2(依頼人の話)
意外なことに、先輩は乗り気みたいだった。頭にハチマキをしたり、袖を腕まくりするほどじゃないにしろ、それは確かだ。
何がそんなに先輩を刺激したのかは、正直あたしにはよくわからなかった。燕雀には、鴻鵠の志なんて計りしれないのである。
ともかく、さっそく翌日には本人を部室に招いて、話を聞くことになった。本当は部活の日でも何でもないのだけど、これは部活じゃないのだから問題はない――何だか、禅問答みたいな話だ。
あたしはクラスメートのその子を連れて、放課後に部室までやって来た。先輩はもうそこにいて、奥のイスに座っている。
先輩の向かいにクラスメートの子を座らせて、あたしは助手っぽくお茶の用意をした。お茶はペットボトルだけど、湯呑みはわざわざ調理実習室から拝借してきたものだ。何事にも雰囲気は大事である。
今日も昨日と同じように、部室の窓は全開で、扇風機の効果は限定的で、季節は夏だった。部屋の中では先輩だけが、いつも通りの涼しい顔をしている。きっと心頭を滅却しているのだ。
「まずは、名前をうかがわせてもらおうかしら」
と、先輩は言った。もちろんそれくらいは伝えてあったけど、まずは依頼人(といっていいはずだ)が答えやすい質問をしてやったほうがいい。
「――――」
その子はちょっとだけ、緊張しているみたいでもあった。宇宙人に攫われたほどじゃないにせよ、しばらくは慎重にあたりの様子をうかがっている。
それでも、やがてその子は言った。
「――美沢ともかです」
何度も言っているけど、彼女はあたしのクラスメートだ。同じ1‐Cの女子生徒。
ちょっとゆるめでふわふわ系の髪を、首のところで短く二つにくくっている。すっきりしたプロポーションで、背丈はあたしと同じくらい。表情には裏表がなくて、天然素材的に健康な雰囲気をしている。
わりとギャルっぽい見ためをしているけど、実際には現役ばりばりのバスケ部だった。ポジションは、PG。
何を隠そう、あたしも元バスケ部で、ともかちゃんとはそれがきっかけで仲よくなったのだった。
「すみません、こんなこと頼んじゃって」
と、ともかちゃんはまず一礼した。ギャルっぽいし、あたしと同じ直感で動くタイプだけど、礼儀はきちんとわきまえているのだ。
「けど、ほかに相談できる人もいなくって。そしたら、うちの先輩は神様みたいにすごく頼りになるって、凛が言うんです。話を聞いてみたら、確かにそうだなって思って」
ともかちゃんの言葉に、先輩はちらりとあたしのほうをうかがった。弓の達人なみに精度のいい視線だったので、わざわざ口に出さなくても何を言いたいかはよくわかる。
ちなみに、凛というのはあたしのことだ。念のために。
「――少し誤解しているみたいね」
と、先輩はまず訂正した。
「わたしはそんなにすごい人間じゃないわ。その辺にいる人間と、別に変わらない。少なくとも、神様ほど頼りにならないのは確かね」
「…………」
「でも――」
先輩は鳥の羽なら軽く揺れるくらいの、そんなため息をついた。
「とりあえず、話だけでも聞かせてもらえるかしら。もしかしたら、それで何かわかることがあるかもしれないから」
言われて、ともかちゃんはほっと一安心したような顔をする。脇に座ってそれを見ていたあたしも、ほっとした顔をする。
「大体のところは聞いているけど、まずは一通りの話を聞かせてもらおうかしら――」
先輩がそう言うと、ともかちゃんはうなずいて、事の経緯を説明しはじめた。夏休みの終わり、肝試しの企画、中学時代の四人の友達、山奥のトンネル、一人ずつ順番に行って戻ってきたこと、帰り際に携帯を落としたことに気づく、どこにも見つからない。
それはあたしが先輩に話したのとほとんど同じだったけど、もちろん追加すべきことはあった。
「けっこう肌寒くて、それで余計に怖さが増した、ってことはありますね」
と、ともかちゃんは急な階段でものぼるみたいに、考え考えしながら言った。
「トンネルでロウソクを用意しているときに、正直私も怖くって。わりと焦ってたっていうか、もう急いですませちゃおう、みたいのはありました」
「その時に、携帯を落とした可能性が高い?」
「今から思うと、そうかもなって」
当然だけど、ともかちゃんの記憶ははっきりしなかった。人間は熊に襲われたときに、白い貝殻のイヤリングを落としたかどうか気にしたりはしない。
