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後編

 《副軸――少年少女の記録》 【B】の証言



 久留巳「今日は来てくれてありがとう。まずは、自己紹介をお願いしてもいいかしら」


【B】「……は、はい。衛宮高校三年の、【B】です。部活は吹奏楽部です」


 久留巳「さっそくだけど、十年前の事件について教えてもらってもいいかな?」


【B】「お……教えろって言われても、わかりません」


 久留巳「あなたたちが、二匹の宇宙人を飼育していたときの話なのだけど。どうしてそんなことしたの?」


【B】「わっ、わかりません」


 久留巳「自分の両親を監禁したことを、あなたはどう思っているの?」


【B】「わ、わわ、わかりません」


 久留巳「御両親を殺した犯人について、心当たりはある? あなたたちが自宅に到着したときには、すでに亡くなっていて。それで、死後【A】がその頭をバットで潰した、と聞いているのだけど」


【B】「……わかりません。お、覚えていません」


 久留巳「覚えていない? 【C】は、自分が殺したと証言しているのだけど」


【B】「あ、あの日、お弁当を忘れて学校を抜け出したのは【C】だけでしたから。その可能性は高いと思います。で、でも……両親が死んだことも、両親にされていたことも……ショックでしたから。お、おお、思い出したくないんです」


 久留巳「それは……確かに、そのなのかもしれないわね」


【B】「……ごめんなさい」


 久留巳「もしかして、あなたが島にある蓬莱高校ではなく衛宮高校に進学したのは、事件のことを忘れたかったからなの? あの四人とも、離れたかったとか」


【B】「そ、それを言うなら、【D】は曹洞学園だし、【E】は三聖女学院で、二人とも島の外にある高校に通ってると思うんですけど」


 久留巳「まあ、二人の場合は学力的な問題じゃないかしら。県内でも有数の進学校である衛宮高校に進んだあなたとは、少し事情が違うと思うのだけど」


【B】「そ、それは……」


 久留巳「四人とは、高校に進学してからも会ってるの?」


【B】「そ……そうですね。【C】や【E】は、心配してときどき連絡を取ってくれたり、会いに来てくれたりしています」


 久留巳「【A】とは、会っていないの?」


【B】「は、はい。【A】とは、高校に入って以来ほとんど会っていません。【D】とは、町で偶然会うこともありますが」


 久留巳「【A】があなたの御両親を『宇宙人』と呼んで監禁したことについては、どう思っているの?」


【B】「わ、わかりません」


 久留巳「【A】本人については、どう思っているの?」


【B】「……わかりません」


 久留巳「それだけ可愛くて吹奏楽部なら、さぞ学校でもモテるのでしょうね」


【B】「ぜ、全然そんなことありません。そういうの……苦手ですから」


 久留巳「苦手って。それは、過去に御両親にされていた性的虐待が原因なの?」


【B】「……答えたくありません」


 久留巳「そう……」


【B】「あ、あの……もういいですか? 十年前の事件については、本当に何も覚えていなくて……だから……だから……」


 久留巳「まだまだ確認したいことがあったのだけど、仕方ないわね。今日は来てくれて、本当にありがとう」


【B】「は、はい。失礼します」




 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》⑥



 その日は朝から雨が降っていた。

 警察は必死にシーラカンス星人の事件を捜査しているようだが、僕に辿り着く気配はなかった。証拠も目撃証言も得られていないのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

「弥勒君」

「………」

「ねえ、弥勒君」

 頭が爆発しそうなほど痛い。


 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、


 放課後、教室でブラックの缶コーヒーと一緒に頭痛薬を飲んでいると、宇宙人が声を掛けてきた。醜く太った、緑色の肌を持つ宇宙人――オーク星人の星野ルナだ。

 僕は面倒臭く感じながらも、視線だけを向ける。

「今日、時間ある? もし良かったら、一緒に買い物に行きたいんだけど。ほら、最近あまりデートとかできてないし」

「……悪い、ルナ。今日は知り合いと会う約束があるんだ」

「知り合いって……まさか、女子じゃないよね」

 オーク星人の目に、鋭い嫉妬の炎が宿った気がした。

 僕はとりあえずの笑顔を向けて、首を振る。

「中学時代からの後輩で、男子だよ。僕がルナよりも優先して、他の女子と会うはずなんてないだろ」

「……本当?」

「ああ。それよりも、最近少し痩せたんじゃないのか? ルナはもっと太った方が可愛いよ。僕は、太った女性が大好きなんだ」

「うん。私、弥勒君のために頑張るね」オーク星人が、両手を持ち上げて大げさに頷いた。「もっと、もっと、いっぱい食べて太るから。だから……浮気なんてしちゃ駄目だよ」

「そんな心配しなくても、大丈夫だよ。僕は、ルナ以外の女性には興味がないんだ」

「嬉しい、弥勒君」

 オーク星人が僕の身体に、自分の巨体を押し付けてくる。

 おそらく、彼女は僕に抱き締めて欲しいのだろう。しかし僕は、宇宙人とそんなことをするつもりなどなかった。

 ルナとは一年近く付き合っているが、キスはおろか手を繋いだことすらない。僕は宇宙人に対しては潔癖だ。適当に理由を付けて、これまで誤魔化してきたのである。

「ごめん、ルナ。そろそろ約束の時間だから」

 僕は立ち上がると、オーク星人を置き去りにして教室をあとにした。

 今日は学校で見つけた二匹目の宇宙人――セミ星人の岡森君と、彼のアパートで密かに会うつもりでいたのだ。

「やあ、そろそろ来る頃だと思っていたよ」

 傘をさして正門を抜けると、見覚えのある少女が立っていることに気付く。

 もう一カ月以上、僕に付き纏っている怪異のような少女――水木茂子だ。おそらくは、予想どおり今日の宇宙人殺しにも付いて来るつもりなのだろう。

 はっきり言って彼女の存在は鬱陶しいが、茂子が一連の猟奇殺人事件の犯人をこの僕だと認識している以上、無下にはできない。仕方なく、適当に挨拶をして同行を許可する運びとなる。

「それにしても、随分とペースが早いんだね」

 傘をさして歩きながら、茂子が薄ら寒い微笑を浮かべた。

「前の根元君を殺して、まだ一カ月も経っていないのに。続けざまに同じ学校の生徒を殺してしまって、大丈夫なのかい?」

「それは……どうだろうな。本当のことを言うと、セミ星人を殺すのはもっと後にする予定だったんだ。でも、宇宙人を放っておくことに……我慢できなくて」

「我慢できない……か。まあ、同じ学校の一年生とは言え、根元君、岡森君、木村さんの三人には、共通点がないからね。現場に証拠さえ残さなければ、キミが疑われることなど皆無だと思うけど」

 そこまで話して、不意に僕は立ち止まる。それに合わせて、茂子も立ち止まった。

 雨の中を、三聖女学院の制服を着た一人の少女が、自転車で通り過ぎていく。

「知り合いかい?」

「ああ。岡森君の……セミ星人の、彼女だよ。去年までは蓬莱中学校に通っていて、僕の後輩だったんだ。彼女も島の人間だから、ちょうど今、学校が終わって家に帰るところなんだろうな」

「……なるほどね」

 散文的な声音で、茂子が答えた。

 自転車に乗った少女の目の周りには、痛々しい青痣ができていた。昨日見たときと同じように。

「それで、大丈夫なのかい?」

「大丈夫って……何がだよ」

「今日が雨で、サッカー部が休みなのは知ってるけど。岡森君が、アパートでキミと会うことを誰かに話すんじゃないかと思ってね」

「確かに、彼は見た目のとおり軽薄で軽率なところがあるからな。どれだけ口止めしても、僕と会うことを他人に話してしまう可能性が高いわけだけど。その心配はないよ。なぜなら、僕は岡森君と会う約束などしていないからな」

「ああ、そう言うことか。確かにアポなしなら、彼が口を滑らせる心配はないのだろうね」そこまで言って、黒髪の少女が不気味な眼差しを向けてくる。「でもその場合、キミはアパートの前で、いつ帰って来るかわからない彼を待ち続けなければならなくなる。そうなると、不審者として誰かに目撃される可能性だってあるんじゃないのかい?」

「そのために、お前がいるんだろうが」

 歩きながら、無感動な声音で答えた。

「ああ、なるほど。まさか人殺しをするときに、カップルで現場にのこのこやって来る殺人鬼なんていないだろうからね。二人で一緒にいれば、不審者として認識される心配もないってことか」

「加えて言うなら、雨が降っているお蔭で傘で顔も隠せるからな。目撃されたところで、僕たちが特定される心配はない。まあ一つ気になるのは、お前がこの地域のものではない制服を着ているせいで、悪目立ちしてしまうことぐらいだが」

 そんな話をしていると、目的地であるセミ星人のアパートに辿り着いた。

 どこにでもある、二階建ての安アパートだ。

 最初に学校で会ったときは、『サッカー部には入らない』と言っていたセミ星人だが、結局のところ高校でもサッカーを続けることにしたらしい。今日は雨のためサッカー部は休みだが、電気が点いていないことから、岡森君がまだアパートに帰宅していないことがわかった。

「どうするつもりだい?」

「まあ、あまりこの場に留まるのも、得策ではないな。いくらカップルに見られているとは言え、こんな場所で立ち止まっていては明らかに不審だ」

「それじゃあ、時間を置いてまた来るのかい?」

「ああ。少し別の場所を歩いてから、もう一度様子を見に来よう」

 言いながら、僕はアパートから遠ざかるように歩き始めた。

 殺すのはまた今度にする、と言う選択肢もあったが、どうしても今日中に片付けておきたかったのだ。

「夜に殺しに来るわけには、いかないのかい?」

 茂子が不思議そうに小首を傾げる。

「夜なら、人目にも付かないし、岡森君がいる時間帯に確実に殺せると思うんだけど」

「いや、夜は駄目だ。アパートの住人についても調べたが、彼の両隣は社会人で夜の七時には帰宅する。殺すときに悲鳴や物音が響く可能性を考慮したら、とてもじゃないが両隣がいるときには殺せない。あのアパートは、見た目のとおり木造で壁が薄いんだ」

「だったら、部活が終わった帰り道で殺すとか」

「それも難しいな」少女に向けて、鷹揚に首を振った。「岡森君は、帰り道はいつも他の部員たちと一緒だ。もちろん途中からは独りだが、アパートまでの道のりは特に人通りが多いからな。シーラカンス星人のときのように、帰り道で殺すことは不可能だ」

「なるほどね。それで部活が休みの今日、アパートで殺す必要があるわけか」

 ようやく納得した様子で、茂子が皮肉っぽい笑顔を浮かべる。

 一時間近く時間を潰した後でアパートに戻ると、セミ星人の部屋の電気はすでに点いているようだった。


 ピーンポーン! ピーンポーン!


