募る思い
それからというもの、ノートを通じた会話が僕の楽しみの一つとなっていった。
プライベートなことは一切書かずコーヒーの話がほとんどではあったが、この交流を途切れさせないために、さまざまな情報を書き込んでいった。
新しい種類のコーヒーが入荷すればいち早く手に入れるようにした。
"新しい豆を手に入れましたので、ぜひ飲んでみてください。重たいのが好きならお勧めです"
もちろん書くのは単なるコーヒーの発売情報だけではない。
そして"新しいコーヒーです、飲んでください"という案内だけではなく、味の感想と自分がすでに飲んでいるという事実を本文に入れることを忘れない。
"あなたのために購入しました"と書いて彼女に自分の気持ちを伝えたいが、それによって今の関係が崩れるのは怖い。
だから原則として、僕は彼女にプレゼントなどを渡すわけにはいかないと考えるようになっていた。
何かを渡してしまうと、コーヒーカップの時のようにお礼を用意され、かえって気を遣わせてしまう気がしていたからだ。
ノートでのやり取りは続いた。彼女はメッセージを書いておくと返事をくれるので、僕は必ず出かける前にノートにメッセージを残すことが習慣になっていた。
新しいお店や、おすすめの喫茶店の紹介など、コーヒーのことであれば何でも書きこんでいた。
"駅の裏道を入ったところに新しい喫茶店ができていました。きれいな店内で女性にも入りやすいと思います"
"今日は老舗のコーヒーショップに行きました。新しいブレンドが出ているので、お時間があったら行ってみてください"
時にはメッセージのネタを探すために休日を使うこともあった。
そうは言っても愛すべきコーヒーのために時間を使っているのだから全然苦痛を感じることはなかったけれども、この時の僕はノートを書くことに必死になってしまっていたかもしれない。
やがて、おすすめのお店は彼女からも紹介してもらえるようになった。僕は彼女からお勧めされたお店にはできるだけ足を運んで感想を書くようになっていた。
"お勧めされたお店に行ってきました。すごく洗練された素敵なお店でした"
いつしか彼女からも、同じように返事をもらえるようになった。
"おすすめしていただいたお店、コーヒーがおいしいだけではなく、すごく落ち着くお店でした。教えていただいてありがとうございます"
僕は彼女が自分と同じものを共有していることが心の底から嬉しかった。
僕も彼女も、ノートには一切の個人情報を書かなかった。
本当は何度も尋ねようと思ったのだが、この距離感を心地よく感じていたからだ。
おそらく彼女も連絡先を聞かれることもなく、ただ一人でコーヒータイムを楽しんでいる方が気兼ねしないだろうと思っていた。
それに僕は、この交換日記や文通でつながっている関係を壊したくなかったのだ。
そしてやり取りをしながら気がついた。
彼女は基本、平日の僕が部屋にいない時間を狙ってきているようだった。
仕事がなければずっと家にいられるのだが、現実はそうもいかない。
少し残念な気もしたが、何度もノートでやり取りを繰り返していくうちに、彼女が何曜日によく来ているのかだけはわかるようになった。
どうやら都合の悪い曜日もあるようで、そのような日は家に帰ってきてもノートに何も書かれていない。
時にはコーヒーの香りが強く残っていることもあるので、夕方から夜にコーヒーを飲んで、僕とすれ違いで帰っている日もあるのかもしれないが、残念ながら一度も顔を合わせることはなかった。
ノートを見ては一喜一憂を繰り返す日々は、しばらく続いた。
いつの間にか僕は彼女とのやり取りを心の支えにしていくようになっていた。
どんなに疲れて帰っても、部屋に入ったらまずノートを開く。そこに書かれている一言は、決して僕の帰りを待ちわびたものでも、ねぎらいの言葉でもないのだが、間違いなく僕に向けて書かれた言葉だった。
部屋に入った時のコーヒーの香りと、ノートに書かれている一言が、僕を温かく迎え入れてくれているような、どこか自分はひとりではないと思わせてくれるような気がしていた。
自分を受け入れてくれる人がいる、そんなささやかな幸せを感じる日々はいつしか愛おしいものに変わっていった。
そして僕は、別れた彼女にも注いだことのないものがそこにあることに気が付いていたが、その時はまだ、彼女が求めていたのはこういうものだったということに気がついてはいなかった。
ノートでのやり取りが始まってからというもの、僕の休日の過ごし方も大きく変化していた。
今までも新しい豆の案内は郵送やダイレクトメールで今までも届いていたが、気が向いたときにしかお店に行かなかった。
むしろ案内をもらっても時間がないと放置して、少し時間ができた時や豆を切らしたときなどにお店に行って新商品を知るようなことも多かった。
しかし、今はその案内すら待ち遠しくて仕方がなかった。
案内が来れば次の休日には足を運び、テイスティングした後、好みとは多少違っていても少量を購入するようになった。
もちろん彼女に飲んでもらうため、そして僕と同じものを飲んでその味を共有してもらうために。
そして、今まではふらっと散歩をしながら探していた喫茶店も、 行ったことのない場所でお店をゆっくり探している余裕はなかったので、インターネットの情報を駆使して立ち寄るようになっていた。
インターネットの情報を頼りに、今まで立ち寄ることを考えたこともない駅などに降り立つこともあった。
さすがに他人の情報を信用して行ったことのないお店のことをお勧めすることは、自分のプライドが許さなかったので、必ず一度はお店で実際にコーヒーを飲んできた。
インターネットの情報もあいまいな部分が多く、クチコミというのはあてにならないということがよくわかった。
写真なども見て行く店を決めていたが、行ってみるとイメージとは違っていたり、コーヒーではなく紅茶の専門店であったり、時には既に閉店しているお店やリニューアルして違うお店が開店しているようなこともあった。
逆に評価が低いお店でも、実はこだわりの強いお店であったり、すでに店員が入れ替わっていて対応が悪くないお店を見つけることもあった。
僕がこれらのサイトにクチコミを追加することはなかったが、あくまで参考程度に留めるべきだという意識は決して間違いではなかった。
ある時には豆を求めてお店をめぐり、またある時には喫茶店を求めて散策し、時間に余裕のある時には両方の予定を掛け持ちする。
そんな活動を繰り返しているうちに、知らない街にもたくさんのすばらしいお店がたくさんあることがわかった。
お気に入りのお店が増え、新しい街を散策する機会が多くなった。
また、僕の行動範囲は徐々に広がっていき、それもまた楽しみの一つとして捉えられるようになった。余裕はないが充実した理想の休日。
仕事が楽になったわけではないが、どうにか時間を作り出して好きなもののために調べ物をし、時には足を運んでそれを楽しむ。
社会人になってすっかり失われてしまった、自分の好きな物のために惜しみなく時間と労力を使うという感覚が、より僕の生活を明るいものにしていったのだった。