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詩人にはなれない、もしくは何にもなりたくない  作者: 安路 海途
③ The Catcher in the School Festival
30/87

8(二人の姉妹)

「――ところで、先輩はどうして最初に今度のことを〝子供の駄々〟なんて言ったりしたんですか?」

 先輩とあたしは小走りで、その場所に向かっているところだった。というか、向かっているのは先輩で、あたしは森で迷子になった兄妹の妹みたいに、あとにくっついてるだけのことでしかない。

 約束の一時間まではわりと余裕がなくて、できるだけ急ぐ必要があった。光の国の警備隊員ほどじゃないけど、一時間なんてあっというまだ。あたしはもっと早く、りんご飴を食べるべきだったろうか。

 校舎の中で人ごみを縫うように移動しながら、先輩は答えた。

「たぶんこのことには、久慈村さんが協力してるからよ」

 先輩の口調は足どりと同じくらい、早口になっている。

「無理に監禁されているなら、人出が多くて狭い学校で、騒ぎにならないはずがない。そうじゃないのは、久慈村さんと犯人が知りあい――それも、親しい間柄だから」

「なるほど」

「では、その犯人は誰か? 演劇部の人間が、こんなことをするはずはないでしょうね。それは、あの部長の慌てぶりを見てもわかる。だとすると、それが当てはまりそうなのは、ほとんど一人しかいない」

「――久慈村朔、ですか」

 あたしは文化祭初日に邂逅した、()()()()生意気な女の子のことを思い浮かべた。

「ええ、たぶん彼女なんだろうとは、話を聞いた最初に思ったわね。わざわざ、わたしを名指しにしてきたところなんかにしても」

「たいした直感ですね」

 あたしは感心した。

「――本当は、そうでもないわ。わたしにはただ、何となくわかったのよ。何しろあの子は、わたしに少し似ていたから」

「似てる?」

 そう言われると、心あたりがないでもない。少なくとも、トラとライオンが同じネコ科の動物くらいには。ネコだって、そうかもしれない。

「――それに、あの二人はわたしたちと」

 言ってから、先輩は口を噤んだ。子供がついうっかり、持っていた風船の紐を離してしまったときみたいに。

「……わたしたちと?」

 あたしは何とか、前を行く先輩を横からのぞき込んでみる。でも先輩の表情はもう、固く閉まりすぎた瓶の蓋みたいになっていて、簡単に開けることはできそうになかった。

 ――()()、というのは、先輩とあたしのことだろうか?

 いや、もちろん違う。いくら快晴なみに脳天気なあたしだって、それくらいのことはわかる。先輩の言う「()()」は、もっと親密な、大切な関係を含んだものだった。

 それはたぶん、世界が終わるまで失われることのないような――

「…………」

 そうこうするうち、目的地に到着したみたいだった。

「視聴覚室、ですか?」

 あたしは何度か、まばたきする。もちろんそんなことをしたって、目の前の部屋が消えてなくなったりはしないし、田んぼの真ん中で目が覚めたりもしない。

 でも、確かにそれは「ループ」だった。()()()()で〝ふりだしに戻る〟のマスにとまったみたいに、あたしたちは元の場所に帰ってきたのだ。

「うまい考えね」

 と先輩は、料理評論家が目の前の一皿を評価するみたいに言った。

「誘拐された人間を探そうというとき、普通は自分たちが最初にいた部屋を調べようなんて考えたりしない。だからそこが、もっとも安全な隠れ場所になる。いくら学校中を探しまわったって、見つからないはずね」

 言われて、あたしは昨日出会ったばかりの少女、久慈村朔のことを思い出す。強情で賢そうな、その瞳。森の中からこっちを見つめてくる野生動物みたいな、そんな――

 そもそも、今回の誘拐事件を全部考えて、準備し、実行したのは彼女なのだ。一体いつからそんな計画を練っていたのかは知らないけど、普通の女の子じゃないことだけは確かだった。

