〈二〉 序章
〈二〉
彼は、日々の暮らしの中で、自然の中にいるときが、なんともいいがたい清涼な気持ちにさせた。
大工仕事や、その辺で行われる男がやることのいろんな仕事を彼は、意味のないものに感じられていた。暮らす上でかかせないものであるけれど、やっていることに喜びや意義を感じることはできなかった。決して傲慢だったわけではない。だが、彼は幼いころから自分の気持ちに正直だった。大人になって、無邪気さのはけ口がなくなると、子供でいることもできなくなり、無理に社会の通例にあわせようとして、いつも不機嫌になってしまうのだった。彼には自分のやりたいことはこれ以外にある、という不明確でも確固たる想いがあった。それがいまは、何か?と聞かれると、彼にもわからなかったが、毎日の仕事に対する喜びや、家についてからの晩酌の一杯も、彼の気持ちを潤すことはなかった。彼は、ときどき、家で、木工や縄などで、小さな細工をつくることがあった。それが、小さな戸棚だったり、かごになったりするのだが、そのマメな仕事をしているときの彼は一途に打ち込む少年のようだった。彼をみていて、リディは、その時間をほほえましく思うのだった。けれど、いいものができた後でも、すぐに彼はその形相を変えて、
「こんなものが、何の役に立つんだ。あ~明日の仕込みもしなきゃならん」
といって、また眉間にしわをよせて、不機嫌そうに、部屋をでていくのだった。リディは彼が満足していないことをわかっていたが、それを見るたびに、どうしようもできないことや、彼のいらだちにそっと手をあわせることしかできなかった。
彼のいる街には、鍛冶屋が3軒、鉄鋼が2軒、大工が3軒、板金屋が1軒あった。街の男は、それぞれ、そのどこかで仕事をするのが、定例となっており、小さいうちから父の姿をみて、ダイシジもまた、その中のどこかで働くのだと言い聞かされてきた。けれど、彼は、子供のときも、大人になってから鍛冶屋で働くようになってからも、仕事が楽しいと思ったことは一度もなく、そんなことで日々に満足するような簡単な脳みそももっていなかった。
いつもどこか、うらめしそうに、相手の出方をみたり、自分の言いたいことを飲み込む癖があった。それでもって、彼らに交わろうとはしなかった。人当たりもよく、丁寧で、話をきいたりもするが、いつも彼の心はここにいないような、満足していない姿があらわれていた。彼がここにいる、というときで言えば、小細工をつくったり、それに漆をぬったり、鍍金をつけて、一つ一つこまめにつくっているときくらいだったのだろう。彼もそれを作っているときは、集中していたりしたが、それだけでは食べていけないことや、この土方や大工職人の多い街で、実用的でない小細工を売っても、何になろうかという悲観が、彼に笑顔をもたらさなかった。そして、その悲観は、彼の創作意欲もうばってしまうときがあった。この街をでて、もっと暮らしやすいところに出て行けないだろうか、リディともそう話したが、実行できぬまま、何も積まれぬまま、日々がすぎてゆくのだった。きっと自分の生きづらさや、悩みは、街を出てもついてくるのではないだろうか。とそういったことも、彼をしばり付ける要因となっていた。彼がいかに自分を卑下してどう思おうが、天の采配というものは動いているということを、気づくことは出来なかった。
彼のつくる戸棚や、かごや、本入れなどは家に飾っているか、物置の隅にやられていることが多かった。彼が自分のつくったものを見たくなくなるときがあったからだ。どうせ、こんなものを作っても何にもならないという悲しい気持ちになるためだった。
きっと、もっと実用的で、大きな肘掛け椅子や、クローゼット、電話台とか作っていたら、買う人や人に見せることもできただろうに、自分のつくっているものは、何になるんだろうか。そんな気持ちがダイシジを小さくしていた。もっと人に喜ばれるものを作れたら、と思うだびに、リディは
「あなたの作るものは、実用的ではないかもしれないけれど、部屋に可愛さをもたらすわよ。飾っているだけで、この戸棚の中に、妖精が何かを入れにやってきそうな気がしてくるもの」
そんな風に彼を励ました。彼が何を作っても、それを彼女は受け入れてくれた。そして、信頼していたのだった。彼の作るものが、どんなものでも、ときに、本当は俺はこんなものをつくりたいのか?と彼自身が自問して嫌になるときも、創作は続けられていた。毎日ではないけれど、彼が気が向くとそれは続けられ、何もないときは、ただ物置のすみでぼんやりと過ごすこともあった。
夕暮れ時に、仕事帰りの男たちが立ち寄っていく酒場にも顔を出さず、街の人との付き合いもそこそこに、彼は自分の中にこもって創作を続けていた。
何をしたら、どうしたら、幸せはやってくるんだろう。俺は何をしているんだろう。
毎日のように、同じ問いかけがされていた。彼の心は寂しく、孤独で、明日も今日と同じ日を過ごすことや、また同じ想いを繰り返すことへのむなしさと悲しさでいっぱいだった。自分が幸せになるには?生きやすくなるためには?彼の悩みはいつも同じところをさまよった。
家族のことを考えると、さらに苦しさが増した。どうして、自分はこうなんだろう。他の男たちと同じように働いて汗水たらしていれば、そこそこの暮らしをリディにあげられる。けれど、俺の心はもうこの世界に限界を感じているんだ。世の中で生きることが辛くてたまらない。同じようなことをして、みんなと肩をならべて同じような日々をすごして、次の日もまた次の日も同じことをして生きるなんて、できない。こんなことをするために生きているんじゃない。俺にはもっと何か、あるはずなんだ。そんな想いが、彼をますます孤独にしていった。しかし彼はそれが、もう孤独かどうかすらもよくわかっていなかった。当り前になっていた。いつもと同じ思考がめぐるだけ。
そんなときに、彼は、夜の窓辺で、ウトウトしはじめていた。リディは街の会合のために、夜遅く帰ってくることになっていたから、家にはダイシジ一人で過ごしていた。
晩酌に飲んだ葡萄酒が聞いたのか、窓辺に座ってぼんやりとしていたら、ウトウトと寝入ってしまった。