表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

妄想論

未知と既知の面白さ

作者: とびうお君

 物語が面白いことに漠然と面白いというのは特に問題はない。だがこれを集団で扱うのはかなりまずい。小さなグループならそれほど問題はない。互いに何か言葉の意味するところがが違うと思うだけだ。集団が大きくなると違ってくるのは、互いに面白いという意味に違いがある集団ができる。


 それは逆に集まった同質の集団は面白いが共通してるって事になる。違いがあることが当たり前じゃなくなってしまう。そのため思考の袋小路に迷い込む。面白いという言葉は全くここでバラバラではなくて、ある程度大雑把に同質になる人と異質になる人がグループで別れるようだ。


 集団内における同質性と、異なる集団の異質性を調べていくとこれがなろうの問題に直結することが分かってくる。


 異論は認めるが、漫画において最も大きくて多くの人が刺激を受ける部分は未知の展開の刺激だと私は見ている。ただしお金が関わるとこれが大きく異なってしまう。キャラクターへの愛着こそがお金を一番使わせる。分かりやすく言うとアイドルにお金を使うのと同じと思えばいい。


 物語がキャラクターの魅力を作るので、この2つを分離するのはとても難しいのだが、未知は永遠に未知だが、キャラクターはある一定の時間経過で未知より既知が魅力になってくる。漫画の長期化と物語の面白さが一致しなくなるのはこれがかなり大きい。世界観?空気感?これらを含めたキャラクター達の住む世界に一体感を覚えるようなものかと思う。


 多くの読者はもう未知の魅力的な展開を求めてない事になる。本当にそうだろうか?そこで集団が分かれる。漫画の長期化で不満たっぷりな一部の元ファンが現れる。この人たちの多くは展開に楽しみを持っていた人たちで、キャラクター刺激とは違うため分かれてしまう。ただこれは物語そのものの刺激で面白いが分かれる話じゃない。


 とりあえずとても大きな刺激と言うので対比させただけなので。


 本題に入ろう。未知の展開が最高点であるのは分かったが、それでもすべてではない、未知の刺激が残してきた歴史がある。未知の歴史は同時に新しい必然の展開を生み出してきた歴史でもある。漫画の面白さはびっくり箱に他ならない。だがそれだけだろうか?最も面白いびっくり箱は実は未知が面白いだけじゃない。


 アイフォンが何故ヒットしたのか?を語る話があるが、誰の話か忘れたが、タイムマシンで未来から売れてるアイフォンを現代に持ってきたんだという話が説得力がある。後でとてつもない需要があるのを知っているなら、そのヒットは流行や偶然では語れない。とても刺激的な物語の展開に初めて会う時が、漫画の最高点の展開の刺激だと私は見ている。


 ここで重要なことは、好きな展開を既知で見るより、未知で見た方が刺激は圧倒的に強い。ここでなろうで似たような展開が溢れるのにもう1つ要素が絡んでくる。未知と既知を比べた場合、その未知の中には面白くなかった展開も数多く含まれる。いやむしろそっちの方が多いのじゃないか?と思う。


 さらに言えば、既知の展開でも自分は好きだが、それは他の人にはそうでもないと集団が分かれてしまうケースもある。そうなるとつまらない未知の展開はもっと増える。極論を言えば未知の展開の大半はつまらないんだ。最高点で見た感激は、つまらない不快感で塗りつぶされてしまう。


 特に強く意識してじゃなくて、知らず知らずのうちに人は未知の展開を楽しむのを避けるようになってくる。


 鬼滅のヒットで不可解になってるのはおそらくオタクじゃないか?と思う。間違いなく面白いが大騒ぎするほどの高いレベルじゃないと皆思ってるからだ。家族愛だなんだとか独身が多少多い可能性のあるオタクを刺激する様な言葉でやり込められたりもするだろう。だが一番の原因は大多数の人間にとって未知の必然の展開と始めて出会う面白さに刺激を受けてるが、オタクにはそれが初めてじゃないからだろうと見てるからだ。


 大多数の人間が熱心に様々なアニメ漫画を見ていたら、既知の展開の面白さに溢れた作品どまりだったはずだ。評判だからと見てみた後追いだから、そういった既知の刺激が頭の中に出来てないから、最高点である未知の中の必然の展開の発明に出会えた点が大きいと見ている。