「……先輩は、朔ちゃんと会ってるんですか?」

 あたしはふと、訊いてみた。文芸部の部室にやって来たとき、彼女は先輩のことを探していたのだ。

「ええ、会ってるわ」

 どうやら、あのあと彼女はわざわざ先輩のことを探しにいったらしい。

「――あの子、やっぱり()()()()生意気でしたか?」

 念のために、あたしは訊いてみた。

「そう、()()()()生意気だったわね」

 お釈迦様の前での孫悟空のことを考えると、うなずける話だった。

「先輩は、朔ちゃんと知りあいなんですか?」

 そんな感じじゃないけど、と思いながら、あたしは訊いてみた。

「いえ、会うのは初めてね」

 案の定、先輩はあっさりと認めた。

「ただ、久慈村さんからいろいろ話は聞いていたわ。彼女にとっては可愛い、自慢の妹さんだったみたいね。中学も、彼女とは別の有名なところに進んだらしいわ。まあ、わからない話じゃないわね」

「先輩は朔ちゃんと、どんな話をしたんですか?」

 訊くと何故だか、先輩は軽く首を振ってみせた。

「話というよりは、一方的に品定めされたって感じね、あれは。思ったほどじゃない――そうよ。わたしは野菜や果物じゃないのだけど」

 やっぱり、相当なものらしかった。

「あの子、何でこんなことしたんでしょう?」

 一番肝心なことを、あたしは訊いてみた。実際のところ、彼女のやっていることはただのいたずらにしては大がかりすぎるし、ややこしい目的があるにしては無邪気すぎる。こんなのは、スイカ割りをするのにバズーカ砲を使うみたいなものだった。

 先輩は少し考えるふうだったけど、やがて言った。

「実のところ、想像ならついてるわ」

「……まじですか」

「あくまで想像でなら、ということだけど」

 言って、でも先輩は妙に確信のありそうな様子をしている。まるで、腕のいい船乗りが雨や風や潮の流れを読むときみたいに。

 それから先輩は、説明書のちょっとした補足みたいにして言った。

「――さっきも言ったけど、あの子はわたしに少し似ているのよ」


 先輩はいったん、視聴覚室のドアをノックした。中に人がいる(はずな)以上、一応の礼儀というものはある。

 それから、ゆっくりドアを開けた。

「…………」

 はたせるかな、そこには――

 久慈村姉妹、二人の姿があった。

「へえ、本当に来たんだ」

 二人のうち小さいほう、朔ちゃんが声をかけてくる。やっぱり、なかなか生意気だった。

 教室のちょうど真ん中あたり、先輩とあたしのいるところからは少し見上げるような位置に、二人はいた。朔ちゃんは無作法に机の上に腰かけて、久慈村先輩は近くのイスに礼儀正しく座っている。もしかしたらそれは、いざという時にすばやく久慈村先輩を隠せるようにしていたためなのかもしれない。

 先輩は一歩進んで、朔ちゃんと向きあった。あたしは邪魔が入らないように、邪魔にならないように、入口近くに控えておく。

「さあ、問題はちゃんと全部解いたわよ」

 と、先輩は言った。その様子は何だか、ちょっとだけ舞台っぽい。

「最初の約束通り、望を解放してもらおうかしら」

 その言葉に、朔ちゃんは軽く肩をすくめるだけだった。爆音を立てるヘリコプターが飛んできて、そこから吊るされた縄梯子につかまり、「さらばだ明智くん、詰めが甘かったな」なんてセリフを口にする、ということはない。

