3(アフロと誘拐事件)
(筆者註:本文中の図、「|」「 ̄」「_」で表現されている部分は、文字間の隙間はないものとして、ルビの「濁点」は濁点があるものとして読んでください。また、PC版の表示でのみ図の形が正しく表示されます)
正確には、行方不明じゃなくて、〝誘拐〟だった。ちょっと古風な言いかたをすると、拐かす、になる。
先輩とあたしは視聴覚室(前にもお世話になった場所)に来て、その証拠を眺めていた。机の上に置かれた何の変哲もないコピー用紙には、〝久慈村望は預かった。〟と記されている。疑問の余地はないし、ほかに解釈のしようもない。この不確実な世界にあっては、珍しく。
視聴覚室は(前にも言ったとおり)主に演劇部や英語部が使っていて、今は演劇部の面々が集まっているところだった。文化祭といえば、格好の舞台発表の場である。そのために演劇部では長いあいだ、稽古を重ねてきたのだ。
久慈村先輩は、そんな演劇部の部員なのだった。
午後からの発表に向けて、演劇部では最終リハーサルが行われているところだった。段取りの確認や衣装のチェック、機材の点検。三十八万キロ彼方の月に人間を送るほどじゃないにしろ、念入りなうえにも念入りに準備が進められる。
そんな時に降ってわいたのが、今度の久慈村先輩誘拐事件なのだった。
当然、演劇部では大騒ぎだった。久慈村先輩は準主役級の役所で、代わりはいない。高校生の演劇部に、そんな冗長性なんてあるわけがない。
舞台を無事に終わらせる(始める)ためには、何としてでも久慈村先輩を見つけだす必要があった。
「――ああ、何ということだ」
と、演劇部部長である阿賀野清志は言った。さすが演劇部というべきか、そのセリフはちょっと芝居がかっている。慨嘆した、と難しい言葉を使いたくなるくらいに。
阿賀野部長は黒縁の角ばった眼鏡をかけた、中背中肉の男子生徒だった。がりがりでも、むきむきでもない。体つきには特徴がなかったけど、三枚目というか、わりと愛嬌のある顔つきをしている。人を化かそうとしてもうまくいかない狸、みたいな。
――そして彼の頭は、アフロだった。
「久慈村がいないなんて、僕たちはどうすればいいんだ。半年もかけて、この日のために準備してきたっていうのに。これじゃあ、完成したばかりの船が、進水式で沈没するようなものじゃないか」
アフロがしゃべっていた。
たぶん、クラスのイベントか何かでかつらでもかぶっているのだと思う。地毛である可能性は否定しきれなかったけど、それを確認する勇気や気概を、あたしは持ちあわせていない。
そして正直なところ、どんな悲愴な顔で悲痛な言葉をしゃべられたって、そのアフロが九割くらいは吸収してしまっている気がした。アフロというのはことほどさように、アフロなのである。
「どうか、どうか、ぜひとも久慈村を見つけだしてほしい」
と、アフロ――もとい、阿賀野部長は言った。
もちろん、先輩に向かって。
あの時先輩を呼びにきたのは、同じクラスの演劇部員だった。といってもそれは、先輩の探偵力を頼りにして、というわけじゃない。
指名があったのだ。先輩を名指しで。例のコピー用紙の全文には、こう書かれていた。
〝久慈村望は預かった。
返して欲しくば、四つの問題を解け。
問題が解ければ私の居場所がわかるだろう。
――志坂律子へ〟
文字は一つ一つ切り貼りされていて、誰が書いたかわからないようになっている。あたしも実物を見るのは初めてだったけど、これはいわゆる「挑戦状」というやつではなかろうか。
「……最後に久慈村さんを見かけたのは、どこですか?」
と、先輩は質問した。ちなみに、ディーラー用のベストは脱いでしまっている。もちろん蝶ネクタイも。
「みんなが体育館に荷物を運んでいるときのことだ」
と阿賀野部長は答えた。それによると、本番直前に搬入しなくてはならない荷物がいくつかあって、それをみんなで手わけして運んでいたのだという。場所はこの視聴覚室から、体育館まで。
