翌日に洗う分が増えるだけで洗う数が減るわけでもない。
なにより、食器を洗い終わったあとにすることがわかっているから気が乗らないのだろうが。
僕がくつろぐ様を見てケイもスマホを触ってくつろいでいる。食後のケイはいつも寝ているイメージしかないから少し新鮮だ。
「ケイはまだ、眠れないのか」
「んー、まあたまに。最近は薬なしでも寝れるようになったから治ってきてるのかなって思う。まだ悪夢はたびたび見るんだけどな。でも夜寝れるようになってからメンタルも安定してきてるし」
そういえば母親がケイはよく部屋で泣いていたと聞いた。こんな姿で、今は想像できないが、こんなケイも苦しくつらい思いをしたことがあると思うと諦めが強くなる。
「治ってきたとしても無理はしないようにな」
立ち上がってシンクの前に立つ。そろそろ洗おうか。駄弁ってばかりじゃ今日掃除ができなくなる。
僕が食器を上がっている途中、ケイは手伝う様子もなく、ただ食卓からこっちを見て目が合えば微笑むだけだった。
飽きて立ち上がったのかと思ったらそっと腹に手が回される。背中、温かい。
「こんなに小さいのに、よく頑張ってるよな」
僕の肩に顎を置いてそう囁く。
「確か百七十はあるが」
「……俺のほうが高いけど、身長の話じゃない」
ならなにに小さいと言ったんだ?
「俺が食器洗おうか?」
「もう少し早く言ってたら代わってもらってたかもしれないな」
最後にシンク全体を水で流して止める。
「そんなこと言ったってどうせ代わってなかったんだろ。家に上げてるのに食器洗いなんて任せられないとか言って」
確かにそう言っていたかもしれないな。何度もこの家に上がっているギルにでもきっと。
タオルで拭いたら早速掃除を始めようと意気込むが、まだ腹に手を回されて動けない。
「掃除をしたいのだが」
「んー、そうだな」
そう返事をするが、離してくれない。むしろ背中に顔を埋めてる。
「ケイ」
「…………」
ときどきケイはこうなる。ケイは僕の扱いに対してギルと似ているところがあるが、こういうのはケイだけだ。こんなことをする理由はわからない。
気が済んだのか顔を上げる。けど今度は耳元から息が聞こえて、
「噛んでいい?」
「無理」
なに普通に噛もうとしてるんだ。そもそも噛む場所なんてないだろ。
「蓮はさ、俺の気持ちまだわかってないんだよな……」
ケイの気持ち?
「そんなものがあるのすら知らなかったが」
「よな」
息の音が離れて、やっと解放されるかと思ったら耳に息を吹き掛けられて、
「おいっ」
とっさに耳を塞ぐ。ギルに何度かされたが、どうも慣れない。くすぐったい。
心臓がうるさく鳴るのを無視してケイから無理やり離れる。ケイは楽しそうに口を緩ませていた。ケイが満足したならなにより……ではないが。
掃除をしようという意気込みをなくさないうちに掃除を始めよう。掃除機と水の入れたバケツとぞうきん数枚、ごみ袋を持って二階に上がろうとしたら、ケイに掃除機を奪われる。
「蓮がそんなの持っていったら骨折れる」
なんて添えて。
一階にはよく掃除機をかけるが、二階は持って上がるのが面倒で月に三度くらいしかかけない。普段スリッパか靴下で歩くから汚れとかも気にしない。それでも今日二階に掃除機を持ってきた……持ってきてもらったからここにもかけようか。
階段と廊下に掃除機をかけ終えたら物置を掃除しようと扉を開けようとするが、ケイにあんなホコリのある場所に入らせたくない。
「ケイは僕の部屋の掃除機をかけててくれないか。あと母親の部屋もプライバシーを守れる程度に」
「ん、わかった。けどそこ一人でいけるか? 無理そうなら呼んでくれたら手伝うから」
「ありがとう」
手伝ってもらうつもりなんてさらさらないが。せめてほこりっぽさがなくなってからだな。
