平民聖女は愛されたい
『ライザ。君との婚約を解消させてくれ』
婚約者だったグレイ・ホーキンス伯爵にそう言われたのは、もう一週間前。
グレイ様の隣には、既にうら若き乙女の姿があった。聞けば、子爵家のご令嬢だそうだ。
平民の私には到底持ちえない、高価なドレスと装飾品を身につけていたことだけ覚えている。
実家に帰った私は、自室に籠城し、行き場のない怒りを叫ぶ。
「何が年増な平民聖女よ!! グレイ様の馬鹿! 結局、若い女がいいんじゃないの!」
私の名前はライザ・クリスティ。
役所に勤める両親を持つ、ただの平民である。
そしてアムフルト帝国内にいくつもある教会のうちの一つに所属している聖女だった。
聖女といえば何かしらの肩書きになりそうではあるが、残念ながらこの国ではただの職の一つだ。
「こちとら、就職してから月に一度の休みで働き続けたの! 若さなんて気にしてる余裕もないのよ! だいたい、あんたも四十超えのジジイじゃない! 三回離婚してる伯爵の癖に!
あー、ムカつく! 私だってあんたと結婚する気なんて更々無かったわよ!」
怒りのままベッドに向かって枕を投げつけ、鼻を鳴らしながら椅子に座る。
アムフルト帝国は、魔物の三大発生地と呼ばれるセモア大森林に面している。そのため、この国で聖女の存在は必須だった。
昼夜問わず湧き出る魔物から国を守るため、結界や浄化の仕事が絶えない。
激務、激務、激務。
「そして安月給!!」
聖女の給料は、市民階級がそのまま反映される。仕事量の負担は身分の低い聖女ほど多い。
時には、下水管のある地下道に赴き、臭さと戦いながら浄化。
時には、埃だらけの廃墟の結界張り。国境の防護結界が綻びたと連絡があれば、夜中でも叩き起されて現地に向かう。
そんな平民聖女の涙ぐましい努力が日の目を見ることはない。
なにせ、新聞に載るのは帝国騎士団に仕える爵位持ち聖女ばかり。
戦場での華々しい活躍や神託での儀式など、誰が見ても"凄い仕事"は、彼女達のモノだ。
「貴重な聖女なら、爵位に関係なく丁寧に扱いなさいよ! 何なのよ、この国は!」
休む暇もない多忙な日々の中、気づけば私は二十三歳。
グレイ様と出会ったのは、一年前だ。私の将来を案じてくれた神父の紹介で知り合った。
ただし、グレイ様からは条件を貰った。
『結婚したら聖女の仕事をやめること。伯爵領は今いる聖女で充分だから、家庭に尽くして慎ましく生きてほしい』
妻は家庭だけを守ればいい。
それを聞いて、元々興味がなかった結婚にさらに興味がなくなった。
私はなんだかんだ、聖女の仕事が好きだ。
激務だし安月給だが、私の力が国を守る一部になっているのは誇らしい。
もちろん、爵位持ち聖女が羨ましくないといえば嘘になる。本当は一度くらい、あの華々しい舞台で活躍してみたい。
けれど、たとえ新聞に載らなくても、市民から貰う「ありがとう」の一声が明日を頑張る原動力になる。
そんな思いがありながらも、私はグレイ様の婚約を受けた。
父が、倒れたのだ。
元々、心臓が弱い人だった。
私の行く末を案じ、孫の顔が見たかったと病室で語る姿を見て、決心した。
そんな決断も今や水の泡だ。
「私の婚約を聞いた途端、お父さんは一瞬で元気になって退院したし! 婚約は結局破棄されるし!」
この際、婚約破棄されたことはどうだっていい。むしろバンザイ。お父さんさえ元気になったのならそれで良し。
まあ、婚約破棄された女というレッテルを獲得してしまったが、先の人生結婚する気など毛頭ないのでそれも良し。
「……そんなことより」
私はテーブルの上の書類に目を向け、息を吐き出す。
「……仕事、なくなっちゃった……」
婚約に先立って、教会との年間労働契約を更新しなかった。
やはりもう一度、と雇い直して欲しいと願ったがグレイ様の圧力によりそれも叶わない。
婚約破棄した挙句にこれはあんまりだ、とどれだけ不服を訴えようとも、平民に為す術なし。
一応、失業聖女として登録はしたが、未だに雇用の話は降ってこない。婚約破棄された女の末路とは……なんと悲しいことか。
「……別にいいわよ。聖女は沢山いるし。なのに、仕事は多いし給料は上がらないし……教会のご飯、味薄いし。好き好んで汚水の匂いを嗅ぎに行っていたわけじゃないし……」
