8(決定的な証拠)
視聴覚室は、北棟一階の奥のほうにある特別教室だった。あまり使われることはないけど、映像、音響、スライド写真なんかを利用した授業を行うための場所だ――念のために言っておくと。
それなりの広さがあってすり鉢状になっているから、ちょっとした映画館か劇場みたいにも見える。もっとも、そこから表面部分をごっそり削りとった、くらいの無骨さではあったけど。
普段の放課後では演劇部や英語部が使ったりするけれど、今日は何の予定もないらしく、無人だった。誰もいないからっぽの教室は、広々しているというより、風景としては死んでいる、という感じでもある。
そんな視聴覚室には先輩とあたしと、それからもう一人の人物がいた。
――藤野さんだ。
彼女は床に固定された机とイスの、最前列真ん中に座っていた。その手前にある教壇のところには、先輩がいる。あたしは三列並んだ机の右側左端、藤野さんからは少し離れたところに座っていた。
藤野さんは制服姿のままで、荷物は持っていなかった。今日の朝に先輩から呼びだされて、部活はお休みにしてここにやって来たそうだ。
教室の使用許可は先輩がとっていて(どうやったのかは知らないけど)、贅沢にエアコンもつけられていた。このひんやりした空気を三人だけで味わうのはいささか背徳感のある行為だったけど、もちろん涼しいにこしたことはない。
あたしたちはそれぞれの位置について、でもこれから何が起きるのかを知っているのは、先輩だけだった。その先輩は、藤野さんに向かってまず言った。
「あなたが携帯を拾った犯人ということでいいのよね、藤野さん」
「…………」
藤野さんは黙っていた。でもそれは、相手にドライブを決められておたついているというより、冷静にその動きを見極めている、という感じだった。
「面白いね」
と、藤野さんは笑った。たぶん、不敵に。
「もちろん説明はしてくれるんだよね、名探偵さん。犯人は勝手に自白しないものだって、決まってるんだよ」
「ええ、そのつもりよ……ところで、緊張してるかしら?」
先輩が言うと、藤野さんは鼻で笑った。
「何で、そう思うわけ?」
「緊張してるようには見えないから、ね」
今度は、藤野さんは黙った。先輩はその隙間を指で広げるみたいにして言う。
「最初に質問したときから、そうだったわ。あなただけが、何故か自信ありげだった。心配するでも、不安そうでもなく。ほかの人たちはみんな、戸惑いが強かったり、その時のことを何とか思い出そうとしていたのに」
「…………」
「そう、あなたはまるでなくなったはずの携帯がどこにあるのか、本当は知っているみたいだった」
先輩の言葉に、藤野さんは再び笑った。PFはタフな役回りが求められるポジションなのだ。
「下手な揺さぶりなら無駄だよ。私はそれくらいのことで、自分がやったなんて認めるつもりはないから」
「――でしょうね」
先輩は舞台役者というよりは、科学者が講義でもするみたいに言う。
「だからこれから、すべて説明していくわ。どうして、あなたが犯人なのかを」
藤野さんは何も言わず、もちろんあたしも口を挟まなかった。教室のエアコンだけが、忠実な老執事みたいに静かに仕事を続けている。
「問題は、方法だった」
と、先輩は言った。
「美沢さんの話によれば、携帯にはロックがかかっていて、ミュート状態にはできない。でも現場では、電話はかかっても音は鳴らなかった。前提条件を考えれば、携帯は現場にはなかった、と結論するのが正しい。つまり、その場にいた全員にアリバイが成立する」
ここまでは、今までも散々議論してきたことだった。
「でも状況的に考えれば、四人のうちの誰かが携帯を拾った可能性は高い。深夜、山奥の廃トンネルで、たまたま誰かがいて、たまたまその誰かが携帯を拾った、という可能性に比べれば。なら、こう考えるのが正しい――前提条件のどれかが間違っているんだ、と」
「でも、どうやったんですか? 携帯の操作はできなかったはずですよ」
あたしは律儀に挙手をして発言した。何となく、そういう雰囲気だったので。
