〈九〉 自分の喜びを知る
〈九〉
ダイシジは、戸棚作りを始めていた。
リディの様子は気になったものの、いま自分にできることのすべてをやろうと思ったのだった。それが、何かのためでなく、自分の喜びのためであることは明白だった。
作りたいから、作り、作りたいものを作っている。それに寄り添うと、心が自由でいられた。もう何かを、誰かを気にする必要はないのだった。
992個を作り終えたとき、ダイシジは、その日できた戸棚をみて満足感でため息がもれた。
俺の喜びに寄り添えるというのは、なんと幸せなことなんだろう。
ダイシジにとって、もはや、食事することも娯楽することも忘れるほど、納戸の古い橙色の電球の明かりの下で作っている戸棚が、何にもまさる喜びと生きる栄養になっていた。
ダイシジは、追い立てられることを感じなければ、自由な気持ちのまま作り続ける喜びを知り、そこには、誰かや何かへのプライドや意地もなければ、ただおだやかな時間の中にいた。
神が、一つ一つダイシジに戸棚を手渡しているようだった。
今までは、自分が作り続けているという気持ちが、ダイシジの中でせきたてられるような気がしていたのだが、一つ一つが、いまはどれも同じものはなく、今日できた戸棚は、神がわたしに与え、手渡してくれたもののような温かい気持ちがするのだった。
髪を振り乱して、作業することもないし、一つ一つ確かめるように、神から手渡されるものをこの世に送り出す身体であるように、自分自身のことも、労わりながらありがたく思えるのだった。
ダイシジは、リディが起きたら、自分の作った戸棚を見せようと思っていた。
一緒に作り続けていたころと違う、何か輝くものが戸棚の一つ一つに入っているように思えて、それが、納戸の明かりの下でも光っているように見えたのだった。
戸棚を作り続けていると、リディのことを心配することもなかった。きっと、リディも輝く時間を過ごしているのではないかと感じたし、自分が感じているこのすばらしい神からの贈り物と、なにもかもいいことに続いているように思えたからだった。
リディもきっと、神から手渡されたものなのだ。ダイシジは、眠っているリディに語りかけるとき、神聖なものと話すような気持ちになっていた。
リディは応えてくれはしなかったが、ダイシジの言っていることがわかっているようだった。
999個目を作っているときは、窓の外は雨が降っていた。ダイシジは、空から落ちる雨粒をみながら、そのどれもが、かたときも同じものはなく、自由な思いに彩られた神が受け渡した自然の恵みのような気持ちになった。
灰色の雨雲の曇り空でさえ、すべてに調和された大いなる恵みの中にあるように感じられたのだった。
木も、川も、鳥も葉のざわめきも、ダイシジの中にあるキラキラ光るものを、より濃くさせていった。
ダイシジは、自分がやろうとしていることはわからないが、いまこうして、一つ一つ喜びを感じていられると、はっきりと神から渡された聖なる仕事をしているということは、わかった。
一つ一つの戸棚や周りの何もかも、ダイシジを明るく包み込んでいるように思えた。
ダイシジは、どれだけの時間がたったのかも、気にすることがなくなった。作り続けることに、喜びを感じていられると、それ以外のすべてが、何もかも調和したものに感じられたからだ。
それは、神から与えられた時間であったからだ。
創造は、作り続けることと違う。
自分ではなく、大いなるものから託されてはじめて、創造することができる。そこに、人の意識によって、理解されるようなことはないのかもしれない。ダイシジが作っているものは、もはや戸棚ではないのだった。戸棚を作り続けていたのではなく、ダイシジという一人の人間を織り成すすべての創造がそこにあったのだった。
ダイシジ自身の、神との対話だったのだった。
初めから、ダイシジが見つめるものは、人間ではなかったのだった。
彼がいままで感じていた悩みの応えは、人間との対話によってではなく、生きる上ですべからく誰よりも自己の神聖に目を向け、神と対話し与えられるべくして与えられた自分の生き方をすることだったのだった。
ダイシジが、やろうとしていることは、神に与えられた喜びだった。
ダイシジは、夜が明けて、今日取り掛かる、1000個目の戸棚のことを想った。
リディに短く、語りかけると窓から見える空を仰いだ。
今日も昨日と同じように美しくすべてが調和して見える。
納戸に行き、そのまま作業にはいった。リディは眠ったまま、まだ起きる様子はなかった。
ダイシジを想う街の人たちの中に、新しい一日がはじまりをつげていた。
テディにとっても、その朝は何か特別な気がした。今日はどんな日になるのだろうかと、はじめて、起きて仕事以外のことを考えた。
ダイシジは、丁寧に木を削るところからはじめた。
いつもと同じ作業なのに、どれをひとつとっても光輝いて見えた。ダイシジの目には木の表面にある模様や、それに取り付ける蝶つがいや部品にいたるまで眩しく思えたのだった。
一つずつ組み立てていきながら、心の中にあった温かいものがどんどん光り輝いてゆくように感じていた。
これで1000個目、終わるというのに、その温かいものが、新しく始まるものを予感させていた。
その予感で、さらに心がはじけて温まってゆくのだった。
丁寧にいとおしむように、ゆったりした気持ちで作り続けた。
やがて、夜がやってきて、あたりが暗くなってくると、ダイシジは、明かりをともしながら、
さらなる夜明けを感じていた。
そして、18時をすぎたころ、ようやく1000個目の戸棚が完成したのだった。
涼しげな風が一陣吹いたように感じた。
やりきったという想いよりも、さわやかな気持ちがうずまき、こめかみの汗に風をふきかけるようだった。
ダイシジは、納戸の腰掛椅子に座りながら、キセルに火をつけた。
目をつむって、穏やかな気持ちのままホッと、息をはくと、煙が、夜空に舞い上がっていった。窓から差し込む光が、月のある夜を教えてくれていた。