自分を納得させるための言い分を呟く。それでも、脳裏には苦しいながらも楽しかった日々が思い浮かんだ。
私は自分の手を広げ、見つめる。
結婚は諦めた。仕事は失った。
今日も街のどこかで、私の同僚が忙しく働いている。なのに私は、部屋で一人いじけているだけ。
早く働かなければいけない。
退院したとはいえ、本調子じゃない父の代わりに家計を支えなければ。
なのにどうして、私は椅子に座ったままなのだろう。
「……がむしゃらに走ってきた人生だったからなぁ……。立ち止まっちゃうと、何していいのか分かんないなぁ……」
全力で駆けてきた人生。再起動にかかる精神労力がこれほどとは知らなかった。
コンコンっと、部屋の扉が叩かれる。
「ライザ……」
部屋に入ってきたのは、父だった。
顔が真っ青で、口元はワナワナと震えている。
「お父さん! まだ身体が完全に戻ってないんだから寝てなきゃ!」
「お、お前宛てに……王家郵便が……」
父が持ってきた真っ白な便箋には、赤い薔薇の封蝋がされている。
王族の血を引く者だけが使う封蝋だ。
恐る恐る便箋を裏返す。
差出人は──
「ノヴァ公爵カルロス・ヴァレンタイン様……」
◾︎◾︎
どうも、こんにちは。ライザです。
今私は、元々住んでいた王都を離れ……国境付近の辺境にいます。
「ここが、ノヴァ公爵領地……」
見渡す限り、青々とした平原。群れをなす牛たち。空を自由に羽ばたく小鳥。
大通りを抜けてから、より一層の建物の数や人通りがなくなった気がする。
正真正銘、ド田舎である。
馬車に揺られながら、私はカルロス様から届いた手紙にもう一度目を通す。
「一年ほど雇われる準備をして、馬車を待て……かあ。何するのかも全然書かれていないや」
カルロス様といえば、その醜悪さが有名だ。あまりの醜さに、人が怖がり近づきたがらない。その上、闇夜の中でしか活動しないため、その姿はもう何年も誰も見ていないとか……。
「……夜にしか出てこないのに、姿が醜いって。よく考えれば変な話ね。誰が見たっていうのよ」
いよいよ外に建物ひとつ見えなくなってきた。といったところで、馬車が止まる。
「着きました」
御者の声に瞬きを繰り返す。
「え……着いたって……」
小窓から身を乗り出して確認する。
うん、やっぱり何もない。ただの平原だ。遠くにそびえる山脈がよく見える。
御者が平然とした顔で馬車を降りるので、つられて私も外に出る。
すると、御者は手に持っていたベルを鳴らした。
「カルロス・ヴァレンタイン様! 聖女様がお着きになられました!」
一瞬の出来事だった。
空気がたわんだかと思えば、あっという間に目の前の景色が変わっていく。
瞬きをする間に、目の前に大きな屋敷が現れた。
「隠れ身の魔法です。カルロス様はこうして普段、人目につかないようになさっています」
「凄い魔法……一体何人がかりでやっているんですか?」
「カルロス様一人です」
耳を疑った。
姿や物を隠す魔法自体は難しくないが、ここまで巨大となると話は別である。
建物や街を隠すのなら、優れた魔法使いが十人いても足りないはずだ。
そうこうしている間に門が開き、屋敷の玄関がゆっくりと開く。
外に控えたメイド達が頭を下げていることから、カルロス様本人が来たようだ。
緊張してきた。
私は公爵様と話せるほど教養が深いわけではないし、高価なドレスも持っていない。
姿は醜いと聞くが、性格はどんな性格なんだろう。
酷く手厳しい人だったらどうしよう。不敬だと首を刎ねられてしまうかもしれない。
手紙には雇いたいと書かれていたけれど、給料はちゃんと出るのかな……。
「いつまで下を向いてモジモジしているんだ」
頭の中でグルグルと考え事をしていたら、真上から声が降ってきた。
少し低めの圧を感じる声だ。
バッと顔を上げる。
私があまりにも勢いよく顔を上げたせいか、相対する彼も少し驚いた顔で目を開いていた。
「あの……」
「ノヴァ公爵カルロス・ヴァレンタインだ」
ふわりと柔らかそうな銀髪に、透き通るような蒼い瞳。整った平行眉は、凛々しさを感じる。
薄らと日に焼けた肌に、高く筋の通った鼻が良く似合う。
感情の見えない無表情ではあったが、噂に聞いた醜悪さなどどこにもなかった。
なんでこの人が醜悪な公爵と呼ばれているの?