「あなたが最初で、それから残りの四人がそれぞれトンネルに入っていった――それでいいのよね?」
念のためという感じで先輩が確認すると、ともかちゃんはちょっと考えてから言った。
「そうなんだけど、一個だけ違うところがあります」
「違うところ?」
「四人のうち、男子二人はいっしょに行ったんで」
「…………」
もちろん、幽霊に強い女子もいれば、幽霊に弱い男子もいるはずだった。
「――携帯をなくしたのに気づいたのは、帰るときね?」
わりと重要なことなので、先輩はもう一度そのことを確認した。最善の結果を得るためには、労を惜しんではならない。
「そうです」
「いつ頃までは持ってたか、はっきり覚えている?」
訊かれて、ともかちゃんは真剣な顔をした。畑に出来た大きなカブを、みんなでがんばって引っこ抜こうとするみたいに。
「トンネルに到着したときは持ってたはずなんだけど……あんまり、はっきりしなくて」
「持っていた可能性は高い?」
「とは、思います」
「そう――」
先輩は、その質問に対する答えは保留にしたみたいだった。可能性は高いけど、絶対じゃない。つまり、低いけれど他所で落とした可能性もある、ということだ。
「その時、電話をかけて探したけど見つからなかった、ということだけど」
話を次に進めて、先輩は訊いた。
「携帯はみんな持ってきてたんで、一人にかけてもらいました。念のため、もう一人にも」
「付近のどこからも音は聞こえなかった?」
「ですね」
「ミュート状態だった、とういうことはないのかしら?」
「覚えてるかぎり、それはないですね」
「……これは仮に、ということで訊くのだけど、四人のうちの誰かが拾って、ミュート状態にしたということはないのかしら?」
「実のところ、それは無理なんです」
言われて、先輩は首を傾げた。
「携帯の音量調節は、例えロック中でもできるはずだけど?」
そういえば、確かそんな機能がついているはずだった。コンサートや大事な席なんかで、みんなの顰蹙を買わないようにするためのものだ。あたしは忘れちゃったけど、簡単なボタン操作でいつでも切り替えられるはずだった。
「それが、私の携帯はロックがかかってるときは――まあ、その時もかかってたんですけど――ボタン操作は受けつけないようになってるんです」
「操作を受けつけない?」
「うーん、私もよくわかんないんですけど、マクロっていうんですか? 何か携帯の動作を細かくいじれるみたいで」
ともかちゃんは餅屋じゃない人が餅について語るみたいにしてから、続けた。
「うち、大学生の兄貴がいるんです。で、その手のことに詳しくて、私の携帯もいろいろいじってもらったんですよ。本当は別のことだけでよかったんですけど、何か勝手にそういうふうにされちゃって。とりあえず、ロック画面だとミュートとかにはできないんです。本人は誤作動防止だって言うし、私も別に困らないからそのままにしてたんですけど――」
「つまり、携帯が鳴らないようにするのは不可能だった、ということね?」
「そのはずです」
「これは大事なことだから聞くのだけど」
と先輩はそれから、果物の皮でも剥くみたいにして言った。
「音は鳴らなくても電話そのものはかかった、ということでいいのかしら?」
念を押されたぶんだけ、ともかちゃんは考えた。へこんだクッションが、少し時間をかけて元に戻るみたいに。
「それは間違いないです、ちゃんとコールはしたんで」
「――そう」
先輩は、その質問に対する答えは確定したみたいだった。
「さっきも言ったように携帯自体にはロックもかけてるし、困ったこととかは起きてないんですけど」
ともかちゃんはマリアナ海溝ほどとは言わないにしろ、日本海溝くらいには深そうなため息をついた。
「高額請求とか、よくわかんない犯罪とか……一応、もう新しい携帯にも替えてるし。でも大切な写真とかデータとかは入ってるし、できれば見つけたいんです。音楽とかも、あっちの携帯に残ってるし」
「携帯の位置情報なんかはわからないのかしら?」
ともかちゃんは首を振った。あたり前だけど、それくらいのことはもう調べてるのだろう。
「その場所ではわからなかったんで、家に帰ってから調べました。でもその時にはもう電源が切られてたみたいで、さっぱり。念のために昼間にも探しにいったんですけど、やっぱり影も形も見あたらなくて」
「なるほど――」
うなずいてから、先輩は水道の蛇口を締めるくらいの時間のあとに訊いた。
