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独り家族(2/4)

 あたり一面、赤黒く染まって、

「っ……!」

 体が起き上がる。

 うまく呼吸ができなくて、鼓動が早い。目元が濡れてる。鮮明に映し出されたそれは、俺に苦痛を味わわせて頭を酷く狂わす。

 最近は見る回数も少なくなってたけど、だからといってその夢を見れるようになっただとかじゃない。……もう見たくないのにな。

「はぁ……」

 目にある涙を拭って、夢を忘れさせるために頭を振る。けどそう簡単に忘れられない。俺の脳内にこびり付いてる。

 こういうときはどうにかして気分転換しないと、その日一日中狂わされるのは知ってる。気分転換……できるかな。座りながらずっと寝てて痛くなった体で伸びる。

 しばらくまともに寝れてなかった。久しぶりにちゃんと寝たからかずいぶん体が軽い。それに伴って腹もすごく空いてる。ついには腹が鳴る。なんか食べるか……。

 一階に下りて冷蔵庫を見る。後ろの常温保存の利く食べ物が入っている収納扉も開ける。

 俺が手に入れた飯はカップ麺と大きい容器に入ったヨーグルト。けどヨーグルトは気分じゃないからもとの位置に戻した。それにあれは一人で食べるものじゃないと思う。きっと何人かとか、何日とかで分けて食べるっていうやつの大きさしてる。

 鍋に水を張って火をつけて、沸騰するまで壁にもたれてスマホを開く。カップ麺食べるの久しぶりだ。母さんが駄目だって言うからな。

 沸騰するのを待ってると、階段から誰か下りてくる音が聞こえた。一瞬空き巣かなんかかと思った。けど姿が見えるまで待ってたら洗濯物カゴを持った母さんだった。

「あ、敬助。体調どう?」

「…………」

 ……カゴの中、タオルが入ってるのか? 朝干してたのって服じゃなかったっけ? ていうか、なんで母さんいるんだ? 仕事は? そもそも今何時だ? スマホの画面を見て確認する。あれ、夕方だ。だとしても父さんは? せっかくの休みだからって洗濯物も取り込みそうだけど。

「父さんは?」

「質問に答えてくれないくらい元気なのはわかった」

 ごめんって。

「お父さんは仕事だけど?」

「仕事? 今日休みじゃなかったっけ」

 母さんにそんな記憶ないのか、首を傾げる。あれ、もしかして体育で倒れたのとか、粥食べたのって全部夢?

「……それ昨日じゃない?」

 昨日?

 スマホの画面を見て今度は日付を見る。……ほんとだ。一日経ってる。

 じゃあつまり俺は約一日分起きてないってことだな? 寝れなくなった当初とかはよくあったけど、最近はなかったな。あの頃はなんとも思わなかったけど、今思うとさすがに寝すぎ。

「体調はどうですか?」

「それなりには良くなった」

「そう、ならよかった。今日の夜ごはんはうどんかな。体調良くなってもまだ喉痛いでしょ?」

「まあ」

 ……あ、そっか、もうすぐ夕方、夕飯か。思わず鍋にかけてる火を止める。昼かと思ってたから適当に食べようって思ってたけど。カップ麺をさっと手の後ろに隠して、母さんが後ろを向いたときにさらっと戻した。

「体調良いなら、学校は来週からね」

 学校……行っても、正直あんまり楽しめないだろうな。

「母さんなんで今日ちょっと早いんだ?」

「なんとなく敬助のこと心配になっちゃってね。風邪とかも全然かからない敬助がインフルエンザ。免疫ないだろうから余計に」

「……べつに、一人でいけるさ」

 一杯だけ水を飲んで自分の部屋に戻った。ベッドに腰掛ける。

 もうすぐ夕飯だから容易に寝れない。タイミング悪いな……。飯の時間が来るまでなにしてよ。

 そう思っていればスマホが振動する。通知のなるアプリはチャットしか入れてないから、たぶん下条からかな。

 暇に思ってたから素直に開いてみれば、半分正解だった。二人からチャットが来てた。一人は下条から。そしてもう一人はギルくんから来てた。そうだ、ギルくんは意識を戻したんだ。早く会って声を聴きたい。

 先にギルくんからのチャット画面を開く。下条は後回し。

『けーすけくん、しんやくんから話し聞いたかもしれないけど、俺入院するんだ』

『ちょっとの間だけね。たぶんすぐに学校行けるようになるからそこまで心配しなくていいよ!』

 もう知ってるさ。俺は返信する。

『改めて意識を回復して本当によかったよ。ずっと心配してた』

 すぐに返信が来る。

『あれ、俺意識不明になってたとか言ったっけ?』

『いや、知ってるんだ。この一連。蓮も今病院にいることも。大まかにだけどギルくんになにがあったのかも』

『あ、そうなんだ。お父さんから? もしかして来てくれてた? 寝てるときに』

『場所聞いたからな。蓮を病院まで送ったあと、ギルくんのところにな』

 少し遅れて返信が来る。

『ねえ、れーくん病院に送ったって、車でだよね? 救急車でとか言わないよね』

 ……言っていいのかな。本当のこと言ってしまえばかなりのショックを受けそう……。この感じ、事情を伝えられてないみたいだし。そもそも知らなかったかもしれないけど。

 俺が返信できないでいると、電話がかかってきた。もちろんギルくんから。

『もしもし敬助くん、さっきのって車でなんだよね。そうだよね』

「…………」

『……違うならお願い、正直に知ってること話して。本当のこと知りたいの』

「……知らないからな」

『……うん。大丈夫。言って』

 一息置いて、俺が知ってることを全部伝えた。

 ホームルームの途中に蓮に電話がかかってきて、そのあと学校を抜けたこと。

 ずいぶん時間が経ったあとに蓮から注意喚起の電話があったこと。けど電話を切り忘れてたのかつながったままだったこと。

 そして電話、学校の窓の外から発砲する音が聞こえたこと。

 いる場所聞いてたからそこに向かったこと。そしたら蓮が溺れて意識がなかったこと。

 息をしてなかったこと。腹を刺されてたこと。

 救急車で病院に行ったこと。

 昨日聞いた時点で治療は今もしてるけど、今の段階だとどう転ぶかわからないこと。

 知ってること全部話した。

『……そんな……うそでしょ……』

 やっぱり真正直に言わないほうがよかったかな……。泣き出しそうになってる。

『もう、会えない……?』

「いや、今はまだ意識が戻ってないだけで、きっとそのうち戻るから大丈夫だって」

 俺がそう信じ切ってるわけじゃないけど。

『れーくん声、出せるの……? 目開けられるの……? 手動かせるの……?』

「今はできないかもしれないけど」

『ならもうずっと……ずっとできないままなのかもしれないんでしょ……? 植物状態ってのになるのかもしれないんでしょ……? そんなの……駄目……嫌だよ……』

 スマホの奥で酷く泣く声が聞こえる。

 俺が調べてるときにそんな言葉も出てきてた。溺水で酸素不足になり、脳細胞が死んでしまって機能できなくなる。それによって「植物状態」になるかもしれない、って。

 俺だって、そんなの絶対に嫌だ。

『れーくんの馬鹿、ばかばかばか!』


 そのあと、ずっと泣く声だけしか聞こえなかった。けど、ふいに聞いたことのある声、ギルくんの父親が、ただごめんね。切るよって言って、俺はそれを素直に受け入れた。

「…………」

 俺はなんとなく、蓮は絶対回復できるって思ってた。障害とかはともかく。俺のできる限りのことはしたし、呼吸だって吹き返した。けど、ギルくんの言葉を聞いてわからなくなってくる。もしかしたら俺の自己満足で終わってたのかもしれないって思い始めてきた。

 ……明日、ギルくんの見舞いに行こ。このことをギルくんにチャットで送ってから、『友だち一覧』の画面に戻った。

「…………」

 下条のも見るか。気分転換にって、逃げるように下条とのチャットを開いた。

『明日ギルの見舞い行こうぜ! 場所教えられた』

 ははっ、ここはさっきの場所と違って快晴だな。それに俺の考え、先に越されてるや。

『車出す』

 今回もすぐ返信が来る。

『いいのか! さっすがー』

『見舞いに行ったあと、来てほしいところもあるんだ。いいか』

『おうよ。どこでも行くぞ!』

『下条はいつも学校までなにで行ってる?』

『自転車』

 学校から遠いのか。学校に集合にしようと思ってたけど、下条の負担大きいな。

『それなら、明日の九時くらいに下条の家まで行くから準備しておいて』

『え! わざわざ家までか? 親はそれでいいのか?』

『むしろ喜ぶと思う』

『ならいいんだけどよ』

 そのあと、今日取ったノートを送ってって言えば素直に送ってくれた。これで暇つぶしができる。

 途中で夕飯を挟んで、

「いただきまーす」

「はい、いただきます」

 父さんにチャットで『明日の九時前に車出してほしい。ギルくんの見舞いに俺の友だちも連れて行く。そのあと蓮のところにも行きたい』って送って、テレビのバライティー番組で笑う。

 十時くらいに部屋に戻って勉強机に向かった。途中だったノート写しを終わらせたあと、

「……やるか」

 昨日と今日の授業の内容をもっと詳しく、きちんと理解できるように、覚えるように勉強する。

 ただでさえ授業中ほとんど寝てわかんないのに今週休みが続いてたからもっとわかんなくなる。今のうちにきちんと勉強しておかないと授業に追いつけなくなる。……いや、授業中に寝てしまう俺が悪いんじゃなくて、寝てしまうような授業してる先生が悪い。ってのは先生に悪いか。


 四時半くらいまでぶっ通しで勉強した。ついでにわからなかったところも勉強できたからちょうどよかった。

 こういう夜明けまで勉強するのは何回かやったことあるけど、やっぱりいつやっても指が疲れて集中が切れる。そのときは、一階に下りて水を飲んで勉強に戻ってる。水分も摂れて、指の休憩もできて一石二鳥。

 そして勉強が終わったらスマホゲームをする。と言っても謎解きゲーしかしてない。ストーリー系の謎解きだったり、ただ謎が詰まってる謎解きだったりを繰り返してた。それで約一時間過ごす。

 ふいにカーテンの端から窓の外を覗く。天気予報によれば、今日は一日中快晴らしい。

「…………」

 久しぶりに行ってみるか。意識が回復したら蓮にも見せてあげよう。

 上着を着て、首にマフラーを巻く。この時間はあんまり人が通らないから部屋着の上に上着を着てもバレない。

 スマホと財布と家の鍵を持って音を立てないように静かにリビングまで下りる。もちろんリビングには誰もいない。それをチャンスとばかりに家を出て、冷たい外を歩きだす。

 向かってるのは歩いて四十分くらいで着く場所、古びた神社。知ってる人が少ないのか、本殿の前にある階段を上るのがキツいのか、なかなか人はやってこない。

 ここの神社はすごく高い場所にあって、この町を一望できる。

 この神社の近くに住んでたとき、たまたま発見して冬にはよく通ってた。発見したのは小学三年の冬。ちょうど父さんとちょっとした喧嘩をしたときだった。

 夏だとあんまり見れないけど、冬だと陽が昇る時間が遅いから見れる。

 俺は日の出を見たい。

 あと少しの階段を上れば見えてくる、本殿が。

「ふぅ……」

 着いた着いた。膝に手をやって一息つく。

 間に合った。もう空は明るくなってるけど、陽は出てない。

 ここが町全体を見れる場所だからか、ここにいるだけでも特別感が湧いてくる。ここに来るのっていつぶりかな。

 あと少し。胸を高鳴らせながら、スマホを構えながら待ってた。

 もう、太陽の光が見え始めてる。録画をスタートした。ときどきスマホの様子も見ながら俺は肉眼でそれを見てた。

 そしてついに太陽が顔を覗かせる。

「…………」

 ……どうしても見とれてしまう。

 久しぶりに見たからか、すごく懐かしくて切なくも感じてきた。もちろん感動もしてるけど。なんでだろ、切なく感じるの……。

 しばらく見てれば風が吹いてきた。あぁ、懐かしい。あのときもこんな感じで……。あっ……そっか……。


 ある小学四年生の思い出。まだ空が薄暗い、朝の早い時間。

 いつまで経っても眠れなくて、ずっと暗い部屋のベッドの中でスマホを見てた。他の人が投稿した呟きを見てた。それしかできなかった。

 でもそのどれを見ても面白くない。楽しくない。むしろ内容が入ってこない。

 体がずっと重たくて、眠れなくて、食べれなくて、動けなくて、布団にもぐるしかなかった。

「…………」

 俺のせいだ。

 窓の外から小鳥の鳴く声が聞こえる。もう朝……。

 ずっしりと重たい体を起き上がらせて窓の外を見る。まだ太陽が昇ってない。久しぶりに朝の景色見た気がする。

 またベッドに寝転んでスマホを開いた。

「…………」

 朝日……見たら気分晴れるかな。去年はいつも飽きるくらい見てた。今年は一回も見てない。

 重たい体を起こして窓の外を見た。

 もしこのくらいの時間ならさ……助かってたのかな。朝は嫌いだけど、そう思ったら少しだけ好きになれる気がする。

 今日はまだ、ほんの少しだけ動く体力がある気がする。朝日、見に行こ。

 母さんたちが起きないように静かに歩いて家を出た。

 ……寒い。こんなに寒かったんだ。上着着てこよ。

 上着を着て今度こそゆっくり歩き出す。いつも行ってた神社に向けて。

 いつかと同じ道を通る。なんとなく道を憶えてた。まあ、五月くらいになるまでずっと行ってたし。

 そんな行き慣れた道を通ってたとき、

「くしゅっ……」

 朝の静けさにはよく目立つ小さなくしゃみがどっかから聞こえた。こんな朝早い時間に、しかも子供っぽい声だった。気になって音のしたほうに行ってみると、家があった。そしてその家の隅に一人の男の子が膝を抱えて寒そうに座ってる。