「ライザ・クリスティ……です。よろしくお願いします……」
呆気に取られたまま挨拶をしてしまった。
カルロス様は「ふむ」と言って、私を上から下まで何度も見る。
やがて、背を向けて歩き出してしまった。
それを合図かのように、メイド達も動き出し、馬車に積み込んであった私の荷物を運び始める。
「あの! 待ってください!」
まだ何も聞いていない。
私は慌ててカルロス様の背中を追い、屋敷の中へと入る。
「カルロス様! 私は何をすれば……どこに住めば!」
「住む場所は、この屋敷だ。俺の部屋にさえ来なければ、好きに出歩いてくれて構わない」
一度では理解ができず、足が止まる。
そんな私に合わせたのか、カルロス様も立ち止まった。しかし、振り返ってはくれない。
「一度しか言わない。理解せずとも聞き取れ」
「はい!」
「先月、俺の婚約者を聖女から選ぶことになった。それに伴って、神託の儀を開いた」
「……はあ」
カルロス様は一度言葉を詰まらせる。
そして、大きなため息と共に続きを述べ始めた。
「公爵領で神託をやったのは、約百年ぶりだ。つまり……」
「つまり?」
「手順を間違えたのだ」
絶叫しそうになって、必死に堪える。
両手で口を押えたが、漏れる息が空気をピィピィと鳴らした。
「本来とは逆の手順で神託を執り行った。その結果、俺の婚約者として相応しいとお告げがあったのは……二十歳以上の女子で、爵位がなく、無職であること……だ。
国中の聖女リストを見て、丁度よくお前が失業リストに上がっていた。そして丁度よく平民だった」
目眩がしそうだ。
間違った神託で呼び出しを食らったと?
だけど私も聖女の端くれ。
私を呼び出すしかないというのは、ギリギリ理解ができた。
神託のやり方が正しかろうと間違っていようと、出た結果を無視してはいけない。
神託をやります。そう決めた時点で、神との契約を結んだようなものだ。不義理を働けば祟りがある。
それと、必ずしも誤った結果を神から渡されているとは限らない。
歴史的に見ても、正誤率は半々。……とはいえ、そもそも"神託のやり方を間違えた"なんて記録も片手で数えられる程度なのだが。
「次の再神託の準備が整うまで、一年はかかる。その間、お前は俺の仮の婚約者として振る舞ってほしい」
「わ、たしが……公爵様の婚約者を……」
「給金は出そう。月500ダリン。表向きは一年後に婚約解消となる。その際、女子として傷がつくだろう。慰謝料として10000ダリンを払おう」
500ダリン!!
また絶叫しそうになって、口を抑える。
ピィピィと指の隙間から漏れた息が音を鳴らす。
私の普段の給金の20倍以上のお金が毎月入ってくるし、一年後には10000ダリンも貰える!
これ、一生働かなくていいやつじゃん!
