〈十一〉 1000個目
〈十一〉
家の戸口で、別れ際、テディは、泣きながら、ダイシジに頭を下げると、またすぐに寝室に戻っていった。ダイシジは、何が起こったのかわからなかったが、何かが始まったような不思議な気持ちがしていた。
そして、その予感は的中した。
テディの父親のうわさは、すぐに街中にひろまった。彼が、起き上がったということよりも、ダイシジの戸棚のことで、話が持ちきりだった。
幸せを運んでくれる戸棚なのではないだろうか。街中の人がうわさをききつけて、ダイシジの家に押しかけてきた。
ダイシジは、あまりにみんながいろんなことをいうので、困ってしまった。ただでさえ、人としゃべることが苦手なのに、大勢の人がやってくることに、対処ができない。こんなとき、リディがいてくれたらと、思った。
ダイシジは、やってきた人、ひとりひとりに、この戸棚は、ただの戸棚で、魔法も何もないし、テディの父親のことはたまたまだったのだと、つかえながら説明をした。
みんなが帰ると、ほっとして、ゆり椅子に腰掛けた。何が起こってるんだ。あれは、ただの戸棚だ。なぜなら、おれが作ったものなのだから。おれには、あの戸棚に奇跡なんて細工する智慧も力もないのに。
ダイシジは、困り果てていたが、夜になって、気持ちも落ち着くと、一人の夕飯をすませて、寝室にやってきた。眠っているリディに話かけようと思ったとき、ふとテディの父親のことを思い出した。
もし、この戸棚が本当に奇跡を起こす力があるなら、リディのことも。そう思って、納戸から一つとってきて、リディの枕元においた。何も入れていない戸棚だったが、
「リディ」
と声をかけて、手をにぎった。
「おれには、奇跡なんて起こせる力も何もない。
あるのは、この戸棚だけだ。そして、これは、女神も持っていかなかったもので、ここにそのまま残されてしまったものだ。
本当に、テディの親父さんのような奇跡を、この戸棚が起こせるとしたら、おれは、お前で見てみたいんだ」
そういいながら、ダイシジは、涙を拭いた。
リディが眠りについてから十日以上たっていた。今なら、リディのありがたさもよくわかる。側にいてくれたことへ、感謝をいっぱい告げられる。けれど、そんなとき、リディは、眠ったままだった。
ダイシジは、手を握りながら、うとうとし始めていた。温かなリディの手を握りながら、ダイシジは、ゆっくりと眠りに落ちていった。
温かなぬくもりで、目をさました。
ダイシジは、起き上がると自分が見たこともないところにきているかのような気持ちになった。
ベッドのあたり一面、暖かな光に包まれていて、その中に女神のような美しい笑顔で笑っている人がいる。
リディだった。
リディは、ダイシジをみながらも、楽しそうにして笑い、そんなリディを光を包み込んでいた。
やっと、ダイシジは、寝室にいることがわかった。
リディが、ベッドの上で笑っている。
「リディ!」
目を覚ましたんだな、夢じゃなかったんだな。嬉しさのあまり、涙が止まらなかった。リディが俺を見て笑っている、それだけでこんなことがこれほど嬉しいなんて。
リディは、笑顔で細めた目をダイシジにむけながら、嬉しそうに笑った。
「あなた、どうしてそんなに嬉しそうなの」
ダイシジは笑った。お前を見ているからだよ。言葉にできないまま、ダイシジは泣いた。
「あなたが、光っているわよ」
ダイシジの周りを指差して、リディがいった。ダイシジは、笑って、リディお前の方こそ、光っているぞ、と告げた。
ダイシジは、穏やかさの中にいた。
辺り一面に包んでいた光が、だんだんとなくなってくると、穏やかな気持ちの中で、リディのベッドの側にいることに気づいた。
そして、リディを見ると、ダイシジを見て笑っていたリディは、眠っていた。
まさか、夢だったのだろうか。
そんなことが、ダイシジの中にわいてきたが、手を握ると、リディはまだ眠ったままだということがわかった。
ダイシジは、笑いながら、感謝を伝えた。
「リディ、おれのリディ、どうか、いままでたくさんありがとう」
ダイシジは、流れている涙が、悲しみだけでないことを感じていた。リディの笑顔が見れてよかった。おれのために見せてくれたものかもしれない。
ダイシジは、そっと、リディの髪をなでながら、ほほに口を寄せた。
戸棚は、リディに奇跡を起こしてはくれなかった。