放たれた治癒を許さぬ聖母の矢
暗闇にただ一人、クリスティアが居た。
だが、いつものように泣いているのではなく、なにやら考え事をしている様子で、蛍はゆっくり近づき話しかける。
「なにしてるの?」
「えっ……わぁッ!?」
ものすごく驚いたらしく、どこから出たのか上ずった声が響く。
「あっ……もう、ビックリさせないでください。誰かと思いました」
「うん、ごめん」
反省しているのか、していないのか分からない表情で謝罪を述べると、クリスティアは満面の笑みで彼の頭を優しく撫でてくる。
「うん?」
「へへへ、何か君って子犬みたいで可愛くて、つい撫でたくなっちゃっいますね」
何か子供扱いされているような気がしたがどうでも良くなり、そのままクリスティアに成されるがままとなる。
ようやく解放された頃には髪はクシャクシャになっていた。
手グシで髪を整えるが途中でこれが夢の中なので今直しても意味がない事に気づく。
「ごめんなさい。私のせいで貴方達に迷惑をかけてしまって……」
今まで笑っていた少女は一度目を伏せ、次には涙が溢れ頬を伝い落ちる。
クリスティアが服の袖で力強く目元を拭いていたので、ポケットからハンカチを取り出し優しく涙を拭き取る。
「僕は別に気にしてない。今回の事がなければ皆と出会うこともなかったから……」
自分の限界まで慰める言葉を考えたが上手く思いつかず、自分か感じた正直な意見を述べた。
それだけでも彼女を蝕む幾許かの重荷を下ろすことが出来たようで、内心安堵する。
「あっ! そろそろ夢から醒める頃合なんじゃないかな」
言われたと同時に意識がまた深く微睡みクリスティアが遠ざかっていく。
夢の中でクリスティアと別れ現実の世界に戻され、天井をぼんやりと見上げていた。
いや、先程までクリスティアと一緒にいた世界が夢の中だとは断言できない。
どちらが夢でどちらが現実かなんて誰が分かろうか、彼女は確かに存在し触れ温もりを感じていたのだ。今でも彼女に撫でられた感触が僅かばかり残っている気がして自分の頭を触れる。
「あっ……」
ベッドのそばに置かれた時計の時刻を見て言葉が漏れる。
それは皆との待ち合わせ時間ギリギリであった。
それでも蛍は急ぐことなく、いつも通りのマイペースさで衣服を着替え朝食を摂る。
家を出てから携帯で睦月に少し遅れる旨を伝え、真夏の日差しに晒されながらも駅に向かう。
今日は自分の番だというのに、緊張もなくいつも通り……いや、いつもより頭が冴えている気がした。
駅に着き携帯を確認すると「うん、わかった。皆には私から伝えておくからゆっくりでいいよ」と睦月から返信が入っていた。
車内は冷房が効いていて、外の蒸し暑さを忘れられたが海老沢駅で降りるとやはり照りつけるような太陽と蒸した暑さが蛍を消耗させる。
「………」
人ごみに紛れ改札を抜け、いつも待ち合わせをしている駅前の大木の前には俊哉を除く全員が揃っていた。
俊哉はもう目が覚めたのだろうか、とぼんやり考えながら皆の所に向かい、雪斗と怜央に小言を言われるが途中で睦月と悠理が仲裁してくれて説教は中断される。
「まぁ、いいや。そんな事より早く行くぞ。つか、今日戦うのはお前なんだぞ、そんな余裕かましてて、本当に大丈夫なんだろうなぁ?」
「僕は"負けない"だから安心してて」
人がいるところで転移すれば、目立ってしまうので場所を移動する。
そして、やって来たのは蛍や俊哉が通う学校の裏。
夏場は小さな羽虫が密集して飛んでいて、女性陣は悪戦苦闘していた。
「あぁぁぁぁぁぁ!! 目障りな虫ですね! 早いところ転移してしまいましょう」
手で羽虫を払いながら雪斗の後ろを歩く怜央は既に機嫌が悪かった。
入口からだいぶ離れたところで怜央は魔法陣が描かれた紙を地面に置き、教えられた呪文を唱える。
紙から魔法陣が広がり全員を眩い光で包み込み、瞳緒を閉じる。
次に目を開けると昨日と同じ協会の前に全員が立っていた。
「あらあら、もう着いちゃったみたいね」
「私ちょっとこれ苦手かも……」
睦月が頭を手で抑えながらフラフラとしている。
「だらしねぇな、酔ったのかよ?」
「多分ね」
雪斗から新品の水を手渡され、少しずつ口に含んでいく。
「睦月ちゃん大丈夫? 辛かったら少し休んでく?」
「ううん、大丈夫。それより今は早く教会に行こう」
水を飲んで多少は良くなったのか、皆の前を歩き扉を開ける。
教会内部の奥の方ではカルディナール、ムーティヒ、俊哉が三人並んで長椅子に座りお茶会をしていた。
「………」
「………」
「………」
「………」
「俊哉、起きたんだね」
蛍の言葉に三人がようやく気づき席を立ち上がる。
「よぉ、おはよー。いやぁ何か戦いの後眠っちまったらしくて、さっき目が覚めたんだよね。つーか、今日はお前が戦うんだろ、大丈夫なのか?」
それにコクリと頷く。
「ちっ……ちゃっちゃと始めろよォ、テメェ等が負けるところ拝ませてもらうぜ」
「うっせぇよ! 負けた奴が吠えてんじゃねぇぞ」
「あァ!? 俺はこの俊哉には負けたけどよォ、テメェには負ける気はしねーんだけどなァ!」
「へっ、いい度胸してんじゃねぇかよ。今度は俺が地べたにひれ伏せさせてやるから楽しみにしとくんだな」