「はーい!」

 チャイムを鳴らすと、返事とともにセミ星人が顔を出す。

 もしかしたら友だちや恋人が遊びに来ている可能性もあったが、都合良く彼は独りだった。もしも他の登場人物がいた場合は、ぞの時点で日を改めるつもりだったわけだが。独りなら問題ないのだろう。適当に『相談したいことがある』などと笑顔で言って、部屋の中に上げてもらうことにする。

「どうしたんですか、桐式先輩。いきなり俺に会いに来るなんて」

 どこか嬉しそうな様子で、セミ星人が僕と茂子にジュースを用意した。

「しかも、その美人さん……いったい何者ですか? 見掛けない制服ですけど」

「おいおい、美人だなんてよしてくれよ岡森君。照れるじゃないか」

「あ……もしかして、先輩の彼女ですか?」合点がいったような顔で、セミ星人が膝を打つ。「いや、ずっとおかしいと思ってたんですよ」

「……おかしいって?」

「それは、星野ルナのことに決まってるじゃないですか。あんなデブと、どうして桐式先輩が付き合ってるのか、ずっと疑問だったんですよ。クラスの女子も『信じられない』とか言って、泣き出すヤツまでいるし。でも、やっぱりあれって、先輩があのデブに強引に付き纏われてただけなんですね。水木さん……でしたっけ? これだけ美人なら、桐式先輩とも釣り合いますし」

「まあ、僕は……キミの彼女の方がよっぽと美人だと思うけどね」

 口吻を動かしながら、饒舌に語るセミ星人。そんなセミ星人に、僕は殊更にシニカルな笑みを浮かべて言った。

 とりあえず、上着を脱いで臨戦態勢を整える。

「そ、そうですか? あんなヤツ、全然可愛くないと思いますけど」

「そんなことはないさ。特にあの、メイクがいいね。目の周りの青痣が、パンダみたいで素敵じゃないか」

「何が……言いたいんですか?」

「別に。ただ、キミと話すことはもうないかなと思って」

「………」

 そこまで言うと、僕は立ち上がった。殺気混じりの目で睨み付けてくるセミ星人に、予備動作なしで拳を叩き込む。

「うがッ……ギャアアアアアア!」

 僕の正拳突きを受け止めたセミ星人の右腕が、明らかに不穏な方向へと曲がった。


 ゴン――! ゴン――!


 相手が怯んだ隙を見逃さず、僕は握り拳を頭部に叩き付ける。

 岡森君は、もはや悲鳴すら上げられない様子で、人間の姿になって息絶えていた。


 ゴン――! ゴン――! ゴン――!


 その頭部を、念入りに破壊する。

 一連の作業が終わった後で、僕はコップに残ったジュースを片付けた。

 ――ちょっと、血を浴び過ぎたかな。

 自分の状態を姿見で確認しながら、心の中で独りごちる。

 せっかくなので部屋にあるシャワーでも利用したいところだが、さすがにバスルームからルミノール反応と僕の毛髪がセットで見つかれば、言い逃れできないのだろう。

 仕方なく、台所で顔と腕だけ洗って、シャツに付いた血は上着で隠すことにした。

 長居をするわけにもいかず、アパートをあとにする。

「お疲れ様だったね」歩きながら、水木茂子が僕の顔を覗き込んだ。

「別に……疲れるほどのことはしてないさ」

「一つだけ質問があるのだけど」

「……何だよ」

「どうしてキミは、殺す前に岡森君を挑発するようなことを言ったんだい? 相手が油断しているところを不意打ちで殺せば、もっとスムーズだったのに」

 セミ星人を殺したときのことを、改めて思い出す。確かに、僕の行動はあまりスムーズとは言えないのだろう。

「別に……どうでもいいだろ。ちょっと、宇宙人の反応を見て見たかっただけだ」

「宇宙人の反応……ね。そう言えばキミは、十年前の橘川夫妻の事件でも宇宙人である彼らをいきなり殺したりはしなかった。飼育……と言うか、しばらくタヌキ用の檻に閉じ込めて、監禁するような真似をしたんだ。どちらにせよ殺すつもりなら、あまり合理的とは言えないんじゃないかな」

「十年前は……まあ、子どもだったからな。どうやって宇宙人を殺せばいいのかわからなくて、とりあえず監禁して様子を見ていたに過ぎない」

「ふーん、そうなんだ」

 露骨に訝しむような表情で、怪異の少女が僕を見た。そんな彼女の様子が気に入らなくて、早足で通り過ぎる。

「今日の夜も、宇宙人を捜しに行くんだろ?」

 立ち止まった茂子が、抑揚のない不気味な声を投げ掛けた。

「夜になったら、迎えに行くよ」

「………」

 僕は何の返事もせずに、振り返らずに、自宅アパートへと帰還する。

 頭痛薬のせいで胃が荒れていて、何かを食べる気分にはなれなかった。


 †


 僕がベッドの上で仮眠をとっていると、水木茂子がやって来た。宣言どおり、彼女と一緒に宇宙人捜しに出掛けることにする。可動橋を渡って本土に上陸し、市内でも人の多い駅前へ。十年前から、毎日のように宇宙人を捜しに来ている場所だ。

「相変わらず熱心なんだね、弥勒君は」

 一緒に駅前のデパートを調べ、再び駅に戻ってきたところで茂子が言った。

「本当に毎日、こんなことを繰り返しているのかい?」

「当たり前だ。宇宙人を、見逃すわけにはいかないからな」

「見逃すわけにはいかないって……本気で一人残らず、宇宙人を殺すつもりなの?」

「何が言いたい」

「いや、あと何人いるのかもわからない宇宙人を……しかも、いきなり普通の人間が宇宙人になることもあるんだろ? それを一人残らず見つけ出して殺すのは、さぞ大変だろうと思ってね」

 肩をすくめて、少女がうんざりした顔で言う。

「お前が思っているよりも、宇宙人の数は遥かに少ないんだ。実際のところ、僕もこの十年で二十匹程度しか見つけられていないからな。全滅させるのは、それほど難しいことじゃない」

「なるほどね。十年探索して、たった二十人か。それなら、確かに思ったほど多くないのかもしれないね」

 そんな話をしていると、不意に見覚えのある少年が目に入った。

 西京義塾の前で、幼馴染の一人である藤浪敦嗣が誰かを待っている。

「おい、敦嗣」

 そのまま無視するわけにもいかず、何となく僕は声を掛けた。

「おお。弥勒か? えーと、そっちは?」

「初めまして、ボクは水木茂子と言う者だよ。久留巳先生の知り合い、とでも言えばわかりやすいかな」

「久留巳先生の……」

 相変わらずの、不気味な雰囲気で自己紹介を済ませる少女――。そんな少女を猜疑心の宿った瞳で確認した後で、敦嗣が呟く。

「それよりも、こんなところで何してるんだ? 塾を見ていたようだけど。誰かと待ち合わせか?」

「ああ。実は、少し前から植美が西京義塾に通い出してな。それで、まあ、終わるのを待ってるんだ」

「植美が?」

 眉をひそめて訊き返した。

 敦嗣と植美は中学生の頃から彼氏彼女として付き合っている。だから、敦嗣が植美のことを塾の前で待っているのは、別に奇異ないことだと思うのだが。植美の進路は就職か短大だ。特に大学入試を受けるわけでもない植美が、西京義塾に通うことには何とく違和感があった。

「植美は……大学に進路を切り替えたのか?」

「いいや、植美の進路は相変わらず就職か短大だ。でも、社会勉強のために塾にも通いたいらしくて」

「社会勉強って……それで大学入試に特化した西京義塾に通うのは、いまいち理解できないな。友だちにでも、誘われたのか?」

「さあな。まあ、そんなところなんじゃねえのか」

 特に興味のなさそうな顔で、敦嗣が言う。

「そんなことより、いいのかよ弥勒」不意に敦嗣が、皮肉っぽく目を細めた。「お前、学校に彼女がいるくせに、他の女子とこんな場所でデートするなんて。嫉妬深い星野ルナが知ったら発狂するぞ」

「別に……こいつに関しては、そういうのじゃないからな。問題ない」

「問題ない、ね。前から思ってたんだけど、どうしてお前……星野ルナなんかと付き合ってるんだ? 顔は、確かに太る前は可愛かったけど。性格は昔から最悪だっただろ」

 本気で理由がわからない、と言った様子で敦嗣が質問した。

 敦嗣は俺と同じく蓬莱高校に通っているので、もちろん俺と星野ルナが付き合っていることも知っているわけだが。

「大した理由はない。別に好きな相手もいなかったし、ルナは強引だったからな」

「強引って……確かに、噂は色々聞いてるけど。好きでもない相手と付き合って、何の意味があるんだ」

「それを、お前が言えるのか」

「……どういう意味だよ?」

「そのままの意味だ」

「チッ――」

 僕の言葉を受けて、敦嗣が面倒臭そうに舌を打つ。

 敦嗣が本当は夢愛のことが好きなのは、子どもの頃から知っていた。さすがに今は、恋心は抱いていないのかもしれないが。彼が本気で植美のことを好きだとは、どうしても思えなかったのだ。

「もういいだろ? さっさと行けよ」

 鬱陶しそうに、敦嗣が言う。

 僕と茂子は、その場をあとにすることにした。

「敦嗣について、どう思う?」歩きながら、ふと気になって質問する。

「そうだね。まあ、ボクは久留巳先生ともちょくちょく会っていて、彼のこれまでのカウンセリングの様子も知っているわけだけど。敦嗣君のキミへの対抗心は、すさまじいものがあるようだね」

「対抗心……か」

「ああ。おそらくキミと同じ蓬莱高校を受験したのも、好きでもない相手……上比佐植美と付き合っているのも、その対抗心ゆえなのだろうね。植美ちゃんは、子どもの頃キミのことが好きだったみたいだから。そんな彼女と付き合うことで、キミに勝った気になろうとしてるんだよ」

「馬鹿馬鹿しい」

 少女の言葉を受けて、眉をひそめた。

 敦嗣は昔から、僕に突っ掛かってくることが多かった。

「まあ普通の人間は、キミのような才能と容姿に恵まれた存在を意識したとき、一も二もなく『自分には敵わない』と認めてしまうものなんだけど。敦嗣君のような未熟な人間は、自らの力量を推し量ることさえできないんだよ。それで、自分の能力を実際よりも高く評価してしまうんだ」

