(最後の瞬間のすごく小さな変化)
とりあえず、あたしの話はこれで終わる。
もう語るべきことなんて何一つないし、言い残したこともない。あったとしてもたぶんそれは、雨降りのあとの小さな水たまりみたいなものだ。そんなのは、長靴をはいた子供が、ちょっと遊ぶくらいのものでしかない。
だからこれは、ただのつけ足しだ。余計な一言、無駄口、言わずもがなのこと――古典的な表現でいうところの、蛇足というやつである。
もしくは、手紙の最後につけられた、ちょっとした追伸みたいなものかもしれない。
ともあれ――
先輩の言うとおり、たぶん世界は詩的になんて出来ていない。
そこで起こることはあまりに現実的で、救いがなくて、ちゃんとした意味を欠いている。太陽はただ暑いだけで、風はただ鬱陶しいだけで、雪はただ冷たいだけ。そこにあるのはあくまで、ただの事実だけだ。
そしてそこでは、あまりに多くのことが意味もなく損なわれてしまう。どんなに大切なものも、簡単に失われてしまう。そこで流れる血は本物で、色やにおいや手触りや――痛みを持っている。
世界はあくまで、散文的に出来上がっているのだ。音も、形も、色も、重さも、匂いも、手触りも、それ自体には何の意味もない。
でも――
だからこそ、あたしたちはそこに意味を与えなくちゃならないのだろう。からっぽの器に、いろんなものを注いだり、盛りつけたり、飾ったりするみたいに。
その器をどう使うかは、あたしたちの自由だ。料理に使ったっていいし、床の間を飾ったっていいし、気に入らなければ頑固な職人みたいに割ってしまったっていい。あるいは、殺人事件の凶器にだって。
あたしたちはみんな、詩人になるべきなのだ。自由に想像し、表現し、物語るものに。この世界に、何らかの意味や価値を与えるために。
例えそれが、どんなに拙くても、うまくいかなくても、ひどい出来だったとしても、あたしたちは詩を作るべきなのだ。このからっぽで散文的な世界を、少しでもよいところにするために――
もうすぐ、春がやって来る。
季節は一巡りしたのだ。地球は相変わらず、文句も言わずに太陽のまわりを回り続けていた。あたしや、あなたを、その上に乗せたまま。
すべてが一周して、でもそれは同じところに戻ってきたわけじゃない。そこにあるのは違う場所、違う時間、違う物事、違う方法、違う理由。
――違う、自分だ。
結局のところ、あたしは本物の詩人にはなれないのかもしれない。
誰かも言ってるとおり、詩人になるためにはちゃんとした学校も、方法も、ありはしないのだから。そのためには、たった一人で荒野をさまよったり、魂の遍歴を経験したり、息をとめて深く水にもぐるみたいに、自分の心ときちんと向きあったりしなくちゃならない。
それは誰にでもできることじゃないし、ことあたしに関しては実に怪しかった。才能とか、動機とか、経験とか、素質とか、そんないろいろにおいて。
やっぱりあたしは、詩人にはなれないのかもしれない。
でも、きっと――
何かになりたいとは、思っているのだ。