「……優希」

 俺がポツリと呟いたその言葉に、男の子は顔を上げて俺と目が合う。口が動いてたけど声は聞こえない。

 近づいて家の敷地に入った。そして優希を抱きしめる。

「……ごめん。……ずっと学校行けなくて……ごめん」

 優希の体は酷く冷たい。なぜか薄めの長袖しか着てない。思わず俺のジャンパーを着させてマフラーを首に巻いた。

「いじめ……また受けてない……?」

「…………」

「……ごめんほんとに」

 なにも答えてくれなかったけど、わかる。俺を心配させたくないからって頷かなかったの。でもそのくせに嘘はつけないんだ。

 優希は静かに俺の背中に手を回した。

「……悪くない」

「俺が悪いから……」

「……なにか……あった」

 ……気づくものなのかな。

「夏にちょっと……な。それで……ずっと学校行けなかった。体重くて、頭いたくて、苦しくて……」

「…………」

 目元を熱くさせてたら、優希はさっと立ち上がった。そして俺の頭に手を置く。

「……悪くない。なにも」

 頭に置いた手をゆっくり左右に動かしてくれる。それされて、目から涙が出てくる。

「死ななかった」

「え……?」

「……死ななかった。……強い」

 強くなんてないのに。きっと優希のほうがつらい思いしてるはずなのに……。

「……でもなんで……いる」

「あぁ……。朝日見たら気分晴れるかなって思って……」

「僕も……」

「……いっしょに行こ」

 そう言って手を差し出したものの優希はそれを取ることに怯えたように手に取らない。

「……優希?」

「…………」

 優希は何度か口を開けてなにか言いたそうにしたり、後ろの家をチラ見したりして答えを出さなかった。

「……行かない?」

 そう聞けば、覚悟したように首をふって口を開けた。

「……行く……連れていけ」

 口を緩ませた。

「行こ」

 優希が俺の裾を掴んだのを確認して歩き出した。けど、数歩も歩かないうちに優希が立ち止まって動こうとしない。

 今後はなにかと、振り向いて立ち止まる理由を聞けば答えてくれる。

「……寒く……ない……」

「……俺?」

 小さく頷く。そんなことか。

「俺は寒くないから、着てていいよ。歩けば暖かくなるし、優希は寒がりだろ。そんなことよりも早く行こ。朝日が顔をのぞかせる」

 最後に口角を上げてみせた。優希はこくりと頷く。

 優希を連れて朝日が見える神社まで向かった。行く途中、優希が寒そうに手を震わせるから、手を握って優希に着せたジャンパーのポケットに入れた。

「これで寒くないだろ」

「…………」

 優希はポケットの中で俺の手を強く握った。まだ寒いのか、震えてる。

 少し歩いて神社の前の階段に着いた。その頃には歩いて体が温まって優希の震えもなくなってると思ったけど、そんなことはなくてずっとまだ震えてた。

「優希、寒い? ずっとふるえてるけど」

「…………」

 答えてくれない。ただ一つわかることとして、歩き出すときにくらべて俺に引っ付いてきている。相当寒いのかもしれない。

「優希、ここからはポケット入れたままだとあぶないからはなそ」

 そうは言ったけどにぎる手をはなしてくれない。

「優希?」

「…………」

「じゃあ手つないだまま行こ。ポケットからはぬいて」

 それなら納得したのか頷いた。本当に頷くかしかしてくれない。喋ってくれない。声、聞きたいのに……。

 優希の階段を上るペースを合わせて長い階段を上り切った。その頃には優希が息を切らせて、離さなかった手も離して膝に付いてる。

「なが……すぎ……」

 一言それだけ言って、ずっと息を整えている。

「そうだよな。でも……あ、ほら。もう出てくる」

 俺が優希の顔を上げるよう促せば、上げてくれた。

「きれいだろ」

「…………」

 こんな綺麗なものを見て感動もしないのかと思って、優希を見てみれば違った。驚きを隠しきれず、口をぽかんと開けてた。

「そうなるよな。わかる」

 優希が俺の手を握ってきたから、俺も握り返した。俺より小さくて冷たい。それに少し震えてる。けど、さっきよりは震えがなくなってるみたいで安心した。

「……ずっと、いたい」

 優希が小さくそんなことを言う。

「俺も」

 朝日に目もくれず、俺は静かに優希を抱きしめた。

「……もう、苦しい思いしたくない、……ずっと優希のそばにいたい」

 そっと背中が温かくなる。

「こんなになって、守れなくてごめんな……」

「……悪くない」

 全部、全部俺が悪いんだ。

 しばらくここに来た意味も忘れて、優希を抱いて、抱かれてた。こんな幸せ、もうこの先ずっとない。そんな気がしてずっと、ずっと。それを噛み締めるように。

 周りはもう明るくなって、太陽はすっかり見えてる。

 もうこのままずっと時が止まればいい。けどそんなのできるはずがない。

「……優希、ありがと」

 そっと体を起こして、俺よりも背の小さい優希の目を見る。こんなに小さいのに、俺よりもきちんとしてる。

「…………」

 優希が小さく口を開けた。けど音もなく閉じる。

 そんなことがあったことも消し去るように冷たい風が俺らの間を横切った。それで優希が身震いする。

「……もう、帰らないとだな」

 俺はもう帰れる気でいたのに、優希は小さく首を振る。

「まだ……いる」

「……でももうそろそろ帰らないと、親心配すると思うし」

 俺の親が絶対に心配するから。俺が学校行けなくなってからずっと親がいろんなことにビンカンになってる。

「……心配しない……まだいる。いっしょにいる」

 そう言われてもな……。絶対に親心配してるって。

「送っていくから」

「…………」

 優希が小さく頷いたのを申し訳なさそうに口を緩ませた。

 さっきみたいに手をつないだまま同じ階段を慎重に下りる。けどなぜか、優希の手はさっきよりも震えてた。確かに寒かったけど、そこまでかな。

 階段を下りたら優希が着てるジャンパーのポケットに手を入れる。来た道を戻って、優希が座ってた家の前まで着いた。

 ポケットから手を出しては離そうとするけど、優希は手を離してくれない。

「優希?」

「まだ……」

「もう、目の前だぞ? 優希、ここの家なんだよな? あたたかい家に入ったほうが寒くないと思うけど」

「…………」

 優希は俯く。

「それに、俺もそろそろ帰らないと母さんにおこられると思うし」

「…………」

 その言葉で、優希は手を離してくれた。ついでかのように俺が着てたジャンパーとマフラーも返された。俺は、それを着る。さっきまで着ていた温もりが伝わる。ほんの少し優希のニオイがする。

「……ありがとう」

「こっちこそ急に連れ出してごめん。……俺行くな」

「…………」

 その場から離れようと足を一歩踏み出したけど、優希に袖を掴まれた。

「…………」

「……まだなにかある?」

 袖から腕に掴み直した優希はなにも言うことなく、俺を家の扉の前まで連れて行く。

「え、ちょっと」

 そしてドアノブに手を掛けて手前に引く。扉は開くけど、なぜか優希は少し目を開けて驚いた顔をしてた。扉の奥から人影が見えてくる。俺はその男に目を向けた。

「……優希のお友だちかな?」

 男にそう言われる。

「……はい。日の出見にさそって優希と見に行ってました。おくれてすいません」

 顔を軽く下げた。

「いやいや、こちらこそ仲良くしてくれてありがとう。優希はもう用があるからじゃあね。ほら優希も」

「…………」

 優希はなにも言ってくれない。

「……俺もこれで」

 一礼して家の前の道に出た。けど、すぐして俺を呼ぶ声が聞こえる。

「ケイ……ま、また来て」

 声のしたほうを見れば、優希がなんとなく悲しそうな顔をしてた。

「……また来るな」

 俺は手を振りながら、ゆっくり扉が閉まるのを見届けた。俺も家に帰ろう。さすがに怒られる。

 歩き出したさなか、後ろのほうで怒鳴る声が大きく鳴り響いてた。

 うまく動かない足で、ゆっくり家に向けて歩いた。怒られるかな。でも、あれ以来ほぼ外に出てないんだから、驚かれるかもしれない。……少しだけ頑張ってみようかな。


 懐かしく、切なくなったのはこれのせいか……。あの時はほんとに苦しかったんだよな。でもあの時気づいてたら、たぶんもっと傷つけないで済んだ。本当に馬鹿だったな……。

 昔を思いだしてぼーってしてた。もう太陽が顔を完全に出してる。録画も十五分も撮ってしまってる。慌てて録画停止ボタンを押した。

「…………」

 蓮……。

 そのあと、太陽を一目見て階段を下りた。早く帰らないと朝飯が出される。書き置きもなしに朝飯までに戻ってなかったら母さんに怒られる。早く帰ろう。

「はぁ……はぁ……」

 冬なのに走って汗をかいた。息を切らしながら扉を開けた。そして、

「あ……」

 待ち構えてたのは、母さんだった。

 後ろに振り向いて鍵をかければ、腕を掴まれてそのまま食卓椅子に座らされる。

「早く食べちゃって」

 ……あれ、怒られない? 少し鼓動を鳴らしながらも食べ始めたけど、時間が経てども怒る気配がない。のんきに皿まで洗ってる。

「怒んないのか……?」

 つい気になってキッチンに目を向けて言った。

「なにに?」

「ほら、朝方に外に出て、朝飯までに間に合ってなかったことに」

「怒ってほしいなら怒るけど」

「いや、大丈夫です」

 話しが終わるかと思えば、母さんが口を開けた。

「敬助一人になって、もっと大切にしなきゃって思ったからね。できるだけ怒らないようにしてるのよ。相当なことがない限り」

 ……確かに、今思えばそうかもしれない。心美が死んで以後、怒られる回数がずいぶんと減った気がする。もともと怒られることなんて相当ないけど。

「それに、敬助は勝手になんでもしちゃうから止めようがないのよ。人間、誰だって自由がいいものよ。敬助も縛られたくはないでしょ」

「それはそうだけど……」

 ま、これで怒られないのであればそれでいいさ。

 ときどき後ろで流れてるテレビの内容に目をやりながら朝飯を食べた。

「ごちそうさま。……今日の九時前に父さん連れて出かける。車も使っていく。……てか、父さんは」

 一階を見たけど見あたらない。

「お父さんは洗車に出しに行ってるわよ」

「なんでこんなときに」

「お父さんなりのこだわりがあるんじゃない? 敬助の友だち乗せるんでしょ?」

「まあ」

「友だち来るのに部屋を掃除しないのと同じものよ。お父さんに感謝しなさいよ」

「……あぁ」

 俺も早く車の免許取りたい。


 しばらくソファーでくつろいでテレビを見ていると、父さんが帰ってきた。

「ただいま。敬助、もうそろそろ出かける準備して」

 気づけばもう、約束の時間まであと三十分だった。

「あぁ」

 テレビを見るのをやめようと立ち上がったら、耳に止まることが聞こえた。

『高校二年生の男子生徒を誘拐し、殺人未遂をしたとして、✕✕✕✕✕の✕✕✕✕✕市に住む女が逮捕されました』

 俺と同じ歳……。この続きの内容が気になって立ち止まった。父さんから早く着替えるんだぞ、という呼びかけが遠くから聞こえたけど、「ああ」と適当に答えてニュースに耳を傾けた。

『昨日、未成年誘拐、殺人未遂をしたなどの疑いで逮捕されたのは✕✕✕✕✕市内✕✕✕✕✕区に住む二十九歳無職の女の』

 すぐ近くじゃないか。

『警察によりますと、女は今月十四日、一人で歩いていた高校二年生の男子生徒を無理やり車に乗せて誘拐し、女の自宅に監禁し食事を与えなかったなど』

「敬助、きが」

「うるさい」

『調べに対して女は、かわいかったからやったと容疑を認めているとのことです』

 動機クソすぎる。

『男子高校生の父親が地元の警察署に行方不明者届を出しており、一昨日になって男子高校生の友人が容疑者の住居に訪れ男子高校生を発見し、警察に通報したことで無事保護されたということです。保護当時は重体でしたが、のちに救急搬送され、今は順調に回復をしているとのことです。

 容疑者は警察が来る前に逃走。しかし……その友人が容疑者を追い、近くの✕✕✕✕✕橋まで追ったところで、容疑者と争い、腹を刺されたなどのあと、川へと転落したとのことです。その友人は通りかかった同級生により救急搬送され今は治療を受けているとのことです。

 警察は詳しい経緯を調査しています』

 ……これって、今回のギルくんが誘拐された事件の話じゃないか……? でも俺、蓮が川に落ちたなんて父さん以外には言ってないぞ……? ……ん?

「父さん、警察に話したのか? 今回の事件のこと」

「いや? ここに警察は来てないよ。ギルくんのところじゃないかな」

 まあ、そっか。そうなるか。

「さ、早く着替えて準備して」

「……あぁ」

 さすがにニュースの内容が変わったから視線を逸らして階段を上がった。まさか、自分のことがニュースに出るとは思わなかったな。けど全く嬉しいとは思わない。

 確かにこの誘拐事件は他の誘拐事件とは少し違ったからな。しかも被害内容がどちらも違う。ギルくんはさっきも言っていた通り誘拐と衰弱させた殺人未遂、蓮は酷い傷を負わせてる。あの女は相当重い罪になるな。場合によっては二人を殺人未遂とでも言えてしまう。ギルくんには意図して三日間も食い物を与えなかったらしいし。

 私服に着替えて髪を軽く解かしてから結んだ。

 見舞い品、なにがいいかな。なになら喜ぶかな。確か……蓮がギルくんは桃が好きとか言ってた気がする。参考がてら下条にも聞いてみよ。

 スマホを取り出そうとしたけど、一階に置いてきたらしい。さっき着てたズボンに入ってない。財布を持って一階に下りた。

 あったあった。テレビの前のローテーブルに置いてあった。スマホを手にとってソファーに座り込む。早速下条に送った。

『下条、見舞い品って持っていくのか? もしそうならなに持っていくんだ?』

『あーそっか。見舞い品か。金そんなにないから高いの無理なんだよなぁ』

 もう毎回既読と返信が早すぎてどうとも思わなくなってきた。

『高くなくていいだろ。俺は桃を買っていくつもり』

『えーじゃあ俺ゲーム機持っていこ。どうせ暇だろうし一緒に遊びたい!』

『昼飯はこっちが出すから無駄な金持っていくなよ』

『昼までいるのか?』

『ギルくんとゲームするなら一時間くらいはいたいだろ。ギルくんもきっと長くいたいはず。どちらにしろ昼はこっちが出す』

 数分後返信が帰ってくる。

『おうよ。ありがとな!』

 九時前になれば家を出て先に助手席に乗り込む。暖房をつけて父さんを待つ。数分後父さんも乗ってきて出発だ。

 下条の家に行く途中、見舞い品の桃を買った。正直どれがいいのかわからなかったから、店主に聞いて良さそうなのを買った。本当にいいものなのかはわからない。

 下条の家に着いたらインターホンを鳴らす。予定より少し遅くなってしまった……。

『はい。どちら様ですか』

 インターホンから誰かが応答する。声的に下条な気がする。……いや、少し声に真面目さがある。少し低い気もする。下条じゃない?

「影し」

『あ、敬助か?』

 声が変わった。下条じゃなかったな。

「ああ。準備できてるなら出てこい」

『おうよ』

 その返事のあと、少しして扉が静かに開かれた。扉から顔を覗かせたのは下条だ。少しそわそわしながらも俺のところまで来る。

「寒いし先に乗ろ」

 親同士で少し話しをするみたい。下条の母親が出てきたのに気づいた父さんが、車から降りて母親に近寄った。

 後部座席の扉を開けて俺が先に座れば、下条はその隣に座る。緊張してるのか、肩が少し上がってる。

「そこまで緊張することないだろ」

「そうなんだけど……。俺人の車とかにあんまり乗らないから……」

 一般的にはそうだと思うけど。

 誰だって慣れないことに不安とか焦りが出てきて緊張する。下条にとってはいい経験なんじゃない?

 少しすれば父さんが帰ってきた。シートベルトを付けているかの確認後、車が動き出す。

 しばらく静寂でいると、下条が俺に向かって小さな声で言ってきた。

「スピード遅くないか?」

「他人の子供を乗せてるからだろ。普段はもう少し早い」

「へー」

 ギルくんに今向かってることを伝えておくか。スマホを取り出して打ち込んでいく。そのとき、下条が驚いたように言った。

「敬助、それ酔わないのか!」

「……酔わないな。俺の三半規管は鈍感らしいから」

「参観期間……?」

「三半規管、だ。耳の中にあるバランスを感じ取る器官のこと」

「へぇー。よくそんなの知ってるな」

 中学の理科の生物分野で習ったはず……いや、習ってないか? だとしても三半規管くらいは耳にすると思うけど。

 よし、送れた。

 ……下条が隣にいるけど、話す話題がない。少し気まずくなってきた……。こういうときってなに話せばいいんだ……? でも下条はそんなこと気にしてないように嬉しそうに窓の外見てる。

 あ、そうだ。あの話。少し俺が火傷するかもしれないけど……。

「下条」

「んー?」

「……サッカーの、学校でサッカーやってた時……心配してくれてありがと。あと保健室送ってくれた時も……。あの時ちょっと機嫌悪くて、強く当たってた。ごめん」

「いいってことよ。話すことないからってそんなこと言わなくていいって」

 悪かったな、絞り出した話題で。

「下条くんお見舞いに来てくれてたんだよね」

 父さんがいきなり話しに入ってきた。見舞い……?

