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「パンドラ」
昔々、あなたがつぶやいた囁き
あれは風の言葉でもあったのだろうか
今はもう形を失って
その重みさえ思い出すことはできない
昔々、どこかで見た風景
あれは光の錯誤でもあったのだろうか
今はもう意味を失って
その手触りさえ思い出すことはできない
すべて記憶と過去は
深い深い水底の、その奥にしまい込まれて
わたしの弱くか細い手では
それを引きあげることは適わない
しかしパンドラの箱に似たそれらは
もしやそのままのほうが
よっぽど幸福なのではないかと
あてどなく考えるわたしがいるのも
事実ではあるのだった
志坂 律子




