第68話 副業
「ペテロ」
ヨハネは声を掛けた。
「えっ」
ペテロは驚いてヨハネのほうを見た。
しばらくの時間、重い沈黙が二人の間にわだかまった。ほんの一瞬、市場の喧噪も屋台の臭いもヨハネの五感から遠のいた。
「ペテロは何をしてるんだ?」
「出店を出していたんだ。鶏を売ってたんだよ。奉公人は無給だからな。年季が明ければ無一文で放り出される。今の内から金を稼いでおかないと。市には買い物客がたくさん来る。それをあてにした軽食の屋台もたくさん出る。そいつらに鶏を売ってるんだ。結構いい儲けになるぜ。市場の雰囲気も分かるしな」
ペテロはヨハネと目を合わせずに早口でしゃべった。
「あの、あの娘は誰か知っているか。商会で見たような気がするんだけども」
ペテロはメグを指さして尋ねた。
ヨハネの胸は何故かざわついた。しかし少し間をおいてゆっくりと丁寧に答えた。
「あれは女奉公人頭のメグだよ。新しくできた工房で、機織りの仕事をしている娘たちがいるだろ。そこの頭だよ」
「あんなに若くて頭なのか」
「腕のいい機織りらしい」
「お前、親しいのか?」
「工房の内装と機織り機の運搬を手伝ったよ」
「……そうか」
また、二人の間に沈黙が訪れた。ペテロは視線を泳がせて、胸の前で腕組みをした。
「ヨハネ。お前、副業をしているか」
「いや。何もしてないよ」
「お前、先々の事、考えろよ。年季が明けた後、どうするんだよ。まさかエリアールに帰るつもりじゃないだろうな」
「さあ……」
「俺は考えてるぜ。実際、今日もいくらか稼いだしな。商会の地味な仕事に精を出したって上には行けない」
「そうかもな」
「何にも考えてないんだな」
ペテロは口の両端を少し上げて笑った。
「ペテロ。少し話したいんだ」
ヨハネは自分の黒髪を両手で強く掴みながら言った。
「ははっ、この間の事か。気にすんなよ。お互い酒を飲んでたしな。大した事じゃない。俺たちは同じ村の出身だ。それは本当だからな。じゃあ、俺は行くぜ。今日稼いだ金は市参事会に預けるんだ。知ってたか。そういう事もできるんだ」
そう告げるとペテロは大股で歩き去った。
その後、ヨハネは安心と不快感が混ざり合った複雑な感情が胸の中に湧き上がった。なぜだか、胸がざわついて、不愉快な嘔吐衝動が彼の胴体を下から上へ往復した。彼はしばらく両膝の上に両手を置いて休んでいたが、気分が楽になると、深いため息をついた。