「認知バイアス……ダニング・クルーガー効果か」

「ああ。まあ、哀れと言えば哀れだけど。嫉妬と向上心は紙一重だからね。彼にとっては、きっとキミに対抗することこそが生きがいになっているんだよ」

「迷惑な話だな」

 再び駅前へと戻って来た後で、溜め息一つ。敦嗣とは昔からの付き合いで、別の僕自身は彼のことを嫌っているわけではないのだが。そう言うところは面倒臭い。

「敦嗣君と言えば……知ってるかい?」

 茂子が不意に、悪戯っぽく小首を傾げた。

「何がだよ」

「いや、十年前の事件についてなんだけど。記録映像の中で、彼はこんなことを言ってたんだ。橘川夢愛のためにその両親を殺したのは、自分だってね」

「……そう……だったのか」

「まあ、本人はそう証言していたわけだけど」

「………」

 記憶の底に探りを入れて、十年前のことを思い出す。

 そう言えば、敦嗣はあの日、お弁当を忘れて学校を抜け出していた。そのときに殺したのなら、一応の辻褄は合うわけだが。

「十年前の事件って……死亡推定時刻に関しては、わかってないんだよな?」

「ああ。当時の技術では、死亡推定時刻を正確に計ることはできなかったんだ。エアコンも付けっ放しだったから、遺体の状態も普通とは違っていてね」

「……やっぱり、そうなのか」

「まあ、敦嗣君も十年前には『自分が殺した』――とは言っていなかったわけだけど。当時は子どもだったから、嘘を付いた可能性もある。まあ、キミ以外の人間にとっては、殺人の記憶なんてそれこそトラウマだろうからね」

 口の端を上げて、皮肉っぽく茂子が言った。

 ――あの事件の犯人は……敦嗣だったのか?

 ――敦嗣は、夢愛のことが好きだった。

 ――だとすれば、夢愛のために両親を殺した可能性だって……

 夢愛のことを好きだった敦嗣が、夢愛のためにその両親を殺す。ストーリーとしてはありきたりだが、ありきたりだからこそ確かな現実味があるような気がした。

 もしも十年前、宇宙人を殺したのが敦嗣であったなら、彼はこの十年いったいどんな気持ちで生きてきたのだろうか。何となく、そのことが気になった。



 《副軸――【Bクラッシャー】》②



【Bクラッシャー】は、その優越感と開放感にいつしか酔いしれていた。

 他者を殺すことで得られる快楽に、いつしか酔いしれていた。

 殺すことで、【Bクラッシャー】は初めて生を実感することができたのだ。自分の存在価値を、見い出すことができたのだ。

 この不条理な絶望の世界で。この不条理な絶望の世界で。

「うぅん……どうしたの、【Bクラッシャー】?」

 裸の少女が、【Bクラッシャー】のベッドの中で呻き声をあげる。

「なあ。植美は……俺のことが好きなのか?」

「何言ってるのよ。当たり前でしょ」

 欠伸を噛みながら、当然のような顔で上比佐植美が答えた。

【Bクラッシャー】と上比佐植美は、幼馴染だった。【Bクラッシャー】は別に上比佐植美のことが好きではなかったが、あの最高の快楽を再び得るために、彼氏彼女の関係を甘んじて受け入れることにした。

 ――もうすぐ満月の夜がやって来る。

 ――そうしたら、彼女のことも殺してしまおう。

 心の中で、漫然と独りごちる。

【Bクラッシャー】が何度も頭をかち割るのは、単純に快楽を得るためだった。

 上比佐植美の頭をかち割ったとき、自分はいったいどれほどの優越感と開放感を得られるのだろうか。――【Bクラッシャー】は、彼女の小さな頭蓋骨を見ながら夢想の海の底へと沈んでいく。沈んでいく。沈んでいく。

【Bクラッシャー】は、いつしか自分が人間を超越した存在になっているのだと、気が付いた。地球人を超越した存在になっているんだと、気が付いたのだった。



 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》⑦



 その日は、夜に二人だけで上比佐植美と会う約束をしていた。

 しかし、その前に一年五組のタコ星人――木村を殺しておくことにする。

 立て続けに同じ学校の生徒を殺すのは、さすがに無計画な気もするが。前のセミ星人である岡森君を殺してから、すでに一週間以上が経っているので特に問題はないだろう。

 いや、本当は僕は、焦っていたのかもしれない。宇宙人を三匹も一度に発見した経験などほとんどなくて、入院中の母さんの救われない姿を見たこともあり、僕の心はヤスリで逆撫でされたように毛羽立っていた。

「おや、もう殺してしまうのかい?」

 案の定、僕の予定を聞いた茂子が意外そうな声をあげる。

「一日でも早く、宇宙人を殺しておきたいんだ」

「まあ、十年前から事件が起こっていることもあり、警察は連続猟奇殺人事件の犯人像を二十代後半から三十代以上だと、勝手に決めつけているからね。別に同じ高校の生徒が立て続けに三人殺されたところで、教師が疑われることはあっても生徒が疑われることはないと思うけど。あまり合理的とは言えないんじゃないかな」

「いや、問題ないはずだ」少女に向けて、きっぱりと断言した。「セミ星人が……岡森君が殺された事件に関しても、警察は相変わらず『通り魔的な無差別殺人に違いない』と、憶断して捜査に乗り出しているからな」

「まあキミがそう言うのなら、殺したいときに好きに殺せばいいと思うけど」

 薄ら寒い微笑を浮かべ、茂子が言った。

 僕はタコ星人を殺すために、計画を練ることにする。

 実家暮らしで友だちも多いタコ星人は、なかなか独りになる機会がないように思えた。そうなると、前々回のシーラカンス星人や前回のタコ星人のように、帰り道や自宅で殺すことはできないわけだが。僕は中学時代、生徒会で一緒だった坂本さんと小栗さんから、タコ星人が出会い系サイトにはまっている情報を入手。休日の土曜日に、彼女がサイトで知り合った社会人の男性と、二人きりで会う約束を交わした事実を突き止める。

「あれが、件の木村さんかい?」

 二人の待ち合わせ場所である駅前で、先に来ていたタコ星人の様子を窺っていると、茂子が首を傾げて確認した。

「見た目は真面目そう……と言うか、眉毛が太くて男らしいのに、どこの馬の骨とも知らない出会い系の男とほいほい会うなんて。木村さんは随分とウブなんだね。しかも、あんなに短いスカートまで履いて」

「そう……なのか。僕にはタコのような宇宙人にしか見えないから、彼女の容姿については良くわからないけど」

 気色の悪いタコ星人をまじまじと見つめながら、答える。

 坂本さんと小栗さんの話では、木村さんは出会い系サイトで知り合った男性のことを『彼氏』と自慢げに呼び、今日デートすることも大はしゃぎで話していたらしい。生徒会にも所属し、将来は東大を卒業して政治家を目指している彼女が、出会い系サイトで知り合った男と短いスカートを履いて会うなんて。何だか滑稽な喜劇のように思えた。

「あの……もしかして、ケンジさんですか?」

 そんなことを考えている。と、ケータイで写メを見ていたタコ星人が、一人の男性に声を掛けた。

 茶色い髪にピアスを開けた、浅黒い肌の男――いかにも『肉体労働者』と言った風貌の、十代後半から二十代前半ぐらいの男性だ。

「……もしかして、子猫さん?」

 おそらく『子猫』と言うのは、タコ星人のハンドルネームなのだろう。待ち合わせ場所で話し掛けられたケンジが、木村さんの姿を確認してギョッと目を見開く。

「今日は、会えて嬉しいです。あの、私……」

「――ふざけんじゃねえよ!」

 喜々とした様子で話すタコ星人に対し、いきなりケンジが声を荒げた。

「お前、自分の顔、鏡で見たことあるのかよ! 何が『クラスではみんなから『可愛い可愛い』って言われて、困ってます』だ! お前みたいなブス、可愛いと思うヤツなんているわけねえだろ! 何が『好きでもない男子に告白されて、迷惑してます』だよ! お前みたいなブスに、告白する男子なんかいねーよ!

「そ、そんな……酷い……」

 人目もはばからず、大声で喚き散らすケンジ。そんなケンジの姿に、駅前の通行人たちは早くも注目しているようだった。

「酷いのは、どっちだよ!」タコ星人に向けて、殴り掛からんばかりの勢いでケンジが叫ぶ。「俺のこと……騙しやがって! 聞いていた話と、全然違うじゃねえかよ! 俺のこれまでの時間、返せよブス! ここまで来るのに掛かった交通費、返せよブス!」

「ちょっと……ちょっと、待ってよ! ケンジさん!」

「うるせえ! お前みたいなブスと知り合いだって思われたら、恥ずかしいだろうが! ――触るんじゃねえよ!」

「キャ!」

 立ち去ろうとするケンジを必死に引き留めようとしていたタコ星人が、突き飛ばされて派手に転ぶ。しかしケンジは見向きもせずに、肩を怒らせて駅の中へと消えていった。

「う……うぐ……うぅ……うぅ……」

 散々、罵詈雑言を浴びせ掛けられた木村さんが、地面に手を付いて涙を流す。しかし、その泣き顔があまりに醜悪だったせいか、周囲の人間は横目で彼女を見留ながらも手を差し出そうとはしなかった。もしかしたらタコ星人は、誰かに優しくされたくてわざと大げさに泣いていたのかもしれない。

「……それで、これからどうするつもりだい?」

 ようやくタコ星人が立ち上がり、歩き出したところで茂子が小首を傾げる。

「どうするも何も……もちろん殺すけど」


 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、


 頭痛薬を口に含み、ブラックの缶コーヒーで噛み砕いて飲み干した後で、当然のように答えた。

 おそらくは、傷心のまま家に帰るつもりなのだろう。歩き始めたタコ星人を尾行しながら、僕は彼女を殺すイメージを頭の中で構築する。

「今回は、遠くで見ていてもらってもいいか?」

「それは……もちろん構わないよ。ボクはキミの邪魔をする気はないからね」

「助かるよ」

 そんな会話をした後で、茂子とは一旦別れることにした。

 泣きながら歩く宇宙人――タコ星人が、人気のない山道を通り掛かったタイミングで、後ろから近付いて声を掛ける。

「こんにちは、木村さん。こんなところで何してるの?」

「……桐式先輩」

 柔和な笑顔で挨拶すると、タコ星人が醜い顔を上げた。

「もしかして、泣いてるの?」

「う……う……実は……変な男に騙されて……酷いこと言われて……」

「可哀想に。悪いヤツもいたものだね。僕で良ければ、話を聞くよ」

「ほっ、本当ですか……桐式先輩!」

「ああ。でも……ここにいると、キミの綺麗な泣き顔を他の人に見られてしまうから。とりあえず、奥に行こうか?」

「は、はい!」

 タコ星人が大きく頷いたのを確認すると、僕は山奥へと入って行った。

 山の中にある人気のない公園で、二人きりで話をする運びとなる。

「酷い男だね、そいつは。こんなにも可愛い木村さんを、泣かせるなんて」

 被害者面で、悲劇のヒロインを演じるタコ星人。そんなタコ星人の話を適当に聞き流し、相槌を打ちながら、僕は公園に誰もいないことを確認した。

「あ、あの……桐式先輩って、今どうなんですか?」

「どうって?」

「い、いや、その……先輩に彼女がいることは知ってるんですけど。でも、星野先輩って、はっきり言ってデブだし。ブサイクだし。桐式先輩には相応しくないと思うんです」

「……そうかな?」

「は、はい。先輩には、もっとお互いを高められる相手の方が、相応しいと思うんです。だ、だから……えーと、私だったら、先輩とも釣り合うと思うんで……フゴッ!」

 何だか酷く面倒臭い気分になってきて、タコ星人の頭をアイアンクローで握り潰す。

 瞬間、人間の姿に戻った木村さんが脳味噌を撒き散らして絶命した。


 ゴン――! ゴン――! ゴン――!