物置に入ったあときちんと扉を閉めてすぐに窓を開ける。が、ずっと開けていなかったからか固い。
少し力を入れたら開いた。が、同時にほこりが舞って思わず服で鼻を覆う。マスクを持ってくるべきだった。けどもう入ってしまったから、諦めよう。
物置部屋はとにかくほこりしかない。掃除すらしたくない。けど今しないときっといつまでもしない。使わないものを売ったら多少の生活費にもなるだろうから、本当にするなら今しかない。
少しケイから掃除機を借りて見える床に掃除機をかける。
「はっきりわかるな」
扉から覗いているケイが言う。掃除機を滑らせた床は他の箇所と比べてくっきり跡が残る。
「あまりこの部屋に顔を覗かせるな……うしゅっ……」
こんなふうにくしゃみする。あぁ、鼻がムズムズする。
ある程度見えるほこりを吸ったら掃除機をケイに返す。
ここからが本番だ……。
水の入ったバケツにぞうきんを入れて水を絞って床を拭く。そして少し拭いただけなのにその汚さに少し身を引く。
ある程度歩ける場所は作れた。床はあとでにしてモノの整理をしていこう。
物置部屋には僕が小さいときからずっとあった。それはときどき開けられる部屋で、年々狭くなっていた。
親が死んでから僕が入ることもそうそうなくて、もし物置部屋をなにかの部屋として改良できたら、なんて思っていたが、使っても本置き場にしかならない。もしくは今後も楽器を触るとして防音部屋。
どっちも兼ねてもいいかもしれないが、なににしろここにあるものをなくさなければならないからそんな部屋ができるかもわからない。
僕が見たことあるものやないものまで。どうしてここに置いたというものも。基本箱に入っているが、入っていないものにはもちろんほこりが被っている。細かい部分までぞうきんで拭けないものもいくつかあってそれにはもううんざりしていた。
ゴミ袋が半分ほど膨れた頃、どれほど掃除ができたかと見る。が、まだほんの一部。もう全部売りに出してしまってもいいんじゃないか。そう考えるが、売るにしてもほこりを払う必要があるから、掃除をしないことからは逃れられない。
立ち上がって次の箱を手にする。が、微妙に手が届かない。脚立がこの部屋にあるが、まだほこりを払っていないし、見た目から壊れていそうだ。
脚立は諦めて、ボコボコと膨れるゴミ袋を踏み台にして手を伸ばすと微かに届いた。そっと引き出していく。
もう少しで取れる。けどそのとき、ゴミの踏み台で足が滑って盛大に倒れた。ゴミ袋はクッションなんかにならず、頭や背中が痛む。それに取ろうとしていた箱が散らばってしまった。
中にはくたびれたキッチン用具が入っていた。なんでこんなもの、しかも使えないものばかり。捨てればいいだろうに。母親はそういうところがあった。
起き上がってあたりを見ると、腹の横に刃がぼろぼろな包丁が刺さっていた。それを見て冷や汗をかく。また腹を刺すところだった。
そもそもなんでこんな裸で刃物なんてものを、と思ったらどうやらキッチンペーパーで包んでいたものの、箱がひっくり返った拍子に抜けてしまったらしい。刃の形をしたキッチンペーパーが僕の脚に転がっていた。
僕が箱をひっくり返した音を聞いたのか物置の扉が開いた。ケイが顔を覗かせている。
「だ、大丈夫か」
「なんとか」
「なんか余計散らばってない?」
「箱をひっくり返してしまった」
「包丁……?」
床に目を落として呟く。そして服が汚れることも構わずに僕の傍にしゃがみ込んであちこち体を触ってくる。
「怪我してない? また……」
「していない」
包丁が床に刺さっていることが証明している。
「頭とか打ってない?」
頭? ケイはさっき包丁以外で怪我していないかと問うていたのか?
