第30話 三年後
「さあ、全員降りろ。到着だ」
ヨハネは手綱を引いて馬を停めると、後ろの馬車に向かって静かに言った。馬車は取りあえず商会の搬入口に付けられた。馬車からは十人の若い男がぞろぞろと降りてきた。みな痩せて粗末ななりだった。年の頃は十五六歳だろう。十人とも馬車のうしろで固まったように動かず、ただ商会の建物を見上げ、不安そうに周囲をうかがっていた。
ヨハネは言った。
「ここが、エル・デルタの最大の奴隷商会だ。カピタンはトマス。この街一番の奴隷仲買人だ。お前たちはこの商会と六年間の年季奉公契約を結んだ。みんなこの商会のために働く事になる」
新しい奉公人の一人が物資搬入口から中に入ろうとした。
「何をしている。そこは馬車から物を積み込む時の搬入口だ。決して出入りするな。お前らは奉公人だ。奉公人はその分際に似合った振る舞いをしろ。黙って付いて来い」
ヨハネはそう言うと、十人の新人を引き連れて搬入口を通り過ぎ、右に曲がり、裏路地に入った。その路地は相変わらず、汚水の水溜まりがいくつもできていた。
「うわ、きたねえ」と一人の少年が言った。
「うるさいぞ。『黙って付いて来い』と言ったのが聞こえなかったのか」
ヨハネは歩きながら言った。もう一度、右に曲がり、奉公人用の扉の前に立った。
「ここが奉公人用の入り口だ。この入口以外は決して使うな。この中が台所になっている。三度の飯はここで喰うんだ。分かったな。中に入っても台所以外は決して使うんじゃないぞ。二階から上にも奉公人は決して入ってはいけない。分かったか」
ヨハネは諭すように言った。
「分かったか、と聞いているんだ」
ヨハネは鋭い声で言った。十人の新人は驚き怯えた様子で、声を揃えて「はい!」と答えた。
「次は奉公人小屋だ。お前らはそこで寝起きするんだ」
ヨハネはそう言うと、奉公人小屋の扉の前まで歩いて、扉を開いた。中から男の汗の臭いが流れ出てきた。蔀戸が開けられて光が差し込んでいたが、中は暗かった。「うわっ、くせえ」と新人の一人が言った。先ほど、汚い、と大きな声で不平を言った奉公人だった。
「おい、いま言った者、前に出ろ」
ヨハネはゆっくりと大きな声で言った。その少年がニヤニヤ笑いながらヨハネの前に立つと、ヨハネは鼻同士がくっつくほど顔をその少年に近づけて、その目を覗き込みながら大きな声で言った。
「いいか。私は頭だ。頭の命令は絶対だ。不平も、不満も、陰口も許さん。私の上にいらっしゃるのがカピタンだ。お前らの契約主だ。お前らはカピタンに生かされている。私もカピタンに生かされている。この商会の悪口を言う事はカピタンの悪口を言う事と同じだ。絶対に許されない。分かったか」
ヨハネに圧倒されたその少年はヨハネの顔を見上げていた。他の新人たちは怯えて黙り込んでしまっていた。
「返事を求められたら、はい、と答えろ」
新人たちは背筋を伸ばして「はい!」と答えた。その少年は少しの間ヨハネを睨んでいたが、「はい」とさほど大きくない声で答えた。
「寝台は手前から新人が使え。奥は古参だ。新しい衣服と寝具が必要になった時は私に言え。食事はまずくても絶対に三食喰え。これは義務だ。下らない事で喧嘩をするな。古参の奉公人の言う事はよく聞け。そうすればかわいがってもらえる」
新人たちは目を左右に泳がせながらその話を聞いていた。先ほどヨハネに睨まれた少年は尋ねた。
「あの、奉公人小屋の扉には鍵をかけないんですか?」
「鍵は無い。鍵は掛けない。いつ逃げてもいいぞ。逃げて行く当てがあるのならな。逃げな」
ヨハネは言った。新人たちは囁ささやき声で話していた。
「あと一つ、奉公人小屋の隣に奴隷用の小屋が二つある。男女別に二つだ。こちらは厳重に鍵が掛けてある。お前ら、女奴隷にちょっかい出したら、肘から先を切り落とされる。分かったか」
ヨハネが尋ねると、少し間をおいて「はい!」と新人たちは答えた。
「夕飯まで小屋の寝台で休んでろ。外をうろつくんじゃないぞ。解散」
ヨハネが命令すると十人の新人は奉公人小屋の中に入って行った。中からは新人たちのはしゃぎ声が聞こえた。




