1(幽霊トンネル)
「先輩に事件の依頼が来てますよ」
と、あたしは言った。
夏休み明け、先輩とあたしはいつも通り部室にいた。学校はまだ始まったばかりで、時間は別のレールの上を走っているみたいにぎこちない。暑さもピークを過ぎたとはいえ、太陽はそれでも十分に元気だった。
教室にはエアコンがついているからまだいいとしても、部室までそうはいかない。窓を全開にしたところで、そう簡単に冷却効果なんて得られなかった。律儀に首を振る扇風機も、どこか投げやりである。人間には太陽よりも北風が必要なときだってあるのだ。
あたしの言葉に、先輩は読んでいた文庫本から顔を上げた。夏用の白いセーラー服からのぞく腕は、日に焼けた様子はない。
「……いつから、わたしは探偵になったのかしら?」
いつのまにか駅長にされていた猫みたいな感じで、先輩は言った。
「春のこと、クラスの友達に話したんです」
あたしは実に爽やかにしゃべった。低い音で唸る扇風機も、それをあと押ししてくれる。
「壁のこととか、暗号のこと。そしたら、先輩のことにすごく感心して。そんなに頭がいいなら、ぜひ頼みたいことがあるって――」
「それは、光栄ね」
地球の反対側で起きた出来事についてでも言及するみたいにして、先輩は言った。どうやら先輩の心は、その程度の評価で動かされるほど軽くはないらしい。
「……ミステリって、小説の重要なジャンルじゃないですか」
分が悪いことを機敏に察したあたしは、すばやく戦略を切り替えることにした。
「すごくいい経験になると思うんです。ほら、事実は小説より奇なり、って言いますし」
「確かに、エドガー・アラン・ポーは詩人で小説家で怪奇ミステリ作家でもあった」
先輩はそう言ってから、ため息をつく代わりみたいにして本を閉じた。
「でも――探偵だったわけじゃない。コナン・ドイルにしても、それが本業なんかじゃなかった」
反論の余地は、猫の額くらいにしかなさそうだった。あたしはまたまた戦略を転換して、今度は先輩の情に訴えることにする。
「その友達、すごく困ってるみたいなんです。二階から目薬をさしたり、馬の耳に念仏を唱えたり。もう藁でもいいからすがりたいらしくって」
「……いつから、わたしは藁になったのかしら?」
先輩は探偵も藁も好きじゃないらしかった。
「とにかく、話だけでも聞いてくれませんか。減るもんじゃないんですから」
「わたしの時間は無限じゃないし、わたしの気前も無限じゃないわ」
たび重なる先輩の拒絶に対して、あたしは最後の手段に打ってでた。
「そんな、あたしと先輩の仲じゃないですか」
「どんな仲なのか、心あたりがないのだけど」
先輩は闘技場のマタドールみたいに、いともあっさりとあたしの懇願をかわしてしまう。
万策尽きたあたしは、すっかりしょげ返ってしまった。塩をかけられた青菜がいれば、仲間だと思ってもらえるかもしれない。
そんなあたしを見て、先輩はとうとう諦めたみたいだった。巨匠が駆けだしの作曲家の作品でも聞くみたいにして、先輩は言った。
「……いいわ、話だけでも聞きましょう」
顔を交換したわけじゃないけど、あたしは途端に元気百倍だった。虚仮の一念は山をも動かすのである。
「実はですね、こんな話なんですけど――」
あたしはそう言って、話をはじめた。
※
事の起こりは、夏休みの終わり頃に遡る。
そのクラスメート(女子)は、夏の最後のイベントとして肝試しを行うことを思いついた。何といってもそれは、海水浴や花火大会と並んで、日本の夏を代表する伝統行事でもあるのだから。
さっそく、その子は友達を呼び集めた。肝試しに集められたのは、中学時代の友人たちである。みんな同じ高校に進んでいて、せっかくだから旧交を温めよう、というわけだった。消えかけたロウソクの火を、別の新しいロウソクに移すみたいに。
その子も含めて五人(女三人、男二人)は、市内にある山に向かった。深夜に、自転車を走らせて。なかなか無謀な気もするけど、青春てそんなものかもしれない。
肝試しの現場は、山奥にあるもう使われていないトンネルだった。山奥といっても、ヒマラヤの奥地にあるわけじゃないし、ちょっと長めのハイキングくらいの距離だ。道路もあるし、自転車ならそんなに時間がかかるわけでもない。五人とも、経済力には問題があっても、体力に問題があるわけじゃなかった。
補導もされず、事故にも遭わず、五人は目的地まで移動した。全員が携帯を持っていたので、迷う心配がなかったのは幸いかもしれない。
それなりの山奥だけあって、あたりは濃いめの水溶液みたいな暗闇に覆われていた。それでも空が晴れていて月明かりがあったので、意外と不便というほどのことはない。
五人は山道の途中で自転車をとめると、脇道へと入っていった。その部分だけガードレールが途切れていて、一応は道みたいなものがついている。管理か点検用に残されているのかもしれなかった。まだ人間のことを用心しているのか、草木もそれほど茂ってはいない。
某考古学者的な苦労もなく歩いていくと、道の先に古いレールが敷かれていた。もちろん、とっくに廃線になったもので、列車なんて走っていない。撤去する理由がなかったのか、費用がなかったのか、そのままの形で放置されていた。