 返り血をできるだけ浴びないように、ゴミ箱に捨てられていたレジャーシートを掛けてから、頭部を念入りに潰す。

「なかなかに、面白い喜劇だったね」

 一連の作業が終わり、公園を出た後で――茂子が話し掛けてきた。

「別に……宇宙人を殺すことに、面白いもクソもないだろ」

「そうだね。少なくともキミは、殺人に快楽を求めるタイプではないのだろうね。根元君。岡森君。木村さん。これまで三件の殺人事件を間近で観察してきたけど、実に淡々とこなしているように見える。まるで工場の流れ作業のようだ」

「当たり前だ。宇宙人を駆除することは僕にとって重大な使命であり、それ以上でもそれ以下でもないからな」

「……まあ、そうなのだろうね」

 いつの間にか、頭痛が治まっていることに気付く。

 短期間のうちに、三匹もの宇宙人をを駆除することに成功した。このペースを維持できれば、お盆には父さんの墓にいい報告ができると思った。


  †


 満月が綺麗な、綺麗な、綺麗な夜だった。

 植美とは、二人きりで会う約束をしていたので、茂子には何も言わずに待ち合わせ場所であるファミレスへと向かった。

 彼女に会おうと思ったのは、呼び出しを受けている久留巳研究所での話を聞くことが目的だったわけだが。約束の時間になっても植美が現れることはなかった。

 電話で話をしたとき、彼女が随分と思い詰めた様子だったことを想起する。

 もしかしたら、植美がいきなり僕に『会って話がしたい』などと言い出したのには、何か特別な理由があったのかもしれない。何か重大な悩みを打ち明けたくて、僕のことを呼び出したのかもしれない。

 植美は、小さい頃から不器用なところのある少女だった。そのせいで小学生の頃に女子の間でイジメられ、僕が強引な手段でそれを助けたこともあった。

 ――もしかしたら、進路のことで悩んでいるのか。

 ――いや、彼氏である敦嗣との間に、何か問題を抱えているのかもしれない。

 泣き虫だった植美のことを思い出し、心配な気持ちが湧き上がってくる。

 時刻は、夜の十時を回っていた。

 僕はファミレスを出ると、植美の家に直接会いに行くことにした。

 可動橋を渡って子狸島に帰還すると、島の東側にある植美の家へと向かう。

「………」

 僕がある異変に気付いて足を止めたのは、町の片隅にある空地の前だった。

 人気のない真っ暗な、真っ暗な闇の中で、一人の人物が亡霊のように佇んでいる。

 大きな金色の目を持つ、手足の生えたフクロウのような姿をした宇宙人だ。

 島に住んでいる宇宙人はほとんど狩り尽したつもりだったが、まだ生き残りが潜んでいたらしい。――いや、あるいは最近になって、宇宙人に成り代わった登場人物なのかもしれない。

 フクロウ星人は、黒いマスコットバットを両手で握り締めているようだった。

 そして――その足下には、一人の少女が横たわっていた。

「……植美」


 ゴン――! ゴン――! ゴン――! ゴン――!


 フクロウ星人が、『はあはあ』と息を荒げながら、横たわった植美の遺体にバットを打ち付けていく。その頭がグチャグチャになるまで、叩き潰す。叩き潰す。叩き潰す。

「………」

 ようやくフクロウ星人が僕の存在に気付いたのは、そのすぐ後のことだった。

「……弥勒?」

「お前は……誰だ?」

 宇宙人が僕の名前を呼んだことに驚きながらも、質問する。

「宇宙人……お前は誰だ? どうして、植美のことを殺したんだ?」

「はぁ……はぁ……俺のことが……見えていないのか?」

 呼吸を整えながら、フクロウ星人が確認した。その後で、

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 バットを振り回しながら、フクロウ星人が僕に襲い掛かってくる。

 僕はアドレナリンコントロールによって、普通の人間よりも遥かに強い力を発揮できるが、別にそのお蔭で身体が丈夫になるわけではない。もちろん宇宙人を殺すために、肉体を日々鍛えているわけだが。マスコットバットで思い切り殴られれば、ただでは済まないのだろう。

「……ちッ!」

 そんなことを考えながら、必死に嵐のような猛攻を躱している。と、いきなりフクロウ星人が、反対方向へと脱兎のごとく逃げていく。

「おい、待てよ! ――宇宙人!」

 僕はすぐさまフクロウ星人の後姿を追い駆けようと思ったが、どうやら先ほど攻撃を躱したときに足を痛めてしまったらしい。アドレナリンのお蔭で痛みは感じなかったが、即座に走り出すことはできなかった。

 加速。加速。加速。加速。

 そんな僕を置き去りにして、フクロウ星人の背中が闇の中へと消えていく。

「………」

 独り取り残された僕は、植美の遺体を前にして――しばし立ち尽くした。

 本来であれば、僕は第一発見者としてこのことを警察に通報するべきなのだろうが。二十人以上も殺している連続猟奇殺人鬼である僕が、今回の件に関わるのは得策ではないような気がした。

 第一発見者として警察の記録に残ってしまうと、それだけで今後の活動に支障をきたす恐れがある。そう考えると、ここは何もせずに立ち去るのが正解なのだろう。

「植美……ごめん」

 幼馴染の無残な亡骸に謝って、僕は誰にも気付かれないようにその場をあとにした。

 夜の闇はどこまでも、どこまでも続いていて。暗くて。深くて。陰鬱で。覆い被さった黒い巨人は、子狸島ごと僕たちの魂を呑み込んでしまいそうだった。

 ザーザーと。ザーザーと。真っ暗な波の音が、耳にこびり付いて離れなかった。

 父さんが死んだ、あの夜のように。



 《副軸――【Bクラッシャー】》③



 桐式弥勒は、【Bクラッシャー】の姿が宇宙人に見えているらしかった。彼は橘川夫妻のことも宇宙人に見えていて、それで十年前、二人のことを『監禁しよう』などと言い出したのだが。どうやら【Bクラッシャー】は、そんな桐式弥勒の特異体質のお蔭で、正体を見破られずに済んだらしい。

 ――もしかしたら、このまま誤魔化しきれるかもしれない。

 ――弥勒に、俺が犯人だとばれずに済むかもしれない。

 上比佐植美の通夜に参列しながら、【Bクラッシャー】はそんなことを考えた。明日開かれる彼女の葬儀と告別式は、桐式弥勒と鉢合わせになる可能性を考慮して、参列しないことにした。

 桐式弥勒の目に今の自分が宇宙人として認識されているのなら、会わない方がいい。そう思ったのだ。

 ――警察に、捕まってたまるか。

 ――この殺人を、止められてたまるか。

 上比佐植美への焼香を済ませながら、彼女を殺したときのことを思い出す。

 途中で桐式弥勒が現れたせいで、頭を完全に潰しきることはできなかったが、それでも上比佐植美を殺したときの優越感と開放感は極上のものだった。幼馴染の少女を殺すことへの罪悪感が、【Bクラッシャー】に強烈な刺激を――快楽をもたらしてくれたのだ。

 ――ああ、でも……まだ足りない。

 ――植美を殺したときのような刺激を、もう一度味わいたい。

 ――早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。

【Bクラッシャー】は、満月の夜を待ち侘びた。再びチャンスが巡って来る日を待ち侘びた。心の底から――、心の底から神様に願い続けていたのだった。この身を掻き毟るほどに。



 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》⑧



 植美が殺されて、二週間が経っていた。

 植美は一人娘だったこともあり、葬式で、彼女の両親は泣いていた。

 彼氏である敦嗣には葬式でも会えなかったので、植美の死についてどう思っているのかは、わからない。ただ、このままにしておくわけにはいかなかった。

「犯人を……【Bクラッシャー】を見つけ出す」

 葬式の日の夜。茂子に向けて、宣言したときのことを思い出す。

 僕の言葉を聞いた茂子は、皮肉っぽく口の端を上げた。

「おいおい、弥勒君。キミは確か、前に訊いたとき『【Bクラッシャー】は放置する』と言ってなかったかい? 模倣犯が現れれば、警察を攪乱することができるからって」

「【Bクラッシャー】が宇宙人だとわかった以上、見逃すわけにはいかない」

 少女の目を真っ直ぐに見つめ、答える。

【Bクラッシャー】が明確な目的を持った、ただの殺人鬼であったなら、このまま放置しても良かったのだろう。しかし、相手は四人もの尊い命をその手に掛けた宇宙人だ。犯人が人間ではなく宇宙人であるのなら、このまま放っておくわけにはいかない。

「でも……見つけ出すって言っても。キミの目には【Bクラッシャー】は、フクロウ星人に見えてしまっているんだろ? それじゃあ、どこの誰だか見当も付かないじゃないか。しかも、キミは理由もわからず相手のことが宇宙人に見えたり、見えなかったりする厄介な体質だ。そのときはフクロウ星人に見えたかもしれないけど、今はもう人間に見えている可能性だってある。そうなると、犯人を肉眼で見つけ出すのは不可能だと思うのだけど」

「確かに、お前の言うとおり犯人を目だけで特定するのは難しい。しかし、あのときフクロウ星人は僕のことを知っている様子だった。そのことを考慮すれば、犯人を『桐式弥勒の顔見知り』に絞り込むことができる。あとは被害者四人の共通の知人でも見つかれば、フクロウ星人を特定することだって可能なはずだ」

