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前編

 


 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》①



 頭に時限爆弾を埋め込まれているようだ。

 僕は自動販売機でブラックコーヒーを買うと、ポケットから頭痛薬を取り出した。


 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、


 何度も何度も噛み砕いて、苦いコーヒーと一緒に飲み干す。

 宇宙人と戦う前、僕はいつも理由のない頭痛に悩まされていた。

 今日のターゲットは、衛宮えいみや市内でパチンコ店を経営している『ゴキブリ星人』だ。――いや、その宇宙人の名前が本当にゴキブリ星人なのかどうか、僕にはわからない。ただ、見た目がゴキブリのようだから、僕が勝手にそう呼んでいるだけだ。

 アパートで身支度を整えた僕は、さっそく宇宙人を殺すために出掛けることにする。

「……桜か」

 僕が住む子狸こだぬき島には、いつの間にか桜の季節が舞い降りていた。

 高校三年生の春。明日には、蓬莱ほうらい高校の始業式だ。それが終わったら、小学校にある寒桜を見に行くのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、人気のない夜のアスファルト道を走る。

 子狸島は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島で、面積はおよそ8平方キロメートルぐらいだろうか。可動橋で本土と繋がった、自然豊かな場所である。

 名前の由来は、島にタヌキが三千匹以上、生息していたからなのだが。今はそのほとんどが宇宙人に食べられてしまったため、この場所でタヌキを見掛けることはない。タヌキは、宇宙人の大好物なのである。

「………」

 ゴキブリ星人を殺しに行く前に、僕は守毘様へのお祈りを済ませておくことにした。宇宙人を駆除する前には、その成功を祈願して必ず祠に手を合わせるのだ。

 島の西側へと向かい、海の中にある鳥居に向かって任務の無事を祈る。

 守毘様は、この島に古くから伝わるタヌキの神様で、その祠は海の底に沈んでいた。だから子狸島の島民や衛宮市内に住む人々は、鳥居のある海に向かって祈りを捧げるのが日課になっていた。

 守毘様は、大昔に悪い鬼から島民のヘソを守ってくれた神様で、今も祠からこの地域に住む人間を見守ってくれているらしい。どうしようもなく強い願望を持つ者に対し、その願いを叶えてくれることがあるらしい。

 しかし、僕は別に神様に縋り付きたいわけではなかった。宇宙人を駆除することは、僕にとって大切な任務だ。父さんに代わり、僕一人で成し遂げなければならない使命なのである。その使命を、守毘様に押し付ける気などさらさら持ち合わせてはいない。

 ――どうか、無事に任務を果たせますように。

 そんな願いを、ただ常態的にするだけだった。言うなれば、単なる願掛けのようなものである。クラスの女子生徒が夢中になっている、星占いや血液型占いの類と変わらない。ただの迷信だ。

「……はあ」

 僕は小さく溜め息をつくと、ゴキブリ星人を駆除するために海沿いの道を進んだ。

 やがて、赤い色をした可動橋が見えて来て、50メートルほどあるそれを渡って本土へと上陸する。

 どこにでもある、中途半端な田舎の港町だ。

 そんな衛宮市内の町に降り立った僕は、できるだけ通行人に見られないように目的地へと向かう。と、言っても、時刻は夜の九時を回っていることもあり、歩いている人間などほとんどいないわけだが。

「………」

 前方からウォーキングをしている中年夫婦が近づいて来て、擦れ違う。

 任務を果たす時間帯を九時頃に設定しているのは、証拠を残さないうえでそれがマストであるからだ。九時より早ければ、僕を目撃する人間があまりに多くなり過ぎるし、九時より遅ければ、僕を見た人間が僕と言う存在を強く記憶の底に刻み付けてしまう。だから、これぐらいの時間がちょうどいいのだ。この時間なら、適当にジャージを着て走っていれば、通行人たちは僕のことをただのスポーツ少年だと勘違いしてくれる。

 そのことを改めて意識すると、僕はジョギングをするペースで目的地の一軒家へと向かった。

 宇宙人に関するリサーチは、ヤツを市内で見掛けたときからすでに行っている。

 ゴキブリ星人が、いったいどんな仕事をしているのかも調査済みだし。住所はもちろんのこと、ヤツが今、妻と別居中であることも、息子たちがすでに上京して独り暮らしをしていることも、調べは付いていた。家に独りでいるのなら、始末するのは容易いのだろう。

 もちろん、任務を滞りなく遂行するために僕はターゲットの調査を怠らないわけだが。同時に、必要以上に宇宙人のことを調べないようにしていた。その理由は、調査し過ぎることによって僕と言う存在を周囲に認識させないためだ。

 僕はこれからも、宇宙人を殺し続けなければならない。十年間もまっとうし続けてきた使命を、継続していかなければならない。そのうえで、どうしても警察に捕まるような証拠を残すわけにはいかないのである。

 そのことを重々承知したうえで、僕は目的地へと向かった。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 さすがに長い距離をジョギングしてきたこともあり、息が切れる。

 高級住宅街の中でも一際大きな二階建てを、僕は誰にも気付かれないように視認した。

 塀の外から、慎重な所作で宇宙人の姿を見極める。

 ゴキブリだ。

 まるでゴキブリのような茶褐色の身体に、不気味な手足の生えた宇宙人が、リビングでお酒を飲みながらテレビを見ている。

 ――どうやら、独りのようだな。

 ――これなら、特に家の前で待つ必要もなさそうだ。

 そう結論付けると、僕は周りに人の気配がないことを確認。その後で、指紋が残らないように手袋をしてチャイムを押した。


 ピーンポーン! ピーンポーン!


 二回ほど鳴らすと、ややあって、ゴキブリ星人が顔を覗かせる。どこか不機嫌そうな様子で、いきなり現れた僕のことを睨み付ける。

「あの、すいません。トイレを貸してもらってもいいですか?」

 僕はゴキブリ星人に、できるだけ柔和な笑顔でお願いした。

「は? トイレだと?」

 ゴキブリ星人が、いかにも面倒臭そうな声を上げる。

 もちろん、人気のない夜の時間帯だ。このまま、ここでヤツのことを殺してしまっても構わないのだが。できれば家の中にきちんと侵入したうえで駆除したい。その理由は明白で。玄関先で殺されているよりも、家の中で殺されていた方が、警察の捜査を攪乱することができるからだ。

 玄関先でヤツの死体が見つかれば、警察は面識のない押し込み殺人の可能性を疑うが、家の中で殺されていれば顔見知りによる怨恨の可能性を疑わなければならなくなる。もちろん、僕のやり方には十年前から欺瞞できない『共通点』があるので、警察は同一人物による犯行だと判断せざるを得ないわけだが。『どうやって犯人は家の中に侵入したのか?』と言う疑問を持たせておけば、それだけ捜査を遅延させることができるはずだ。

 前述したとおり、僕は今後も宇宙人を殺し続けなければならない。その使命を果たすためにも、できるだけ逮捕される可能性は低くしておいた方がいいのだろう。

「……別に、構わないが」

 そんなことを考えていると、宇宙人が面倒臭そうに了承した。僕は「ありがとうございます」と、丁寧にお礼を言ったあとで家の中へと進入する。

 とりあえずトイレに入るふりをして、時間を潰した。

 一分。二分。三分。四分。

 リビングから、ゴキブリ星人の馬鹿笑いが聞こえてくる。

 そのことを確認した後で、僕は任務を遂行するためにゴキブリ星人の部屋に入った。

 足音を殺して後ろから宇宙人に近づくと、おもむろにその頭を掴む。

「……へ?」

 悲鳴を上げる暇も与えずに、首を捻って瞬殺する。

 ゴキ、と首の骨が捻じ切れる感触があった。

 何が起こったのかわからない、そんな表情で宇宙人は絶命していた。

 次の瞬間には、さっきまでゴキブリのような姿をしていた宇宙人が、禿げ上がった中年男性の姿へと変質している。

 パジャマを着た、いかにも欲深そうな顔をした男だ。

 それを確認した後で、僕は男の死体をリビングの床に転がした。


 ゴン! ゴン! ゴン! ゴン!


 そして――握り拳をその頭部に叩き付けて、脳味噌がグチャグチャになるまで潰していく。潰していく。

 宇宙人は、頭の中に発信機が埋め込まれているのだ。ヤツらは、仲間の死をその発信機によって把握している。だから、宇宙からゴキブリ星人の同胞が呼び寄せられる前に、僕はその頭部を粉々に破壊する必要があった。


 ゴン! ゴン! ゴン! ゴン!


 脳髄がミックスジュースのように溶け、目玉が飛び出し、ようやく頭部の破壊が完了する。――宇宙人の駆除が、滞りなく遂行される。

 あれだけ悩まされていた時限爆弾のような頭痛は、いつの間にか治まっていた。



 《副軸――少年少女の記録》 【D】の証言



 久留巳「今日は忙しいところ、わざわざ研究所まで足を運んでくれてありがとう。さっそくだけど、自己紹介をしてもらえるかしら」


【D】「はい、曹洞そうとう学園に通っている【D】です。三年生です」


 久留巳「あなたに今日、来てもらった理由はわかる?」


【D】「はい。十年前の、事件についてですよね」


 久留巳「ええ。十年前の……宇宙人の事件についてなのだけど。改めて関係者に話を聞いて、事件の記録をとっておこうと思ったの」


【D】「そうですか。事件の詳細については、まあ、子どもの頃から繰り返し話しているとおりです。俺たちは、島で二匹の宇宙人を飼育しいてました」


 久留巳「俺たち、と言うのは?」


【D】「【A】と、【B】と、【C】と、【E】と、それから俺の、五人です。五人で子狸島に潜んでいた宇宙人を捕まえて、タヌキ用の檻の中で飼育してたんです」


 久留巳「具体的な場所については、覚えているかしら?」


【D】「はい。【B】の家で、二匹の宇宙人を監禁してました」


 久留巳「宇宙人……と言うのは、どういう見た目をしているの?」


【D】「俺たちが見つけた二匹の宇宙人は、まるでエビのような赤い甲殻類の皮膚に覆われた、気持ち悪い姿をしていました。大きさは人間の大人ぐらいあって、触覚も二本生えています。二匹とも似たような姿をしていたので、もしかしたら家族だっだのかもしれません」


 久留巳「その宇宙人は、どこからやって来たの?」


【D】「どこからって……それは、宇宙からに決まってるじゃないですか。相手は宇宙人ですからね」


 久留巳「ごめんなさい、質問を変えるわ。その二匹の宇宙人を、あなたたちはどこで見つけたの?」


【D】「子狸島の……【B】の家に隠れ潜んでいるのを見つけました。だから俺たちは、【A】の指示で宇宙人が寝ているところを捕まえて、タヌキ用の檻に監禁したんです」


 久留巳「宇宙人を最初に発見したのも、【A】なのね?」


【D】「はい。地球人に成りすましている宇宙人を最初に見つけたのも、【A】です。【A】は天才で……頭も良くて、運動もできて、容姿も美しくて、本当にすごいんです」


 久留巳「あなたは、十年前から随分と【A】のことを評価しているようだけど」


【D】「ひょ、評価だなんて、とんでもない。そんな、値踏みするような真似はできませんよ。【A】は当時から俺たちのリーダーで、特別なんです。【A】にさえ従っていれば、俺たちは間違えるはずがないんです。本当は俺も、【A】と同じ蓬莱高校に行きたかったんですけど、馬鹿だから……試験に落ちてしまって」


 久留巳「なるほどね。話を宇宙人に戻したいのだけど」


【D】「はい。小学二年生だった俺たちは、【B】の家で捕まえた宇宙人をしばらく飼育してました。確か、三カ月ぐらいだったと思います」


 久留巳「具体的に、飼育について教えてもらえるかしら」


【D】「そうですね。宇宙人には、【A】の指示で朝と夕方に餌を与えていました。宇宙人を監禁していたのは【B】の家だったので、朝は【B】が餌をやって、放課後にみんなで家に集まって監視を続けてたんです。二匹の宇宙人は、檻に閉じ込められた当時は激しく抵抗してたんですけど。こっちには武器がありましたからね。反抗的な態度をとったときは、【B】の家にあるモデルガンを使って痛め付けていました。【A】の指示で餌を与えなかったり、台所にあった包丁で脅したりもして。そのうち衰弱して、おとなしくなりました」


 久留巳「十年前の証言では、最初その宇宙人たちは服を着ていたそうだけど」


【D】「はい。ヤツらは、人間に成りすまして生活してましたからね。でも【A】の指示で服を脱がして、全裸の状態で檻の中に閉じ込めました」


 久留巳「宇宙人たちは、人間の言葉を話していたの?」


【D】「それは……まあ、それぐらいの知能はありますよ。でも、【A】と話しているうちに宇宙人たちは大人しくなりました。【A】は本当にすごいですから。きっと宇宙人たちも、【A】が相手では敵わないと思ったんでしょうね」