 ――まあ、室内なんだけど。

「仕方ないね、そういう約束だし」

 と朔ちゃんは、こういう場合の犯人にしてはわりと潔く言った。

「お姉ちゃん、もう行っていいよ」

 言われて、久慈村先輩はイスから立ちあがる。ずっと座っていて体が凝ったのか、大きく()()をしていた。

「それじゃあ、もうみんなに本当のこと言っても大丈夫だよね」

 と久慈村先輩は、こういう場合の被害者にしてはわりとのんびり言った。

「――うん」

「なら、私はみんなのところに行くね。朔ちゃんは、どうするの?」

「私はこの人と、少し話があるから」

「そう――」

 久慈村先輩は、朔ちゃんと先輩のことを交互に見た。ちょうど、三角点の位置を比較して、正確な距離を測ろうとするみたいに。

「あとできっと、劇は見にきてね。朔ちゃんが見てくれてるぶんだけ、舞台がうまく行く気がするから」

 そう言うと、久慈村先輩は教室の段々を下りてきた。先輩とあたしのあいだを通るとき、こんな言葉をかけてくる。

「ごめんね、二人とも。朔ちゃんのわがままにつきあわせちゃって。でも、朔ちゃんに悪気はないんだよ。あの子はただちょっと、ふざけてみせただけだから」

「――ええ、わかってるわ」

 先輩が答えると、久慈村先輩はちょっと頭を下げて、それから朔ちゃんに向かって手を振った。アドバルーンみたいなその挨拶に、朔ちゃんは辛うじてわかるくらいに小さく手を上げただけだった。

 久慈村先輩がいなくなると、難破船で急に浸水が進むみたいにして、沈黙があたりを満たしている。どうやら、世界には久慈村先輩みたいな人がたくさん必要らしい。

「さて――」

 と先輩は、あらためて朔ちゃんのほうに向きなおって言った。

「理由を聞かせてもらえるかしら?」

 数メートル先にいる朔ちゃんは、ひどく遠いような、案外近いような、不思議な距離感をしている。

「――――」

 朔ちゃんは何か言おうとして、でも直前でそれを思いとどまったみたいだった。飛ぶ前に見た、のかもしれない。

「それは、あんたに話すようなことじゃないね」

 この期に及んで、というべきなのか、朔ちゃんはあくまで強情だった。檻の中に入れられても暴れまわる、小型獣に似ていたかもしれない。ある意味、たいしたものだった。

「…………」

 先輩はそんな朔ちゃんを、じっと見つめている。その視線にあるのは、苛立ちとか蔑みとかじゃなくて、もっと何か――同情に近いもののような気がした。

「なら、その理由については、わたしが推測させてもらうわ」

 ため息というにはもっと軽い、風船が少しだけ浮かびそうな息をついてから、先輩は言った。

「何よりもまず重要なのは、久慈村さんのことね」

 朔ちゃんは何も言わず、ただ黙って聞いていた。制止も、反論も、同意もしないまま。

「あなたにとって、久慈村さんがどういう存在なのか……それが今回のことを紐解く、鍵になるのよ」

 先輩が言うと、朔ちゃんはようやく反応した。少しだけ、笑いながら。

「へえ、そこまでわかってるんだ」

 その笑顔はどことなく、傷ついた動物が見せる必死の抵抗みたいなところがあった。どうやら、彼女は少しずつ追いつめられているらしい。

「あなたとわたしは、ある意味では似ているのよ」

 と先輩は、あたしにも言った言葉を口にする。

「だから、多少のことは想像がつく。もしもわたしが、あなただったとしたら。そして、久慈村さんみたいなお姉さんがいたとしたら。きっと、こう思ったでしょうね――お姉ちゃんは誰にも渡さない、って」

「…………」

「あなたは頭のいい子よ。ちょっと、よすぎるくらい。でもそのせいで、バランスがとれていない。思考に対して感情が未熟なままでいる。だから、行動そのものは合理的な一方で、その目的はちぐはぐなくらい不合理だったりする」

