9(新しい証拠を求めて)
空の上では今日も、太陽はむやみに元気な子供みたいに、やる気でいっぱいだった。朝晩の肌寒さなんて、「何それ?」というところである。季節はまだまだ夏を終わらせるつもりはないらしい。
先輩とあたしは、自転車に乗って移動しているところだった。目的地は、例の五人が向かった、山奥の廃トンネル。
といって、肝試しに行くわけじゃない。いくらあたしだって(先輩はともかく)、昼の日中に肝試しに行くほど酔狂な人間じゃない。――これには、ちゃんとした目的があるのだった。
自転車を走らせていると、風がちょうど気持ちいいくらいだった。重さのない透明な水にでも手をひたしているみたいで、格好の自転車日和というところである。これがただのサイクリングならそれでもよかったのだけど、残念ながらそういうわけじゃない。
平地が終わって山道に入ってからも、サイクリングは順調だった。あたしはこれでも体育会系を自認しているのだけど、先輩も意外と体力はあるみたいだった。拳闘やヴァイオリンまでできるのかどうかはわからないにしろ。
まあ、山道といってもそこまで急な坂道というわけじゃない。木陰の涼しさとカロリー消費の割合は、一対一というところだった。何といっても、ヒマラヤの奥地に向かっているわけじゃないのだから。
やがて聞いたとおりの場所までやって来ると、あたしたちは自転車をとめた。舗道の脇にガードレールの途切れたところがあって、確かにそこから道が続いている。薮草がけっこう生い茂ってるけど、道という概念は辛うじて保っている、という感じだった。
「ここで、間違いなさそうね」
と先輩は言った。あたしも念のために携帯の地図で確認してみるけど、間違いない。
盗られる心配はなさそうだけど、精神衛生のために鍵をかけてから、先輩とあたしはその脇道に向かった。持ってきた荷物は、あたしがポシェットに入れて運んでいく。先輩はバケツと、水の入ったペットボトルを手に持った。
草ぼうぼうの道を歩いていると、地面はしっかりしているにしろ、なかなかの難儀だった。ここはぜひとも先輩みたいに長ズボンで来るべきだったな、とあたしはこっそり後悔する。
とはいえ、道はほとんど森の中という感じで、灰色のコンクリートなんていう殺風景で人間的すぎるものはどこにもない。空気を胸いっぱいに吸うと、体の中がきれいに掃除されていくみたいだった。
「先輩は、この豊かな森から降りそそぐ、神経を鎮めてくれるありがたい物質の名前を知ってますか?」
あたしは歩きながら訊いてみた。でも、先輩はあっさりと答えている。
「フィトンチッドでしょ」
「……人が自慢する機会を奪わないでください」
森の癒し効果も半減である。
道なりに進んでいくと、やがて古びたレールだけが残ったところまでやって来た。ほとんど自然の中に埋もれてしまっているけど、レールのほうでは案外満足そうにも見える。
その道をさらに進んでいくと、件の廃トンネルが姿を現した。
かなり本格的というか、しっかりしたトンネルで、目立った亀裂とか破損みたいなものはない。人間的にコンクリートで造られてもいた。思ったより大きくて、象くらいなら楽に通れそうである。サーカス団や動物園から逃げだした象には朗報かもしれない。
ただ、うん、さすがに心霊スポットになるだけあって、かなり不気味である。世界に穴があいたみたいな暗闇が、ぽっかり口を開けていた。パリコレなみのオーラである。これなら、あの世につながっていたっておかしくない。
昼の光の下でこれなのだから、夜の闇の上で見たら、怖さは百倍増しくらいかもしれなかった。トラ君のこともバカにはできそうにない。
「これは、かなりやばいですね――」
と、あたしは妖怪アンテナを反応させてみせた。でも先輩は、
「何でもいいから、さっさと行くわよ」
とあっさりめのラーメンなんて目じゃないくらい、あっさりしている。この合理主義者め。
トンネルの中に入ると(あたしだけ少しびくびくしながら)、空気は実にひんやりしていた。山椒魚とか、そういう両生類が好きそうな冷たさである。空気の密度が変わったみたいに、物音が変な反響の仕方をした。