 久留巳「具体的に、どんな言葉を話していたの?」


【D】「そうですね。最初は反抗的で、『ふざけるなよ』とか『ぶっ殺してやる』などど叫んでいました。でも、俺たちに生殺与奪の権利を握られていることを知ると、次第に大人しくなって。そのうち、『許してくれ』とか『俺たちが悪かった』とか泣いて謝るようになりました。モデルガンで痛め付けたのと、【A】の脅しが効いたのだと思います」


 久留巳「そして三カ月が経って、二匹の宇宙人はどうなったの?」


【D】「それは……死にましたけど」


 久留巳「どうして死んだの?」


【D】「衰弱していたところを、バットで頭をかち割られて死にました」


 久留巳「誰がそんなことをしたのか、答えられる?」


【D】「はい。二匹の宇宙人を殺したのは、もちろん【A】です。【A】以外に、宇宙人を殺せる人間なんていませんから」


 久留巳「どうして、そんなことをしたの? どうしてキミたちは、宇宙人を監禁して殺したりなんてしたの?」


【D】「そんなの……決まってるじゃないですか。宇宙人が、地球の侵略を目論んでいるからです。それで、地球人のふりをして、地球のことを調べていて。だから、俺たちは二匹を監禁して殺したんです」


 久留巳「それも、【A】に言われたの?」


【D】「はい。【A】は本当に、すごいですから。宇宙人の存在を見抜けるのは、【A】だけなんです」


 久留巳「罪の意識は、感じていないの?」


【D】「罪の意識って……先生は、子狸島からタヌキがいなくなった本当の理由を知っていますか?」


 久留巳「タヌキがいなくなった、本当の理由?」


【D】「はい。俺たちが住む子狸島は、昔は三千匹を超えるタヌキが住んでいたんです」


 久留巳「子狸島のタヌキがいなくなったのは、橋ができたせいで、タヌキを捕食する野犬が島に渡ったことが原因だと記憶しているのだけど」


【D】「違いますよ。島からタヌキが消えたのは、宇宙人の仕業なんです。ヤツらは、島にいるタヌキを食べてるんですよ。野生のタヌキは、宇宙人たちの大好物ですから」


 久留巳「それも、【A】が言っていたの?」


【D】「はい、【A】が教えてくれました。だから、罪の意識なんてありません」


 久留巳「……そう。話は変わるのだけど、四人とは今も会ってるの?」


【D】「そうですね。【A】とは、高校生になって学校が変わってしまいましたが、定期的に会って話をしています。【A】は東京の大学に行くそうなので、俺も東京の大学に行くために勉強していて」


 久留巳「他の三人は?」


【D】「まあ、他の三人も蓬莱中学校までは一緒でしたから、顔を合わせることも何度かありましたけど。別に興味ないんですよね。宇宙人を殺してからは、色々あって。ほとんど疎遠になったヤツもいます」


 久留巳「高校生活はどう? 順調?」


【D】「そうですね。俺自身の生活に、特に問題はないですけど。周りのヤツらのレベルが低過ぎて、うんざりすることは多いです。身体を鍛えるために剣道も続けてるんですけど、本当に馬鹿ばっかりで。改めて【A】はすごい人物なんだと思い知りました。あれほど完璧な人間には、この先、一生出会えないのだと確信しています」


 久留巳「あなたは、随分と【A】のことを信頼しているのね」


【D】「はい。【A】は俺にとって、世界の基準ですから。【A】の言うとおりにしていれば、間違いないんです」


 久留巳「……そう」


【D】「あの、先生……そろそろいいですか? 塾があるんで」


 久留巳「ええ。今日はわざわざ来てくれて、本当にありがとう。また何かあったら、よろしくね」


【D】「はい。それでは、失礼します」




 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》②



 始業式のあと小学校の寒桜を見に行ったが、すでに花びらが散っていた。子どもの頃、父さんと良く花見にしに訪れていたが、そう言えば寒桜の季節は二月か三月あたりだったはずだ。四月には、もう当たり前のように葉桜なのだろう。

 頭が割れるように痛い。

 俺は持って来ていた頭痛薬を口の中に含むと、ガリガリと、ガリガリと噛み砕いてブラックの缶コーヒーと一緒に飲んだ。三年生に進学して、一週間が経っていた。

 ――そろそろ、頃合いだろうか。

 昼休みに入ったのを確認すると、僕は星野ほしのルナとの約束を無視して一年生の教室がある本校舎の二階へと向かった。今回の新入生の中に、宇宙人が潜んでいることはすでに把握している。今日は、その宇宙人たちの詳細を調べるために、こうして独り行動を開始したのだ。

 二階へと降り立った僕は、まず初めに一組の教室へと向かう。誰にも気付かれないように、教室の中身を確認する。

 四十人ほどいる生徒たちの姿を目視するが、そこに宇宙人の姿はなかった。

 僕の『宇宙人を見抜く力』は、上手く機能するときとしないときがあって、その理由はよくわかっていないのだが。とりあえず、一組に宇宙人はいないようだ。

 そのことを確認した後で、次いで二組の教室へと向かう。

 入学して一週間と言うこともあり、一年生たちは行儀良く教室で昼食をとっているようで、二組も一組同様、クラスメイト全員が教室内に待機しているらしかった。そして、その中に一人の生徒に僕の視線は釘付けになる。

 ――いた!

 ――宇宙人だ!

 教室の、窓から二番目の席。独りぼっちで購買のパンを食べているそれは、間違いなく宇宙人の姿をしていた。その顔は、まるでシーラカンスのように不気味で、手足の生えた人型の身体をしているものの、肌は深海魚のような質感を湛えている。とりあえず、シーラカンス星人と名付けることにした。

「ちょっと、いいかな?」

 シーラカンス星人を視認したあとで、財布を持って教室を出て行こうとする女子生徒に声を掛ける。

 廊下で僕に話し掛けられた二人組は、驚いた顔をしたかと思うと突然、目を輝かせた。

「な、何ですか? ……て、言うか三年の桐式先輩ですよね!」

「ウソ! どうして先輩が、一年の教室なんかにいるんですか!」

 僕に気付いた少女たちが、殊更にはしゃいだ声を上げる。

 こう言うことはよくあるが、できればあまり大きな声は出さないで欲しい。変に目立って、宇宙人に僕の存在を印象付けたくないのだ。

「だっ、誰かに用事ですか? よ……呼んできましょうか?」

「いや、ちょっと新入生で気になる子がいて。それで調べてるんだけど」

「き、気になる子って、女子ですか? このクラスの?」

「とりあえず、落ち着いてもらってもいいかな。あまり目立ちたくないんだ」

 二人に向けて、できるだけ優しい笑顔で応対する。

 少女たちは頬を上気させて、興奮しながらも「はい、わかりました」と頷いた。

「実は、あの生徒なんだけど」

 二人に目配せをしたあとで、先ほどのシーラカンス星人へと視線を向ける。

「え? ど、どうして桐式先輩が、根元ねもとなんかのこと気にするんですか?」

 僕の視線を辿った少女の一人が、吐き気でも催したような顔した。どうやら、宇宙人の知り合いであるらしい。

「根元……と、言うのは男子生徒なの? 女子生徒なの?」

「もう、何言ってるんですか先輩!」少女がさも、可笑しそうに笑う。「見てのとおり、男子生徒ですよ」

「ああ、そうなのか……」

 僕は改めてシーラカンス星人を見ながら、答えた。

 もちろん宇宙人たちは、人間のふりをして日常生活を送っているので、きちんとその場のTPOに則した服装をしているわけだが。僕の目には、それが見えない。人間のふりをしている宇宙人を見破る力が僕には備わっているわけだが、どんな服を着ているのかまでは、わからないのだ。だから、シーラカンス星人が男子生徒か女子生徒かさえ、他人に確認してもらう必要があるのだが。

「えーと。その根元君は……いったいどんな生徒なのか、わかるかな?」

「え、根元ですか?」女子生徒の一人が、意外そうに眉をひそめる。「はい。一応中学が同じだったから、知ってますよ。と、言っても全然友だちとかじゃありませんけど。あんな気持ちの悪いヤツ、関わりたくもありませんから」

「気持ちの悪いヤツ?」

「はい。誰とも話さないし、いつも教室でライトノベル……って言うんですか? あれを読んで、ニヤニヤ笑ってるし。本当に気持ち悪いんです」

「中学生の頃から、そんな感じなの?」

「はい。中学生の頃から、ずっと友だちがいなくて独りぼっちで。クラスの明るい男子なんかが構ってやろうと声を掛けても、完全に無視で。あと、クラスの可愛い女子に、一時期付き纏っていたこともあって」

「……それって、ストーカーってこと?」

 首を傾いで確認すると、女子生徒が心底気持ち悪そうに頷いた。

「あんなヤツに、関わらない方がいいですよ」

「そうですよ、先輩。そんなことよりも、私たちと一緒にお昼食べませんか? 桐式先輩と一緒に御飯食べたら、それだけでもう、クラスの女子に自慢できますから」

「ありがとう。でも……ごめんね。まだまだやらなくちゃいけないことがあって」

「えー、残念!」

「今度は是非、お願いしますね!」

 とりあえず笑顔で断ると、少女たちは泣きそうな顔をしながらも弾んだ声を上げる。その後で、『キャー』と二人で黄色い声を発しながら購買部へと走り去ってしまった。

 ――ストーカー気質の、根暗な少年か……

 少女たちの言葉を思い出し、改めてシラーカンス星人の姿を確認する。

 もちろん、見つけた宇宙人は最終的に全員駆除するわけだが。同じ学校の生徒を殺すのは、色々とリスクが高い。ここは、慎重に行動する必要があるのだろう。

「………」

 そのことを肝に銘じ、次いで僕は隣にある一年三組の教室へと向かった。

 気配を殺して中を覗くと、机をくっ付けた男子たちのグループの中に、一匹の宇宙人を見い出すことができる。

 羽の生えた、まるでセミのような姿をした気持ちの悪い宇宙人――。セミ星人が、クラスメイトたちと盛り上がりながら、お弁当を食べていた。

「あれ! 桐式先輩じゃないですか!」

 不意に、セミ星人は俺と目が合ったかと思うと、立ち上がって近づいて来る。

「……キミは?」

「もう、惚けないでくださいよ! 蓬莱中学で一緒だった、サッカー部の岡森おかもりですよ!」

「……岡森君……なのか」

「はい! ご無沙汰してます!」

 そう言うと、セミ星人は僕に向けて頭を下げた。

 岡森君は、僕が蓬莱小学校に通っていたときから知っている仲で、サッカー部の練習にも熱心に取り組む活発な生徒だったのだが。少なくとも、蓬莱中学で一緒だった頃は宇宙人ではなかった。どうやら僕が知らない間に、彼も宇宙人になってしまっていたらしい。記憶にある限りでは、少し怒りっぽいところはあるものの、ごく普通の生徒だったはずなのだが。

「えーと、岡森君は……高校でもサッカーを続けるつもりなの?」

「ああ、いや。サッカーは、もうやめたんですよ。俺、才能とかありませんから」

「そうなんだ。あんなにも頑張っていたのに」

「ははは。俺は先輩みたいに、何でもできる完璧超人じゃありませんから」

「完璧超人って……」

「桐式先輩は、相変わらず帰宅部なんですか? そんなにスポーツできるのに」

「まあ、僕は。色々と忙しいからね」

「あ……それって、彼女さんですか?」セミ星人が、にぃと不気味な笑みを浮かべる。「先輩、中学の頃からすごいモテてましたもんね! 羨ましいなあ!」

「そうだね。まあ、そんなところかな」

「あーあ、どうして俺……こんなになっちゃったんだろう」

 そんな、どうでもいい話をしていると、セミ星人が不意に溜め息をついた。彼に関しては小学生の頃から知っているので、特に情報を集める必要もないのだろう。

 僕は適当にセミ星人との会話を打ち切ると、次いで四組の教室へと向かった。

 慎重な所作で、教室の中を目視する。――しかし、宇宙人の姿は見受けられなかった。

 僕が全校集会で確認した一年生の中に、宇宙人は三匹いたので、最後の一匹はおそらく五組なのだろう。ちなみに、一学年二百人の中に宇宙人が三匹もいる可能性は、極めて低い。僕は、この十年の間に計十八匹の宇宙人を見つけ出して殺してきたわけだが、こんなにも宇宙人が固まっているのは珍しいことである。僕がこの蓬莱高校に入学して以来、校内で発見した宇宙人は教師一匹と同級生一匹の計二匹だけなので、これはすごい確率だと断言してもいいだろう。