「そうそう、あんな姿の敬助初めて見たわ」

「いつのこと?」

「病院行った日の夕方だったかな。敬助のスマホに電話があって、出てみたら下条くんが敬助のお見舞いに行きたいってね」

 病院行った日の夕方……。夕方は寝てたな。無理やりに粥食ったあとは体調悪すぎて、昼すぎに寝てずっと起きてなかったっけ。次に起きたのは翌日の夕方。

 へぇ、あの日の夕方にわざわざ下条が見舞いに来てくれてたのか。……ん。

「おい下条、あんな姿の俺ってなんのことだ」

「時差すごっ」

「なんのことだ」

「……教えてほしいか?」

 やけにニヤニヤしながら聞いてくる。なんだ、ヘンな格好でも……いや、もっと酷いことか……?

「いいから教えろ」

「ははははっ、思いだしたら面白くなってきた」

 面白くなってきた……? ヘンな格好のほうか?

「見舞い行ったら敬助寝てたんだけどよ、敬助魘されながら顔にしわ寄せて『はぁ……はぁ……』って言ってよ」

 すでに笑いかけてる。

 なにが「あんな姿」だ。病人なんだから仕方がないだろ。ヘンな息づかいして悪かったな。

「で、そのあとだぞ。熱かったのか、服を自分でめくってたんだ。意外と割れてる腹出してよ。それなのにさ、敬助が寒いって言うんだぞ? 面白すぎるだろ!」

 なにが面白いんだ。要するに、俺がヘンな息遣いをして、服めくったのに「寒い」って言っただけ。なにが面白いんだよ。というか、割れてる腹のこと意外とって言うな。意外と、って。

「まあ、そのあと敬助の父ちゃんが俺に普通に水入ったコップ俺に渡して、敬助がめくった服戻して布団掛けてたんだけどよ」

 どこが面白いんだか……。とにかく俺が火傷じゃなくて「大」火傷したのはすごくわかった。話題、ヘンに絞り出さなければよかった。

 次寝込んだときは絶対に下条の見舞いは断ってもらお。ろくなこと記憶されかねない。

「いやーたまたま見舞い行っただけなのにあんなこと起きるとは思ってなかったなー。にしても敬助の顔赤かったりはあはあ言ってたりしてえろっかっ」

「口閉じろ」

 こいつ羞恥心っていう言葉、脳内にないのか? 早く中学生の頭は卒業しろ。

「はぁー……」

 こんな話をされたらさすがに体温が上がってくる……。熱い。服を揺らす。

「父さん、少しだけ温度下げて。一、二度」

「俺も笑いすぎて熱かったわ」

 機械音がしたあと、さっきの話を忘れるために窓の縁に肘を置いて外の風景を見てた。……知らない場所。

「ギル元気になってるかな? ゲーム一緒にしてくれるかな……?」

 しばらく沈黙だった中、下条がそんなことを言い出す。いまさらゲーム機持ってきたことに後悔し始めたか? 

 ギルくんは免疫力も下がってるだろうから、そのときに風邪とかかかっていなければ元気なはず。ギルくんは蓮ほど体力がないわけじゃないから大丈夫だと思う。……いや蓮が体力なさすぎなんだろうけど。

 しばらく揺られて目的の場所に着いた。

「下条ここ。降りるぞ」

 シートベルトを外して地に着く。ここに来るのは二回目か。

 後ろから父さんが準備できてるのを確認して院内に入る。受付で入室が可能なのか念のため聞いて、部屋まで向かう。入室は夜間と食事のとき以外、基本的に可能らしい。

「ここか?」

 部屋の前まで来た。下条が隣で聞いてくる。ノックして扉を開けた。

「あっ! 来た!」

 中に入れば、ギルくんがベッドに座りながらも笑顔で迎えてくれる。横の椅子に座ってたギルくんの父親は座りながら軽く頭を下げる。

「ギルー! よかったー」

 ギルくんを目にした下条は、ベッドに駆け寄ってギルくんを抱きしめる。親同士は挨拶をするなり、俺らに一声かけて出ていった。

「真也くん久しぶり! ごめんね心配かけちゃって」

「超超超心配したんだからな!」

「敬助くんもごめんね」

「いいさ。元気そうで安心した」

 俺はベッドまで歩み寄って、軽くベッドに腰掛けた。

「ギル、ゲームしようぜ! 家から持ってきたんだ」

 下条が早速ゲームを取り出す。

「え、ゲームしたい!」

 よかったな。嬉しそう。

「ソフト、家にある分持って来たんだけど、なにがいい?」

 ソフトケースを渡して、持ってるソフトを見せる。かなりの数持ってる。

 ちらっと見えたけどなんのゲームかわからない。俺の家にゲーム機なんて古いのが一つあるくらい。父さんも母さんもゲームしない人だし、俺もわざわざ買ってまでとまではいかない。買ったとしてもパソコンでできるゲームだし。

「うーん。……俺やったことないやつしたいなー。敬助くんはどれがいいとかある?」

 俺も参加する前提か。やっぱり、ギルくんは優しいな。

「俺はなんでもいい。人数合わないならやらないし」

「やらないはなしー。みんなでやろ! みんなでやって楽しくないゲームなんかないんだから」

 ……優しい。

「三人でできるのって言ったらこれとこれ……とこれもできるぞ」

 ケースからいくつかのソフトを取り出す。ここからだと小さすぎてゲーム名すら見えない。

「うーん、迷うなー。じゃー……これしたい! やったことないやつだし、面白そう」

「敬助もこれでいい?」

 ギルくんが選んだソフトを見せてきたけど、見ても全くわからないから見ずに了承した。

「よし、決まりー。ちょっと準備するわ」

「うん」

 下条は手際良くゲーム機本体から入ってるソフトを抜き出して、選んだソフトに入れ替える。下条が準備してる間に俺は桃の話でもするか。

「ギルくん、桃買ってきたんだ。食べ」

「食べる!」

 遮ってまで言うなんて、相当好きなんだな。選んでよかった。目も輝いてる。

「俺桃めちゃくちゃ好き! ありがと!」

 すごく嬉しそう。

「あ、でも……」

 でも?

「お皿もないし、切るやつもない……」

 あぁ、そのことか。

「それなら気にしなくていいよ」

 買ってきた袋から桃以外に、果物ナイフと紙皿と剥いた皮を捨てる用の小さなポリ袋を取り出した。

「一緒に買ってきたんだ」

「用意周到すぎるだろ」

 俺の言葉に振り向いた下条がそんなことを言う。俺もそこまで馬鹿じゃない。

「でも……高かったんじゃない……?」

「……そんなの気にしなくても。高くなかったし、ギルくんが喜んでくれたらそれでいいから。気にせず食べて」

 不安そうな顔からパッと笑顔になる。

「……うん! ありがと!」

「……ちょっとコーヒー買ってくる」

 ポケットに財布があるのを確認して部屋から出た。

「……はぁ」

 そのへんで見つけたコーヒーが置いてある自販機に金を入れてコーヒーを選ぶ。下からコーヒーを取り出して少し見つめる。

 素直に受け取ればいいものを、ああやってなにかを不安がって気を遣う。そういう人にちょっとだけイライラする。こんなのでイライラする俺もどうかと思うけど。口に出なくてよかった。

「…………」

 部屋戻ろ。

 廊下でときどき目に入ってたけど、飲み物の自販機以外に、日用品が置いてある自販機もある。さすが病院。

 部屋に戻れば、二人が楽しそうにゲームをしてた。楽しそうな笑い声が聞こえる。

 俺はさっき座ってた場所に座ろうと思ったけど、ゲーム機に場所を取られてた。仕方なく、椅子を持ってきて邪魔にならないベッドを挟んだ下条の向かいに座る。

「敬助くん、ちょっと待っててね。今ちょっと目が離せ……なくて……。真也くん右右! うわっ! ……あー」

「これムズすぎだろ」

 画面ほとんど見てなかったけど終わったのはわかる。コーヒーをカポッと開けて数口飲んだ。

 そして思いだして桃の皮を剥いで食べやすい大きさに切った。

「ギルくんここに桃置いてる」

「あ、うんありがと!」

「敬助ほい、コントローラー」

 下条が手を伸ばして俺に渡してきたけど、ギルくんがその腕を邪魔そうにしてたのは見逃さなかった。

 渡されたコントローラーはテレビのCMでよく見かけたもの。欲しいとは思わなかったけど、いざ手に触れると無性にワクワクする。

「敬助くん、このゲーム知ってる?」

「知らない」

「ならルール説明するね。まずAボタンが」

 ギルくんからの説明後、ゲームが始まった。このゲームは、参加者が協力するゲームらしい。この手のゲームは初めてする。迷惑にならないよう頑張ろう。

「よしクリアー!」

「はや!」

「俺も」

「え! ……あぁー負けたー」

 ギルくんが負けた。

 途中でゲームを換えて、今は対戦ゲームをしてる。これはいろんなミニゲームが詰まってて、それぞれのミニゲームに勝ってポイントを競って最終的に誰が一番高かったかを競うっていうゲーム。

「もう一回! 次は絶対勝つ!」

「それで終わりかな。もうそろそろ昼飯くるだろうし」

「え、もうそんな時間だったんだ」

「時間経つの早すぎだろー」

 あと一回戦だけしてゲームを終了した。今回の勝負はギルくんの得意なミニゲームだった。ギルくんが一位、俺が二位、珍しく下条が三位っていう結果。

「最後の最後で俺が苦手なやつだったー……」

 下条ががっかりして言う。そういうときもあるさ。

「あーもう一回したけどもう時間かー」

「そうだね。またやろ! 今度は真也くんの家でもやりたいな」

「俺んち来るか? ……あ」

 ……言葉の続きがない。

「いやー、やっぱ俺んちは無理かも。ゲーム機持ってギルの家でいい?」

「……うん。もちろん! ……お兄さんので?」

 お兄さん? 上いるんだ。

「まーなー。兄ちゃんいないときにならいいけど、いるときだったらうるさくするなーとか言われたら面倒だから、またギルんちに行けるようなったら行くわ。急に遊びに行って脅かしてやるぞ」

 言ったら驚かなくなると思うけど。

「あはは。じゃあ待ってるね」

「おうよ!」

 スマホを出して父さんに連絡する。帰ってきて車を出してほしいって。でももちろん俺の父さんは下条じゃないから、あんなにすぐ既読は付かない。

 連絡に気づかずに時間的にってそのまま帰ってくるかもしれない。ここで待っておこうかな。

「楽しかったなー。それにしても真也くん強すぎでしょ! 俺数えられるくらいしか勝ってないよ」

 そもそも数えられるくらいしかやってないと思う。

「あのゲームは中一のときに猛特訓したからな! 父ちゃんに勝つためにずっと練習して、やっと勝ちたかったミニゲームに勝ったんだぞ! まだ腕鈍ってなかったなー」

「俺もあのゲーム買って真也くんに勝つために頑張ろうかな。あはは」

「俺に勝つには百年早い!」

「あーそんなこと言っちゃうんだー。俺もう買うって決めた! いっぱい練習して真也くんに勝つもんね!」

 楽しそう。コーヒーを飲みながら口を緩ませて聞く。

「特にあのミニゲームは真也くんに勝てる見込みあったよ! あのぴょんぴょんってするウサギのミニげ……」

 ん。声が止まった。

「ギル……?」

 コーヒーを下ろしてギルくんを見れば、目に涙を溜めて、こぼれ落ちた。

「え、ギル? どうしたんだよ」

 いきなり泣き出すから俺も下条も困惑してる。そして下条の腕の中に入る。困惑しながらも下条は背中に腕を回した。

 止まらなくなった涙を必死に拭って、わけを聞いても答えてくれなくて、下条も困った顔してる。

「ギルくん、なにがあったか話せる? 蓮のこと?」

 下条の腕の中で顔を振る。

「どっか痛い?」 

 また振る。

「……いっぱい死んで……」

 声に出たのはただそれだけだった。いっぱい死んだ……?

「ゲームの話?」

 顔を振る。

 次第に大きく声を出して、声が聞こえてないみたいに質問にも答えてくれなくなった。

 下条も諦めたのかただギルくんの背中をさすってた。

 いっぱい死んだって、ゲームの話じゃなければ漫画の話? だとしても思いだすタイミングがちょっとおかしい。それにウサギのミニゲームのこと言おうとしたときに泣き出した。ならあのウサギのミニゲームが関係してる?