あたしは持ってきた懐中電灯をつけた。暗闇が蒸発して、レールや砂利が浮かびあがる。それは意外と清潔そうな感じで、外から見るほど不気味というわけでもない。ずっと向こうには出口の光が見えていて、トンネルはそこまでちゃんとつながっていた。
先輩とあたしは、そっちのほうへ歩いていく。とりあえず、幽霊のいそうな気配はない。あたしの霊感は故障中のテレビくらい受信状態が悪そうだったとはいえ。
でもあの時、トラ君とコージ君が見た幽霊は幻というわけじゃない――幽霊が幻かどうかは、ともかくとして。
ともかちゃんやほかの四人の話によれば、あの日は晴天で、月明かりがくっきり見えるくらい夜空は澄んでいたという。それは、放射冷却の起きやすい条件でもあった。実際に、肌寒かったという証言もある。
そして先輩が言うには、この奥城山のトンネルの向こうには、湖があるのだそうだ。
夜になっても水は冷えにくいので、外気より温度の高い状態になりやすい。そこに冷たい風が吹いてきたりすると、霧が発生することになる。ちょうど、お風呂から湯気が立ち昇るみたいに。
つまり、肝試しの当日に霧が出ていた可能性は高い。
特にトラ君とコージ君の二人がトンネルに入ったときは、冷たい風が吹いてきていたから、霧がすぐ近くまで迫っていたと考えることができる。
それでどうしたかというと、トラ君は(やや強力な)ライトで前方を照らしたのだった。
〝ブロッケン現象〟というものがある。ドイツのブロッケン山に由来する名前なのだけど、この時に起きたのも似たような現象だと考えることができた。つまり、前方には霧、後方にはトラ君のライト、その中間にはコージ君が存在する。するとコージ君の(うずくまった)影が霧に映り、そのまわりでは光が乱反射して虹のような光を作る。
二人が見た幽霊の正体は、これだった可能性が高い。枯れ尾花じゃないにしろ、現実はいつもこんなものだ。
――というのが、先輩の解説だった。説明責任については先輩にあるのであって、幽霊が本物だったとしても、あたしの関知するところではない。
もっとも、先輩とあたしがこれからやろうとしているのは、その幽霊を実在する本物にすることだったのだけど。
「…………」
トンネルを歩いていると、光の穴が段々大きくなっていった。空気の感じが変わって、静かさが奥のほうにひっこんでいく。水面に浮上するみたいに蝉の声が聞こえてくると、トンネルの外だった。残念ながら、雪国じゃなかったけど。
トンネルの反対側も、さっきまでの風景とあまり変わりはなかった。湖が見えたりもしない。静かなせいか山のせいか、蝉たちはまだお祭り気分だった。岩にしみ入る暇もないくらい騒がしい。
光の圧力に体を馴らしながら進んでいくと、しばらくして先輩が立ちどまった。
「この辺でいいかしら」
そこは森の、ちょっと空き地になったところだった。キャンプファイヤーを楽しむほどの広さじゃないけど、小さな焚き火を囲むには都合がいいかもしれない。
「そうですね」
あたしはうなずいて、ポシェットから道具一式を取りだした。ロウソク、ライター、それからコンビニで買った花火セット。
そのあいだに、先輩は持ってきたバケツにペットボトルの水を注いでいた。くるくる回して水が出やすくしてるあたりは、先輩の几帳面さが滲みでている。
「じゃあ、はじめますか」
と、準備を終えてからあたしは言った。
何をはじめるかというと――もちろん、花火だ。
もしかしたら昼の肝試しと同じくらい酔狂なのかもしれないけど、これにはちゃんとした理由がある。先輩もあたしも、酔ってるわけじゃない。そもそも品行方正な未成年は、お酒なんて飲んだりしない。
とりあえず、あたしはスタンダードなススキ花火を選んでみた。さきっちょの紙はただの余りなので、その根元あたりを狙って火をつける。
当然だけど、花火はしゅうしゅう音を立てて燃えはじめた。ホースから水を流すみたいに、火花が勢いよく飛び散っていく。夜の暗闇がなくても、花火は頑固な職人のごとくに黙々と仕事をこなしていた。