 そのことを自覚しながらも、僕は一番端にある五組の教室へと向かった。

 一緒にお弁当を食べている二人の女子に混じって、一匹の宇宙人を視認する。

 紫色の、まるでグロテスクなタコのような姿をした宇宙人――タコ星人だ。

 タコ星人と食事している二人の女子生徒には、見覚えがあった。

「ご無沙汰してるね。坂本さかもとさん、小栗おぐりさん」

 蓬莱中学で一緒だった少女たちに、近づいて声を掛ける。

 お弁当を食べていた坂本さんと小栗さんは、顔を上げるとパッと笑顔を花開かせた。

「桐式先輩……」

「ど、どうしたんですか。こんなところで?」

「いや。たまたま廊下を歩いていたら、二人の姿が目に入ったものだから」

「そっ、そうだったんですか……」

 小栗さんが、嬉しそうに唇を噛み締める。

 蓬莱中学にいた頃、僕は一時期先生に頼まれて生徒会長の代理のようなことをさせられていたのだが、二人はそのときからの知り合いだった。

「えーと、そちらは?」

「あ、こっちは高校に入ってから友だちになった、木村きむらさんです。彼女も生徒会に興味があるらしくて」

「お噂はかねがね伺っています、桐式先輩!」

 タコ星人は勢いよく立ち上がると、紫色の触手を伸ばして僕に握手を求めてきた。まるで、選挙前だけやる気をアピールする政治家のように。

「一年の、木村香奈子かなこです! 生徒会長を目指しています!」

「……ああ、そうなんだ」

 僕は不快に思いながらも、その握手を受け入れることにした。タコ星人は、僕の手をしっかり握り締めると、チンパンジーのように力を込めて上下に振り回す。

「生徒会だけじゃありません! 私は、将来的には東京の大学に行って、政治家になることを目指してるんです!」

「政治家に……だって?」

「はい! この国を、良くしたいんです! この国を、変えたいんです!」タコ星人が、二度三度と大きく頷いた。「噂によれば、桐式先輩も東大を目指しておられるとか。しかも全国模試では常にトップで、合格間違いなしだと聞いております! だから、もし私が合格したら、大学でも先輩後輩になれますね!」

「……まあ、そうなるのかな」

 面倒臭く感じながらも、適当に生返事をした。

 宇宙人が政治に関わって国を乗っ取るなど、まるでジョン・カーペンターの『ゼイリブ』のような話だ。とてもじゃないが、看過できない。

「私、頑張ります! 頑張って、この国を良くします! 腐り切った日本の政治を、変えて見せます! 憲法九条を守って、平和な日本を実現します!」

「……そうなんだ。まあ、頑張って」

 あまりにも熱心な様子に、坂田さんと小栗さんも引き気味だ。二人はもちろん、生徒会の活動に興味があるのだろうが、それは充実した学校生活が送りたいからであって政治家になりたいわけではない。そんな坂田さんと小栗さんからすれば、この自己顕示欲の塊のようなタコ星人の言動は、とても理解できるものではないのだろう。温度差が生じている、と言ってもいいだろうか。

 ――何が、この国を良くするだ!

 ――宇宙人のくせに!

「………」

 僕は内心では憎悪の炎を滾らせながらも、タコ星人から手を放し、教室を後にすることにした。少女たちに向けて「三人とも、生徒会に入れるといいね」と、適当な笑顔で言ってから、踵を返す。

「弥勒君……」

 一匹の宇宙人が教室の中を覗いているのに気付いたのは、そのすぐ後のことだった。

 醜く太った、まるでファンタジー映画に出てくるオークのような姿をした宇宙人だ。緑色の肌の表面には、気持ちの悪いイボが無数に点在している。オーク星人であり、二年生の頃からの僕の彼女である星野ルナだ。

 ルナが教室に入って来たことで、一年生たちはいっせいにざわついている。

「ひ、酷い……お昼一緒に食べる約束してたのに……無視するなんて……」

 オーク星人が、今にも泣き出しそうな、憐れみを誘う声を上げた。宇宙人のくせに。実に耳障りで目障りだ。

 しかし僕は、いつもの笑顔でオーク星人に対応する。

「ごめんね、ルナ。入学から一週間が経ったから、そろそろ後輩に挨拶しておこうと思ったんだよ」

「そ、そうだったんだ……」

「あ、あの、桐式先輩……そちらは?」

 しばし面食らっていた坂田さんが、恐る恐ると言った様子で質問した。

「星野ルナです! 弥勒君の彼女です!」

 僕が答える前に、オーク星人が自己紹介をする。おそらくは、女同士の牽制の意味も込められているのだろう。

 その言葉を聞いて、坂田さんと小栗さんは殊更に目を丸くした。一年五組の生徒たちも、顔を見合わせたり、驚愕の表情を浮かべたりして騒然としている。

「とりあえず、食事の邪魔だから。行こうか?」

 そんな空気を感じ取り、僕は教室を出ることにした。そんな僕の腕を掴み、醜いオーク星人が見せつけるように隣を歩く。実に不快だ。しかし、このオーク星人は僕にとって貴重な実験体であるため、しかたなく我慢することにした。

 二人で屋上に行って、一緒に食事をとることにする。

「ああ言うの、できればやめて欲しいかな」

 山のようなお弁当を貪りながら、オーク星人が言った。

「ああ言うのって?」

「ほら、ああやって……女の子に声掛けるの、良くないよ。ただでさえ、弥勒君はモテるんだから。相手に勘違いさせちゃったら、悪いでしょ?」

「まあ、そう言う考え方もあるのかな」笑顔で、笑顔でオーク星人が作ってきたお弁当を食べる。「でも僕は、太った女性以外には興味がないから」

「フフフ、そうだよね。私……弥勒君のために、もっともっと太るね。今はまだ二百キロだけど。もっともっと太って、弥勒君好みの女の子になるからね」

「うん、ありがとうルナ。嬉しいよ」

 気持ちの悪い笑顔を浮かべるオーク星人に、気掛かりなく謝辞を述べた。

 もちろん僕は、宇宙人のことを好きになったりはしない。加えて言うなら、太った女性が好きなわけではない。オーク星人を言葉巧みに太らせているのは、僕が行っている実験の一環だった。宇宙人の生態を調べるための、単なる臨床試験に過ぎない。

「そう言えば、ルナは進路はどうするんだ?」

「進路? もちろん、弥勒君と一緒に東京の大学に行くよ。東大はさすがに無理だけど、大学なんていくらでもあるから」

「……そうなんだ」

「弥勒君は、本当に東大でいいの? お父さんの後を継いで、防衛大学に行くことも考えてたんでしょ?」

「まあ、そうだけど。どうかな。自衛官になるのは、ちょっと違うような気がして」

「そうなんだ……」

 オーク星人が、豚のようにお弁当を食べながら呟く。

 宇宙人を殺すために、何も父さんのように自衛官になる必要はない。適当な大学に行って、普通のサラリーマンをしながらヤツらの正体を暴き出し、一匹ずつ殺していく。そして、やがてはこの国からすべての宇宙人を駆除するのだ。僕の人生は、それだけでいいのだろう。

「――オェエエエ! オェエエエエエエエエ!」

 食事を済ませたあとで、僕はオーク星人が作ってきたお弁当をトイレの中ですべて吐いた。吐いた。吐いた。吐いた。あんな宇宙人が作ったものを身体の中に入れるなど、不快で不愉快で仕方がなかったのだ。

 五時間目と六時間目の授業を終えて、放課後を迎える。


 一年二組のシーラカンス星人――根元。

 一年三組のセミ星人――岡森。

 一年五組のタコ星人――木村。


 本当はすぐにでも殺しに行ってやりたいところだが、さすがに同じ学校で三人もの被害者が出た日には、警察に怪しまれる恐れがある。僕が疑われないためにも、時間を掛けてじっくり駆除しなければならないのだろう。

「………」

 そんなことを考えながら、僕は島にある自宅アパートへと向かった。今日も晩御飯を食べ終えたら、新たな宇宙人を見つけ出すために市内を探索する予定だ。十年間である程度の宇宙人は駆除し終えているが、まだまだヤツらの侵略行動は終わらない。新たな宇宙人を見つけ出し、殺し続けることこそが、僕に与えられた唯一の使命だった。

「やあ、初めまして。桐式弥勒君」

 ふと、立ち止まる。

 目の前で待ち構えている少女に、視線を向ける。

 計算され尽くした整った顔立ちと、半紙のような無機質な白い肌と、濡れ羽色の美しい髪を持つ少女――。見覚えのないセーラー服を着た、日本人形のような女子生徒がそこに立っていた。

「ああ、それともキミのことはこう呼んだ方がいいのかな。『連続猟奇殺人鬼』さん」

「………」

 少女はそう言うと、『不気味』としか形容できない笑みを浮かべた。

 この少女は、僕にとって理不尽なほど危険だ。――本能的にそう思った。


  †



 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、


 頭痛薬を口に含むと、ブラックの缶コーヒーと一緒に噛み砕いて飲んだ。

 僕のアパートにやって来た少女は、出されたコーヒーに大量のミルクと砂糖を入れて、飲み始める。どこか無機質な、日本人形のように美しい女子生徒だ。

「それで……お前はいったい何者なんだ?」

 ベッドに腰を下ろした後で、警戒心を露わに質問を開始した。

「ボクかい? ボクの名前は、水木みずき茂子しげこだよ。一応、キミと同じ高校三年生なんだけど」

「見掛けない制服だな?」

「それはそうさ。ボクが通っているのは、この地域にある高校ではないからね。ここに来たのは、連続猟奇殺人鬼であるキミに会うためなんだ」

 薄ら寒い微笑を浮かべて、少女が答える。

 俺は油断なく水木茂子の顔を睨み付けた。どこまでが本気で、どこまでが嘘なのかわからない雰囲気だ。飄々としている、と言った感じだろうか。

「お前は……いったい何だ? どうして僕のことを、殺人鬼だなんて呼ぶ?」

「ボクは、まあ、『怪異』のようなものかな」

「怪異……だと?」

「ああ。ボクは、人を殺す人間に興味があるんだよ。それで、この地域に十年間で二十人近く殺した殺人鬼がいることを知って、こうしてやって来たんだ。その殺人鬼の生態を調べるためにね」

「馬鹿馬鹿しい。いったい何の証拠があって、お前は僕のことを殺人鬼だなんて呼ぶんだ? 僕は生まれてからの十七年間、一度も人間を殺したことなんてないぞ」

「おや、惚けるつもりかい?」

 小首を傾げ、水木茂子が不気味に笑う。

 僕は確かに宇宙人を何人も殺してきたが、人間を殺したことはない。いきなり殺人鬼呼ばわりされるのは、心外だ。

「ああ、ごめん。ごめん。そう言えば、キミは人間は殺していないんだったね。キミが殺しているのは、宇宙人……だったかな」

 そんなことを考えていると、少女はさも可笑しそうな口ぶりで言う。

「まあ、それはどちらでもよいのだけど」

「どちらでもよくは……ないだろう」

「とりあえず、事件についてボクなりに推理してきたので、聞いてくれるかな。宇宙人を殺し続ける殺『人』鬼のキミに、どうしても拝聴して欲しいんだよ」

「好きにしろ」

 僕は少女の一挙手一投足に警戒しながらも、溜め息をついた。その言葉を受けて、水木茂子は「ありがとう」とお礼を言う。

「それでは、今回の事件……まあ、仮に『宇宙人連続殺人事件』とでも呼称しようか。その事件について、説明させていただくよ」

 少女が、鷹揚に手を広げて見せた。その後で、

「まずは、事件の簡単な概要についてなのだけど。この十年で殺された宇宙人たちには、すべて殺害時、または殺害後に『頭部を潰されている』と言う共通点がある。その共通点のせいで、警察はこれまで起こった二十件近い事件の犯人を、同一人物だと断定せざるを得なくなったんだ。そして、警察はこの十年間必死に犯人を捕まえようと捜査を続けてきたわけだけど、未だに容疑者らしい容疑者は見つけられていない。その理由は、まあ、簡単に三つぐらいあるのだけど」

「三つ……か」

「ああ。まずは一つ目の理由」水木茂子が、言いながら指を立てる。「今回の事件において、被害者にはまったくと言っていいほど共通点が見られない。まるで無差別な通り魔殺人のように、被害者が殺された理由がわからないんだ。しかし、無計画な通り魔殺人ではなく、半数以上の被害者が自分の自宅で殺されている。これは、連続殺人事件においても極めて異質なことなんだよ。計画的に、無差別に、しかも接点や共通点のない被害者を二十人近くも殺すなんて。警察から見ればとても論理が破綻した殺人事件なんだ。もっとも、ボクはキミが『宇宙人をターゲットにしている』と言うことを知っていたから、こうして犯人に辿り着けたわけだけど」

「どうして……お前は、僕が宇宙人を殺していると思うんだ」

「それに関しては、ボクが久留巳くるみ研究所の関係者だって言えばわかるかな。ボクは十年前の橘川きつがわ夫妻殺人事件の資料について、自由に閲覧できる立場にあるんだよ。そうでなければ、こんな論理が破綻した殺人事件の真相には、とても辿り着けなかったわけだけど」

「……なるほどな」

 小さく溜め息をついて、とりあえず納得した。この少女が十年前の事件についてその詳細を知っているのなら、僕に辿り着くことも可能なのだろう。

 十年前、僕たちは宇宙人を殺した。藤浪ふじなみ敦嗣あつしと、梅原うめはら善人よしひとと、上比佐かみひさ植美たつみと、橘川きつがわ夢愛ゆあと、そして僕の――五人で殺した。二匹の宇宙人を監禁して、しばらく様子を見るために飼育した後で、殺したのだ。事件のプロファイリングとカウンセリングを担当したのが、久留巳研究所で所長をしている久留巳先生だったので、水木茂子が研究所の関係者であるのなら、橘川夫妻殺人事件について詳しく知っていても不思議ではない。おそらく彼女は、僕に関するありとあらゆる情報を掴んでいるのだろう。

