6.領地へ帰ろう
王太子の執務室で二人きりになっても、アーペリは真剣な面持ちで直立不動の姿勢を崩さない。いつもと違う雰囲気に、王太子は何かあったのかと顔を上げた。
「オリヴェルはエリーサ嬢との結婚を辛いと思っているようです。幸い、まだ正式な婚約には至っておりません。私としては父が出した婚約の申し込みを撤回してやりたいのです」
アーペリからそう伝えられた王太子は微かに片方の眉を上げる。
「それがいいだろう。エリーサのわがままに付き合う辛さは私が一番理解している。国を救った英雄にこれ以上辛い役目を押し付けることはできない。ただ、アルヴォネン公爵を怒らせてしまうと過去の二の舞になってしまう。彼の怒りを鎮めるためにも、エリーサを我が妃に迎える覚悟をしておこう」
「それはなりません。そんなことをすれば憂いが増えるだけです。オリヴェルにエリーサ嬢を誘惑しろと命じたのは私です。その責任はこの命をもっても贖います」
王太子は慌てて首を横に振った。
「それは駄目だ。もう誰も犠牲にはしたくない。とにかく、アルヴォネン公爵に真実を話そう」
それからしばらくして、アルヴォネン公爵が王太子の執務室にやって来た。
「王太子殿下の先読みでは、我が娘が王妃となった場合には国が滅亡すると出た。それを回避するため、オリヴェル殿にエリーサを誘惑させた。しかし、オリヴェル殿には想う女性ができたので、婚約の申し込みを撤回したいとおっしゃるのか」
公爵の声は静かであった。しかし、声の震えが怒りを表している。
「オリヴェルに命じたのは私です。本当に申し訳ない」
アーペリは片膝をつき首を垂れて謝罪した。このように無防備に首をさらけ出す姿勢は、命さえ差し出す覚悟を表す。
「アーペリの策に同意した私も同罪だ。済まなかった」
王太子も立ち上がって詫びの言葉を口にする。
公爵は大きくため息をついた。
「心優しき我が娘が国を亡ぼすなどと絶対に信じられませんが、殿下の先読みの力は信頼しております。妻の命を救っていただきましたから。そして、こうして平和な世になったのは、フリクセル侯爵家の方々の活躍のおかげだ。ですので、今回は婚約の申し込みはなかったことにいたしましょう。だが、今後は殿下が先読みを行った場合、私にも知らせていただく。それが条件です」
「わかった。必ず伝えよう」
王太子はそう返事をしたものの、前の時とは随分と変わってしまっているので、もう有用な情報は出せないだろうと思っていた。
「エリーサ。フリクセル侯爵家からの婚約申し込みが撤回された」
帰宅したアルヴォネン公爵がエリーサにそう伝えると、彼女の大きな目から見る見るうちに涙が溢れて頬を伝っていく。
オリヴェルの態度の変化から、ある程度覚悟はしていたはずだった。父にも心配をかけたくない。それでもエリーサは涙を止めることができない。
「王太子殿下が先読みを行い、エリーサが王妃になると国が亡びると出たという。そのため、アーペリ殿がオリヴェル殿にお前を誘惑しろと命じた。最初からオリヴェル殿の言葉や態度は全て嘘だったのだ」
デビューしたての娘には残酷な話だが、下手に隠すより真実を伝える方がオリヴェルに想いを残さず、エリーサのためになると公爵は判断した。
「すべて嘘だったの……」
エリーサはオリヴェルが途中で心変わりしたのだと思っていた。最初に出会った頃は確かに好意を抱いてくれていたのだと信じていたのだ。あまりのことに、驚きすぎて涙も止まってしまう。
「あやつは最後まで騙し通すこともできないような愚かな男だ。しかし、この国にとって必要な男でもある。済まない。悔しいだろうが報復もしてやれない」
これほど娘を傷つけたからには、それ相応の報いを受けるべきだと公爵は思っている。そして、彼はそれを実行できる権力を持っている。しかし、宰相としては英雄を傷つけるわけにはいかなかった。オリヴェルを救国の英雄と持ち上げ、国威発揚のために利用したのは公爵であったのだから。
「報復なんて必要ありません。オリヴェル様との思い出はどれも素敵なことばかりで、わたくしはとても楽しくて幸せでした。だから後悔しておりません。でも、領地へ帰りたいです」
名前しか知らないマリアンネのことが羨ましくて妬ましい。エリーサはそんな想いを抱いてしまう自分のことが信じられず、王都から逃げ出したいと思っていた。
「わかった。私もしばらく休みをとるぞ。だから、一緒に帰ろう」
その翌日には公爵とエリーサは領地へと旅立った。
エリーサたちが王都を離れた二日後、オリヴェルは王都に戻ってきた。フリクセル侯爵の見立てた通り盗賊の討伐は短期間で終了し、予定より早く帰還できたのだ。
さっそく騎士団本部の騎士団長室へ行き、オリヴェルはその経緯を父親に報告した。任務は順調に遂行できたはずなのに、侯爵は眉間に皺を寄せている。
「王太子殿下の執務室へ行け。アーペリが話したいことがあるらしい」
「殿下のところですか?」
オリヴェルが王太子と会ったのは四か月前のこと。アーペリからエリーサを誘惑しろと告げられた時だった。今回もその話に違いない。
もう逃げることはできない。きちんと向き合うしかないとオリヴェルは覚悟を決めた。
オリヴェルが執務室に入っていくと、アーペリも王太子も満面の笑みを見せた。無事婚約の申し込みを取り消せたので、憂いがなくなったのだ。特に王太子はスティーナとの婚約を王に許されたため、すこぶる機嫌が良い。
「オリヴェル、盗賊の討伐ご苦労だった。褒美と言ってはなんだが、エリーサ嬢との婚約はなくなったからな。喜べ」
アーペリがそう言うと、オリヴェルは辛そうに歯を食いしばって首を垂れた。
「オリヴェル、どうした? これで好きな女に求婚できるんだぞ」
オリヴェルの打ちひしがれた様子に、アーペリは首を傾げている。
「わがままなエリーサ嬢と結婚するのが嫌だったのではないのか?」
王太子も不思議そうにしていた。




