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詩人にはなれない、もしくは何にもなりたくない  作者: 安路 海途
③ The Catcher in the School Festival
31/87

9(カムパネルラ)

 演劇部の舞台は、『銀河鉄道の夜』だった。

 体育館の入りはまあまあで、客席は半分以上が埋まっている。カーテンが引かれ、濃い暗闇に覆われた館内で、舞台だけが明るく輝いていた。まるで、暗闇の中にそこだけ穴でもあいたみたいに。

 先輩とあたしはパイプイスの並んだ客席の、ほぼ真ん中あたりに座っていた。どこなのかまではわからないけど、朔ちゃんもこの中にいるはずだ――いないはずなんてない。

 館内はしんとして、空気は特殊な液体で固められているみたいだった。光に照らされた舞台だけが、その中で自由に動き続けている。

 ――舞台はちょうど、ジョバンニが町のはずれにある野原で銀河鉄道に乗って、カムパネルラに会うところだった。暗転した舞台に光が戻ると、二人は青い天鵞絨を張ったイスに、向かいあって座っている。

 ジョバンニ役を演じるのは、アフロの部長――じゃなくて、女子生徒の一人だった。遺憾ながら、銀河鉄道の夜にアフロはふさわしくないのだ。

 そして一方のカムパネルラ役を演じるのが、久慈村先輩だった。

 普段のおっとりした雰囲気は手品みたいにどこかに消えて、久慈村先輩は久慈村先輩じゃなくて、カムパネルラだった。少し大人びて、もの静かで、でも子供らしい純粋さにあふれた少年。

 舞台には対面式の座席が二組、手前と奥に配置されていた。遠近感を出すのと、奥が見やすいようにするためか、手前の席は少し離れている。ジョバンニとカムパネルラは奥の席に座って、そこには大きめの窓枠が置かれていた。

 カムパネルラはその窓枠から顔をひっこめてジョバンニのほうを見ると、言うのだった。


〝みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれど追いつかなかった〟


 物語の結末を知っていると、思わず胸が痛んでしまうくらい寂しくなるセリフだった。

 ――それから二人は銀河鉄道に乗って、いろいろなところを旅する。

 白い十字架が永久に立つ白鳥の島、水晶で出来た砂のプリオシン海岸、鳥捕りのくれたチョコレートよりおいしい雁、青宝玉サファイア黄玉トパーズがくるくる回るアルビレオの観測所、幼い姉弟との出会い、渡り鳥の交差点、金剛石みたいな露のついたとうもろこし畑、狩りをするインデアン、空の工兵大隊、二つの水晶宮、ルビーよりも赤く透きとおった蠍の火、ケンタウルの村、サウザンクロスでの別れ、そして――

 二人が〝ほんとうのさいわい〟について話していると、石炭袋が見える。目が痛むくらいのその暗闇を前にして、ジョバンニは言うのだ。


〝僕もうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまどもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう〟


 でもそれから少しして、カムパネルラはいなくなってしまう。ジョバンニが窓の外を眺めているあいだに、カムパネルラは立ちあがって、舞台の中幕の向こうに消えてしまっていたからだ。

 そのことに気づいて、ジョバンニは立ちあがると、胸を押さえて窓の向こうに身をのりだす。ジョバンニは誰にも聞こえないくらいの大声で叫び、泣いている。

 ――そして、舞台は暗転。

 物語は現実に戻ってきて、ジョバンニは野原で横になっている。空には、いっぱいに広がった天の川。それから、ジョバンニがお母さんのための牛乳をもらって町に戻ると、カムパネルラが川で溺れたことを知るのだった。

 もう終わりに近いその場面で、先輩はふとこんなことをつぶやいていた。

「――わたしも、久慈村さんみたいだったらよかったのだけど」

「え?」

 でもその言葉は、朝の光に溶ける星明りみたいに、もう消えてしまったらしい。

 舞台上では舞台下のことなんておかまいなく、劇が進行していた。カムパネルラのお父さんである博士が、右手に時計を持ったまま言う。


〝もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから〟


 あたしはけれど、そんな舞台上のことじゃなく、先輩の横顔をじっと見つめていた。

 石炭袋に似た暗闇の中で、舞台の光に照らされたその横顔は、どこか遠くに向けられているみたいでもあった。ここじゃない、もっとどこか遠く。光が永遠の時間をかけてもたどりつけないくらい、どこか遠くに。

 壁に書かれていた詩、幽霊の出るトンネル、二人の姉妹を巡るどたばた劇――

 あたしは先輩の何を知っていて、何を知らないのだろう?

「…………」

 舞台の光を見ながら、あたしはあらためてそんなことを考えていた。


 ――そして、手のひらから零れ落ちるみたいにして季節が終わって、世界には冬が訪れたのだった。

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