「二つ目は?」

 そのことを理解したうえで、質問を投げ掛ける。

「二つ目の理由は、プロファイリングの失敗だね」少女が、二本の指を立てた。「まあ、単純な話なのだけど。警察は今回の事件の犯人像を、二十代後半から三十代以上に限定してしまっているんだよ。なんたって、事件は十年前から続いているわけだからね。とてもじゃないが、当時小学生だったキミには辿り着けない。おそらく警察の上層部は、子どもが事件の犯人だなんて夢にも思っていないんじゃないかな」

「それは……まあ、そうだろうな。久留巳先生が余計なことを言わない限り、警察が子どもを被疑者にすることはない」

「そして、三つ目の理由……個人的には、これが一番重要なのだけど」

 薄ら寒い微笑を浮かべたまま、水木茂子が三本の指を立てた。

「今回の事件において、未だ警察は凶器を特定できていないんだよ。いったい犯人はどうやって被害者の頭部を潰したのか、それがわかっていないんだ。実は僕もこの三つ目の理由に引っ掛かって、長らく事件の真相に辿り着くことができなかったわけだけど」

「凶器が……わかったのか?」

「ああ。考えてみれば、単純なことだったよ。ずばり、今回の事件の凶器は『素手』だったんだ。犯人は何の道具も使わずに、被害者の頭を粉々になるまで潰していたんだよ」

「アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガーじゃあるまいし、平均的な男子高校生である僕に、そんなことができるとは思えないが。ましてや、僕は十年前、小学二年生だったんだぞ? 素手で頭蓋骨を潰すなんて、できるはずないだろう」

 手を広げて、余裕の笑みを浮かべて見せる。

 しかし少女は、表情一つ変えずに首を振った。

「その真相については、ダニエル・キイスの本を読んでようやく理解することができたよ。知ってるかい、僕たちが高校一年生のときに話題になった本なんだけど」

「『24人のビリー・ミリガン』……か?」

「ああ。多重人格者であるビリー・ミリガンの人格の一つに、レイゲン・ヴァダスコヴィニチと言う男がいるのだけど。彼はアドレナリンを自由自在に操ることで、信じられないような怪力を発揮し、便器を素手で破壊したこともあるらしい。先天的か後天的かは知らないけど、それと同じことがキミにはできるんじゃないのかい?」

「……馬鹿馬鹿しい。そんなのは、ただのオカルトだ」

「いいや、馬鹿馬鹿しくはないさ」少女が再び首を振る。「そもそも人間の脳は、自身の身体が壊れないように発揮できる力にリミッターを設けているんだ。しかし、一部の人間はアドレナリンによってそれを解除することができる。だとするなら、キミが小学生にして素手で人間の頭部を潰していたとしても、何ら不思議ではないだろう?」

「人間じゃない……宇宙人だ」

「認めるのかい?」

 水木茂子が、僕の顔を覗き込むように九十度まで首を傾げた。

「僕は……この場でお前を殺すことだってできるんだぞ」

「まさか。キミはそんな『不条理』なことはしないさ。なぜなら、キミが殺しているのは宇宙人だけだからね。キミに人間は殺せない」

「殺せるさ。僕は使命を果たすためなら、人間だって殺してみせる」

「………」

 しばし少女が、じっと僕を見つめたまま無表情で停止する。まるで、檻に入ったトラやライオンでも観察しているようだ。

 その後で、再び水木茂子は気味の悪い笑顔を浮かべた。

「心配しなくても、ボクはキミのことを警察に通報したりはしないさ。キミの使命とやらの邪魔をする気はないんだ。最初に言ったけど、僕の目的はあくまで殺人鬼について調べることだからね」

「殺人鬼について……か」

「ああ。どちらにせよ、まあ通報したところで、キミが証拠らしい証拠を残しているとは思えない。きっと警察は、キミを逮捕することはできても起訴することはできないよ」

 さも可笑しそうに、少女が語る。

 確かに、仮に水木茂子が僕のことを通報したとしても、現場に証拠なんて残していない。司法が僕を裁くことなど実質的に不可能なのだろう。彼女の推理を聞いたところで、きっと警察も悪戯だと判断するに違いない。

「まあ、そう警戒しないでおくれよ弥勒君。ボクはキミを、敵に回すつもりはないんだ。キミに迷惑を掛けるつもりもない。ただ、しばらくキミの様子を観察させて欲しいだけなんだ」

「観察……だと?」

「ああ。まあ、ボクのことは田んぼの案山子とでも思ってくれればいいよ。しばらくキミのことを観察したら、すぐにでも消えるから」

「……まあ、いいだろう。ただし、僕の邪魔をするようなら容赦しないからな」

「ありがとう。キミの善意に感謝するよ」

「………」

 鷹揚に手を広げると、水木茂子は満足そうに頷いた。

 さすがに、このまま野放しにするのは危険な気がする。しかし――この少女は絶対に敵に回したくないと、心の底から僕は思ったのだ。まるで目の前の怪異に立ちすくむ、ホラー映画の登場人物たちのように。



 《副軸――少年少女の記録》 【E】の証言



【E】「ご無沙汰してます。三聖さんせい女学園三年の、【E】です」


 久留巳「わざわざ呼び出してごめんなさいね、【E】。カウンセリングの一環として、どうしても全員に話を聞いておきたかったものだから」


【E】「いえ、それは……別にいいんですけど」


 久留巳「さっそくだけど、十年前の事件について、いくつか確認してもいいかしら」


【E】「はい。……大丈夫です」


 久留巳「まず確認したいのは、あなたたちが飼育していた宇宙人についてのなのだけど」


【E】「う、宇宙人なんて……いませんよ。いるはずありません。私たちが監禁していたのは、【B】の両親です」


 久留巳「でも、あなたは十年前『宇宙人を飼育してた』って」


【E】「それは……【A】がそう言っていたからです。【A】が【B】の両親のことを、宇宙人だって」


 久留巳「それで、あなたはその言葉を信じたの?」


【E】「信じた、と言うよりかは……【A】には逆らえませんでしたから。あの頃の私たちにとって、【A】は絶対的な存在でした。だから【A】が【B】の両親を『宇宙人だ』と言い出したときも、『タヌキの檻に監禁しよう』と言い出したときも、誰も逆らうことなんてできなくて」


 久留巳「その結果、【B】の御両親を殺すことになってしまったのね」


【E】「……はい」


 久留巳「こんな言い方は残酷だけど。人殺しをした、という自覚はあるの?」


【E】「わ、私は……何もしていません。ただ【A】の言葉に従っていただけです」


 久留巳「あなたたちはまだ子どもだったから、罪に問われることはなかったし、十年前の事件がマスコミに報道されることもなかった。でも、【B】の御両親を死なせたのは間違いなくあなたたちなのよ」


【E】「それは……自覚しています。でも、まさか殺すなんて」


 久留巳「【D】は、二人を殺したのは【A】だって言ってたけど」


【E】「違います。十年前にも話しましたが、私たちが【B】の家に集まったときには、すでに二人は死んでいました。何者かによって、殺されていたんです」


 久留巳「そのときの状況について、覚えている範囲で教えてもらえるかしら」


【E】「お、教えろって言われても……さっき言ったとおりです。私たちが学校帰りに五人で【B】の家に行ったら、二人はもう死んでいました。檻の扉は開かれていて、そのそばには血塗れのバットが転がっていて……だから、犯人はわかりません」


 久留巳「あなたたち五人以外に、犯行は可能だったと思う?」


【E】「いえ……あの檻の鍵は、私たち五人で管理してましたから。他の誰かが開けられるはずありません。【B】の両親を殺したのは、私たち五人のうちの誰かです」


 久留巳「質問を変えるけど。どうして【A】は、二人のことをタヌキの檻で飼育しようなんて言い始めたの?」


【E】「そ、それは、二人が宇宙人だったから……だと思います。うんう、少なくとも、【A】には【B】の両親が宇宙人に見えていたんだと思います。本人は、エビのような姿をした気味の悪い宇宙人だって、言ってましたから。それで、宇宙人の侵略から地球を守るために、二人を監禁することになって」


 久留巳「二人の遺体を発見した後に、バットで頭を潰したのはどうして?」


【E】「【A】が……頭を潰さなければ宇宙人の息の根を完全に止めることができないって、言ったからです。いや、違う。【A】は、宇宙人の頭の中には発信機が埋め込まれているとか。放っておいたら、仲間の死を知った宇宙人が集まって来るとか。そんな、わけのわからないことを言い始めて。それで、転がっていたバットを使って【A】が二人の頭を潰しました」


 久留巳「五人は、中学まではずっと一緒だったのよね?」


【E】「はい。高校に進学するまでは、全員一緒でした」


 久留巳「事件の後は、どんな感じだったの?」


【E】「ど、どんなって……わかりません。普通に付き合いのあるメンバーもいれば、疎遠になってしまったメンバーもいたと思います。あの事件が起こるまでは、毎日のように一緒に遊んでましたけど」


 久留巳「中学校での【A】は、どうだったの? 担任教師に話を聞いた限りでは、特に問題を起こす生徒ではなかったようだけど」


【E】「そうですね。【A】は嘘みたいに頭が良かったし、運動もできたし、そのうえあの見た目でしたから。彼に夢中になっている女子生徒は、本当に多かったと思います」


 久留巳「【E】も、昔は【A】のことが好きだったの?」


【E】「そ、それは……まあ、小さい頃はそうでした。でもあの事件があってからは、怖くて。怖くて。とても他の女子生徒たちのように、【A】に対して憧れの感情を抱くことはできなくて。【A】自身も、あまり異性に興味があるようには見えなかったし」


 久留巳「それで、高校では【C】と付き合うことにしたの?」


【E】「そ……そんなことまで、知ってるんですか?」


 久留巳「【D】や【C】は、定期的にカウンセリングを受けに来てくれているから。そのときに、【C】が嬉しそうにあなたのことを話していて」


【E】「……そうですか。まあ、どうでもいいですけど」


 久留巳「高校を卒業したら、どうするつもりなの?」


【E】「さあ、わかりません。ただ、事件のことは……あまり思い出したくないかな。両親は地元で就職して欲しいみたいですけど、できれば福岡の短大に行きたいと思ってて」


 久留巳「そうなんだ」


【E】「はい」


 久留巳「高校生活はどう? 愉しい?」


【E】「まあ、女子高だから色々面倒なことも多いですけど。特に問題なくやれていると思います。バレー部でも、レギュラーに入れたし。今は、ちゃんと好きな人もいますから。毎日が充実しています」


 久留巳「それは、何よりね。それで、【A】についてなのだけど」


【E】「また【A】の話ですか。正直、中学に入ってからはほとんど接点なんてありませんでしたから。わかりません。どうしてそんなに、【A】のことが気になるんですか?」


 久留巳「フフフ、単なる好奇心よ」


【E】「【A】のことが知りたいのなら、本人に直接聞くか、同じ高校の【C】にでも訊いた方がいいんじゃないですか?」


 久留巳「……あなたの言うとおりね。それはそれとして、十年前から市内で起こっている連続猟奇殺人事件いついてなのだけど。確か、今は【Bクラッシャー】なんて呼ばれているのかしら」


【E】「そ、そんな話、知りませんよ! 私は、関係ありませんから!」


 久留巳「そう興奮しないで、【E】」


【E】「あの、もういいですか? 友だちと会う約束があるんで」


 久留巳「ええ。今日はありがとう、【E】。よかったら、また話を聞かせてね」


【E】「……失礼します」



 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》③



 水木茂子に会ってから、一週間が経っていた。

 少女はそれから島にあるホテルに滞在し、ときどき僕の様子を窺うためにアパートにやって来たり、宇宙人探索に付いてい来たりした。

 はっきり言って、迷惑だ。しかし何を考えているのかわからない彼女のことを、無下に追い払うわけにもいかず、僕は茂子との面倒臭いやり取りを続けなければならなかった。相手は、僕が宇宙人を殺していることを知っているのだから、敵対すべきではないと思ったのだ。

 そして一週間が経ち、休日の土曜日が訪れた。僕はなぜか、半ば強引に水木茂子の子狸島観光に付き合わされることになった。

 アパートにやって来た少女と、まずは『おだ漁港』に向かう。港の様子をしばらく見た後で、次いで『櫛ヶ峯観音』を参拝。『櫛ヶ峯観音』は天明三年に港の漁師が漁をしているときに、観世音尊像が網に掛かり、それを夢のお告げに従って供養したものだ。夏には供養祭も行われる、家業安泰と福徳長寿をもたらしてくれるありがたい神様である。

