3(クリスマスと百貨店)
駅前に〝モープ琴寺〟という百貨店がある。
街の歴史と同じくらい古いデパートで、何とかという有名な建築家が設計した、重厚かつモダンな外観をしていた。街の観光スポットとしては、必ず取りあげられる建物だ。
ご多分にもれず経営は苦しいらしく、数年前に一度、大規模な改装が行われていた。建物のよさはそのままに、利便性と経済性を高めよう、というわけだ。
それが、めでたしめでたしで終わったかどうかは知らないけど、今も経営が続いているのは事実だった。世の中のほとんどのことなんて、白か黒に収まったりしない。
何にしろ、ここに来れば大抵のものはそろっているし、便利なことは間違いなかった。幸いなことに、あたしは経営難に頭を悩ませる社長じゃなかったので、それ以上の心配は無用である。人間には、抱えられる荷物の量と重さに限界というものがあるのだ。
品揃えが豊富なこと意外に、お店がおしゃれ、というのもこの百貨店の特徴だった。床はぴかぴかで、フロアは明るくて、たぶん空気だって特別に用意されている。もっとも、そんな新品状態がいつまで続くかはわからなかったけど。
「…………」
先輩とあたしは、そんな百貨店に来ているところだった。
別に、学校をさぼって非行少女っぽく遊びに来ているわけじゃない。あたしはともかく、先輩がそんなことするはずもない――いや、あたしもそんなことはしないけど。
現在、時刻は放課後で、これは立派な文芸部としての活動の一環だった。先輩とあたしは、部で必要な備品を購入しに来たのだ。
調達予定の品物は、本を補修するためのテープやフィルム、糊なんかだった。破れたページや外れたページ、背表紙の修理に使うものだ。文芸部ではもれなく、そんな技能も身につけられるのである。
五階の文房具屋さんに行くと、たいした手間もなく必要なものは見つかった。そんなに高価なものじゃないし、別に伝説の勇者の武器防具とかを探しているわけでもない。
当初の目的は達成したので、あとは自由時間だった。煮るなり焼くなり、好きにしていいわけである。
「本屋さんにでも行ってみますか」
とあたりを見渡しながら、あたしは文芸部っぽく提案してみた。
世間ではもうすぐクリスマスというものらしいので、デパートの中はそれに向けてなかなか賑わっていた。クリスマスツリー(たぶん、プラスチック製)やリース(これも、そうかな)がいろんなところに飾られ、たくさんのイルミネーションが点滅している。
あたしのすぐそばには、サンタクロースの形をした等身大の空気人形が置かれていた。のん気に平和そうなその顔を見るかぎりでは、世界中の子供たちに一日でプレゼントを配り終えるなんていう、人間離れした激務をこなせそうには思えなかったけれど。
ほかにも店内にはいかにもクリスマスらしいBGMが流れていて、嫌でもそのことを意識させてくれた。フロアを歩く人々もクリスマス仕様という感じで、何だかいつもとは違っている。笑顔にも服装にも、どことなく特別感があった。
ちなみに先輩とあたしは、学校の制服にコート着用というコーディネイト。先輩は茜色を少しくすませたようなロングコートで、あたしは枯れ葉っぽい感じの茶色をしたダッフルコートだった。
「――先輩?」
どうも返事がないので、あたしは先輩のほうを振り返ってみた。まさか、ただのしかばねというわけでもあるまいに。
すると先輩は、どこか一点を注視しているところだった。穴があいてしまわないか、心配なくらいに。
「?」
あたしは指で触って確かめるみたいにして、その視線の先を探ってみた。
玩具屋さんや洋服店、カフェなんかが並んでいて、吹き抜けになったエスカレーターのそばには休憩コーナーみたいなスペースがあった。さらに先輩の視線を、視点にまで次元を下げてみると、その先にあるものがわかる。
――そこには、二人の子供の姿があった。
姉妹、だろうか。おそろいの冬服を着て、どこかに向かって走っていた。しっぽを振る小犬が、ちょこちょこ駆けていくみたいに。子供って、走るのが好きなものだ。
二人は休憩コーナーに置いてある、ピアノのところまでやって来た。アップライトのピアノで、誰でも自由に弾けるようになっている。いわゆる、ストリートピアノというやつだった。おしゃれなことに、鍵盤は虹みたいな七色になっている。
「――――」
先輩の視点は、やっぱりそこに固定されたままだった。夜の空でいつも決まった位置にいる、北極星みたいに。
二人の子供は仲よく並んだ音符みたいに、同じイスに座った。二人ともまだ全然小さかったけど、ちょっと大人びた姉と、それに甘える無邪気な妹、という感じだ。
お姉さんがピアノの練習曲らしいのを少しだけ弾くと、その横で妹がたどたどしい手つきで同じところを弾いた。雪の上に残った足跡を、慎重に、正確にたどっていくみたいに。
何というかそれは、幸福な光景だった。見る人誰もが微笑まずにはいられないような、そんな。ちょっと詩に書いてみたくなるくらいだった。
「わりと創作意欲を刺激される景色ですね、先輩」
あたしは何気なく、先輩に向かってそう言ってみた。
でも――
先輩は何の返事もしなかったし、何の反応もしなかった。賛成も同意もしなかったし、ましてや微笑んでなんかもいない。
その時の先輩はむしろ、何かを耐えているみたいだった。怪我や病気の痛みを静かにしのぐみたいに、壊れた蛇口からもれる水を何とか止めようとするみたいに。
まるで、暗い宇宙の真空中で呼吸をしようとするみたいに。
「先輩――?」
と、あたしは声をかけてみた。
「大丈夫ですか、先輩?」
けど先輩は、なかなか答えようとはしなかった。何かを押さえようとするみたいに、胸元に軽く手をあてている。それでいて、視線は頑固なネジくらいに固定されたままだった。
あたしはどうしていいか、まるでわからなかった。助けを求めるべきだったのかもしれないし、救急車でも呼ぶべきだったのかもしれない。
「――大丈夫よ、わたしは」
やがて、先輩は言った。
「もう、問題はない。十分平気だから」
「でも先輩、顔色が……」
ホラー映画みたいに真っ青ですよ、と言おうとして、あたしはやめておいた。それくらいの空気は読める。
「心配しなくても、大丈夫よ」
と先輩は、頑なに同じものばかりを食べ続ける草食動物みたいに言った。
「それにこれは、千瀬さんとは関係のないことだから」
――千瀬さん?
あたしは今までに一度でも、先輩から名前で呼ばれたことがあったかどうか思い出してみた。たぶん、ないはずだ。よっぽど特殊な場合をのぞいては。
とすると、どうなんだろう。
これは、月に足跡を残すくらいの大きな一歩なんだろうか。それとも、三歩進まずに二歩下がるくらいの後退なんだろうか。
「…………」
先輩はそれでもしばらくのあいだ、二人の女の子を眺めていた。深い穴倉に何年も閉じ込められた囚人が、牢の隙間からもれるほんのかすかな光にでも、目を向けずにはいられないみたいに。
その横顔に、あたしは何だか見覚えがあるような気がした。どこか遠い場所、いつか古い時間に。そこには原画と模写くらいの違いはあったかもしれないけど。
そう――
先輩の横顔に浮かんでいたのは、何か失ったものを見る人の表情だった。もう、手も声も届くことのない、そんな何かを失った人の。
あたしはそんな先輩に、かけるべき言葉も、尽くすべき手立てもないまま、ただじっとそばに立っていることしかできなかった。