「そう……上手くいくかな」茂子が意味ありげに肩をすくめる。

「何か、言いたいことでもあるのか?」

「いやさ。これは、ずっと弥勒君のそばにいて、観察し続けて思ったことなんだけど。キミは殺人鬼としての偏差値はずば抜けて高いけど、探偵としての偏差値はそれほど高くない。頭脳明晰な人間=探偵の素質がある人間ではないんだよ。前にも言ったけど、キミは他人の心の機微が読み取れるタイプではないからね。ありとあらゆる才能を持って生まれてきたせいで、共感能力が低いんだよ」

 薄ら寒い微笑を浮かべ、黒髪の少女が断言した。

 確かに、僕は他人の気持ちを繊細に理解できるタイプではないが。そのことと、犯人を見つけ出せるかどうかは関係ないような気がした。

「僕は、自分が探偵に向いてないとは考えていない」

「そうかな。ボクにはキミが、とてもピーキーな人間のように思えてならないのだけど」

 どうやら茂子は、僕のことを特定の条件下では抜群の力を発揮するが、その範囲外ではまるで駄目な人間だと断じているらしい。

「そう、怖い顔をしないでおくれよ。【Bクラッシャー】の正体ついて、特別にヒントをあげるから」

「ヒント……だと」

「ああ。これは、模倣犯についてボクなりに調べてきた結果なのだけど」頷いた後で、茂子が答える。「今回の事件の犯人……【Bクラッシャー】は、ある決められた日に殺人を犯していることがわかったんだ。一番目の、蓬莱中学の男性教師が殺された事件。二番目の、西京義塾の女性講師が殺された事件。三番目の、山口大学の女子生徒が殺された事件。四番目の、上比佐植美が殺された事件。――この四つの事件には、重大な共通点があったんだよ」

「もったいぶるな、さっさと教えろ」

 僕が睨み付けて問い質すと、「せっかちだね、キミは」と茂子が呆れたように苦笑した。気を持たせるような沈黙の後で、口を開く。

「ズバリ言うなら、その共通点とは『満月』だね」

「満月……だと?」

「ああ。弥勒君は、月光症候群……『ムーンライトシンドローム』と言う言葉を知ってるかい? これは、端的に言えば月の光からパワーを得る特殊な症候のことなんだけど」

「満月の夜に変身する、オオカミ男のような話か?」

「うん、まあそうだね。月光欲なんて言葉もあるけど。月の光には不思議な力があって、気分の高揚を含めて、そこからパワーを得ている人間は以外にも多いんだよ。そして、【Bクラッシャー】が犯した四件の殺人事件は、いずれも満月の夜に行われている」

「なるほどな。それで、ムーンライトシンドロームか」

 茂子の話を聞いて、小さく溜め息をついた。

「ああ。もっと言うなら、もしも犯人が満月の夜にだけ力を得ているのなら、キミは満月の夜にしか【Bクラッシャー】を宇宙人として認識できない可能性もある。まあ、これに関しては単なる推測に過ぎないわけだけど」

「もしそうだとしたら、僕が犯人を特定するのは難しいのだろうな」

「そうだね。警察のような組織力を駆使した捜査が可能なら、被害者の共通点から犯人を暴き出すこともできると思うけど。弥勒君みたいな一介の高校生に、それができるとは思えない。相手の顔すらわからないのだから、【Bクラッシャー】を特定するのは極めて難しいのだろうね」

「………」

 どこか残念そうな、申し訳なさそうな微苦笑を浮かべて茂子が答える。

 結果として、彼女の言うとおりになった。僕がこの二週間の間にやったことと言えば、フクロウ星人を捜し求めて夜の町を徘徊しただけで。結局、犯人に繋がる手掛かりは何一つとして掴めていない。

 第一の被害者が蓬莱中学の男子教師で、第二の被害者が西京義塾の女性講師であることから、【Bクラッシャー】はそこに所属する生徒の可能性が高いような気がしたが。過去に所属していた生徒を含めると、その数は余りにも多くて特定できない。加えて言うなら、犯人がもしも快楽殺人鬼で、無差別に事件を起こしていた場合、被害者からフクロウ星人に辿り着くことなど、どう足掻いても不可能だ。そう考えると、結局のところ足でフクロウ星人を捜す以外、方法がないような気がした。

「……ねえ、聞いてるの?」

 そんなことを考えている。と、誰かの呼び掛け声が響いた。

「ねえ、聞いてるの弥勒君」

 面倒に感じながらも顔を上げる。声の主を――視界に捉える。

 目の前に、一匹の宇宙人が立っていた。

 醜く太った、まるでファンタジー映画に出てくるオークのような姿をした宇宙人だ。緑色の肌の表面には、気持ちの悪いイボが無数に点在している。

「何だ……ルナか」

「な、何だって……そんな言い方ってないと思うけど」

 オーク星人が醜悪な顔を歪ませて、耳障りな声で抗議する。

 僕はうんざりした気分になりながら、溜め息一つ。

「それで、何か用なのか?」

「聞いてなかったの? だから、最近弥勒君が冷たいって話だよ」

「僕は……いつもどおりだと思うが」

「――いつもどおりじゃないよ!」

 僕の鬱陶しげな態度を見て、不意にオーク星人が声を荒げた。その金切り声を受けて、教室にいるクラスメイトたちが注目する。

「私、知ってるんだから!」そんなことなどお構いなしで、ルナが続けた。

「知ってるって、何の話だ?」

「惚けないでよ! 最近、ずっと変な女と一緒にいること……知ってるんだから! 駅前でデートしてるとこだって、私……見たんだから!」

「ああ、茂子の話か? あいつは別に、そう言うのじゃなくて――」

「嘘つかないでよ!」僕の言葉を遮って、オーク星人が殊更に大きな声を出す。「弥勒君が浮気してること、知ってるんだから! 知ってるんだから! ――酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! 酷い! こんなにも好きなのに! こんなにも、尽してきたのに! あんまりだよ! 浮気するなんて、最低だよ!」

「……はあ」

 ついには醜い顔で泣き出したオーク星人が、激しく僕を非難した。

 ――鬱陶しいヤツだな。

 ――いったい何なんだ、こいつは。

 腹の底から、ドス黒い怒りが込み上げてくる。

 今は、大切な考え事をしているというのに。目障りな宇宙人の相手なんて、したくはないというのに。こいつはいったい何なのかと、不愉快に思ってしまう。

「何とか言ってよ、弥勒君! どうして、浮気なんてしたの! しかも、あんな痩せた女なんて、弥勒君の趣味じゃないよね? それなのに、それなのに、それなのに――酷いよ! あんまりだよ! どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして?」

「――あのさあ、ルナ。ずっとキミに、言いたかったことがあるんだけど」

 さすがに我慢の限界に達し、真っ直ぐな視線をオーク星人へと向ける。

 汚らしいオーク星人が、何かを感じ取って息を呑んだ。

 ルナの奇行のせいで、教室の中は水を打ったように静まり返っている。

「実は――」

 そんな状況の中で、ゆっくりと口を開いた。噛んで含めるように。


 “僕は、太った女が大嫌いなんだ。吐き気がするぐらい、大嫌いなんだ”


「………」

 瞬間、彼女の中で何かが壊れたのがわかった。何かが、崩壊したのがわかった。

 数十秒の沈黙の後で、オーク星人が引き攣った笑みを浮かべる。

「……嘘……だよね? 太った女が嫌いだなんて……嘘……だよね?」

「本当だ。僕は、太った女が大嫌いなんだ」

「そんな……そんな……じゃあ、今までのはなんだったの? 今までの言葉は、全部嘘だったの? そんな……そんな……」

「なあ、ルナ。僕の前に、二度とその醜い姿を現さないでくれないか。不快で不快で仕方がないんだ。目障りだから、とっとと消えてくれ」

「……嘘……嘘だよ……嘘……嘘……」

 僕の言葉を受けて、オーク星人が譫言のように呟いた。口をパクパクさせて、酸欠でも起こしているかのようだ。

 その後で、踵を返して走り出す。教室の外へと、巨体を弾ませながら逃げていく。


 星野ルナが学校の屋上から飛び降りて死んだのは、次の日の朝のことだった。




 《副軸――少年少女の記録》 【A】の証言



【A】「蓬莱高校三年の、【A】です。部活は帰宅部です」


 久留巳「今日は来てくれてありがとう、【A】。しつこく呼び出してごめんなさいね」


【A】「いえ、御無沙汰してます久留巳先生。と、言っても【E】の葬式で顔ぐらいは合わせていますけど」


 久留巳「【E】のことは、本当に残念だったわね。まさか、彼女が【Bクラッシャー】に殺されてしまうなんて」


【A】「そうですね。【E】とは幼馴染でしたから。犯人のことは……許せません」


 久留巳「許せない?」


【A】「それは、まあ、そうですよ」


 久留巳「茂子ちゃんにも聞いていると思うけど。警察は、十年前から市内で起こっている連続猟奇殺人事件と、今回の【E】の事件の犯人……【Bクラッシャー】は、別物だ判断していて。つまりは、【Bクラッシャー】のことを模倣犯だと推理しているのだけど。それに関して、【A】はどう思っているの?」


【A】「どうも何も、僕にはよくわかりません」


 久留巳「わからない?」


【A】「はい。僕には、人間を殺す殺人鬼の気持ちなんてわかりませんから」


 久留巳「そうね。キミは、人間を殺したことなんてないものね」


【A】「当たり前です」


 久留巳「それじゃあ、質問を変えるけど。【Bクラッシャー】ではない方の殺人について、あなたはどう思っているの? 十年前から、市内で起こってる連続猟奇殺人について」


【A】「別に、どうとも思っていませんけど」


 久留巳「警察は、犯人を捕まえられると思う?」


【A】「わかりません。ただ、凶器も不明で被害者にも共通点がないのなら、犯人を捕まえるのは難しいと思います」


 久留巳「どうして被害者たちは、残酷な方法で次々と殺されているのかしら?」


【A】「さあ、知りませんよ。先生は、そんな話をするために僕を呼び出したんですか?」


 久留巳「ごめんなさい、【A】。十年前の事件についてだったわね」


【A】「はい」 


 久留巳「それでは、改めて話を聞かせて欲しいのだけど。十年前の橘川夫妻の監禁は、あなたが他の四人に指示して行った……と、言うことで間違いないかしら」


【A】「そうですね。子どもの頃に、証言したとおりです。あの二匹は、宇宙人でしたから。みんなで協力して、タヌキ用の檻の中に監禁しました。まあ、もともとその檻も、二匹が【B】のことを監禁して虐待するためのものだったわけですが」


