人を狂わす忌むべき刻印
また、あの夢だった。
紅い月が地上を優しく微笑み、人々は未だに殺し合っている。
周囲には肉塊や汚物が撒き散らされていた。
この殺し方は人間ができる限度というものを遥かに凌駕していて、いかにも食い千切られたとしか思えない人間の頭部や腕といった部位。真っ黒に炭化して関節強直を起こした死体も時折見かける。
これを一言例えるなら地獄絵図というものだろうか。蛍にとっては夢の出来事でしかないが、この世界の人々にとっては冗談では済まされない。気を抜けば殺されるそういった世界なのだから。
「どうだい、この凄惨な光景は。だけどね、これくらいならまだ可愛いもんだよ」
昨日の夢に現れた蛍と同じ顔した少年だった。
「どれも僕には刺激が強いかも」
「ははは、そうかキミには刺激が強すぎたんだね。でも、僕はもっと酷い世界を見てきたよ。彼女によって壊される世界や命達をね。さて、どうする? 参加して抗うか……不参加で滅亡を受け入れるか」
少年は、どっちでもいいよと優し気に微笑む。
「僕はゲームに参加する……そして、キミという駒にチェックメイトをかけるよ」
「へぇ〜、君という駒にチェックメイトか……なかなかに面白い言い方をするんだね。でも、今の卑屈なキミでは僕にチェックメイトはかけられない。だって、キミはこの街が嫌いなんだろ? 自身の心というものが希薄なんだろ? それじゃあ、僕は倒せない。キミはもう少し周囲の人間と接触しキミ自身が変わらなければならない。そして、仲間と共に勝ち抜いて僕の所に来ればいい。ちなみにこれは夢じゃないよ現実なんだ。その証拠にキミの左手首を見てごらん」
言われるままに視線を手首に持っていくと、何やらそこには魔術的な模様が描かれていた。
「これは……?」
「それは君の力の証のようなものさ。といっても個人個人模様や形は違うけどね、それがキミ自身を表しているんだよ。ふふ、仲間を早く見つけて打開策でも考えるといい。ちなみにほかの子もキミと同じような模様が手首に描かれてるから探しやすいと思うんだ。それと、最後に一つ忠告をさせてもらうと、その模様を一般人に見られちゃ駄目だよ。普通の人には刺激が強すぎて精神に異常をきたしてしまうからね。さぁ――そろそろ目覚める時間だ」
目を覚ますと大空は蒼かった。入道雲から飛行機が姿を現し白い尾を引いている。
酷く後頭部が痛む。
コンクリートに直で寝ていたのだから頭も痛くなる。
そういえば、と左手首に目を向けると夢の中で見た模様がそこに描かれていた。特に痛みは無いが、彼の言っていたことが本当ならこれを他者に見せるわけにはいかない。なんとしてもこの模様を隠さねばならなかったが、幸いにもブレザーの袖口が少々自身の身体に合っておらず、袖口が模様を隠してくれていた。
「あ……」
予鈴が学校中に鳴り、あまりゆっくりしている時間はないので急ぎ教室に戻る。
午後の授業は生物と歴史だった。生物の方は適当に先生の話しを聞き流し歴史は寝て過ごした。
この科目では学園上位の成績を収めているから、別に出なくても良いのだが一応内申点というものに響いてしまうので出席だけはして、後は寝ていたりするのがほとんどだった。
授業が終わってしまえば特に仲の良い友人はいないので一人静かに帰宅をしていたのだが、今日に限って部活をサボった俊哉に買い物を誘われ、駅近辺の街に繰り出すこととなってしまった。
なんでも今日発売のCDがあるから一緒に買いに行こうと、強引に連れられ仕方なく付き合うハメになった。
「なぁなぁ、なんで俺たちは右手どうしで手つないで歩いているんだ?」
蛍の左手首には人を壊す模様が存在するため、左ではなく右手をさしだした結果にお互い右手どうしで手をつなぐ形になってしまった。
「どうして男同士で手を繋がなきゃいけないの?」
一部の女子から黄色い歓声が飛んできたが、知らん顔で急ぎ足で歩く。
「んぁ? 別に良いんじゃねーの、女同士でだって手つないでんじゃん。それともあれか、男とは手繋ぎたくない主義だったか?」
「どうだろう……」
「男ならいちいち気にすんなよ、早く行かなきゃCD売り切れちまうぜ!」
靴を履き替え足の速い俊哉に引っ張られる形で街に向かった。
CDショップは新曲をチョイスしたものばかり流れていて、ゆったりしたものから激しいロックな物、と賑やかな店で奇抜な格好の客も見受けられた。
「あったぜコレだよコレ! ベースのギターがかっこいいんだよ! 今度貸してやるから是非聞いてみてくれ」
俊哉は上機嫌に会計レジまでCDを持っていき会計をしているので、店内を見て回ることにした。
すると離れた場所から何かが割れる音が聞こえ、その場所に視線を向けると俊哉のいるレジからだった。