「この一週間、キミの様子を観察しながら色々と考えたんだけど」

 参拝を終えた後で、次の目的地へと向かいながら黒髪の少女が口を開いた。

「フィクションにおいて、宇宙人が最初に地球を侵略しに来た作品を知ってるかい?」

「H・G・ウエルズの『宇宙戦争』だろ?」

「ああ。まあ、侵略モノとしては定番中の定番なわけだけど。キミの話を総合すると、どちらかと言えばジャック・フィニイの『盗まれた街』の方が近いかな。宇宙人が、地球人に成り代わって生活しながら侵略を進めていくわけだからね。それで、まあ、気を悪くしないで聞き流して欲しいんだけど」

 そこまで言って、茂子が薄ら寒い微笑を浮かべる。

 僕は少女と同じ歩幅で歩きながら、耳を傾けた。

「結論から言うと、宇宙人の話はキミの妄想……なんじゃないかと思うんだ」

「妄想だと?」

「ああ。例えば精神疾患において、家族や親友、恋人が『そっくりな偽物に成り代わっている』と言う妄想を、しばし患者が抱くことがある」

「カプグラ症候群か? 馬鹿馬鹿しい。僕には本当に、宇宙人を見破る力が備わっているんだ。そういう、精神疾患やクオリアの問題じゃない。宇宙人を宇宙人の姿として、認識してるんだ」

「だったら、心理的な要因を伴う特殊な『相貌失認』の可能性もある。キミはアドレナリンコントロールを含めて、かなり特殊な脳を持っているようだからね。人間の認識を司る側頭葉で、何かしらの異常が起こっていても不思議じゃない」

「お前は……どうしても僕を、異常者に仕立て上げたいようだな」

 少女の言葉が癇に障り、思わず睨み付ける。

「まあまあ、そう怒らないでおくれよ。あくまで、キミの宇宙人についての『見え方』を分析した結果なんだから」

「分析した結果……だと?」

「ああ、まずキミが宇宙人を認識する場合だけど。これまで人間に見えていた対象が、ある日を境にいきなり宇宙人に見えることがある。逆に、これまで宇宙人に見えていた対象が、なぜか人間に戻ってしまうことがある。また、死んだ人間は、例外なく宇宙人の姿から人間の姿に戻ってしまう。以上のことから、キミの宇宙人に対する見え方は、何らかの心理的な要因が強いと感じたんだ。だから僕は、弥勒君の症状を『心理的な要因を伴う』特殊な相貌失認だと分析したわけだけど」

「ふざけるなよ。宇宙人は、宇宙人だ。相手のことが人間に見えたり宇宙人に見えたりするのは、心理的な要因なんかじゃない。きっと、僕の『宇宙人を見破る力』に問題が生じているからなんだ」

「まあ、キミがそう思うなら、別にそれでもいいのだけど……」

 そんな話をしていると、島の西側にある守毘様の祠へと辿り着いた。海の中に赤い鳥居が立てられており、その数メートル先の海の底には、タヌキの神様である守毘様の祠が祭られている。

「どんな願いでも叶えてくれるって噂は、本当なのかい?」

 お祈りを済ませた後で、少女が懐疑的な声を上げた。僕は適当に、「さあ、どうだろうな」と答える。遠い昔、守備様に何かを強く願ったような気がするが。今はもう、何を願ったのかさえ思い出せない。

 守毘様へのお祈りを済ませて、次いで『子狸島運動公園』の満開の桜を見て回り、『龍ヶ口』へと向かった。『龍ヶ口』は龍が口を開けているように見える岩で、口に当たる部分に子どもを通すと病が治ると言い伝えられている。

 西側の観光を終えた後で、僕と茂子は島の東側へと向かった。

 次いで、人麿様を祭った『人麿神社』へと到着する。疫病や災難が振り掛からないように、祭られたものだ。僕は島の人間だし、この子狸島のことを深く深く愛しているので苦にならないが。果たして本土の出身である茂子が、島の観光地巡りなんてして愉しめているのかはわからない。せめて島にある名物的な食べ物でも振る舞えれば、少しは満足するのかもしれないが。どこか飄々とした、殺人鬼に付き纏う怪異――水木茂子が、いったい何を考えているのかなど皆目見当もつかなかった。


 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、


 ブラックの缶コーヒーを買って、噛み砕いた頭痛薬と一緒に飲み干す。

「文武両道。才色兼備。キミの人並み外れたスペックを鑑みるに、もしかしたら弥勒君は『ギフテッド』なのかもしれないね」

『人麿神社』での参拝を済ませた後で、少女がふと口を開いた。

「ギフテッド……だと?」

「ああ。アメリカ政府による定義だと『知性、創造性、芸術性、リーダーシップ、 または特定の学問分野で高い達成能力を持ち、その能力を十分に発達させるために、通常の学校教育以上のサービスや活動を必要とする子どもたち』と、言ったところかな。要するに『天才』と言うやつだよ。そして、才能に恵まれたギフテッドたちは、しばしば対人関係で問題を抱えることがある。他人との差が大き過ぎるせいで、発達障害やアスペルガー症候群と誤診されることがあるんだ」

「馬鹿馬鹿しい。僕は確かに他人より少しだけ頭がいいし、少しだけ運動が得意だが、別に対人関係で苦労したことはない。学校でも教室でも、帰属意識は強い方だ」

「それは、単純にキミの容姿が他とは比べものにならないぐらい優れているからだよ」

 口の端を上げて、茂子が皮肉っぽい笑みを浮かべる。

「容姿が優れているから……だと? どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。これは、心理学者のエドワード・ソーンダイクが提唱している説だけど。人間は特別な『優位性』を持った他人のことを、総合的に優れた個体だと誤認してしまう生き物なんだよ。例えば優秀なスポーツ選手だったり、超難関大学を卒業した芸能人だったり。そう言う、『優位性』を持った他人を『人格的にも優れているに違いない』と勘違いしてしまうんだ。容姿端麗な女性が就職の面接に有利だったり、犯罪を犯しても陪審員によって罪が軽減されるのは、このためだね。加えて、容姿が優れている方が生涯賃金が三千万円以上高い、なんてことも言われているわけだけど」

「ハロー効果……か。お前は、僕が他人と上手くやれているのはそのお蔭だと?」

「ああ。残念ながら、キミは才能に恵まれ過ぎている。キミは、他の凡人たちを上手く手の平で転がしているつもりなのかもしれないけど。とても他人の心の機微が読み取れるタイプには見えないよ。もしも弥勒君が『他人と上手くやれている』と思うのなら、それは『容姿と才能のお蔭で誤解されている』としか言えないかな」

「……知った風な口を利くな。お前に何がわかるって言うんだ」

 思わず眉をひそめて、吐き捨てた。しかし僕には心当たりがある。

 もしかしたら僕は、彼女の言うとおり本来、人付き合いが苦手なタイプなのかもしれない。他人の心を理解することができない、欠陥人間なのかもしれない。

 ――でも、そんな資質……必要ないだろ。

 ――僕には、宇宙人を見破る力があるんだ。

 ――別に、他人と馴れ合いたわけじゃない。

 そこまで考えて、唇を噛み締めた。強く。強く。

 僕にとって、僕の人生は使命を成し遂げるためだけにある。宇宙人を殺すこと以外に、この魂を消費すべきではないのだろう。

「………」

 次いで僕たちは、我が母校である蓬莱小学校の寒桜を観光することにした。市と県の天然記念物にも指定されている、樹齢百年近い島の観光名所だ。もっとも、今はもう花弁は散って葉桜になっているわけだが。

 父さんは、この桜を僕と一緒に見に来るのが好きだった。

「残念だね。満開だったら、さぞ綺麗だっただろうに」

 少し寂しそうに、寂しそうに少女が呟く。僕は「ああ、残念だ」と答えて、しばらく散ってしまった桜の木を見上げた。

 数分間ほど二人で、無言で、別れを惜しむように寒桜を観賞した後で、次いで島の東側にある『西福寺』へと向かう。『西福寺』の東側には、雑木林の中に三つのお墓があるのだが。島では『海賊の墓』として有名だった。何でも、四百年前に島を荒らしていた海賊を、とある武士が酒を飲ませて殺めた後に埋葬したものであるらしい。海賊たちの祟りを恐れ、島では今も供養祭が行われている。

 そんな『西福寺』と『海賊の墓』をお参りした後で、最後に僕たちは島の南側にある『立岩稲荷』に行くことになった。正直、『立岩稲荷』までは山を越えなければならないので行きたくなかったが。茂子が『どうしても島の観光名所をコンプリートしたい』などと言い出したため、仕方なく二人で錦山を越えることになったのだ。

「ぜえ……ぜえ……はあ……はあ……ぜえ……ぜえ……」

 山を登り始めて、三十分近くが経っただろうか。

 まるで塩を掛けられたナメクジのように汗を掻きながら、少女が僕の後ろを必死に付いて来る。どうやら『怪異』を名乗っているくせに、あまり体力はないらしい。

「ぜえ……ぜえ……ちょっと待ってくれよ、弥勒君」

「おいおい、それでも同い年なのか。これぐらいの山登りで、音を上げるなんて」

「まあ……そう言わないでおくれよ。僕はキミと違って、スポーツ万能な優等生じゃないんだよ」

「ほら、山の桜が綺麗じゃないが。天気もいいし、ハイキングには打って付けだ」

「ぜえ……ぜえ……ハイキングって……」

 整った顔を歪ませて、少女が恨めしそうに僕を見る。

 ずっと薄ら寒い微笑を浮かべていた茂子の、こういう顔を見るのは悪くない気分だ。彼女も一応は血の通った人間なのだと実感できる。

「はあ……はあ……そろそろお昼だし、この辺で一休みしようか」

 桜の木の下で、少女が有無を言わさず座り込んでしまった。

 持って来ていたリュックを下ろし、レジャーシートを広げて昼食の準備を始める。

「そんなに辛いなら、言ってくれればよかったのに。そしたら僕だって、リュックぐらいは背負ってやったさ」

「ぜえ……ぜえ……そうなのかい? だったら、先に言えば良かったよ。こう見えても、ボクは他人に気を使ってしまう人間なんだ」

「とても、そうは見えないけどな……」

 そんなことを言いながら、昼食の準備を済ませた。

 茂子が作って来たお弁当は、なかなかに豪華な三段重ねで。味も思いのほか悪くなかった。見た目的には、とても料理ができるタイプには見えないのだが。

「……そう言えば、模倣犯について……キミはどう思っているんだい?」

 食事を終えて、人心地ついたところで少女がふと口を開く。

「模倣犯について、だと?」

「ああ。キミはこの十年間で、十八人の宇宙人を殺してきたわけだけど。警察の発表とは数が違う。警察は、キミが犯した殺人事件を暫定的に二十件だとカウントしてるんだ。要するに、そのうちの二件は模倣犯による犯行……と言うわけだね」

 手を広げて、茂子が話を続けた。

 模倣犯の存在は、もちろん僕も知っている。

「まあ、正直に言うと……どちらでもいいかな」

「どちらでもいい、だって?」

「ああ。半年前に蓬莱中学の男性教師が殺された事件と、四カ月前に西京さいきょう義塾の女性講師が殺された事件に関しては、僕は関係ない。僕は宇宙人以外を殺さないからな」

「しかし、二人の遺体はキミが犯した十八件の事件と同じく頭がかち割られていた。グチャグチャになるまで、潰されていたんだ。もちろん警察も馬鹿じゃない。凶器による外傷の違いから、この二件はすでに模倣犯による犯行だと判断されて、犯人はブレイン・クラッシャー……通称【Bクラッシャー】なんて呼ばれているわけだけど」

「まるで、海外の売れないプロレスラーみたいな名前だな」

 お茶を貰いながら、皮肉っぽく答えた。いったい警察は、僕のことはなんと呼称しているのだろうか。

「随分と……余裕なんだね?」

「まあ、そうだな。正直その【Bクラッシャー】の存在は、僕にとってボトルネックになるかもしれない。しかし同時に、歓迎すべきことでもあるんだよ。もちろん、殺人事件を犯すような凶悪な犯罪者とお友だちにはなりたくないが。僕は、すべての宇宙人を殺し終えるまで捕まるわけにはいかないからな。【Bクラッシャー】が事件を掻き回して、警察の捜査を攪乱してくれるのなら有り難いよ」

「なるほどね。とりあえずは、そういうスタンスで行くわけか」

 さも可笑しそうに、水木茂子が笑顔を浮かべる。

「どうやら、模倣犯の凶器は金属バット……いや、マスコットバットではないかと言われているようだけど」

「マスコットバットって、あの、素振り用に作られた重量のあるバットのことか?」

「ああ。普通の金属バットでは、あそこまで丁寧に頭を潰せないんじゃないかって話だけど」

「随分と詳しいんだな」言いながら、少女の顔を覗き込んだ。

「まあ、久留巳研究所の所長である久留巳先生には、今でも懇意にしてもらっているからね。先生が事件の捜査に協力しているお蔭で、色々と面白い話が聞けるんだよ」

 不気味な笑みを浮かべて、怪異の少女が答える。久留巳先生もああ言う愉悦主義的な人間なので、きっと守秘義務など守らずにペラペラと事件の話をしてしまうのだろう。

「心配しなくても、久留巳先生がキミを警察に売ることはないよ」

 僕の目を真っ直ぐに見つめ、水木茂子が断言する。

「あの人は、キミみたいな人間に興味があって、それを調べることを生きがいにしているからね。仮に連続猟奇殺人事件の犯人が弥勒君だとわかっても、それを警察にばらしたりはしないさ」