父の治療費を払えるどころか、もっといい病院に連れて行ける。家族全員分の家計も賄える。仕送りしたって有り余るお金だ。
どうせ地元に戻っても仕事はない。
結婚する気もないから、今更一つ歳を取ろうが構わない。
「独り身として放り出すのも申し訳ない。良き縁談を代わりに持ってきてやると誓……」
「やります!!」
「……は?」
「本当の婚約者が見つかるまで、私が代理を努めます! 大丈夫です、一度婚約破棄されるも二度されるも一緒ですから!」
食い気味の私にカルロス様は引いているようだが、どうでもいい。
かくして私は、カルロス様の婚約者代理を務めることとなった。
◾︎◾︎
あれから二ヶ月。
全然、することがない。暇である。
ヴァレンタイン家に住んでいるとはいえ、カルロス様とは食事の時しか顔を合わせない。会話も長くは続かなかった。
婚約者代理とはいえ、人前に出る機会もない。
あまりに暇なので、貰った給金で講師を呼び、令嬢としてのマナー講座なんかを受けてみたりした。
ダンスや会話レッスン、乗馬に外国語。加えてテーブルマナーに社交マナー。
これはいい暇つぶしだったが、二ヶ月もやればもう覚えることはない。
講師を玄関先まで見送ったあと、天井に向かって叫ぶ。
「暇だあ!」
「暇か。俺の仕事に着いてくるか?」
「あひい!! 嘘です、とっても有意義な毎日でございますわ! おほほほ!!」
私の背後には、いつの間にやらカルロス様の姿が。もちろん、叫びは見事に聞かれていた。
「……って、俺の仕事?」
振り返れば、いつも通り無表情のカルロス様が立っている。
「外回りに行かれるんですか?」
「ああ。だがお前がすることは何もない。馬にでも乗りながら、景色を楽しめ」
「護衛は付けていかないんですか?」
「ついてくる方が危険だし邪魔だ」
相変わらず、カルロス様は詳しく説明する気がないようだ。
言われた通りに、馬小屋から愛馬を引っ張ってきて屋敷の外に出る。
カルロス様の後ろを着いていけば、向かう先は国境付近のようだった。
「カルロス様! それより先はセモア大森林ですよ! 魔物が出ますよ!」
「だから行っているんだろう」
ノヴァ公爵領に来て初めて知ったが、公爵領は辺境にある。
不可侵領域であるセモア大森林に直で面しているのだ。
カルロス様は安易に森の中に一歩入る。
私が着いていこうか迷っていると、カルロス様が体ごと振り返った。
「おいで」
「……怖いです。私、この国より外に出たことありません」
「たった一歩だ」
「……でも」
ふぅっとカルロス様はため息をつく。
呆れられたと首をすくめると、カルロス様が私に向かって手を伸ばしてきた。
「安心しろ。なにかあれば、俺が必ず守る」
真剣な表情でそう伝えられ、思わず心臓が跳ねた。
そのままカルロス様は、馬の手網を引く。馬ごと、私の体はセモア大森林の中へと一歩入った。
「何も変わらないだろう」
「……はい」
「接し方さえ間違えなければ、目の前にあるものは、自分が思う以上に怖くはない」
カルロス様が私の背後を指さす。
つられて目を向ければ、視界に映った光景に息を飲む。
「これは……」
私たちは確かに、街の中を抜けてきた。
確かにノヴァ公爵領は田舎だし、広さの割に人口密度も低めだ。
それでも、確かに人が住んでいる。
それがどうだ。
セモア大森林側から見た公爵領には、何一つ映っていなかった。
初めてヴァレンタイン家を訪れた時と同じ光景。ただの平原。
その平原が、領地規模で広がっている。
建物も人も、何一つ存在しない。
「これは一体……」
「俺の魔法で街ごと隠しているんだ」
「カルロス様一人でですか! 屋敷だけじゃなかったんですか!?」
「あれは二重ロックのようなものだ。本来のノヴァ公爵領の姿はこれだ」
公爵領がどれくらい規模があると思っている。
間違っても、一人の魔法で隠せる規模じゃない。
にわかには信じ難いが、目の前にある答えが全てだ。
「俺は昔から魔法は得意でな。今日は点検だ」
「得意なんかじゃ収まらないですよ!! 王族じゃないとこんな魔法使い生まれてこな……」
「俺も王族の端くれだが?」
「……そうでした」
カルロス様はゆったりと国境沿いを歩き始める。右手は公爵領の平原、左手はセモア大森林。なんとも建物が見えないと、不思議な光景だ。
カルロス様は歩きながら、いつもより少しだけ饒舌にお喋りをしてくれた。