「その時はいたはずなんだが、終わってまた部員全員でここに集まったときには、姿が見えなくなっていた」
「久慈村さんが一人きりになる機会はありましたか?」
「たぶん、あっただろうな。小さな荷物なら一人で運べるから、全員がいつもいっしょにいたわけじゃない」
「……これは念のために聞くんですが、この誘拐が自作自演という可能性は? あるいは、実は演劇部で仕掛けたことだとかは」
「そんなこと、あるはずがない」
と、阿賀野部長は憤慨した。頭の上でぴょこぴょこ揺れるアフロも、同じく憤慨した。
「部員は全員、舞台の成功を願ってるんだ。それは、久慈村も同じだ。こんな時に、こんな状況で、こんないたずらなんてするはずがない」
阿賀野部長は真剣だった。髪形がアフロじゃなければ、もっと真剣に見えたかもしれない。
「――そうですね、わたしもそう思います」
先輩は言って、コピー用紙のある机のところに向かった。そこにはもう一つ、何故かテントウムシの折り紙が置かれている。
「犯人の目的はわからないけれど、ゲームに従うしかなさそうですね。……あるいは、子供の駄々につきあってあげるのが、大人の役目というものかもしれないし」
先輩による後半の発言は、独り言みたいでほとんど聞きとることはできなかった。実際、阿賀野部長もほかの演劇部員も、気にはしなかったみたいである。
今のところはあたしも、順調に倒れるドミノみたいに右にならっておくことにする。何しろ、それどころじゃないのだから。
「…………」
先輩はテントウムシの折り紙を手にとると、ゆっくり丁寧に開いていった。ほかに何もない以上、それが誘拐犯の言う〝問題〟である可能性は高い。
横からあたしがのぞき込んでみると、そこにはこんなことが書かれていた。
〝| ̄ ̄|=  ̄ ̄ =① |  ̄ =② | = ③
|__| |__ | |
①②〇《濁点》のあるお店〟
今度はさすがに、ワープロで印刷されているだけだった。チラシや新聞から文字を切り抜くのは、けっこうな手間なのだ。
一応の礼儀という感じで、先輩はそれを阿賀野部長に見せた。部長以下、ほかの部員も何名か、それをのぞき込む。
「……僕にはさっぱりだな」
というのが、阿賀野部長の意見だった。もちろん髪型をアフロにしたところで、脳みその容量が増えるわけじゃない。
「演劇部の人たちは、とりあえず久慈村さんがどこかにいないか探してみてください」
と、先輩は指示した。
「学校といったって、隠れられる場所は限られていますから。もしも見つかったら、わたしに連絡をお願いします」
「わかった、そうしよう」
「わたしたちは、犯人の問題のほうを追ってみます。演劇部の公演まで、どのくらいの時間がありますか?」
阿賀野部長は少し考えてから言った。
「昼の部の最初だから、開演は十三時だ。けどその前の準備があるから、遅くとも今から一時間以内には久慈村を見つけて欲しい」
先輩がその一時間をどう判断したのかはわからなかった。短すぎるのか、それだけあれば十分なのか。たぶんそれは、犯人の問題が帯なのか襷なのか次第だった。
「わかりました。とにかく、やってみます」
とだけ、先輩は答える。
「――頼む」
阿賀野部長はそう言って、深々と頭を下げた。アフロの頭頂部が見えるくらいに。こうやって見ると何だかマイクの頭の部分みたいだな、とあたしはあらぬことを考えていた。
それから演劇部員たちは全員いなくなって、先輩とあたしだけがその場に残された。あと、四つあるという問題の、最初の一問目も。
問題の答えはまだわかっていなかったけど、その前にあたしは訊いてみた。
「――部長、アフロでしたね」
「ええ」
「――ちょっと、おかしかったですね」
「そうね、ちょっとおかしかったわ」
でも先輩の口調は、全然おかしそうでもなければ、ふざけてもいなかった。
どうやらあたしはまだまだ、修行が足りないみたいである。




