ポンニチ怪談 その6 裁きの時
原発事故裁判で忖度判決をしたと噂される裁判官オーニシ。後ろめたさはあれど、生まれてくる孫のために、そんなことは忘れようとしていたが、当の裁判の被告人だった電力会社の元会長がいきなりしがみついてきた。彼はもう一度自分を裁いてくれという…。その恐ろしい理由とは。
法廷を出て、オーニシは溜息をついた。
このところ、いつもそうだ。気の重い裁判が続いたせいかもしれない。
廊下がいつもより暗いせいかもしれない。電球が切れているのか昼間なのに薄暗い。いつもは電灯がついているし日の光が少しは入って明るいのに。外はどんよりと曇っているのだろうか、自分の気持ちみたいだとオーニシは思った。
「裁判官って嫌な仕事かもしれないな」
公平で公正な裁き、それが理想だが、そんなものは滅多にない。特に先月のアレは…。いや、もう止めよう、めでたい席でこんな顔をしたら、妻にも娘にも怒られる。
「初孫か。男でも女でもいい、無事産まれてくれれば、ルリも無事なら」
とつぶやくオーニシ。苦労して育てた娘だ、そのために多少無理も嫌なこともした。進学、就職、結婚も親の七光りのおかげとは甘やかしすぎだと親族から言われたが、何が悪いというのだ。オーニシが上司や周りに忖度し、出世するために我慢してきたのも家族のためだ、娘のためだ。娘も妻もオーニシの出世の恩恵をうけることに満足している。これで孫が無事に生まれてくれれば苦労もふっとぶ。
と、明るい気持ちになったところに邪魔が入った。
「せ、先生、お願いです、私を裁いてください!」
いきなり初老の男がオーニシにしがみついてきた。
「な、なんです!貴方は」
驚いたオーニシ。その男の顔には見覚えがあった。先月に判決を受けたばかりの被告の一人、大手電力会社トンデンの元会長だった。
久々に手掛けた、だが荷が重い裁判だった。例の原発事故の裁判で、国内外でも注目を集めた。地域住民に多大な被害を与えただけでなく、ひょっとしたら北半球に放射能汚染を引き起こしたかもしれないのだ。地震という自然災害が元になったとはいえ、原発という厳重な備えをすべき施設が破壊されたのだ。そういった災害を予見し、対策をすべき義務があったかどうか、これが焦点になると思われた。そして地震他自然災害大国といわれる我が国で、当然対策はされるものと皆思っていた、しかし、判決はそうではなかった。
原告無罪の判決を下したのは、オーニシだ。しかし、その判決が本当に正しいと思ってしたものかと言えば、そうとも言い切れなかった。
(私だって変だとは思っているんだ、予測できなかったはずはない、だが…)
政治的判断や忖度が働いたと言えなくはない。結局、決定的証拠もないから、仕方がないのだと自分に言い聞かせた。けれど、こんなことに証拠など出せるのだろうか、危ないモノを扱うのに厳重に注意が必要というのは誰にもわかることではないか、それを怠った人間がいるのだ。しかし、結局のところ個人の責任も会社の責任も問うことはなかった。
判決が出たときの原告の人々の驚き、怒り、落胆、そんなものがヒシヒシと感じられた。オーニシは胃が痛くなりそうだった。何かおかしいのではないかとも思った。それでも、オーニシは判決を覆すこともしなかったのだ。国策と言われた原発に、それに関する電力会社に不利な判決をすることで、自分の立場が不味くなるかもしれない、それを恐れた。実際、最高裁の人事には政権トップの意向が働いているという噂もある。家族のためにも逆らって失職などとんでもない。
(来月にも孫が生まれるし、自宅のローンもある、ここで左遷はごめんだ)
そう思って黙っていたし、忘れていたかったのだが、こんなところで思い出すはめになろうとは。もうすぐ孫が生まれるという、こんなときに。
オーニシはウンザリしながら、元会長をみた。オーニシの足にしがみつくようにして、すがるような顔をしている元会長は、この一か月で一気に年を取ったように見えた。法廷での不機嫌で威圧するような表情はどこへやら、今の様子はおびえ切った子犬のようだ。
一体何があったのだろう?
