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⑴『眩暈の芸術、其の近代的可能性』

⑴『眩暈の芸術、其の近代的可能性』



多くの先人がやってきた、評論の叙述形態に則って、序文を始めれば、自ずと筆の運ぶ処で、文体が形を表す。眩暈と言う言葉がある。


【眩暈】 目が回ったり、くらんだりすること。回転・昇降・傾斜などを感じるものは平衡感覚の異常により、立ちくらみのものは血行障害により起こる。げんうん。『大辞泉』から



此処で筆者が述べたいのは、紛れもなく、病気、としての眩暈ではなく、病理としての、眩暈である。眩暈を、そしてさらに、芸術の域まで、発展させたい。すると、所謂、芸術に触れた時に感じる、或る種の、陶酔やくらみ、というものが、眩暈と酷似して、近代にでも現れることを、我々は体感出来るのである。



遡れば、カネッティにも、眩暈と言う作品がある。此処で、とやかく、その眩暈の作品の内容を持ち出す気はない。しかし、現に、眩暈と言う作品があったという事実からも、人間が眩暈に翻弄されるという実感が、近代的可能性を含んで居るということが、明証されよう。

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