 あのミニゲームはにんじんが落ちてるからウサギを操作してにんじんを多く取ったほうが勝ちっていう単純だけど難しいゲームだった。それともミニゲームじゃなくて、ウサギ? ……ウサギがいっぱい死んでたっていうこと……? なにその残酷。

「ギル、大丈夫だから」

 下条が慰めてくれて少し落ち着いた。けどなにかに恐れてるように下条の服を力いっぱいに握ってる。

「蓮のこと心配してたのか?」

「……ううん。れーくんも心配……だけど……」

 また泣きそうな顔になる。それが自分でもわかってたのか下条の胸に顔を埋めた。

「話せるようになったら、話すね……」

「無理に話さなくてもいいけどよ」

「……俺、また泣きそうだ。……俺いない間学校で面白いこととかあった……?」

 下条に目を合わせる。俺は行ってないからわかんないな。

「うーん、ギルたちいなかったからそこまでだなー。敬助も体調崩してたし」

「……そうなの? 敬助くん今はもう大丈夫なの?」

 少しだけギルくんが泣く要素から逸らせたかな。

「大丈夫じゃなかったらここにいない。……そういえばさ、今朝に朝日撮ったんだ。見る?」

 このまま話を逸らして忘れさせよう。

「朝日……?」

 スマホを取り出して画面を見せる。

「あ、これだんだん昇ってくるってやつ? 俺見たことないなー。月が昇ってくるのは見たことあるけど」

 ギルくんは夢中になってスマホを見つめてる。下条に目を向ければ親指を立てられた。

「綺麗だね。ていうかここってあの神社? ほら、真也くんも夏祭りの時に上った……」

「え?」

 この場所知ってるのかな。

「あー、んー? ……あぁ、あそこか! 確かにあの神社だな。敬助そこらへんに住んでるのか?」

「いや、近くじゃないけどここあるの知ってて、この時間まで起きてたから、せっかくだし見に行こって思って」

「この時間……って、太陽昇るのって五時くらいだよね。その時間まで起きてたの?」

「それだから授業中寝るんだろー?」

 いや……誤解だって。

「この時間まで勉強してたんだ。どうせ寝れないし、今週全然行けてなかったからさ」

「勉強するのは偉いけどさー、夜寝れば朝起きて学校行けるだろー?」

「寝れないんだって」

「寝ろって」

「だから寝られないんだって。日本語わかる?」

 俺と下条のやり取りを聞いてたギルくんがぷって笑う。よかった……。笑ってくれた。

「敬助くんは朝弱いんだもんね。真也くんは朝強いけど。実はれーくんもちょっぴり朝弱いんだよ」

「へぇー、蓮って遅刻とかしないけどな」

「朝弱いから必ず遅刻するって考えやめたほうがいいぞ」

 俺は確かに遅刻してるけどな。そもそも朝弱いわけじゃないし。ただ寝たくないから夜寝ずに朝迎えて、数日それを繰り返したら起きるのが耐えれなくて夜以外の時間に寝てしまって、体内時計が狂うってだけで。

「でもほんとたまーに俺がれーくんの家に行っても起きてないってことがあるんだけど、そういうときってだいたい体調悪いからそっとしてるんだよね。で、そのあとなんで起こさなかったかって不満そうに聞いてきて。あはは。

 体調悪くなくても昨日の夜更かししてたからっていうときもあるんだけど、どっちにしてもフラフラな状態で行ってほしくないから起こさないんだよね

 ……早く一緒に学校行きたいな」

 楽しそうに蓮の話をするギルくんの最後にポツリと言った言葉で、今蓮は意識が戻ってないんだってことを思いださせられる。

「……そういや、蓮になにあったかギル知ってる?」

「……うん、なんとなく……敬助くんが話してくれたから」

 また泣き出しそうな顔をしだす。蓮のことでなのか、ウサギが関係してるのか。

「やっぱ敬助知ってたんだな!」

「……意気揚々とばら撒く話じゃない」

「そうかもしれないけどさー」

「……俺あんまり思いだしたくないから……敬助くん教えてあげてくれる……?」

 ま、ギルくんにとっては思いだしたくもない、消したい記憶だろうから。今朝のニュース聞いた限り。相当嫌なのか耳も塞いでる。

「……さっきも言ったけどばら撒くような話じゃない。学校で広めんなよ」

「わかってるって」

 どうなんだか。

「……一昨日からギルくんが学校に行ってなかったこと知ってただろ。その時点でギルくんが事件に絡まれてて、そのことを電話で知った蓮が学校飛び出して、ギルくんを捜しに行った。そして捜し出せたものの、そこに犯人ももちろんいた。けど犯人が逃げるから追いかけて、傷を負わされて、川に落ちて意識不明で病院に搬送。俺が知ってることを簡潔に言うならこんな感じ」

「犯人追いかけたって、やばっ……。馬鹿だろ。意識戻ってるのか?」

 ギルくんが耳を塞ぐのをやめた。

「今のところは聞いてない」

「マジか。蓮アホだな……」

「れーくんは馬鹿で……アホだよ……」

 俺も蓮が犯人を追いかけたって聞いたときは本当に馬鹿だと思った。正義感が強すぎる。いいことなのかもしれないけど、それでもし死んだとか言ったら……一生許さない。

 蓮はもっと自分の命を大切にするべきなんだ。いくら自分が大切だと思えなくても……。

「ギルくん。このあと昼飯食べたあとに蓮の様子見に行くんだ」

「あ、そうなのか?」

「どんな様子かまた連絡するな」

「うん……お願い」

 ギルくんをこんなに悲しませて、本当にいいのか、蓮。

 少し重い空気になってた頃、扉が開かれた。親が帰ってきた。父さんは手にコーヒーを持って、ギルくんの父親は自分用の昼飯かな、袋がある。

「敬助と下条くん。そろそろお昼にしようか。少し長居しすぎたよ」

「……あぁ」

「ギルも、もうそろそろお昼来ると思うからね」

「うん……」

 俺らの重たそうな空気を察したのか、父さんが聞いてくる。

「なにかあったのか?」

「…………」

 誰も口を開ける様子はない。これ以上重たくさせたくもない。

「……なんでもない。下条行くぞ。……ギルくんまたな。お父さんもありがとうございました」

 俺は挨拶をして早々に部屋から出た。呼びかけた下条が来ているのかの確認はせず、病院の出入り口を目指して歩く。外に出れば家の車に寄りかかって待ってた。

「…………」

 結局、ギルくんが途中で泣き出したのってなんだったんだろ。

 少しすれば父さんと下条が来た。

「敬助、寒かったんじゃないか?」

 父さんがそんなことを聞いてくるけど答えず、

「いいから早く開けろ」

「…………」

 父さんはそんな俺を見て、素直に車を開けてくれた。俺は後部座席に乗り込んで、続けて下条も隣に座る。

 俺はただ窓の縁に肘を置いて外の景色が変わるのを待ってた。

 父さんがシートベルトを付けたか確認してくる。

「付けたぞー」

「敬助は付けたか」

「…………」

 父さんは自分に付けるシートベルトを外して、助手席との間から呆れた顔を出して、俺の席のシートベルトまで手を伸ばして体を戻した。

「……よし出るよ」

「ほーい」

「…………」

 まもなくして車が病院を出た。


「お昼なに食べたい?」

 父さんがそんなことを聞く。そっか、もう昼か。最近食欲がなくて腹が空かなかったから、食事っていう存在を忘れてた。

「俺はー、うーん。敬助は?」

「…………」

「けいすけー」

 そう言って下条が引っ付いてくる。

「なんだ、引っ付くな」

「せっかくのごはんなんだからよー。もっと元気出せよー」

 人の気も知らないで。

「……俺はどこでもいいから下条が行きたいところにでも行け」

「敬助がそう言ってるし、下条くんはどこか食べたいところある?」

「俺は……ラーメン食べたい」

「ラーメンか。……ならあそこ行こうかな」

 父さんが目的とするラーメン屋に俺らは静かに乗って向かってた。

 ラーメンか……。あんまり食べる気ないな。サイドメニューだけで済ませようかな。いまさらだけど量を選べる寿司あたりを言うべきだったかもな。

 しばらく車に揺られて、着いたのは何度か行ったことのあるラーメン屋だった。見覚えがある。

 車を降りて入り口から入る。扉を開ければぶら下がってた鈴が鳴って、スタッフが一斉に「らっしゃいませー!」っていう活気のいい声かけが店内に響く。そのあと傍に来た店員が聞いてくる。

「何名様でしょうか?」

 父さんが人数を言ったあと、待たずともテーブル席に案内された。奥に詰めたら下条が隣に座る。

「ご注文がお決まりでしたら、こちらのボタンを押してください。失礼します」

 店員はお辞儀して去っていった。

「うまそー。どれにしよーかなー。どれもうまそうなんだよなー」

 隣にいる下条から、そんな声が漏れる。メニューを覗き込もうと思えない。もうサイドメニューも要らね。

 俺はただ外ばかりを眺めてた。早く蓮の声が聴きたい。目を見て話しがしたい。馬鹿野郎って……怒鳴り込みたい……。

「なあ、敬助。これとこれどっちのほうがいいと思う?」

「……知るか」

 下条を向かずに答えた。俺にとってはどうでもいいことなんだし。

「……なーけいすけー。なんでそんなに怒ってんだよー」

「…………」

「なあってー」

 うるさい。机の下でガタガタと足が動く。机に伏せた。

「敬助、早く決めなさい。なにに怒ってるのか知らないけど、周りに迷惑をかけるようなことするのは」

「わかった、下条どけ」

「え? お、おう」

 下条がどけばそのまま出口に向かって出ていった。なにも知らない店員から「ありがとうございました」っていう声がかけられる。

 俺は駐車場に止めてある家の車の後ろに座ってもたれ込んだ。ここにいるだけなら誰にも迷惑をかけない。ただ、少し寒いというのが欠点なくらい。

 けど、

「……はぁ」

 ここは独りでいられる。誰の邪魔もない。静な時間が過ごせる。

「おちつく……」

 曇る空は今にでも雨が降りそうに真っ暗だ。俺の心でも表してるのかね。

 なんとなく目を瞑る。

「はぁ……」

 ……いつもこうだ。いつまでもこうだ。なにか気に食わないことがあれば、それにいらついて他人に危害を加えないように独りになる。けど結局は独りでいるのが嫌だったりもする。

「あーくそっ!」

 握った拳を膝に振り下ろした。若干ヒリヒリする。

 けど痛みがあったからか、なんとなく冷静になれた。なにか聞こえる。

「…………」

 どこかから声が聞こえる。怒鳴る声と怯える声。あたりを見渡せば、柵越しに頭を覗かせてた。

 こっそり近づけば、そこにいたのは中学生くらいの少年と高校生くらいの男。見た感じ金を巻き上げられてる。

「まだ持ってんだろ? 早く寄こせよおら」

「こ、これは駄目です……お母さんにケーキを買うお金だから……これだけは渡せません……!」

「ははーじゃあちょっと痛めつけてもいいってことだなぁ?」

 男は少年に近づいていく。少年は誰かに助けを求めたいのかあたりを見渡している。けど誰もいない。俺はいるけど。

 さすがにこれは止めないとかな。

 どう入り込もうかな。錬っていると自然と口が緩んだ。

 財布の中身に石ころを詰めて、中身はポケットに入れる。そして重くなった財布を落とさないようにしながら柵を乗り越えて、

「だ、誰だてめぇ!」

 少年の手を引いて、途中で手に持っていた財布を落として裏路地に駆け込む。

「あ、あの。お兄さん……」

「いいから走れ」

 何度か曲がって大通りに出れば、すぐ近くにあったコンビニに駆け込んだ。

「ふぅ……」

 ここまで来ればもう安全かな。

「あ、ありがとう……ございます」

 早々に少年から息を切らしながらも感謝される。

「いいさ。君たちの声が聞こえたからな。というかそれケーキ買う金なんだろ? そんなもの手にして歩くか普通。ポケットに入れときな」

 少年が持っていたのは金の入っているであろう茶封筒があった。

「あ、そうですね……そうでした……」

 真面目くんかと思えば、少し抜けてる。たまにいる、こういう子。 

「で、財布取られたんだろ? どれくらい入ってたんだ?」

「えっと……四千円くらいです」

 四千か。あったかなぁ。ポケットに入れた現金を取り出すけど千円足りなかった。代わりに五千円札に持ち替えて少年に差し出す。

「ほら、これあげるから。中学生にとっては貴重な小遣いだろ?」

「いやいや、貰うわけにはいきませんよ! 見知らずの僕の……盗られた四千円をお兄さんが渡す必要はないですよ! それに千円多いですし!」

「……四千はなかったからさ。要らない?」

「い、要りません!」

 ちょっと揺らいでるな。けどほんとに中学生にとっての小遣いでもらった金が貴重なのはわかってる。俺もそんなときがあったんだから。

「なら三千円でどうだ」

「三千なら……じゃなくて要りません!」

「ふーん」

 意外と頑固なんだな。

「そもそもなんでお兄さんは僕にお金をあげようとするんですか! 人にあげたら減るんですよ! 自分のがなくなるんですよ!」

 ……俺は幼児の勉強でもしてんのか?

「それくらいわかってるからそんなに声荒げんなって。あげる理由か、そうだな。……気分を晴らしてくれたお礼ならどう? きちんとした理由だろ?」

「気分を……? なにかあったんですか?」

「……俺って気持ちの悪い性格してて、ちょっとしたことでイライラするんだ。大切な人の馬鹿な行動。俺の気分を晴らそうと努力してくれた友だち。……そんなのでイライラしてさっき親と喧嘩……って言うのかな、そんなのした。こんなのどうしようもないだろ。それを君がいたからなんとなく嫌な気分を晴らせたっていう感じ」

「…………」

 なに年下に吹き込んでんだろ。ただ俺が悪いだけなのに。

「まあとにかくだ。これはそういうお礼。だからもら」

「自分のことを気持ち悪いなんて言っちゃ駄目ですよ」

 ……え?

「そんなこと言ったら産んでもらったご両親に失礼じゃないですか! 自分より我が子を大切にしようとするお母さんやお父さんに反抗すれば、(のち)に後悔しますよ。……そりゃあ、人間には『反抗期』というものがありますけど、あれは仕方のないことです。そういうのがあるんですから。ですが、それ以外で反抗するのは絶対後々後悔します!

 喧嘩すればすぐに仲直りする。いつまでも引きずらない! 悩み事があればすぐに話しちゃう。自分も楽になりますし、ご両親だって安心できるんですから!

 自分の性格を嫌いになる前に、好きになろうとする努力をまずするべきです! 努力する友だちを見て羨むなら自分がそうなれるように努力するんです。それで初めて自分の性格を、自分を好きになれるんです!」

「…………」

 俺より歳が低い子からこんなことを言われるとは思ってなかった……。低いといっても中学生くらいだろうけど。

「……そうだな」

 口を緩ませてから少年の頭を撫でた。

「嫌いになる前に好きになる、か。俺はもう手遅れだと思う。ずっとこんな性格で今もそれが嫌いなんだから。これから好きになるには時間がかかるかもしれない。けど、努力はする。……それでいいか?」

「はい! それでいいのです」

 その返事を聞いたあと、改めて現金を差し出した。

「今度こそ礼だ。俺より月日の経ってない君から、素敵な言葉を貰った。受け取ってほしい。お願い」

「……こ、今回だけですよ!」

 少年は奪うようにそれを取った。

「それに僕は来年中学二年生なんです! お兄さんが何歳なのかは知りませんが、気安く触らないでもらえませんか」

「ははっ、それは失礼。来年で中二か。俺は来年で高三年だ。さっきみたいな奴には気をつけて大通り通るんだぞ。じゃあな」

 少年の頭を軽く撫でて、コンビニを出た。あの少年には驚かされたな。

 ……さて。

 右を、左を見て通りを見渡す。……ここはどこかなぁ。

 さっき通ってきた裏路地を戻ってもいいけど、もしかしたらさっきの奴らがまだいるかもしれないし、さすがにもう逃がれる手はないから通りたくない。

 ま、スマホを見ればいくらでも戻れるし、他の道見つけよ。スマホを入れてたはずのポケットに手を突っ込む。……ない。

「あれ、あれ……? ない?」

 いくらポケットの奥まで手を突っ込んでも、財布から抜き取ったカード類と現金しかない。

「え、は? ……マジで言ってる……?」

 さっきまで余裕でいたのが馬鹿らしく感じてくる。どうしよ……。個人情報入ってるんだけどな……。

 いつもスマホに頼ってばっかだったからこういうとき冷静に対処できないのやめたほうがいいよなぁ。今の時代生きてる人の欠点すぎる。

 とりあえず交番見つけてそこで場所聞こ。ついでに落とし物で届いてないかも。

 交番出なくても公共施設に聞けば教えてくれるかもしれないし、金はあるからどっかの駅にたどり着けば家の最寄り駅まで行けるだろうし、とりあえず歩こ。運良く知ってる場所に着くかもしれないし。

 適当に方向を決めて歩き出した。見慣れない場所適当に歩くってなんかいいな。楽しい。漫画の世界じゃないけど冒険してるみたい。楽しければ案外前向きになれる。正直もうこのまま知らないところまで行って一泊してもいいくらい。誰か知ってる人と顔合わせなくてもいいし。

 フラフラと適当に歩いてれば見たことある道に出た気がする。どこかで見たことあったような、なかったようなそんな道。

「…………」

 止まって首を傾げる。いや知らない場所だ。また歩き出した。

 ……息するの疲れたときとかにこうやって知らない場所歩くのもいいな。クレーンゲームに逃げて無駄遣いして、気分晴れた代わりに喪失感抱くよりもマシだし。実際疲れてる今の心身にはいい薬物になってる。

 ちょっと前のことがどうでもよくなった頃、歩道に寄せて一台の車が止まった。少しだけ距離を置いて歩き続ける。一瞬俺の家の車と同じ形だったからびっくりした。けどあの父さんが俺を捜すなんてしない。俺が夜出ていっても母さんしか心配してた記憶ない。

 さっきの車から人が降りたのかな。かなりバンッて強く車の扉が閉じられる音がした。

「ケイスケ……!」

 え? 俺?

