その3 列車は草原の集落の駅に到着しました
さてさて、ジャーニーエクスプレスがソーン集落駅へと出発して早4刻半。
あと半刻のうちに列車は次の駅に着くでしょうね。
ソーン集落駅とは、ソーン平原と呼ばれる大平原の中にポツリと存在する人里に設けられた駅だ。
集落自体は『マウリ』という名前があるのだが、特に意味はないけど集落がある平原の名前を駅名にしている。
ただ集落といっても、この辺に他に人の住む場所がないから便宜上そう呼んでいるだけであり、この集落は下手するとちょっとした街くらいの大きさはある。
ちなみに主な産業は平原で狩れる生き物の角や毛皮を用いた工芸品、集落の畑で育てられている質の良い麻素材の製品だ。
これが意外と、観光や世界一周を目的に乗っている乗客には大人気で、この街で宿泊をする乗客の落とす宿賃と合わせて貴重な収入源ともなっている。
ちなみに、なぜ夜通し走る寝台特急でもあるのに乗客はわざわざ降りて集落に宿を取るのかというと。
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『皆様、まもなく列車はソーン集落駅に到着いたします。当駅で今夜機関車の整備を行うため、本日は当駅にて列車は停止いたします。乗客の皆様は当駅近辺の宿屋に宿泊されるか、ご乗車になられている寝台を引き続きご利用ください。なお、対向車線には本日深夜、貨物列車が通過するため騒音が鳴る事がございます。これは決して敵性勢力による襲撃といった自体ではありませんので、あらかじめお伝えさせて頂きます。貨物列車の通過時刻は、明日未明の2刻24分頃を予定しております。それでは、これよりホームから集落へ向かわれるお客様には駅係員が改札を行います。お手元の切符と、財布や金品などの貴重品を忘れずにお持ちの上、ホームの改札口へとお進み下さいませ』
ということ。
つまり、今日はこの駅で機関車のメンテナンスと、クソ暑い中必死に機関車を動かしている機関士たちが休息を取るための日なのだ。
というか、この駅で休息を取り、この駅では休息をせずぶっ続けで進むとかってのがちゃんとダイヤで決まっているんだけどさ。
ところで、50度という高温な環境で機関車を動かしている機関士だが、こうした休息を挟むとはいえずーっと同じ人が動かし続けてる訳ではない。
ジャーニーエクスプレスでは機関士は必ず常時3人乗ること、石炭を機関士の指示のもと放り込む機関助手は常時2人乗ることが定められている。
機関助手は基本的には石炭を放り込んで釜の火力調整をしていくのが仕事で、ある程度機関車を動かすための訓練さえクリアしていれば機関助手として乗務できる。
そのため、ある区間ごとに『機関区』と称してエリアを区切り、機関区の所属が変わる駅で乗務する機関助手を交代することが可能だ。
ところが機関助手と違い、機関士は火力維持以外のあらゆる物を制御して機関車を動かす、大変重要かつ極めて神経をすり減らす激務をこなしている。
加えて、機関車のどのバルブを開ければどのように動きが変化するのかといった、機関車を動かすための構造を完璧に理解しなければならない上に、操縦の仕方を一歩間違えれば脱線や追突といった大事故にも繋がりかねない。
まさに命を預かる立場である以上、専門の訓練を受けた者でなければ絶対に機関車を動かしてはならないという決まりがある。
だがそうした専門技術をしっかり習得した機関士というのは単純に数が限られているのと、魔力をエネルギーとする魔導式機関車とは構造が根本から異なるビッグボーイ を動かすことから、ビッグボーイを動かすことに慣れたベテランの機関士を3人付けて乗務させている、というわけだ。
つまり、機関区での乗務員交代を行わずに列車に乗務するのである。
昨日サンドウィッチを差し入れたバッグさんも含め、ものすごく大変な仕事をしているのである。
世界一周をしてる間お家に帰れないとか、そういうところも含めて実はかなり大変なお仕事だ。
もっとも、列車にずっと泊まり込みで乗務する私たち車掌もまあ、それは同じことなんだけど。
機関車がブレーキを掛け、列車がゆっくりと減速し始める。
いよいよ本日の終着駅に到着するようだ。
機関車から吐き出される黒煙もモクモクと大きく登っていっている。
やがて列車が完全に停止した後、私たち車掌はホームの改札に大急ぎで向かい、駅係員と共に列車を降りる人の切符を改札する。
列車の寝台ではなく揺れない地面の上で寝れるという事もあり、この駅で一時的に降りる客も含め、改札をする乗客は以外と多い。
乗客らの改札が終わったら、次はこの駅で一時的ではなく完全に降りる乗客の荷物を貨物車から積み下ろす。