「ライザ。お前は、なぜ魔物が国を襲ってくるか知っているか?」
「知らないです」
「そこに人がいるからだ」
「……ほう」
「人の気配、魂を察知して魔物は襲ってくる。ノヴァ公爵領は、アムフルト帝国にとって重要な緩衝地帯なんだ」
魔物の習性上、王都を目指すのは仕方がない。
アムフルト帝国がセモア大森林に面しているのも仕方がない。
ならば、最悪の事態が起きた時に迎撃の体制を整えるだけの時間確保が必要だ。
そこで、ヴァレンタイン公爵家は思いついた。
魔物が人の魂を察知して襲うのならば、人を全て隠してしまえばいい、と。
「結果、セモア大森林と王都の間に広大な空白地帯を作ることができた。そのお陰でアムフルト帝国は魔物に対抗できている」
「ノヴァ公爵領が襲われることはないんですか?」
「ない。隠している以上、魔物は気づかず素通りだ」
魔物の住む森と隣合わせでありながら、絶対安全。ノヴァ公爵領全体がほのぼのとしている理由が何となくわかった気がする。
「……まあ、俺の身になにかあっては守るものも守れない。だから屋敷には二重で魔法をかけているが。そのおかげで領民との交流はほとんどなくてな。いらん噂ばかり有名になっていく」
「醜悪な公爵様……と?」
「ああ。俺が醜くて人前に出られないと勘違いしているみたいだ。まあ、どうでもいいがそのおかげで嫁の当てがない」
なるほど、だから神託に頼ったのか。
色々と合点がいった。
だけど、気になることもまだある。
「……どうして聖女を?」
私の問いに、カルロス様は少し間を開ける。
そして、おもむろに近くを流れていた小川に向かった。
「見ろ」
小さな魚が泳ぐ、簡単に跨げるくらいの小川だ。カルロス様が指さしたのは、丁度国の境目付近だった。
「これは……」
私が目を凝らしてやっとわかる程度の穢れがある。
今すぐ人に影響を与える量ではないが、浄化するに越したことはない。
「……流石に全てを弾くことはできない。ときどきこうして、瘴気が領土内に入り込んでしまうんだ」
なるほど、と頷き返事をする。
「領民の安全のために、俺の仕事を隣で支えてくれるのは聖女がいいんだ」
「そうですか。では、微力ですがお力になりますね」
私は手をかざし、さっと浄化してしまう。
こんなもの、朝飯前だ。
カルロス様は目を見開いた。
「日常業務ですよ。ノヴァ公爵領にも聖女はいるでしょう?」
「いや……領地の九割以上は俺一人で守れるから、ほとんどの聖女は王都に仕事を探しに出ていってしまって……」
「じゃあ、私がやっちゃいますね」
「そんな簡単にやってくれるのか!」
何を言っているのだろう、と首を傾げる。
「だって、私はカルロス様の婚約者代理でしょう? カルロス様の望むことはなんだってしますよ」
500ダリンも毎月貰ってるし。
暇だし。
──かくして、公爵領を忙しく走り回る日々が始まった。
◾︎◾︎
穢れの発生頻度は少ないが、セモア大森林に近いからか、濃い。なので、日数がかかった。
カルロス様も私の浄化作業についてくる。領民に変に気を遣わせないようにと夜の外出を好んでいたカルロス様が昼に街中に現れるのだ。
領民は混乱も混乱。次第に、「醜悪な公爵様ではなかった」と広がり始める。
三ヶ月もすれば、私たちが行く先々に人々がごった返していた。
ついでに、私の評判も領土内に広がる。なにやら「千年に一度の聖女様」だとか。
いや、普通に仕事してるだけですけど。
そんなことはどうでもよくて。
私は今日も、カルロス様に怒られる。
「ライザ! 下水道には入るなと言ったはずだ!」
「だってここ綺麗にしなきゃ、何も変わりませんよ」
「服が汚れるだろう!」
「服の汚れなんか気にしてちゃ、民を守れませんよ」
先日は廃墟に一人で入っていくなと怒られたなぁ。
でも不思議だ。
こうしてカルロス様と仕事をしていると、いつの間にか距離が縮まっている気がする。
仕事は真剣に。いつだって本気で。
でも……毎日が楽しい。
下水道の片隅、一週間かけて取っていた穢れが浄化された。
「やった! カルロス様! 取れました!!」
臭い下水道の中。
笑顔で手を振る私を見て、カルロス様が初めて笑った。
「全くお前は……じゃじゃ馬娘だな」
声を上げて笑うカルロス様の笑顔は、まるで少年のようだった。
思わず見とれる。
かっこいいなぁ。
ずっと笑ってくれたらいいのに。私が頑張れば、もっと笑ってくれるかな?