 振り返ると俺の目の前に人がいて、

「なにしてるんだ!」

「とうさっ……」

 いたっ……。頬に痛みが走ってジンジンする。頬を押さえようとする手を掴まれて、車の後部座席の扉を開けて乱暴に中に放られた。下条の脚を下敷きにしてる。

「敬助おかえりー」

 ……父さん怒ってるみたいだけど、下条平常すぎない?

 運転席に乗り込んだ父さんから怒った口調で「シートベルト着けなさい」って言われて素直に従う。

 なにがあったのか聞こうとしたら、

「しも」

「しっー」

 なぜか止められた。……本当になにがあったんだ……? けど俺のスマホだけ静かに渡してきた。持ってたんだ。あったならよかった。

 車内は俺の心臓を突きそうなくらい静かだった。父さんからは明らかに怒ってるのがわかって俺の体は、弓矢を目の前で構えられてるくらい勝手に力が入ってる。下条はそんなことないみたいだけど。

 しばらく困惑しながらも黙って乗ってた。下条は口を緩ませて外の景色を見てる。そんな様子見て口を開けることもできなくて、俺も外の景色を見るしかなかった。

 ずっと体に力が入ったまま、次の場所に車が止まった。蓮が横になってる病院。父さんは俺が言ったこと憶えててくれたんだ。

 車から降りたら足早に入り口へ向かおうとするけど、父さんに止められた。

「敬助」

 立ち止まって振り向く。

「…………」

 さっきちょっと怒られてそのまま黙ってここまで来たんだから、もちろん今も怒ってる。しかもたぶん本気で。

「下条くんは受付に聞いて先に行っててね」

「ほーい」

 下条が病院に入っていけば、父さんの顔は俺へと向き直る。さっき下条に向けて作った優しそうな顔とは違って怖い顔してる。なにされるんだ。

「寒くなるだろうし、車に入ろうか」

 言われるがまま、後部座席に乗り込んだ。

 ……なんだ。なにが始まるんだ……?


「落ち着いたら車に鍵をかけて来なさい」

「…………」

 父さんは俺のすぐ横に車の鍵を放り投げて車から降りていった。息が苦しくて返事ができない。そもそも父さんが返事も聞かずに車を出ていった。

 あのあとくそほど怒られた。車中で静かに、俺の心臓を削るように、じわじわと。内容はさっきの俺の行動についてだった。

 チョロチョロ出る涙が止まらない。むしろチョロチョロと言わず父さんが出ていってからはドバドバ出てくる。

 父さんが出たのを確認してからは、俺の張ってた糸が切れたように声を漏らしだして涙を拭い続ける。けどいくら車の窓が閉まってたとしても防音じゃないんだから漏れるものは漏れる。後ろにあった毛布で口を押さえながら泣いた。

「…………」

 苦しい……。

 落ち着いてもなにもする気力がなくて、ただ横に体を倒してた。頭痛い。酸欠、かな……。

 俺が勝手な行動してから怒られたのに、胸が苦しい。気持ち悪くて最近で一番吐き気が酷い。力めば吐けそうなくらい……。でも昼になんにも口にしてないから簡単なことじゃない。

 ……蓮が眠ってる前でこんな姿してるのダサすぎる。こんな程度で……。蓮のほうが痛い思いしてるはずなのに。もっと苦しい思いしたはずなのに。

 蓮に会いたい。けど、こんな姿見せられない。気分悪くてうまく喋れないと思うし。少しだけ時間空けて行こうかな。なにもする気力ないからただぼーってするだけになるけど。……昔みたいなことしたくない、けど……。気持ち悪い……。頭から布団を被った。

 この感情、どうしようもない。少しだけ、目を瞑ってよう。寝れるなんてこと期待してないけど。寝て悪夢見るくらいなら寝たくないけど。

「…………」

 ほんとに昔みたいなことしてる。この寝れない時間を過ごすのも、なにかから逃げることも。そのどれもが苦しいって知ってるのに行動にできないことも。

 薬、貰うようになってからきちんと飲んでたら今頃悩まずに過ごせてたのかな……。でもあの記憶を、思いだしたくもない記憶を、似たような光景目にするたびに吐きそうになる記憶を、寝るたびに見るのなんて誰が耐えれるんだ。今もずっと怖い。寝ずに過ごせるなら一生寝なくていいって思う。

「……あいたい」

 蓮に会いたい……。どこかからそんな思いが芽生える。いやもうずっと、蓮があの日学校を抜け出したときからずっと思ってた。いや、それよりもずっと前。ずっと、ずっと前から。

 体を起こして目元を拭う。

 会いたい。だから会いに行く。今の俺にはそれくらいしかできない。会えるうちに会わないと後悔する。心美が死んだ時そうだった。めちゃくちゃ後悔したんだ。もうしたくない。

 車の鍵とスマホを手に取って車を降りた。

 受付で説明と部屋の場所を聞いて病室に向かう。

 もう意識回復してるかな。いやしててほしい。してなかったらまだずっといつ目が覚めるかって不安にならないといけない。いつまでも心配しないといけない。

 病室の前に着いた。豪勢に個室らしい。先に下条と父さんがいるはずなんだけど、声聞こえない。迷ってる? いや、だとしても時間かかりすぎだし。どっか行った? そう思いたかった。蓮の声が聞こえないから。基本一人でいてべらべら喋る人なんていない。

 心臓がドクドクなってる。蓮に会えばそんなの気にしなくなる。そう思って、小さくノックした。返事はない。聞こえてない……かな。さらに心臓をうるさくさせながら扉に手を掛けて開けた。

「…………」

 寝てる……だけ。そうに決まってる。部屋にやっぱり下条たちはいなくて、ただ蓮がベッドで横になってるだけだった。

 下条たちどこに行った? 俺が来るの遅くて入れ違えたかな。

 震える足で一歩一歩蓮に近づいた。足音では起きない。いつもなら扉が開く音で目を覚ましてるらしいのに。

 服の下から伸びる線はいくつもあって、小さいモニターまで伸びてるものがあれば、点滴に伸びてるものもあった。口には酸素マスク。鼻からなにか筒状の線もつながってる。

「……蓮」

 声をかけても起きてくれない。……わかってたさ。

 蓮の手を布団の下から探って右手を握ろうとしたけど、包帯で巻かれたりしてる。そういえば、右手怪我してたっけ……。

 静かに腹で布団を動かして、開ける様子もなく目を瞑ってる。

 ベッドを挟んだ奥に椅子と机があった。机にさほどない荷物を下ろして、椅子に静かに座り込む。

 あまりにも静かで、このまま一生目を開けてくれないんじゃないかと思えてくる。声を聞けないんじゃないかと。綺麗な顔して、ただ眠ってるように見えるのに。

 腰を浮かせて、線を引っ張らないように蓮の頭を抱え込むように腕で包む。

「れん……」

 目が潤ってきて鼻をすする。また目を合わせて喋ってくれるんだよな。だからあんな行動したんだよな……。

 頭を包んでたら鼻水が垂れそうになってとっさに体を起こした。そのときバランスを崩して椅子に投げられるように座った。まるでもう抱きつくななんて言ってるみたいに。そんなの、自分の口で言えよ。

 怪我してないはずの左手を探って触れる。と、指がピクッて動いた。

「蓮!」

「…………」

 けど目を開ける様子がなければ、手も動かなくなった。いまさら気づく。蓮の手、俺よりずっと冷たい。

 左腕には点滴の針が刺さってて、人差し指にもなにかはめられてる。

「……蓮。こんなので死んでいいのか……」

「あの時生きたんだろ……」

「蓮が死ぬなら……俺も死ぬ……」

「いい加減目開けろよ……」

「…………」

 一方的に話しかけるのもやめて、ベッドに顔を伏せた。もう、起きてくれないのかな……。

 握り続ける左手は俺の体温で温かくなってる。けど動かない。動いてくれない。

 ベッドに顔を伏せて動かしにくい口のまま言う。

「……あしたまでにおきなかったら……」

 蓮の顔を見る。まだ、目を開けてない。

「……しらないから」


「……い……ざいます。……はい……はい」

 そんな誰かの掠れた声が聞こえる。

 夢……?

 頭に温かい感触……撫でられてるみたい。あったかいな。まあ夢だからそんなのも幻覚なんだろうけど。

 でも……ほんとに夢なのかな……。

 すごくあったかくて、涙が出そうになる。

「けいにい、起きなくていいの?」

 ……心美……? もう朝? でもなんで、心美はもう――。

「起きないなら先に行っちゃうよー」

「駄目……もう駄目。また死んじゃう」

「死ぬってなにが? 寝ぼけてないで、もう先に行くからねー」

 待って。駄目、駄目。ほんとに、待って。もう死なせたくない。止まって、心美、心美心美!

 車のブレーキ音と鈍いぶつかる音。黒い液体が広がって、

「…………」

 ……あれ。いつもならここで……目が覚めるのに。怖くて目が勝手に開くのに。起きない……。

 また頭を触られてる感覚がする。それがすごく温かくて、あんな夢を見た俺には温かすぎて、ゆっくり頭を上げた。

 勝手に目の前が歪んで、涙があふれて、見えなくなる。それでもその存在を確かめるように、強く、強く抱き締めた。

 蓮が体を起こしてた。

「心配かけ」

「どれだけ……どれだけ心配かけたら気が済むんだ……馬鹿」

 頭に触れられた温かさは背中へと変わる。

「……悪かった、本当に」

「もう二度とあんなことしないって言って」

「……約束はでき」

「言って! 言え!」

「……もう心配かけることはしない」

 俺は顔を上げて小指を突き出した。

「……約束。破ったら針千本飲ます」

 ガキみたいなこと言って笑ってくれると思ってた。けど蓮は笑わずに小指を絡ませてくれた。

「そのときは小さい針がいいなんて、ワガママか」

 微笑んだ蓮を抱き締めた。


「落ち着いてきたか」

 口では答えず、頭で答える。

 涙を流し続けていたケイが落ち着いてきた。ずっと僕のもとを離れようとしない。あのケイが泣き続ける、抱きしめ続ける、それくらい心配をかけていたのだと、いまさら実感する。

 抱きしめる分にはいい。ただ、腹の傷にケイの体重が乗っていて痛い。けど痛いからどいてほしいなんて言える立場じゃない。

「……ほんとに心配で、いつも以上に寝れなくて、食欲なくて、蓮がここで死ぬなら、俺も死のうと思ってた」

「……悪かった。本当に」

「もう、俺の大切な人、取らないで」

「…………」

 いつかに似た言葉を聞いた。

「……その体勢、疲れないか」

「……疲れる」

 疲れるが、疲れてでも抱きたいらしい。それくらい……。

「ベッド……看護師もいないし上がれ」

 ケイは素直に上がって、僕の体に跨るように座って、また抱いてくる。べつに腹の痛みをどうにかしたいだとかで言ったわけではないんだが、さらに痛くなった。ケイに動かれたらたぶん声を出してしまう。

 ケイが顔を上げて、

「いつから」

「いっ……」

 そして腹が痛くてつい声を出してしまう。

 初めこそ不思議そうにしていたが、理解したのか「ごめん!」と言って跨がれなくなった。

「構わない……。これも全部僕のせいだ。自業自得」

「ここらへんだったよな、怪我してるのって」

 そう言って傷を避けるように跨り直した。

「……僕が寝ている間にでも腹の傷の位置を把握したのか」

「……いや。俺だから、救急車呼んだの」

「……そうだったか。ありがとう」

 どこか知らない人かと思っていたが、ケイだったか。

「いつから目覚めてた……?」

「さっき……と言っても深夜頃だろうか。窓の外は暗かった。部屋に照明もついていなかった」

「……そっか。目覚ましてくれてありがと……」

「……僕こそ、泊まってまで傍にいてくれてありがとう」

「……べつに許可とかもらってないんだけどな」

 そう言って笑う。

「気づかないフリでもしてくれたみたい」

「追い出されなかったならよかった」

「ずっとこうしていい……?」

「……気が向くまですればいい」

 しばらくケイに抱かれたままでいた。ギルみたいに、幼くなったみたいに、ずっと。

 ギル、心配しているだろうな。まだここから出ることはできないだろうから、あとで電話でもかけてやろう。そもそも意識が戻っているかどうかだが。

 ……そういえばスマホってどこに行ったのだろうか。川に落としていなければいいが。

「ケイ、ギルはもう回復できているか」

「……俺がいるのに」

 その言葉の意味は理解できなかった。けど顔を上げて、目をこすって答えてくれる。

「前見舞いに行ったときはもう、目覚ましてた。下条が持ってきたゲームできるくらい」

「それならよかった」

「あ、でも」

 ケイが目をこする。

「ゲーム終わったあと、話してたら急に泣き出したときあった。あのときは……なんかのミニゲームが得意とか言ってたときだっけな。ほんとに急に」

 ミニゲームの話をしていて急に……?

