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詩人にはなれない、もしくは何にもなりたくない  作者: 安路 海途
③ The Catcher in the School Festival
28/87

6(CfとFmのあいだで)

 化学実験室では当然ながら、化学部による実験パフォーマンスが行われていた。

 運動部と違って比較的陽の目をみることの少ない文化部としては、文化祭は貴重な見せ場の一つだった。ここで存在をアピールしておかないと「あれ、うちの高校にそんな部あったっけ?」なんてことになりかねない。

 というわけで、化学実験室では鋭意実験進行中だった。何しろ、先輩とあたしが部屋に入ってみると、部員の一人が口から盛大に白い煙を吐いているところだったのだから。

 その光景はちょっと古めの、怪獣映画っぽくすらある。

 お客さんの()()がよかったからか、その部員はもう一度同じことを繰り返した。紙コップに入った何かの液体を口に含んで、それを吹きだす。

 すると、蒸気機関車的に白い煙が吐きだされる。鼻の穴からも汽笛っぽく、白い煙がもれていた。

「たぶん、液体窒素ね」

 と、先輩が解説してくれる。銀色をしたそれっぽい容器があるし、「大変危険ですので、ご家庭では()()しないでください」と書かれた看板を持っている部員もいるので、たぶん間違いないだろう。

「液体窒素って、口に入れても大丈夫なんですか?」

「……現にやっているのだから、そうなんでしょうね。すぐに気化するから、飲み込みさえしなければ空気が断熱材になる、ということだと思うけど」

「ところで、ご家庭に液体窒素なんてありますか?」

「少なくとも、うちにはないわね」

 そのあいだにも液体窒素を使った実験は続けられていて、薔薇の花を粉々にしたり、風船をしぼませてすぐまたそれを元に戻したり、といったことをしている。お客さんの受けは、やっぱり上々みたいだ。

 先輩とあたしがそんな化学部の大活躍を眺めていると、不意に声をかけられていた。

「何だ、お前たち来てたのか」

 見ると、百奈先輩だった。相変わらず小さくて、相変わらず白衣が似あっている。もしかしたら、普段着なのかもしれない。

「化学部の実験はずいぶん人気みたいね」

 と先輩はまず、正しい社交辞令としてそのことに触れた。

「まあな」

 百奈先輩は、まんざらでもなさそうに言う。

「この日のために、入念な準備を重ねてきたからな。本当は超伝導物質を使ったピン止め効果の実演もしたかったんだが――」

 そのあいだに、実験では火をつけた花火を液体窒素の中に入れる、ということをやっていた。花火は消えることなく、水――じゃなくて、液体窒素――の中で燃え続けている。何だか不思議な光景だった。

「あれは、何で消えないんですか?」

 知的好奇心のおもむくままに、あたしは訊いてみた。

「いくつか条件がある」

 と百奈先輩は、日本語さえわかれば猿だってわかりそうなくらい丁寧に説明してくれる。残念ながら、猿には日本語なんてわからなかったけど。

「まず、物が燃えるには二つの存在が必要だ。すなわち、熱と酸素。花火には酸化剤が含まれているから、火がついていれば自身で酸素を供給することができる。次に熱だが、水などとは違って液体窒素はすぐに気体に変わってしまう。すると花火の周囲には常に気体が存在して、熱が奪われにくくなる。以上の条件が満たされると、花火は液体中でも燃え続けることが可能なわけだ」

「なるほど――」

 半分くらいは、わかった気がする。何にせよ、極寒の世界で燃え続ける花火って、ちょっと象徴的だった。

「ためになる講義もけっこうだけど」

 と、先輩はほうきで床を掃除するみたいに言う。

「実は、ここにはちょっと聞きたいことがあって来たの――いえ、見たいものがあって来た、が正解ね」

「何だ、一体?」

「この部屋に、元素周期表はあるかしら?」

 ……元素周期表?

「もちろん、あるぞ」

 百奈先輩は優秀な八百屋さんみたいに返事をした。

「後ろの壁に貼ってある。これがなくては、化学ははじまらないからな」

「……ところで、CfとFmって何だかわかるかしら?」

「カリホルニウムとフェルミウムだな」

 ほぼ即答だった。あたしなんて、元素記号を覚えるための例の呪文みたいな言葉だって怪しいところなのに。

「じゃあ、そのあいだにある99番元素は?」

 先輩が続けて訊くと、

「Es――アインスタニウムだ」

 と、これもほぼ即答だった。むしろ、そんなことも知らんのか野蛮人どもめ、くらいの勢いである。

 もっとも、そんなことを知ってる人間を見つけようとしたら、けっこうな数の石ころが必要そうだった。

「で、えっと……それが、どうかしたんですか?」

 忍ぶほどの恥もなかったので、あたしは訊いてみた。CfとFmが元素記号、それから99が原子番号だということはわかった。でも、だから?