「どうしたんです、裁判のやり直しですか、控訴などの手続きでしたら、私に直接ではなく…」
「す、すぐにでも判決を下してほしいんです!な、何十年でも刑務所に入ったっていい!」
「そんな無茶苦茶な。裁判をやりなおしするとしても、きちんと手続きしないと」
「そ、それでは、間に合わないかもしれないんだあ!」
元会長は床に突っ伏しった。
「どうしたんです、何が」
オーニシが尋ねると、元会長は顔をあげ
「あ、アンタ、裁判官さん、し、知らないのか、ホントに」
と震える声で答えた。
「知らないって、何かあったんですが」
「あ、あの、判決の後、ワシらは安心しきっていた。ワシらの財力と政界とのパイプでなんとかなると、だが、だが」
“やはり癒着だ。三権分立などないじゃないか”と怒りに震えた原告の台詞がオーニシの頭によみがえる。
「あいつの、元社長の孫が、死んだんだよ、あの後すぐに。元気だったのに、飼っていた犬にかみ殺された、しかもアイツの、元社長の贈った犬だったんだ。内臓を食いちぎられた。病院に連れて行ったが、どうやっても助からないと言われて、それは苦しんで死んだそうだ。そしたら、母親である嫁さんのほうがおかしくなった。夫を包丁でメッタ刺しにして、自殺したんだ。孫と息子夫婦が異常な死に方をしたせいで奥さんは神経をやられて、夢遊病みたいになって飛び降りた。お手伝いさんを巻き込んで大変な騒ぎだったよ…」
そういえば、トンデン幹部一家の変死事件という記事が新聞に載っていたような気がする。だがトンデンの名を見た途端、オーニシは読むのをやめた。トンデンのあの判決を一刻も早く忘れたかった。その後もいくつか記事をみたが、みな読まなかった。だから何も知らなかったのだ。
「息子夫婦だけでなく、他の親族も妙な死に方や大けがをしたんだ、奴が、元社長が贔屓にしてた連中ばっかりな。あいつの口利きで大企業に入って、三高の男をつかまえた娘っ子なんて、結婚前日に顔が膿ただれて、化け物のようになったんだ。しかも原因不明、本人はショックで寝たきりだそうだ。“コネなんて嫌、マトモな人生を歩む”って言って家を出た妹の方はなんともないってのに」
茫然としているオーニシにかまわずトンデンの元会長は続ける。
「そんなことがあって、週刊誌には“トンデンの呪い”とか“トンデン被告に天罰下る”なんて書かれたんだ。だが、ワシは本気にしなかった、他の奴等もだが、単なる偶然と思って、いや思いたかったんだ」
元会長は悔しそうに首を振った。
「それはすぐに思い違いだとわかった。元社長だけじゃない、幹部連中にも起こったんだ。取締役の一人は、引きこもりの孫に娘夫婦が焼き殺された、生き残った孫娘は交通事故で半身不随。台風の最中、強風で近所の家の瓦礫が飛んできて、寝室に直撃。頭に瓦がささったまま何時間も助けてもらえず、苦しみながら死んだ幹部夫婦もいる。一人ならまだしも被告席に立った全員、しかもその親類縁者、使用人やら友人知己が次々と不幸にあうなんておかしいだろう。しかもトンデンのコネや恩恵を享受していた人間ばかりがひどい目にあう。国内だけじゃない、ワシの孫の一人は外国の学校の寮に入っていたんだが、たまたま自由外出中に町に遊びに行って、児童買春組織にさらわれた上に、な、内臓を」
言葉につまったのか元会長はそこで黙り込んだ。一連の話をきいて、オーニシはぼんやりと思った。
(確かに、これは…呪いだ。私たち、司法がやるべきことを、やれなかった。いや、やらなかった…からか)
いくら聞かないようにしていても、オーニシにも“この国の司法はおかしい”だの“政権のいいなりで役立たず”だのの不満が国民の間に広がっているのはわかっている。どうすることもできないと言い訳して、上の命令に従うだけの自分たちに呆れ、別の方法で正義がなされることを望む人たちがいるのも。