「……なんともない。子供でもないんだから、そこまで心配しなくとも」
「心配するって……」
あちこち体を触った後に、そっと背中に触れて体を包まれる。言ってもいないのに痛みのする頭や背中を痛みが和らぐようにさする。
「ほんとに頭打ってない……?」
ケイは昔からこんな感じに、過剰に心配していた気がする。まるで自分が僕の親だと言うように、その僕よりも大きな体で。
「構わない。そんなことよりも」
「そんなことじゃない、全然。……もうやめよ掃除。目離してまた怪我してほしくない」
「僕は目を離してすぐ怪我をするような子供なんかじゃない。事実そうだった。ケイならわかるだろ」
「だとしても……蓮はまだ子供なんだって。だから」
「ケイがなにを言いたいのかはわからないが、僕は子供だと諭されて嬉しく思う人間じゃない。掃除をしてほしくないと思うのならその子供扱いをやめろ。僕は子供じゃない」
反論の余地がないのか口を閉じる。
子供じゃない……か。そもそも子供だった時期なんてあるだろうか。いやきっとない。
「……心配」
「しなくていい」
「するんだって」
「知らない。ケイは僕の親じゃない」
「……頼っていいんだ。甘えていいんだって」
なんで急にそんなこと言いだすんだ。なにか関係あったか。
「……蓮はたぶん、ずっと大人でいけなかったから、子供でいれなかったから、頼りもしないし甘えもしない。怪我しても隠して心配もさせないんだ。
でも俺はそんな蓮嫌なんだ。俺らと一緒の立場でいてくれない。いつもどこか保護者みたいに見守ってる感じがして。一緒の立場でいろよ。子供なら子供らしく、頼って、甘えて、隠さず心配させたらいいんだって。
ずっと大人でしかいられなかったなら、解放された今子供らしくなったらいいんだ。そのまま大人になり続ける意味なんてない。子供らしくしたら誰かに殴られる? 今はないだろそんなの。蓮が知らないだけで大人でも誰かに頼るときは頼るし、甘えるし、心配させることもあるんだ。そんなので言ったら蓮は大人ですらない」
大人ですらない……? 大人じゃない……?
そんな……ことない。僕は大人……大人じゃないのか……? 大人になれていなかったのか……?
そんな脳内で漏れた言葉が口から出ていたことには、ケイは声を上げて気づいた。
「だからっ」
声が大きくて肩が上がる。
「……大人になれてないとかじゃなくて、無理に大人にならなくていいんだって。『なれてない』って言うのは蓮が自分で大人になろうとしてる証拠なんだ。だから……無理に大人になろうとすんな。大人にならなくていいから」
大人にならなくていい……? 僕は大人になんかなって……ない。なろうなんてしていない。けど、ケイに言われた。大人になろうとしている証拠、と。
「……僕は無理をしていたのか」
「そう。ずっと。頼りたい気持ちも甘えたい気持ちも、今までずっと我慢してたんだ。我慢して……壊れてほしくない。修学旅行のときだって、素直に言えば、頼ればしんどい思いしなかった。腹刺されて車椅子で生活することになったときも、俺らが積極的に手貸さなかったら絶対自分を犠牲にした行動してた。そうだろ? 自分に聞いてみろよ」
自分に聞く? そんなことできない。僕は僕でしかない。
けど、
「ケイが……そこまで言う理由はわからない。けど、そこまでして大人にさせたくないなら教えてくれ。ケイの言う『子供』になる方法を。頼り方を。甘え方を」
「全部……」
目に涙を添えるケイの顔が近づいて、そっと僕を包む。
「全部教える。俺が全部教える。もう、大人にならなくていいんだって」
大人にならなくていい……なんとなくその言葉で、肩にのしかかっていた重さがなくなった。
僕はただ、子供らしくケイの体に腕を回して、服を握って、顔を埋めて、涙を流した。
「早咲きの蓮華は地面咲いた」の九作目、「子供になる方法」を投稿しました。
このお話は蓮に少し重ねるところもあったりして、ケイの最後の対応には憧れを抱きました。
今作は蓮の心の柔らかい部分に触れるような、そんなお話でした。最後には子供のなり方を教えてほしいと言った蓮。今後どうなるのか、次も楽しんでいただけたら幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




