第57話 外洋への心
ペテロは毎朝、海辺の市場に出かけては商品と人々を見て回った。その日は、ヨハネも連れていた。二人は故郷にいたころのように、肩を並べて歩いた。
エル・デルタの浜辺では毎日のように大小の市場が開かれていた。二人はそこで海の向こうから来た商品を見た。ペテロは主に富裕層向けの香辛料や薬品を見たがった。肉桂、丁子、ナツメグを詰め込んだ真っ白な磁器、ティエラ・フィエメで作られた輝かんばかりの絹織物、樟脳や麝香の入った象牙の壺。それらから、彼らは遥か海の向こうに横たわる国々の雰囲気を嗅ぎ取ろうとした。また小売り商人や運送業者、両替商たちと交わり、人脈を築こうとした。
ペテロは偵察で見た外洋の話を夢中でヨハネにした。
彼が乗ったガレオン船から見た外洋の大海は広く青く、水平線は銀色の指輪のように船の周囲を囲んだ。南に行けば行くほど空の色は海の色に溶け込み、ただただ青の世界がガレオン船を包み込んだ。そうなると最早この世に東西南北はなく、吃水線から上がる白い波と、空と海が溶けた青色だけの世界だった。
「ヨハネ、あの景色を口で説明するのは無理だ。お前に伝えられなくてもどかしいよ」
ペテロは身を揉みながら語った。
商会の肝煎りで行われたペテロの東インド偵察は、カピタンのペテロに対する期待の大きさを表していた。その船のアルマドールはペテロに自分の部下をわざわざ付けて、東インドの情勢を説明させてくれた。
マラカ王国で起きたポルトガル人とオランダ人の争いの事、オランダの東インド会社がバタヴィアに巨大な要塞を築いて以来、その勢いは増すばかりだという事、それに対するアチェー、バンデン、マタラムなどの諸王国の反発はすさまじく、戦乱のない日は一日たりとてない事。
ペテロは全身の血を熱くたぎらせながらヨハネに語り続けた。
海の向こうには富と可能性が溢れんばかりに満ちている、それらが自分を待っている、そうペテロはヨハネに話しながら、ペテロは目の前のエル・マール・インテリオールを見た。
外洋の気が遠くなるほどの広大さに比べ、目の前の内海はまるで水溜りのようだった。そこに住む人々は心の在り方が矮小で、些事に奔走しているつまらない存在に思えた。
「東インドでは兵士、奉公人、水夫、ありとあらゆる仕事で人手不足なんだ。そこへ飛び込んでゆけばきっと自分の未来が開けるぞ」
そうペテロは言った。
ヨハネも港の沖仲士たちから様々なうわさ話を聞いていた。
奴隷や奉公人から成り上がり、万人の軍隊を率いる軍閥の頭目になった者の話、戦に敗れ異郷を流離していた王族の男が、新しい王朝を開いた話など、港では、若者に野心を沸き立たせるような噂話が飛び交っていた。
ペテロは自分の人生の前に広がる可能性と無根拠の自信に胸を熱くして、浜辺の市場から海を沖に泊まるガレオン船を凝視した。
その横でヨハネはその青い目で、紅潮したペテロの横顔をじっと見ていた。




