第76話 呪いの言葉
ヨハネは促されるままに、入り口から教会に入った。
中は、百人近くの人が入れるほど広い石造りの広間で、柱頭に支えられたアーチ型の高い天井に覆われていた。赤い身廊の左右に幾つもの木の椅子が置かれ、身なりの良い男女が座っていた。両側の壁にはそれぞれ七枚、計十四枚の絵が架けられていた。部屋の奥にはキリスト像の付いた十字架が据え付けられていた。
ヨハネは居心地の悪さを感じて、部屋のすみに立った。
やがて黒い外套を着た赤ら顔に口ひげの男がゆっくりと歩いて出てくると、みんなの前に立った。
「我が兄弟、我が姉妹、我がはらからよ。そして良きキリスト者たちよ。よくこの日に集まりました」
そう言うとセプールベダは右手を高く上げた。聴衆たちしばらく騒めいていたが。やがてその右手に目線を合わせ、静かに意識をその男に集中した。
彼は話し始めた。
「神の教えを知らぬ蛮族と木石を拝む偶像崇拝者たちが住んでいたこの島に、勇気ある宣教師たちがたどり着き、正しき教えを広め始めてから百年、淫祠邪教の人牢は数多く毀たれ、今では、教会が数多く立ち並んでいる。だが、悲しいかな、まだいかがわしい悪魔の教えに心奪われる者たちがいる、嘆かわしいかな、偶像崇拝者を庇う者もいる」
そう言うとセプールベダは右手を降ろして胸の前で組むとしばらく時間をおいてまた話し始めた。
「我が兄弟姉妹たちよ、この島の自然を見なさい。この島の力強い木々に覆われた山の美しさを。太陽のもと光り輝く豊饒の海を。見渡す限り続く沃野の大地を。かくもこの島の森羅万象は美しい。これらはすべて神が作り給もうた。つまりこの島の美しさはその造り手たる神の御心の美しさでもあるのだ。その真理をみな、心に留めおきなさい」
彼はそこまで言うと一息ついてまた話し始めた。
「みなが良きキリスト者であるためには、良き家庭を築き上げなければならない。街も、国も、そして世界も、家庭と同じ人の集まりである。そして世界はキリストの体そのものであり、キリストの体こそが世界である。みな心しなさい。すべての共同体は極めて簡潔な原理から成り立っている。対になるたった二つのものである。すなわち、子供を持つための男と女、世を繋ぐ親と子、そしてより良き国を保つための奴隷主と奴隷である。これらは心を使いこの世の行く末を予見する生来の支配者と、肉体の労働によって支配者が予見した事をなす生来の被支配者に言い換えられる。つまり男・親・奴隷主が支配者であり、女・子供・奴隷は被支配者である」
セプールベダがここまで話すと聴衆たちはざわつき始めた。彼はそれを予期していたように笑顔を作って話を続けた。
「お前たちが私の話に異議を持つだろうと考えていた。だが私の話を聞きなさい。全知全能の存在がこの世を完璧にお造りになった。その中で、男女、親子、奴隷主と奴隷が存在する。この支配と被支配が存在する事実は正しい世のあり方であろうか。それは神が造り給いしこの世をよく見れば判るはずである。括目して見なさい。あらゆる共同体には支配と被支配の関係が見て取れる。支配する者は優れた知性とその行いにおいて被支配者より優れている。支配者は、精神性においては理性、肉体性においてはその達成により被支配者より優れている。よってこの両者の依存しあう関係は双方にとって幸福なのです」
セプールベダは両手をドームの天井に上げて話し続けた。
「先日、ある兄弟姉妹からこのような問いかけを受けました。『戦争や暴力によって奴隷になった者はどうでしょうか。あまりに哀れではありませんか』と。私はこの人物の心の清廉と慈悲深さに心打たれ、感動のあまり身を打ち震わせました。そして私はこう諭したのです。『正しい戦争によってそのような結果になったという真実は誰にも否定できません。正しい戦争による優劣判断の結果、支配と被支配の関係が正当化されたのです』と」
セプールベダは手を降ろして胸の前に組むと、話を続けた。
「この国を例えに使いましょう。この国に住んでいたワクワクたちは、文明を知らず、泥と汚物にまみれて暮らす未開の存在で、偶像崇拝の大罪を犯していました。考えてみなさい、彼らの重い罪を放置していれば、彼らにどんな思い罰が下るか。正義の戦争の後に、我々は彼らに正しい教えを伝えました。彼らは、弱者への慈悲を知らず、夫婦の信頼も知らず、子供たちへの憐憫も知らず、ただただ醜悪な偶像を拝めば何もかも救われると信じていたのです。そこに正しい戦争が起こり、ワクワクたちは追い散らされました。その結果、正しい信仰と文明が彼らの中に広まったのです。こう諭すと、その心優しい者は納得して帰って行きました。よって兄弟姉妹よ、お前たちよ。安心して奴隷を持ちなさい。そしてその奴隷を奴隷としてふさわしく扱いなさい。決して彼らを主人のように扱ってはいけません。決して人として扱ってもいけません。それは自然と本性によって正しく当てられた真理なのです」
そこまで聞くとヨハネはそっと教会を出た。教会に響き渡っていた美しい音楽と、そのあと語られた話の奇怪さが、彼の体の中でぶつかり、得も言われぬ違和感として腹の底に沈殿した。彼は作業場の隅まで小走りすると、土の上に白い反吐を流した。




