9 ー翔弥ー
30分ほど遅れて、会社の入っているビルのロビーに着いた。『この世界』での上司、笹島課長はロビーで待っていた。
翔弥はやや引きつった笑顔(?)を課長に向けた。
「あ、課長・・・。すみません。・・・実は、その・・・」
「いいんだ。わかってる。直行扱いにしてあるから、気にするな。」
笹島課長はそう言うと、にっと笑って右手の平を見せた。そこにはドラゴンのタトゥーがあった。
「そこの談話コーナーで話そう。事務所の中には敵のスパイがいるはずだから。」
笹島は、島田も誘ってロビーの隅の談話コーナーへと向かった。
「それにしても、今朝は危なかったな。——敵も焦ってるようだな。いきなりこんなやり方をしてくるなんて・・・。」
テーブルを挟んで座りながら、笹島は2人のうちどちらにというでもなく話しかけた。
「どうしてそれを?」
「島田くんからメールをもらった。私たちは互いに連携しながら動いてるんだよ。君の守護人も7人で1チームだ。その中で島田くんは、君とコンタクトする『顔』なんだよ。残り6人は敵の目をくらます意味もあって、基本、姿は現さないが、いつも君の周辺にいて君を守っている。」
島田が少し微笑んで、軽く頷いた。
「ここは彼らが結界を張ってるから、他の人間には意識されにくい状態になってるはずだ。君はまだ魔導士としての意識が覚醒していないようだから、説明しないと分からないだろう?」
「およその状況は、島田さんに聞きましたから・・・理解は、してるつもりです。」
翔弥はまだ少し困惑の隠しきれない表情で、それでも努めて冷静に話した。
「でも、今頭にある『この世界の記憶』でも、課長が魔導士だったなんて・・・。」
「そう。隠してたんだ。君が覚醒するまでは——と思って・・・。『この世界』の過去線でも——ということなんだけどね。ただ、状況がそうも言ってられなくなった。」
そう言って、笹島課長は翔弥の目をまっすぐ見た。
ただ、覚悟を決めたその目の中にもかすかに戸惑いの色が見えるのは、突然「改変」された過去のせいなのだろう。それも2度も——。
「しかし、二重にも三重にも記憶があるというのは、妙なものだな・・・。最初はめちゃくちゃパニクったぞ。老師からのテレパシーがなければ、何が現実かも分からなくなるところだった・・・。君はどうだったんだ?」
「僕には・・・」と翔弥はやや口ごもった。
「テレパシーとかは何もありません。ただ・・・・僕の場合は・・・」
翔弥は、彼が経験した『時の舎』での出来事を2人に話した。ただし、2度目の夢における若干のプライバシーは——相当量——隠したけれども・・・。
「やはり・・・。老師が言ったとおり、それが『儀式』なんだな・・・。君は、何かの儀式を通じて過去を変えている——と老師は言っていたが。」
「彼の紋章は、左の二の腕にあるそうです。私たちはたいてい、手の平か手の甲か、せいぜい手首にしかないけど・・・。紋章が心臓に近いほど魔導士としての位が高いというから、彼はやはり特別なんだと思います。——しかも、それ、ジャンプするたびに動いてるんでしょ?」
そう言って、島田は期待を込めた目で翔弥を見た。
「覚醒したら、それ背中に行くんじゃない?」
それを聞いて、笹島課長がちょっとバツの悪そうな顔をした。
「あー、口の利き方は許してくれよ——ください・・・。一応、一般社会的には上司と部下らしくしてないといけないもんですからね(笑)。 実際の魔導士としての位は、君の方がはるかに上なんだろうけど・・・。」
翔弥はここで、初めて、くすり、と笑う余裕ができた。
「気にしません。(笑) 僕はまだ、何の魔法も使えない一般人ですから・・・。」
「とにかく——、君が過去を変えてくれて・・・随分やり易くなった。ようやくこの形になった、というか・・・。以前は孫請けの社員だったもんなぁ。直接話をすることもできなかったもの。」
笹島課長は、三重の記憶という異様な状況に対しても、けっこう上手く順応しているようだった。
もちろんそれは、老師のサポートがあるから——とも言えるのだろうが。
彼らは初めから魔導士としての意識がある場合がほとんどで、生まれた時から『紋章』がその場所にあるのだという。(ただし、笹島課長だけは途中から現れたそうだ)
ジャンプは彼らの意思とは関係なく、ある日突然起こったらしい。
突然の二重記憶に混乱しているところに、コーウェル老師からテレパシーが届き、日本に『銀のドラゴン』に関わる重要な魔導士が誕生した——と知らされたのだという。
だとしたら、翔弥が彼らを巻き込んでいる、ということになるのだろうか?
老師によれば、今回一緒にジャンプしたのは15人ほどだったらしい。
「僕は・・・何のために『過去』を変えているんですか?」
少なくとも翔弥は、今朝まではそれは彼の『後悔』だと思っていた。あの店のマスターも、そう説明していたではないか。
「そんなの・・・。本人から聞かれたって、私たちにわかるわけない。」
と島田が屈託のない笑顔を見せた。
「老師も『儀式』の中身までは知らないようだったぞ。——とにかく、最初のジャンプの時に老師は霊感のようなもので『竜崎翔弥を護るべし』と知ったと言っていた。理由はわからないが、君は現在、最重要人物だ。」
そう言って笹島課長は、上司が部下を見る目とは違う目で翔弥を正面から見据えた。
「伝説の魔導士かどうかは別にしても、銀のドラゴンを呼び出すために重要な役割を果たすことに間違いはない。少なくとも、あのビオトープネットワークが巨大な魔法陣である以上、その実現のためのキーマンは君なんだから。」
ひと通りの情報交換が終わると、笹島は椅子から立ち上がった。
「とにかく君は今、最重要人物だ。何しろ島田くんをトップにした守護人チームが急きょ編成されたくらいだからね。——島田くんなんか、昨日までは総理のSPをやってたんだぜ。」
話が大きすぎて、翔弥はにわかには身に引き受け兼ねる思いでいる。
そんな翔弥の肩を、課長が温もりのある手でポンと叩いた。
「なに、覚悟なんざすぐ出来るさ。オレだって、そうだったんだ。」
翔弥は課長を見上げた。
「今はプレゼンに集中してくれ。——他のことは我々がやる! 本庁にも何人も仲間がいるんだ。魔導士同士の戦いは覚醒した者に任せて、君はビオトープネットワークを実現させることに全力を尽くしてくれ。」
島田も立ち上がった。
「それぞれの役割を全うしましょ。『この世界』での戦闘開始よ。」