「……これはあくまで、推測ということでしかないのだけど」
と先輩は前置きして言った。
「美沢さんの話によれば、それはお兄さんが組んだマクロによるものだということだった。そしてそのマクロは、別の目的のついでにつけられたものだ、と」
「ところで、マクロって何ですか?」
またまた挙手して、あたしは訊いた。
「正確に説明するのは難しいけど、要するにソフトウェアを直接プログラミングするのではなく、ソフトウェアそのものを操作するプログラム、というところね。簡単な動作や挙動は、これによって制御できる。あるいは、制御することそのものをマクロと呼んでいる」
「――なるほど」
わからん。
「とにかく、これを使えば携帯の細かな管理ができるようになる。ある条件を満たした場合に、特定の動作を行うようにしたり、ね。……では、美沢さんが本来の目的に組んでもらったマクロは、どんなものだったのか? 彼女は、音楽をよく聞くという話だったわ」
そういえば、そんなことを言っていたはずだった。先輩がわざわざ、確認していたっけ。
「携帯で音楽を聞くときは、イヤホンを使うことが多いでしょうね。その時、音楽を集中して聞きたければ、再生を中断されないように着信音や通知音は一時的に停止しておきたいところね」
「――なるほど」
これは、わかる。
「イヤホンが有線か無線かはわからないにしろ、接続時に音量の設定を変えることは可能よ。わたしも実際に試してみたけど、それはちゃんと機能した。ロック中の状態でも、イヤホンを接続さえすれば音は鳴らなくなった。もっとも、美沢さんのとはマクロを組むアプリまでいっしょかどうかはわからないけれど」
「つまり、イヤホンさえあれば、ロックがかかっててもミュート状態にするのは可能だった、ってことですか?」
「あくまで推測でしかないけど、そういうことね。そして美沢さんと仲のよい藤野さんなら、そのことを知っていた可能性は十分に高い」
これで万事解決、と言いたいところだけど、あたしはふとした疑問を抱いた。
「……でも、肝試しに行くのに、わざわざ音楽用のイヤホンなんて持っていきますかね?」
あたしがそう言うと、先輩は雷に打たれるほどじゃないにしろ、弱めの静電気が走ったくらいには意外そうな顔をした。
「ええ、その通りよ。わたしもそこは疑問だった」
あたしの脳みそもまんざらじゃないらしい、とあたしは自画自賛した。もっとも、そこから先のことなんて何もわからなかったけど。
「集まったうち、四人は手ぶらだった(美沢さんは、ロウソクやライターを入れた小さなポーチを持っていたにしろ)。携帯以外には、持ってきたものはない」
「それは、そうですよね」
「でも、藤野さんの携帯を見たときにわかったわ」
「えっと――」
その時のことを、あたしは思い出してみた。藤野さんに話を聞いたとき、最後に見せてもらった携帯のことだ。どっちかというと男の子っぽい、尖った感じのデザインだったけど。
「調べて確認もしてみたけれど、藤野さんの携帯についていたギミック――回転盤みたいなものは、イヤホンのコードを巻きとるためのものなのよ」
言われてみると、そうかもしれない。
「……えと、でも、イヤホンなんてついてなかったですよね?」
もしもそうだったら、覚えているはずだ。
「それは、彼女が直前に外してしまったからよ」
なるほど、と言いたいところだけどそうはいかない。
「外すならイヤホンだけじゃなくて、カバーごとでよかったんじゃ……」
「それは、外せなかったから、でしょうね」
先輩はそう言って、さらに説明を加える。
「スマホカバーは、本体に密着するように出来ている――まあ、当然なのだけど。でも場合によっては、固くくっつきすぎて外しにくくなってしまうことがある。あの日、藤野さんは当日の朝にわたしたちのことを知らされた。美沢さんとは、朝練で顔をあわせるから。話をするよう頼まれて、でもわたしたちとの面会を断わるのは難しいでしょうし、かといって放っておくわけにもいかない」
そんなことをしたら、逆に犯人だと疑われてしまうから――