「それは……まあ、特に心配してないけどな。どちらにせよ、証拠はない」

「そうだね。おそらくキミが捕まって罪に問われることは、当分ないのだろうね。このボクでさえ、事件の真相を突き止めるまで数年も掛かったのだから。様々な幸運と偶然がなければ、きっと日本の警察は永遠に桐式弥勒には辿り着けないよ」

「………」

 そんな話をした後で、僕たちは予定どおり『立岩稲荷』へと向かった。

『立岩稲荷』は、主に五穀を初めとする食物のことを司られる神で、市内だけでなく市外からも多くの参拝客が訪れる観光名所であるらしい。その『立岩稲荷』の社のそばを通り抜けると、幾重にも真っ赤な鳥居が重なり合っており、『一光大神』の社へと続いているのだが。さらに先には、『立岩幸之進大神』の大鳥居と祠が祭られている。

「なんともまあ、趣のあるところだね。海と鳥居や祠の取り合わせは、このボクでさえ心躍るものがあるよ」

 一通り社と祠を参拝し終えた後で、茂子が満足そうに頷いた。

「これでとりあえず、有名な観光地は回り終えたわけだが」

「今日は、本当にありがとう弥勒君。僕は衛宮市内の出身なわけだけど、子狸島にはあまり来る機会がなくてね。だから、こうして観光地を見て回ることができて嬉しかったよ。キミと言う人間がどんな場所で生まれ育ったのかも、知ることができたしね」

「それは……まあ、良かったな」

「話は変わるのだけど」

 じっと海を見つめていた少女が、不意に振り返って真っ直ぐな視線を向ける。

「僕たちの世代は、特に残酷な殺人を犯す人間が多いらしくてね。世間やマスコミは、まるで悪魔や宇宙人のように僕たちのことを扱ったりする。蛇蠍のごとく。そして、『理解できない』『受け入れられない』『意味がわからない』……そんな負の感情に捕らわれた大人たちは、やがて僕たちのことをこう呼ぶようになった。『理由なき犯罪世代』と」

「馬鹿馬鹿しい。この世に理由のない犯罪なんてあってたまるか。なぜなら理由がないことこそが、犯罪においてもっとも重要な『理由』だからだ」

「そうだね。理由がない犯罪だなんて、実に馬鹿馬鹿しい話だよ」少女が鷹揚に頷いた。「でも僕は、理由のない犯罪こそに……意味のわからない殺人こそに、何か重要で、純粋な『人間らしさ』が含まれているような気がするんだ」

「どういう……意味だ?」

「つまりは、人間のルーツと、そしてこれからの進化の話だよ。ボクは純粋な殺意に、どうしようもなく魅せられているんだ」

「………」

 どこか恍惚とした表情を浮かべ、しかしどこか寂しそうに怪異の少女が微笑する。

 正直、僕には関係のない話だと思った。でも、もしかしたら関係があるのかもしれないとも思った。

「くだらないな」

 僕の言葉を、静かな海の音が掻き消していく。

 宇宙人を――殺さなければならないと、僕は思った。




 《副軸――【Bクラッシャー】》①



 満月の夜になると、【Bクラッシャー】は身体の底から力が湧き上がるような気がした。

 十年前、【Bクラッシャー】は二人の人間を殺したのだが、あのときもそうだった。

千草ちぐさ……お前とは、もう別れたいんだ」

 彼女と知り合ったのは高校二年生の頃で、付き合い始めて半年以上が経っていた。

 本当は、【Bクラッシャー】は彼女と付き合いたかったわけではないのだが。強引な伊藤千草に弱みを握られ、押し切られる形で不承不承ながら恋人関係を続けていた。

 ――俺は、どうしてこうも押しに弱いんだろう。

 ――どうしてこうも、誰かの言いなりになってしまうんだろう。

 それは【Bクラッシャー】にとって、過去の爛れたトラウマのようなもので。橘川夫妻を殺しても、その劣等感から抜け出すことはできなかった。

「嫌よ。あなたとは、絶対に別れてあげないんだから」

 大学生の彼女が、口の端を上げて悪魔的に断言する。

【Bクラッシャー】は、『他に好きな人ができたんだ』とか『こんな関係を続けていても、二人とも幸せにはなれない』などと、必死に伊藤千草を説得したが、彼女は聞く耳を持たなかった。

 ――今の俺を弥勒が見たら、どう思うだろう?

 何となく、そのことが気になった。

 十年前、橘川夫妻をタヌキ用の檻に監禁したのも、彼らを絶対的な恐怖で支配していたのも間違いなく桐式弥勒だった。桐式弥勒は【Bクラッシャー】にとって憧れで、畏怖の対象でもあった。彼のようになりたいと思うと同時に、彼を超えなければならないと言う切実な焦燥があった。

【Bクラッシャー】は、自分を縛り付ける恐怖から解放されたかった。


 屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。

 屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。

 屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。

 屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。

 屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。屠殺。


 だから――満月の夜に、その女を殺すことにした。まるで家畜のような伊藤千草を、頭をマスコットバットでかち割って殺すことにした。

 あの中学教師を殺したときみたいに。あの塾講師の女を殺したときみたいに。

「これで……三人目か」

 満月の神秘的な光を浴びながら、【Bクラッシャー】は恍惚な笑みを浮かべて呟いた。



 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》④



 僕の住む衛宮市は、自衛隊の航空基地が二カ所も存在し、そこで働いている者も多い。

 父さんは子狸島の出身者だったが、自衛官をしていて、身体もすごく鍛えていて、幼い僕からしたら随分と大きな存在だったと思う。

「ねえ、父さん」

 その日は、父さんと手を繋いで蓬莱小学校の寒桜を見に来ていた。

 満開の桜に目を奪われていた父さんが、力強い眼差しを向ける。

「父さんは、どうして自衛隊に入ったの?」

「それは、もちろんこの国を守るためだ」

「いったい何から、この国を守るの?」

「それは……例えば宇宙人とか」

「宇宙人? 父さんは、宇宙人と戦ってるの?」

「ははは、まあ、そうだな。父さんは、悪い宇宙人から弥勒や母さんを守るために戦っているのかもしれないな」

 僕の頭を撫でながら、父さんが言った。

 どうやら父さんは、悪い宇宙人からこの国を……そして僕や母さんを守るために、日々戦っているらしい。自衛官になって、厳しい訓練に耐えているらしい。

「僕も、宇宙人をやっつけられるようになるかな」

 大きな大きなその人を見上げながら、訊いてみる。

「そうだな。弥勒も大人になったら、父さんみたいに悪い宇宙人をやっつけられるようになるかもしれないな」

 真っ直ぐに見つめ、父さんが答えた。

 そして、小学一年生の冬――。父さんの誕生日がやってきた。

 僕は父さんのことが大好きで、身体の大きな強くてたくましい父さんに憧れていて。いつかは、父さんみたいになりたいと思っていた。父さんみたいに、悪い宇宙人と戦える存在になりたいと思っていた。

 母さんと一緒に、お誕生日会の準備をする。

 部屋の飾り付けをして、父さんが大好きなブルーベリーのケーキを買って、父さんが大好物の料理ばかりを作って、プレゼントの腕時計を用意して。

 まだかな。まだかな。

 僕は、父さんがどんな顔をするのか楽しみだった。父さんが驚いて、どんな顔で喜んでくれるのか。その姿を想像するだけでワクワクした。

 まだかな。まだかな。

 それなのに――父さんは、なかなか帰って来なかった。

 リビングでは、電話を受け取った母さんが大きな声を上げて泣き崩れていた。

「どうしたの、母さん? どうしたの?」

「………」

 そして、父さんは死んでしまった。死んでしまった。

 宇宙人と戦って、名誉の戦死を遂げたのだった。


  †


【Bクラッシャー】による三人目の被害者は、山口大学に通う女子生徒だった。

 件の被害者も、これまで同様マスコットバットで頭を潰されていたらしい。

 まあ、それに関してはどうでも良かった。水木茂子にも話したとおり、模倣犯が事件を起こして警察の捜査を攪乱してくれるのなら、こちらとしても願ったり叶ったりだ。僕が宇宙人を殺す邪魔をしないかぎり、捨て置けばいいのだろう。

 雨が降る。雨が降る。雨が降る。雨が降る。

 その日は、病院に入院中の母さんと会う日だった。

「おはよう、母さん」

 笑顔で挨拶をしながら、隔離された病室へと進入する。

 母さんはまだ三十代だったが、髪の毛は老婆のように真っ白で。

「あ……ああ……あ……あ……」

 僕に気付いた母さんが、何かを言おうとして諦める。喉を掻き毟って、涙を流す。

 綺麗で聡明だった母さんは、そこにはもう、いなかった。父さんが死んで、様々な問題が間欠的に湧き上がって、母さんは壊れてしまったのだ。父さんが宇宙人に殺されて、その憎しみに耐えられなくなってしまったのだ。

「大丈夫だよ、母さん。宇宙人は……僕が殺すから」

「ああ……あああああ……あああ……ああ……」

 言葉にならない言葉を、母さんが必死に吐き出す。

 何かを伝えようと、喉を掻き毟りながら喘ぎ声を上げる。

「あああ……あ……ああ……あああああああああ……ああ……あ……あああああ……あああ……ああ……ああ……あ……ああああああああああああ……ああ……ああ……ああああああ……あ……あああああ……ああああああああ……ああ……あああ……ああああ……あ……あ……あああああ……あああああああ……ああ……ああああ……ああ……」

 僕の大好きな父さんは、宇宙人と戦って死んだ。名誉の戦死を遂げたのだった。

「……許さない」

 過呼吸を起こしたように苦しんいた母さんが、気が付くと僕の目を真っ直ぐに捉えていた。濁った瞳で――激しい『怒り』と『呪い』を宿した瞳で、僕を見ていた。

「絶対に……許さない」

 その言葉が、鼓膜に突き刺さる。僕の心に根を張って、腐らしていく。

 僕は、父さんの意志を継がなけばならなかった。

 使命を、果たさなければならなかった。だから――

「わかってるよ、母さん」

 彼女の痩せ細った手を、しっかりと握り締める。

 決意を込めて、噛み締めるように言い放つ。


 “宇宙人を――皆殺しにしよう”




 《副軸――少年少女の記録》 【C】の証言



【C】「相変わらずお綺麗ですね、久留巳先生。もし良かったら、今度二人でデートでもしませんか?」


 久留巳「ふふ、ありがとう。でも、さすがの私でも、息子と同い年の男の子とデートなんてできないわ。いつも誘ってくれるのは、嬉しいのだけど」


【C】「それは、残念です。俺の母親なんかとは、先生は大違いなんですけどね。女子大生だって言っても、全然いけますよ。ああ、まずは自己紹介でしたね」


 久留巳「ええ。お願いできるかしら」


【C】「はい。蓬莱高校三年の、【C】です。部活は野球部をしています」


 久留巳「ありがとう。それで、改めて十年前の事件について聞かせて欲しいのだけど」


【C】「何度も言ってますけど、俺たちはヒーローだったんです」


 久留巳「ヒーロー?」


【C】「はい。確かに俺たちは【B】の両親を監禁してましたけど、それは【B】を助けるためだったんです」


 久留巳「飼育していたのが宇宙人でないことは、認めるのね」


【C】「当たり前じゃないですか。宇宙人なんて、【A】の馬鹿げた妄想です。俺たちが監禁していたのは、【B】の両親です」


 久留巳「どうしてあなたたちは、【B】の御両親をタヌキ用の檻に監禁していたの?」


【C】「それは……あのクズどもから【B】を守るためですよ」


 久留巳「あのクズども?」


【C】「はい。【B】の両親は、【B】に性的な虐待を繰り返し、その様子をビデオで撮影してたんです。それを売り捌いて、生活費を稼いでいたんです。【B】は……見た目もすごく可愛かったから、両親は金になると思ったんでしょうね」


 久留巳「それで、無職だった二人は、自分の子どもに児童ポルノの撮影を強要していたのね?」


【C】「はい、そうです。そのことに気付いた俺は、【B】を救い出すために二人のことを監禁するよう指示したんです」


 久留巳「でも、十年前に確認したときには、あなたは『事件を主導していたのは『A』だ』と証言しているのだけど」


【C】「そ、それは……勘違いと言うか。とっ、とにかく【B】を助けるために行動を起こしたのは、俺なんです。俺はあの鬼畜どもから【B】を救った、ヒーローなんですよ。【A】なんて、全然大したヤツじゃないんです」


