〈十三〉 奇跡のゆくえ
〈十三〉
以前は、この時間になると、仕事からぐったり疲れて帰ってきたダイシジが、ドアから入ってきて、
リディは、食事の支度をしながらそんなダイシジの帰りを待っていたものだった。
二人は、いつも二人でいた。
そして、今日もダイシジとリディは、あのころと変わらずに二人でいた。
今は、リディの姿が小さな精霊になってしまったとしても、あのころを懐かしく思い、過ぎ去ったことを愛おしむことがあっても、ダイシジとリディの心は、橙色に染まってゆく街並みのように、温かく満たされているのだった。
ダイシジは、ぼんやりと星が瞬きはじめた空をみながら、つぶやいた。
「俺のしたことは、なんだったんだろう。リディ。お前をこんなふうにしてしまったのも、俺なのかもしれないが、それなのに、こんなことを言うのは、どうかしてると思うだろうが。
リディ、俺は、お前といられたことや、こうして側にいることの他に得がたいものはなかったと、いまは思えている。
お前には、こんなおれで、苦労をかけていたと思うけれど」
ダイシジは、つかえながらゆっくりと話した。
「お前の魂が、俺を蘇らせてくれた。
俺は、人の中や社会やいろんなことでぶつかってしまう自分の醜さを許せなかった。
俺自身でありたいと思うあまりに、リディ、側にいるお前にはいつも苦労をさせてしまっていたと思う。
けど、俺を信じて戸棚作りをしてくれたお前の心が、俺の中にいつまでも巣食っている氷をゆっくり溶かしていってくれたと思っている。
リディ、俺はお前に何かしてやれたんだろうか。もう今から何かしたくても、できないのだろうか。
俺といたことを、後悔していたんじゃないかと、それだけが、いまの俺の中にある、いつまでも消せない本心なんだ」
ダイシジは、涙が流れてきた。
リディを見ると、リディはまっすぐにダイシジを見ながら、いままで見たことがないような慈愛を超えた純粋なまなざしをしていた。
そして、彼女は、ゆっくり口を開いた。
「あなたのことを、一度でも疑ったことなどないのよ。
わたしの中にあったのは、ただ、あなたの笑顔だったのだから。
わたしは、あなたが、いつも何かに悩まされていたときも、その中から抜け出すための手助けを自分ができるのならと、それにまさる喜びはなかったのよ。
わたしにとって、あなたは、生活のすべてだったわ。
側にいることで、わたしがあなたにできないことがあることの方が、苦しかった。
わたしにとって、あなたの側にいられたこと、そして、一緒にあの戸棚を作れたことは、神様に感謝してもしきれないくらいの大きな贈り物だったの。
あなたと一緒にやってきたことは、わたしにとって、かけがえのない時間と、これ以上ないご褒美だったわ。」
ダイシジは、嗚咽をあげた。
涙はあとからやってきて、止まらなかった。
小さなリディは、ダイシジにそっと寄り添いながら、その涙をすべて受け入れるように黙って目をつむっていた。
ダイシジは、温かな愛を感じていた。どこから沸いてくるのだろう。
いままでの、自分の中にあった恐れが、その温かさで溶かされてゆくようだった。
リディから受け取った愛と、そして、自分が想うリディへの愛を感じて、ダイシジの心の片隅から、愛を疑う影が黒いキセルの煙のように空へ舞い上がって散った。