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詩人にはなれない、もしくは何にもなりたくない  作者: 安路 海途
③ The Catcher in the School Festival
23/87

1(紫清祭)

 鵬馬高校には、「紫清祭しせいさい」という名前の文化祭がある。

 その名前は、杜甫だか李白だかの(どっちがどっちかはわからない)漢詩からとられたそうだ。

 文化祭のご多分にもれず地元ではまあまあ有名で、開催日には近隣の人々や生徒関係者がたくさん訪れてくる。もちろん、オリンピックやリオのカーニバルほどじゃないけれど、それなりの賑わいには違いない。月もすっぽんも、丸いことでは変わりがないのだ。

 十月の初め頃に行われる文化祭には、夏休み期間中と九月のあいだをあわせて準備が行われる。学校の飾りつけや展示物の作成、イベントの企画や各種模擬店の立案と計画、エトセトラ、エトセトラ。

 何しろそれは、高校生活における最大の共通イベントなのだ。生徒も先生も、運動部も文化部も、女も男も、老いも若きも、猫も杓子も、みんな一丸となってことにあたるのである……猫も杓子も?

 合計二日間にわたる文化祭は、様々な催し物がめじろおしだった。そこには涙があり、笑いがあり、忘れられない物語が存在する……たぶん。

 とにもかくにも、各クラス、各部活、各有志たちは、この日のために長い試練と厳しい道のりを越えてきたのである。天竺やサンティアゴ・デ・コンポステーラほどじゃないにせよ。

 ――そしてそれは、我が文芸部にしても同じことだった。


 文化祭の初日、あたしは文芸部の部室で店番中だった。

 大抵の文芸部がそうであるみたいに、我が鵬馬高校文芸部でも文化祭にあわせて部誌が発行される。伝統的に「櫂歌とうか」と名づけられたその部誌は、春と秋の年二回作られるのが習わしだった。

 ちなみに、櫂歌(棹歌)というのは舟歌のことである。ヴェネツィアのゴンドラ乗りたちによるバルカロールで、クラシックにおける一つのジャンルにもなっている――という先輩の話だった。

 歴史あるその部誌の執筆陣は、当然ながら先輩とあたしの二人だった。親切な小人が眠っているあいだに何か書いてくれれば別なのだけど、あいにくと文芸部にそんな便利な妖精は棲んでいない。

 部誌のデザインは主に先輩が行って、プリンタで印刷したものを自分たちで製本する、というのが基本だった。作品を用意するのもそうだけど、この製本作業がなかなかの骨折りではあった。

 表紙にはタイトルの「櫂歌」と号数、それから先輩の書いた詩の一つが配置されている。

 その詩というのは、こういうものだ。


〝あの子がのばした手がつかんだのは

 透明な光の雫だろうか

 それとも

 わたしの心そのものだったのだろうか〟


 それは先輩とあたしが動物園に行ったときに書かれたもので、先輩は広場である女の子を見つけたのだった。その女の子は落ちてくる葉っぱか何かに手をのばしていて、その光景がこの詩のモチーフになっている。

 ちなみに、先輩は動物園反対派だそうだった。「シートンもコンラート・ローレンツも、野生動物は自然の中でこそもっとも美しい、と言っているわ」とのこと。あたしとしては、どちらとも言えないところではあったけど。

 文化祭ではこの部誌に、お手製の栞もいっしょにつけられる。栞には()()の入ったちょっと古風な感じの紙を使っていて、先輩とあたしが小説その他から勝手に選んだ文章がプリントされていた。

 それは例えば、こんなふうに――


〝夜の空気は自由にする。〟


〝彼女の瞳は空を見上げると、一等青く染まった。〟


〝心のキックスターターを踏む。〟


 文章には引用元もつけられているから、興味があったら調べてみるのもいい。ささやかな広報活動というところだった。

 この部誌と栞がセットで、百円という値段がつけられている。それが高いのか安いのかは判断に迷うところだけど、缶ジュースよりもお手頃価格なのは事実だ。先輩によれば毎年、作ったぶんは大体売れてしまうということだった。