 久留巳「……そう。だったら、【B】の御両親を殺したのもあなたなの? 【E】は、誰が犯人なのかはわからないって、言っていたけど」


【C】「はい。俺が……殺しました! 俺が、【B】のことを救い出したんです!」


 久留巳「どうしていきなり、二人を殺すことにしたの? 【B】を守るだけなら、監禁を続けるだけで良かったんじゃないかしら」


【C】「そ、それは……あいつらが反省しなかったからです!」


 久留巳「反省しなかったから?」


【C】「はい。あ、あいつらは口では【B】に謝っていましたが、全然反省していなかった! だから俺は、あの二人に正義の鉄槌を下してやったんです!」


 久留巳「それで、バットを使って殺したの?」


【C】「はい。放課後に、みんなが【B】の家に帰る前にこっそり抜け出して、先回りして殺しました。あんなのでも【B】の両親ですからね。誰かに止められる前に、殺そうと思ったんです。リーダーは【A】なんかじゃない! 俺が、【B】を守ったんです!」


 久留巳「……なるほどね。話は変わるのだけど、【C】は確か、【A】と同じ高校だったわよね」


【C】「そうですね。同じ蓬莱高校の三年です。クラスは一度も、同じになったことはないですけど」


 久留巳「高校での彼の様子について、何か気になったことはない?」


【C】「気になったことって……いや、別にいつもどおりですよ。一部の女子は騒いでますけど、【A】なんてただ顔がいいだけですから。全然大したことありません」


 久留巳「学校の先生からは、成績も極めて優秀で、スポーツ万能だと聞いてるのだけど」


【C】「で、でも、それだけですよ。人間的な魅力で、俺があいつに劣っているとは思えません。宇宙人がいるなんて、本気で信じてるぐらい頭のおかしいヤツですから」


 久留巳「【A】は、交友関係はどうなの? 友だちや彼女はいるの?」


【C】「……そうですね。友だちは、まあ、いることはいると思います。でも、上辺だけって感じで。あいつ、笑ってても嘘くさいんですよ。子どもの頃から、ずっとそうでした。だからきっと、誰とも深くは付き合えないんだと思います。彼女に関しては、一年前から同級生の星野ルナと付き合ってるみたいですけど」


 久留巳「その子は、どんな女子生徒なの?」


【C】「どんなって……まあ、見た目は校内でも一番可愛かったと思います。人気もあったし。でも、性格は最悪でした。中学の頃から女子に対する陰湿なイジメを繰り返していて、自殺未遂をした生徒までいるらしくて。今も【A】に色目を使う女子に、執拗な嫌がらせをしてるって噂ですし。とにかく、あんな女……俺なら絶対に付き合いませんよ。それに、可愛かったのは【A】と付き合い始める前までで、今はもう最悪ですから」


 久留巳「最悪って?」


【C】「激太りしたんですよ、その星野ルナは。もうほんと、傑作なぐらい太って。太って。今なんて、もう体重200キロを超えているらしいですからね。あんな醜い女と付き合えるなんて、【A】はどうかしてますよ」


 久留巳「それは、【A】が彼女のことを故意に太らせたってこと?」


【C】「えーと、どういう意味ですか?」


 久留巳「好きな相手を太らせることに喜びを感じる男を、『フィーダー』と呼ぶのだけど。【A】はもしかしたら、そういう性癖があるのではないかと思って」


【C】「い、いや……どうですかね。正直、【A】が何を考えているのかは、俺にはまったくわかりません」


 久留巳「……そう」


【C】「とにかく、十年前の事件で【B】を助けたのは、俺なんです。【A】は、本当に何もできなくて」


 久留巳「【B】とは、今も会ったりしているの?」


【C】「ま、まあ、ときどき会うぐらいですね。【B】は可愛いから、変なヤツに引っ掛かるんじゃないかと心配で。それで、高校に入ってからも近況報告がてら電話をしたり、メールをしたり」


 久留巳「そんなことしていたら、【E】に焼き餅を焼かれるんじゃないの?」


【C】「からかわないでくださいよ、先生。【B】とは本当に、そんなのじゃありませんから」


 久留巳「フフフ、ごめんなさい。そう言えば、【C】は高校を卒業したらどうするつもりなの?」


【C】「そうですね。卒業後は、実家の料亭で働こうかと思っています」


 久留巳「それは、御両親も喜ばれるわね」


【C】「まあ、二人はそうだと思いますけど。でも、このままでいいのかなって……悩むこともあって」


 久留巳「何か不満なの?」


【C】「いえ。俺は、もっとすごいヤツだと思うんですよ。もっと大きいことが、できるヤツだと思うんですよ。それなのに、あんな寂れた料亭で死ぬまで働くなんて」


 久留巳「まあ、そう言う考え方もあるのかもしれないわね。でも、まだ若いんだから。大丈夫よ。普通に生活していれば、何か新しい生きがいだってきっと見つかるわ」


【C】「そう……だといいんですけど」


 久留巳「また何か悩みがあったら、いつでも相談に乗るから」


【C】「はい。ありがとうございます、久留巳先生」




 《主軸――桐式弥勒きりしき みろく》⑤



 一年生の中に紛れ込んでいる宇宙人は、全部で三匹だ。

 一年二組――シーラカンス星人の根元、

 一年三組――セミ星人の岡森、

 一年五組――タコ星人の木村、

 その中から、僕はまず最初にシーラカンス星人の根元を駆除することにした。

 三匹について、僕なりに色々と調べてきた結果、他人とほとんど接点を持たないシーラカンス星人が、もっとも殺しやすいと判断したからだ。

 深海魚のような不気味な身体を持つ宇宙人が、下駄箱にやって来るのを待ち伏せる。

 学校に所属する宇宙人を殺すのは、中学の頃に生徒を一匹と、高一の頃に教師を一匹殺して以来だ。僕が連続猟奇殺人事件の犯人だと警察に悟られないためにも、慎重に行動する必要があるのだろう。

「あっ、桐式先輩だ!」

 そんなことを考えている。と、二人の女子生徒が僕に気付いて声を掛けてきた。

「こんなところで何してるんですか?」

「わ、私たち、部活が休みになったんです! だから……えっと、もし良かったら、一緒に帰りませんか?」

 やけにはしゃいだ様子で、水泳部に所属する二人の後輩が押し迫ってくる。

 こういうことは、うんざりするほど多い。

 別に僕は、人間嫌いと言うわけではないし、二人が一年生の中でも特に可愛い方なのは知っているが。正直、今は放っておいて欲しかった。宇宙人を殺す直前において、僕はそれなりに神経を研ぎ澄ませているのだ。

「誘ってくれてありがとう。でも、ちょっと今は忙しくて」

「ええ、いいじゃないですか!」

「そ、そうですよ。これまで私たち、先輩に色々と協力してきたわけだし」

 微苦笑を浮かべて断りを入れる。しかし、二人は引き下がらない。

 少女たちは、シーラカンス星人と同じクラスで、その情報を引き出すためにこれまで色々と協力してもらっていた。ここで無下に扱うのは、あまり賢いやり方ではないような気がする。

 ――でも、できれば今日のうちに殺しておきたい。

 ――もう、我慢できなくなってるんだ。

「……やあやあ、弥勒君。待たせたね」

 心の中でそんな懊悩を募らせていると、いきなり呼び掛け声が響いた。

 その声を背中を掴まれて、反射的に振り返る。

 計算され尽くした整った顔立ちと、半紙のような無機質な白い肌と、濡れ羽色の美しい髪を持つ少女――。この地域のものではないセーラー服を着た、日本人形のような女子生徒がそこに立っていた。

「水木……茂子……」

「な、何ですか? 桐式先輩のお知り合いですか?」

 その異様さに圧倒されながらも、後輩の一人が質問する。それを受けて、水木茂子は鷹揚に頷いて見せた。

「ああ。ボクたちは、運命の赤い糸で結ばれた相思相愛の仲でね。これから大切な用事があるんだよ」

「適当なことを言うな、誰が相思相愛だ」

「おいおい、そんな冷たいことを言わないでおくれよ。二人きりで一緒に島をデートした仲じゃないか」

「デ、デートって……」

「本当なんですか、先輩?」

 茂子の言葉を受けて、二人の女子生徒が上擦った声をあげる。

 確かに、子狸島の観光名所を見て回ったのは間違いないわけだが。

「とにかく、ボクたちはこれから大切な大切な大切な用事があるんだよ。だからさ。悪いけど、また今度にしてもらえるかな」

「………」

 薄ら寒い微笑を浮かべ、水木茂子が言い放つ。それを受けて、二人の女子生徒は顔を見合わせた。しばし悔しそうに黒髪の少女を睨んだ後で、

「い、行こう。この人、なんかヤバいよ」

「桐式先輩。今度は、ちゃんと付き合ってくださいね」

「ああ、また今度ね……」

 どうやら、茂子のお蔭で二人を追い払うことに成功したようだ。それはまあ、別にいいのだが。ただでさえ目立つ容姿にをしているうえに、違う学校の制服を着ていることもあり、彼女の存在は輪を掛けて異質に見えた。

「おい、その格好で校内に入って来るのはどうなんだ」

 そう判断した僕は、眉をひそめて少女に警告。すでに複数人の生徒が、僕たちに視線を集めてしまっている。

「そんな、冷たい言い方をしなくてもいいじゃないか。キミが困っているように見えたから、助けてあげたのに」

「余計なお世話だ。とにかく、場所を正門前に移すぞ。根元は学校を出るとき必ずあそこを通るからな」

 面倒臭く感じながらも指示を出し、靴を履いて正門へと向かった。

 下駄箱よりも正門前の方が、シーラカンス星人に気付かれる可能性が高い。本当は下駄箱で待ち伏せておきたかったのだが、茂子が一緒ではそうもいかないのだろう。

「本当に今日、殺すつもりなんだね?」


 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、


 頭が割れるように痛い。自動販売機でブラックの缶コーヒーを買って、噛み砕いた頭痛薬と一緒に飲み干す。

「ああ。できれば予定は変えたくない。殺すと決めた日にちゃんと殺さないと、上手く行かないような気がするんだ」

「そう言うジンクスは、早めに捨てた方がいいよ。どれだけキミが注意深い人間でも、フレキシブルに対応しなければ必ずいつかミスが生まれる」

「知った風な口を利くな。宇宙人を野放しにしているだけで、僕にはストレスなんだ」

「彼女である星野ルナのことは、放置しているのにかい?」

 首を傾いで、水木茂子が問い掛けた。

「オーク星人を殺さずにいるのは、宇宙人の生態を調べるのが目的だ」

「宇宙人の生体だって?」

「ああ。今後も宇宙人を殺していくうえで、色々と知っておくべきだと思ったんだ」

「それで、本当は大嫌いな宇宙人と恋人同士のふりをして、言葉巧みに太らせているのかい?」少女がわざとらしく眉根を寄せる。「正直……ちょっと、僕には意味がわからないよ。いや、もちろん彼女が殺されたとなれば、恋人であるキミが真っ先に疑われるのはわかるけど。いったい、何の目的で星野ルナを太らせているんだい? 例えば、宇宙人にも精神攻撃が通用するかどうか、試しているとか」

「まあ、そんなところだ」

 無表情のまま、首肯する。しかし怪異の少女は、いまいち納得のいかない顔で「えー、本当かな」と薄気味悪い笑みを浮かべた。

 やがて、校門からシーラカンスの顔を持つ宇宙人――一年二組の根元がやって来て、僕たちは無駄話をやめる。

 気付かれないように後を付け、後を付け、人気のない住宅街へと差し掛かった。

 ――ここまで来れば、もういいだろうか。

 周囲の様子を確認して、判断を下す。

 本当は、ゴキブリ星人のときのように家にいるところを殺した方が、警察の捜査を攪乱することができるのだが。根元の家には専業主婦の母親とフリーターの姉がいる。

 根元は学校でも常に一人なので、校内で殺すことも可能だったが。その場合は真っ先に蓬莱高校の生徒や教師が疑われてしまう。だから、部活にも入っていない半引き篭もりのシーラカンス星人を駆除するには、この下校のタイミングしかなかったのだ。

「根元君、ちょっといいかな」

 そこまで思い至り、僕はシーラカンス星人に声を掛けた。

 僕の膂力を持ってすれば、いきなり後ろから殴り殺してしまうことも可能だが。殺した後に頭部を破壊する手間を考えると、この場所ではあまりにも目立ち過ぎる。そう判断しての行動だった。

「え……えーと、何ですか?」

 気掛かりのない笑顔を受けて、それでもシーラカンス星人は挙動不審に狼狽える。

「実は、キミに渡して欲しいって頼まれたものがあって」

 僕は、先ほど会った根元と同じクラスの女子生徒二人の名前を出し、シーラカンス星人を路地裏へと誘き寄せることにした。その様子を、遠くから茂子が観察している。

「わ、わわ、渡したいものって、何ですか?」

 大通りにいるところを、誰かに見られるわけにはいかない。

 僕は手短に、シーラカンス星人が興味を持ちそうな言葉を並べ立て、彼を路地裏へと誘い込んだ。学校でも根暗で、モテないストーカー体質の根元なら、容姿に恵まれた二人の女子生徒の名前を出せば必ず興味を示す。その予想が、見事に的中したのだ。

 ――ここからは、時間との戦いだな。

 ――無駄話をしている暇はない。

「……あ、あの先輩?」

「ああ。実は、渡して欲しいものと言うのは、これなんだけど」

 そこまで言って、シーラカンス星人のみぞおちを一撃――殴り付けた。

「うっ……ガッ……な、何を……」

 涙と鼻水を垂れ流しながら、シーラカンス星人が非難がましく僕を見上げる。

 その一瞬の隙を見逃さず、持っていた撥水性のバッグを根元の頭に被せた。


 ゴン――!