私……この人の為に働いているんだなぁ。
不思議だ。
民のために働くのは誇らしい。
でも、カルロス様の為に働くのは──心が落ち着く。
いいなぁ。
カルロス様の元に嫁ぐ聖女は、仕事辞めなくていいんだもんね。
一緒に国を守る仕事ができるんだな。
私じゃない誰かと笑いながら……。
チクッと何故か心臓が痛んで、首を傾げた。
◾︎◾︎
王城で大規模な夜会が開かれる。参加せよ。
一週間前に届いた手紙に従い、私とカルロス様は王城に向かっていた。
ノヴァ公爵領に来て八ヶ月以上。なんだかんだ、領地を出て王都に向かうのは久々だ。
私は普段着ることのない高価なドレスに身を包んでいる。似合っているのか不安で何度もチェックを繰り返していれば、馬車の中で向かいに座るカルロス様がクスリと笑った。
「心配するな。似合っている」
「ですが……こんな高価なもの……」
「そんなに嫌なら、給料から差し引いといてやろう」
馬車の小窓に反射する自分の顔を見る。
緩めに巻いた長い金髪に茶色い瞳。心做しか、いつもより化粧が映えている気がした。
髪の色は、カルロス様と並ぶと対になっているみたいだ。
ささやかな嬉しいことを見つけて微笑んでいると、カルロス様の視線を感じた。
「どうしました?」
「……いや。お前は出会った時から変わらない明るさだな、と思って。普通王城に呼ばれたとなれば、不安で泣く女もいるだろうに」
「カルロス様に呼びつけられた時に、それらの感情は使い果たしましたから。やっと講習を受けた成果が出せる場が来たなって、楽しみにしてます!」
「お前はそれでいい。泣いてほしいとも思っていない」
カルロス様は口角をあげ、目を閉じてしまった。
寝ている姿も絵になるなぁ。
そして月がすっかり昇った頃、ようやく王城に到着した。
すでに夜会は始まっているようで、私たちも会場へと案内される。
入口に入ろうかという時、カルロス様に声をかけられた。
「ライザ。俺は先に王陛下に挨拶に行かなねばならない。一人で少し待っていられるか?」
「……ちょっとだけスイーツとか食べてもいいですか?」
「ああ、食いすぎるなよ」
私のワクワクが伝わったのか、カルロス様は呆れたように笑いながら私の頭を撫でる。そして、会場から離れていった。
早速私は、初めて訪れる夜会を堪能する。
会場に響き渡る音楽。優雅な空間。気品に溢れた人々。
すごい! これが夢にまで見た貴族っぽい生活!
平民聖女だったとは思えない!