 部誌の販売を行う以上、それを管理する人間が必要である。野菜みたいに無人販売にしてもいいのだけど、それだとやっぱり不用心だった。お金を扱う以上、慎重にならなくてはいけない。

 そんなわけで、あたしは店番をしているのだった。文化祭をまわるのや用事のためなんかに、先輩とは一時間おきに交代することになっている。何しろ部員が二人しかいないのだから、こういう時には不便だ。

 部室はそれなりにお店っぽく演出されていて、中央にあった二つの机は脇によせられていた。その一方(黒板側)には販売用の部誌が山積みにされて、もう一方(窓側)には売り子であるあたしが座っている。ドアはあくび中の猫みたいに目一杯開けられていて、「文芸部 部誌販売中 一冊百円也」と書かれた看板が立てられていた。

 肝心のお客さんについては、ひきもきらずにというほどじゃないにせよ、ぽつりぽつりとやって来る、という感じだった。雨の降りはじめがずっと続くみたいに。

 あたしはそんなお客さんに、できるだけ愛想よく、礼儀正しく、かつ女子高生っぽさをアピールしながら販売を行った。子供からお年寄りまで、いろんな人がやって来て、ちょっとした会話をすることもある。

 忙しいというほど忙しくはなく、暇というほど暇でもない、という感じだった。時間に合間があれば、本を読んだり、お金の勘定をしたり、部屋の中を整えたりもする。

 ――その二人組みがやって来たのは、まだ午前中の、そんなふうにあたしが店番をしているときのことだった。

 親子連れのお客さんに向かってあたしが手を振ったあと、しばらくしてその二人が姿を見せている。一人は同じ高校の制服で、もう一人は私服を着ていた。一見したところだと、姉とその弟、という感じである。

「おはよう、凛ちゃん」

 と、そのお姉さんのほうが声をかけてくる。

 たんぽぽの綿毛が飛んでいくのに似た、ふわふわした長い髪。大切に育てられた花みたいな、穢れを知らない瞳。ふっくらした頬は、マシュマロ的な柔らかさだった。子供が無条件でなついてしまいそうな、そんな雰囲気をしている。

「――おはようございます、久慈村くじむら先輩」

 とあたしは立ちあがって、そう答えた。

 久慈村望くじむらのぞみ先輩は、先輩の知人の一人だった。中学校時代からの友達で、今でも親しくしているそうだ。文芸部の部室にも時々遊びに来たりしていて、あたしもお近づきになっている。見ため通りのほんわかした、和み系女子という感じだった。

「ちょっと、部誌のほうを見せてもらってもいいかな?」

 と久慈村先輩は言ってきた。文芸部としては、もちろん大歓迎である。こういうイベントに、友人知人の伝手は欠かせないのだ。それがすべてといっても過言じゃない。

 久慈村先輩はおっとりした足どりで、机のほうに向かった。一冊手にとって、ページをめくる。何となく、赤ん坊でもあやすみたいな手つきで。

 それにくっついていたもう一人も、同じ場所に向かった。でもこっちはあまり興味はないのか、壁にとまったハエでも眺めているみたいな目つきだった。なかなか失礼な視線ではある。

 特にどうするでもないので、あたしはノートに訪問者数のメモを増やしておいた。新しく二人分、と。

 そうして鉛筆を動かしていると、不意に声をかけられている。

「――ねえ、志坂って人はいないの?」

 顔を上げると、久慈村先輩にくっついていたもう一人がそこにいた。

 男の子、だろうか。癖のないまっすぐな髪をして、輪郭線がまだ決まっていない絵みたいな、危うい感じの雰囲気をしている。頭のよさそうな、でも強情そうな目つきをしていた。美少年、といっていいかもしれない。それと、物事を笑うのが上手そうな鼻をしている。