 そして、そのまま握り拳をシーラカンス星人の頭部に叩き込んだ。

 骨が砕ける感触と、脳味噌の柔らかさが手の甲から伝わってくる。

 いつものジャージなら、血塗れになっても上だけ脱いでしまえるが、蓬莱高校の制服を汚すわけにはいかない。昼間の時間帯と言うこともあり、そんなことになれば白昼堂々必ず誰かに目撃されてしまう。だから、撥水性のバッグを頭に被せて血が飛び散るのを防ぐ必要があったのだ。


 ゴン――! ゴン――!


 何度も何度も拳を叩きつけて、シーラカンス星人の頭を潰した。一発目の時点で根元は絶命し、その身体は人間のものに戻っていたが、宇宙人の頭の中には発信機が埋め込まれている。だから、仲間の宇宙人を呼び寄せられる前に、きちんと破壊する必要があるのだろう。


 ゴン――! ゴン――! ゴン――!


「いやあ。随分と念入りに、頭を潰すんだね」

 いつの間にか、真後ろに一人の人物が立ち寄っていた。

 事件の一部始終を目撃していた少女――水木茂子が、相変わらずの薄ら寒い微笑を浮かべる。どうやら、こんな残酷な光景を前にしても余裕綽々のようだ。

「頭を潰しておかないと、仲間を呼び寄せられるからな」

「……なるほどね。それにしても、実に鮮やかな手際だったね。特に、女の子をダシにして路地裏に誘き寄せるところなんて、秀逸の一言だよ」

「それは、どうも。僕だって、それなりに他人の気持ちを分析してるんだ」

 そんな会話をした後で、バッグを回収。早々にその場を立ち去ると、公園でバッグの血を洗い流して自宅アパートに帰還した。

 梅原善人からケータイに連絡が入ったのは、僕が夜の探索に備えて仮眠をとっているときだった。


  †


「昼間はお疲れ様だったね」

 僕が善人と会う約束をしていることを知った茂子が、当たり前のようにアパートへとやって来る。

「根元君の無残な遺体は無事に地元住民が発見して、通報して、警察も捜査を開始したようだけど」

「それはいいが、付いて来るつもりなのか?」

「ああ。梅原善人君に関しては、ボクも十年前の記録を確認しているからね。最近の久留巳先生とのやり取りも見ているし。個人的に興味があるんだよ」

「来るな、と言っても付いて来るんだろうな」

 諦めたように溜め息一つ。仕方なく、僕は怪異の少女と一緒に市内にあるファミレスへと向かうことにした。

「善人君とは、定期的に会っているのかい?」

 可動橋を渡りながら、水木茂子が質問する。

「まあ、そうだな。善人とは十年前からの付き合いで、今もときどき会っている。電話やメールも定期的にやり取りする間柄だな」

「そうなのかい」

「……ああ」

「それにしても、昼間の殺人は実に良かったね。さすがに二十人近くも殺していると、ある種の芸術性を感じてしまうよ」

 薄ら寒い微笑を浮かべ、少女が演技っぽく感嘆した。

 殺した人数なんて関係ない。僕は最初から、宇宙人には容赦しないのだ。

「罪悪感……なんて、おそらくキミは抱いていないのだろうね」

「馬鹿馬鹿しい。相手は宇宙人だぞ」

「例えばの話だけど」水木茂子が、不気味な瞳を僕に向ける。「ヒヨコを試験管に入れて、完全に粉砕すると、グチャグチャになったヒヨコの液体が残るわけだけど。粉砕の前後で失われたものは、いったい何なのだろうね」

「ポール・ワイスの思考実験……か」

「ああ。この問い掛けによる正解は、ずばり『生物学的組織』なわけだけど。その答えには大切なものが抜けている」

 手を広げ、少女が皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「お前は僕に、『魂を奪っているのだから罪悪感を自覚しろ』とでも言いたいのか? ふざけるな。宇宙人は僕たち人間にとって、明確な敵だ。殺すことに罪の意識など感じるはずがないだろう」

「まあ……キミがそう思っているのなら、別にボクはどちらでも構わないのだけど」

「………」

 そんな話をしていると、目的地であるファミレスへと辿り着いた。

 奥の席で待っている善人に、挨拶をする。

「えーと、そちらは?」

「ボクのことは気にしなくていいよ、善人君」

「ああ。怪異のようなものらしい。久留巳先生の知り合い……と、説明した方がわかりやすいかな」

「久留巳先生の……」

 善人が、少女のことを観察しながら反芻した。

 久留巳先生自体が変わり者なので、その知り合いと言うだけで、茂子がどんな存在であるかは把握できたのだろう。要するに、変わり者の関係者はみんな変わり者だ。

「急に呼び出してごめんね」僕と茂子が席に着くと、善人が困ったような顔で謝罪した。「でも、一カ月に一度はこうして弥勒に会っておかないと、俺のことを忘れられてしまいそうで……怖くって」

「何を言ってるんだよ、善人。僕たちは大切な幼馴染で、親友だろ。僕がお前のことを忘れるはずなんてないよ」

「そ、そうだよな! 俺たち、親友だもんな!」

「ああ。だから、お前は余計な心配なんてしなくていい」

 安心させるような声音で、気遣いの言葉を掛ける。

 善人は現在、曹洞学園に通っている三年生で、十年前の宇宙人の事件にも関わりのある五人のうちの一人だった。

「勉強の方は、どうなんだ? 確か、西京義塾にも通っていると聞いたけど」

「ああ。高校入試に失敗して、弥勒と同じ高校には行けなかったけど。大学は、絶対に弥勒と一緒に東京に行きたいんだ。もちろん、弥勒みたいに東大ってわけにはいかないけど。少しでも、弥勒に近づきたくて」

「そうか。あまり無理し過ぎるなよ」

「大丈夫だよ、弥勒。俺、馬鹿だけど身体だけは丈夫だから」

 僕に気遣われた善人が、笑顔を輝かせながら豪語する。

「それで、例の……久留巳研究所に呼び出されたって話だけど」

「ああ。まあ、俺の場合は定期的に久留巳先生に会って、カウンセリングを受けてるんだけど。別に、大したことは聞かれなかったよ。ただ、ビデオで撮影しながら、十年前の事件について簡単な質問を受けただけで」

「そう……なのか?」

「うん。おそらく久留巳先生も、事件から十年が経つからさ。それで、当時の五人を集めて、簡単な記録を残しておきたかったんじゃないかな。その関係で、弥勒のこともしつこく呼び出しているのだと思うよ」

「なるほどな」

 善人の話を聞いて、とりあえず納得した。

 頭痛薬をブラックコーヒーと一緒に噛み砕いて飲んだ後で、運ばれてきたステーキをいただくことにする。隣でお子様ランチを注文した水木茂子は、会話には入って来ずに、黙って僕たちの話を聞いているようだった。

「それにしても、十年前の事件か。……いったい誰が、あの二匹の宇宙人を殺したんだろうな」

 ステーキを食べながら、ふと疑問を口にする。

 橘川夢愛の両親に成り代わっていた、二匹の宇宙人――。僕たちが夢愛の家に行ったときにはすでに死んでいた二匹を、いったい誰が殺したのか? その疑問は、事件から十年が経った今も解消されていなかった。

「な、何を言ってるんだよ、弥勒」目の前のパスタを貪りながら、善人が口を開く。「あ、ああ、あの二匹を殺したのは……弥勒じゃないか! 弥勒が頭をグチャグチャに潰して、こ、こここ、殺したんじゃないか!」

「……そうだったな。悪い、善人。変なことを言って」

「そ、そそそ、そうだよ。おかしいよ。おかしいよ」

 不自然に眼球を見開いて、善人が不気味に笑った。

 善人は少し……いや、かなり僕のことを崇拝しているようで、あの十年前の事件も僕が犯人だと信じている。そんな彼の信仰心を、敢えて叩き潰す必要もないのだろう。

「そう言えば、善人は夢愛には会ってるのか」

「うんう、会ってないけど。何か気になるの?」

「いや。そう言えば僕は、ここ一年見掛けていないなと思って」

「弥勒は蓬莱高校で、島からもあまり出ないから。無理もないよ」目の前の水を一気飲みした後で、少年が口を開いた。「お、俺も、塾や学校帰りにときどき見掛けるぐらいだけど。まあ、いつもどおりかな。相変わらず、周りからはモテているよ」

「まあ、あの見た目だからな」

「そんなことよりも、学校での話なんだけど……」

 それから善人は、塾や曹洞学園の生徒がいかにレベルが低くて、いかに僕が人間的に優れているかを力説した。

 善人のそういうところは、いつもどおりだ。僕は適当に善人の会話に合わせて謙遜して見せたり、逆に彼のいいところを褒めたりした。

「そろそろ、勉強はいいのか?」

 ファミレスに来て、二時間近くが経っただろうか。

 いつもの報告会が終わった後で、僕は必死に話す善人に笑顔で切り出した。

「そ、そそ、そうだよね。そろそろ、勉強しないと。俺は、弥勒と一緒に東京の大学に行かないといけないんだから」

「ああ、そうだな。東京に行っても僕たちは一緒だ」

「弥勒……」

 酷く感激した様子で、善人が目を見開く。

「俺……頑張るから! 頑張るから!」

「期待してるよ、善人」

「………」

 そんな会話をした後で、善人が子どものように手を振ってファミレスを出て行った。

 黙って僕たちの様子を見ていた茂子が、そこにきて、可笑しそうにクスクスと笑う。

「いやあ、彼のことは久留巳先生から色々と聞いてたけど。実に面白いね。まるでキミの信者じゃないか」

「まあ、善人は昔からあんな感じだったな」

「またまた。本当にそうなのかい?」

「どういう意味だ」

 隣に座る少女に、もの問いたげな視線を向けた。

「どういう意味も何も……わかるだろ? キミは善人君をコントロールして、自分の信者になるように仕向けてるんじゃないか」

「人聞きの悪いことを言うな」

「でも、事実だろ? いったい彼を洗脳して、何に利用するつもりなんだい」

「………」

 茂子が、僕の顔を覗き込んで質問する。

 この少女は、僕が宇宙人を二十匹近く殺していることまで知っているのだ。今さら隠しごとをしたところで、大した意味もないのだろう。

「まあ、善人はもしものときの保険……のようなものだ」

「保険だって?」

「ああ。もしも警察が僕に辿り着くようなら、そのときはあいつに生贄になってもらおうと思っている。もちろん、善人への洗脳が上手くいくようなら、今後も僕の信者を増やして捜査の攪乱に利用するつもりだ。善人には悪いが、僕はすべての宇宙人を殺し終えるまで、捕まるわけにはいかないからな」

「……なるほどね。それで彼を、シモンに仕立て上げようとしているのかい」

「大げさなヤツだな」

 少女の言葉に、思わず眉をひそめる。

 貧しい漁師の家系に生まれた善人を、シモンと揶揄する悪辣なセンスは、なかなかに悪くないと思うが。聖ペテロではキリストへの信仰心は、いまいちな気がした。

「おそらく彼は、メシアを求めているのだろうね。貧しい人間。才能のない人間。身体が弱い人間。そういう恵まれない人間ほど、誰かや何かに依存したがるものだけど。善人君の場合はどうなのかな。信仰していた相手が救世主様じゃなくて、ただのコントロールフリークだと知ったら、きっと悲劇に咽び泣くんじゃないかな」

「別に僕は、コントロールフリークと呼べるほど人心掌握術に長けているわけじゃない。お前が言ったように、とても他人の心の機微が読み取れるタイプではないからな」

「何だい? 気にしてるのかい?」

 水木茂子が、皮肉っぽく口の端を上げる。そのあとで、再び可笑しそうにクスクスと笑った。

「それにしても、彼の夕食の食べ方を見たかい?」

「善人の食べ方が……どうかしたのか」

「傑作だったじゃないか。本当は右利きのくせに、キミの真似をして左手で食べていたんだよ。まるで、特撮ヒーローのポーズを真似る子どもみたいだ」

「そう言えば。昔は……右利きだったな」

 思い出しながら答える。善人は、いったいいつから僕の真似をして左利きのふりをするようになったのだろうか。今となっては、よく覚えていない。

 ともあれ、せっかく市街地までやって来たのだ。僕は新たな宇宙人が市内に紛れ込んでいないかどうかを確認した後で、子狸島にある自宅アパートに帰還した。




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