(だが、まさか、こんな、こんなことが本当に)
しかし呪われていると言ってもおかしくないような異常な事態が起こっているのだ。現に元会長は呪いとやらに怯え、到底聞き入れられないとわかっていることを口にしてオーニシにすがっているではないか。
「これを、呪いを解くには、ワシらが死ぬか裁きをうけるしかないんだ。元取締役の一人は長男夫婦が外国で強盗殺人にあった後に首を吊ったよ。“罪は私だけにある、あの世で裁いてほしい”って遺書を残してな。そしたら、他の子どもたちは無事だったんだ。だが、ワシは死ぬのは嫌だ」
「その、呪いをかけた、という人間を説得するというのは。お祓いとか、そうすれば呪いは解けるのではないですか?」
オーニシはうろ覚えの知識を口にした。
「ダメだった。そう思って原告の何人かに金を送ろうとした奴は用意した途端に真っ二つだ。上から鉄骨が落ちてきたんだ。その上、家族は強盗に入られて家を放火された。説得というか、話をつけようとヤクザを頼んだ奴は、そのヤクザに殺されたよ、一家ごと。ヤクザのほうも“よく覚えてない、気が付いたら殴り殺していた、娘や奥さんはヤッちまってから絞め殺したと思う”なんて言うんだ、滅茶苦茶だよ。拝み屋は”呪いの対象も、呪った相手も正確にはわからないとやりようがない“と断るし」
確かに誰が呪ったかなんて、すぐにはわからない。何しろ原告は複数だ。しかも呪ったのが原告とは限らない。原告に加わらないがトンデンに恨みを抱いていたものもいるだろう。あの判決に不満を抱いた他の人間が正義感にかられてやったのかもしれない。だが
「その、そんな大規模な呪いなら、受ける代償とかもすごいのではないでしょうか。ひょっとしたら呪った本人も、もう死んでいるとか」
クスクス
そばで笑い声が聞こえた
“そうじゃないよ、皆に呪われてるからだよ”
え、オーニシは周りを見回したが、自分たちのほかは誰もいない。
“みんなが代償を少しずつ払ったの、アンタたち全員をちゃんと裁くために”
みんな?みんなって誰だ?
ひょっとして、この判決に不満をもっている人間、全員ということなのか。
下手をすると、関係者除いた国民が皆、彼らを呪っているのか。
裁きを下せと願っているのか。
そんな、バカな。それにアンタたちって、
“わからない?この不正義に加担した全員ってことだよ”
全員、ま、まさか、わ、私も。
オーニシは仰天して声の主を探す。
だが、誰もいない、誰も。
いるのはオーニシと元会長だけ。
裁判所の廊下、平日の昼日中に二人だけ、そんなこと有り得ない!
不意にカバンの中から振動音が聞こえた。オーニシはマナーモードにしてあったスマートフォンをおそるおそる取り出し、ボタンを押す。
「ああ、あなた、大変なの、こ、子供が、赤ちゃんが、変で!ルリが、ルリが窓からああ…」
半狂乱の妻の声。その後、娘婿の声が続いた。
生まれた孫は頭が欠けた奇形児で、娘のルリがショックで子供を窒息死させて産院の窓から飛び降りた、と嗚咽が混じりながら話していた。だが、オーニシの耳には半分も入っていなかった。
「だから、早く裁いてくれええ」
オーニシの電話を聞いていたのか元会長が叫ぶ。気が付くと周りには人だかりができていた。晴れた日差しのような明るさの中、人々は不思議そうにオーニシと元会長を見ている、まるで二人が突如として、その場に現れたかのように。
二人のやり取りなど聞こえていなかったかのように。
あの囁くような声はもう聞こえなかったが、人々の間から別の声が聞こえた。
“裁きを受けろ”と。
どこぞの国では三権分立もどこへやらという判決が多い、警察も司法もあてにならない、テレビの仕事人がいないか、などと物騒な意見もでております。そのうち、弱者の復讐の定番”呪い”だのもでてくるやもしれません。