 何だか、あたしとはちょうど正反対みたいだった。

「誰かに愛情を示そうとするとき、あなたは素直にそれを表現することができない。どうしても、感情より思考を優先してしまうから」

「――かもしれないね」

 と朔ちゃんは無理に逆らわなかった。たぶん自分でも、それくらいの自覚はあるのだろう。頭がいいというのは、まさしくそういうことだから。

「でもだからって、それと今回のことに何の関係があるっていうの? 私がお姉ちゃんを誘拐して、それで愛情が示せるとでも?」

 挑発的なその態度に、先輩は特に反応は見せなかった。水と鉄で、温度の上がりかたが全然違うみたいに。

「あなたは、久慈村さんからわたしの話を聞いていたはずよ」

 頑丈な防火扉なみに重そうなその一言に、朔ちゃんは黙った。

「久慈村さんがわたしをどう評価して、どんなふうにしゃべったのかは知らない。でもその時、あなたは気づいたはずよ――()()()が、あなたとわたしが似ていると思ったみたいに、()()()も、わたしとあなたが似ている――って」

「…………」

「その時、あなたは平気じゃいられなかったはず。大好きなお姉さんが、自分以外の、自分とよく似た人間のことを話しているのだものね。あなたが頭でいくら否定しても、あなたの心のほうは承知しなかった。それが子供っぽい愛着だと、頭では十分にわかっていても」

 朔ちゃんはじっと黙ったまま、先輩のほうを見ていた。それは憎いかたきをにらんでいるようでもあるし、裁判官の宣告を厳粛に受けとめているようでもある。

「そして、あなたはどうしたかしら? 素直に自分の心をお姉さんに訴える? ――いいえ、そんなことはしないわね。あなたが考えたのは、わたしがたいした人間じゃない……気にするほどの人間じゃない、と証明すること」

 その言葉に、朔ちゃんは肩をすくめてみせた。

「お姉ちゃんは、こんなことで人の評価を判断するような狭量な人間じゃないよ」

「そうね――」

 と、先輩はあっさり認めた。

「久慈村さんは、今度のことを冗談だと思ってる。でも、あなたは本気だった……そうでしょ?」

 再び、朔ちゃんは黙る。

「今度のことで、あなたの一番の目的だったのは、()()()()にわからせることだった。あなたはわたしを軽蔑し、冷笑する権利が欲しかった。そうすればあなたは、自分が正しいままでいられるから。本当は自分のほうが、お姉さんに愛される資格があるのだと、信じることができるから――」

 先輩はそれから、静かに告げた。裁判官が最後の判決を通達するみたいに。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなことをしたって、あなたはどこにも行けはしないのだから」

 朔ちゃんはそれを聞いて、ちょっと表情を歪ませた。曇り空から最初の雨の一粒が落ちてくるみたいに、ピアノの音を一番小さく鳴らすみたいに。

 しばらくして、朔ちゃんは口を開いた。それは、とてもとても長い時間だったようにも思えるし、ほんの一瞬間のことでしかなかったような気もする。

「――どうして? 私はただ、お姉ちゃんといっしょにいたいだけ。ほかには誰も、何もいらない」

 その言葉は強情だけど弱々しくて、生意気だけど控えめだった。わがままなようでも、傲慢なようでもあって、同時に、すがるようでも、祈るようでもある。それは矛盾していて、でも筋が通っている。

 もしかしたら、それは――

 朔ちゃんの、本当の心だったからかもしれない。

「…………」

 そんな朔ちゃんに、先輩は言った。優しいようで厳しいような、突きはなしているようでそっと手をさしのべているような、そんな声で。

「あなたのお姉さんが、あなたが愛するようにはあなたを愛してくれないとしても、それを不満に思うべきじゃないわね」

「――――」

「何といっても、お姉さんはあなたのことを愛しているのだから」

 先輩の言葉に、朔ちゃんは長いこと黙っていた。星の位置が一年を巡って、また元の場所に戻ってくるみたいに。

 やがて、朔ちゃんは小さな、でもはっきりした声で言った。

「ああ、わかってるよ、そんなこと――」

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