この辺の管理システムも社長が考えたそうなのだが、まず先にも述べたような限られた者以外の物理的接触を阻む結界が列車にも適用されているため、盗みの類はほぼほぼ起こる可能性は低いといって良い。
その上で、万一盗まれた際にマーカーの役目と単純に乗務員が整理をしやすくするため、荷物には必ずタグが付けられる。
ここで完全に降りる乗客からは切符を回収するので、切符に書かれたタグの番号を元にそれと一致する番号のタグ付きの荷物を積み下ろすのである。
乗客によっては結構な大荷物を積み込んでいる場合もあり、この作業は現地の駅係員とも共同で作業を進める。
これで積み下ろしが終わって引き渡しが終わったら、ようやっと休めるかと思えばそういう訳でもない。
予算的な都合により列車の寝台に残る乗客も当然いるので、彼らの対応が滞らないように私たちは交代で休息を取らねばならないのだ。
幸い、夜勤で駅係員も深夜の乗客対応に協力してくれるので、乗務員の私たちだけでやる時よりは楽ではあるのだが。
「おう、お疲れさんベル」
「お疲れ様です、先輩」
簡易的な個人の部屋がある車掌室に戻ってきたところに、先輩のアーグ車掌主任が戻って来る。
それなりにこの会社での勤務歴は長く、私生活では奥さんにもお子さんにも恵まれた良き父でもあるのだが、最近はこの大変な仕事が体に負担にならないか、部下としてそれなりに心配している。
「それじゃあ、悪いが今日はお前が先に当番に当たってくれ。時間になったら交代で休憩しよう」
「じゃあ、今から8刻後の深夜の1刻頃に勤務を入れ替わりましょう」
「了解だ。じゃ、しばらくは任せたぞ」
「おやすみなさい」
先輩は自分の狭いパーソナルスペースを仕切るカーテンをシャっと閉める。
この居住部屋が付いてる方の車掌室というのは、本来は同性の車掌で扱う事を前提にしている。
のだけれど、ジャーニーエクスプレスにおいては私は例外的に男性の先輩と一緒に乗務している。
一番大きいのは、どっちも互いに相手を異性として思っていないという事か。
ぶっちゃけた話、私自身は特に自分の体を見られる事に対してあまり関心が無い。
さすがに全裸を見せるというのは御免被るが、下着くらいだったらあまり気にしないというか……。
物心ついた時にはもうそういう感覚でいたので、多分これは生まれながらの自分の感性というやつなんだと思う。
社長や上役たちも、その事実を知っているから例外的に私をこの列車に乗務させている。
あと、なるべく実家から距離を置いておきたくて世界を走り回っていたいのも一つの理由か。
さて、乗客の対応ができるように移動しないと。
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「どうぞ」
「入りますよ」
当番を終え、先輩を呼びに車掌室の扉をノックするとすぐに返事が来る。
扉を開けると既に完璧に車掌服を着こなした先輩がいる。
「本当いつも思いますけど、時間にはきっかりしてますね。まだ15分ほど余裕がありますけど」
「10分前行動はこの会社じゃ常識なの、忘れたか? 15分の間をおいて起こしに来るとは、さすがに気遣いって言うもんを覚えてきたな。じゃあ交代しようか」
「ではお言葉に甘えて、これより業務の引き継ぎを行います」
「了解。12刻47分30秒、ベルウェバー車掌よりアーグ車掌へ、確かに業務を引き継ぎました。じゃ、ゆっくり休めよ」
「では、おやすみなさい」
「おう」
先輩が扉を閉める。
一応暴漢対策のために鍵を掛け、その上で私の方のスペースを仕切るカーテンを閉める。
車掌用の制服を脱ぎ、下着になったままベッドの毛布に包まる。
「そういえば、ソーンから先は石炭と水を補充するために運転停車するポイントを除いて、列車はずっと走りっぱなしだったっけ」
ソーン平原を超えると、次に乗客が降りられるのは極寒の雪国への入り口『レーヴェルサント駅』だ。
今の時期だったらまだ毛布は要らない環境だと思うが、あそこは年間暖かい日の方が少ない地方だ。
そしてレーヴェルサントを越えたらその先は、万年雪が降りしきるような極寒の雪国に変わる。
となると、レーヴェルサントでの積み下ろしに毛布が加わることになるな。
加えて暖房をよく効かせるために、専用の魔源車(魔力を基にしてエネルギーを供給する車両のこと)も連結するだろうから、ああまた大変な仕事がてんこ盛りになるな。
とりあえず、朝のおはよう放送をするまでは眠ることができるから、それまでお休みしよう。
明日もまたやることはたくさんあるのだから。
と言いつつもなかなか寝付けず、ようやくウトウトし始めた時に隣を通過した貨物列車の音で、また目が覚めてしまったのだが……。