一ベル 糸編み機と少年
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――ギッコンバッタン。
小気味良い音を鳴らしながら、編み機はせっせと駆動する。
一本の細い糸を、十本合わせて太い一本にする。全ての糸が編めるまで、休むことなく自ら動く。
編み機が糸を編む音色は、メトロノームのように単調だ。催眠効果は抜群で、編み機の調整をしていたソウガ=ホシノは大きな欠伸をする。
薄い顔立ちのボサっとした黒髪。人情味溢れる太くて薄い眉は、何もないのにハの字を描いている。
欠伸をしたことで湧いた涙を拭い、手元に集中する。
手元にあるのは一世紀以上前に作られた鉄製の糸編み機だ。二十二世紀も後半に差し掛った今、こんな古い機械の修理などやっている技術屋はいないだろう。
今時こんな編み機を修理できる店は、技術屋というよりも修復士だ。けれどもホシノは自分が技術屋だという自負があったし、そうなりたいとも思っていた。
血の繋がりのない養父からは、鋳造の基礎から叩き込まれたし、アンティークの好きな養父の趣味にも付き合って来たのだ。この手のものには慣れている。
編み機のボルトを締めて、オイルを指す。若干、編み機の奏でる音が滑らかになった気がする。
「終わりっ!」
ホシノは編み機を動かしたまま立ち上がる。このまましばらく放置して、油を馴染ませる必要があった。
置き時計を確認する。昼の十一時を回っていた。
早めの昼食をとるため部屋を後にし、リビングに向かう。
適当に見つけたレトルト食品をレンジに放り込み、食器棚を開ける。
棚にはいくつかの食器が、二組ずつ仕舞ってあった。
「これもそのうち処分しないとな」
ホシノは独り言ちる。
適当な食器を取り出し、早く開けろと急かすレンジからレトルト食品を取り出す。
食卓に着いた時、ホシノは改めて実感した。
養父ゴードンは亡くなった。
二組ある食器の内、一組はいらなくなった。
師であり、育ての親であるゴードンが居なくては、このゴードン技師店は閉めなくてはならない。
最後の仕事が一世紀前の編み機の修理とは、実にゴードン技師店らしい最後だった。
ゴードンが亡くなり、ホシノは身寄りは無くなった。生みの親が行方知れずの今、十六になるホシノは本来なら施設に送りになっただろう。
施設に入れば、転居させられる。ゴードン技師店も家ごと取り壊されてしまうだろう。それだけは避けたいホシノは、なんとか技師店だけでも守れる方法を探していた。
幸いホシノの後見人として手を上げてくれる人がいたので、家を出なくて済んだ。
保護者はできたものの、これからは一人で、この家で働いて生きていかなければならない。
技師としては未熟なホシノは、まだ店を切り盛りできるレベルには達していない。無理に店を出したところで、そもそも未成年が店主の店など、国から許可が降りるはずもない。
状況としては大人になれと迫られているものの、まだ法律的には子供なのだ。
大戦から半世紀、人権に五月蝿い今の社会で、子供が働ける場所は限られている。
今は非正規雇用で食い繋ぐしかない。けれど、いつか大人になり腕を磨いた暁には、ゴードン技師店を再び開店するのだ。ホシノはそんな夢を見る。
今日は、大事な仕事がある。依頼人はホシノの後見人。適当な仕事はしたくない。
ホシノは手早く食事を済ませて身支度する。
一張羅のジャケットを羽織り、特殊なコンタクトレンズを目にはめる。極薄の液晶になっているレンズは、その名の通り液晶角膜と呼ばれている。
廊下の奥の作業部屋から、編み機の音が聞こえてくる。
――ギッコンバッタン。
滑らかな動きの子気味良い音だ。上手く回っているようだな。
スイッチを切るまで、もう止まりそうにない。
ホシノは安心して玄関に向かい、外に出て鍵を閉めた。
ホシノのいなくなった後も、編み機はせっせと糸を編んだ。
◇
看板娘の元気な声が、朝の喧噪を割って飛ぶ。
歩道を歩く全ての人に、朝の挨拶と自前のパンを勧めている。
老人から子供まで分け隔て無く声を飛ばす優しい看板娘。その前をホシノは通り過ぎた。
時が止まったように明るい声がしなくなる。
まるでホシノの存在に気が付いていないかのようだ。
看板娘はホシノのことなど見もせずに、後ろにいる女性に声を掛けた。
背中から聞こえる元気な声に、ホシノは胸が痛んだ。
駅のホームで列車を待つ。
朝方取り付けた特殊なコンタクトレンズ、液晶角膜。まるで視界が一つのパソコン画面のように見える視界には、列車の到着予定時刻と現在時刻が表示されていた。
予定時刻きっかりに、列車はやってくる。
列車はラッシュを過ぎた後のようで、がら空きだった。
ホシノは目に留まった座席に座ろうと歩き出す。
すると横からわざわざ入ってきて、目当ての座席に男が腰掛けた。
もしもこれを誰かが見ていたなら、男の意地悪だと思うことだろう。
しかし男には意地悪という自覚は無かった。ただ空いていた席に座っただけ。
ホシノが存在していることに、男は気が付かなかっただけなのだ。
ホシノは肩を落として別の席に腰掛けた。
胸の中にはモヤモヤとした陰鬱な気分が渦巻いている。その気分の正体を想像しながら、車窓から見える真っ白な建物に視線をやった。
――ラケシス教会。
今や世界人口の三割が信仰するラケシス教。その教会が割り振る運命値という数字は、今や世界になくてはならない数字であり、同時にホシノの憂鬱の原因である。
DNAの塩基配列を数字に置き換えて算出する運命値は、人の存在価値を表した数字だ。数値が高ければ高い者ほど大きな事を成し遂げられ、反対に低い者は周囲に与える影響が少ない。
ホシノの運命値はゼロ。生きている意味が無いと言わしめた、無価値を現す数字。
看板娘や男は、ホシノに気が付かなかった理由もこの運命値にある。
自分から声を掛けたり、アクションを起こさない限り、ホシノは周りから認識されない。
誰からも相手にされることはないのだ。
列車は発車し、やがて目的の駅に着く。
駅を出るなり目に留まるのは、荘厳な建物。
今日の仕事先、ソードブリッジ学園だ。
ホシノは建物を見るなり、少し切ない気分がした。
十七歳という年齢からすれば、このご時世何処かの学園に入っているのが普通だ。
けれどホシノには入れない。そもそも入学基準である運命値が足りない為、試験すら受けられない。
――学校に行くこと。ソードブリッジ学園で技術屋としての学問を積み、養父と同じ道を歩むこと。
それが、本当のホシノの夢である。叶えられれば、どれだけ幸せなことだろうか。想像して、ホシノは首を振る。
今は運命値だけでなく、お金も足りない。
生活にも窮しているのだから、大それた望み持つべきではない。
今はお金を稼ぐこと。働くことが先決だ。
学園の門を見たことで顔を出した夢、両手で軽く頬を叩くことで霧散させる。
頭の中で今日の仕事内容を思い出す。
軍人の相手を勝負して,勝つこと。そして実験に付き合うことだ。
大事な仕事に遅れてはいけないと、ホシノは早々と学園の門をくぐった。