 久留巳「あなたは、【B】を助けるために二人のことを監禁したの?」


【A】「さあ、どうでしょうね。【B】が性的虐待を受けていたことは知っていましたが、それを助けようとしたかどうかまでは覚えていません」


 久留巳「どうして宇宙人を、監禁して飼育しようと思ったの?」


【A】「それは……宇宙人は、地球の侵略を目論む悪の化身ですからね。目に見える悪は、倒さなければいけないでしょ?」


 久留巳「倒さなければならないのなら、どうして監禁なんてしたの? 監禁して、飼育なんてしたの? そのまま隙を突いて殺すだけでは、いけなかったの?」


【A】「僕が宇宙人を発見したのは、それが初めてでしたから。いや、初めてではないんですけど。宇宙人と直接的に対峙したのは、それが初めてで。だから、どうすればいいのかわからなかったんです。それで、とりあえず檻に閉じ込めて、しばらく飼育して様子を見ることにしました」


 久留巳「二人を殺したのは、あなたなの?」


【A】「いえ。僕がみんなと一緒に【B】の家に着いたとき、二匹はすでに死んでいましたからね。いったい誰が殺したのかも、わかりません」


 久留巳「どうしてあなたは、死んでいた二人の頭をバットで潰したの?」


【A】「それは……宇宙人の頭の中には、発信機が埋め込まれているからです。放っておいたら、仲間を呼び寄せてしまう可能性が高い。だから、バットで脳を破壊しました」


 久留巳「いったい誰が、橘川夫妻を殺したのだと思う?」


【A】「わかりません。ただ、茂子からは【C】が犯人だと聞いています」


 久留巳「あなたも、そう思っているの?」


【A】「まあ、【C】は【B】のことが当時から好きでしたから。いいところを見せようとしたのなら、その可能性は高いと思います。【C】は、僕に対抗心を燃やしているような子どもでしたから」


 久留巳「でも【C】は、事件当時、自分が犯人であることを否定しているのだけど」


【A】「それは、別におかしいことではないと思います。【C】は子どもでしたから、【B】のためにその両親を殺してみたものの、途中で怖くなって嘘を付いたのかもしれません。相手が宇宙人だったとは言え、人殺しなんて、普通の小学生には耐えられないほどの『トラウマ』でしょうからね。罪悪感に耐えきれなくて、嘘を付いた可能性は十分に考えられます」


 久留巳「なるほどね。話は変わるのだけど。あなたは、今でも宇宙人がいると本気で信じているの?」


【A】「……さあ、どうでしょう。よくわかりません」


 久留巳「橘川夫妻以外に、宇宙人を認識したことはある?」


【A】「……ありません。十年前に、一度見ただけです」


 久留巳「あなたは当時、自分の父親は宇宙人と戦って死んだのだと話しているのだけど、いったいそれはどういう意味?」


【A】「そのままの意味ですよ。僕の父さんは、宇宙人と勇敢に戦って死んだんです」


 久留巳「あなたのお母さんは、ずっと病院に入院されているそうだけど。退院の目処は付いているの?」


【A】「さあ。精神を病んで、十年以上も入院してますからね。今さら良くはならないんじゃないですか」


 久留巳「お母さんの入院費は、どうしてるの? あなたの一人暮らしの生活費は、いったいどこから出ているの? 【D】の話では、あなたは東京の大学に行くつもりらしいけど。そのお金はどうするつもりなの?」


【A】「お金は……祖父母が出してくれるので、問題ありません」


 久留巳「……そう。それと、星野ルナさんの件……残念だったわね」


【A】「そんなことまで、知ってるんですか?」


 久留巳「仕事柄、警察の情報は手に入りやすいのよ。これまでにも、何度か殺人鬼のプロファイリングを依頼されたことがあって」


【A】「ルナに関しては……まさか自殺するとは思っていなくて」


 久留巳「遺書なんかは、見つかっていないのよね?」


【A】「はい」


 久留巳「彼氏であるあなたに、メールすら残していないの?」


【A】「そうですね。衝動的な自殺……だったのではないかと思います」


 久留巳「星野さんが自殺した理由について、心当たりはある?」


【A】「いえ、ありません。ただ、ルナは見た目のとおり極度の肥満体でしたから。精神的にも不安定になりやすかったのだと思います」


 久留巳「『Most obesity known are low in sympathetic activity』――星野さんは、肥満による交感神経の働きの低下……『モナリザ症候群』を煩っていたと言いたいのね」


【A】「はい。付き合っていた当時から、ルナは精神的に不安定でしたから。加えて、モナリザ症候群のせいで、体調が悪くなることも何度かありました。医者からも、早急に入院してダイエットをするように言われていたそうです」


 久留巳「どうして、あなたはそんな彼女のことを放置したの? うんう、別に責めているわけではないの。ただ、彼氏なら、星野さんの健康面もきちんと管理してあげるべきだったんじゃないかと思って」


【A】「それは……まあ、そうなのかもしれませんが」


 久留巳「あなたは、太った女性にしか興味が持てない体質なの?」


【A】「プライベートなことなので、答えるつもりはありません」


 久留巳「星野さんが死んで、あなたは少しでも泣いた?」


【A】「何が言いたいんですか?」


 久留巳「フフフ。そう怖い顔をしないで、【A】。さっきも言ったけど、別にあなたのことを責めているわけではないの。ただ、あなたが星野さんの死についてどう思ったのか、そのことに興味があるだけなのよ」


【A】「別に、先生の期待するような答えなんて持ち合わせてはいませんよ。僕は、どこにでもいる普通の高校生ですから。彼女が死ねば普通に悲しいし、普通に泣くこともあります。ルナのことは……まあ、好きでしたから」


 久留巳「普通の人間は、自分のことを『普通』だなんて言わないと思うのだけど」


【A】「繰り返しになりますが。僕はどこにでもいる、普通の高校生ですよ」


 久留巳「あなたみたいな男の子がどこにでもいたら、さぞかし大変なのでしょうね」


【A】「何が言いたいんですか?」


 久留巳「誤解しないで、【A】。あなたのような白皙の美少年がそこら中にいたら、きっと女の子たちは大変だろうなと思っただけよ」


【A】「あの、もう帰ってもいいですか? 十年前の事件については、子どもの頃に話した内容とまったく同じですので。それ以上でも以下でもありません」


 久留巳「まあまあ、そう焦らないで【A】。せっかく会えたのだから、もう少し先生の相手をしてくれないかしら」


【A】「厄介者の相手なら、あなたのところの水木茂子だけでもう、うんざりしてるんですけど」


 久留巳「ごめんなさいね。茂子ちゃんが迷惑掛けて」


【A】「いったい、あれは何なんですか? 本人は、怪異のようなものだと言っていましたが」


 久留巳「まあ、そうね。あなたは、茂子ちゃんのことをどう思っているの?」


【A】「どうって、不気味なヤツだと思っています。あとは、衒学的で……鬱陶しくて、あなたにどこか似ている印象を受けました」


 久留巳「あら、随分と酷いことを言うのね」


【A】「本当のことですよ。それより、先ほどの質問に答えてください。あれは、いったい何なんですか?」


 久留巳「まあ……そうね。茂子ちゃんは、本人の言うとおり怪異……のようなものかしら。何年も前に、この研究所で特殊な脳を持つ子どもたちの研究をしていたことがあるのだけど。彼女はそのうちの一人なのよ」


【A】「特殊な脳……ですか?」


 久留巳「ええ。人間の中には、先天的に普通とは違う思考回路を持つ者が存在しているの。生まれつき、人を殺すのに適した脳を持つ人間――と、言ってもいいかしら。私たちは、『カインの脳』と呼んでいたのだけど」


【A】「つまり、先天的な人殺しを見つけ出すための研究……と、言うわけですか」


 久留巳「そう理解してもらえれば、間違いないわ。まあ、研究自体が途中でちょっとしたトラブルに見舞われて、中止になってしまったのだけど。生まれながらの殺人鬼を見つけ出す研究は、今も世界のいたるところで行われているの。だから、それほど珍しい話ではないわ」


【A】「なるほど。そういうことですか」


 久留巳「まあ、少し変わった子だけど。仲良くしてあげてね。茂子ちゃん、あれで結構寂しがり屋さんだから」


【A】「できれば、一日でも早くいなくなって欲しいんですけどね。怪異に憑り付かれるなんて、笑えない冗談です」


 久留巳「あらあら、冷たいのね」


【A】「本当に……そろそろ帰ってもいいですか? 僕もそんなに暇じゃないんで」


 久留巳「ええ。今日はありがとう。もしよかったら、また遊びに来てくれると嬉しいのだけど」


【A】「失礼します、久留巳先生」




 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》⑨



 植美を殺したフクロウ星人を捜し始めて、三週間が経っていた。

 幼馴染でもある梅原善人に、電話で西京義塾の話を聞いたが、連続殺人鬼である【Bクラッシャー】の情報は得られなかった。

「恋人が死んだというのに、キミは相変わらずだね」

 フクロウ星人を見つけ出すために、島の中を探索している。と、僕に付き纏っている茂子が呟くように言った。

「星野ルナの話か? どうして僕が、宇宙人が一匹死んだぐらいで悲しんだり、動揺したりしなければいけないんだ?」

「まあ、そうなのかもしれないけど。ずっと一緒にいて、情が湧いたりはしないのかい」

「別に……ルナと付き合っていたのは、ただの実験の一環だからな。死んだところで、何とも思わない。ただ、自殺したときに自重で頭が粉々に潰れたのは、僕としても都合が良かったよ。お蔭様で、他人の目を盗んで頭を潰す手間が省けた」

「実験……ね」黒髪の少女が不敵な笑みを浮かべる。「まあ……でも、彼女はキミに見せつけるために、わざわざ朝の時間帯に学校の屋上から飛び降りたんだろ? 葬式でも、星野ルナの御両親から色々と訊かれていたみたいだけど。本当に遺書は受け取っていないのかい?」

「ああ。その手の電話やメールも受け取っていない。まあ、あのオーク星人との関係が面倒になって、自殺するように仕向けたのは間違いないわけだが」

 茂子からの質問に、思い出しながら頷いた。

 僕と星野ルナは、一年近く彼氏彼女の関係を続けてきたのだ。そんな彼女がもしも誰かに殺された場合、警察は彼氏である僕をまず疑うのだろうが。遺書も書かずに自殺してくれたのなら、こちらとしても願ったり叶ったりである。どちらにせよ、宇宙人は皆殺しにしなければならないのだから。

