3(容疑者その一・藤野葵)
夏の朝は早起きで、HR前のこの時間でも、昼の暑さと騒がしさの気配がすぐそこにあった。まだうだるほどの温度じゃないけれど、しっかりと火にはかけられている。
――先輩とあたしは、特別棟の一階のところいた。
あれから、ともかちゃんに頼んで一人ずつに話を聞くことを伝えてもらっている。それで、これからそのうちの一人に会う予定なわけだった。同じバスケ部ということで、その人には朝練の時に直接、話を伝えることにしたみたいである。
階段の近くには、自動販売機も置かれた小さな休憩コーナーがあった。壁にベンチがくっついていて、五、六人くらいなら集まって話をすることもできる。フランスのおしゃれなカフェテラスなんて望むべくもないけど、まあまあ便利な場所ではあった。
この時間、南の教室棟はそれなりに賑やかだったけど、こっちのほうは特にそんなことはない。放棄された鳥の巣みたいに人気がなくて、静かだった。もちろん、だからここを待ちあわせ場所に選んだのだけど。
そうしてしばらくすると、向こうから人影が現れている。約束の時間には、ちょうどくらい。短距離選手みたいにまっすぐこっちに向かってくるところを見ると、その人が四人のうちの最初の一人で間違いなさそうだった。ともかちゃんに見せてもらった写真とも一致する。
「――あんたらが、ともかの携帯を探してるって?」
開口一番、その人は言った。
女子にしてはということだけど、大きめの身長。だぶん、あたしより十センチは高い。ボーイッシュな癖のかかった短い髪で、顔には少し雀斑のあとがあった。ぽってりした唇で、晴天というよりは曇天に近い表情をしている。野生の猫みたいな、どことなく人間を警戒している雰囲気があった。
バスケ部でのポジションは、PF。激しいぶつかりあいを制したり、ゴール下で競りあったり、確実な得点能力が求められる、ハードな職業だった。でも芯がつまった感じのその人の体格を見るかぎりでは、なかなか頼りがいのありそうなPFではある。
「ええ、そうよ――あなたが、藤野葵さんね?」
先輩は藤野さんに向かって、礼儀正しく問い返した。
「…………」
藤野さんは言われて、黙ってうなずいている。どうやら、彼女にとって言語活動というのは、あまり重要な役割は持っていないみたいだった。
「わたしたちは、志坂律子と千瀬凛です。美沢さんから話は聞いていると思うけど、彼女の携帯を探すのを手伝っているわ」
「ああ、それで私の話を聞きたいっていうんでしょ」
「その通りよ」
藤野さんはどっかりとベンチのところに座った。ロッテンマイヤーさんなら眉をひそめるかもしれないけど、なかなかの威勢のよさである。
「――いいよ、何を聞きたい?」
と、藤野さんはわりと面倒くさそうに言った。
先輩とあたしは、L字になったベンチの長いほうに座る。主な質問は先輩がするので、あたしは遠いところに陣どった。
とりあえず何を聞けばいいかな、とあたしが考えていると、先輩は即座に言った。
「……単刀直入に訊くけれど、美沢さんの携帯がどこにあるか知らないかしら?」
確かに、単刀直入だった。まどろっこしい駆け引きもないし、取り引きもしない。
それに対して、藤野さんは即答した。
「知らないね」
まあ、それはそうかもしれない。どっちにしろ、知ってるなんて答えるはずはないのだし。
先輩がその答えをどう解釈したかは不明だったけど、質問は続けられた。
「藤野さんは、美沢さんと同じバスケ部だったわね」
「そうだよ」
「中学時代も、バスケを?」
「ああ――」
「ということは、美沢さんとはかなり親しいのかしら?」
最後の質問に対しては、藤野さんはすぐには答えなかった。たくさんの星の中から、正しい星座の組みあわせを選ぶときみたいに。
「ともかは、一番の友達だね」
言葉の強さを聞くかぎり、嘘じゃなさそうだった。
「――じゃあ、当日のことを少し聞かせてもらおうかしら」
先輩はそう言って、別の質問に移っていった。
肝試しとその経過については、特にめぼしい情報は得られなかった。ともかちゃんが話したのと大体同じ内容で、違いがあったとしてもそれは、マゼランペンギンとフンボルトペンギンくらいのものでしかない。
「二番目にトンネルに入ったのは、藤野さんだったわね」
と、先輩はその点を確認した。
「どう、怖くなかったかしら?」
「そりゃ、まあまあやばい雰囲気だったけど、そこまでじゃないよ」
「幽霊は信じないほう?」
古代から連綿と続く難問の一つに、藤野さんは少し考えてから答えた。
「……どっちとも言えないね。ただ」
「ただ?」