俊哉は二、三歩後ずさりし、どうやらその現況となっている人物は俊哉の相手をしていた店員で、彼は頭を両手で抱え込み何やら奇声を上げていた。症状が落ち着いたと思った矢先にレジに足をかけそこを軸に俊哉に思いっきり飛びかかる。
俊哉のバスケ部で鍛えられた反射神経と持ち前の運動能力で見事回避するが、誰がどう見ても尋常ならざる状況に店内の時は停滞する。
店の奥から店長が怒声を上げ、店員を抑えようとするが興奮しきった店員によって顔面に一発貰い、店長は鼻血を垂らしながら崩れ落ち意識を失ったようだ。
「おいおいおい、一体なんだってんだよ。俺なんもしてねーよ!?」
周囲にいた客も助けるでも逃げるでもなく、物陰に隠れながら事の顛末を見守っていた。
「俊哉こっちだよ」
このまま何もしないと俊哉はもう帰ってこないような気がした。
俊哉は蛍の方へ向かって走り出すが、店員もそれに合わせて走り出した。驚いたことに俊哉の足に遅れることなくむしろ距離をどんどん縮めていく。
「やべぇよ、次はどうすりゃいーんだよぉ!」
「僕に任せて。俊哉は一生懸命こっちまで走って来ればいい」
俊哉のほぼ真後ろで手を伸ばせば届きそうな距離まで迫っていたが、火事場の底力というものだろう。なにやら叫び声を上げると同時に速度も若干早くなり店員と少しづつ距離を離していった。
「どんなもんだぁぁぁぁぁぁ! 運動部をなめんなァッ!!」
蛍は棚からかき集めたCDケースを数枚手に持ち手裏剣を投げるように構え、店員めがけて放つ。
一枚目と三枚目は俊哉に当たった気がしたが、次々と店員に向かってぶつけていく。店員の目に当たったのか眼を抑えつつも雄叫びを上げ、もがき始めたのでここが勝機とみた俊哉は右ストレートを店員の腹に決め一発で店員は崩れ落ちる。
「何なんだよまったく。二枚くらい俺に当たったけどサンキューな! 取り敢えず外が騒がしくなってきたから別口から脱出しちまおうぜ」
俊哉と共に非常口から店を抜け出し表通りに出た。
CDショップにはパトカー二台と救急車一台が止まっていて、あの場に残っていたらめんどくさい事情聴取なんてものに時間を割かれていただろう。
「俊哉、怪我とかはない?」
「おっ……おう、何ともねーけど珍しいな、心配してくれてんだ?」
意外に平気そうで、おでこにはちょっとしたコブが出来ていたが、ソコは見なかったふりをしておくことにした。
周囲の野次馬に目もくれずに近くのファミレスで休息をとることにしたが、店内は既にCDショップの話題で持ちきりだった。
店員が急に暴れだしたやらなんやらと人から人に伝わるたびに脚色が加わっていき、そんな彼等の噂話に二人は自然と笑いが込み上げる。
「なんで、店員は俊哉にいきなり襲いかかってきたの?」
「知らねーけど、なんかアイツ急におかしくなって暴れだしたんだよ。マジ、焦ったわぁ」
「本当に何か心当たりとかはないの?」
「多分……俺の左手かもな」
左手……。
その単語に衝撃を受け、先ほど昼休みに見た夢を思い出した。
そうアイツはこう言っていた。その模様を見ると人間は精神を病み襲ってくるみたいなことを。まさか俊哉も例のゲームの駒なのだろうかと、視線をその左手首に移す。
「俊哉、その手首見せて」
「だッ……駄目だコイツはみせられねぇよ。もし、お前まであの店員みたいになっちまったら」
「大丈夫だと思うよ、同じものを僕も所有してるから」
蛍は躊躇わず俊哉に左手首を見せると驚いたように眼を丸くし、少し戸惑いつつも「分かった」と、リストバンドをずらすと、模様は違えど確かに同じ刻印が刻まれていた。
覚悟を決めたのか、同じ物を所持する仲間がいて安心したのか、深い溜息を吐き出し表情が幾ばくか和らぐ。
「その……ゲームに負ければ世界が滅ぶって、マジかな?」
俊哉が聞いた話しでは仲間はこの海老沢市で過ごしていて、数は蛍と俊哉を含めて六人らしい。この都心だけでも広大で学校も多く、いちいち一人ずつ確認していたらキリがない。
探し方とかはまだ具体的には決まっていないが、取り敢えず街をふらついてみようということになった。
帰宅してはベッドの上で今日1日の出来事を振り返る。同じことをただ延々と繰り返す日常とは違う一日を過ごしたが気分が晴れるわけはなく、何か見落としが無いかよく思い出していた。
「明日は何時に集合だっけ?」
携帯の受信ボックスから俊哉のメールを開く。
(今日はお疲れさん。いや〜まじ死ぬかと思ったけどお前の御陰で助かったわサンキュー。今度飯でもおごってやるからそれでチャラってことで! 明日から仲間集めだけど、ちゃちゃっと見つけちまおうな。集合場所は十時に江黒自然公園東口な。ということでおやすみー)
江黒公園は学校のある海老沢駅から数駅離れた所にある大きな池と散歩コースのある公園で、デートスポットに認定されている場所だった。