「彼女は急いで、面会時間までにイヤホンを何とかする必要があった。それは念のためにではあるのだけど、イヤホン自体は物証としては有力でもある。少なくとも、犯人だと推定することは可能になってしまう。そこで、彼女はカバーを外してしまおうとした。証拠さえなければ、何とでもなるのだから。でも前述のような理由で、それができなかった。だから彼女は次善策として、イヤホンだけを外すことにした。まあ、苦肉の策というべきかしら。そうすれば気づかれないだろうし、イヤホンを持っていたことの証明にもならない」
確かに、あのスマホカバーだけを見てイヤホンのことを考えるのは難しかった。実例がここに一人いるのだから、間違いない。
「何にせよ、これで話の筋は通るわね。イヤホンを使えば、着信音は消すことができた。あの時イヤホンを持っていたのは、おそらく藤野さん以外にはいない――」
言われて、でも藤野さんは肩をすくめてみせる。
「全部憶測でしょ、それ?」
たぶんそれは虚勢だったけど、空元気も元気のうち、と誰かが言ってたっけ。
「そうね、そのことに関しては確かに」
対して先輩は、自分のペースを変えたりはしない。ゴールまでの距離と時間を完全に把握してる、マラソンランナーみたいに。
「でもこれから見せるものをみれば、そうも言っていられなくなるでしょうね」
先輩はそう言ってから、スクリーンを降ろしたり、機器を操作したりして、準備をはじめた。もちろん、最初からそのつもりでこの教室を選んだのだろう。決して、広々した空間でひんやりした空気を味わうためなんかじゃなく。
「映像が見やすいように、電気は消しておくわ」
言葉通りにスイッチが切られると、室内はカレーかシチューくらいのとろんとした暗闇に覆われる。カーテンの隙間から少し光が漏れているので、一寸先程度なら十分見ることができた。
先輩は何か(たぶん、備えつけのパソコン)を操作して、プロジェクターを作動させる。前面のスクリーンに光があたって、映像がうつしだされた。室内も、その分だけ少し明るくなる。
「これは、宇佐見さんが撮影していた動画よ」
と、先輩はまず告げる。実際、あたしも見たことのある映像が、そこには流れていた。
「これなら、みんなも見たよ」
藤野さんは退屈した王子様みたいに言った。
「誰も、何も気づかなかったって言ってる」
それは、あたしも含めて。
「普通なら、そうでしょうね」
先輩は特に異論も唱えずに言った。動画の音声は小さく抑えられているので、喫茶店のBGMくらいにも邪魔にならない。
「でもある点に注意してみれば、気づくはずよ――ところで、さっきのイヤホンのことで、もう一つ指摘しておくことがあるわ」
イヤホンを接続すると着信音が鳴らなくなる、というやつだ。
「携帯の仕様上、着信音をゼロにすると、代わりにバイブレーションが作動するようになっている。これは、マクロでは変更不可能よ。つまり、いくら着信音をなくせたからといって、完全な無音になるわけじゃない。携帯の振動音は残ってしまう」
「…………」
「山奥のトンネルで、みんなが耳を澄ませて携帯の音を探っている状態だった。着信音ほどじゃないにせよ、バイブレーションだってそれなりの音を出すわ。だから藤野さんは、それを何とかする必要があった。できるだけ、振動を抑える必要が」
「でも、どうやってですか?」
あたしはまた、律儀に挙手をして訊ねた。親しき仲にも礼儀はある。
「――それについては、この動画の中に答えがあるわ」
と先輩は言って、スクリーンのほうに顔を向けた。
「……?」
とはいえ、それはどう見てもあたしが念入りに確認したのと同じ映像だった。つけ加えられたところも、差しひかれたところもない。あたり前だけれど。
「この映像を、よく覚えておいて」
先輩は再生位置をある時点まで移動させた。それはちょうど、藤野さんがトンネルに向かうところで、全身が映っている。シャツにジーンズ、スニーカーという、けっこうラフな格好だった。
「それから、次にこの映像を――」
今度は、藤野さんがトンネルから戻ってくるところだった。怖がるでも、顔を青くするでもなく、平気そうな顔をしている。今と、同じくらい。