「『バースデーブルー』……と、言う言葉を知ってるかい?」

「……何の話だ?」

「実は、弥勒君のお父さんについて、色々と調べさせてもらったのだけど」

 不意に、茂子が立ち止まって話し始める。

 僕は自分の視線が鋭くなるのを自覚した。

「キミは、自分の父親は宇宙人と戦って死んだ――なんて言っていたけど。本当は違ったんだね。キミのお父さんは、勇敢に宇宙人と戦った戦士なんかじゃない。自衛隊の中で酷いイジメに遭って、家族を残して自殺した弱虫だったんだ」

「……黙れ」

「キミのお母さんの入院費や、キミの一人暮らしの費用がどこから捻出されているのか、ずっと疑問だったのだけど。弥勒君のお父さんの自殺を調べて、やっと得心がいったよ。キミたち家族は、父親が自殺したお蔭で国から多額の賠償金を受け取っていたんだね。自殺した弱虫のお父さんのお蔭で」

「黙れって、言ってるだろうがッ!」

 激情に駆られて、茂子の胸ぐらを掴み上げる。それでも、少女はいつもの薄ら寒い微笑を浮かべ、少しも狼狽える様子はなかった。まるで本物の怪異のように。

「おいおい、勘違いしないでおくれよ弥勒君。何度も言ってるけど、ボクはキミを敵に回すつもりはないんだ。ボクの言葉が癇に障ったのなら謝るよ」

「ふざけるなよ……お前。父さんは、宇宙人と戦って死んだんだ」

「まあ、その思い込みがキミにとっての『安全装置』なのだろうね」口の端を上げて、茂子が皮肉っぽく言った。「でも、ボクは思うんだよ。キミのお父さんが宇宙人に殺されたと言う話は、あながち間違ってはいないんじゃないかって」

「何が言いたい?」

「ずっと考えていたんだ。キミにとって、宇宙人に見える人間とそうでない人間の違いは、いったい何なのか。どうしていきなり、人間が宇宙人に見えるようになるのか。あるいは、どうしていきなり、宇宙人が人間に見えるようになるのか。ボクはキミの観察を続けるうちに、ようやくその疑問に対する答えを導き出すことができたんだ」

 手を広げて、真っ直ぐに僕の目を見つめて――茂子が断言する。

「ずばり言うと、キミの言っている『宇宙人』とは、人間の悪意……だと思うんだ」

「悪意……だと?」

「ああ。しかも、他人を殺してしまうぐらい強烈な悪意だ。どうしてそうなったのかはわからないが、キミには他人の悪意を見分ける能力が備わっているんだよ。つまりは、キミにとっての宇宙人とは、『将来的に、他人を殺してしまうぐらいの悪意を持った人間』と言うわけだね。だから悪意を持った人間がいきなり宇宙人に見えるようになったり、悪意を失った宇宙人がいきなり人間に見えるようになったりしていたんだ。そして、星野ルナに対してキミが行っていた実験とは、この悪意を持った宇宙人に他人の悪意を向けさせることだった。キミは星野ルナを自分の恋人にして、醜く太らせることで、周囲の人間の悪意を彼女に集めるよう仕向けたんだよ。星野ルナが、自分の中にある悪意に気付いて、宇宙人から人間に戻る日を信じて」そこまで言って、少女が肩をすくめる。「まあ、結局のところ実験は失敗してしまったわけだけどね。星野ルナは、キミにとっていつまでもオーク星人であり続けた。だから面倒になって、自殺に追い込むような真似をしたんだろ?」

「……馬鹿馬鹿しい」

「いや、馬鹿馬鹿しくはないさ。キミが殺したシーラカンス星人の根元君も、セミ星人お岡森君も、タコ星人お木村さんも、将来的に他人を殺してしまうぐらいの悪意を秘めていた。それをキミは、宇宙人として事前に殺していたんだよ。これは倫理的な正義の話をするうえで非常に重要な問題を孕んでるんだ」

 滔々と、茂子が話を続けた。続けた。

 少女の言葉を聞いて、思わず眉をひそめる。

「倫理的な正義……だと?」

「例えばの話だけど。人工知能が今より進歩して、将来的に凶悪な犯罪を犯す人間……いわゆる『潜在犯』がわかるようになったとする。そんな未来の世界で、果たしてまだ何の犯罪も犯していない潜在犯を罰するのは、正義か悪か」

「『予防的正義』の話か」

「ああ。SFなんかでは、よくネタにされる思考実験だけど。キミがやっている宇宙人狩りは、つまりはそういうことだよ。キミは一人の宇宙人を殺すことで、将来的には何人もの無辜なる民を救ってるんだ。これは、実に興味深いことだとは思わないかい?」

「そんな話は……どうでもいい。僕はただ、父さんの意志を継いで宇宙人を殺しているだけだ。宇宙人を殺すのは、それが僕にとっての使命だからだ」

「まあ、キミはそう答えるのだろうね」

「………」

 そんな『どうでもいい話』をしていると、不意に前方から人間ではない何かが近づいて来た。

「よ、よう、弥勒」

 ひょいと片手を持ち上げて挨拶をすると、そのまま通り過ぎていく。

「今のは……誰だ? 今の通り過ぎて行ったのは……いったい誰だ?」

 すぐさま、目の前にいる水木茂子に確認――。少女はわずかに目を見開いて、わざとらしく驚いた顔をした。

「誰って、キミの幼馴染の藤浪敦嗣君じゃないか。ジャージ姿だったから。おそらくは、野球部のトレーニングのために、夜のランニングをしていたのだと思うけど」

「………」

 僕はその後ろ姿を、改めて確認する。

 しかし、そこにいたのは間違いなく人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。人間ではなかった。


 一匹の――駆除すべき宇宙人だったのだ。




 《副軸――【Bクラッシャー】》④



「実は俺、十年前の事件の犯人を知ってるんだ」

 上比佐植美の葬式のすぐ後で、幼馴染の少年が【Bクラッシャー】に言った。

【Bクラッシャー】はその言葉に恐怖すると同時に、歓喜した。

 ――早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。

 上比佐植美を殺した満月の夜から、三週間以上が経っていた。

【Bクラッシャー】が予想したとおり、桐式弥勒には自分の姿が宇宙人に見えているらしく、事件の容疑者として逮捕されることはなかった。

 もちろん生前の恋人関係もあって、警察には上比佐植美のことを根掘り葉掘り訊かれたわけだが。市内で起こっている連続猟奇殺人事件のお蔭で、【Bクラッシャー】の犯行が露見するのはまだまだ先のような気がした。

 それでも、これだけ連続して自分の身の回りにいる人間を殺しては、いずれ警察に疑われてしまう。容疑者として、確実に逮捕されてしまう。しかし――【Bクラッシャー】は、もう手遅れだった。快楽を求める貪欲なリビドーに、【Bクラッシャー】の身体は完全に蝕まれてしまっていたのだ。

 ――早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。

 満月の夜を待ち侘びて。待ち侘びて。待ち侘びて。【Bクラッシャー】は自分の中に住む怪物を、必死に飼い馴らそうとした。

 この不条理な絶望の世界で。この不条理な絶望の世界で。




 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》⑩



 父を殺したのは、自衛隊に勤務する三人の同僚だった。

 母は彼らのことを、絶対に許さないと言った。絶対に許してはいけない極悪人だと罵った。しかし――父の葬式に参列した彼らは、僕の前で涙を流しながら父の遺体に懺悔した。そんな姿を見て僕は……よくわからなくなってしまったのを、今でも覚えている。

 彼らは、父さんを殺した宇宙人だった。父さんは彼らのせいで追い詰められて、誕生日に自殺までしなければならなくなったのだ。

 優しかった父さんを殺した、最低最悪の宇宙人――。その宇宙人たちが僕の前で人間のように泣き、人間のように後悔している姿を見て、僕はとても恐ろしく感じた。恐ろしくて。恐ろしくて。恐ろしくて。恐ろしくて。母や弁護士は、彼らのことを『少しでも自分の罪を軽くしようと画策している、愚劣なペテン師だ』と罵倒した。でも僕は、彼らの偽善的な振る舞いが本当に恐ろしかったのだ。


 ああ、神様――

 もしも願いが叶うのなら、僕に力をください。

 人間のふりをする恐ろしい宇宙人を、見破るための力をください。


 それこそが、僕の願いだった。守毘様の祠に通い、僕が強く強く願ったことだった。

 その結果として、僕は宇宙人を見破る力を手に入れた。他人の強烈な悪意を感じ取る力を手に入れた。

 宇宙人を、殺さなければ。――そう思った。すべての宇宙人を殺すことこそが、僕の使命だと自覚した。そして、あれから十年が経っていた。

「………」

 守備様の祠にお祈りを済ませた僕は、時限爆弾のような痛みに耐えながらも頭痛薬を服用する。噛み砕いて、ブラックの缶コーヒーと一緒に一気に飲み干す。

「敦嗣君に、会いに行くのかい?」

 相変わらず僕に付き纏う、怪異の少女が小首を傾げた。

 僕は返事もせずに、敦嗣と待ち合わせをしている廃工場へと向かった。

「植美ちゃんが殺されて、今日で一カ月か。良く晴れていて、満月が綺麗だね」

 夜空を見上げながら、水木茂子が演技っぽく言う。

 僕は無視して人気のない道路を歩き、歩き、島の端にある廃工場へと辿り着いた。

「敦嗣……」

 中に入ると、すでに幼馴染は待ち構えているようだった。――いや、違う。そうじゃない。そうじゃなくて。


 赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。

 赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。

 赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。


 敦嗣は、血だまり海の中で息絶えていた。

 宇宙人の姿ではなく、人間の姿になって息絶えていた。

 そして、その目の前には一匹の見知った宇宙人が立っていた。

 血塗れのマスコットバットを両手で握り締めた、宇宙人――。間違いなく、植美を殺したフクロウ星人が、亡霊のように立っていたのだ。


 ゴン――! ゴン――! ゴン――! ゴン――! ゴン――!


