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短編

とまらない苦しみをとめるもの

 最近、うんこがとまらねぇ。以前はこんなことはなかった。むしろ俺は腹の強さには自信があった。そのへんに生えてる草を食べても何ともなかった。小さなカエルが間違って口に入ったのをそのまま食っちまったこともあるが、何ともなかった。


 あの店のスタミナとんこつ焼き定食は確かにおかしかった。冷凍保存した三年ぐらい前の豚肉を使ってるみたいな味と食感だった。店主のオッサンの顔もうさんくさかった。しかし、この俺だぞ。賞味期限の一週間切れた牛乳を一気飲みしても平気だったこともある、この俺様の腹だぞ。


 便秘の時に考えてみたことがある。下痢と便秘、どっちがまだマシか。その時は下痢だと思った。出るのはすぐに出るのだから。ざばざばざばー!と簡単に出てくれるのだから。あまりに出てくれない宿便の苦しみに、そう思った。


 しかし今は下痢のほうが辛いと思える。出るまでの苦しみか、出た後にも延々と続く苦しみか──どちらがより辛いかと聞かれれば、比べるまでもない、と答える。あちらは出たらスッキリするのだ。出るまでが地獄の苦しみであろうとも。


 こちらはとまらない苦しみだ!


 出ても、出ても、苦しみがとまらないのだ!


 ちくしょう誰か助けてくれ。しかし他人に俺の苦しみを取って代わって貰うことはおろか、他人にこの苦しみをわかって貰うことすら出来はしないのだった。


 何を食べても腹を壊す。

 しかも激しくだ。

 30分以内に下腹が刺すように痛くなりはじめ、声が漏れはじめる。


「ああ……、あああ……!」


 まるでクスリの切れたロック・ボーカリストのように、震える声で歌い出す。聴く人を誰もスカッとした気分にさせないような、みっともない歌声だ。


 正露丸を飲んでもダメだった。

 下痢便体操というのをネットで見つけてやってみたが、効かなかった。元々うさんくさかった。

 とめてくれ。

 とめてくれ!

 誰かこの俺の孤独な苦しみをとめてくれ!


 そんな苦しみを俺が苦しんでいると、玄関の鍵が開く音がした。


「入るよー?」

 そう言って美奈子みなこが入ってきた。

「綺麗にしてるか見に来たよー」


「美奈子ぉぉぉ……」

 俺は美奈子ビーナスの足元にすがりついた。

「女神よ! ……おまえも俺の苦しみをわかってはくれないだろうが……、しかしおまえの顔を見るのが何よりの癒やしだ」


「どうしたの?」


「じつは……」


 美奈子とは何でも打ち明けられる仲だ。

 たとえうんこが出ないとか、出すぎてとまらないとかいう話でも、恥ずかしがらずに出来る。

 いわゆる臭い仲というより、何もかもを見せ合った仲なのだ。


「あたし、健介けんすけの前でオナラしたことないよ?」


 俺の思考を読んで、美奈子がツッコんだ。確かに彼女がオナラをしたのを聞いたことがなかった。いや、でも、だって、ふつう、女性はオナラをしないものだろう?


「とめてくれ」

 俺は美奈子に懇願した。

「おまえの愛の力で、俺の苦しみをとめてくれ」


「わかった」

 美奈子はうなずいた。

「お腹の調子の悪い時はね、あたしはいつも……」




 美奈子が料理をはじめた。


 いや……、何を食っても下痢するんだぞ? 俺の苦しみをブーストするつもりか。


 しかし、俺は信じた。彼女の愛を。愛の力が起こすという、奇跡を。



「はい、わかめうどん」


 そう言って美奈子がテーブルの上に置いたどんぶりの中で、黒々としたわかめと、もちもちしてそうなうどんが、揺れていた。


 やばい。


 食欲がかき立てられる。


 これを食ったら俺はどうなってしまうんだ? 30分後にはまたのたうち回りながら居間とトイレを何度も往復することになるのではないのか?


「おいしいよ?」


 そう言って小首を傾げる美奈子がかわいかったので、つい、箸を持ってしまった。


 わかめがシャキシャキだ。

 ふえるわかめじゃない。これぞわかめという感じだ。


 聞いてみた。

「このわかめ、どうしたんだ?」


 泣ける答えが返ってきた。

「昨日、素潜りして採ってきたの。健介に食べさせたいなって思って」


 さすがはあまちゃんだ。そういえば美奈子はどことなくのんちゃんに似ている。


 うどんを箸で持ち上げてみた。


 もちもちしている。いわゆるごっつい冷凍讃岐うどんとは真反対の、丸くて優しそうな白い表面がぷるぷると震えていた。


 つゆは薄口だ。関西出身の俺の好みをわかってくれている。


 ずるるるると啜った。


 うまい! どこまでも優しい美奈子の唇のような食感のうどんに甘辛いつゆが絡み、俺を静かに興奮させる。


 わかめはまるで海の豚肉のように力強く、コリコリと嬉しい歯ごたえを味わわせ、生命パワーを俺に授けながら胃の中へと落ちていった。


 一心不乱にうどんと向き合いはじめた俺を、自分のどんぶりを手に持ちながら、美奈子が楽しそうに見ていてくれた。




 そして食後30分──


「治った!」

 俺は叫んだ。

「治った! 治ったぞー!」


 ほんとうに、永遠に続くかと思われたあの苦しみが、嘘のように消えてなくなっていたのだった。

 俺は知った。わかめうどんは苦しみの特効薬だと。いや、わかっている! とまらない苦しみをとめるもの──ほんとうによく効く薬、それは……


「でしょ? お腹痛い時、あたしはいつもわかめうどんだよ」


 美奈子の、愛。





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― 新着の感想 ―
[良い点] グハア(吐血) !Σ( ̄┓ ̄;) 共感が止まらない。 私も急性腸炎(風邪のウイルスが喉で止まらず、腸まで入って炎症を起こすヤツ)で、腹の強さに自信をもちましたとも!(←何の話やら) 病…
[一言] 美奈子あまちゃんなんですか笑。 それにしてもわかめうどんがおいしそうで……! 乾燥わかめと生のわかめってやっぱり後者の方がむちむち食べ応えがあっておいしい気がするんですよね。 この時間に読ん…
[気になる点] 便秘で痛いのは張っている腹。 下痢で痛いのは拭きすぎた尻。 尻の方がマシかな。(笑) [一言] 連載エッセイを10本ほど読んだ流れで「お気に入りユーザーの新着小説」から何の前情報もナシ…
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