いや、来年には平民聖女に戻っているけども。
私がパーティを一人満喫していると、誰かと背中がぶつかった。
「あ、すみませ……」
謝っていた口が止まる。
振り返った先にいたのは……グレイ様だった。どうやら、新たな婚約者である子爵令嬢様と会場に来られていたようだ。
懐かしいなぁ。
というか、こんな人いたなぁ。とすら思う。
私を見たグレイ様は一瞬驚いた顔をしていた。
「君は……本当にライザか?」
「はい? そうですけど……」
「いや……若くなったように見えただけだ」
グレイ様は……随分まあ老け込みましたね。元々若くはないのに。との言葉は必死に飲み込んだ。
私たちの会話に怒ったのは、子爵令嬢殿だ。
「ちょっとグレイ様! お酒が入りすぎましたこと!?」
子爵令嬢の怒りに、慌ててグレイ様は私を見て鼻で笑った。
「なぜ君がここへ来ているのかは知らないが、婚約破棄された身でありながらまた男探しとは……平民のくせに図々しい女だ!」
「平民が夜会にこれるわけがないでしょう。頭まで老けましたか? グレイ様」
婚約破棄されたときはあまりにも急すぎて何も言い返せなかった。
今度こそビシッと言い返せて、多少スッキリとする。
私が言った言葉の意味を理解したグレイ様は、顔を真っ赤にして指をさす。
「お、お前をこの場に連れてきた男など、たかが知れているな!!」
「……はい?」
「平民の女に不相応な高価なドレス! 化粧だって似合ってない! マナーも弁えずはしゃぎ回り、男の面を汚して回っている! そんな女を連れてくるなど、うつけ者だ!」
そういえば、カルロス様と共に過ごすようになって怒りという感情はすっかり忘れていた。
遅れて思い出す……沸き立つような怒り。
私の事なんてどうでもいい。カルロス様を馬鹿にしたのだけは許せない。
でも、マナー講習で習った。
こういうのは、騒げば騒ぐほど醜くなると。
耐えろ……耐える方がカルロス様のためだ。
「その男も今晩後悔するだろう。こんな女を連れてきた俺が馬鹿だったと。こんな女を選ばなきゃ良かったと。お前なんか二度と恥ずかしくて連れてこないさ!」
グレイ様の言葉が、妙に心に刺さった。
カルロス様は、私を望んで手元に置いているわけじゃない。
今日の夜会だって、契約上仕方の無い仕事だ。
グレイ様の言う通り、来年この場に私の姿はない。
……ああ、私勘違いしてたな。
何度だって、カルロス様と夜会に来られるような気がしていた。
これが……最初で最後なんだなぁ。
来年の今頃、カルロス様は別の女の人の手を引いていて。
別の女の人にドレスを着せていて。それでいて、似合っていると微笑むのだろう。
私の事なんかきっと忘れてて、本当に望んだ相手とダンスを踊るんだ。
私の顔を見たグレイ様は、ぎょっとした表情をした。
「は!? な、泣いているのか!」
「……え?」
言われて気づく。
私の目からは大粒の涙がこぼれていた。
「俺が悪いように映るだろ! 泣きやめ!!」
「もう、グレイ様。こんな女ほっといて踊りましょう」
私たちの騒ぎに気づいた周囲の目も段々集まってくる。
動かなきゃ。
これ以上目立ってはいけない。
なのに足が動かない。
ボロボロと溢れる涙で視界だけが滲んでいく。
カルロス様には本当に求めている人がいて。
それは私じゃなくて……。
私は結局、何者にもなれなくて……。
「おい、ライ……」
「俺の大切な婚約者を泣かせるのはやめてくれないか。この子にはいつだって笑っていてほしいんだ」
俯きかけた私の背中に手を当て、隣に立ったのは……カルロス様だった。
「君は……ホーキンス伯爵の長男か。ライザに謝ってくれ。俺への失礼はどうでもいいが、彼女への侮辱は許さない」
カルロス様に言い当てられたグレイ様は、ムッとした表情で言い返す。
「失礼だと? 伯爵に向かってその口の利き方はなんだ」
グレイ様とカルロス様では倍ほど年の差があるというのに、これではどっちが年上か分からない。
グレイ様の言葉に反応したのは、私でもカルロス様でもなく周囲の人だった。
「あの方はもしや……カルロス・ヴァレンタイン公爵様!?」
「まさか……しかしあの銀髪は王族特有の……!」
「おお! 公の場に姿を見せられるのは五年以上ぶりじゃないか!」
出で立ちを見るに、反応したのは侯爵の面々だろう。カルロス様の姿を知る、数少ない貴族たちだ。
周囲の声を聞いたグレイ様は、顔を真っ青にする。
「ひ、ひえ……も、もしかして……ライザの婚約者は……」
「今一度言う。理解はできずとも聞き取れ。君は俺の大切な婚約者であるライザを傷つけた。心からの謝罪をしてくれ」
「も、もうしわけありませんでした!!!!」
光の速さで頭を下げたグレイ様は、子爵令嬢を置き去りに会場を逃げるように去っていった。
残された私たちも、これ以上場を騒がしくしないようバルコニーへ出ることにした。
◾︎◾︎
夜風に当たりながら、私はカルロス様に頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「何がだ?」
「演技でもああやって守っていただけて、嬉しかったです」
カルロス様は少し黙ったあと、私に一歩歩み寄る。
「ライザ」
呼ばれて顔を上げる。
真剣な表情をしたカルロス様と目が合った。
「俺はさっきの言葉に一つも嘘は混じっていない。演技なんかじゃない」
「……え?」
「君を泣かせたくないということも。笑っていてほしいということも。君への侮辱は決して許さないということも。……君が、俺にとっての大切な婚約者だということも」
カルロス様は何を言っているのだろう?