「詳しく思いだせるか」

「えーっと……。ゲームそろそろ終わろって言って終わって、ギルくんが下条が強いって話したんだっけな。それでギルくんが勝つためにソフト買うとか言って……なんかのミニゲームは勝てそうだったとか言ってた」

「それで泣き出したのか」

「そう」

 本当に急なんだな。それに特に泣き出しそうなことが関連しているとは思えない。楽しそうにゲームの話をしていたとしか。

「そのミニゲームはどんなものなんだ」

「えっと、確かウサギを操作して」

 ウサギ……。思わず口に手を持っていくが、酸素マスクが邪魔をして押さえられない。吐きそう。でもなんで……気持ち悪い。思いだせない。

「蓮? 吐きそう? 看護師呼ぶ?」

「……少し……待ってくれ」

 口を開けたら、出しそう。収まるまで少し待つ。

 なんでウサギを聞いたら不快に思うのか……。川に落ちる前の記憶が曖昧で思いだせない。

「……もしかして蓮も……?」

「……なにが」

「ギルくんがその、ウサギのこと言ったら泣き出して、蓮も今ウサギのこと言ったら吐きそうになってる。……やっぱりウサギがなんか……関係してる? ギルくんと一緒になんか見た?」

 ギルと一緒に? そもそも川に落ちる前になにがあったかのかも思いだせないのに、無理な要望だ。

 ギルがなにかの事件に絡まれたことは憶えている。しばらくいなかった。それで僕が捜しに行ったんだったか。……ギルは見つけた。犯人は女だった。……確かギルのいた部屋は赤くて、そこら中に、

「っ、蓮!」

 マスクから漏れ出たそれが不快に喉を伝って、少し服の中に入ってくる。

 そうだ……。そうだ、思いだした。あの部屋に死骸があったこと。ウサギの死骸を掴んだこと。

 ケイが廊下から顔を覗かせて呼んだ看護師が僕が吐いたものを処理してくれた。布類は全て変えて、消毒液を振り掛けて、たいそう迷惑なことをしてしまった。

 温まっていた服を取られて布団を被ろうとするが片手でうまく掛けられずに苦戦していたら、ケイに新しくなった掛け布団を肩まで掛けてもらった。

「ありがとう。……ケイ、思いだした。あの日にあったこと。聞いて面白いものじゃない。聞かれても全ては話さない。ただ、ギルの前で特に小動物の話を出さないでくれ」

「小動物?」

「さっき言ったウサギ、そこら中にいる鳥、犬……猫はいなかったか。猫は構わない。けど人の手で殺せるような小動物の名前を出さないでくれ」

「人の手でって……どういうこと?」

「……全ては話さないと言った。聞いて面白いものでもない。時が経てば僕が目にしたものを書かれた記事でも出るんじゃないか。それくらい酷いものだ。……だから頼む。ギルの前では話題にしないでくれ。学校の生徒……ギルと関わりを持っている生徒、一応先生にも言ってくれ。信じてくれるかわからないが、名前を聞いて思いださせてギルを傷つけたくない」

「……わかった」

 最初から最後までよくわかっていなさそうな顔をしていた。それでも最後に聞いた言葉を信じたい。

 僕もいつまでも思いだしていたいことじゃない。すぐに違うことを考えて忘れようとする。

 ケイはもうさっきの話をしていたときみたいに深刻そうな顔はせず、また僕に腕を回していた。

 そういえばケイ、ずっと目を痒そうにこすっている。実際目が充血している。

「ケイ、目が痒そうだが。充血もしている」

「あ、充血してる? ……コンタクト付けたまま寝ちゃったからかな。目薬持ってないんだけどなぁ」

 スマホを取り出していじりだす。気が済んだかと思えば、ベッドから降りて病室にある棚を開け閉めし、

「あった」

 コップを持って洗面所に向かう。コンタクトを付けたまま寝てしまっただとか言っていたから、コンタクトを外しに行ったのだろうか。

「…………」

 あのケイがずっと僕から離れようとしなかった。ずっと抱きついて離さなかった。相当心配をかけてしまっていたことはわかる。

 次に目が覚めたときはここがどこで、なんでここにいるのか、なぜ腹や右手に痛みがあるのかわからず、全く記憶がなかった。ただ頭がぼーっとして口がすごく乾燥して、体の感覚もほぼなくてあっても重たすぎるだけだった。

 しばらくその状態が続いた頃、扉が開かれたことに気づいて見てみれば、看護士らしき人が顔を覗かせていた。僕が起きたことに気づいた看護士は、いろいろ触ってなにかしていた。声もかけられて意識の確認もさせられた。全く内容が入らなかったが、今の僕がどういう状況なのかも説明してくれた。内容は全くわからなかったが、しばらく入院生活になるとだけ聞き取れた。

 部屋には畳まれた僕の制服やほんのり香る花瓶があった。左腕には点滴、右手は動かせない。腹が痛くて、とてもトイレに行きたかった。

 それでトイレに行きたいことを言えば尿カテーテルというものがあるらしく大丈夫だと言われた。漏れそうなんだが、なにが大丈夫なんだ。

 でも本当にいつまで経っても漏れそうになくて、大丈夫なのだと理解した。不快ではあったが、今はもう慣れてしまった。

 ケイが壁を伝いながら壁から出てきた。コンタクトを外したのか前が見えていなさそうだ。壁に手を付いて、慎重に歩いている。が、このまま壁伝いにこっちに来たら点滴だとかにぶつかってしまう。

「ケイ、そのまま来たらぶつかってしまう。右の壁に移れるか。移れたら遠回りになるがベッドまで来れる。トイレならその右に移って後ろにある扉だ、たぶん」

 そう言えば右の壁にゆっくり移って、遠回りしながら近づいてくる。

「あ、そこにテレビがあ」

 ケイがテレビ台に脚をぶつける。

「いたっ」

「……悪い」

 テレビを避けて壁に伝いながら近づく。もう僕が近いことがわかっているのか片腕を伸ばしている。僕もそれに応えて背を浮かせずにケイの腕に手を伸ばした。

「な、なにこれ」

 ケイが僕の手を触れるなりなにを触れているのか確かめるようにもみもみ触ってくる。少しくすぐったい。

「ヘンな形していて悪かったな。僕の手だ」

「いや、ちょっとびっくりしただけで。ヘンじゃないけど細い」

 ケイの腕を引き寄せて傍にある椅子に座らせる。今度は僕の体を跨ることはなくなったが、掴んだままの手を離してはくれない。

 むしろ手を肩まで滑らせて首に触れ、頬で止まる。くすぐったい。

「蓮のこと見えないの嫌だ」

 そう言ってぐんと顔を近づけてくる。

 近づいた顔は僕の首に埋まる。視力が悪くて目が見えていなかったとしても、今なにをしているかくらいわかるんじゃないか……。そして首をぺろっと舐められる。

「おい……。目が見えなくても今なにしたかくらいわかるだろ」

「ごめん。ついそこに首があったから」

 なに当然のように……。普通首なんて間違えても舐めることなんてない。それに舐めたものが首だとわかっているじゃないか。

「ケイの視力が悪いというのは、いくらか聞いてはあったが、そういう行動で怪しく僕は感じている。けどもしそれが本当なら不便だろ。ケイの親にでも眼鏡持ってきてもらうよう言えばいいんじゃないか」

「んー……うん」

 なにか不満があるのかスマホを持とうとしない。

「……昨日父さんと喧嘩みたいなことして……顔合わせたくない。まあ、俺が勝手にいらついた結果だったりもするけど」

「……なら僕から頼もうか」

「それは蓮に悪い。それに次顔合わせたとき、なんで自分の口で言わなかった、とか言われてもだるいし」

「……なら」

「わかってる……」

 のっそり体を起こしてスマホを手に持ったかと思えば、体勢を戻した。そして体を起こしてスマホをいじればいいものの、意地でも離れたくないのか窮屈そうに僕の腕の中でスマホをいじる。が、

「い、ま……れ、ん……が……い、る」

 文字を打つたびに目元にスマホを近づけている。やっぱり目が悪いんだな。

「打とうか」

「……ごめん」

 スマホを左手で受け取って、画面を見る。父親とのチャット画面だ。


『明日の九時前に車出してほしい。ギルくんの見舞いに俺の友だちも連れて行く。そのあと蓮のところにも行きたい』

 ――昨日――

『どこにいるんだ』

『返事しなさい』


 確かになにかあったのだろうと想像がつくチャットが来ている。

 入力欄にはケイが打っている途中のものがある。

『昨日はごめん。今蓮がいる』

「なんて書く」

「……今蓮がいる病院にいて」

 打とうと画面を見ると、フリック入力だった。いつもローマ字入力だから……。

「少しゆっくりめでお願いしたい」

「……わかった。次いい?」

「……ああ」

 難しい。

「今コンタクト使えなくて」

 いま……こん……つ……か……え……な……く……て……。予測変換ありがたいな。最後まで打たなくても出てくれる。

「眼鏡と……コンタクトケース……持ってきてほしい」

 持って……きて……ほ……「ほ」ってどこだ。……あった。

「……ふぅ。よくいつもこんなので打てるな」

「え? いつもこれだけど」

「フリック入力はわからないからいつもローマ字入力で打っている」

「もしかしてわざわざフリックで打ってくれてた? ローマ字にも変えれたと思うけど」

 僕の手を包みながら目に近づけたスマホを少し触る。

「ほら」

 本当だ。いつも見ている画面だ。

「機械には疎い」

「ま、送信だけお願い」

 ただ青い三角を押せばいいだけなのに。色くらい判別できるだろ。そう思いながらも送信ボタンを押した。

「そういえば、ギルくんに連絡したのか?」

「いや、まだしていない。どうもスマホがなくなったらしくてな」

「あぁそっか、なんか川に落ちたっぽい落としてたし」

「……落ちたのか。……そもそも音ってなんだ」

「あぁ」

 ケイはなにか納得したのか体を起こして僕と目を合わせる。

「蓮さ、川に落ちる前に俺に電話つなげてくれただろ? でもその電話切れずにつなぎっぱなしだったからそのままでいたら、水に入ったみたいな音したんだ」

 そうか、つなぎっぱなしだったのか。だから僕が川に落ちたことにケイが気づいて今ここにいる。そして僕のスマホはきっと今頃お陀仏になっている、と。

「俺、蓮が学校抜けてから電話くれるまでなにがあったか知らないんだけど。なにがあったんだ?」

「その話もあとでしようか。今はギルに伝えてやりたい」

「それもそっか」

 必然的にケイのスマホを借りることになって、ケイに聞いてからギルのチャット画面を開く。


『いや、知ってるんだ。この一連。蓮も今病院にいることも。大まかにだけどギルくんになにがあったのかも』

『あ、そうなんだ。お父さんから? もしかして来てくれてた? 寝てるときに』

『場所聞いたからな。蓮を病院まで送ったあと、ギルくんのところにな』

『ねえ、れーくん病院に送ったって、車でだよね? 救急車でとか言わないよね』


 昨日の会話で止まっている。最後のチャットのあとには通話記録も残っている。僕のことが出ているから、やっぱり心配させてしまっていただろうな。

 なんて打とうか。そんなことを考えているとケイからスマホを貸してと言われて取られる。

「打つより声聞かせてあげたほうが喜ぶだろ?」

 そう言ってギルに電話をかけてスピーカーにする。

 少しのコール後、かかった。

『もしもしー? どうしたの? また遊びに来てくれるの?』

 また、ということは一度は行ってやったんだな。

「また近いうちに行くけど、それじゃないかな」

『そう? ならどうしたの?』

 一度ケイが僕に目を合わせて、微笑む。

「ギルくん、喉潰さないようにな」

『……え?』

 それだけ言うのは少し言葉足らずだとは思うが。スマホを僕に向けられて手に持つ。

『敬助くん? 今のなに?』

「こういうことだギル」

『…………』

 案外驚いていないか……? それとも声だけではわからないか。僕だということを言おうとしたら、

『えっ! 嘘!』

 スマホから音割れするような大きなギルの声が聞こえた。そして咳き込む音。ケイの忠告は意味がなかったらしい。

『……今ので喉やったかも……じゃなくて!』

 続けてあまり大きな声を出すな。本当に喉を壊す。

『ほんとに……ほんとにれーくんなの……?』

「ああ、僕だ。心配かけた」

『……れっ……く……』

 ギルの声は僕の声を聞いて数秒もしないうちに泣き声へと代わった。

『バカ……バカバカ! ……れーくんの……馬鹿! 俺……ほんっとに心配したんだからね! ずっとずっと……ずっと! うぅっ……』

 そう言いきったあと、スマホから聞こえるのはしばらく泣き声だった。通信代もかかるだろうし、一度切ろうかとケイに提案したが「つなげたままでいいよ」と言うのでそのままにした。それにきっとまだ声も聞きたいだろうとのことだ。

『……俺……あの時、動ける状態なら絶対……止めてたんだから……。れーくんにあんな危ないことさせてなかった……。でもれーくんがこうなったのも……全部俺のせいだから、れーくんごめんね。俺が事件に巻き込まれなかったら、俺が一人で外に歩かなかったら……れーくんが怪我して意識なくなるなんてことなかった……』

「ギルが全て悪いわけじゃない。僕も下校中に後を付けられていたことに気づいていれば、きっと起こらなかった。それにギルに言った言葉、忠告を受けたはずなのに守れていなかった。僕からも、悪かった」

『うん……。お互い様だねっ!』

 声を明るくしてそう言ってくれる。

 そもそも事の発端のあの女が悪いんだ。が、ギルにあの女のことを思いださせて気分を悪くさせたくない。黙っておく。

『早く動ける状態になって、れーくんのお見舞い行きたいな……。れーくんもしばらくは学校行けなさそうだし。顔早く合わせたいな……』

「そうだな」

 少しの間、どちらからも声を発することはなかった。ギルも同じ気持ちなんだろう。話すことがなくてもつながっていたい。そう思ったのだろう。

 ギルがハッと気づいたように声を出す。

『……通信代、そろそろヤバそうだから』

「……ああ。……あの時、音を出してくれたんだよな。ありがとう。また連絡する」

『れーくんの声したから。捜し出してくれてありがと。またね』

 ギルのほうから切らなかったから、名残惜しいが通話終了ボタンを押して切った。久しぶりに声が聞けた。……本当に生きててよかった。

 あふれそうになった涙を拭って、手に持っていたスマホをケイに返した。

「ありがとう」

「……こちらこそ」

 ギルとの会話を聞いていたからか、ケイも妙に切なそうな顔をしていた。

「ギルくん以外にもさ、蓮が意識戻ったってグループのほうで送っとく? 蓮が巻き込まれてた、なんて知ってるの下条くらいかもしれないけど」

「あの下条だ、いろいろ言いふらしているかもしれない。お願いしていいか」

 ケイは快く了承してくれた。

 早く動けるようになってスマホ買いに行かないとだな。あのスマホを買ったときは警部が一緒に行ってくれていろいろ説明されながら買えたが、僕一人で買いに行けるだろうか。

 あぁ、そうか。写真もなくなってしまったのか。今までに撮ってきた写真が消えてしまったのは、本当に名残惜しい……。

「蓮、話して。蓮が学校抜けてから電話くれるまでの間になにがあったか」

 そういえばさっきあとで話すとか言っていたな。あまり思いだしたくはないが、言うべきか。

「学校を抜けたあと、ギルの家に行った。もともとその前にギルの父親からギルの遺書があったという内容で電話があったんだ。

 けどその遺書を見てみれば、ギルが自殺するために書いた遺書じゃなくて、ギルを返すつもりがなくて遺書を書かせたというのがわかって、ギルをさらった犯人を捜しに出た。ギルが書いた遺書に犯人の情報もあって、近くだということもわかったからな。

 捜したら……弱りきったギルを見つけた。同時に、さっきも話した『ウサギ』が関係する部屋もあった。

 犯人は僕の右手をやるなり逃げたから僕も追いかけた。その途中でケイに電話をかけた。

 そのときは学校近くの橋にいた。犯人は武器を持っていないから捕まえようと思ったものの、隠し持っていたナイフが僕の腹に刺さった。けど今度こそ武器をなにも持っていないだろうと思ったら拳銃を取り出したんだ。この日本で。けど犯人の言葉から今度こそ本当に武器を持っていないとわかったから、拳銃を奪って逃げようと思った末に、川に落ちるということを考えた」

「えっ、川に落ちるって、自分から落ちたのか!」

「それしか思いつかなかった。犯人を追いかける前に何度か吐いてしまって、逃げる体力なんて残っていなかったからな。追いかけるのも必死だった。犯人がのんきに歩いてくれていたから追いつけた。

 それで、拳銃を奪って川に落ちようと思ったのだが、ギリギリで引き金を引かれてしまって腹に新しく傷を作ってしまった。けど、拳銃は意識がなくなるまで持っていたからきっともう河口に流れてしまったか、川の途中で沈んでいるかだと思う。

 きっと後日事情聴取に来るはずだからその時にでも言うつもりだ」

「そうだったんだ……。やっぱり撃たれてたんだな……。教室まで発砲音聞こえてた。それでもしかしてって行けば案の定。……でもその音聞こえてなかったら、俺気づけずに手遅れになってたかもしれない。ちょっと複雑だけど」