「ところで、美沢さんは音楽をよく聞くのかしら?」
「……えっと、まあ聞くほうですかね。主にJ‐POPとか、そういうのですけど」
「ちょっと携帯を見せてもらってもいいかしら?」
ともかちゃんは言われるまま、自分の携帯を机の上に置いた。イラスト調の絵柄が入った、わりと女の子っぽいキュート系のカバーがつけられている。
先輩は手にとって一通り眺めてから、こう訊いた。
「これは、その時に持っていたのと同じもの?」
「保証サービスが受けられたんで、機種はいっしょですね」
「カバーも?」
「前のは月っぽいやつで、今は太陽っぽいやつですけど」
「なるほど――」
先輩はもう一度、うなずいてみせた。
何となく、質問が風船みたいに宙を漂っている感じだったけど、それが割れたり萎んだりして地面に落る前に、先輩は言っている。
「大体のところは、聞かせてもらったわね。見つかるかどうかはわからないけど、わたしたちのほうでも調べてみることにするわ」
「……本当にいいんですか?」
ともかちゃんは半分は喜んで、半分は驚くみたいな声で言った。あとほんの少しだけ、意外そうな気持ちも混じっている。
「ええ、でも期待はしないでね」
と、先輩はいつもと同じ落ち着いた口調で言った。
「さっきも言ったけど、わたしは神様というわけじゃないから」
――ともかちゃんが帰っていくと、あたしはさっそく訊いてみた。
「先輩、今ので何かわかりましたか?」
他力本願なあたしの質問に対して、先輩はすぐには返事をしなかった。何か、考えているらしい。神社でお賽銭をもらった神様も、これくらい真剣だといいのだけど。
窓の外からは蝉の声が、お母さんのかける掃除機みたいにずっと聞こえている。遠くの山の緑は、子供がべったり塗りつぶしたくらいの濃さだった。窓のそばに立っていると、余計に熱気が感じられる。
やがて、先輩は口を開いていた。
「まだ何とも言えないわね」
もちろん、神様にだって考える時間は必要だ。
「状況的には、やっぱり四人のうちの誰かが犯人なんでしょうか?」
と、あたしは訊いてみた。携帯は現場でなくなった。現場にいたのは持ち主も含めた五人。故に、状況的にはそのうちの四人が容疑者である、Q.E.D。
「そう考えるのが自然でしょうね」
と先輩は言った。でも、という含みを残して。
「でも状況的には、四人が犯人だということはありえない」
「……何でですか?」
「電話がコールされてるからよ」
先輩は労を惜しまずに説明した。
「もしも電源が落とされたりなんかすれば、そうはいかない。でも電話がかかっている以上、もしも現場に携帯があれば着信音が聞こえたはず。美沢さんの話によれば、ボタン操作でミュートにするのは不可能だということだから」
亀みたいに遅いあたしの思考力は、ようやくウサギに追いついたみたいだった。
「……つまり、状況的には現場にいた四人の誰かが携帯を持っていたはずはない、ってことですか」
「そういうことね」
先輩がうなずくと、あたしは考えてしまった。確かに、その通りだった。つまりは、四人全員にアリバイが成立していることになる。
「じゃあ、携帯はただともかちゃんが、どこかに落っことしただけってことですか?」
あたしがそう言うと、先輩はこれまた否定してしまった。
「それはどうかしらね。美沢さんが家に帰る頃には、携帯の電源は切られていた。電池が急になくなったのでなければ、誰かが切ったと考えるのが自然よ」
「……?」
その場の誰も携帯を拾っていないけれど、携帯の電源は誰かが切った。
まるで、どこかのいいかげんな商人が売っている矛と盾みたいな話だった。
「先輩は、これからどうするつもりなんですか?」
答えは出ないとしても、もう約束はしてしまっていた。ナポレオンじゃないので、約束は守る努力をしなくてはならない。
「そうね、とりあえず四人それぞれに話を聞いてみるしかないわね」
と、先輩はメモに書かれたリストを見ながら言った。さっきともかちゃんに書いてもらった、いっしょに肝試しに行ったメンバーの一覧だ。捜査の基本は、地道な聞き込みにこそある。
「――ところで、ともかちゃんに聞いた最後の質問て重要なんですか?」
あたしはふと、そのことを思い出して訊いてみた。
「場合によっては、ね」
リストとにらめっこをしながら、先輩は答える。その様子は何だかもう、ある程度対象の範囲を絞り込んでいるみたいでもあった。