「さて、わかったかしら」
と、先輩は言う。
「――?」
あたしはきょとんとした。映っているのはどっちも藤野さんで、何の違いもない。実は幽霊に取り憑かれて、中身だけ変わっている、というのでもないかぎりは。
「もう一度、よく見て」
先輩は画面を一時停止して、さっきと同じことを繰り返した。藤野さんがトンネルに入る前と、入ったあと――Before/After。
当然だけど、この中でまだわかっていないのはあたしだけのはずだった。早抜けクイズで最後まで残されたみたいな、ちょっとみじめな気分である。とはいえ、わからないものはわからないのだから仕方がない。
「……一体、何が違うっていうんですか?」
あたしはできるだけよく見えるように白旗を上げた。
「彼女の足元に注意して――」
同じ操作をしながら、先輩は言った。
「ほら、靴下を履いてないでしょ」
言われて、確かにあたしも気がついた。トンネルに行く前に履いていた靴下が、戻ってくるときにはなくなっている。そこにだけ注意してみると、ジーンズの裾からは素足がのぞいているのがわかった。
「振動を抑えるのに都合がいいのは、何か柔らかいもので包むことよ」
と、先輩は解説した。
「藤野さんはトンネルの中で、美沢さんの携帯が落ちているのを見つけた。イヤホンのことを知っていた彼女は、自分の持っているそれで着信音が消せることに気づく。あと問題なのは、バイブレーションの振動音ね。そこまで大きくないとはいえ、放っておくのは危険だった。そこで、音を抑えることを考える。タオルとか、何か柔らかいもので包んでしまうことを。でもこの場合、そんな適当なものはどこにもない。まわりにあるのは、石ころやごみだけ。でもそこで、ふと気づく。靴下なら、誰にも気づかれないかもしれない。何かの映画じゃないにしろ、人は普段、相手の足元になんて注意しないものだから――」
「…………」
「そして実際に、それは成功した。二枚の靴下に包まれた携帯は、誰にも気づかれることはなかった。もちろん、彼女がいつのまにか靴下を脱いでしまっていたことも。あとは、美沢さんが位置情報を調べる前に、携帯の電源を切ってしまえばいい。これで無事にアリバイは成立して、犯人だと疑われることもなく、携帯は行方不明のままになる」
藤野さんは黙っていた。一寸よりずっと先にあるその横顔は、はっきりとはうかがうことができないでいる。
「もちろん、全部はわたしの憶測でしかない」
と、先輩は言った。お医者さんが、手術の結果を家族に告げるときみたいに。
「でも、この映像にうつっていることは事実よ。今、わたしが話した以上に説得力のある理由を、あなたは説明できるかしら」
それから先輩は、夜の暗闇に小石を投げ込んだくらいの静かな声で言う。
「――藤野さん、あなたが美沢さんの携帯を盗んだ犯人ね?」
すると、藤野さんはこくりとうなずいた。
スイッチが入れられると、教室に明かりが戻ってきた。蛍光灯の光はまだその場に馴じめないみたいな、ちょっとよそよそしい感じがしている。
そんな中で、藤野さんは言った。
「――それで、どうするつもりなの? 私をともかのところに突きだす?」
彼女は、手負いの獣に似た荒々しさだった。
「……わたしが知りたいのは、動機よ」
先輩はいつものごとく、鳴かない鳥みたいに静々している。
「美沢さんは、まだ何も知らないでしょうね。マクロのことも、イヤホンのことも、本人には確認をとっていないから。でもあなたの動機次第では、本人に教えるかもしれないし、教えないかもしれない」
それから、藤野さんは黙っていた。彼女が何を考えているかなんて、もちろんあたしにはわからなかった。でもそこには、音のない雷鳴や、形のない暴風雨が起こっていることくらいはわかる。
長いながい時間のあとで、藤野さんは言った。
「――小学校時代、私はクラスに馴じめなかった」
藤野さんの声に悲壮感や昂揚感はなくて、ただただ静かである。
「それは、あることをきっかけにしてたんだ――私が女の子を好きだって言ったことで」
……ふむ?