 アニメ漫画なんて誰でも見てるだろう。それはそうだ、だがその点においてはやや鬼滅はメジャーをうまく外してるんだ。この点においては全面的に水源さんに同意する部分がある。オタク的視点で見れば王道のずらし程度だが、一般的に見ればあれは確かにやや逆張りの部分になる部分がある。


 なろうは未知の展開の大半が自分にとってつまらないのを知ってる既知の事であるから未知の展開が最高点になってないと見ている。漫画はバグ然と漫画だが、メジャーなものとマイナーなもので分けると全く違うものだと思う。メジャーなものばかりしか読まないような人は漫画の大多数に触れてないのじゃないか?と思う。


 未知の展開を楽しめるのは、あまり漫画を読まない人だと思われる。漫画を漫画として本当に楽しめるのは逆説的だが、漫画慣れしてない人だと思う。


 じゃ未知の展開で必然の発明を待ち続けてるだけでは?それは違う。それはあくまで最高点で、次どうなる?ってびっくり箱の神髄は、読んだ後に何も残らなくていいのである。その場その場では刺激になっていたが、終わってみれば記憶に残ってなくて、面白かったって感情の記憶だけに実感があるという状態。


 分かりやすく言えばジョーズだろう。じゃジョーズは漫画的なのか?と言うとそうでもない、物語の中でポイントなる刺激の作り方で、比重の割合が違うとなる。実写映画と言うくくりならジョーズはむしろ純粋すぎると言える。漫画はそういった純粋な作品が多くなる。それが絶対じゃないのが、未知から発明された必然の好みの展開やキャラクターへの愛着などにある。


 そして文学などと何が対比されるか?がここになる。考える楽しみが少ないって点。先ほども書いたが記憶に残らないが面白かったという事は多分意識的に思考した面白さではない。未知と既知を無視するなら突き詰めるとそれはポルノ的な人間の脳の反射刺激をりようしたようなものになっていくとなる。もっと突き詰めると麻薬的なものになる。


 次どうなるで未知の展開を楽しむ、その次も次どうなると連鎖していく。その間に物語は終わってしまう。何故漫画が過去批判されてきたのか?ここにある。やがてこういった展開の蓄積の中で、未知が面白さの理由じゃないものが蓄積されていく。ここがなろうの面白さのキーになっていく。


 漫画がつまらなくなったのじゃない、外れ漫画が多いのを学習していく既知があるから。別の部分で既知と未知が発生して、既知から保守的な選択をしがちになるためある程度分かってる展開を求めるように変化していく。もう1つなろうにはあり、悲劇は未知の展開に最も相性がいい。何故か?男性の大半は悲劇は同情や共感で見るものだと思ってるが、それは違う、男性の悲劇の楽しみは衝撃展開にある。


 驚くような事件を見るような火事場の野次馬に真髄がある。驚きの無い悲劇に楽しみはぐっと落ちる。だからある程度前もって悲劇はやらないですよーって合図がなろうではなされてると思う。これも結局は未知と既知にある。驚きは未知にあるから。


追記:

 とても重要な事を書き忘れた。未知の大半が何故つまらないか?は2つある。1つはそのまんま、大半の展開は単純に詰まらないから。もう1つは、繰り返しに耐えうる展開が王道となっていく。王道の元の語源を考えると否定的に使われている。


 学問に王道なし、定型パターンのような必勝法はない、常に試行錯誤で苦労しろって意味になる。それらに対して王道あるよってのが王道の意味になる。繰り返しに耐えうる定型パターン必勝パターンである。


 ここまでなら当たり前すぎて書く必要がないだろう。これ実はあまり繰り返しに耐えられない回数制限があるものが大半なんだ。未知の展開が既知の展開になってしまうと面白さがすごく落ちる。ものすごく大事な事書き忘れたってのはこれ。5割ぐらいは面白かったとしても、いずれはそれは1、2割程度にそのままなら落ちてしまう。


 実際はそこまでひどいことになってない何故か?王道だけが模倣されて残っていくから。ここまで書くとなろうそのものになると思う。それ書かないと意味がなく無い?ないと思う…。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