「名前からわかるとおり、アインスタニウムはアルベルト・アインシュタインにちなんでつけられたものよ」

 気前のいい神様みたいに、先輩はもったいぶらずに教えてくれた。ついでに、百奈先輩が短い解説を加える。

「人工的に作られた超ウラン元素の一つだな。水爆実験中に100番元素といっしょに発見された。ちなみにFmはフェルミ計算で有名な、エンリコ・フェルミからつけられた名前だ」

 試験に出てこなさそうな話だったので潔く忘れて、あたしは質問した。

「ということは、問題の〝99を探せ〟はアインシュタインを探せってことですよね」

 自分で言って、自分で首を傾げてしまう。

「――そんな人、学校にいましたっけ?」


 確かに、そんな人はいた。

 もちろん本人は立派にお隠れになっているので、世界中のどこを探したって見つかりっこない。そもそも、地方都市のたかが県立高校でそんな世界的有名人を探すなんて、無謀もいいところだ。無謀というか、そんなのは新聞紙を折りたたんで月まで届かせるくらいに不可能だった。

 でも机上の空論という言葉があるとおり、机の上でなら何だって可能だ。同じように想像力さえあれば、もう亡くなった超有名天才物理学者を文化祭に登場させることだってできてしまう。

 パンフレットを見ると、生徒会の企画としてスタンプラリーが開催されていた。特定の場所をまわるんじゃなくて、特定の人物を探してハンコをもらう、というものだ。その「世界を変えた偉人たち」のうちの一人が、アインシュタインだった。

「これで間違いないですよね?」

 と、あたしは確認してみた。

「ほかにいなければ、そうでしょうね」

 あくまで、先輩は慎重だった。というか、文化祭に二人も三人もアインシュタインがいるのもどうかとは思うけど。

 問題の答えはそれでいいとしても、困ったことが一つだけあった。

 それは――

「で、どこにいるんでしょう、アインシュタイン?」

「……確か、スイスの特許庁で働いていたはずだけど」

 もちろん、学校にスイスの特許庁なんてあるわけがない。

 仕方ないので、ここは手分けして探すことにした。演劇部の面々にも連絡を入れて、アインシュタイン捜索に加わってもらう。有名人だから、細かい説明はいらないだろう、たぶん。

 ちなみに、校内を隈なくさがしたけど、久慈村先輩はいまだに見つかっていないそうだ。

「じゃあ、あたしたちも別行動といきますか」

 と、あたしは努めてさり気なく言ってみた。

「そうね――」

 特に名残惜しそうにでもなく、先輩は言う。せいせいするわ、なんて言われないだけましなのかもしれない。何事もポジティブに考えることは大切だ。

 ともかくも、先輩とあたしはそれぞれ校内を探索してみることにした。といってもあてなんてないから、適当に歩きまわることしかできない。切り株を用意して兎がぶつかるのを待つ、というわけにもいかなかった。

「ふむ――」

 せっかくなので、あたしはなるべく人の行かなそうなところを探してみることにした。普通のところならきっと、ほかのみんなが探しているだろうからだ。水でいっぱいのコップに水を注いだって、零れるだけなのである。

 あたしは校舎を離れ、運動場を通りすぎ、学校の裏のほうまでやって来た。この辺まで来ると、さすがに人はいない――ちょっと、いなさすぎるかもしれない。

 その辺にあるのは、もう夏ほどの力はない太陽の陽ざしと、透明な、手に残ることもない風だけだった。物音や人の声はほとんど聞こえなくなって、遠くの太鼓みたいに寂しい感じがする。

 あたしはそれでも、しばらくのあいだその辺を歩いてみた。人ごみに馴れてしまったせいか、空白が何だか心地いい。体の中から余計なものが零れ落ちていくみたいだった。

 それから何となく、弓道場のほうへと向かう。今年の春に、先輩といっしょになって壁に書かれた詩の謎を解いたところだ。まあ、解いたのは先輩なのだけど。

 弓道場は無人らしく、人の気配はしなかった。プチ世界の終わりみたいな静寂の中を、あたしは歩いていく。生えている欅や小楢なんかにはもう、夏の依怙地なくらいだった生命力は感じられなかった。地面にはどんぐりもいくつか落ちていて、どの木も今年最後の仕事を終えようとしているみたいである。みんな、急いで冬支度をはじめているのだ。

 あたしは自分まで冬支度をしているみたいな気分になりながら、弓道場の角を曲がって、それから足をとめた。

 ――向こうのほうに、人影が見える。

 その人は何故か、熱心に弓道場の壁を調べているみたいだった。かなり不審である。(壁マニア?)と思って、まさかと自分で否定する。業者さんが、何かの下調べにでも来ているのかもしれない。

 あらためてよく見ると、その人は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして――

 あたしは、はっとする。まさかと思って、でも今度はそれを否定しない。論理や思考や経験じゃなくて、あたしの直感がそれを告げていた。

「…………」

 できるだけ静かに、そっと、あたしはその人に近づいた。逃げやすい鳥でも、前にしたみたいに。消えやすい幻でも、前にしたみたいに。

「あの、もしかして――」

 それから、あたしはその人に話しかける。心の中では、その偶然をどう考えていいのか、新米の占い師にでもなったみたいに戸惑いながら。

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