「幽霊なんかより人間のほうが怖いのは、確かだよ」
これもまた、古代から連綿と続く難問の一つかもしれなかった。
とりあえず一通りの質問をしたあとで、先輩は藤野さんに言った。
「悪いけど、あなたの携帯を見せてもらってもいいかしら?」
これは、ともかちゃんにもお願いしたことである。
「…………」
藤野さんは一瞬、ためらうようなそぶりを見せた。猫が物音に足をとめるくらいの、そんな。まあ、携帯なんてそう人に見せるものじゃないのだから、無理もないかもしれない。
ごそごそとポケットをさぐって、藤野さんはそれを取りだした。ちょっと警戒しながらも、先輩のほうに渡す。
その携帯にはソリッド感のある、格好いい系のカバーがつけられていた。回転盤みたいなのがくっついていて、音楽でいうとメタル系のデザインをしている。名は体を表す、というところだろうか。
携帯マニアじゃないので、機種についてはよくわからなかった。先輩がわかっているのかどうかもわからない。案外、わかっているのかもしれない。
「これは、肝試しの日に持っていたのと同じもの?」
と言いながら、先輩はそれを藤野さんに返した。
「そうだけど――」
藤野さんは人魚姫が魔女から怪しげな薬をもらうみたいにして、それを受けとった。
「だから、どうかした?」
「今のところは、特にないわね」
と、先輩はどこか含みのある言いかたをしている。
「とりあえず、今日はこれで十分だと思うわ。わざわざ時間を割いてくれて、ありがとう」
そう言って先輩が話を切りあげようとすると、でも藤野さんは動こうとしなかった。魔女に自分の声を捧げるほどかどうかはわからないけど、何となく覚悟のある表情をしている。
「――ともかの携帯、見つける自信はあるわけ?」
と藤野さんは訊いた。
「自信はないけど、努力はしてみるつもりよ」
先輩は特に挑戦的でも、特に悲観的でもない声で答えている。
「もしも――」
と、藤野さんは少し躊躇するようにしてから言った。シュートモーションに入ってから、一瞬だけ間があくみたいに。
「もしも、ともかの携帯が見つかったら、どうするつもり?」
「本人に返すのが筋、でしょうね」
当然だけど、先輩はそう答えた。それから、こうつけ加える。
「でも、ほかにもっとよい方法があるなら、そうするつもりよ。わたしたちには結局のところ、すべてを解決することなんてできはしないのだから」
HRがはじまるまではまだ少し時間があって、先輩とあたしは二人で休憩コーナーに残っていた。
「――ずばり、彼女が犯人ですね」
と、あたしは意気揚々と宣言した。
「どうして、そう思うのかしら?」
先輩は冷静沈着に訊き返している。
「……何となく、言ってみただけです」
あたしが正直にそう言うと、先輩は驚きもしなければ、呆れもしなかった。これはいい傾向なのだろうか、それとも悪い傾向なのだろうか。
「あなたから見て、藤野さんの印象はどうだった?」
と、先輩はあたしの意見を求めてきた。たぶん、珍しく。
「んー、PFとしては頼もしそうでしたね」
「……バスケじゃなくて、人として、よ」
まあ、それはそうだ。
「ちょっと陰のある感じでしたけど、根はまじめというか、努力家タイプっぽかったですね。階段は一段ずつのぼっていく、というか。それに、何だか堂々としてましたし」
「そうね――」
先輩はちょっとうつむいて考えた。あたしの意見がどの程度参考になったかは不明である。
それから、先輩は言った。
「――彼女は、美沢さんのことを恨んだりするかしら?」
「ともかちゃんを?」
あたしは思わず、首を傾げてしまった。さっきの話を聞くかぎり、藤野さんにとってともかちゃんは親友だし、ともかちゃんは間違っても人の恨みを買うようなタイプじゃない。
「それはないと思いますけど……」
と、あたしは北極の太陽くらい控えめに意見した。
「まあ、そうでしょうね」
先輩はやけにあっさり同意した。どうやら、「ただ聞いてみただけ」というやつだったみたいである。
何にしろ、これで四人いる容疑者のうち、一人の話は聞いたわけだった。
「先輩は、もう何か目星みたいなものはついてるんですか?」
あたしは師匠にお伺いを立てる不肖の弟子っぽく、訊いてみた。
「ある程度は、ね」
「……教えてくれませんか?」
でも先輩は、厳しい師弟の掟に従って甘やかしたりはしない。
「まだ状況証拠のようなものだし、決定的とは言えないわ。それに、ほかの人の話も聞いてみないと、わからないこともあるでしょうしね」
やっぱり、とりあえずは全員の話を聞いてみるしかなさそうだった。