双方今にも一触即発しそうな雰囲気をカルディナールが沈める。
「困りましたね。今日は私と彼の戦いなのですけど……。貴方方はそれを汚そうというのなら、初めにお二人から潰しますよ?」
その言葉だけで雪斗とムーティヒは何故か言葉を発することが出来なくなってしまう。
「ふん、雪斗貴方には珍しくあっさり引くじゃない?」
「いや……なんつーか、あの人を怒らせちゃいけねぇ気がして……な」
「もう、雪斗くんが挑発にのるからだよぉ~」
「俺は悪くねぇよ……」
蛍は静かに一歩前へ踏み出す。
「そろそろ、始めよう」
ぽつり呟き、カルディナールも「そうですね」と苦笑をする。
先程まで笑っていた皆も、いざ始まるとなると表情がどことなく固くなる。
「ふふ、緊張することはありませんよ。では……参りましょうか私達の戦場へ」
昨日ムーティヒの世界に連れて行った時のように理解不能な詠唱を述べ魔法時が展開し、その場の全員を包み込む。
そこは、昨日の黒煙や炎が立ち昇る廃墟群ではなかった。
一面白い花が敷き詰められ、天空すぐ近くには大きな丸い月。
神聖性や神秘性を称えた絶対的聖地。
想定外の世界に蛍を含めた全員は、その美しき戦場に呆気取られている。
「すげぇ……」
穢れ無き荘厳なる白の世界。
だが、彼らは美しさとは裏に恐怖を感じていた。
まるで自身が汚れているかのような錯覚を覚え、この世界に排除されてしまうのではないか……と。
「お気に召していただけたでしょうか? これが私の産まれ育った世界の最後の風景。ここに敷き詰められた花々は、かつてこの世界で繁栄し生活していた人々の成れの果てです……」
カルディナールは一本の花を摘み取り、懐かしげに胸に抱く。
「どうして花になっちゃったの?」
「それは……私にも分かりません。全ては邪神クリスティア・ロート・アルケティアがもたらした災厄なのです。だから……私は彼等の仇を取りたくてあのお方と行動を共にしているんです」
「邪神じゃないよ」
「え?」
反射的にカルディナールの言葉を否定し、今度はカルディナールが呆気にとられてしまう。
「僕は何度か話したから分かる。彼女は誰よりも優しくて自分が犯した罪を後悔してる……だから、邪神なんかじゃないよ」
「……あのお方も同じことを言っていました。ですが、私にしてみれば許すことのできない存在であることには変わりありません。もう……ここからは言葉は不要ですね。出来れば早い段階で降参してください」
カルディナールは臨戦態勢に入る。
「じゃあ、行ってくるね」
蛍も一度皆の方を振り返り手を軽く振る。
「おう、頑張れよ。勝ったら飯奢っちゃうぜ」
「どうでもいいから、ちゃっちゃと終わらせてこい」
「そうだよぉ~嫌なことは早めに終わらせちゃうのがいいよ」
「まぁ、せいぜい無様な様は見せないでくださいね」
「きっと勝つって信じてるからね」
一人一人からの声援を背に受け、いざ戦場に赴く。
ポケットから昨日、シン・リードハルトという男から貰った首飾りと指輪を身に着け、膨大な魔力を纏わせている女性と対面する。
抑制と防御の効果があるこの二つの因果創神器がどれくらいの効力を発揮するかはわからないが、最悪の場合は運に任せる。
「それは……因果創神器!? 何故この世界の人間が持っているのですか!」
「うん? 昨日貰った」
「……誰が渡したかは知りませんが、見たところ特に強力な代物では無いようですね」
「うん、自身の魔力抑制と魔力による攻撃に対しての防御って言ってたよ」
「「「「「教えるなよッ!!」」」」」
後方でなにやら皆が同時に何か叫んでいたが、後ろを振り向く余裕はさすがに無かった。
「あら、そういうのは内緒にしておくんですよ。まぁ、教えてもらってしまったので私の能力も特別に教えますね。私の能力は一定の範囲内の物質転移。それと、どのような治癒すらも無効にする矢を持っています」
「そうなんだ。ありがとう」
「いえ、私の方こそありがとうございます」
お互いに軽く会釈をして、いつ始まるのかと後方では気が気ではなかった。
最悪、蛍が死地に片足を踏み入れた時には即座に戦闘に割って入るつもりで、魔力を全身を巡らせる。
「いくよ」
正面から一直線にカルディナールの下に向かい駆け出す。
「真っ直ぐでは的になってしまいますよ」
「夢抱く純真なる子らよ、私は貴方達に世の救済を教え1欠片のパンを与えました。自身の救済のため他者を殺せ殺せ殺せ、そして最後の欠片を手にするが良い。私の言葉や思想は神の言葉であり思想である……フランジュエール ローバンヴェイク《自信の救済には他人の死を》」
手に握る弓矢は錆つき、血生臭さが溢れている。聖母のような彼女が持つには相応しくない獲物だった。
矢を弓に番え力の限り引き絞る。
弦が耳を塞ぎたくなるような異様な音を立てながら軋み、矢先は向かって来る彼の足元を捉えていた。
「狙い射れ」
矢が黒板を掻き毟るような悲鳴をあげ、真っすぐと放たれる。
「……あっ」
こんばんは、上月です(*'ω'*)ノ
2戦目で主人公を戦わせますか? と自問自答しています。
さて、次回の投稿は11月5日の日曜日となりますので、よろしくお願いします