第44話 為替手形
ペテロは大股で市場の通りを歩いた。
ヨハネもその後を追いかけるように歩いた。
その市場の一番奥には荒い木で作られた平屋の建物があった。この市場に合わせて作られたらしい臨時の建物だったが、荒い木をしっかりと組み合わせて作られた良い造りだった。入り口の上には天秤を型どった鉄の看板がはめ込まれていた。ヨハネはそれが市参事会に出資している素封家の印だと知っていた。それは方々に金を融通して巨利を得ている人物の家だった。
店の中は人の腰ほどの高さがある勘定台で二つに分けられていた。入り口付近には市参事会の警備員がいて、入ってきた二人に近づいてきた。
「何か御用ですか」
背の高いその男は二人を見下ろして答えた。
「この件で来たんだ」
ペテロが例の紙片を見せた。
「そうですか。失礼しました」
その男は引き下がった。ペテロは奥の勘定台まで歩くとその向こう側にいる小太りの男に声を掛けた。
「これの換金を頼む」
「拝見いたします」
その男はペテロの出した手形を受け取り眺めた。
「振出人、オランダ東インド会社、支払人、エル・デルタ市参事会、受取人、アギラ商会奉公人ペテロ。間違いございませんね」
「ああ、間違いない」
「お支払いの貨幣はどれをお選びになりますか」
「ピラドル銀貨で頼む」
「ではご確認ください」
小太りの男は勘定台の下から紙包みを取り出した。それが開かれると中には親指大の銀の塊が一つだけ、鈍く光っていた。それは平らに打ち延ばされ、アルファベットで刻印が刻まれていた。ペテロはそれをつまみ上げると服でこすり、大げさな仕草で目に近づけると、「確かに」と言った。
ペテロはピラドル銀貨を懐に入れると、大股で店の外へ出た。ヨハネもその後ろについて出て歩きながら尋ねた。
「あれはどういう仕組みになっているんだ」
「簡単な話さ。俺は東インドにいる間、オランダ東インド会社の人足としてひと月働いてたんだ。その給金だよ」
「それがなぜエル・デルタの街で受け取れるんだ」
「東インド会社は俺に給料を払わなきゃいけない、つまり俺に借りがある。同時に東インド会社はアギラ商会が出資している市参事会からまだ金をもらってない案件がある。つまり貸しがある。だったら俺が市参事会から直じかに金をもらってしまえ、というのがあの手形なんだ。新しい送金方法だよ。東インドじゃ常識だぜ」
「どうしてその場で給金を貰わなかったんだ?」
「銀をその場でもらってもよかったけど、持ち歩くのは危険だし、為替手形ってのを一度使ってみたかったんだよ」
「もし市参事会が東インド会社の手形を受け取らなかったら?」
「そういうことはまずない。あの会社は日の出の勢いだし、その手形の信用度も高い。手形を引受ける契約もあるはずだ。もちろん確実って事もないけどな。それに東インド会社はいま人足の手間賃がすごく高い。いい機会だから荷の積み下ろしの手伝いをしたんだ。それに金も貯めたかった」
「なんか、出稼ぎに行ったんだか、視察に行ったんだかわからないな」
「まあそうだな。地元の雰囲気もしっかり掴んできたからな。さあ、帰ろうぜ。もう日が高い」
二人は第二の市場の出口に立って石段の上から、下の市場を見下ろした。日はもうすっかりと高くなって、市場で立ち働く人々を照らしていた。客たちが足ですり上げた土埃の間を太陽の光が刺し貫き、市場は縞模様の膜に覆われているように見えた。その間には手桶を持ったワクワクの奴隷たちが、水を撒いて少しでも埃を押さえようと必死に走り回っていた。さっきまで屋台だった店はみな人足たちの飯屋に早変わりしていた。売れ残りの食材を使って朝飯を作って売っているのだ。
ペテロは両手を腰に当てると言い放った。
「俺は商売で大金持ちになってやるぜ。奴隷や奉公人をたくさん従えて、カピタンみたいな大物になってやる。ヨハネ、お前もそう思うだろ」
「ああ、金持ちにはなりたい。でも奴隷は売りたくないな」
「今日の食い物にも欠く人間はたくさんいるんだ。昔の俺やお前みたいにさ。奴隷は商品として大事にされる。最低限の衣食住は保証されるんだ。俺たちがこの街に来た理由を忘れたわけじゃないだろ。あのままエリアールにいたら俺たち飢え死にだぞ」
「……」
ヨハネは押し黙った。
数年前、一人の女と、ほんの短い間だけ、至福の時を過ごした出来事を思い出した。