 志坂というのは先輩のことで間違いなさそうだったけど、かといってこの子と先輩がどういう関係なのかまではわからなかった。

「先輩なら、今は休憩中だよ」

 あたしがそう言うと、その子は「ふうん」とだけ返してきた。今時の若者のあいだでは、そういう返事が流行っているのかもしれない。

「志坂って、どんな人なわけ」

 かなり、「?」な質問だったけど、あたしは答えておいた。浦島太郎だって、亀には親切にしている。

「先輩は優秀にして親切な、人間の鑑みたいな人だよ」

「ふうん」

 また、ふうんだった。

 その子はそのまま、すたすたと久慈村先輩のところまで行くと、

「先に行ってるから」

 とだけ短く告げて、言葉通りに部屋を出ていってしまう。

 そのあとすぐ久慈村先輩が、購入するために部誌を一冊持ってきたので、

「まあまあ、生意気な子でしたね」

 と、あたしは感想を一言口にしてみた。非難するとか、眉をひそめるというよりは、どちらかといえば感心して。将来は大物になるかもしれない。

「ごめんね――」

 久慈村先輩はメレンゲ的にふんわりした口調で言った。

「あの子、私の妹なの」

「……妹さん?」

 ちょっと、意外だった。

さくちゃんはよく、男の子に間違われるんだよ」

 と久慈村先輩は言った。

「少し、おてんばさんだから」

「――ですね」

 ものは言いようかもしれない、とあたしは思った。というか、おてんばなんて言葉を聞くのはいつぶりだろうか。

 あたしは久慈村先輩から百円を受けとって、栞を一枚適当に渡した。久慈村先輩はその栞を見て、書いてあった文章を読みあげる。

「〝その二番目によいことを。〟」

 確かそれは、先輩が選んだ文章だった。ある有名な言葉、〝愛してその人を得ることは……〟にちなんだものである。

 もちろん、これだけだと何のことか推測するのは難しいだろう。

「興味が湧いたら、引用元を調べてみてください」

 とだけ、あたしは言っておく。ネタバレというほどじゃないけど、そういう楽しみも必要だろうから。

「うん、そうしてみるね」

 久慈村先輩はあんみつに入った白玉的に柔らかな笑顔を浮かべる。

 それからふと、あたしは久慈村先輩に質問してみることにした。栞の文章に刺激されたのかもしれない。

「久慈村先輩は、先輩とは昔からの友達なんですよね?」

「そうだよ、りっちゃんとは中学時代からつきあいがあるの」

「……先輩って、昔からあんなふうでしたか?」

 言ってから、これだと言葉が足りないな、とあたしは気づく。

「つまり、えと、クールというか、理知的というか――どことなく、必要以上に人を近づけないというか、本当の自分を隠しているというか」

 それはあたしの余計なお世話かもしれなかったけど、何となくそう感じてしまうのだった。たった半年くらいのつきあいしかなくても、それでも。

「私が知ってる律ちゃんは、ずっとあんなふうだったな」

 と、久慈村先輩はのんびりしたマイペースで言う。

「頭がよくて、格好よくて、でも親切なの。困ってる人は放っておけないし、弱い人には味方になってあげる。かといって、それで偉そうにするわけでも、得意になるわけでもない。昔から素敵な人だったよ、律ちゃんは」

 そう――

 確かに、先輩はそんな感じだった。そして、冷たいようで温かくて、しっかりしているようで、どこか危うい。バランスがとれているようで、どこか崩れている。

 だから、不思議なのだ。先輩の何かを、あたしは理解できていない気がして。

「すみません、変なこと聞いちゃって」

 と、あたしは一応お詫びをしておく。結局、余計な手間をとらせただけだったから。

「ううん、そんなことないよ」

 久慈村先輩はにこやかに言った。

「好きな人のことをもっとよく知りたいと思うのは、あたり前のことだもんね」

「…………」

 それはかなりの誤解と天然の発言だったけど、あたしは訂正しないでおく。それに案外、間違いとは言えないのかもしれない。

「文化祭、楽しんでくださいね」

 と、あたしは最後に言っておく。「()()()()生意気な、妹さんにもよろしく」

「うん、凛ちゃんも、律ちゃんといっしょにがんばってね」

 そうして、あたしたちは別れていった。

 ――もちろん、その時はまだ気づかなかったのだ。

 久慈村朔が、()()()()生意気なんてレベルじゃすまないんだ、ということには。

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