レールにそって歩いていくと、少しカーブした先にトンネルが口を開けている。当然、これも廃トンネルで、肝試しの目的地はここだった。
夜の森でぽっかり口を開けたトンネルは、かなり不気味だった。何日か、何年分かの暗闇がそこにたまっているみたいで、禍々しくすらある。これだと、幽霊も怖がって近づかないかもしれない。
とにかく肝試しなので、一人ずつトンネルに入って引き返してくることになった。赤信号だってみんなで渡れば恐くないのだから、五人全員でトンネルに入ったって意味はない。
言いだしっぺの特権、あるいは責務によって、そのクラスメートの子が一番に行くことになった。無謀なイベントを企てるわりに細かいところは用意周到で、ロウソクを二本持ってきている。一本はトンネル内に立てて、もう一本はそこで火をつけて帰ってくるためのものだった。つまりは、ずる防止対策である。もしくは、恐怖体験強制システム。
その子が(かなりびびりながら)トンネルから無事戻ってくると、残りの四人もそれに続いた。さすが平安時代から続く伝統行事だけあって、テンションもあがるし、それなりに盛りあがりもしている。夏の思い出作りとしては、まあまあ成功だったかもしれない。
幸い、幽霊に呪われたり、熊や猪に襲われたりすることもなく、イベントは無事に終了した。参加者が一人減ったり、一人増えたりもしない。霧の中から怪物が現れたり、雪のホテルに閉じ込められたり、変てこな中年おばさんに小説を書かされたりといった種々の危険も生じたりしていない。
でも帰り際になって、その子はあることに気づいた。どんな心霊体験も絶叫マシンも目じゃないくらいの、それはリアルな恐怖だった。
持っていたはずの携帯が、どこにもないのだ。
ポケットも小さなポーチも全部ひっくり返してみたけれど、やっぱり見つからない。そもそも、諦めて誰かと踊りだすくらい見つかりにくいものじゃない。途中で地図を見ているから、持ってきたのは確実だった。
とすると、可能性は一つしかない。どこかで落っことしたのだ。
相手は携帯だから、探すための一番の手段は決まっている。電話をかけてやるのだ。さっそく、一人がその子の番号をコールした。
音はどこからも聞こえないし、カラフルな光が見えたりもしない。
五人はそのまま、付近の探索にかかった。とりあえず近くにはなさそうなので、トンネルに向かう。もう、肝試しどころじゃない。
電話のコールは続いていたけど、その子の携帯らしきものはどこにも見あたらなかった。砂利の敷かれた古びたレール、葉っぱや虫の死骸、時々同じような人間が来るのか、よくわからないごみなんかがあたりには散乱している。
でも、携帯らしきものは影も形もなかったし、トンネルの精が現れて、「あなたが落としたのはこの金の携帯ですか、それとも――」なんて訊いてきたりすることもなかった。トンネルはあくまでも無関心で、むしろちょっとだけ迷惑そうにも見える。
五人で十分くらい探してみたけれど、どこにも見つからないし、見つかる気配もなかった。年末に買った、宝くじの当選番号と同じくらいに。トンネルはまっすぐの一本道だし、探すところなんてたかが知れている。
結局、五人は携帯を探すのを諦めて、家に帰ることにした。ないものはないのだから、仕方ない。舟に刻んだ印で、川に落とした剣を見つけることなんてできはしないのだ。
以来、その子の携帯は行方不明のままなのだった。
※
「――というわけなんです」
と、あたしはその話を終わった。
「つまり、山に肝試しに行って、そこで携帯をなくしたってことね」
先輩は大根も茄子も人参も野菜でしょ、と十把一からげにするみたいに省略した。
まあ、その通りではあるのだけど。
部室には闇夜の月も、山の清涼もなくて、しっかり夏の暑さが続いている。扇風機は相変わらずやる気がなさそうで、とりあえず肝試し的な雰囲気はどこにもない。
先輩は話を聞いたうえでの一応の礼儀として、みたいな感じで訊いてきた。もちろん、礼儀は大事である。
「――何でまた、その子たちはそんなトンネルにまでわざわざ行ったわけ?」
確かに、別の場所だったら携帯なんて落とさずにすんだかもしれない。
「なんか、幽霊が出るとかいう噂があるらしいですよ」
あたしは噂話についての噂を口にした。心霊スポットのことなんて、金星の大気組成と同じくらい疎いのだから、仕方がない。
「ちなみに、どこの山なの?」
先輩はやっぱり、猫が小判を見るくらい興味がなさそうに言う。
「奥城山って知ってますか? 市の外れとも中心ともいえないところにある山ですけど」
あたしはGPSほど精度のよくない地図を思い浮かべながら言った。確か、そのはずだ。
「…………」
すると先輩は、何故だかちょっと黙っている。電話番号は入力したけど、発信するかどうか考えているみたいな、そんな沈黙だった。
「先輩?」
ごく軽めのノックをするくらいに言うと、先輩はこう答えていた。
「その話、少し詳しく聞いてみようかしら」