そんなあたしの隣では、先輩が別の花火に火をつけていた。その花火はぱちぱち音を立てながら、丸く火花を飛ばしている。魔法使いのステッキっぽく見えないこともない。
あたしの花火は、先輩の花火の半分くらいで燃え尽きてしまった。あるいはこれは、無計画と無思慮と無分別を遠まわしに警告されているのかもしれない。何をか言わんや、である。
「昼の花火も、なかなか風情がありますね」
と、あたしはさっきと同じ種類の花火を選びながら言った。
「そうかもしれないわね」
先輩は注意深く手元を見つめながら答える。
その後もしばらくのあいだ、先輩とあたしは花火を続けた。夜中みたいに光が踊る感じはなかったけれど、そこには不思議な感覚があった。もしかしたらそれは、昼の闇と夜の光がひっくり返っているみたいな、そんな感じだったかもしれない。
「――――」
あたしはそっと、先輩のほうをうかがってみた。
先輩は一心不乱なようにも、どこかぼんやりしているようにも見えた。その横顔は何だか、光のか弱さを見つめているみたいな、消えた光の痕を探しているみたいな、そんな感じでもあった。
※
――これは、あたしとともかちゃんによる、後日の会話に関する抜粋だ。
「いや、偶然てあるもんだよね」
と、ともかちゃんは感心したみたいに言う。
「二人が見た幽霊って、本物の人間だったんだよね。それがちょうど、私たちのあとに入れ違いでトンネルに入って、私の携帯を見つけた。で、その人たちはそのまま帰っちゃう。それで、今度は私たちがトンネルに入ってきて、落とした携帯を探しはじめる。でも携帯はその人たちが持っていっちゃってるから、いくら電話をかけて探したって見つからない」
それから、ともかちゃんは間違った字を消しゴムで消すみたいな、軽いため息をつく。
「――何だか、電車の乗り換えが最高にうまくいったって感じだよね」
まあでも、実際にそうだったんだから、偶然でも何でも仕方がない。
「うん、そうだよね。私も写真見せられて、納得するしかなかったし」
それから、ともかちゃんは自分で自分に言いきかせるみたいにして、その証拠写真について語りはじめる。
「写真には、花火の跡だとか、ごみだとかが映ってた。ごみの中にはパンだとかおにぎりの袋も混じってて、日付的に私たちが肝試しに行った日と一致してる。まあそんな風にマナーのなってない奴らだから、人の携帯を拾って平気な顔してたって、当然といえば当然だよね」
残念ながら、世界では憎まれっ子が世にはばかっている――ちなみに、ごみそのものはもう回収してしまったのでどこにも残っていなかった。
「携帯自体はSIMカードを換えたり初期化したりすれば使えるわけだから、たぶん売られるか、何かに使われるか、まあろくなことにはなってないんだろうね。仕方ないといえば、仕方ないけど」
ともかちゃんはそして、秤にかけたらそれなりの数字を記録しそうなため息をつく。
「やっぱり、幽霊より人間のほうが怖いのかもね」
――そうかもしれない。
※
結局、先輩もあたしも、藤野さんのことをともかちゃんに伝えることはしなかった。
それはあくまでも、藤野さんが自分で決めるべきことで、決めなくちゃならないことだからだ。
もしもそうなった時、結果がどうなるのかはわからない。それはよくある失恋の一種なのかもしれないし、世界が壊れてしまうくらいの悲劇なのかもしれない。
でも、あるいは――
何にせよ、それはあたしたちの与りしらぬところだ。すべての運命はもう、藤野さん自身に任されているのだから。
「わたしは神様ほど残酷じゃないわ」
とは、先輩の言葉だった。
――そうそう、参考までに先輩とあたしの携帯についても言及しておくことにする。
先輩のスマホカバーは、手帳タイプのシンプルなものだった。エレガントで、追求された機能美が光る一品、というところ。
対するあたしのそれはというと、何かの景品でもらっただけという、無節操な代物だった。何故かシカゴブルズのユニフォームを着たスヌーピーが、バスケットをやっている。
……やっぱり、名は体を表すのかもしれない。