「まあ、今もこうして息をしている。一件落着としようか。犯人が捕まっただとかの報道は聞いたか」

「聞いた。流れてた、この一連のこと。拳銃がどうとかはなかったけどな」

 あの拳銃は確か回転式のリボルバーだった。そして警察の拳銃は回転式のリボルバーを採用している。もしあれが警察のものだとしたら世間から批判されて大惨事になるだろうからな。

 けど僕が聞いた限りだと警察の拳銃がなくなった、だとかのニュースは聞いていない。裏取引などで得たものならばその特定。なにであれ、警察にとっても大変な事件になるのは容易に理解できる。

 しばらくケイと言葉を交わしていたら、扉がノックされてケイの父親が顔を覗かせた。

「無事でよかったよ」

「ご無沙汰しています。心配をおかけしてすいません。ケイ……すけ、くんにもいろいろご迷惑をおかけしてしまったようで」

「俺は全然大丈夫だから、そんなヘンな呼び方するなって」

 目の前に他人の親がいる気持ちにもなれ。

「敬助はい、眼鏡とコンタクトケース」

「あ、ありがと」

 ケイが渡された眼鏡をかけて、修学旅行ぶりのケイの眼鏡姿を見る。やっぱりいつ見ても新鮮だ。

「あぁやっと綺麗な視界で見れる」

 そして僕を見て微笑む。

 ケイはベッドから降りて洗面所に向かった。

 仲介役がいなくなってしまった。が、もう一度謝っておこうと思ってケイの父親に目を向ければパッと逸らされてしまった。少し睨まれている気がしたが……きっと気のせいだろう。

 仲介役が帰ってきて少し緊張が緩まる。

「父さんもう帰っていいよ。まだ俺ここにいるから」

「……長居しても蓮くんに悪いし、帰るよ」

「せっかく視界良くなったのにさ。蓮、俺いたら迷惑?」

「いや僕はべつにかまわ」

「看護師にも迷惑がかかるし。ただでさえ昨日無断で一晩したんだろ?」

「そんなの言うんなら、父さんたち昨日どこ行ってたんだよ。病室行ってもいなかったんだけど」

「とにかく」

「とにかくじゃない。俺ここにいるから」

 親子の会話だ……。

「昼はどうするんだ」

「適当に買うし」

「家に帰られないだろ」

「スマホある」

「面会時間は本来十三時から」

「それまで外で待ってる」

 ……また喧嘩、するんじゃないか……? こういうのを収めるのはギルが得意なのだが。……ギルならどうするだろうか。

「敬助」

「……無理」

「……ケイ。僕のことでいろいろ心配してくれて、ろくに休息が取れていないんじゃないか。椅子で寝て、体も休まりきっていないだろうし、明日……いや今日が何曜日かわからないが、次行ける日に来てくれるか」

 僕に言われてすねたのか、口を尖らせて「わかった」と言う。ケイも子供らしいところがあってかわいらしい。

 ケイが帰って暇にテレビを見て昼食の時間まで過ごしていた。

 そして昼食がさっき食べ終わった。と言っても、利き手である右手は包帯やらを巻かれて使えないから不器用に左手で食べた。

 食事が運ばれたときには看護師が食べさせようかと言ってきたが、看護師もいそがしいだろうと思って断った。それに食事自体、僕の意識不明時間を考慮して作られたもの、ほとんど液状の噛まなくていい、スプーンで食べられるようなもので、箸を使うこともなさそうだったからなおさら。

 看護師が部屋を去るときにはゆっくり食べたらいいと言ってくださって、少しだけ心が温まった。

 しばらく僕が口からなにかを入れることをしていなかったからか量は少なかった。けどそれは眠っていて胃の入る量も少なくなった僕には十分だった。

 そんな昼食も食べ終えて今度も暇にテレビを見ていた。夜のゴールデンタイムだと面白いバラエティー番組があったりするが、昼は子供も見るような柔らかい番組で多く笑うことはない。これを見るくらいなら小説を読みたいところだ。そう思うも、今は小説なんて持っていない。大人しくテレビを見ていた。

 腹が膨れて眠気に浸っていた頃、室内に音楽と震動を響かせた。ビクリと体が動いてからなにかと見れば、ベッドの上にスマホがあった。ケイのだ。忘れていったらしい。画面には「父さん」と書かれている。

 微妙に手の届く範囲でなくて、少し腹を痛ませて無理して手に取り、電話に出た。

「もしもし」

『あ、蓮か。道端に落としてなくてよかった』

 出てきたのはケイだった。ケイの父親からスマホを借りてかけているのか。

『今病室だよな。あとで……いや、明日にでも取りに行くから邪魔にならないところに置いておいて』

「わかった。スマホしか触らないケイにはちょうどいいな」

『酷いな、勉強もしてるさ』

「そうか」

『また明日』

「ああ」

 電話が切られる。

 画面はロック画面になる。いくらロック画面でも今日が何月何日何曜日何時だというのはわかる。……月曜日。明日ケイが取りに行くと言っていたが、月曜日だ。明日の夕方までケイはスマホなしで過ごせるのだか。

 さっき勉強をしていると言っていたが、どうなんだろう。普段授業中寝ているケイからは想像できない。まあ、逆に寝てしまうから家ではきちんと勉強しているのかもしれないが。むしろそうでもしていないとそこそこの点は取れない。授業中寝ているケイだが、ギルよりは点数が高かったりする。

 柊の点数は耳に入らないからわからないが、僕が認知している順として総務が一番高く、下条が一番低い。教科によってはギルが低くなったりもする。そして僕が総務と下条の間にいて、その下にケイ。

 下条たちは確かに点が低いが、クラスで見たら中間くらいで、赤点はなかなかなことがなければ取っているところを見たことがない。あの二人もきちんと勉強はしているらしい。

 一度下条がケイに点数勝負を挑んだらしいが、ケイの全勝だった。下条曰く、いつも寝ているから絶対勝てると思っていたらしい。けど、確かにいつも授業中寝ている様子を見ていたら勝てると思っても仕方がないか。僕が下条の立場でもし誰かと勝負を挑むとすればケイにしていたかもしれない。

 下条はいくらか誰かに点数勝負を持ちかけていて、それは僕やギルのときもあった。僕には勝ち目がなかったらしいが、ギルとは接戦だとか聞いた。

 思えば、点数を勝負するということは点数に自信があるということだと思うが、ケイや僕には負けていた。下条にとってはただ勝負がしたいという遊び程度にしか思っていないのかもしれない。むしろそれをきっかけに仲良くなろうともしているのかもしれない。

 テレビを消し、ベッドを倒す。このベッド、本当に便利だ。腹に力を入れなくても寝転べる。楽な姿勢になって目を瞑った。


 蓮が意識を取り戻した。蓮が意識を取り戻した!

 家に帰って部屋に上がってから、いやもしかしたら病室を出たあとからずっと、そんなことばっかり思ってる。それくらい嬉しい。なんとか一般病棟に移って、あとは経過を待つしかないっていう不安が高まるときに意識を戻した。

 明日朝一に蓮のところに行こう。……いや、朝一は少し迷惑か? ていうか面会できるの十三時からだとか言ってたけど、本当なのか? けど蓮朝弱いって言ってたし、昼すぎ、面会可能時間ちょうどにあっちに着くようにしよ。

 どれくらい経てば蓮も学校に行けるようになってるかな。基本的に意識戻ったらリハビリするイメージあるけど、あんな深い傷追ってすぐにできるのか? できるだけ痛い思いはしてほしくないけど、早く社会復帰するためにも、少しだけでいいから頑張ってほしい。俺も早く蓮の制服姿見た――

 脳裏に血が滲んだ制服を着て目を瞑っている蓮が映った。

「…………」

 今回の出来事で、ちょっとしたトラウマみたいなの作ってしまったかな。もとからあるのと合わせたらたぶん俺、血とか大切な人がなんかなるってのが怖いんだろうな。まあ、誰だって大切な人失うとかしたくないと思うけど。

 一つの思い出と言えば、思いだしたくない類に入るけど、あの蓮なら歳を取って笑い話にでもしてそう。

「敬助ー」

 扉越しに父さんの張った俺の声が聞こえる。なんだ? 人がせっかく喜びに浸ってたっていうのに。

 蓮が意識戻す前から戻したあとまで散々声枯らして泣いて喉の痛みがまだ引いてないから、声は張らずに一階に下りて父さんに聞いた。

「今日のお昼、外食はどうかと思ってね」

 外食か。ははっ、蓮の見舞いの前に下条と父さんとでラーメン屋に食べに行ったなぁ。それで父さんに怒られて、すごい少年にあって……。

「どこの店?」

「まだ決めてない。行きたいところある?」

 ……行きたいところ。今の気分は……。

「寿司。回転寿司」

「……わかった」

 久々に食べたい。

 俺は昨日の服のままでいたから特に着替えずに、ソファーに座って待ってた。たぶんもうすぐ出ると思うんだけど。

 暇つぶしに父さんからスマホを借りてゲームする。容量はあったから新しく勝手にゲームを入れた。やりたいと思って俺のスマホ内に入ってたけど、ずっとできてなかった謎解きゲーム。しかもストーリー性のあるゲーム。

 ローディング後、見せたのは暗闇に咲いた花火。その中央に高校生くらいの男女二人。どちらも浴衣姿。もう面白そう。青春みたいな感じもあるかな。開始ボタンを押した。

『――僕:サキ。もう、会えなくなるんだよね。

 サキ:ユウトが全部知っちゃったからね。

 僕:いいや、僕が全部を知らなくても君はもう会えなくなるんだ。そうだろ?

 サキ:……そうだよ。ありがとう。私を見つけてくれて。信じてたよ。ユウトなら見つけてくれるって。

 僕:…………。


 パッと彼女は姿を変えた。

 僕は彼女の姿に驚きを隠せなかった。それはとても綺麗で、けど形はなくて。

 それでも彼女が僕の探し求めていた「サキ」本人であると、なんとなくわかった。だから、僕は――』

 画面が暗くなった。暗いまま文字が浮かび出す。

『サキ。

 君はもう、今日いなくなってしまう。花火が上がる、その瞬間に。

 だから最期に君に伝えないといけないことがある。聞いてくれる?


 ――うん。


 僕はサキが好きだ。

 サキがいないと生きていけない。ずっと、ずっと好きだった』

 画面が明るくなって、もとのイラストに戻る。

『僕:僕は君を忘れない。この先ずっと。

 サキ:ありがとう。私もね、言いたいことあったんだ。


 彼女は、涙を流して僕に振り向いた。そんな気がした。


 サキ:私も大好きだよ。


 僕らは最期のキスを交わした。

 そしてパンッと空に大きな花が咲いた。途端に、目の前にいたサキはいなくなった。

 サキは……。


 サキは、空に上ったんだ。

 高く、高く。

 町を照らすその花になって』

 そして真っ暗闇になる。かと思えば、雰囲気を台無しにしてコマーシャルが流れた。終わった……。にしてもコマーシャルタイミング悪すぎない?

 目を瞑って余韻に浸る。いやー内容どっちも良かったなぁ。謎も難しすぎず、淡く切ない物語だった。いやぁ、ユウトとサキのつながりが一番よかったな。謎解きゲームだって忘れてたくらい。

「け、敬助。あんた……」

 いきなり、後ろから母さんの声が聞こえた。言われた言葉に見当がつかなくてソファーの背もたれに顔を沿わせて見上げた。

「なにか?」

「敬助もそんな歳か……」

「……だからなにが?」

「ほどほどにね」

 そう言って二階へ上がっていく。はあ? 意味わかんない。どういうこと?

 コマーシャルも終わった頃だと思って、視線をスマホに戻したら、

「…………」

 コマーシャルは終わってなくて、よく出てくる男向けのアプリ勧誘のコマーシャルが流れてた。

「……ちょっ、ま、か、母さん今のは違う!」

 届いてるのかもわかんないけど、少し声を張って誤解を解いた。……俺の中で解いた。

 母さんの来るタイミング悪すぎるだろ……。苦笑しながら右上に現れたバツボタンを押した。

「どうしたんだ?」

 父さんが気になってか、スマホを覗き込んで聞いてくる。

「なんでもない。勝手に誤解されただけだ。エロゲーなんてしない」

「……そうか」

 少し気まずそうに父さんが離れていった。……その反応入ってる?

「はぁー」

 ヘンな誤解された。本当にタイミングが悪い。というか、なんで人が操作してるときに覗き込んで来るんだよ。しかもこれ父さんのだし……。父さんの……?

 気になってホーム画面にあるアプリになにがあるか見てみた。案の定、エロゲーっぽいのは入ってなかった。残念。あれば母さんに見せつけてたのに。


 昨日は寿司食って以降、なにしたか憶えてない。ただマグロがおいしかったのは憶えてる。おいしかった。

 寿司を食った翌日、つまり今日、電車に乗って蓮がいる病院に向かってる。

 今日は平日で父さんは普通に仕事があるから、電車賃だけ渡して電車で行って来いと一言。俺も本当は学校あるけど、蓮に会いたいから休む。よく起きれなくて休んでるから学校側も特に不思議に思うこともないだろうし。

 行く時間を調節して行けば、着く頃には面会可能な時間になってた。蓮の病室まで早足で向かう。もう昼飯も食べ終わってるだろうから、ちょうど暇になってくる頃だと思うけど。

 ノックしてから扉を開けた。

 蓮はベッドごと起き上がらせて暇を持て余してるとか思ってたけどそんなことなかった。ベッドを横に倒して蓮は目を瞑ってた。

 扉を静かに閉めて傍に寄る。

「れんー」

「…………」

 ほんとに寝てる? さっき食べたばっかだと思うけど、そんな早くに寝たら腹壊すぞ。

 蓮は刺されたほうを上向きにして横向きになりながら寝息を立ててた。ほんとに寝てるらしい。昼飯食べたから体温が上がって、眠たくなったのかもしれない。寝てるのなら、無理に起こしてまで目を合わせなくていいか。

 俺は傍の椅子に腰掛けて、ただ蓮の寝顔を見てた。やっぱり、寝顔もかわいい。いつまでも見てられる。

 そんなかわいい隠し撮りを撮ろうとポケットに手を入れてスマホを探すけどない。そういえばこの病室に昨日置いたままだったっけな。ベッドの周りを見てみたらあった。机の上に置かれてる。

 それを持ってパシャリと一枚と言わず十枚くらい別アングルから撮る。……かわいい。

 写真も撮れたしポケットに入れようとしたら、ブルルって振動した。画面をつければギルくんからチャットが来てた。

『明日からリハビリだってー。リハビリってキツいイメージしかないから嫌だなー』

 ギルくんもうリハビリか。蓮はギルくんを見つけたとき弱りきってたって言ってたけど、どこまで弱りきってたんだろ。そんなすぐに回復してリハビリまでできるのかな。

『ギルくんは眠ってた時間が短いから、あんまりキツいものじゃないと思うな。蓮と違って体力もあるし、なんなりといけると思う』

 返信はすぐに返ってきた。

『えへへーそうかなー? でも早く学校行きたいから、頑張る!』

 ギルくんらしい。蓮も早くリハビリを始めて学校に来てほしい。

 スマホをポケットに入れようとしたけど座りながらだとうまく入らなくて、立ち上がった。けどうまく入らずに手から滑って床にドンッて落ちる。

 拾い上げてポケットに入れて座り直したら、蓮が頭だけ起き上がらせて目を見開いてた。

「……おはよ。起こした?」

「……すごく」

 蓮は目を眠そうにこする。

「……本当にびっくりした……また発砲音がしたのかと」

 あ、そっち?