 僕たちの存在に気付きながらも、フクロウ星人は敦嗣の頭をバットで潰した。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 息を荒げて、目を見開いて、興奮しきった様子で残虐な殺人を演出する。

 フクロウ星人が、左手にバットを持ち替えた。

「……お前だったのか」

 一連の作業が終わった後で、声を掛ける。

「【Bクラッシャー】の正体は、お前だったのか……善人!」

「………」

 声を掛けられた善人が、肩で息をしながらも真っ直ぐに僕を見た。

「どうして俺だとわかったんだ、弥勒」

「僕の知り合いはこの島に大勢いるが、僕を『弥勒』と名前で呼ぶのは幼馴染に限られているからな。信じたくはなかったが。最初から、そのうちの誰かだと気付いてたんだ。そして、お前は今、バットを左手に持っている。僕以外で左手を使うのは、善人だけだ」

「……なるほどな。でも、お前には……俺が宇宙人に見えてるんだろ?」

「ああ。フクロウような宇宙人に見えている」

「そうか。それがわかれば、十分だ」

 呼吸を整えながら、善人が探るような視線を茂子へと向ける。

「どうして……こんなことをしたんだ? どうして、植美や敦嗣を殺したんだ?」

「俺は……あの殺人の興奮が、忘れられなかったんだ」

「あの殺人……だと?」

「ああ。十年前、橘川夫妻を殺したのは俺なんだ」

 善人が、独白するように言った。青白い満月の光が、フクロウ星人の醜悪な姿をより一層引き立てている。

「どうして……二人を殺したんだ?」

「理由なんて、どうでもいいだろ」何かを拒絶するように、善人が首を振った。「ただ俺は、あのとき興奮したんだ。本当に、全身の血が沸き立つぐらい興奮したんだ。そして、十年ぶりに人を殺して、やっぱり同じように興奮した。だから、蓬莱中学の男性教師も、西京義塾の女性講師も、山口大学の女子生徒も、幼馴染の植美や敦嗣も、みんな殺してやったんだ。快楽に、身を任せずにはいられなかったんだ」

「お前は……狂ってるよ、善人。自分の欲求を満たすために、人間を殺すなんて」

「黙れよ、弥勒! 俺がこうなったのは、全部……全部……お前のせいじゃねえか! お前が橘川夫妻を監禁して、飼育しようなんて言い出さなければ、こんなことにはならなかったんだ! 俺が狂った殺人鬼になることなんて、なかったんだ!」

 口角泡を飛ばし、善人が喚き散らす。まるで駄々をこねる子どものようだ。

「俺は……俺を虐げるすべての存在が、許せないんだ! だから――」

 両手でマスコットバットを握り締めた善人が、思い切り振り上げる。


 “うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!”


 かと思うと、まるで雄叫びのような声を上げて、僕たちの方へと猛進した。

 加速。加速。加速。加速。

 猛スピードで肉薄したフクロウ星人が、力任せにバットを振り下ろす。僕と茂子は、まるで飛び退くようにその攻撃を紙一重で躱した。

 ――まずい!

 ――体勢を立て直さないと、頭を潰される!

 即座にそう判断して、頭を手で庇いながら立ち上がろうとする。しかし、善人が僕に襲い掛かって来ることはなかった。彼がフルスイングで狙ったのは、僕ではなく茂子の方だった。

「――ぐッ!」

 硬質なマスコットバットに打ちのめされた茂子が、勢いよく瓦礫に突っ込んで頭から血を流す。どうやら攻撃から身を守ろうとした際に、左腕を持って行かれたらしい。

「満月は、俺に力を与えてくれるんだ! 俺を……解放してくれるんだ!」

 善人が、バットを振り上げながら叫んだ。

「くそッ……何やってるんだよ、あの馬鹿」

 このまま放っておけば、茂子は善人に殺されてしまうのだろう。僕が宇宙人殺しの犯人だと知っている人間は、この世から綺麗さっぱりいなくなる。

 それは、僕にとってこの上なく魅力的なことだったが。しかし、僕には人間を見殺しにすることはできなかった。すべての人間を救えるなどと言う、傲慢な考えはもちろん抱いていないが、せめて目の前の誰かは助けなければならないような気がした。

「――弥勒君! 早くボクのことを助けるんだ!」

 絶体絶命のピンチの陥りながらも、茂子が薄ら寒い微笑を浮かべて言う。床に転がっていた瓦礫を、フクロウ星人に目掛けて投げつける。

「殺してやる! ――殺してやる!」

「うるさいな。僕の邪魔はしないって、言ったくせに」

 善人が怯んだ隙を突き、僕は一気に加速した。

 接近。――肉薄。

 背中からフクロウ星人の心臓を貫いて、一撃で確実に仕留める。

「うっ……うごっ……」

 血の塊を吐いたフクロウ星人が、そのまま冷たい床の上に倒れた。

 苦しそうに藻掻きながら、やがて――ただの死体へと成り果てる。

「やはり、ボクの言ったとおりだね。キミには探偵の素質がない」

 立ち上がった茂子が、手を広げて得意げに言った。

「ああ。まあ……そうだな。お前の言うとおりだよ」

 僕は小さく溜め息をつくと、うんざりしたように答える。

 目の前には、二人の幼馴染が血塗れの状態で横たわっていた。

 イモムシ星人だった藤浪敦嗣と、そして【Bクラッシャー】でありフクロウ星人だった少年――橘川夢愛が横たわっていた。

「くだらないな」

 僕の言葉を、静かな海の音が掻き消していく。

 宇宙人を――殺さなければならないと、僕は思った。



 《エピローグ》



「お前は……最初から知っていたのか?」

 誰かが、泣いている声が聞こえた気がした。

 敦嗣と夢愛の葬式に参列した後で、茂子に質問する。

「知っていたのかって、【Bクラッシャー】の正体が夢愛君だった――という話かい?」

「ああ」

「その件に関しては、まあ、そうだね。ボクは久留巳先生と仲がいいから、警察の情報なんかも手に入りやすいし、キミたち五人のことも知っていたからね。十年前に橘川夫妻を殺したのが夢愛君だと推理した時点で、今回の事件の真相はほとんど掴めていたわけだけど」

 相変わらずの薄ら寒い微笑を浮かべ、茂子が答えた。

 その左腕は、バットによる骨折のためギプスがはめられていた。

「やはり、橘川夫妻を殺したのは夢愛だったのか?」

「ああ。他の四人に気付かれないように二人を殺害できたのは、監禁場所の自宅に住んでいた夢愛君だけだからね。考えてみれば、シンプルな話だよ。夜のうちに殺してれば、次の日の放課後に橘川夫妻が死んでいるのは当たり前だ。エアコンを付けっ放しにしていたお蔭で、当時は死亡推定時刻を特定できなかったけど。他の四人がいない時間帯に事件が起こったのなら、単純に考えて、犯人は橘川夫妻と一緒に生活していた息子の夢愛君しかいないからね」

「どうして……夢愛は両親を殺したんだ? いや、夢愛が両親から性的虐待を受けていて、それで二人のことを恨んでいたのはもちろん知ってるけど。それが理由なのか?」

「まあ、そうだね。おそらく夢愛君は、自分を性的に虐げる存在から解放されたかったんじゃないかな。そのストレスから解放されたくて……と言うか、自分を虐げる存在から解放されたくて、殺人を犯していたんだと思うよ。きっと彼の殺人の根底は、両親を殺したときに得た、優越感や開放感によるものだったんじゃないかな」

 僕の質問に、茂子が答える。納得するのを待ってから、少女が愉しそうに続けた。

「蓬莱中学の男性教師は、中学時代から夢愛君に性的な悪戯を繰り返していた。西京義塾の女性教師は、塾生である夢愛君をストーキングして執拗に肉体関係を迫っていた。山口大学の女子生徒は、夢愛君が性的な嫌がらせを受けているネタを使って彼と恋人関係を続けていた。幼馴染の上比佐植美は、夢愛君と彼氏彼女として繋がりを持っていた。そして最後に殺された藤浪敦嗣は、夢愛君を脅して自身の劣情を満たそうとしていた。きっと夢愛君にとっては、性に関することすべてがトラウマになっていたのだろうね。自分を性的に虐げる存在を殺すことで、どうしようもないほどの優越感と解放感を得ていたんだよ」

「要するに、夢愛は両親を殺したときの快楽が忘れられなかった、ただの快楽殺人鬼ってわけか?」

「まあ、そうだね。両親に性的に虐げられてきた夢愛君は、キミのせいで、自分を虐げる者への復讐に喜びを感じるようになってしまった。橘川夫妻を監禁し、飼育する生活の中で嗜虐的な充足感を得ていたんだよ。そして、エスカレートしていく気持ちを抑えられなくなって、満月の夜に自分の両親を殺してしまった。その快楽を再び得るために、【Bクラッシャー】として五人もの人間を殺してしまったんだよ」

「あいつを宇宙人にしたのは、僕だと言いたいのか?」

 横目で睨み付け、質問する。茂子は当然のように頷いた。

「キミはもう少し、他人の気持ちを考えた方がいいよ。夢愛君が殺人の後で被害者の頭を潰していたのは、もちろん快楽を貪ることが第一の理由だろうけど、その根幹にあるのはキミへの憧れと嫉妬なんだ。自分のできないことを簡単にやってしまえるキミに、夢愛君は成り代わりたかったんだよ」

「くだらない……話だな」

「まあ、そうだね。キミには一生、理解できない感情なのかもしれないね」

 少し呆れたように、茂子が肩をすくめる。

 真昼の斬月が、空の上から僕たちのことを見下ろしていた。

「ねえ、弥勒君。殺人を続けるために必要なものは、何だかわかるかい?」手を広げ、少女が話を続ける。「その答えは、正義だよ」

「正義……だと?」

「ああ。怒りはときとして大きなエネルギーを生むが、やがては風化してしまう。快楽はときとして大きな充足感を生むが、やがては枯渇してしまう。でも正義による殺人は、そうはならない。絶対的な使命感を持つ人間は、何かをやり遂げてしまえるものなんだよ。だからボクは思うんだ。正義ほど恐ろしい殺意は、この世界に存在しない――とね」

 口の端を上げて、皮肉っぽく茂子が言った。

 僕は振り返り、真っ直ぐに少女を見つめる。

「弥勒君、キミはこれからもたった独りで悪意と戦い続けるんだろ? 正義のために」

「ああ。僕は、使命を果たさなければならないからな」

「二カ月間、付き纏って悪かったね。ボクは、そろそろ消えさせてもらうよ。でも、キミのような殺人鬼がいたことは、きっと死ぬまで忘れないと思うんだ」

 そこまで言って、怪異の少女が小さく笑った。

 それは、今まで見た不気味なものとはどこか違うような気がした。

「さようなら、弥勒君。愉しかったよ」

「ああ。さようなら、水木茂子」

「………」

 踵を返し、茂子が遠ざかっていく。

 僕は瀬戸内海へと視線を戻し、穏やかな波の音に耳を傾けた。

 植美が死に、敦嗣が死に、夢愛が死に、それでも僕は続けなければならなかった。

 すべての宇宙人を殺すために。すべての悲しみを消し去るために。たった独りで。


  了


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