戸惑うあたしと違って、先輩の対応はすばやくて自然だった。
「つまり、同性愛者ということね」
「まあ、そういうこと」
藤野さんは笑ってみせる。いくらか傷の入った笑顔ではあったけど。
「当時は、私も何とも思ってなかった。だって、こんなにはっきり誰かを好きなのに、それがおかしいはずはない、って」
「…………」
「でも段々、それが普通じゃないんだってわかるようになってきた。まあ、わからされたと言ったほうがいいんだけど。結局、小学校ではもうほとんど孤立してて、友達も味方もどこにもいなかった」
幽霊なんかより、人間のほうが怖い――
「中学にあがっても、それは似たようなものだった。私は誰かと仲よくしたり、人を信じたりなんてできなかった。本当のことって何なのか、わからなくなってた」
そこで、ふと気づいたみたいに先輩は言う。
「……美沢さんと出会ったのは、その頃のことね?」
藤野さんはうなずく。少しだけ、嬉しそうに。
「ともかは私の作った壁を、あっさり越えてきた。私自身、そんな壁のことなんて忘れてしまうくらいに。いっしょにバスケをやろう、って言うんだ。私たち、きっといいチームになるからって――」
「美沢さんは、あなたのことを親友だと思っている。でも、あなたは……」
先輩の問いに、藤野さんは即答した。
「うん、好きだよ」
言って、藤野さんはその言葉の重さと強さを確認するみたいな顔をする。
「そのことを、ともかは知らない。もしもともかに言ったとして、それでどうなるかはわからない。拒絶されるかもしれないし、ただ容認されるだけかもしれないし、あるいは――」
藤野さんはでも、自分の言葉を打ち消すみたいに首を振った。
「私には、わからない。今の関係を壊すのは怖いし、今のままでいることも苦しい。ともかに近づけば近づくほど、遠くなっていく気がして」
藤野さんは泣いているみたいな、笑っているみたいな、とても複雑な表情をした。雨降りとお天気が、いっしょに起きたみたいな。
「……でも、どうして美沢さんの携帯を?」
と、先輩は訊いた。
「魔が差した、のかな。ともかの近くにいられないなら、せめて別の方法で近くにいたかった」
「代償行為、というところかしら?」
「まあ、そんな感じなのかな」
そう言って、藤野さんは笑う。前よりちょっと、小降りになったみたいだ。
「何か、よすがが欲しかったんだ。ともかに対する気持ちを処理するための。自分の心をまとめておくための。だって、そうじゃなきゃあんまりでしょ。私はこんなにも確かに、彼女のことが好きなのに――?」
藤野さんにはいったん帰ってもらって、その場所には先輩とあたしだけが残っていた。教室からは一人いなくなっただけなのに、世界の目方はずいぶん減ってしまったように感じられる。
「ちょっと、意外な展開でしたね」
と、あたしは言ってみた。手持ち無沙汰の子供が、小石を蹴るみたいに。
「……そうね。でも彼女にとっては、敬虔な信者が神の証を求めるようなことだったのかもしれない」
「神の証、ですか?」
何だか荘厳な話だった。
「人はどうしたって、何かを強く求めずにはいられないときがある」
でも、先輩は真剣だった。
「誰かをとても愛していて、でもそれを伝えることも、認めることもできないとしたら。自分の行為が、それを壊してしまうとしたら。そうしたら、その人は一体どうしたらいい? すべてを諦めて、なかったことにしてしまう? 何もかもに蓋をして、すべてを忘れてしまう? まるで、この世界が夢でしかなかったみたいに」
あたしはある日目覚めてみたら、すべてが夢だったところを想像してみた。家も学校も友達も、先輩も――何もかもワープロのデリートキーを押したみたいに消えてしまう。
それはかなり、というか、ものすごく悲しいことだった。
「だとしたら、せめてその秘密を抱え込んでしまいたい。光を両手で包んで、少しも漏らさないようにするみたいに。そのためには、好きな人のせめて一部だけでも、自分のものにしておきたい――」
先輩はそう言って、口を閉ざした。砂時計の砂が、全部落ちてしまったみたいに。
「これから、どうしますか?」
と、あたしは訊いてみた。どうしていいのかも、どうしたいのかも、まるでわからなかったけど。
「そうね、美沢さんに本当のことを告げて携帯を返すかどうかは……ある意味、わたしたち次第ということになる」
「ふむ」
とあたしは腕組みをした。
「何だか、あたしたち神様みたいですね」
その何気ない言葉がどう巡りめぐったのかはわからないけど、先輩は急に黙り込んでしまった。冷たい金属ほどじゃないにせよ、きれいなガラスくらいには。
やがて、先輩は言った。
「……世界なんて結局のところは、気の利かない神様のお節介みたいなものなのかもしれないわね」
「え?」
どちらかというと独り言に近いその言葉を、あたしはちゃんと聞きとれたかどうか自信がなかった。でも先輩は埃を一吹きするみたいに、そんなことはもう忘れてしまったみたいである。
「さて、それじゃあ行きましょうか」
と先輩は言った。
「……行くって、どこにですか?」
あたしはきょとんとしてしまった。でも先輩はバラの木にはバラの花が咲く、くらいのわかりきったことみたいに言う。
「新しい証拠を探しに、よ」