「のんきに昼寝?」

「……することがないんだ。テレビを見るか寝るかくらいしかできない。ろくに動かせる体じゃないから院内を散歩だとかもできない。今度家から何冊かの小説と教科書類持ってきてくれないか。本当に暇で仕方がない」

 この場に及んでも勉強するんだな。さすが真面目。本人は真面目じゃないとか言ってるけど、進んで勉強するあたり、真面目以外なにがある?

「それで、時間があるときでいいから勉強を教えてほしい。授業に出ない間に進んだ分。ケイのわかる範囲でいいから」

「わかった。でもそれなら垣谷も呼んだほうがいいんじゃない? 俺より真面目に授業受けてるし」

「……そうかもしれないが、無理に連れて来る必要はない。本人が行きたいと言ったときだけ頼む。総務も暇じゃないだろうし」

 垣谷なら勉強教えてほしいって言えば、簡単に着いていきそうだけど。

「本はなにがいい?」

「そうだな。……まず読みかけの学校の鞄に入ってるはずの本を。たぶん、鞄はギルの家に置いたままだったはずだから、預かってくれているかもしれない。暇なときでいいからギルの家に行ってくれないか。あとは……家にある本棚からシリーズもの以外を頼む。シリーズものは時間を空けて読めばどんな話だったか忘れてしまうからなかなか手を出せない」

 俺もたまに本読むからわかる。一ヶ月くらい空いてしまえば、一から読む羽目になる。時間の無駄でしかない。

「了解」

 今日は特に用も見舞い品もなかったから、だらだらと世間話をしてた。勉強について、小説について、それぞれの家庭について。

 こうしていられる何気ない時間が大切なのだと、今回の事件で酷く実感させられて、今も噛み締めて蓮と話してる。蓮はそんなことこれっぽっちも思ってなさそうだけど。

 面会時間が終わるまで居座ろうと思ってた。でも、病室に突然の来客があった。

「目が覚めたか」

「……はい」

 扉をノックして入ってきたのは知らない人。誰だ……。部屋間違えてる?

 その人はスーツ姿で左胸に赤色のバッチを付けてる。これって確か「S1S」って書いてるバッジだ。警察の捜査一課……?

 俺の知らない相手だったから警戒したけど、蓮は誰か知ってるみたい。

「あ、ケイ。この人が例の警部で、僕を支えてくれた人だ」

 警部? 支えてくれた人? わかりやすく首を傾げる。

「……いつかに言っただろ。中学のときに親しくしてくれた人がいると」

「……あぁ」

 思いだした。そんなことも言ってたな。この人が蓮の……。

「初めまして。新藤がお世話になってます。って、親でもない俺が言えることじゃないんだけどな」

「……初めまして。……影島敬助です」

 警察手帳を見せられて、ずいぶん改められた。……警察手帳初めて見た。すごい……。蓮は警部っていってたけど、そういう意味の「警部」に当たる人? 

「ところで、ここにいていいんですか。休暇じゃないみたいですし」

「被害者の様態を確認しにきた、は駄目か? ……普通に事情聴取だ。様態確認というのはついで。俺の知ってる人だから、俺が行ったほうが良さそうと思って」

「体のほうはどうだ」

「まだ痛みはありますけど、刺された時よりはマシです。警部にも心配をかけてしまいました」

 蓮は軽く頭を下げる。

「それはよかった。けど言ったよな。なにかあったら叫べって。それに無茶なことはしないと。なんで容疑者を追いかけた」

「……すいません。でも……友人に酷い目を遭わせた奴をほうっておけると思いま」

「そういうのは警察の仕事だ。気持ちはわからなくもない。でもそれは新藤がすることじゃない。きちんと罰を受けてもらうために、時効まで追いかけて捕まえて、応じた罰を受けさせる。それが警察の仕事で、新藤がすることじゃない」

 時効まで追いかけて……?

「だから、これ以上絶対に無茶なことするな。今度は本当に死ぬ」

 応じた罰を……?

「……すいません。今度からは気を」

「ふざけんな」

「……け」

「っざけんな!」

 立ち上がって、警察の胸元を力強く掴んだ。

「なにが時効まで追って罰を受けさせるだ! 俺の妹を殺した奴捕まえれなかったくせに、なに胸張って言ってるんだよ! 言葉はそんな軽い気持ちで言っていいことじゃねぇんだぞ! ほんとに全部調べたのかよ! ほんとに時効まで追い続けたのかよ! 追ってないから見つかんなかったんだろ! なあ!」

「け、ケイ、おちつ」

「感じたことが……! 大切な人を死なせた気持ちがわかんないから蓮はそんなこと言えるんだ。目の前に共犯と同じような奴がいて黙れるかよ……。お前も……ひき逃げした奴と同じひとご――」

「ケイも同じことを言わないでくれ」

 蓮がそっと手を包み込んだ。包み込んでくれなかったら俺は、その言葉を言い切ってた。いやもう言いかけたなら、言ったも同然か……。

「言葉は軽い気持ちで言ってはいけないのなら、ケイも軽い気持ちで人を傷つけるようなことを言わないでくれ。……僕の大切な人を傷つけないでくれ。僕の大切な人なら」

「…………」

 掴んでしまった胸元を離して、肩にぶら下げる。腕を引かれるままにベッドに座り込んだ。

「……新藤、無理に起き上がっ」

「いいん……です」

 蓮は腹を痛めてまで体を起こして、俺を包み込んでくれた。もしかしたらもう暴れないように、なのかもしれないけど。

「ケイを傷つけるようなことを言ってしまって悪かった」

 なんで先になにも悪くない蓮が謝るんだよ。大人のくせに。……蓮のほうがしっかりしてる。

「……あなたを傷つけてしまうような発言をしてしまい、申し訳ありませんでした。私はその事に出向いた者でなく、どういった経緯や状態だったのかは計り知れません。ですが、同一の身分として、深くお詫び申し上げます。たいへん申し訳ございませんでした」

 その言葉に、少しだけ救われた気がした。

 俺は、心を落ち着かせるために部屋を出た。あれ以上あの人にも気を遣わせたくないのもある。本当に酷く乱れた……。

 目的の自販機を見つけたら、金とコーヒーを交換して飲んでいく。こういうときコーヒーが一番効く。……効いちゃ駄目なんだろうけど、眠気も覚めるしこれが一番いい。

 数口飲んで、スマホを触ろうとポケットに手を入れたけど、病室に置いてきたみたい。戻って、さっと取らせてもらお。どうせ、蓮のことだ。俺らには話してくれない現実的すぎる話しを、あの警察としてる。俺が入っちゃいけないような話しを。

 病室の前に立って、深く息を吸って吐いた。正直あの警察に顔を合わせられない。あんなことして、許されるわけがない。

 ノックをしようと胸の高さに手を持ってきたとき、聞こえた。

「今のところはないみたいだが、このあとわかってくるかもしれないから、十分に気をつけろ。一人のときに倒れでもしたら誰も助けられない」

「……後遺症って言っても、そんな倒れるまでのものあるんですか。……溺水についてはあんまり詳しくないんです。泳げないから今後一切生活以外で水に触れないと思ってたんで」

「馬鹿か」

 後遺症……?

「障害は特に脳に残るのが厄介だ。身体の障害なら新藤には友だちがいるからあんまり心配はいらなさそうだが、脳は新藤自身でしか気づけない上に、かなり深刻な場合がある。今後もし異常を感じたらすぐに病院に行け……っていうか看護士に言え」

「……わかってます。あの……少しだけ、いいですか」

 蓮の声は小さくなって聞こえなくなった。急になんの話だろ。もう入っていいかな。でも、声小さくするってことは、誰にも聞かれたくないってことだよな。ならまだやめたほうがいいか。

「……それ本当か」

「気のせいな可能性のほうが高いですし、聞いた話しが医学的な用語ばかりだったからなこともあると思うんですけど……警部の話を聞いてから、少し不安になってしまって。……きっと気のせいですよね」

 苦笑いして話を変えようとしてたけど、警察は許さなかった。

「今までこんなことなかったんだな」

「……はい。でもきっと、気のせ」

「気のせいじゃなかったらどうするんだ。少しの不安があるなら、次飯が来るときにでも言え。それか今言うか?」

「……今はケイ……友人も来てますし。あとで言っておきます」

「それ以外はないのか? そんな症状が出ているなら脳がやられてる可能性がある。もしそれが重症化すれば生活は一人ではできない。家族のいない新藤なら、誰かに助けを求めないといけない。ギルくんの家に住み着くような、そんな形になるかもしれない。

 が、まあこれは重症だったときの話だ。もし本当に後遺症という形で脳に障害が残ってしまったなら、そのあとのことは医師とかに相談しながら考えればいい。俺でもいい。返信できるときに返信する。……とにかく、まず一回相談してみろ。それか、俺が出るときに言っておく」

「…………」

 さすがの蓮も黙ってる。後遺症だとかって、人生を左右されるようなことを言われたんだからな。俺の悪夢とかについては治るかもしれないけど、後遺症は永久的なものがほとんどだと思うし。ショックを受けもする。

 ……もう入っていいかな。今度こそノックをして扉を開けた。入れば、蓮の顔はいつもの顔に早変わりしてた。聞いてたときどんな顔をしてたのかは知らないけど、少なくとも無表情でいられるわけない。

「ケイ。……もう話は終わったから、そのまま居座っていい」

 俺を安心させるようなその顔には、どこか嘘があるみたいだった。

「……蓮さ、昔より表情増えたよな」

 いつの間にかそんな言葉が出てた。きっと昔の蓮なら、たぶんさっきの話でしてた暗い顔とか、今みたいな嘘を被って微笑む顔もしてなかった。たぶん、ずっと無表情だった。さっきの話をしてるときも、今こうして俺と顔を合わせたときも無表情だった。

「……そうか」

 本人はあんまりわかってなさそうだけど、警察は酷く頷いてる。

「変わってる。出会ったときと比べたら本当に表情豊かになった。中学三年の夏頃から良くなっていったなぁ。出会ったときは今よりも無口で無表情で、正直人間とは思わなかった。……あれだ、中学三年の高校の合否結果がわかったとき、俺が見たなかで一番表情が柔らかくて、静かに嬉しそうにする姿を見たときは本当にあの無口で無表情な新藤かと疑ったくらいだ。それだけ表情筋が発達したみたいで俺はすごく嬉しい。

 ……けど、なんで出会ったときはあんなに表情が豊かじゃなかった? 昔からああだったのか?」

 よく喋るなぁこの警察。

「昔からずっと無口で無表情なままでしたよ。ほんのたまに微笑みや少しの悲しみを見せてくれた……です」

 蓮は過去を思いださせられたらしくてあんまりいい顔はしてなかった。

 たぶん、蓮が無口無表情なのはずっと昔からあって、その原因は蓮の家庭環境にあると思う。今はその家庭から逃れられたから、笑いも泣きもしてくれる。

 蓮のことだから、この警察に自分の過去のことは一切言ってないんだろうな。本当に俺以外は誰も知らない。

「影島さんは新藤の幼馴染みでしたか。新藤にギルくん以外の友だちがいたとはなぁ」

「……そろそろ僕の話はやめませんか。……それに、ギルはたまたま友人になったというだけですし、僕は友人がいなくとも生きていけます。今、親しくしてくれているケイやギルも全部たまたまが重なっただけです」

 確かに、俺と蓮があの場で出会ったのは本当にたまたまで偶然だと思う。でも、ほんとにそうかな。

「そう思うのは勝手だ。ただ、こういう事件に絡まれることもたまたまと思うか? 新藤自身が助けにいくって、犯人を追いかけるって選択をしたんだろ? これはたまたまだなんて言い逃れはできないと思うが?」

「……そういうのも全て、たまたま、偶然が重なっただけで。僕があの場で追いかけるという考えを思いついたから追いかけた。思いつかなければ追いかけていませんでした。

 全部、神がそういう道を作っている。偶然だと思ったものも、必然だと思ったものも、全て神が作った道の途中にある仕込み。僕が生き始めたときから僕の道は出来上がっていて、今はそれを歩いている最中。歩いているというか……歩かされているかもしれませんが」

 ずいぶん強制的。蓮はそんな思考で生きてるんだな。でも、神が作った道を歩いてるって考えたら、確かに歩かされてるって言いざるを得ないか。

「……そうか。まあ、自分の世界はそれぞれ存在するんだし、自分の世界で生きろ。……俺はもう帰る。用も済んだし」

 警察は立ち上がって扉の前で立ち止まった。

「あ、あの……」

 警察が行く前に、俺はあの人にしてしまったことを謝らなければならない。振り向いてくれたら、口を開ける。

「さっき服を掴んでしまって、すみませんでした」

「いえ、顔をお上げください。こちらこそすみませんでした。軽率な言葉を発してあなたを傷つけてしまった。申し訳ございません」

 警察は腰を曲げて、少ししてから顔を上げる。

「……あ、そうだ新藤。新藤のスマホは見つかっているが、証拠品としてこっちで預かってる。本体は使えなくなったが、データは残ってる」

「……つまり……」

 蓮あんまりわかってなさそうだな。

「つまり蓮が撮った写真とか電話番号とかは残ってる。けど、スマホ本体はぐちゃぐちゃになってて使えない。だから、その本体だけ買って、データを移行すればまた使えるようになる」

「……ならスマホ本体だけ買えばいい……のか」

「そう。それでスマホ本体を退院後にでも一緒に買いに行こうか。……新藤が一人で買いに行けるならそれでもいい。もし買ったならそれは連絡をくれ。また様子を見に来る。じゃ」

 手を軽く上げて部屋から出ていった。

「スマホ……警部は暇じゃないんだ。ケイはそういうの詳しいか。スマホばかり触るケイならスマホ買い換えるとかも詳しいと思ったんだが、どうだろうか」

「ん、まあ」

「なら動けるようになったあと、買うのに付き合ってほしい」

 ……付き合って……か。

「……いいよ。いつでも暇だし。スマホばっか触ってるわけじゃないけど、蓮よりは詳しいと思う」

 なんとなく、蓮はそういう機械とかには本当に疎い気がする。中二まで殻に閉じ込められたようなものだから仕方ないのかもしれないけど。

 このあとも面会できる時間までずっと病室にいた。ふと迷惑じゃないかと思って聞いたけど、俺がいなくなれば暇になるから、むしろいてほしいって言われた。

 そして面会時間が終わりになる。

「本と勉強道具を持ってきてほしいと言ったのは憶えているか」

「もちろん」

「ならそれのほかに日用品を家から持ってきてほしいんだ。あと、保険証やそういった医療関係と一応印鑑も。これはベッドの下の箱に入ってる。ギルに僕の家の合鍵を渡してあるからギルの家に行って事情話して貸してもらってくれ」

 ギルくんには合鍵渡してあるのか。俺も……欲しい……ってのはさすがに無理か。

「本と勉強道具と日用品、それと保険証類。わかった」

「いろいろ頼んで悪いな」

「全然いいよ。早く学校に行けるようになってくれるなら」

 蓮を抱きしめてから部屋を出た。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

「独り家族(3/4)」に続きます。

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