私と貴方は契約だけの関係で、そこには愛も情もないはずで。
なのに……どうして、私は今こんなにも嬉しいのだろう。
自惚れだったとしても、いまこの等身大の気持ちを伝えたい。
「……私、グレイ様に何かを言われて泣いたんじゃないんです。近い将来……カルロス様が他の女性の手を取って微笑むんだなぁって。そう思ったら、悲しくて……」
「嫉妬してくれたのか。光栄だな」
「はい。だって、カルロス様と過ごす毎日は楽しくて……幸せで……私、いつの間にかカルロス様のことが……」
ライザ、と遮られる。
「一度しか言わない。理解はできずとも……」
「聞き取ります!」
クスッと笑われ、カルロス様が言葉を紡ぐ。
「今しがた、王陛下に報告に行ってきた。
……俺の正式な婚約者は、ライザ・クリスティに決めたと」
息を飲む。
私の顔なんか気にもせず、カルロス様は嬉しそうな表情だ。
「たとえ神託のやり方が間違っていたとしても、神からのお告げが嘘だったとしても……ライザと過ごした時間は嘘でも間違いでもない。
民を想い、精一杯の明るい笑顔で民に尽くせる美しい女性だ。
だから、俺は君を愛した。神託のやり直しはしない。ライザ……契約は破棄だ。俺の正式な婚約者になって欲しい」
こんなにも嬉しいことがあるだろうか。
カルロス様が大好きだ。
カルロス様と共に愛する民が誇りだ。
何より……カルロス様の隣にずっといたい。
「返事は?」
私はニコッと笑うカルロス様に、思いっきり抱きついた。
「はい!!」
◾︎◾︎
あれからどうやら、グレイ様の家は、ヴァレンタイン公爵家に楯突いた家として敬遠され、子爵令嬢の浪費が止まらず没落したようだ。
そんなことはどうだっていい。
「カルロス様ー! 今日の浄化に行きますよー!」
私は私の幸せを見つけた。
間違いから見つかった愛だけれど、そうじゃないと出会えてなかった。
嘘みたいな奇跡の話。
ちなみに……あれからこっそり、カルロス様には内緒で神託を行ってみたらしい。
祈願内容は、カルロス様と共にノヴァ公爵領を守る婚約者となる、聖女とは。
結果は──「カルロス・ヴァレンタインの最も近くにいて、彼が最も愛する美しい大聖女」だそうだ。
【大切なお知らせ】
このたび、ご好評につき連載版を開始しました。
ページ下部のリンクから飛べます。飛べなかった人のためにURLおいておきます。
https://ncode.syosetu.com/n3595hx/
短編版では泣く泣く端折った追加エピソードをふんだんに加筆し、物語の続きも描いていきます!(三話から話が異なります)
また一生懸命書いて面白い作品にしますので、ぜひ連載版をみていってください!
【大事なお願い】
いい話だった。ああ、もっと読みたかった!そんな風に思って貰えるよう、一生懸命書きました。
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名前:志波咲良
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